2012年03月30日

偽りの宗教の創始者ニムロデ

2012年3月30日 13:07
夢の中でメッセージ。
「もうアホには顔近づけること、ニムロデのためできません。」
※ニムロデとは「バベルの塔」の建築家。

偽り宗教の創始者ニムロデ

 今まで、創世記に現われたノアの洪水について話してきました。
今日は、創世記10章に現われたニムロデについてお話しします。


クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。
ラマの子孫はシェバ、デダン。クシュはニムロデを生んだ。
ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、
力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」
と言われるようになった。(創世記10:7〜9)


 猟師に関する話が、聖書に時々出てきますが、エゼキエル書では、
偽りの預言者を猟師と言っています。多くの人々が偽りの預言者に魂を奪われ、
彼らの所有物になってしまい、死に渡されるみじめな姿を表わすために、
聖書では、偽りの預言者を魂を狩る猟師と言い表しました。


 ノアの三人の息子の中の一人であるハムの息子クシュが、
ニムロデを生みましたが、彼は地上で最初の権力者となり、
主のおかげで力のある猟師になりました。彼が主のおかげで力ある猟師になった
ということは、人の魂を狩る猟師になったことです。多くの人々は、
聖書で言っている猟師が、どのように人の魂を狩るのかについて考えて来ました。


 そこで、創世記10章10節には、彼の王国の初めは、バベル、…という話が
出て来ます。したがって、ニムロデがバベル塔を建てた本人であること
が分かります。
黙示ではバベルに対する裁きがある時、そのバベルの商品の一つが、
「人の霊魂」であることを言っています。


 ほとんどの人々は、信仰についてよく知らないため、自分たちの霊魂が神の前で、
どれほど重要なものなのか分からないまま、自分が好む何かのことや、自尊心、
体面のために、単に自分の霊魂を売ってしまう場合がよくあります。ですから、
偽りの預言者たちが現われ、人々の霊魂を狩ります。今までの聖書の歴史を考えて
みると、人々が神の前に出て行こうとする時、その道をさえぎる霊的な勢力が、
確かにありました。


 その勢力が、バベル塔のような大規模な塔を建てて、神の前に出て行こうとする
心を止め、神から離れて、ほかの所に行くようにさせたのです。旧約の時代、
イスラエルの民たちがエジプトから出て、
荒野の生活をした時、金の牛を造る罪を犯しました。
それがなぜ罪なのかというと、神に向かうべき民たちの心を、
神ではないものに心を取られるようにさせたためです。


 そのようなことは、バベル塔を建てたニムロデの時代からしきりに
続けられました。
旧約聖書を見ると、二つの大きな城が出て来ますが、その一つがまさに
ニムロデが建てたバベル塔の根源であるバベル城で、
もう一つはエルサレム城です。
黙示の最後のところを見ると、バベル城はのろわれ、
エルサレムが天から下って来ます。(黙示21:2)


 旧約時代から続けられた聖書の歴史は、バベル城とエルサレム城の
戦争の歴史でした。ある時期は、エルサレムにいたたくさんの人々が、
バベルの捕虜として捕えられて行き、エルサレムにあった神殿の道具まで、
バベルに取られてしまいました。しかも、名前、言語、食べ物、
彼らの信仰まで取られたことを、ダニエルを通して分かります。


 そのような方法で、サタンが神ではないものを、神のように思わせて
造った宗教をバベル城、バベル塔と言います。偽りの宗教の創始者は、
まさにニムロデという人ですが、彼は力ある猟師で、地上の最初の権力者でした。
すなわち、彼は特別な霊的な力を持って、人の心が神に向かうのをさえぎり、
自分に従うようにさせたのです。


 幾つかの例だけでも、偽りの宗教と真の信仰の差がすぐ分かります。
しかし、それよりまず私たちが知っておくべきことは、神の思いは、
人間の思いと異なるので、人間が神のところに出て行くためには、自分の思い、
意志を捨てなければならないことです。
神は、


わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、(イザヤ55:8)

と言われました。ですから、

主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。
悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。
主に帰れ。(イザヤ55:6,7)


と、聖書は言っているのです。私たちの思いは、
アダムが善悪の知識の木の実を取って食べてからは、私たちの考えるすべてを
サタンが握っているのです。
私たちの心にある憎み、淫乱、むさぼりなどは、
私たちの中から芽生えるものではなく、サタンが私たちの心の中に、
そういう思いを入れているためです。


 特に、ヨハネ13章を読んでみると、悪魔がイスカリオテ・ユダの心に、
イエスを売ろうとする思いを入れたことが分かります。
その思いを入れる前までは、彼の心にイエスを売ろうとする思いが
全くありませんでした。悪魔が彼にイエスを売ろうとする思いを入れてから、
彼の心にイエスを売ろうとする思いが芽生えて来ました。彼はどうして自分が
そのように思うのか知らないまま、ただその思いに従いましたが、
その思いを主観する本人は、まさにサタンでした。


 サタンは、イエスの12弟子の一人であるイスカリオテ・ユダだけ
誘惑したのではなく、今日、地上に住んでいるすべての人々を誘惑しています。
サタンが彼を誘惑したように、今私たちの心の中にも、
淫乱な心、欲望、憎しみなどを、ある人には「自分の思いが絶対正しい」
「私の信仰は正しい」という高慢な思いを入れ、尊い神の御心を受け入れることが
できないようにさせます。


 私たちの思いは、神の思いと根本的に異なるため、私たちの思いを
「直して」神の前に出られるものではありません。
ですから神は、
「悪者はおのれの道を捨て、不法の者はおのれのはかりごとを捨て去れ。」
と言われました。
イエスも
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、」
(↑私は「自分で考えよ。私の言葉すら疑え」、と言っているのと正反対。)
と言われました。私たちは自分の思いと異なる時、自分の思いを「捨て」、
神の御言葉を受け入れなければなりません。

私「自分の思いを一度疑いなさい=Bその上で、自己満足ではなく多くの意見や
考察を受け入れ誤謬を訂正し正しき考えに至りなさい。
『あなたは神の奴隷ではない』のである。
一人の人間として自信を持って正しき道≠キなわち、
ルシファーなどではない、真の神への道に至りなさい。
邪悪、邪淫などはもっての他」。


 いくら信仰が強い人であれ、自分の思いを持って聖書を読むと、
聖書を自分の思いどおりに理解して、神が私たちに教えようとする方向とは
全く違う方向に行ってしまいます。
サタンはそれを利用し、聖書を読む時、多くの人々の思いを
宗教的な方向に引っぱって行きます。


 宗教的な方向に導かれるということは、たとえば聖書の内容の中で、
「盗んではならない。」「殺人してはならない。」「姦淫してはならない。」
という御言葉を読みます。このような御言葉は、私たちから聞いても良い話なので、
それに従って、道徳的に良い生活をしようとする場合、
それが正しくないと言う人は一人もいないのです。
ですからニムロデは、人の霊魂を狩る時、人間的な善行や道徳的な善を追求し、
また、それを教えることにより、自分の善の中に陥っていて、
神が私たちを善で、義とみなされることについては、
関心を持たないようにさせる
のです。
(←これが、フリーメーソン!)


 神は、私たち人間自ら善になることは不可能だと言われました。
(↑フリーメーソンやイルミナティのような劣等な連中が混ざっているからな。)
神がご覧になる時、人間の中には善が住んでいないのです。
自分の中に善が住んでいないことを知れば、自ら善を行おうとして
がんばるべきではなく、イエス・キリストの恵みの前に出て来て、
「主よ!私は善を行うことができません。あなたが私を哀れんで下さい。」
と言って、自分の行った善に頼らずに、ただ主を信じる信仰で、
神の前に出るようになります。
もし、私たちがそのような人生を歩むと、私たち自身を否定し、
神の前で自分の善を否定するようになります。すると、神の聖、義、完全が
私たちの中に臨まれます。

ここでもわかるように、イエス=サタンであるからである。
キリストでは無い証拠である。


 私は多くの人々に、イエスを信じて義と認められることについて話して来ました。
すると、人々は、「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)
と言って反発しました。しかし、聖書の他の箇所を見ると「義人」という言葉が
たくさんあります。ソドムとゴモラの町は、義人10人がいなくて、
その町全部が滅びてしまいました。ですから、ソドムとゴモラの町には、
義人が10人まではいなかったのですが、義人がいたのは確かです。
そして、パウロは、ローマ1章17節で次のように言いました。


義人は信仰によって生きる。

ヤコブは、ヤコブ5章16節で、次のように言いました。

義人の祈りは働くと、大きな力があります。

 このように、聖書の中には確かに義人がいるのに、どういう人が、
「義人がどこにいるのですか?」と聞くのか分かりますか?
そういう人は、神が自分を義とみなされたことを知らず、自分で善を行い、
自ら義と認められようとしてがんばる人です。自分で義と認められようとして
がんばって、うまく行かないと、初めて『あ!自分の力では義と認められない。
自分の義ではだめだ。』と感じるようになります。
それを真剣に感じた人々は、イエスの前に出て来て、哀れみを求め、
イエスの義を受けることができます。

他者に自己の「義」を否定された時は、己を省みよ、
どこかに欠けた箇所があったのである。服従するのでは無く、
己で克己せよ。


 パウロが、「私は義人です。」と言ったのは、自分の義で義人になったと
言うのではありません。
信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる。(ピリピ3:9)
と言いました。自分が清く生きて義とされたのではなく、
神から与えられた義を持ったのです。

私はこれを明確に否定します。
「自らで自らを義≠ニ思わずして、どうやって義≠達成出来ようか。
自分で義人≠ナありたいと思ったならば、義人≠ナあることを公言し、
堂々と義を行うべきである。
そして義に殉じるべきである。
神から≠ニ言う制約をつけることによって義人≠ェ多く排出することを
遮っている悪魔の言葉である!


 私たちは清くないのですが、神が私たちに義を与えて下されば、
私たちは義人になるのです。それは、徹底的に私たちの行いによるではなく、
神によるものです。

大悪魔ルシファーの思うつぼ。


ところが、多くの人々が「宗教」という清く見える名の下で、
人間に善を要求し、言われた通りに生きようとしてがんばって行くうちに、
自分の善に自己満足し、神の恵みを受けることができなくなってしまいます。
ニムロデが猟師になり、人の霊魂を狩る方法が、まさにそのような方法です。


 もし、皆さんが信仰生活をする時、
自分の力で義と認められようとしているならば、
それはニムロデに騙され、滅びる道を歩んでいることです。
私たちが義と認められる方法は、ただ一つ、イエス・キリストの前に出て行って、
「私は絶対に義と認められません。」と言って自分を認め、
イエス・キリストを信じる信仰で、イエスの義を受ける方法だけです。
そうしないと、決して完全な義を受けることができません。

イエス自身がサタンの故にこのような有り得ない「嘘言」がまかり通って来た。
ニムロデとイエスの二重の騙しが入っている。
「義」とは「自分の利に背いても、正しい行いをすること」であり、
「義人」とは「それを行う人間」を指す。
先ほども話したが、そんな人間が多数輩出しないように
「このような何重にも嘘を重ねている」のである。
それが、フリーメーソン。


 その部分については、今度お話しします。今日はここまでにします。
 ありがとうこざいました。さようなら。

posted by 真 救世主 at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アスタロト=水星=ヘルメス=トート

アスタロトAstaroth)は、ヨーロッパの伝承に伝わる悪魔の一柱。種々の魔術悪魔学の文献において高位の悪魔として扱われる。アシュタロトAshtaroth)、アステロトAsteroth)とも呼ばれる。日本語ではアスタロスアシュタロスとも表記される。

アスタロトは悪魔学における著名な悪魔の1人である。セバスチャン・ミカエリスハインリヒ・コルネリウス・アグリッパヨーハン・ヴァイヤーらが、悪魔学に関する著作の中でアスタロトについて言及している。また、グリモワールと呼ばれる中世後期から近世にかけてヨーロッパで民間に流布していた魔術書にもその名がしばしば見られる。これらの文献において、アスタロトは悪魔たちの支配者階級に位置するものとみなされている。
アグリッパによると、アスタロトはギリシア語ではディアボロス(中傷者)と呼ばれ、ヨハネ黙示録に出てくる「我々の兄弟たちを告発する者」と同一視される。ヴァイヤーによれば、過去未来を見通す能力を持ち、質問者に教養学を教授する。また、天使の創造やいかにして天使たちは堕天したかについても語るが、彼自身は自らの意志で堕天したのではないとも語る。

13世紀に編まれた聖人伝説集『黄金伝説』では、最果ての地であるインドの神殿に祀られていた異教の偶像神の名としてアスタロトが登場する。かの地を訪れた使徒バルトロマイがその寺院に宿泊すると、どんな病も直すと嘘をついていたその神像の中の魔神は、以後沈黙してしまったという。

容姿

召喚されると、巨大な蛇、あるいはドラゴンに似た獣にまたがり、右手に毒蛇を持った天使の姿をとる。コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』でもこの記述にしたがった挿絵がつけられている。口からはの息または耐え難い悪臭を吐き出すため、間近に寄らせるのは危険とされる。の王ベルゼブブのそばに、ロバの姿で現れることもあるという。『真正奥義書』によれば、黒白の色をした人間の姿で現れることもある。
アスタロト.jpg
起源

数々のグリモワールや悪魔学者によって高位の悪魔として言及される背景としては、旧約聖書にも異教の神として登場するアシュトレト(Ashtoreth)およびその複数形アシュタロト(Ashtaroth)を起源に持つことが挙げられる。アシュトレトは中東から地中海沿岸にかけて広く伝わる豊穣神の一形態であり、メソポタミアイシュタルギリシアアプロディーテーと起源を同じくすると考えられている。旧約聖書中の『士師記』において、アシュトレトはバアルと並んで言及されている。ジョン・ミルトンもその著作『失楽園』(1667年)の第1巻において、堕ちた天使たちを紹介する中でバアリムとアシュタロトの名を挙げており、またアストレト(Astoreth)を「フェニキア(カナン人)が天の女王として崇拝したアスタルテ」として言及している。フレッド・ゲティングズはアシュトレトが悪魔として扱われるように至った背景を、アシュトレトがエジプトにおいて戦の神としてライオンの頭を持った姿で図示されたことに由来すると述べている。

水星
水星.jpg
メッセンジャーが撮影した水星

人類の水星に対する認識

古代

俊足の神メルクリウス。英語Mercuryの語源となった。.jpgメルクリウス.jpg
俊足の神メルクリウス。英語Mercuryの語源となった。

水星について記述された最古の観測記録は、紀元前14世紀頃のアッシリア人によって作られたと考えられる星図表Mul.Apinである。この表における水星の楔形文字表記は、Udu.Idim.Gu\u4.Ud[注 2](the jumping planet、「跳ぶ星」)と訳された。バビロニアにも紀元前1000年代の記録があり、彼らは神話に登場する伝達する神ナブーになぞらえた名称をつけていた。古代ギリシアではヘーシオドス(紀元前700年頃?)の時代には知られ、Στίλβων(Stilbon、「微かな光」の意)やἙρμάων (Hermaon)と呼ばれていた。ヘラクレイトスは、水星と金星が地球でなく太陽の周りを回っていると考えるに値する観測を行った。古代ギリシア世界では、宵の水星にヘルメス、を対応させていた。その後、最内周惑星で運行が速いことから、ヘルメスと同一視されていた他の神々の使いである俊足の神メルクリウスの名があてられ、これが英語のマーキュリー(Mercury = 水星)の語源となった。
古代中国では水星は「辰星」の名で知られ、方角の「北」五行思想の「水」と対比させていた。現代でも、中国、日本韓国ベトナムでは漢字で「水星」と書かれ、五行思想の反映が見られる。インド神話では、水星には水曜日を司る神ブダ英語版の名が与えられる。曜日との関連は、ゲルマン人の思想英語版でも神オーディンが水星と水曜日を司るという考えがある。

マヤ文明では水星はフクロウに喩えられ、1羽という時と、朝夕それぞれ2羽の計4羽と考えられることもあった。彼らは地下世界からの使者と考えられた。
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副都心線の新しい駅「北参道」ふくろう像

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JR池袋駅のいけふくろう像

ヘルメース

ヘルメース古典ギリシア語Ἑρμῆς, Hermēs)は、ギリシア神話に登場する青年である。長母音を省略してヘルメスとも表記される。
オリュンポス十二神の一柱。旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神であり、神々の伝令役を務める。能弁、体育技能、眠り、夢の神とも言われる。その聖鳥は朱鷺及び雄鶏

元来はトラーキアペラスゴイ人の神で、ドーリア人の侵入に従ってギリシア全体に広まったといわれる。
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プラクシテレスのヘルメース像

解説

ヘルメースはゼウスマイアの子とされる。ゼウスはオリュンポス神族の伝令となる神を作るため、妻ヘーラーに気付かれないように夜中にこっそり抜け出し、マイアに会いに行くことで泥棒の才能を、ヘーラーに隠し通すことで嘘の才能を、ヘルメースが持つように狙った。特にゼウスの忠実な部下で、神話では多くの密命を果たしている。代表的なのは百眼の巨人アルゴスの殺害で、このためアルゴス殺しの異名がある。主に頭に丸い翼の付いた旅行帽ペタソス)を被った姿で表され、神々の伝令の証であるケーリュケイオンという杖と、履く事によって空を飛ぶ事ができる黄金の翼が付いた魔法のサンダルタラリア、そして武器である鎌(ショーテルとも)・ハルペーを持つ。
死者、特に英雄の魂を冥界に導く死神としての一面も持ち、その反面冥界から死者の魂を地上に戻す役割も担っており、オルペウスが妻エウリュディケーを冥界から連れ出そうとした際に同行した。この点からタキトゥス北欧神話オーディンとヘルメースを同一視している。また、アポローン竪琴の発明者とされ、以下のような逸話が残っている。
ヘルメースは早朝に生まれ、昼にゆりかごから抜け出すと、まもなくアポローンの飼っていた雄50頭を盗んだ。彼は自身の足跡を偽装し、さらに証拠の品を燃やして雄牛達を後ろ向きに歩かせ、牛舎から出た形跡をなくしてしまった。翌日、牛達がいないことに気付いたアポローンは不思議な足跡に戸惑うが、予言によりヘルメースが犯人だと知る。激怒したアポローンはヘルメースを見つけ、牛を返すように迫るが、ヘルメースは「生まれたばかりの自分にできる訳がない」とうそぶき、ゼウスの前に引き立てられても「嘘の付き方も知らない」と言った。それを見たゼウスはヘルメースに泥棒と嘘の才能があることを見抜き、ヘルメースに対してアポローンに牛を返すように勧めた。ヘルメースは牛を返すのだがアポローンは納得いかず、ヘルメースは生まれた直後(牛を盗んだ帰りとも)に洞穴で捕らえたウミガメの甲羅にを張って作った竪琴を奏でて詩を歌った。それが欲しくなったアポローンは牛と竪琴を交換してヘルメースを許し、友好の証として自身の持つケリュケイオーンの杖をヘルメースに送った(牛はヘルメースが全て殺したため、交換したのはケリュケイオーンだけとする説も。なお、殺した牛の腸を竪琴の材料に使ったとも)。このときアポローンとお互いに必要な物を交換したことからヘルメースは商売の神と呼ばれ、生まれた直後に各地を飛び回ったことから旅の神にもなった。
ヘルメースはヘーラーの息子ではなかったが、アレースと入れ替わってその母乳を飲んでいたため、ヘーラーはそれが分かった後もヘルメースに対して情が移り、彼を我が子同然に可愛がった。
ある時アプロディーテーに惚れたヘルメースは彼女を口説いたが、まったく相手にされなかった。そこでヘルメースはゼウスに頼んでを借りてくると、その鷲と泥棒の才能を使ってアプロディーテーの黄金のサンダルを盗んだ。ヘルメースはこのサンダルを返す事を条件に関係を迫り、彼女を自由にした。2人の間にはヘルマプロディートスプリアポスが生まれた。この他にもペルセポネーヘカテー、多数のニュムペーたちと関係を持っており、エウドーロスアウトリュコスなどの子供をもうけている。また、パーンもヘルメースの息子とされることがある。
ギガントマキアーにおいてヘルメースはハーデースの隠れ兜を被って姿を消し、ギガンテスの一人ヒッポリュトスを倒している。
ほかにもダイス天文学アルファベットを発明したり、度量衡の制度を整えたりするなど、人間のためにさまざまな貢献をしている。
ローマ神話におけるメルクリウス(マーキュリー)に相当する。水星はギリシアではヘルメースの星といわれ、これはローマ人にも受け継がれた。現代ヨーロッパ諸語でメルクリウスに相当する語を水星に当てるのはこのためである。
古代ギリシアにはヘルメーもしくはヘルマイなどと呼ばれるヘルメース神の石柱像があり、道端などに立てられていた。トゥーキュディデースの『戦史』によると、紀元前415年ペロポネソス戦争を戦っていたアテーナイのヘルメーが、一夜のうちに全て壊されるという事件が起きた。この事件はアルキビアデースの一派が起こしたものと疑われ、アルキビアデースがラケダイモーン側に寝返る原因となった。アルキビアーデスがラケダイモーン側に対して行った進言がきっかけでアテーナイは痛恨の打撃を受け、ついには敗北することとなった。
メルクリウスMercurius)は、ローマ神話に登場する商業神。英語読みマーキュリーMercury)でも知られる。ラールたち(ラレース)の父。祭日5月15日は商人の祝日である。
名前はラテン語 merx (商品)との関係が指摘されているが、どちらが語源であるのかは不明。メルクリウスの神殿は紀元前496年アウェンティヌス丘の上に建てられたとされるが、これはローマの聖所ポメリウムの外にあったため、元からローマにいた神ではなく、外部から来た神と考えられている。
ローマ暦では、水曜日をメルクリウスの日 Diēs Mercuriī (ディエース・メルクリイー)としている。

のちにギリシア神話ヘルメースと同一視される。そのため、ユーピテルマイアの子、神々の使者、科学・商業・盗人・旅人の守り神、翼のある帽子とサンダルを身につけ、2匹の蛇が巻き付いた杖(カドゥケウス)を持った若者の姿で描かれるなどといった、ヘルメスの性質がそのまま受け継がれている。


水星の日面通過。.jpg

水星の日面通過。中心下部にある小さな黒い点が水星である。太陽左の縁に見られる黒い部分は太陽黒点である。
地上からの観測

望遠鏡を用いた水星観測は17世紀初めにガリレオ・ガリレイが手がけたが、天体の英語版を確認するには充分な機能を発揮しなかった。しかし1631年にはピエール・ガッサンディが、ヨハネス・ケプラーが予告した天体の通過を望遠鏡で観測した。1639年にはイタリアジョヴァンニ・ズッピが望遠鏡を使って水星を観測し、金星や月と同様に満ち欠けがあることを発見した。これによって、水星が太陽の周りを回っていることが確実になった。惑星同士が交差する掩蔽は非常に稀な天体現象だが、1737年5月28日に水星と金星で起こった掩蔽はグリニッジ天文台ジョン・ベヴィスによって観察された。水星と金星が次に掩蔽を起こすのは2133年12月3日である。水星は太陽に接近しているため、観測するのは非常に困難である。水星軌道周期の約半分に相当する期間は、太陽の光に埋もれてしまって見ることができない。またそれ以外の時期でも、朝か夕方のごく短い時間しか観測できない。
地球から見た水星にも、金星や月のような満ち欠けの相が見られる。内合の時に「新水星」、外合の時に「満水星」となるが、これらの時期には太陽と同時に上ったり沈んだりするために、見ることはできない。最大離角の時には半分欠けた形になる。西方最大離角の時には日の出前に最も早く上り、東方最大離角の時には日没後に最も遅く沈む。最大離角の値は、近日点ならば17.9度、遠日点ならば27.8度である。しかし金星とは異なり、最も明るくなるのは「半月」形と「満月」形の間の相である(金星では「新月」形と「半月」形の間で最も明るくなる)。この理由は各相にある時の地球からの距離による。水星では内合(「新水星」)と外合(「満水星」)の時の地球からの距離の差は3倍以下だが、金星では6.5倍にもなる。水星が内合になる周期は平均すると116日だが、軌道の離心率が大きいために実際には111日から121日まで変化する。同じ理由で、地球から見て逆行する期間も8日から15日まで変化する。
このような観測の難しさから、水星の理解は他の惑星と比べて遅れた。1800年、ヨハン・シュレーターは水星表面の観察を行い。高さ20kmの山脈が存在すると主張した。フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルはシュレーターの観察結果から、自転時間を24時間、自転軸の傾斜が70度だという誤った見積もりを発表した。1880年代になって、ジョヴァンニ・スキアパレッリがより精確な惑星写像を取り、その結果から自転周期は88日であると示唆するとともに、公転も潮汐力から同期した状態にあると考えた。惑星写像への取り組みは引き続き行われ、1934年にはユジェーヌ・ミカエル・アントニアディが観測結果と地図を載せた本を出版した。そこには、数多いアルベド地形英語版(天体面の明暗模様)が反映され、「アントニアディ・マップ」と呼ばれた。
1962年6月、ヴラジーミル・コテルニコフ英語版率いるソヴィエト連邦科学アカデミー情報通信研究所 (Institute of Radio-engineering and Electronics) は、水星にレーダー信号を発信し反射を利用した観測を初めて行った。これはレーダーを利用した惑星観測の皮切りとなった。3年後に、アメリカのゴードン・ペッティンギル英語版らがプエルトリコアレシボ天文台300m径電波望遠鏡を用いた観測を行い、最終的に水星の自転周期が59日であることを突き止めた。水星の自転は公転と同期していると広く考えられていたため、この発見は驚きをもって受け止められた。同期していれば常に影となる半球は非常に冷たくなるはずだが、電波計測の結果は、予想よりもはるかに高い温度を示していた。それでも天文学者の中には風のような熱を分配する何かしら強力な機構を想定するなど、同期説を簡単には手放さない者もいた。
公転と自転の比率が1対1ではないと提言したのはイタリアの天文学者ジュゼッペ・コロンボ英語版であり、彼は公転が自転周期の2/3に相当すると述べた。この証明は、マリナー10号から得られたデータで裏づけされた。これは、スキアパレッリとアントニアディの地図が正しいことを示すとともに、他の天文学者が観察した水星表面は2パターンある公転・自転関係のひとつだけを見ていたわけではなく、観測手段が未発達だったために彼らが目にした太陽方向に向けられた表面の違いをさしあたり無視していたことを示した。

アレシボ天文台が観測した極のクレーター。水の氷が存在する可能性がある。
地上からの観測は光を反射しない部分を知る手段に乏しく、水星の基本的な特性は探査機を打ち上げて初めて理解できた。しかしながら、20世紀末以降は技術的進歩が進み、地上観測からでも多くの情報を入手できるようになった。2000年、ウィルソン山天文台の1.5mヘール望遠鏡で高解像度のラッキーイメージング英語版観測が行われ、マリナー10号では得られなかった水星表面部分の画像撮影に成功した。後の解析で、そこにはカロリス盆地を越え、スキナカス盆地英語版の2倍に相当する大きさの巨大な二重クレーターが発見された。その後もアレシボ天文台による観測で、水星表面の大部分は5kmの解像度で撮影された。この中には、極にあり影に水の氷が存在する可能性を持つクレーターも含まれていた。

水星への到達

地球から水星に到達するためには高い技術的ハードルがある。水星の軌道は地球に比べて3倍も太陽に近いため、地球から打ち上げた宇宙機を水星重力に捕らえさせるためには、太陽の重力井戸を 9,100万 km 以上も下らなくてはならない。また、軌道速度は地球が約30 km/sなのに対し水星は48km/sであり、そのために宇宙機が水星のホーマン遷移軌道に入るために変更しなければならない速度差ΔVは他の惑星探査よりも大きくなってしまう問題がある。
水星探査では、太陽の重力井戸を下る運動をするために位置エネルギーが運動エネルギーとなって宇宙機の速度が増す。しかし、水星周回軌道への投入や着陸を行おうとすると、急激に速度を落とさなければならず、そのために宇宙機のエンジンを使う必要が生じる。水星は大気が薄いため空力ブレーキの効果は期待できない。計算では、水星探査に使われるエネルギーは太陽系外へ向かうよりも多くなる。これらが、水星探査機の実現回数が少ない理由である。
水星探査機マリナー10号
探査機メッセンジャー

水星探査

水星に向けられた初の探査機は、1973年に打ち上げたアメリカ航空宇宙局 (NASA) のマリナー10号であった。同機は1974年から1975年にかけて3度にわたって水星に接近。写真撮影や表面温度の観測を行い、惑星表面の特徴的な地形を数多く知らしめた。しかし探査可能時間が短く、惑星の夜の部分は撮影ができず、情報は全球の45%以下に止まった。
2004年8月3日、アメリカ航空宇宙局のメッセンジャー が打ち上げられ、地球、金星をスイングバイ(フライバイ)しながら水星へ向かって航行し、2008年1月には水星での最初のスイングバイを行った。2011年3月18日に水星の周回軌道に入った。その結果、クレーターの縁や中心に穴があること、太陽系の内側には水が、ほぼ存在しなかったこと、南北の磁場が非対称なので、水星内部には薄い液体核しかないことが推測できるという。今後も継続的な観測活動を行う。

計画中

ベピ・コロンボ宇宙航空研究開発機構欧州宇宙機関が共同で打ち上げを計画している探査機である。2014年に打ち上げが予定され、2019年に水星の周回軌道に入り、観測をする計画である。これは2機編成であり、長楕円軌道には水星磁気圏探査機を、低軌道には水星表面探査機を化学燃料ロケットで投入し、水星公転の数年に相当する期間をかけて探査を行う予定である。この水星表面探査機は、メッセンジャーと同じく分光計を積載し、赤外線、紫外線、X線など複数の波長で惑星の調査を行う。

その他

惑星記号

Mercury symbol.ant.png
ヘルメスの杖・ケリュケイオン(ローマ神話ではカドゥケウス、二匹の蛇の絡んだ杖)を図案化したものが、占星術天文学を通して用いられる。ヘルメスは水銀とも関連付けられたため、錬金術では水銀の元素記号として使われた。ケリュケイオンは、商業交通のシンボルでもあり、一橋大学やいくつかの商業校の校章などに現在も用いられている。

占星術

水星は七曜九曜の1つで、10大天体の1つである。西洋占星術では、双児宮処女宮支配星で、吉星である。流動性を示し、通信・交通、商売旅行兄弟に当てはまる。


ヘルメス・トリスメギストス: Hermes Trismegistus, 古希: Ἑρμῆς Τρισμέγιστος)は、神秘思想錬金術の文脈に登場する神人であり、伝説的な錬金術師である。
ギリシャ神話ヘルメス神と、エジプト神話のトート神がヘレニズム時代に融合し、さらにそれらの威光を継ぐ人物としての錬金術師ヘルメスが同一視されてヘルメス・トリスメギストスと称されるようになった。それら3つのヘルメスを合わせた者という意味で「3倍偉大なヘルメス」「三重に偉大なヘルメス」と訳される。(三人の賢者(ヘルメス)の伝説(三重の知恵のヘルメス))
  1. 第1のヘルメス:ノアの洪水以前にいた神。アダムの孫という。衣服、ピラミッドを作ったという。天文などを研究したという。
  2. 第2のヘルメス:ノアの洪水以後のバビロンにいた人。ピタゴラスの師という。医学、数学などに優れる。
  3. 第3のヘルメス:エジプトの人。医学者、哲学者。都市計画をしたという。
ヘルメス・トリスメギストスは、エメラルド板ヘルメス文書の著者とされた。また中世の錬金術師は、賢者の石を手にした唯一の人物と考えていた。
「ヘルメス思想」とはヘルメス・トリスメギストスにあやかって世界の神秘を味わい尽くそうとする思想のことを指す。
中世ヨーロッパでは、西洋占星術や錬金術の知識は、古代アトランティスの伝説の王ヘルメス・トリスメギストスが残したものであり、その奥義は、彼の遺体に握られていたエメラルド・タブレットに刻まれていたと信じられていた。

「3倍」の理由

トリスメギストス(3倍偉大)という記述の起源は明らかではない。ブライアン・P・コーペンヘイヴァーによれば、この名前が最初にみられるのは、紀元前172年、エジプトメンフィス近くで開かれたトキ崇拝の集まりであるという。しかし、ガース・ファウデンは、この名前の起源はアテナゴラスキリスト教弁証家)およびビュブロスのフィロンであると述べている。
その他の解釈としては、エスナ神殿にあるトートの称号「偉大なる、偉大なる、偉大なるトート」が元になっているという説がある[3]
ヘルメス・トリスメギストスがエジプトにいたとされる時期(これ以降の時期に地上に存在していたかは定かではない)は、モーセの時代よりはるか昔、エジプト王朝の最初期であったとされる。権力者たちはヘルメス・トリギスメストスをアブラハムと同時代の人物と考えた。またユダヤの伝承の中には、アブラハムが、その神秘的な知識の一部をヘルメスから得たとするものさえある(en:Kybalion)。
ラクタンティウスアウグスティヌスジョルダーノ・ブルーノマルシリオ・フィチーノトンマーゾ・カンパネッラピコ・デラ・ミランドラなどの多くのキリスト教著述家は、ヘルメス・トリスメギストスを、キリスト教の出現を予見した賢明なる異教徒の預言者と考えた。これらの著述家は「古代神学」すなわち古代に神から人に与えられたすべての宗教に通じる唯一・真実の神学が存在するという考えを信じており、ザラスシュトラやプラトンなど、多くの預言者にこの考えを適用していた。
古代神学の正しさを示すため、これらのキリスト教徒たちはヘルメスの教えを自らの意図に合わせて使用した。このため、キリスト教会の教父にとってのヘルメス・トリスメギストスはモーセの同時代人として考えられたり、ヘルメスの名で呼ばれる3人の人間と考えられたり、偉大な聖職者・哲学者・王を兼ねていたという意味で「3倍偉大」と考えられたりした。
ヘルメス・トリスメギストスが「トリスメギストス」の名を持っている理由の説明としては、エメラルド・タブレットの「全世界の英知の三部門を知る」という記述を根拠にするものがある。この3つの分野の知識とはすなわち錬金術占星術神働術(en:theurgy)である。


トート
トート.pngヒヒ型のトート神像(ルーヴル美術館).jpg
                   ヒヒ型のトート神像(ルーヴル美術館)←ふくろうに見える。

トートギリシャ語Θωθトトとも)は古代エジプトの知恵を司る。古代エジプトでの発音は完全には解明されていないがジェフティエジプト語ḏḥwty)と呼ばれる。聖獣はトキヒヒ。数学や計量をつかさどる女神であるセシャトを妻(または妹)としている。

神話
誕生

誕生については諸説あり、世界ができたとき、自らの力で石から生まれたとされる説がいちばん有名である(この場合、早く生まれた為に足が悪くなったとされる)。そのほかにもセト神の頭を割って誕生したという神話もある。

時の管理者として

天空の神ヌトオシリスたちを生む際に、太陽神であるラーが「その子供たちは災いを生む」と言って子供を産むことを禁じた。困ったヌトはトトに相談した。そこでトトは月と賭けをして勝ち、時の支配権を手に入れた。そして太陽神の管理できない5日間を作りだす(太陰暦太陽暦の差)。そしてヌトはこの5日にオシリスセト大ホルスイシスネフティスの5柱を生んだ。そして月としての属性を得たため太陽の沈んだあとの夜の時間は、トト神が太陽にかわって地上を守護するとされる。

その他

ほかにも楽器の開発者ともされ、呪文を使うなど神話上に多くの役割を持っている。ピラミッドの建設方法を人間に伝えたのもトトであるとされる。シナイ半島ではトルコ石や銅鉱石を採掘に行ったエジプト人の守護者として、「遊牧者の主」、「アジア人を征服するもの」と呼ばれている。このシナイでの信仰はハトホルよりも古い。古くはスネフェル王の時代から、シナイ半島の碑文に名前が登場している。
大いなる導きヒヒ」と呼ばれると共に、ヒヒの姿で描かれる事もあるが、これはヒヒを聖獣とする知恵の神ヘジュウルとの習合による物である。ちなみにヒヒは魔術の象徴でもある。また、ラーを補佐する事から「ラーの心臓」とも呼ばれる。

古代エジプト以外でのトートギリシア神話のヘルメス神と同一視された。これが後に発展してヘルメス・トリスメギストスを生んだ。また、ヘルメス思想では、エジプトの知恵はタロットに残されたと考えられたため、タロットはしばしば「トートの書」とも呼ばれた。
近・現代においてもトート(=ヘルメス)はオカルトで重要な存在であり、アレイスター・クロウリーは「トートのタロット」を制作した。また、タロットに関する論文である「トートの書」を執筆している。ただし、この本自体はトート神とは余り関係がない。
posted by 真 救世主 at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

創価学会は北朝鮮宗教である  池田大作=成太作(ソン・テチャク)

創価学会は北朝鮮宗教である
北朝鮮生まれの麻薬生産業者.jpg
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm池田大作=成太作(ソン・テチャク)「池田大作」は自己を永遠の指導者として神格化する
為に自分をミイラにする事を本気で考えている。
http://www.youtube.com/watch?v=C9Y7dqGqiPc&feature=player_embedded
池田大作=成太作(ソン・テチャク)池田大作=成太作(ソン・テチャク)「池田大作」は自己を永遠の指導者として神格化する為に
自分をミイラにする事を本気で考えている。
http://www.youtube.com/watchv=
C9Y7dqGqiPc&feature=player_embedded

池田大作=成太作(ソン・テチャク)池田大作=成太作(ソン・テチャク)「池田大作」は自己を永遠の指導者として神格化する為に
自分をミイラにする事を本気で考えている。
http://www.youtube.com/watchv
=C9Y7dqGqiPc&feature=player_embedded

池田大作=成太作(ソン・テチャク)池田大作=成太作(ソン・テチャク)
池田大作=成太作(ソン・テチャク)池田大作=成太作(ソン・テチャク)
池田大作=成太作(ソン・テチャク)池田大作=成太作(ソン・テチャク)
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創価学会は北朝鮮宗教である
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創価学会は北朝鮮宗教である

池田大作=成太作(ソン・テチャク)
By
richardkoshimizu




「まったく、どうしようもない誹謗中傷だ。平和の殿堂、
創価学会が北朝鮮と関わりなんかあるわけない!
本部に注進して、このふざけたサイトを告発してもらおう!」

そう憤っている学会信者の貴方、是非そうしてみてください。
学会のなるべく偉い人(できれば、副会長)に直訴してください。
法的措置をとって、この馬鹿げた学会誹謗サイトを叩き潰し、
管理者を血祭りに上げてください!


←まあ、よく似合う 民族衣装だこと。
当たり前だが。

だが、貴方が訴えかけた学会最高幹部たちは、
決して法的行動など起しません。
狼狽を見て取られないように目を伏せて上目遣いに
周りを覗います。そして、口先で誤魔化します。
「酷い中傷だ!わかった。
痛い目にあわせてやろう!」
貴方の前では威勢良く宣言するでしょう。
しかし、何一つ行動は起こしません。
そして、裏からプロバイダーに手を廻して、
姑息で卑怯な手段でサイトを消そうと試みます。
普段なら、創価学会お得意の「嫌がらせ部隊」
が動員される場面でしょう。
集団でストーカー行為をしたり、
電話攻勢をかけたりで、
学会の邪魔者を黙らせて来ました。
しかし、このサイトだけはそうはいきません。
「嫌がらせ部隊」に動員する一般信者の人たち
にも知ってもらいたくない事柄が、
ここに山ほど出てくるからです。
下手に末端信者に読まれてしまっては、
在日幹部が困るのです。
いつもの姑息な妨害手段も使えない学会の
朝鮮人幹部さんたちは、ただただ頭を抱える
だけでしょう。
犯罪者は、犯罪を正面切って暴露されれば、
告発が真実を反映していればこそ、
事を荒立てることを嫌うのです。触れず障らず、
                                         穏便に済ませたいのです。
このサイトに書いてあることは、創価学会の朝鮮人支配者たちが、一般信者に一番知ってもらいたくない学会の
暗部中の暗部です。
事を荒立てて、末端信者の人たちの目に触れるようなことは絶対避けたいはずです。ですから......彼らは沈黙します。
是非、やってみてください。この通りになりますから。創価学会は、北朝鮮宗教なんです。確実に。間違いなく。
北朝鮮の勢力と連携した犯罪者の集まりなんです。あなたの所属する宗教は。貴方が知らないだけなんです。
貴方は、今まで騙され、使われ、搾取されてきたんです。北朝鮮人の手で。


池田大作=成太作(ソン・テチャク)
長男 「池田博正」57歳 2006年3月 「創価学会」副理事長に就任.jpg
(写真)池田大作死、長男 「池田博正」57歳 2006年3月 「創価学会」副理事長に就任
長男は「現在創価学会インターナショナル」(SGI)の副会長であり、
最も有力な後継者とされている。


今から3年前「池田正博」は中国政府高官との会談で、自らの世襲を認めたかの様な
発言をしている。(2007年3月26日付 聖教新聞)


『創価学会も、池田家も世々代々にわたって中日友好を大事にしてまいります』


なんと立派な中国共産党=湖錦濤国家主席への忠誠心である。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question
_detail/q1411457769?fr=rcmd_chie_detail



しかし従来より世襲はしないと公言している「池田大作」である。

この矛盾をどう解決するのか?


現在、「創価学会」の中枢機能は「創価学会インターナショナル」に移転しつつある。


「池田大作」が会長を務める「創価学会インターナショナル」の頂点に長男を
据える事によって世襲は完成する。



創価学会戸田城聖氏のご子息はいまどこに?


cienasiさん


創価学会戸田城聖氏のご子息はいまどこに?


池田大先生のご子息池田博正氏はSGI副会長をしていますが、戸田城聖氏の
ご子息は何をしてらっしゃいますか?

池田氏のご子息は何の功績があって副会長になった?
創価学会は池田氏のみ世襲を認めているんですか?



ベストアンサーに選ばれた回答


apocalypse666survivalさん


そういう厳しい、肺腑をえぐる質問をして、よろしいのでございましょうか?


粛々と,『世襲』に向けて、目立たない場所に子息を置いて、
みんなから推戴されたという形を取って、世襲を目指しているというのに、・・・


きつい質問をして、よろしいのでしょうか?

3月26日付「聖教新聞」「日中友好の新時代を―
―創価大学国際部長 寺西宏友」

 「4日には、創立者の名代として北京入りした池田博正創価大学理事以下、
創価大学関係者8人が、唐家セン国務委員を表敬した。

 唐国務委員は、駐日公使、外交部長等を歴任され、
現在は、主に外交を担当する副首相級の国務委員として、
胡錦濤国家主席を補佐する立場。(中略)池田博正理事が、
『創価学会も、池田家も世々代々にわたって中日友好を大事にしてまいります』
と申し上げたところ、唐国務委員は、わざわざ秘書を呼び寄せられ、
『これは重要な発言だから、ぜひ記録にとどめておくように』
と指示をされる一幕もあった」


 池田博正氏の台湾・中国訪問のクライマックスである唐家セン国務委員との
会談内容を、創価大学の国際部長が詳しく報告している。
それによると池田博正氏は、唐氏に対して「創価学会も、
池田家も世々代々にわたって中日友好を大事にしてまいります」と
言上したところ、唐国務委員はこの発言を重要として、記録させたのだという。



せっかく、宗主国にも上の様に『世襲』を認めてもらっていたのに・・・


緊急アンケート!!!

【あなたは「創価学会を宗教法人」と認めますか?】
1、紛れも無い宗教法人である。→9.4%
2、もはや宗教法人とは言い難い!→87.7%

3、死ね、→2.8%

私、「大天使ウリエルの鉄槌を喰らうがいい!!!」→100%

貴方の宗教の教祖、池田大作の本名は、
本来 ならば、成太作(ソン・テチャク)です。
両親とも戦前から日本にいた
                 朝鮮人です。
全羅南道人のようです。
(一説には、池田大作本人も日本生まれではない、
一世であるといわれています。)知っていましたか?
(父親の名、成田作の田と母親の姓、池をつなげると、池田になります。
戦後のどさくさ紛れに、日本国籍を不正に手に入れたとする説もあります。)
池田大作の「韓日」関係に対する認識は、
凡そ一般的な日本人とはかけ離れた 、
「反日」的で
「韓国人そのもの」の感情論のようです。
出自から考えれば当然のことですが。
(もっとも、この文章も、ほかの池田氏の著作同様に、学会の在日幹部の
代筆でしょうが。
そもそも、本人はまともに日本語が書けるかどうかも怪しい。)

世界平和へ 池田名誉会長の写真紀行 第13回 ソウルの迎賓館
http://www.sokagakkai.or.jp/peace/gallery/earth/earth13.html
●愛の国、美の国、文の国。その平和の人々が、「何十世代の後(あと)までも
忘(わす)れぬ」と、怒(いか)りを骨に刻(きざ)んだ相手が、
日本の残虐(ざんぎゃく)な国家主義者であった。
行く先々での略奪(りゃくだつ)。暴行(ぼうこう)。殺戮(さつりく)。
「禽獣(きんじゅう)にも劣(おろ)る」、文化なき「悪鬼(あっき)」と呼ばれた。
●その夜更(よふ)け、迎賓館の青き屋根屋根を、銀色の半月(はんげつ)が
照らしていた。
この美しき国を踏(ふ)みにじった日本の傲慢(ごうまん)への憤怒(ふんぬ)が、
また、胸に突き上げてきた。

●私
(池田名誉会長)は、父から『日本のやり方はひどい。
日本はもっともっと韓国を大切にしなければいけない。』と聞かされて
育ちました。 
( 1998年11月04日 聖教新聞 韓日友好を誓い「創価同窓の集い」 )
 
(注:真に日本の宗教団体ならば、韓日友好とは決して言わないでしょう。
教団中枢を日本人以外が掌握している証拠です。)
創価学会の副会長などの幹部の
三分の二は、在日であるそうです。
もっとも通名を使っていますから、識別不能
ですが。
創価学会とは、一握りの在日幹部が大多数
の日本人奴隷を支配する、
在日のための利益追求団体です。
奴隷信者は洗脳されているので、支配・搾取
されているのを自覚していませんが。
必死の財務も、あの国へ。
池田大作は在日二世なのか? 在日コリアンの創価学会員は非常に多い Re:
創価学会と在日暴力団の癒着
 1-5-16 創価学会 
在日のための「創価学会」応援(がんばれ「創価学会」) 
ブッ潰す★外国人参政権★在日=創価の日本侵略計画 
エロ雑誌「別冊ブブカ」が 創価学会と在日を強力取材 
なんで、創価・公明は外国人参政権を推進するのか? 
キンマンコは、在日二世である
 
創価学会と反日 
池田大作=夜間短大卒=在日帰化人=元高利貸し 
「奈良は朝鮮語」に関して公明党に電話しました 
キンマンコは「帰化した在日韓国人}  キンマンコは帰化した朝鮮人!!!!! 
キンマンコと北朝鮮

 
拉致されても在日朝鮮人参政権かよ!
 http://choco.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1032391601/l50 
秋の臨時国会で朝鮮人参政権が
ttp://choco.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1027962166/l50
 韓国に「キンマンコストリート」 誕生!
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1028886210/l50
 ★★キンマンコ批判と在日差別を混同するな★★
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1025654530/l50 
菌マンコが朝鮮人である証拠を出してみろ
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1039114536/l50 
在日朝鮮人の誇り 菌マンコを称えよう
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1039876547/l50 
★学会と北朝鮮がそっくりだと思う★

http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1045972720/l50 
在日朝鮮人の誇り池田名誉会長を称えよう
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1039876547/ 
★学会と北朝鮮がそっくりだと思う★
 http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1045972720/ 
【風化】伊丹十三自殺の真相【させるな】
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1050498321/ 
■創価学会はカルト■ 
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1051703770/

拉致されても在日朝鮮人参政権かよ!
 http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1032391601/ 
東村山市議殺害事件
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1061174910/ 
徹底比較「創価学会と北朝鮮」 
http://www.forum21.jp/contents/contents12-1.html 
創価学会職員OB座談会
創価学会は「日本の北朝鮮」だ ◆公明党は何もしてくれなかった 
http://members.jcom.home.ne.jp/t-masami/zakki-
03-1-6/hp-03-01-10.html
 
◆創価学会が布教の為に在日参政権ゲット2◆
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/news/1099202203/ 
侵された通信の秘密
創価大事件の背景<上> 異様な法廷 創価学会系弁護士ずらり
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-05-15/14_03.html 
日本の中の北朝鮮カルト創価学会=公明党  創価学会名物マスゲーム動画 約13MB http://ahiru2.zive.net/joyful/img/2604.zip  久本雅美泣き動画 約8MB http://ahiru2.zive.net/joyful/img/2603.zip ♪創価の正義♪と歌う動画 約12MB
 http://ahiru2.zive.net/joyful/img/2605.zip 
狭い部屋に創価学会の本尊を奉る宅間(左上の写真)
http://www.domo2.net/bbs/image/1089468885.jpg
創価学会の問題再び
 http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/406.html
創価学会は、北朝鮮勢力の会合にも
幹部を出席させています。
北朝鮮宗教だからです。
小泉・金正日会談実現のための
裏金、500億円を創価学会が
肩代わりしたそうです。北朝鮮宗教だからです。
金正日政権は、創価学会に資金援助
を求めてきています。
創価学会が北朝鮮宗教だからです。
この記事は、新潮社が報じました。新潮社は、
創価学会以外の
世間一般では、大変高い評価のされている
立派なメディアです。
ちょっと気のきいたジャーナリストならば、
オウムの黒幕が創価学会であったことを
知っています。報道は出来ませんが。
そのオウム真理教は、北朝鮮と直結した
謀略組織でした。
創価は、オウムを利用して、北朝鮮の軍事行動を
支援しようとしていたのです。

●オウム事件のあらゆる場面に顔を出す創価と統一。オウムの実体は、創価+統一である。
オウム事件の背後に誰がいたのか?創価学会?
創価学会には、日本の有力なヤクザ組織の親分さん
たちが、軒並み名を連ねています。
とくに半島系の大親分の多くが学会員だったのです。
ヤクザの収入の六割は、覚醒剤です。
覚醒剤の最大の生産国は、北朝鮮です。
半島系のヤクザの親分が創価に出入りするのは、
創価の宗教非課税特権が、
麻薬商売のマネーロンダリングに
最適の環境を提供するからでしょう。
創価学会は麻薬宗教でもあります。

宗教舎弟とは?: 稲川会の石井進前会長は一時期創価学会会員だった。 
・・・山口組の大黒柱と言われた山本健一元若頭とその夫人は創価学会員
だったとされる。 
東声会の初代会長町井久之氏の夫人は熱心な創価学会会員だし、
その影響か同会幹部には学会員が多いと言われている。 
また会津小鉄の高山登久太郎会長も、知人の暴力団関係者に
学会員である事を明かしたことがある。


「わしらが宗教団体に近づきやすい理由は、もう一つあるんゃ。
稼業柄わしら右翼の先生方と付き合う事が多く、その影響で
右翼的な宗教に入ることがあるんや」
右翼と言えば、故児玉誉士夫氏も当初統一教会の大幹部だった事が解っている。
池田大作=成太作(ソン・テチャク)

←この首脳会談は、500億円で買ったもの。
資金は北朝鮮宗教が出した。
●日朝首脳会談の代償は、
創価の出した500億円

創価学会は、小泉総理の日朝交渉にも関わっていました。
小泉と金正日の会談の代償として、
創価学会が500億円もの
裏金を北朝鮮に提供したと報道されています。
500億円という数字は、北朝鮮の年間外貨獲得額の40%
にも相当するような大規模援助です。
創価の資金で北朝鮮の延命が図られ、一方で、
小泉は創価のカネで身代金を払い、
拉致被害者を5人ばかり連れて帰ってきて、
英雄気取りというわけです。(参考NC)
創価学会は北朝鮮宗教なのです。


←[公明党]遠藤乙彦国際委員長、
[総聯]南昇祐副議長・韓正治国際局長・
金明守同副局長 の硬い硬い握手。
●唯一無二の在日同胞
の味方、公明党

ネット上では、朝鮮総連関係者が、
公明党は「唯一無二の同胞の味方」だ
と賛美しています。
現に公明党は、同胞の主張にきちんと耳を傾ける。
電話・FAXなどで疑義を呈したことのある同胞なら
知っていることだが、在日の主張に耳を傾ける
政党なのだ。
大学受験資格の進展がみられたのは、総聯が持つ公明党への影響力の賜物である。
外国人参政権の法案が提出されるのも同様である。総聯の活動が、洪敬義のような
南側勢力と結びついた反動勢力の策謀とは違い、真に正しき活動であったことの証明である。
総聯は、公明党を通じて同胞の人権を保護することができるのだ。」
(出展:北朝鮮のために頑張れ、公明党!
http://page.freett.com/komei/


ただし、北朝鮮シンパの部外者を公明党議員かのように誤解させる書き方は気になりますが。
(誤った文章を引用させておいて、その上で、公明・創価と北朝鮮の関係を論ずるものを攻撃否定
しようとする創価学会のいつもの裏業かもしれませんが。)

創価学会の末端信者が知らないところで、創価学会は北朝鮮と深い関係を築き上げているのです。
創価学会は北朝鮮によって、いいように利用されているのです。創価学会は、誰がなんと言おうと、
北朝鮮宗教なのです。貴方が知らないだけなのです。貴方は、創価学会の真実を知らされずに
搾取され利用されて来たに過ぎないのです。貴方は宗教に隷属する奴隷なのです。


←こういった過激な反日行動に、
創価学会が扇動者として関わっていました。

●韓国で
反日暴動を組織する
       創価学会

2005年4,5月に、韓国や中国で反日デモ、
対日暴動が発生しました。
そして、皆さん方の愛する創価学会が、
この恥ずべき暴動に
関わっていたのです。
創価学会の政党である公明党は、
竹島が日本の領土であるという
基本認識を持っています。
当たり前です。公明党は、本来は日本の政党なのですから。
しかし、韓国のSGIは、ふざけたことに、竹島が韓国領土であるとして、
日本の領有の主張を執拗に攻撃しているのです。
結局創価学会というものは、日本では「朝鮮半島の宗教」であることを隠して、
日本の宗教組織のように振舞いながら、
韓国では朝鮮人の宗教の本性をむき出して、対日批判を展開しているのです。
韓国反日デモ1.jpg

韓国反日デモ5.jpg
日韓摩擦を惹起する目的で、大衆を扇動しているのです。なぜ、そんなことをするのでしょうか?
日韓関係が悪化すると利益を得るのは北朝鮮です。創価学会は、北朝鮮のために、
日韓の間に溝を作ろうと奔走しているのです。(参考CS)


「独島(竹島)は韓国の領土である」
のマスゲーム

週刊文春は5月26日号で、
"韓国SGI創立以来、
最大規模のイベントとして
巻末の大きな写真
とともに次のように報じています。
五月十五日、
ソウル・オリンピックスタジアム。
韓国SGI創価学会インタナショナル)
が主催する「愛国大祝祭」は、
韓国全土から十万人の会員が訪れ、
盛況を極めた。
最初のうちこそ、
韓国の伝統芸能や韓国芸能人の
ミニコンサートが催され、
和やかに式は進行していった。
しかし中盤に突然、オーロラビジョンに竹島が映され、マスゲームで「独島(竹島)は韓国の領土である」
という文字が作られると、
会場には怒号のような歓声が上がった。略)その若い世代を惹き付けたのが、反日的なメッセージだという。
「池田大作SGI会長は事あるごとに、
『韓国は日本に仏教を伝えた偉大な国。
その韓国を侵略した日本の軍国主義は間違っていた」
と会員にメッセージを発しています。
八○年代初めには、三二独立運動の女性闘士・柳寛順を褒め称える発言もありました」
(韓国SGI元幹部)この日、会員たちの中には感激の余り泣き出すものもいた。
反日という戦略は効果てきめんだったようだ。
そして、韓国SGIの反日行動を、日本の創価学会メディアは一切報じなかったのです。創価は、
反日的半島宗教である実態を一般信者に知られてしまっては困るのです。


では、創価学会=北朝鮮に関する具体的な論証を行ってみます。貴方の知らないことだらけのはずです。


←左翼過激派?若き日の池田さんです。
過激派であること派、間違いありませんが。


1.池田大作名誉会長は、在日二世である。
創価学会の幹部の大半は、在日か帰化人である。
2.創価学会は、フランスで核開発拠点の近くの不動産を買い取り、
核技術を盗もうとした。北朝鮮に技術を横流しする目的であったろう。
3.創価学会は、親北派の金大中の選挙を支援し、
大統領に就任させた。見返りに金大中は北朝鮮を秘密支援し、
体制延命を図った。
4.創価学会は、北朝鮮からの資金援助の要請を受けた。
当然、応諾したであろう。
5.オウム真理教は創価学会の傀儡だった。
創価はオウムを使って日本半島同時騒乱を計画していたが中断した。
再始動する恐れがある。





しかし、なぜ、創価学会がいつの間にか朝鮮人脈の支配する組織になってしまったのか?
不思議に思われるでしょう。それは
外部から、朝鮮人脈に権力が与えられたということなのです。
米国とソ連の両方を支配してきたニューヨークのウォール街のユダヤ人たちが、
戦後の日本を間接支配する手先(参考H)として、
反日的な朝鮮勢力に白羽の矢を立てたということなのです。
池田ら朝鮮人たちは、ユダヤの手先として権力を授けられているのです。
(別途解説します。)一方で、その同じユダヤ勢力の支配するソ連の衛星国家であった北朝鮮もまた、
創価学会をたっぷりと利用してきたのです。創価学会は、統一教会と並んで、
いまや、北朝鮮の日本正規代理店なのです。なぜ、こんなことになってしまったのか?
宗教団体を第三国での活動に利用するのは、北朝鮮の常套手段なんです。
閉鎖的で、宗教非課税のシェルターに守られた宗教こそが、北の国家のための謀略を遂行する
最適の環境なのです。

創価学会から犯罪的な成分を排除し、もともとの誠実な宗教親睦組織に回帰できることを祈っています。
信者さんたちの幸福のためにも。創価学会を日本人の手に取り戻してください。


この話題の議論の場は......

▲創価学会は北朝鮮宗教である@親子丼BBS
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/2092/1098501751/l100


posted by 真 救世主 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポセイドーン=大黒天=シヴァ=パズズ

ポセイドーン(海王星)=大黒天=破壊神シヴァ=パズズ

三面大黒天.jpg
三面大黒天(シヴァ)=阿修羅

(古典ギリシア語:Ποσειδῶν, Poseidōn)は、ギリシア神話の海を司る神である。
イオーニア方言系ではポセイダーオーンとも呼ばれる。
また、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされる。エンシノガイオスという名もある。
日本語では長母音を省略してポセイドンとも呼ぶ。
※ポセイドンの愛人がメデューサ。
※ メドゥサが殺された時に流れ出た血から有翼の天馬『ペガソス』が生まれました。また、メドゥサは世界きっての美男(その当事)の巨神『オリオン』の母でもあります(父親はポセイドン)。


ポセイドーンの肖像画.jpg
ポセイドーンの肖像画

概説
古くはペラスゴイ人に崇拝された大地の神(特に地震を司る)であったと思われ、
異名の1つに「大地を揺らす神」というものがある。
また、
との関わりが深く、競馬の守護神としても崇められた。
故にその象徴となる聖獣は馬、
牡牛イルカであり、聖樹はである。水を操って座礁した船を救ったり、
荒れた海を静める事ができる反面、海をかき混ぜれば嵐を起こせる三叉の矛(
トリアイナ)を武器とするとされ、真鍮の蹄と黄金のたてがみを持った馬、またはヒッポカムポスの牽く戦車に乗る。
ポセイドーンの宮殿は大洋の中にあり、
珊瑚と宝石で飾られているとされる。
トロイア戦争ではトロイアの王ラーオメドーンが城壁を建造した際の報酬を踏み倒した事を
根に持っていたために
アカイア側に属している。

また、大地の神であった特質からデーメーテールの夫の位置にいる事もあったようで、
ピガリアではデーメーテールとの婚姻も伝えられている。ポセイドーンの名前の意味も、
「ポシス=ダー(大地の夫)」からきているとされているが、
ジョン・チャドウィック
「ダー dā という語彙はギリシア語には1度しか現れないし『大地』という意味でもない」として
この説を斥けている。

家系

神話では、クロノスレアーの子。ハーデースの弟でゼウスの兄。オリュンポス十二神の1柱である。
ネーレーイデスの1人であるアムピトリーテーを后とし、トリートーンオーリーオーンペーガソスなど
多数の子がいる。


ゼウスの兄で海の神。激しい気性の持ち主で執念深く、プライドの高い神であり、神話ではゼウスとよく意見が衝突します。オケアノス(ネレイス)の娘アンフィトリテとの間に子供トリトン(海のラッパ手)がいる。従者にプロテウス(海の老人)がいる。またゼウスに負けないくらい女好きです、沢山の愛人をつくりますが子供は全てが気性が荒かったり、怪物が生まれています。例えばオリオン(メドゥーサの子供) ペルセウスに退治される怪物メドゥーサです。キオーネ、テューロー、メラニッペ、アロペー等もポセイドンがあちこちで生ませた子供です。

物語

ホメーロスの『オデュッセイア』ではキュクロープスポリュペーモスはポセイドーンの子といわれる。
ポリュペーモスを
オデュッセウスが奸計を用いて盲目にしたところから、ポセイドーンが怒って
オデュッセウスが放浪することになったという。
アテーナイの支配権をめぐりアテーナーと争ったといわれる。2人がアテーナイの民に贈り物をして、
より良い贈り物をした方がアテーナイの
守護神となることが裁定で決まり、ポセイドーンは三叉の矛で
地を撃って塩水の泉を湧かせたが、アテーナーは
オリーブの木を生じさせた。
これによってアテーナイはアテーナーのものとなったという。
この結果に納得がいかなかったポセイドーンはアテーナイに洪水を起こしたが、ゼウスが仲介に入って
アテーナイのアクロポリスにアテーナーの神殿を、エーゲ海に突き出すスニオン岬
ポセイドーンの神殿を築き、2人は和解した。
アテーナイのアクロポリスには、この塩水の泉が枯れずに残っていたといわれる。
この他にも、ゼウスや
ヘーラーディオニューソスとも領有地争いを起こしている。
ゼウスと同じくらい好色で、妻のアムピトリーテーがいるにも関わらず姉のデーメーテールに惚れて
交わったり、怪物になる前の
メドゥーサを愛人としていた事もある。
聖獣である馬はアムピトリーテーへの贈り物として創造した物であり、その美しさは彼女を喜ばせ、ポセイドーンの求愛を見直すきっかけとなった。
実力は高く、一度はヘーラーとアテーナーの力を借りてゼウスを縛り上げ、オリュンポス山から追放しかけた事もあったが、結局は失敗に終わった。その後、ラーオメドーンに1年間仕えさせられる事になり、
彼の為にトロイアの城壁を築いた。

評価

プラトーンは対話編の中で上記の話について、神々が己にふさわしい地を知らないはずがなく、
このような争いがあったとは思われないと批判している。対話編『クリティアス』の中ではポセイドーンは伝説の島
アトランティスを自らの割り当ての地として引き受け、その中心に人間の女たちに生ませた子を住まわせたとしている。
ギリシア彫刻の多くにおいて堂々とした威厳ある壮年の男性の姿で描かれる。
アルテミシオン沖で発掘された古代盛期の青銅像が著名である。この像ではポセイドーンは裸体で三叉の矛を持った立像となっている。
ローマ神話におけるネプトゥーヌス(ネプチューン)と同一視された。古代ローマでは、はじめの神として崇拝され、また競馬の神とされた。ローマでは競馬場の近くにネプトゥーヌスの神殿が建てられた(紀元前25年)。祭日ネプトゥーナーリアは7月23日に行われた。

関連項目

ネプトゥーヌス古典ラテン語Neptunus)は、ローマ神話におけるの神。妻はサラキア長母音を省略してネプトゥヌスとも表記される。英語読みのネプチューンNeptune)でもよく知られる。
元々どのような神であったかはよく分かっていないが、河川湖沼を司るの神であったとされる。後にギリシア神話ポセイドーンと同一視され、の神としても崇拝されるようになったため、ローマ神話の馬の神コンススとも同一視されるようになった。祭日ネプトゥーナーリアNeptunalia、ネプトゥナリア)は7月23日であり、ローマ市民は木の枝で屋根を作り飲食をおこなった。

他のローマの神同様、ネプトゥーヌスの神話はほとんどがポセイドーンのものである。


水中の火
起源

ネプトゥーヌスは語源的にケルト神話ネフタンインド神話イラン神話アパーム・ナパートと関連性が指摘されており、いずれも古いインド・ヨーロッパ語族系神話の水神に起源を有すると考えられている。音韻的にはいずれもインド・ヨーロッパ祖語*neptonos(水の神(?))か *h2epōm nepōts(水の孫・息子・甥)に遡ることが可能で、いずれも類似した構成の神話を持っている。水中に神聖な炎があり、この炎は手出しをしてはいけないか、または穢れのない人物しか触ってはならなかった。しかしあるとき、そういう資格を持たない人物が炎を手に入れようとして失敗した。炎の周りの水はあふれ出し、そこから河川が誕生した。

ローマ神話

エトルリアとのウェイイ戦争(伝説によれば紀元前396年)が行なわれていたとき、ローマの南東20kmあたりにあるアルバヌス湖が、突如水位を増し始めた。季節は秋で、水が増える自然の要因はまったく考えられなかった。7月23日(ネプトゥーナーリア祭の日)、水かさはどんどん増していき、ついにはまわりを取り囲む丘陵を破って大きな流れがブドウ畑や畑のある低地を進みながら海のほうへと進んでいった。元老院はこれが何かの予兆だと考え、デルポイに神託を諮りに使者を出した。神託によると、この現象は先祖代々のラティウム祭をしきたりどおりに行なわなかったための怒りであり、アルバヌスの水はもとの河床に押し戻すか、または運河や堀を造って流れを整えよ、とのことだった。そこで祭司たちは儀式を執行し、人々は運河を造営した。この伝説のなかには「炎」の要素はみあたらないが、比較神話学者のヤン・プーヴェルは、ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスがこの水の氾濫を止めたことを extinguere(英語の extinguished)と表現していることに着目した。これはリウィウスの時代、通常は「炎を消す」という意味で用いられた動詞だったからである。ただし最初にこの神話の類似を論じたジョルジュ・デュメジルは、この解釈は弱いとして反論している。

ギリシア神話

ギリシア神話においては、ダナオスの娘アミューモーネーが水を探しに行ったときサテュロスに襲われたが、それを助けた海神ポセイドーンは三叉の矛でもって大地を打ち、そこから泉があふれ出した。ポセイドンはアミューモーネーと通じ、彼女はナウプリオスを産んだ。音韻的には無関係だが、ダナオス(< *da-「水の流れ」)の娘の夫(=義理の息子=水の男性親類)が3に関係のある事項によって水をあふれ出させるという構造は他の神話と一致するものである。

ケルト神話

アイルランドの伝説においては、ネフタン(Nechtan)は秘密の井戸の所有者であり、その井戸は彼と彼の3人の酌人のみが使うことができた。もし誰かが近づくと、井戸の水の中にある炎によって眼が焼かれてしまうのである。しかしネフタンの妻であるボアンド(Boand)は水を井戸からくみ出そうとした。彼女は三回半時計回りに井戸をまわり、そして三箇所を切断された(大腿・手・眼)。水は溢れかえって海へと流れ出し、ボアンドはそこで溺死してしまった。その流れは今では彼女の名前を取ってボイン川と呼ばれている。

イラン・インド神話

イランの神話においては、王権の象徴である炎フワルナフは、アパム・ナパート神(Apąm Napāt)によってウォルカシャ湖に安置されていた。アーリヤ人(ペルシア人)のみがフワルナフを入手することができたのだが、非ペルシア人のフランラスヤンが3回この湖に飛び込んでフワルナフを得ようとした。フワルナフは逃げ出し、そのたびに湖の水があふれて3つの川が流れ出した。
インドにこの神話はないがアパーム・ナパートApām Napāt)という同名の神格が存在し、これは炎であると同時に水中に棲むとされていた。

異説

これら諸神話を比較すると、ローマ(サタナキア=サタンの町)のみ、人力によって水の流れを制御していることが特徴的である(ほかの神話では「自然に」川が流れている)。デュメジルはこの点に注目し、ローマ人はネプトゥーナーリア祭において、自然の川の制御だけではなく、人工の水の流れの制御についても祈りを捧げていたのではないかと考えた。しかしネフタンやネプトゥーヌスの語源については別の説も呈示されている。また、インド・ヨーロッパ語族という観点とは別に、ネプトゥーヌスはエトルリア神話の水と井戸の神ネスンスNeþuns < *nep-「湿」)と神格および名称が類似している。現在神話の残っていないネプトゥーヌスの原神話を再構築するには多くの難関が存在しているのである。

コーンススConsus)は、ローマ神話穀物の神。例祭のコーンスアーリア祭は8月21日、12月15日。
ザビニ人の女たちの誘拐は8月21日の祭の日に行われたという。ロムルスローマ人に妻となる女性が不足していたため、コーンスス神の祭にザビニ人を招待し、女たちをさらった。これが原因でローマ人とザビニ人との間に長い戦争が起こったとされる。
パラティヌス丘の麓の大円形競技場キルクス・マクシムスの中央地下にコーンススの祭壇があり、祭の日のみ掘り出された。祭ではウェスタの巫女クゥイリーヌスフラーメンが犠牲を捧げ、初穂の奉納と競技、ラバによる競馬が行われ、祭のあいだロバには休みが与えられた。
またコーンスアーリア祭で競馬が行われたため、コーンススはネプトゥーヌス(つまり馬の神ポセイドーン)と同一視された。

イルカ:海の神ポセイドンの使い
イルカは昔から神聖な動物といわれております。
そのため古代ギリシャの人々はイルカを殺すことは、殺人と同じくらいよくないこととされていました。

また初期キリスト教美術では、イルカはキリストの死を表し、イルカと錨と船はキリスト教会の魂を表しました。

特にギリシャ人はイルカを「子宮動物」と云って特別に敬ってこられたそうです。
確かにドルフィンショーでイルカを見ておりますと、その表情もどこか擬人化して見てしまいます。


ギリシャ神話でのイルカのイメージはまさしく救済者。 
時に海の案内役になったり、背中に乗せて溺れた人を運んだり、水夫や子供に姿を変えたり、
神々を助けりとても有益な存在とされています。


【イルカに乗ったアンピ(フィ)トリテ】

元々は大地の神であったポセイドンは、たくさんの娘たちと踊るアンピトリテ(またはアンフィトリテ)の姿を見て激しい恋に落ちました。

彼女は海の老神:ネレウスがオケアノスの娘ドリスとの間にもうけた50人の娘ネレイデスの一人です。ポセイドンは強引にアンピトリテをさらって妻にしてしまいました。

しかし、アンピトリテはポセイドンが嫌いでたまらず、逃げ出してしまいました。
ポセイドンは世界中探し回りましたが、アンピトリテの居場所はつかめません・・
なぜならアンピトリテは海神オケアノス(祖父)のもとに逃げ込み、かくまってもらっていたからです。

彼女の居場所を見つけたのはポセイドンの使いである一匹のイルカ。
ポセイドンの熱意にほだされたアンピトリテは(ポセイドンはイルカを差し出したといわれています。)やっとポセイドンを許し婚姻を承諾しました。

喜んだポセイドンによりイルカは天に昇げられてイルカ座となったと言われています

アンピトリテとポセイドンとの間には、有名なトリトン、ロデ、ベンテシキュメが生まれます。トリトンは上半身が人間で、下半身がイルカの姿をしています。

ポセイドンはもともと大地の神でありましたが、アンピトリテとの結婚によって海も司るようになったのです。ポセイドンとイルカは切っても切れない間柄なのです。

宮廷音楽師アリオンとイルカ

琴の名手アリオンはシチリア島で開催された音楽祭に優勝し、多くの賞金を受け取りました。
彼は比類なき琴の名手。その腕前は神様をも感涙にさそうもの。

彼は音楽祭のあとタレントゥで乗船しコリントスへ帰途につきますが、数々の音楽会の
賞品を横取りしようとした船員達に捕らえられました。船が港を離れて沖に出るや否や、
船員たちはたちまち海賊に変わってしまったのです。

彼は最後の願いを語ります。
『賞金はここに置いて海に身を投げます。その前に楽人らしく一曲琴を弾きたいのです・・』

詩人の服を来て、アポロン賛歌をリラで奏でるアリオン
海の中からたくさんのイルカが顔を出してアポロン賛歌に聴き惚れます。
琴を弾き終わったアリオンが勇敢にも海に身を投じますと、たちまち周りのイルカが
寄ってきて担ぎ上げ、背中に乗せてコリントスの海岸に向けて泳ぎ出しました。

コリントスに着いた彼はペリアンドロスの王に全てを話し、船長以下船乗りは全て磔形に
されました。
天界より様子を見ていたオリュンポスの神々は、イルカのオリオン(=東方三博士)を
救出した功績を讃えて天に飾りました。

いるか座
いるか座(海豚座、Delphinus)は、天の川の近くにある星座で、トレミーの48星座の1つ。
全体的に暗い星座ではあるが、その中でも比較的明るい星々が密集しているため、
天の川が見える程度に環境が良ければ見つけやすい星座である。

主な天体

恒星

  • α星:スアロキン(Sualocin)は、スペクトル型9B IV、視等級3.77の6重連星。
  • β星:ロタネブ(Rotanev)は、スペクトル型F5 IV、視等級 3.63。
  • γ星:美しい二重星。γ1は、スペクトル型 F7 V、視等級 5.14。γ2は、スペクトル型 K1 IV、視等級 4.27。
  • δ星:スペクトル型 A7 IIIp、視等級 4.43。
これらの星は、ヨブの棺 (Job's Coffin) と言われるひし形をつくる。ヨブとは旧約聖書ヨブ記の主人公である。
  • ε星:デネブ・ダルフィム(Deneb Dulfim、イルカの尾の部分)と呼ばれるこの星は、スペクトル型 B6III で視等級4である。この星は単にデネブと呼ばれることもあるが、普通は「デネブ」の名ははくちょう座α星に対して使われる。
  • R星:285.5日周期のミラ型変光星。視等級は7.6から13.8に変化する。
     
神話 [編集]

いるかは海の神ポセイドンの使いとされている。星座になったのは、逃げたポセイドンの妻
アンフィトリテの場所を教えた功績が称えられたためとされる。

別の逸話によれば、音楽家アリオン (詩人)シチリア島の音楽コンクールで優勝して故郷に帰る際、優勝賞金に目がくらんだ船員がアリオンを殺害しようとした。
アリオンは死ぬ前に琴を弾かせて欲しいと願い、船員たちはこれを許した。
アリオンが弾き始めると、どこからともなく
イルカの群れがやってきて、曲を鑑賞した。
アリオンが身を投げると、イルカがその背にアリオンを乗せて故郷に連れ帰った。
この逸話は
ヘロドトスの『歴史』で現れる。イルカは功績が称えられ星座になった。

アムピトリーテー


アムピトリーテー(Amphitrite)(現代ギリシャ語: Αμφιτρίτη)は、
ギリシア神話の海の神ポセイドーンの妃である。あるいはアンピトリーテー、アンピトリテとも。
名前の意味は「大地を取り巻く第三のもの」、即ち海をあらわす。
聖獣は
イルカで、ヴェール王笏がその象徴となる。

アムピトリーテーは、ネーレウスオーケアノスの娘ドーリスとの間にもうけた
50人の娘
ネーレーイデスの一人だといわれる。ポセイドーンの求婚に始めは抵抗したが、
ポセイドーンからイルカをプレゼントされ、婚姻を承諾した。
また一説には、アムピトリーテーは、はじめポセイドーンを嫌って海の西の端オーケアノスの
宮殿に隠れた。しかし、1匹のイルカがポセイドーンに隠れ場所を教えた。
その結果ポセイドーンはアムピトリーテーと結婚できたことを喜び、このイルカを天に上げた
のが、
いるか座となったという。

ポセイドーンとの間に、トリートーン、ロデー、ベンテシキューメーを生んだ。
トリートーンは上半身が人間、下半身がイルカ(または魚)の姿をしている。

レートーデロス島アルテミスアポローンを出産したとき、
ディオーネーレアーテミスとともに立ち会った。

ポセイドーンはもともと大地の神だったが、アムピトリーテーとの結婚によって
海も司るようになったともいわれる。
ポセイドン3.jpg
(簡単な二人の恋のいきさつ)
ある日、アンピトリテはナクソス島で踊っていたところをポセイドンに見初められ結婚を迫られました。
りっぱな海の王ですが、彼女は好きになれず、逃げ出します。
ポセイドンは、必死になって探しますが、見つからず、海の生き物全てに彼女の居場所を探させましたが、、、。
彼女は世界の端に逃げに逃げ、天を支える巨人アトラスの元へ匿ってもらっていたのでした。(探すのはかなり困難。)
ですが、一匹の賢いイルカちゃんが、彼女の居場所を突き止めます。
そして恋の使者として、彼女の説得をしたそうです。
イルカちゃんの必死の熱弁にほだされ、彼女はようやく妻になることを承諾しました。
イルカちゃんはこの功績を認められて、「いるか座」となって永遠に讃えられ
またアンピトリテもイルカちゃんを大変寵愛し、自分の聖獣としたとの事です。


海王星(かいおうせい、Neptune)は、
太陽系太陽に近い方から8番目の惑星である。太陽系惑星の中では最も太陽から遠い位置を公転している。名称のNeptuneは、ローマ神話における海神ネプトゥヌス(ポセイドン)にちなむ。
海王星.jpg

ボイジャー2号による撮影(1989年8月16日から17日)

物理的性質
海王星は巨大な氷惑星で、太陽から非常に離れているため、わずかな熱しか受けていない。表面の温度は-218℃である。しかしながら、中心部の温度は、約5,000℃である。 内部の構造は天王星と似て、に覆われた岩石を持ち、厚い大気が存在していると考えられている。また、ボイジャー2号の接近時に表面に大暗斑(だいあんはん)または大黒斑と呼ばれる台風の渦巻きの様な模様が発見されたが、その数年後に地球からの観測が行われた時には既に消滅していた。
海王星の風は、最大で時速2,000kmにも達し、太陽系の中でも最速の部類に入る。
木星土星同様、内部に放射性元素の崩壊と考えられる熱源を有しており、太陽から受けている約2倍ほどの熱を、自ら供給していると考えられている。
また、海王星には磁場が存在する。天王星と同様に磁場の中心は惑星の中心から大幅にずれており、46.8゜自転軸から傾いている。内部構造
海王星の内部構造は、天王星のそれと似ている(→天王星型惑星)。海王星の大気は質量ベースで星の 5-10% を占め、大気圏の厚さは星の半径のおそらく 10-20%、大気圧は 10GPa。大気圏の下層に近づくに従い、メタンアンモニアの濃度が上昇する。
大気圏下層のより暗く高温の層は、徐々に凝縮して液体のマントルとなり、その温度は 2,000-5,000K に達する。このマントルは地球 10-15 個に相当する質量を持ち、水・アンモニア・メタンに富む。惑星科学分野の習慣では、このような状態は高温で高密度な液体であるにもかかわらず「氷」と呼ばれる。この高い電気伝導率を持つ液体は、しばしば「水とアンモニアの海」(water-ammonia ocean) と呼ばれる。水深 7,000km の深度では、マントル中のメタンがダイヤモンド結晶へと分解され、核に向かって沈殿している可能性がある。マントルは水分子が水素および酸素イオンに分解されてできた「イオン水」(ionic water) の層によって構成され、さらに深部では酸素が結晶化し、水素イオンがその結晶格子の中を漂う「超イオン水」(superionic water) の状態にある層から成っているとされる。
海王星の核は、ニッケルケイ酸塩で構成され、地球のそれの1.2倍の質量を持つ。中心の圧力は、7Mbar (700 GPa)で、温度は 5,400K である。

海王星の観測と探査
海王星はガリレオ・ガリレイジェローム・ラランドによっても観測されていたが、当時は恒星と思われていた。
天王星の発見後、その摂動から、未知の惑星が存在すると考えられるようになった。フランスではルヴェリエが予想軌道を算出し、それを受けたガレが1846年9月23日に発見した。一方イギリスでは、アダムズが予想軌道を算出し、ジェームズ・チャリスに報告した。チャリスはあまり気の進まないまま、1846年7月から探索をはじめ、アダムズの予測位置付近の星の位置の記録を始めた。そしてガレの海王星発見の後、実はその1ヶ月前にチャリスは2度海王星を観測していたが、新惑星であることを見落としていたことがあきらかになった。このため、アダムズとルヴェリエは発見者は誰かという事で揉めたが、アダムズはルヴェリエに発見者の座を譲った。現在では2人とも発見者の扱いとなっている。
海王星の実際の軌道はティティウス・ボーデの法則に従わないため、予想軌道とは遠日点や離心率が大きく異なっていたが、算出された時点での位置や運動に関しては正しい値に近かった。そしてその時点からあまり年月が経たないうちに探索したこと、ガレが勤めていたベルリン天文台に海王星の明るさである8等級の星を網羅した最新の星図が備えられていたことが、この発見に繋がった。
海王星の公転周期は約165年であり、2011年7月12日に最初に発見された時点の位置に戻った。
海王星の大気には、水素が84%、ヘリウムが12%含まれ、メタンも含まれている。天王星と同じく、大気に含まれるメタンの影響で美しい青色をしている。天王星に比べより青みが深い理由は、未知の化合物によるものと考えられている[2]

海王星を訪れた探査機はボイジャー2号だけである。1989年8月24日に最接近した。なお、NASAでは2030年頃に打ち上げ、8〜12年後に海王星へ到達するネプチューン・オービターの構想がある。

海王星の衛星と環 2003年までに、海王星の衛星は13個発見され、2007年までにすべて名前が付けられている。また、離心率の大きな軌道や逆行する軌道を描いている衛星も多く、海王星に捕獲されたエッジワース・カイパーベルト天体ではないかと考えられている。
他の大惑星同様、海王星にもがあると考えられていたが、地球からの観測では周回軌道の一部だけを覆う不完全な環しか見つからず、「リング・アーク」または「アーク」と呼ばれていた。ボイジャー2号の探査によって4本の完全な環が見つかり、リング・アークは環の中の特に明るい部分であった事も判明した。
ただ、アークの力学は不明なままである。地球からの観測でリベルテ・アークはボイジャーが観測した時よりも大幅に輝きが失せた事も分かっており、海王星の環は不安定なものである可能性が高くなっている。

衛星はギリシア神話における海や水の精霊、環は海王星と関係の深い天文学者、リング・アークはフランス語の抽象名詞から取った名が付けられている。

人類と海王星

歴史と神話

ネプチューン=海王星は古代人の命名ではなく、近世以降に発見された惑星に、他の惑星に倣い「未使用の神話上の大物」の名が付けられたもので、天体の外見や運行上の特徴と付けられた神名の関わりは希薄である。最外周の惑星だったため「深淵」のイメージを付与された命名である。ネプチューンはローマ神話の海の神で、ギリシャ神話のポセイドンに当たる。

占星術

海王星は古代には知られていなかったため七曜九曜には含まれないが、10大天体の1つである。
西洋占星術では、双魚宮(うお)の支配星(海王星発見以前は木星が支配星とされていた)である。見えないものを示し、石油石油製品霊感に当てはまる[3]

惑星記号

Neptune symbol.ant.png
ネプチューンの得物である三叉矛を図案化したものが、占星術天文学を通して用いられる。

海王星を扱った作品

音楽

小説

トリアイナ: τριαινα)、トライデント: trident)は、先端が三つに分かれた漁具あるいは武器の一種。

トリシューラを持ったシヴァ像.jpg 
トリシューラを持ったシヴァ像
概要

トリアイナとは、「三つの歯」を意味する。ギリシア神話の海神ポセイドンが使用する三又銛、あるいはとしても知られる。もともとは漁師が魚を獲るために使っていたこともあり、ローマ時代の剣闘士の一種であるレティアリィはこの武器と網を使用し、主として魚の兜をつけたムルミッロと試合を行った。漢字表記では三叉槍さんさそう、また先端がげき(ほこ)の場合は三叉戟さんさげきと呼ばれる。ウクライナの国章は「トルィーズブ」と呼ばれる三叉戟をあしらったものである。インド神話では、シヴァ神がトリシューラという三叉戟を持つ。中世ヨーロッパでは、コルシカのコルセスカ、ヴェネツィアのブランディストックなどが、東アジア地域では三叉槍が、武器として使われた。

ベルフェゴール

べるふぇごーる

ベルフェゴール(Belphegor)とは、「七つの大罪」において「怠惰」を司る七大悪魔・魔神 『サタン』を冠する

本項では悪魔のベルフェゴールについて記述する。
家庭教師ヒットマンREBORN!』のベルフェゴールについては「ベルフェゴール(リボーン)」を参照。

ベルフェゴール.jpgパズズ.jpg
便器に座るベルフェゴール=パズズ

概要
ベルフェゴール(Belphegor)はユダヤ、キリスト教に伝わる悪魔で、七つの大罪において怠惰を司るといわれる。この“ベルフェゴール”の名はバアル・ペオル(Baal Peor)のギリシャ語またはラテン語読みと言われる。

その前身はモアブ人の神バアル・ペオル(ペオルのバアル)という存在である。ペオルは死海北部にある“ペオル山”を意味するとも、儀式において利用した洞窟や供物を投げ入れた場所を表す“裂け目、割れ目”を意味するとも言われ、その儀式は淫らな行為をともなったといわれる。
旧約聖書の“民数記”第25章では、イスラエルの民がシティムに滞在した際にモアブ人の娘に誘惑された多くの民がバアル・ペオルなど異教の神々に生贄を捧げ崇拝した。これに激怒した神はモーセにバアル・ペオルを崇拝した裏切り者を全て処刑させ、その遺体を白日の下に晒させた。神の怒りはこれでも収まらず疫病をもたらして二万四千の命を奪い、最後にミディアン人の女性を連れてきたイスラエル人をエルアザルが殺したことで終息する。なお、このバアル・ペオルの一件は後の聖書内の記述でたびたび言及される。

以上の聖書内の記述から、ベルフェゴールは男を魅了する妖艶な美女の姿で現れる好色の罪をもたらす悪魔とされ、さらに占星術では性愛を司る金星の悪魔とみなされる。
現在一般的に流布する、二本角に尾を備える車輪のついたイス式便器に腰かけた悪鬼のイメージはコラン・ド・プランシーの「地獄の辞典」が初出であり、便器が描かれた理由はユダヤ教のラビが汚らしい排泄物こそがベルフェゴールにふさわしい奉献物だと説いたからだといわれる。

中世ヨーロッパの伝説では、悪魔達の議論に決着をつける為(またはルシファーの命令)にベルフェゴールが「幸福な結婚の実在」を地上に赴いて探すというものがあり、地上における様々な観察の結果彼は幸福な結婚は夢物語に過ぎないことを確認する。さらに人間という存在は仲良く暮らす様にできておらず、これは神の被造物として重大な欠陥であるとベルフェゴールはしめくくる。
以上の逸話からベルフェゴールの名は“人間嫌い”を指し、「不可能な企て」を表す“ベルフェゴールの探求”という諺が生まれたという。

19世紀の魔術師エリファス・レヴィはベルフェゴールをモアブ人の神ケモシやアモン人の悪魔パズズと同一視し、さらにはインド神話のルドラ(
シヴァ)と関連付けている。

ベルフェゴールはキリスト教に於ける七つの大罪「怠惰:Sloth」を司る存在である。かつては権天使プリンシパリティの君主だった。その姿は角のある犬もしくは馬のようだと伝えられる。ベルフェゴールの系譜はモアブ人の放埓な神まで遡れる。(モアブ人とは、ロトと長女との間に生まれた息子の末裔で、古代イスラエルの東に隣接する高原地帯を支配していたという)また、彼はパリの守護悪魔としても知られる。
ベルフェゴールに関するエピソードとして「幸せな結婚」の逸話は欠かせない。ある日のこと、地獄で論争が起きた。議題は「人間は幸せな結婚生活を送れるのか?」
その論争はいつまでも決着がつかず、業を煮やしたベルフェゴールは自身が人間達を観察して実態究明に乗り出したというのである。そもそもベルフェゴールは人間嫌いで、女性を姦淫、売春させる影響力を持つ存在である。(この力を持つが故に人間を嫌い、特に女性に対して不信感を抱いていたのかもしれない)
何にしても自ら原因究明に奔走するなど、とても怠惰を司る悪魔の所業と思えない振る舞いではあるのだが。さて、そんなベルフェゴールの人間観察の結論は以下のようになったと伝えられている。
「人間は不完全な生物であり、互いに不仲になるように造られている。つまり、神の被造物である人間は本質的な欠陥を抱えている」と。 
このエピソードは、いかにも悪魔学者が悪魔を悪魔らしく定義づけた話のように思える。だが、ベルフェゴールは現在に至っても紛争が絶えぬ我々人間世界を正確に言い当てていた・・・ようにも思えないだろうか?

2012年3月29日 7:40
iグーグル掲示板「否定しない」

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2012年03月27日

英国のタヴィストック研究所がどのようにして自由主義国にマインドタヴィストック・アジェンダコントロールさせたか(コピペ)

英国のタヴィストック研究所がどのようにして自由主義国にマインドコントロールさせたか

●戦闘の最中に眠りこける兵士
 


★自己破壊をプログラミングされた教育と下手人キング博士


 タヴィストック研究所は、水瓶座の時代を、乱流を引き起こす乗物として次の様に活写した。

 「大きな社会集団によって示されるストレスへの反応及び反作用には、三つの異なった
 段階がある。第1段階に、皮相的な反応がある。攻撃にさらされた個体群はスローガン
 を唱えて身を守る。これでは危機の原因が割り出されず、従って危機に取り組むには役
 に立たない。よって危機は存続する。第二段階は分裂である。これが起こるのは、危機
 が持続し社会秩序が破壊する時である。次に第三段階がある。ここで個体群は『自覚』
 に至り、誘発された危機を回避する。そこで適応不良反応が続き、それに能動的な共観
 福音書的理想主義と乖離が伴う」


 誰が否定出来よう、次の事実がある事を。薬物使用の激増??日々何千人もの麻薬中毒患者を新たに作る「クラック」??とホモセクシャルとレスビアンが大ぴらに認められ、その”権利”は年毎に増える一方の法律によって保護される。我々の町や都市に打ち寄せる「エイズ」と呼ぶ恐るべき疫病。我が国の教育制度の全面的失敗。離婚率の唖然とするほどの増加。世界の他の国の人々がショックを受けて、まさかと思う殺人率。悪魔的な連続殺人。変質者によって街頭から誘惑された何千人という幼い子供達の失踪。当に大津波のようなポルノグラフィとそれに続くテレビ画面での「寛容」??この国(自由主義国)が危機に陥っている事を誰か否定出来よう。そして我々は、この危機に立ち向かうのではなく、目を背けているのである。
 これらの事を専門的に扱う善意の人々は、自由主義国の教育、いや教育としてまかり通っているまがい物に大いに問題があると非難する。犯罪者は今や9?15歳の年齢層に多発する。強姦者の年齢が10歳はごく当たり前となった。自由主義国の社会問題専門家、教職員組合、教会(日本場合は寺院と神社!忍)は其の責任が全て教育制度の欠陥にあるという。テストの点数が如何に落ち続けているかを見よ。専門家達は合衆国が今や世界の教育水準で39位辺りにある事実を嘆く。
 どうしてこれ程分かり切った事を悲しむのか。我が国の教育制度は自己破壊する様にプログラムが組まれているのである。それは、アレクサンダー・キング博士がNATOからアメリカに派遣されて計画した事である。それはヒューゴー・ブラック判事が計画を命じられたことである。真相は、自由主義国の若者が然るべき教育を受ける事を、300人委員会が我が国の政府の賛同も得て望んでいない、と云う事なのである。
 フリーメーソンであるヒューゴー・ブラック判事、アレクサンダー・キング、グンナール・ミュルダールとその妻が合衆国にやって来て子供達に施した教育は、犯罪は儲かる。肝心なのは抜け目なくやることである、と云うものである。彼等は自由主義国の子供達に教え込んだ。合衆国の法律は不公平に適用されている、と。そしてそれは全くその通りなのである。子供達は10年に亘って、腐ったお手本によって然るべく教育された。ロナルド・レーガンとジョージ・ブッシュは貪欲に支配され、全面的に腐敗した。
 我が国の教育制度は失敗ではない。キング、ブラック、ミュルダール夫妻の指導の下に、実際には大成功をおさめたのである。全ては誰の視点から見るかに掛かっている。300人委員会はアメリカ教育制度に満足している(日本は、そのアメリカ教育制度を今、現在模範した。そして古き良き教育を崩壊させた!忍)。従って、カンマ一つと雖も変更する事を許されないであろう。


●ストリート・ギャング抗争(日本の場合は、漫画によって扇動している)の計画
 スタンフォード研究所とウィリス・ハーモンに従えば、長期浸透により誘発されたトラウマ[精神的外傷]は??自由主義国の教育制度はその一部??45年間進行しているが、我々の社会に適用されている陰険な圧力や毎日進行する洗脳に絶えずさらされている事に、果たしてどれほどの人々が気付いているだろう。
 1950年代にニューヨークで勃発した謎に満ちたストリート・ギャング[ギャング(マリファナ・暴力団、テキ屋は暴力団ではない。自警団も暴力団ではない。要するに暴力・暴行・覚醒剤・麻薬・恐喝・リンチ・女(男の性欲を悪用する。その方向性が家族崩壊に向かう人達)を持って商売をする人達を指している)の予備群]抗争(此の抗争を今、少年は日本ではとても憧れた存在になっている。少年マンガによく出ている。抗争が正しいのではなく、あく迄も神の法(家族の法)に基づいて行動をする事が大切である。ギャング抗争は、自分の友達仲間だけが大切であって、それ以外は全て敵であると教育されている。社会の責任者の存在を認めていない。そこには家族を大切にする精神が存在しない!忍)は、如何にして謀略家共が彼等の望み通りの破壊分子を創造し、演出出来るかの一例である。此の抗争が、何処から来たのかは、、1980年になって調査委員会がいわゆる「社会現象」と呼ばれるものを監督した隠れた統制者達がいた事を暴くまで、誰にも分からなかった。
 ストリート・ギャング抗争は、社会を震撼させ波状的な擾乱を引き起こす為に、スタンフォード研究所で慎重に計画され入念に立案されたものである。こうしたギャング(マリファナー・暴力団)予備群が1958年までは200以上もあった。ミュージカルとハリウッド映画『ウェストサイド物語』で彼等は有名になった。そして10年間ニュースになった後、突如として1966年にニューヨーク、ロサンゼルス、ニューアーク、ニュージャージー、フィラデルフィア、そしてシカゴの街から消滅したのである。
 10年近くのギャング抗争の間ずっと大衆は、スタンフォード研究所があらかじめ期待を込めて素描した反応通りに行動した。社会全体としては、ギャング抗争を理解出来なかったし、大衆は適応不良の反応を示した。
 もしストリート・ギャング抗争がスタンフォードによる社会工学及び洗脳の実験だと洞察する程賢明な人々がいたなら、謀略家どもの策略は暴露されていただろう。何が進行しているのかを見分けられる訓練を積んだ専門家が私達にはいなかった??そんな事はとてもありそうにない??か、それとも専門家はいたのだが脅迫されて沈黙を守ったかのいずれかであろう。
 ニュースメディアが示したスタンフォード研究所との協力ぶりは、タヴィストック研究所の社会工学研究者とニューサイエンス科学者達が当に予言した通りの「ニューエイジ」攻撃が私達の環境に加えられた事を示している。
 1989年、ギャング抗争は、変化の為に社会的調整剤としてロサンゼルスの街に再び導入された。最初の事件から数ヶ月も立たない内にギャング予備群達が増殖し始めた??まずは20人単位で、次いで百人単位でロサンゼルスのイーストサイドに。クラック密売所や過激な売春が激増した。麻薬の売人共が街をのし歩いた。彼等の邪魔をする者は銃で打ち倒された。報道機関の抗議は声高で長く続いた。スタンフォード研究所の狙いにされた大きな個体群がスローガンを唱えて身を守り始めた。これはタヴィストック研究所が第1段階と称したもので、狙いにされた群は危機の原因を割り出すのに失敗する事になっている。
 ストリートギャング(暴走族とか青少年達の暴力グループを指している)抗争危機の第2段階は「分裂」であった。ギャング予備群が横行する地域に住んでいない人々は「やれやれ、連中は近くにいない」と言った。この言葉が無視したのは、認めるかどうかに関わらず危機は存続するという事実、そしてロサンゼルスの社会秩序が崩壊し始めていたという事実である。タヴィストック研究所が概観したように、ギャング抗争に影響を被らないそうした群は、危機の原因が割り出されない故に、「自らを守る為に逃げ出し」た。これが第三段階の「不適応」過程と呼ばれるもので、乖離の時期である。
 麻薬売買の激増を別にして、ギャング抗争の目的は何なのだろうか。
 それはまず第一に、狙いとされた群に、彼等が安全ではない事、つまり不安は発生させられる事を示す為だったのである。
 第二に、其の様な暴動に直面すると、組織社会は無力である事を示す為であった。
 そして第三に、私達の社会秩序が崩壊しつつあるという事実の認識をもたらす為だったのである。ギャング抗争の現在の波は、一度スタンフォード・プログラムの第三段階が終了したとたん、開始された時と全く同じ様に、急速に消滅する事だろう。
 スタンフォード研究所(SRI)では、大きな個体群がその変化を望ましくないと明らかに理解する時にも、そうした変化を受け入れる様にする事が出来ると判断した。その為の社会的調節剤の好例がビートルズの出現だった。ビートルズを合衆国に連れてきたのは、大きな個体群を自ら気をつかない内に洗脳してしまおうという社会実験の一部としてであった。


●入念に仕組まれた陰謀「ビートルズ現象」の汚い共犯者エド・サリバン
 タヴィストック研究所がビートルズを合衆国に連れてきた時、ビートルズの後に続く事になる文化災害を誰も想像出来なかった。ビートルズは『水瓶座の陰謀』の絶対不可欠の一部分であった。この陰謀は生命をもった有機体で『人間イメージの変革』から発生したものである。
 ビートルズ現象は若者の旧社会制度に対する自発的な反抗ではない。そうではなくて、それは高度に破壊的で巧妙な要素を、むりやり変化させる目標とされた大きな個体群の中に、正体不明の陰謀団によって持ち込むという、入念に仕組まれた陰謀だったのである。
 新しい単語や言い回し??タヴィストック研究所によって作られた??が、ビートルズと一緒にアメリカに紹介された。音楽用語としての「ロック」や「ティーンエージャー」「クール」「ディスカバード(発見された)」それに「ポップミュージック」といった単語は麻薬の仲間入りを意味して、ビートルズの赴く所どこでも付いて廻り、「ティーンエージャー」によって「発見される」事になる偽装された暗号用語だったのである。
 因みに「ティーンエージャー」という言葉は、ビートルズがタヴィストック研究所のお陰で登場する直前まで使われた事はない。つまりこの現象も、ストリート・ギャング抗争の場合でと同じく、マスコミ、とりわけテレビ・ラジオの協力なしで何も成し遂げられなかっただろう。特に、口汚いエド・サリバンの協力は不可欠だった。彼は自分の果たすべき役割について謀略家共に前もってコーチを受けていた。溢れかえる程の報道に登場する事がなければ、リバプール出身のガラクタ連中と、その後に続く12音無調達様式[シェーンベルクが調和拘束性を断ち切る為に創案した無調音楽の一種]の”音楽”に大して注意を払う者はなかっただろう。一二音無調様式は強勢の反復音からなり、テオドール・アドルノ[1903?69、フランクフルト学派の泰斗で、「否定弁証法」の思想家・ユダヤ系]によってディオニソス密儀及びパール神官の音楽から借用され、英国女王という事はつまり300人委員会のこの特別友人アドルノよって「現代的」風味を添えられたものであった。
 タヴィストック研究所とスタンフォード研究所は、「ロック音楽」とそのファンの周辺でその後広く使われる様になる誘発語を作った。誘発語が主として若い個体群に紛れもない新たな離脱を引き起こした。彼等は、社会工学と社会的調節剤によって、ビートルズこそ本当に自分達の大好きなグループなのだと言いくるめられたのである。「ロック音楽」との関連で考案された誘発語は全て、新たに目標にされた群、自由主義国の若者達を集団支配する為に構想されたものなのである。
 ビートルズは完璧な仕事をした。というより恐らく、タヴィストック研究所とスタンフォード研究所は完璧な仕事をしたと言う方が、もっと正確だろう。ビートルズは只「友人達からちょっとした手助けを借りて」??麻薬を使用し「クール」にやる為の暗号用語??訓練されたロボットの様に反応しただけである。ビートルズは大いに目立つ「ニュータイプ」??別のタヴィストック用語??となり、かくして程なくこのグループは新しいスタイル(衣服や髪型や言葉遣いの流行)を作った。これには年上の年代は狼狽した。まさしく目論見通りであったのである。これはウィリス・ハーモンとその社会科学者及び遺伝子工学の鋳掛け屋共のチームによって練り上げられ実行に移された「乖離?不適応」過程の一部だったのである(この為にビートルズは女王から勲章を頂いたかもしれない。当時は世界的に有名になってレコード売り上げを貢献したからと聞いていたが!忍)。
 我々の社会でマスコミが果たした役割は、大きな個体群の洗脳を成功させる為に決定的であった。1966年にロサンゼルスでストリートギャング抗争が終息したのは、マスコミが取り上げなくなったからである。ロサンゼルスで今進行中のストリート・ギャング抗争の波にも同じ事が起こる筈である。マスコミの集中報道がトーンダウンし、それから完全に取り上げなくなると、ストリートギャング共は実を結ばずにしぼむだろう(そうとは限らない。後ろに後見の人がいれば、力は残っているだろう。只、マスコミが取り上げないと青少年の好奇心が無くなる事は事実だけど。言葉が知らなければ頭が浮かばないから。只、今現在は戦略的にマスコミが取り上げない問題が沢山ある。嘘の報道が戦略的に行っている!忍)。1966年の時の様に、事件は「燃え尽きて」しまうことになっている。ストリート・ギャング予備群は騒動を起こし、不安を醸成する目的に役立った事になるだろう。厳密に同じパターンが「ロック音楽」の場合にも起こるだろう。マスコミの関心を失って、結局は歴史に記載されるだけになるであろう。


●麻薬、ヒッピー、フラワーチルドレンとテオドール・アドルノ
 タヴィストック研究所の手で偶然に編成されたビートルズに続いて、英国製ロックグループが他にもやって来た。それらのグループは、ビートルズと同じく、テオドール・アドルノに異教的な歌詞を作詞してもらい、”音楽”の全てを作曲して貰った。
 歌詞とか音楽という美しい単語を「ビートルズ狂」との関連で使うのを私は遺憾に思う。というのも、「愛する人」という単語が如何に間違って使われているかを私に思い出させるからである。豚のエサの中で絡み合う二人のホモ(これは、不自然な性的な行為である。素直に女性を求めればよいのである。自然の法則は、+と?は引き合うが、+と+又は?と?は反発し合う。だから素直ではないと言っているのである。神の法はあく迄も一夫一婦制である。独身の人が、独身の異性を求めるのは悪ではない!忍)の不潔な行為を指すのに使われているのである。従って、「ロック」を音楽と呼ぶのは侮辱である。同じく「ロックの歌詞」に使われている言葉も侮辱である(音楽と歌詞とは、人間の感性を育てる物である。其処に悪魔が利用されるのである。殺人を善だと感じる感性(人殺し又は麻薬を使って廃人なるのを見るのを喜ぶ感性)を育てるにはどうすれば良いのかと考えて出来た音楽はやはり悪魔の音楽である。ロックの人達は麻薬との繋がりがあるので、保守派は警戒するのである!忍)。 
 タヴィストック研究所とスタンフォード研究所は、300人委員会に委託された作業の第2段階に乗り出した。この新段階はアメリカに社会変化を熱をかき立てた。
 ビートルズが自由主義国という舞台に登場した時と同じ様に、急速に「ビート世代」が登場した。それは社会を分離・分裂させる為に構想された誘発語である。マスコミは今度は「ビート世代」に関心を集中した。やはり、タヴィストック研究所が新造した単語がどこからともなく出て来た。「ビートニク」「ヒッピー」「フラワーチルドレン」が自由主義国語彙の一部となった。「ドロップアウト」して、汚いジーンズを着け、洗わない長髪で歩き回る事がはやった(意味不明。道徳はあく迄も心の問題で服装で判断する人は下に属する。社会に対して何を行うのかの方向性で判断する必要がある。あく迄も宇宙大自然との共存共栄の方向であるかどうか!忍)。かくて「ビート世代」はアメリカの本流から独立した。彼等は、先行のまだ清潔だったビートルズと同じくらい悪名高くなったのである。
 新たに作られたグループとその「ライフスタイル」が、自由主義国の若者を流行へと押し流した。自由主義国の若者は気付きさえしないで過激な変革を経験した。その間、年上の世代はなすすべもなく傍観した。危機の原因を割り出す事が出来ず、為に危機の現れに対して適応不良の態度で反応したのである。
 危機の現れとは、あらゆる種類の麻薬、マリファナ、そして後には、リゼルグ酸つまり「LSD」であった。LSDはスイスの製薬会社サンドスによって手軽に供給された。それは同社の化学者の一人アルバート・ホフマンが強力な精神変化薬である合成エルゴタミンの製法を発見した結果だったのである。300人委員会は、彼等の銀行の一つS・C・ウォーバーグを通じて同社のプロジェクトに融資した。そして藥は、哲学者オルダス・ハックスリー[1894?
1963、英国の小説家・批評家]によってアメリカに持ち込まれた。この新しい「特効薬」は直ちに「試作品(サンプル)」大の包みで配布され、合衆国中の大学のキャンパスやロックコンサートで無料で配給された。ロックコンサートは藥の使用を激増させる為の主要な手段となった。
 答を求めて大声で質される人がいるかもしれない??「麻薬取締局(DEA)は当時何をしていたのか?」と。だがDEAは、進行している事を知りながら何もするなと命令されていた事を示す有力な状況証拠がある。
 非常に多くの新しい英国ロックバンドが合衆国(自由主義国)にやって来るようになると、ロックコンサートはアメリカ(自由主義国)の若者の社交予定表で恒例行事と化した。これらのコンサートと連携して若者の間での麻薬使用は比例的に高まった。
 呪わしい狂気沙汰である調子外れの強勢ビートサウンドが聴く者の精神を麻痺させるので、彼等はやすやすとその気になって新薬を試した。「みんなやっている」という理由を付けて。仲間の集団の圧力は非常に強力な武器である。「新しい文化」はお先棒かつぎのマスコミに最大限に取り上げられた。それには謀略家共の懐はただの一銭も痛まなかった。
 大勢の市民指導者や教会関係者の大いなる怒りが、この新しい熱狂に向けられた。しかし彼等のエネルギーは、進行する事態の結果に誤って振り向けられ、その原因には立ち向かわなかった。ロック熱を批判する者達も禁酒法時代[1920〜33年]に犯されたと同じ過ちを繰り返した。彼等は法執行機関や教師、両親、誰でも彼でも非難したのである。但し謀略家(一番の原因である)共を除いて。 



ジョン・コールマン博士著 『300人委員会』から


タヴィストック・アジェンダ
http://www.asyura2.com/11/bd60/msg/430.html
投稿者
1984 日時 2011 年 12 月 06 日 10:18:13: 3SipOypTxKjgk

The Tavistock Agenda
http://www.youtube.com/watch?v=Ml3IM0esWXM


タビストック人間関係研究所(Tavistock Institute of Human
Relations)は、研究、コンサルティング及びプロフェッショナル・デベロップメント[1]を行う非営利組織である。

タビストック人間関係研究所は、1947年9月にタビストック・クリニックのエリオット・ジャックスらによって正式に設立された[2]。英国における精神分析理論の拠点の一つとしても知られている[3]。精神病理学、臨床心理学の分野で著名なタビストック・クリニックは研究所の母体である。
エリオット・ジャックスは経営学の分野ではグレーシャー計画で知られる[4][5]。
ジョン・コールマン[6]らの下記関連書によると、次のようなものである。

タビストック人間関係研究所は、1922年(実質設立年)にイギリスに設立された研究機関。タビストック研究所とも呼ぶ。CFR(外交問題評議会)ないしロックフェラーの系列の機関であり、CIAとも協力関係にある。配下に多くの研究所、財団を持ち、アメリカ全体での資産規模は実質的には600
- 700億ドルに達する。

表向きは、人間管理、心理学等の研究所であるが、実質的にはロックフェラーと彼に追従するイギリス支配階級のための国際諜報機関である。

最終目的は、英米覇権維持のための国際的な大衆プロパガンダおよび完全な人間の心理コントロールの追求であり、その手段・技術の研究を行い、成果を実践することであり、現在に至るまで数多くの各種の大衆洗脳工作の実施に関与していると言わる。一説では、人間の行動制御も可能な技術を保持しており、それらはすでに諜報活動にて実地に応用されているとも言われ、目的のためには反社会的な手段の活用も辞さないとされる。
MKウルトラ[7]、脳内音声兵器など。

20世紀後半のアメリカ社会文化の急激な変質と、世界各国の地域的文化と政治観念の変質破壊ないしアメリカ化は、同研究所の研究を利用して意図的に促進されたと言う。麻薬や同性愛をファッションとして流行させる作戦にもCIAなどとともに関与しているとされ、世界各国の大衆を音楽、薬物、婚外セックスによって政治的に麻痺させ体制迎合的に洗脳するという作戦目標は順調に達成されている。

またビートルズに始まる1960年代から1980年代までのイギリス製、アメリカ製ポップ・ソングの国際的流行は、同研究所の作戦のひとつであったとも言う。1990年代以降のアメリカ黒人音楽・ファッションの急激な一般大衆への浸透についても関与を疑われると言う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%BA%E9%96%93%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
 





 





コメント



01. 2011年12月06日 23:07:27: fkHUWDnTE6

Wikipediaで募金の広告が目障りなら、ブラウザにFirefoxを使おう。 http://mozilla.jp/firefox/
NoScriptというアドオンを入れて、wikimedia.orgからのJavaScriptを禁止するだけだ。 https://addons.mozilla.jp/firefox/search?q=noscript
Firefox以外のブラウザでも同じことができるかもしれない。
フランクフルト学派といい英米系ポピュラー音楽といい、個人的に痛かった。年をとってからどちらも疎遠になってはいるが。
posted by 真 救世主 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クレディ・スイス  タヴィストック人間科学研究所

裕福な人が戦争を起し、貧乏な人が戦争で死ぬ。- ジャン=ポール・サルトル
裕福な人が戦争を起し、貧乏な人が戦争で死ぬ。.jpg

誰かが覆さない限り、世の中のものは覆らない。- ジェームズ・A・ガーフィールド
誰かが覆さない限り、世の中のものは覆らない。.jpg

狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。.jpg

マネーロンダリングの拠点

クレディ・スイス

はスイスのチューリッヒに本社を置く金融グループ。プライベート・バンキング、インベストメント・バンキング、アセット・マネジメントの3部門から成り立ち、証券・投資銀行業務、富裕層向け資産管理業務、資産運用業務などを行う。一般個人向け銀行業務はスイス国内のみ。親会社クレディ・スイス・グループAGは金融持ち株会社で、スイスとニューヨークで上場。

沿革

  • 1856年 - クレディ・スイスがチューリッヒで設立される
  • 1932年 - ザ・ファースト・ナショナル・バンク・オブ・ボストンの子会社としてザ・ファースト・ボストン・コーポレーションを設立
  • 1940年 - 初の国外支店をニューヨークに設置
  • 1972年 - ファースト・ボストン東京駐在員事務所開設
  • 1977年 - クレディ・スイス銀行東京支店を設置
  • 1978年 - ザ・ファースト・ボストン・コーポレーションとの提携開始
  • 1985年 - ファースト・ボストン証券会社東京支店を設置
  • 1988年 - ザ・ファースト・ボストン・コーポレーションを買収
  • 2000年 - ドナルドソン・ラフキン&ジェンレット(DLJ)を買収
  • 2006年 - グループ内の銀行部門の完全統合により、新生クレディ・スイスが発足


日本での事業 [編集]クレディ・スイスは早くから日本に参入した金融機関として知られ、戦後間もなくから国債引受業務など、機関投資家や事業法人向けの証券・投資銀行業務や、オルタナティブ投資などのアセット・マネジメント業務を行なってきた。2009年にはプライベート・バンキング事業を開始し、クレディ・スイスの三つの中核事業が日本ですべて整うこととなった。現在泉ガーデンタワーに入居している。
  • 1999年7月、金融庁はクレディ・スイス・ファイナンシャル・プロダクツ銀行東京支店に対し、組織的に検査を妨害したとして銀行免許取消の行政処分を行った。11月には日本債券信用銀行の不良債権飛ばしに荷担したとし、支店長は銀行法違反(検査忌避)で逮捕。
  • 2005年4月、金融庁はクレディ・スイス信託銀行に対し、コンプライアンス違反があったとして1ヶ月の新規信託業務停止処分を行った。
  • 2008年11月、国税局はクレディ・スイス証券職員・元職員約300人を対象に一斉税務調査を行った。税務調査対象者のほとんどにおいて、海外給与として取得した株式の税務に不備が指摘され、約100人が申告漏れとなったクレディ・スイス証券集団申告漏れ事件が起こった。その約100人のうち、ただ一人元外国債券部部長だけが、査察部強制調査後、所得税法違反で刑事告発されている。その刑事告発時の報道で、会社は「税務指導はしていた」と弁明しているが、その指導が不十分であったと疑問視する声もある。この事件は、田中周紀著「国税記者 実録マルサの世界」[3]に詳細が収録されている。



タビストック人間関係研究所

タビストック人間関係研究所(Tavistock Institute of Human Relations)は、研究、コンサルティング及びプロフェッショナル・デベロップメント[1]を行う非営利組織である。
タビストック人間関係研究所は、1947年9月にタビストック・クリニックのエリオット・ジャックスらによって正式に設立された[2]。英国における精神分析理論の拠点の一つとしても知られている。精神病理学臨床心理学の分野で著名なタビストック・クリニックは研究所の母体である。
エリオット・ジャックスは経営学の分野ではグレーシャー計画で知られる。




タヴィストック洗脳研究所.jpgひとつ前に読んだ「300人委員会」絡みの本なので、続けて読んでみることにした。

この本で取り上げられている「タヴィストック人間関係研究所」とは
Wikipediaによれば、コンサルタント業を行っている非営利団体らしい。
わたし的イメージだと、社員研修やリーダーの育成みたいなことかと。
他に、こうすれば人とうまく付き合えるとか
社長としてどうあるべきかとか
こうすれば会社がよくなる
こうすれば金儲けができる、というような
一種のマインドコントロール型・人間改革ちっくなイメージね。
1947年、ロックフェラー財団の援助により設立されたらしい。

コールマン博士は、そのタヴィストック人間関係研究所が極秘秘密組織であり
300人委員会が目指すワン・ワールド政府構築のために活動を行っていると主張している。
1913年、ロンドンのウェイリントンハウスで初期活動を開始
その後、どんどん力をつけ巨大化したこの研究所は
洗脳という手段で人々を操り、ときには非人道的なことまでやってしまうと。


タヴィストックはウェリントンハウスに本拠を置き、プロパガンダの作成と宣伝を手掛ける組織として活動を開始した。当のウェリントンハウスは、ドイツとの開戦に断固として反対する英国大衆を翻意させるプロパガンダ攻撃を仕掛ける目的で設立された組織である。 【本書より】


ひとつ前に書いたこととかぶるが
大戦時、ドイツや日本を徹底的に敵視したこと
アメリカを戦争に引き入れたこと
真珠湾攻撃を仕向けたこと
ケネディ暗殺を企てたこと
イラクやフセインを悪者に仕立て上げたことなど
これらは300人委員会の指示のもと、タヴィストック研究所が動いたと書いてある。

手段は主に洗脳だ。
プロパガンダを大々的に行い、都合がいいように捏造を重ね
人々を騙し、世論をおもいのままに操る。
そのために選ばれたリーダー格の人間は、タヴィストック研究所で
これまた洗脳という手法で訓練されているらしい。
リーダーの有名どころとしては、チャーチルやルーズベルトに始まり
特にルーズベルト以降のアメリカ大統領があげてある。
ブッシュ、クリントンに関しては、かなりきつい表現が多々ある。

さて、このダヴィストック研究所だが、力を発揮したのは
第一次大戦、第二次大戦時の対ドイツ・日本だったと書いてある。

どんな戦争にもいえるが、大衆を煽るためには誰かを悪魔に仕立て上げる必要がある。一九一三年、あのおぞましい大戦をつうじて悪魔に仕立てられた人物は、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世であった。 【本書より】

一九四〇年にチャーチルは、嘘と承知で、ヒトラーが「世界支配」という同じような願望にこだわっていると非難した。チャーチルは、巷で噂されているヒトラー首相の人物像を嘘と知りながら、彼を「狂人」とも呼んだ。 【本書より】

英米の新聞はこれらに飛びつき、精力的に広める。
日本もやられたらしいでっちあげの風刺漫画で、大衆を煽ったりもしたらしい。

日本の大戦時のことについてでさえ現在勉強中なぐらいで
本を読むごとにこれまでわたしがなんとなく思い描いていたことと
違ったりすることにいくつもぶつかっている。
ましてや、ドイツの戦争にかかわる史上の出来事は知らないも同然。
ただ、アウシュビッツのイメージがあるもんだから
ドイツは非道なことをやっていた、という覚え方をしてはいる。
それが、つまり、簡単に言えばドイツは悪だったという見方が
正しいのかどうなのか、考えたこともなかった。
けれども、この本に、ドイツが英米によってどんな攻撃を受けたか
書いてあるのを読んでみると
ん・・・もしかして、ドイツは、ハメられたのか?と思うと同時に
ひょっとして、わたしら(日本とドイツ)は
やりこめられた者同士?と思えなくもない。

1940年、英国はドイツ民間人を標的にした空爆を行っているらしい。
このとき、タヴィストック研究所は
ドイツの労働者住居の65%を破壊するという目標をかかげていたというのだ。
基本的には民間人を攻撃しないというルールがあるはず。

これによってロンドンがドイツ軍より報復を受けたらしいが
それはドイツが受けた損害よりも比較的軽微、と書いてある。
他にもドレスデンへの大空襲が非人道的であったことが書いてある。
世界的にあまり知らされていない(わたしが知らないだけかもだが)
英米の行ったらしい虐殺的行為について
この本に書いてあることを鵜呑みにするのは危険なのかもしれないが
東京大空襲と二度にわたる原子爆弾を食らった史実がある日本人のわたしとしては
ありえるよな、と思っている。

日本が侵略行為を繰り返すことにより他国ともめ
いくつもの国がかかわることになった世界大戦について
国際的批判を受けての残念な結果なのかもしれないと思っていたが
もしも、それが別の視点での世界征服を企む輩に
あることないこと情報操作され、洗脳によりカモフラージュされ
わざと戦争を引き起こそうとした力が働いていたとするなら
これまでの認識を大きく変えなければいけないということになる。
まあ、わたしごときが何を考えていようが、どうでもいいことなんだが
わたしの中では
真珠湾に奇襲なんかするから、原爆を二発もおみまいされたんだ、というのと
いくらなんでも、小さな島国に二発の原爆落とすなんて犯罪行為だ!というのとは
大きく違うのよね。
改めて戦争モノに向き合ってみると、真珠湾攻撃、あるいは南京虐殺事件について
これまでわたしが知っているつもりでいたこと、習ったこととでもいおうか
それとずいぶん違った話を耳にするようになった。
これまでは、日本は近隣諸国にかなりひどいことをしてきたんだろうな、と思っていた。
が、それは日本ばかりではなくて、世界レベルでみれば
ありがちなことだったんじゃなかろうかと。
他もそうだから、日本もやってて当然というつもりはない。
戦争と名がつけば、どの国も似たようにやったりやられたりではあろう。
ただ、今もなお、真珠湾攻撃や南京虐殺事件が非難され続けられているのは
世界史的に、トップクラスな非道きわまりないことというわけじゃなくて
意図的な力が働いてのプロパガンダが根強く残っているからだとすれば
わたしはわたし自身の認識を改め、わたしの身近なところだけでも
空気を入れ替えたいと思う。

いや、アンタそれはさ、たまたまこの本を読んだせいで
ある意味、それも洗脳的じゃない? ←自問自答しているらしいw

わたし的根拠、というか疑問はあるのよ。
原子爆弾投下についてアメリカに対する世界的非難が聞こえてこないこと。
そして、テレビ番組で知った東京大空襲時のアメリカの行為が大虐殺であると
日本でもあまり知らされていないこと。
わたしの勉強不足もさることながら
戦後の教育の中に情報操作があったのだろうと想像している。

第一次、第二次世界大戦については、わたしが生まれる前のことで
本なり映画なりテレビ番組なり戦争体験者から聞くなりでしか学べない。
けれども、湾岸戦争やイラク戦争は、その時代を生きたという意味で目撃したといえる。
宗教的な絡みも仕事の絡みも、知人が関係している絡みもなく
いわゆる、傍観者としてなんだけどね。
改めて思い返すに、何が原因で誰と誰が争っていたのかを、わたしはよく知らない。
フセイン、タリバン、オサマ・ビンラディン、9.11テロ、アフガニスタン
というキーワードが思い出されるだけだ。
なのに、フセインは悪い奴だ、ろくな宗教じゃないな、というイメージが残っている。
コールマン博士流でいえば、わたしも完全にプロパガンダ汚染組だ。苦笑

しかし引っかかっていることはある。
大量破壊兵器を隠し持っている、間もなくそれらは使われる
ということでアメリカ率いる連合軍が攻めこんだが、それらは見つからなかった。
少女が目撃したイラク兵の残虐な行為を涙ながらに語っていた映像により
ひどいなぁと思ったが、のちに、その映像はでっちあげだったという報道があった。
どのタイミングか忘れたが、アメリカの女性兵士が拉致され
救出劇が大々的に報じられたけれども、あれもヤラセがかってたんだよね?
わたしはそれらの出来事に対して、疑問は感じたものの
偽装について非難めいたことを考える間もなく流されてしまったように思う。
世の中的にも、わたしが引っかかっていることについて弁明はなく
大々的な出来事も起きていない。
たとえば、連合軍が「間違いでした」といって戦争をやめたとかね。

ちなみに、少女の映像について本に書いてあるには
その少女はワシントン駐在のクウェート大使アル・サバ家の娘で
戦時中はクウェート大使の父とワシントンDCで暮らしていたため
イラク兵の残虐行為を目の当たりにした、ということはありえないらしい。
少女の演技に、騙されたのか、予定通りだったのか
アメリカ・上院はそれによってイラク攻撃にGOサインを出したらしいが
このでっちあげがバレたあとも、誰もとがめられることはなかったよね?
このクウェート大使親子が起訴されることもなかったって。

おかしいよね?

これこそが、プロパガンダの達人が言う「首尾よく出来事を再生すること」の真骨頂である。 【本書より】


そういうことなのか?
ショックでもある。
まさか、国をしょってたつリーダーが、そんな子供だましの手を使ってまで
やりたい放題するなんて、思ってもみなかったから。
ということは
先の大戦でも、こういったプロパガンダが行われたという
コールマン博士の主張に、大きくうなずける。
日本は現在戦争から足を洗っているが、アメリカは今もなお
大衆が洗脳され続け、辻褄の合わない戦争に若い命を投げ込んでいるともいえる。
「告発のとき」という映画が蘇るよなぁ。


考えてみれば、人を操ることができるのなら、思い通りにコトが運びやすい。
怪しげな宗教まがいのことでも、洗脳によってカネを集められるし
会社における社員のモチベーションをあげようとすることだって
個人よりは会社にとって得な話にもなるわけで。
軍隊での、規律を厳しくした中で命令絶対と叩き込むアレも
洗脳めいたものといえるんじゃないか。
本当か嘘かはどうでもよくて、その先にある目的のために
都合のいい話にすりかえて、あとはそれを多くの人たちに信用させる。
世間が信じれば、もしくは異をとなえなければ既成事実となって存在することになる。
流行のファッション、音楽、ショップなどにも仕掛け人がいるという話は聞く。
メディアが多くとりあげれば、流行っているような気になる。
クチコミで広がってメディアが取り上げるのと
さも人気があるようにメディアが取り上げることは
もとは違ってても伝わる結果は同じようなもんだ。

戦争をしたくてたまらなかったルーズベルトが
恰好の標的だった日本をあらゆる方向から刺激して
先手を打たせるための裏工作をしたらしいことについて
その作戦に乗っかったほうも、問題ありではあるが
この男となんとか結婚に結びつけたいと思っている女が
真実ではない家庭的である風を装い、男はコレに弱いとされるコレを
いたるところでアピールし、結婚にこぎつけた場合の話と似ていると思う。
結婚後、だまされたー、と気づいたとしても、即離婚だなんて話はあまり聞かない。
見え透いた嘘でも始められる戦争と結婚、始めてしまえばあとはなんとかなる?
結びつけるには少々乱暴かもしれんが
心理をあやつる、つまり洗脳とは、意外に身近にあるもんだ、ということで。苦笑

ニュースは話半分で聞け、と誰かが言ってたが
今、ようやくその意味がわかる。
公共の報道で、隠したり、情報操作したり、ありもしない話が流されるなんて
夢にも思ってなかったし。 ←騙されやすい青い人ね。 苦笑


ひとつ前の「300人委員会」の本に、メンバー或いは関連機関が名指しされていた。
この本にも「米国を牛耳る洗脳機関・洗脳企業」というタイトルで
政府の重要機関、大学、金融企業、民間会社などの名前が書かれている。
ブッシュ政権擁護のプロパガンダ攻勢を仕掛けた代表的人物リスト(14名)は
名前だけでなく写真付きだからね。
そしてこう書いてある。

ここに書いたことは紛れもない真実である。しかし、アレキサンダー・キングによって立証されるまでに、私の著書「300人委員会」が一四年、論文「ローマクラブ・レポート」が二五年かかったように、それを立証するには大事件が必要となるだろう。しかし、二〇〇五年の現在、タヴィストックが米国人の生活の隅々まで掌握しているのは間違いない。タヴィストックの目から逃れられるものは一切ない。 【本書より】

コールマン博士は、膨大な時間をかけ、カラダをはって書いているんだなぁ。
それにしても、このときの博士は、まだ2008年に起こる
サブプライムが発端となっての世界的な恐慌を知らないわけだが
この本に書いてあることを思いうかべながら考えるに
まさしくアメリカ潰しを目的としたタヴィストックの作戦のひとつだと思えてしまう。

だからアンタ、洗脳されてるって! ←自分へ。 苦笑



最後に、ひとつ前の読書記録でメモした中にあった一文について記録しておく。

おそらくは戦争の犯罪人として処刑されたであろう昭和天皇を救ったのは、ガーター騎士団の力だった。 【300人委員会より】

最初にここを読んだときは、なんの根拠もなしに、そりゃーないだろ、と思った。
今はね、この本(ダヴィストック洗脳研究所)を読んだ影響なのか、微妙な心境にある。
確かに、わたしにとって謎のひとつでもあるのよね。
なんといっても、太平洋戦争での大日本帝国の大元帥は
昭和天皇ということになっているわけだから
戦争責任を追及されなかったことは意外じゃある。
この件についてわたしは、アメリカに対して、ありがたいとさえ思っていた。
日本人の要をくじくよりは、存続させたほうが復興に効果的だとの
アメリカの判断だろうと、わたしは勝手に思っていた。
しかし、ガーター騎士団の力、ということになれば
話は別の方向に行ってしまう。
騎士団に始まり、イルミナティとかフリーメイソンとか、ゾルゲとか?
これ以上立ち止まると、収拾つかなくなっちゃいそうなので
この話は一応、頭に置いておくことにして、先に進むことにする。
読書ひよっこなので、陰謀論枠は刺激が強すぎるのよね。苦笑


☆メモ

「仕組まれた状況」の例のひとつに、一九四一年一二月の日本軍による真珠湾攻撃がある。真珠湾攻撃は前述したように「仕組まれた」ものである。ロックフェラー資金がスパイの大立者リヒャルド・ゾルゲ経由で日本の皇族に渡り、日本軍に先制攻撃をそそのかす工作資金となった。これは、ルーズヴェルト政権が米国を第二次大戦に引き込む口実を切望したからに他ならない。

嘘がまかりとおると真実は忘れられる。

ウェリントンハウスのプロパガンダは、ドイツ軍が第一次大戦における最大の虐殺行為を働いたと嘘をついた。そのためドイツ人国民は飢餓で苦しみ、復讐を誓うこととなった。ドイツに対する盲目的な敵意を創造したために、ブライスは第二次大戦という争いの種を蒔いたのである。

シェイクスピアはこう言った。「人間が働く悪事は死後も生き残る」「善はしばしば骨とともに葬られる」と。

「黒い貴族」に馴染みのない読者に一言いっておこう。もちろん、その語は黒人を指すものではない。それは大富豪や王朝を指す言葉である。彼らは五〇〇年前から活動し、三〇〇人委員会の背骨をつくりあげた。

私の論議を例証してみよう。クリントン前大統領が相次ぐスキャンダルにもめげず任期をまっとうできたのは、彼の非常識な行動は弾劾訴訟を要求するほどのことではないという世論調査結果が出たからだ。この状況はタヴィストック研究所が創作したものである。世論調査業者は全員がダヴィストックで世論の形成や操作の手ほどきを受けているので、調査の回答は「おあつらえむき」になる。
G.W.ブッシュ大統領も「生き残り組」に加えていい。彼は憲法違反のイラク戦争を始めるために露骨な嘘を重ねたにもかかわらず、ホワイトハウスから追放されなかった。あの戦争は憲法に則って宣戦布告されていない違憲である。さらに米国憲法は、米国に戦争行為を働いていない他国に対する攻撃を禁じている。ブッシュ大統領がどうやって弾劾を免れたのか?答えはタヴィストック研究所とその大衆洗脳力にある。

アラブ諸国は失敗から多くを学んでいた。そして今日、彼らは第一次大戦の開戦当時よりはるかに英国政府を信頼していない。

タヴィストックは当初、「リーダー不在のグループという概念」を用いて活動し、かつての米国を葬った。プロジェクト責任者のW.R.バイオリンは長年、ウォートン経済校を運営している。そこでは自由貿易やケインズ経済学といった無意味なことが教えられている。日本はウォートン校のまやかしに乗らず、マッカーサー将軍に教えられた米国モデルを堅持したので今日の繁栄を築いた。日本人の成功を非難しないで、米国の経済体系を破壊したタヴィストックを非難すべきだ。

米国民は五つの大戦争について、完璧に誤誘導されていた。これだけ騙されれば、他のすべての国も同様になるだろう。しかし不幸にも、イラクやセルビアに対する英米の間断ない空爆は、米国民が湾岸戦争から何も学んでいないこと、戦争が仕組まれた実態も言語道断なやり口で騙され操られた実態も国民が知らないことを示している。

<MKウルトラ実験が残した影響>
スタンフォードやランドなどの研究所によって、悪名高い「MKウルトラ」計画が手掛けられた。「MKウルトラ」計画とは、LSDや他の「人を変える」麻薬を利用した二○年に及ぶ実験のことである。CIAに委託されてオルダス・ハクスリーと「核兵器廃止」運動の大御所バートランド・ラッセル(三〇〇人委員会の幹部政治家)がその指揮をとった。
第二次湾岸戦争では、タヴィストックの養成した工作員がイラクのアブグレイブ刑務所やキューバのグアンタナモ基地に収容されているイスラム人捕虜から「情報」を聞き出す拷問方法を米軍のミラー将軍に教えたことが露見すると、世界中は驚きおののいた。これと同じようなマインドコントロールや人を変える麻薬を利用した、レヴィン、ハクスリー、ラッセルは、米国の若者にとてつもない損害を与えた。彼らの恐ろしい麻薬実験はスタンフォード研究所、マクギル大学、ベセスダ海軍病院、各地に点在する米国陸軍基地でおこなわれた。

戦争によるドイツの民間の犠牲者が軍人の犠牲者よりはるかに多かったのは、ハリス「爆撃機」とドイツ労働者住居に対するRAFの夜間絨毯爆撃のせいである。これはいまだに処罰されていない重大な戦争犯罪だ。

ドレスデンの爆撃と空襲のタイミングは「衝撃と畏怖」によって友人のヨセフ・スターリンの関心を引こうとした「偉人」が、タヴィストックと相談して選んだ冷血な決断だった。四旬節にときを合わせた、紛れもなくキリスト教に対する攻撃ともいえる。
タヴィストック人間科学研究所.gif
posted by 真 救世主 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月25日

アダムの長男セト=ルシファー

セト=(アホの)ルシファー
「ルドルフ・シュタイナーの神殿伝説と黄金伝説とう書籍で調べたら、アベルとカインの対立の項目に『神は人を創造された日、神に似せてこれらを造られ、男であると同時に女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて人と名付けられた。アダムは130歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子を「セト」と名付けた』とある。
エジプトのセト=ルシファーなんだ。」←と、言うことはルシファーが血統にこだわる理由もおのずと判明する。長男だからだ!失敗作だったんだ!!!

でも長男だから顔を立てて天使長にしたんだ!
アホだから、長男ってだけで「私こそ神に相応しい」とか考えてるほど馬鹿だったんだ!

全部つじつまが合う。
セト.jpgルシファー(Lucifer).jpg
セト←アヌンナキににてる・・・

セト
Set)、Sethセトゥ)、Setekhセテカー)、SeteshSetiセティ)、Sutekhステカー)、SetechSutechTabehTyphonタイフォン)とは
エジプト神話に登場する神。オシリスの弟。

エジプト九柱の神々の一柱。←「9柱」あぁ・・・だから「333」なのね。
●●●

●●●←「333」の「柱」=「9」
●●●


要するに9匹しか魔王はいないんだ・・・本当は。
「ソロモン72柱」とかデッカイ「嘘」つきやがって!!!

砂漠
と異邦の神であり、キャラバンの守り神である一方で、砂嵐を引き起こしているのも彼であるとされている。神話体系内でもっとも共通する添え名は『(馬鹿だけど)偉大なる強さ』。荒々しさ、敵対、悪、戦争外国の土地(現代のイスラエルだ・・・)などをも象徴している。ピラミッド文書の一つには、ファラオの強さはセトの強さであるとの記述がある。サハラの民に信仰された神アシュ(Ash)とも関連がある。
アシラ(Asherah).jpg
アシラ(ASHIRA)=ルシファー

セトは
ジャッカルの頭をした神であると思われているが、壁画などで表現されている彼の頭は実はツチブタのものである。しかし全身が動物化して表現される時はさながらグレーハウンド犬のようである。一般的に四角い両耳、先の分かれた、そして曲がって大きく突き出した鼻を持ち、ツチブタジャッカルのほか、シマウマロバワニブタ、そしてカバなどとも結びつけられている。このため、想像上の動物をわざわざ作ってセトに充てた、とする説も存在する(このように、様々な動物を合体させて想像上の動物を作り神に充てる例は多く、他に、トエリスが挙げられる)。
神話によると太陽神
ラーヌトの間に生まれた、オシリス、イシスネフティスに続く4番目の子。王権獲得のため、母親であるヌトの産道を通らず、子宮を破って脇腹から生まれ出てきたがオシリスより先に生まれる事ができなかったとされる。しかし、実際の父はラーではなくゲブであるとの説がある。また妹ネフティスを妻としたが、その息子アヌビスは兄オシリスとネフティスの不義の子であった。
嵐の神であることから
ウガリット神話バアルとも同一視されアスタルトおよびアナトが妻であるともされた。
アスタロト.jpg
真実のアスタロト←男だったぞ!?・・・邪淫か。本当に糞だな、悪魔は。

当初セトは植物成長の神であるオシリスの逆として見られ、砂漠の王という立場になった。また生命を与える穏やかな Osririan
ナイル川とも対比され、荒れ狂う海にも例えられている。更に空の神であるオシリスの子ホルスとも対比されたことから、大地の事象に関連付けられた。彼の呼吸はミミズなどのゼン虫を招くとされ、また金属の鉱石は『セトの骨』と呼ばれた。その類まれなる強さで暗闇と混沌を司る悪魔神アポピスを戦いで打ち破ったと神話に謳われた。このようにセトは人気のあったホルスの立場を次第に取って代わり、紀元前3000年代には特にナイル川下流部の下エジプトのファラオを後援する神として大いに崇められていた。
ところが時代を下るにつれ
オシリスがもっと重要な神と認知され始めたため、正反対の設定をされてきたセトは悪役の立場を背負わされ、遂には兄オシリスを殺すというエピソードまで生まれた(オシリスとイシスの伝説を参照)。そして、親の敵討ちに乗り出すホルスの敵役にされてしまう。
こうして新たに生まれた神話のエピソードによると、セトとホルスの戦いは80年間に及び、その間にセトはホルスの左の目を奪ったものの、
ネイトの強力な支援を受けたホルスは、セトの足の一つと両方の睾丸を根こそぎにし最終的に勝利した。こうしてホルスは上下エジプトの支配者となった。
殺されたセトは、オシリスの妻イシスに支配権を奪われた父ラーと共に地上の世界を去り地下世界に隠遁した。地上には
の声として響くだけである。地下世界の神としてセトは太陽(ラー)を守り、夜の間に死の世界を通過する者となった。
歴代王朝の
ファラオは、自身がオシリスとセト二人の最強神兄弟の相続人であり、ホルスとセト、つまりは上下エジプトの地位の合体であるとして、その権威を民衆に誇示していた。
第19王朝に入って、セトはある形で復権を果たす。セトの名を冠したファラオが即位したのである。セティ1世である。「セティ」とは、「セト神による君主」という意味である。また、第20王朝セトナクト(「セトによって勝利する」の意味)という名のファラオが興している。

ルシファー=ベルゼバブ?違うかと・・・まぁ、いいや。バアル死んだし。と、アスタロト(ルシファーの妻)と、アモンと、リリスと、パズズ(=シヴァ=ポセイドン)と、モロクとか、あと、アスモデウスか。
悪魔小さ!
どうすんだよ?その上の太陽神やアヌンナキまで死んでるぞ?当のルシファーも完全死だし。

2012年3月25日 1:30

もう、わかっただろうが、ルシファーが神になりたいと駄々をこねて「ダメ!」と言われたから反乱を起こしたんだ。

だけど、天使たちは「ほとんど従わなかった」!

だけど「嘘つきルシファー」はメンツのために「三分の一」が従ったことにして、なんかミカエルと激闘したことだけやたら強調したんだ・・・
ウリエル来たら負けるもんな。

どんだけ弱くて嘘つきでアホの勘違い野郎なんだ?コイツは・・・取り柄はルックスだけか。

頭最初からおかしいもんな。
うんこは食べるわ、小便飲むわ、男同士でSEXするわ、人間食べるわ、吸血するわ・・・
私「えっ!?何?真実の目」!?
寝言は寝てから言えよ、フリーメーソン、イルミナティ。
馬鹿だろ?

だから「金!金!」言ってる訳だ。浅ましい。卑しい王家連合だ。

あ〜、嫌だ、嫌だ。
関わりたくないわ!
道理で統治者の連中は劣等生が多い訳だ。

「うんこを食べちゃいけません。」「人を殺しちゃいけません。」「ホモやレズはいけません。」
わかんないだな。本当に。
ダメだこりゃ。

奴ら言うぜ。「ノーダメージ!」って。
だってわかんないだから。ノーダメージだよ。

「えっ?うんこ?食べ物だよ。」くらいにしか思ってないよ。

それがフリーメーソン!イルミナティ!

俺が内閣総理大臣になったらクール宅急便で送ってやるよ。
大好きな【うんこ】を。

一番喜ぶだろ?イルミナさんよ?

posted by 真 救世主 at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月24日

ロスチャイルド家

『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』徳間書店 安部芳裕著から
P148〜ロスチャイルドの〔中東三枚舌外交〕

 〔1915年〕オスマン・トルコ帝国の支配地域である中東で、アラブ人の蜂起によりトルコを背後から脅かした英国の外交官ヘンリー・マクマホンが、アラビア半島の遊牧民で聖地メッカの太守であるフセインにアラブ人国家の樹立を約束します。これをフセイン=マクマホン協定と言います。
 翌16年には、英国の中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ・ピコが、エルサレム−バグダッド線より北方はフランスの統治、南方な英国で統治するという秘密条約を結びます。これはサイクス=ピコ条約といわれています。
 さらに翌17年、英国の外務大臣アーサーバルフォア卿がライオネル・ロスチャイルドに「ユダヤ国家樹立」を約束する書簡を送っています。これをバルフォア宣言と言います。
 そしてこの年、イギリス軍がエルサレムに入場し、アラブ人の力を借りてオスマン・トルコ帝国による約400年のパレスチナ支配を終結させました。
 フセインにアラブ人国家樹立を約束し、ジョルジュ=ピコとは北方のフランス統治を約束、ライオネル・ロスチャイルドにはユダヤ人国家の樹立を約束するという、この「イギリス三枚舌外交」が今日のパレスチナ問題の大きな原因になっています。
 ここに登場するマクマホン、サイクス、ジョルジュ=ピコ、バルフォア、なんと全員がロスチャイルド一族です。これを知ったらアラブ人たちは、きっと怒り心頭でしょうね。




『イルミナティ悪魔の13血流』(フリッツ・スプリングマイヤー著 KKべすとセラーズ)から第10章 ロスチャイルド家を記載します。

イルミナティの中での最強の一族−−−生きた伝説とされる。
ロスチャイルド家は様々な逸話に彩られている。
いわく「世界の富の半分を所有する」「ユダヤの王」・・・・・・。
だが、それらのどこまでが真実であり実態を語っているのか!?
イルミナティの新世界秩序体勢の下に富の半分≠ヘ必然的に他と同盟するということだ。
では、どこと?
同家の名は赤く描かれた六線星形の盾の紋から起こるが、
それは「ソロモンの封印」とも称される古代からの悪魔主義の
系譜を象徴するものであった。ここにまず結論を言おう。
イルミナティそのものが同家の同盟相手なのだ


※−−−「ご近所馬取引商」ロスチャイルド家の生きた伝説
 

 近・現代の歴史の舞台裏を覗いて見ると、そこには必ずロスチャイルド家がいる。この一族は王に借金をさせ、王国を操作し、戦争を起こし、そして国際社会そのものを形成した。位階制組織のイルミナティの中で、ロスチャイルド家は有力な悪魔の血流として崇めらあれている。同家は「生きた伝説」なのである。
 ある伝記作家はこう言う。「アメリカで男の子は大統領になりたがる。
ヨーロッパではむしろロスチャイルドになりたがる・・・・・・。『ロスチャイルドになりたがる』と言うことは、現代のクロイソス(巨万の富で知られるリュディア最後の王)、二〇世紀のミダース(手に触れるものをことごとく黄金と化したフリギアの王)になるということだ」。つまり、ロスチャイルド家は尽きることの無い金力を持った王朝≠ツまり、悪魔の帝国の金権王家なのである。
 ある筋によると「ロスチャイルド家は世界の富の半分を支配していると見積もられている」という。
実際に一時期、ニューヨークの連邦準備銀行は合わせて五三パーセントの株を所有していた五銀行によって牛耳られていたが、その五銀行はロンドンのネイサン・M・ロスチャイルド・アンド・サンズ商会によって支配されていた。アメリカの連邦準備銀行を支配するということは、世界の金を支配することと本質的に同じである。
この事実だけでもロスチャイルド家の権力がどれほど巨大であるかがうかがえる。そして、連邦準備銀行のトップの座に任命され運営してきたのがどんな人物であるのかを調査すれば、「連邦」準備制度とロスチャイルド家とのつながりがもっと良く見えて来るはずだ。
 もう一つ連邦(フィデラル)という言葉を使ったものに、ロスチャイルド家支配の民間企業フィデラルエクスプレス社がある。
ほかのものが公企業のように聞こえる名前をつけていたら訴訟ものであろうが、ロスチャイルド家は別なのだ。
いや、ロスチャイルド家はMI6(国外担当のイギリス軍事諜報部六部)からCIA(中央情報局)経由でアメリカ政府を指図しているのであるから、連邦ちう名を当てるにふさわしい。BCCI(国際信用情報銀行)の調査員が突き止めたように、アメリカの上院議員は金の力で手や口を封じられてロスチャイルド体制≠作らされている。
 一九九二年三月に連邦準備制度理事会の前理事長ポール・A・ヴォルガーが、ヨーロッパの投資銀行J・ロスチャイルド・ウルフェンソン商会の会長としてロスチャイルド家のために働き始めたことは、以上のことを示す一つと言えるだろう。
 他方、アリス・ベイリーは『白魔術に関する論文』で、位階制組織であるイルミナティには「エネルギーに変えることが出来るもの全てを取り仕切り、あらゆる形式の交渉、商業、交易に対して独裁をなしている」金融グループがあると主張している。魔王崇拝者として著名な彼女の言う「金融グループ」は、この位階制において一番新しくかつ強力なものであるとする。
 これまでに判明しているロスチャイルド家の歴史からは、同家は初期の頃から魔術とイルミナティとに密接に関わり合って来た。ロスチャイルド家のことを言っていると思われるドイツ皇帝ウィルヘルム二世の次のような言葉もある。「ルクレ卿が操る金の魔力は、黒魔術の中でも最も黒い力である」
 ところで、ロスチャイルド家が支配しているのが富全体の半分だけであるのなら、それはつまり同家が世界支配の一部を担うには同盟相手がいなければならないということである。これについては、一部を他章で扱っているほか、当然当章でもいくつか紹介することになる。
 ロスチャイルド家はイルミナティ十三血流のうちでもよく耳にする一族の一つであるが、世間はまだその秘密の多くに気付いていない。同家の権力は実に広範囲に及ぶのだ。例えばビルダーバーグの議長であるピーター・ルパート・キャリントン卿は、ロスチャイルド系リオ・チント・ジンク社の重役である。ちなみに、彼はバークレー銀行の重役も努め、日米欧三極委員会の重要なメンバーでもある。また、フランスのトップの座に長く君臨して来たフランソワ・ミッテランは、ロスチャイルド家の非常に親しい友人である。なお、ここでこの二人をあげたのは、単に読者にロスチャイルド家が舞台裏で振るっている権力の大きさをわかってもらううためであり、ほかに他意は無い。
 イルミナティに関しては十三番目の血流(第13章参照)とロスチャイルド家とのつながりを示す具体例を見ることだろう。その一つは名の知れた会社・団体の多くを広告主に持つグレース・アンド・ロスチャイルド・アドバタイジング社であり、もう一つはビル・クリントンの支持権力として多くの注目を集めて来たパメラ・ヒルマンだ。詳しくは後述するとして、ここでは別の角度から語っておこう。パメラは以前チャーチル家の一員と結婚していた(第8章オナシス家でのチャーチルとイルミナティ十三血流とのつながり参照)。そして、彼女はまたエリー・ロスチャイルドの愛人でもあった。エリート集団にとってなんと世間は狭いものではないか。
 近所の馬農場主がある日寄り合って商談をする。一人がもう一方に自分の馬を二五万ドルで売り、今度は同じ馬を二〇ドルほど乗せて買い戻す。買い戻した方は、実際には二〇ドルの価値しかないその馬を今や二五万ドル以上払った馬として宣伝出来るという訳だ。
 こんな筋立てはお笑い種と言える。それともかつがれた自分自身を笑うべきなのかも知れない。何故なら、この世に人を欺くことにかけて宗教家にまさり、我々全てに影響を与えるものがあるとすれば、それは金融家に他ならないからである。笑うほかに何が出来よう。
 あの有名な詩人バイロン卿が一八二三年にこの二人の馬農場主−−−いや「ご近所馬取引商」か−−−
 
  世界を保つのは誰か、旧も新も、苦しみを持って
  それとも楽しみながらか? 上辺だけの政策を行うものは誰か?
  ボナパルトの気高い影か?
  ユダヤ人ロスチャイルドと手を結ぶ、キリスト教徒のベアリング

 「ご近所馬取引商」は、それこそ無数に当章に登場する。何千というロスチャイルドの闇取引例を一つひとつ紹介していたら何冊の本があっても足りない。最近でもロスチャイルド男爵がロスチャイルド銀行にある資産の所有権をどのように隠蔽したか、これを含め同銀行がいかに卑劣な取引を行っているかイエルグ・ヒールが摘発している。またヒールは、ロスチャイルド銀行がイタリアの富豪(イルミナティ、イタリア人か?)の脱税を助けていることも暴いた。こうしたロスチャイルド銀行の様々なスキャンダルについての記事は『ウォール・ストリート・ジャーナル』(一九九一年一月二日、九二年十一月三日、同年十二月十一日号)に掲載された。


※−−−血の結束を特徴とするロスチャイルド王朝の基礎

 ロスチャイルド家とは、一体如何なるものなのか?その特徴の一つをロスチャイルド御自身が著書『偉大なる人物の影』の中でデビッドソンが一八一四年六月二四日にネイサン・ロスチャイルドに宛てて送った手紙を引用している。

     今のようにご兄弟で協力し合っている限り、この世にあなたがたご一族と張り合ったり、ご一族を傷つけたり利用したり
    する一族は出ないでしょう。力を合わせればこの世のどんな一族より多くを引き受け成すことが出来るでしょう。

 ロスチャイルド兄弟の結束の強さは、一八一五年二月二八日ソロモン(サロモン)・ロスチャイルドが弟のネイサンに送った手紙中にも見て取れる。「我々は時計のメカニズムのようなものである。どの部品も不可欠だ」
 こうした結束の強さは、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの孫の結婚のうち一六組が実のいとこ同士の結婚であることからもうかがえる。最初のロスチャイルド、マイヤー・アムシェルはその遺言の中で、男の子孫に対し近親相姦の実践を引き継いでいくよう求めている。かつて近親相姦は一家の伝統であり、子供心を破壊してその血流の従順なメンバーに改造するため一族が採用した方法の一つであった。
 他方、頭に入れておかなければならないことの一つは、ロスチャイルド家の真のオカルト的力は隠れた血統に潜んでいるということである。もちろん、ロスチャイルド血流の重要部分を構成しているのはロスチャイルド家であるが、バウアー、バワーズ、サッスーンといった多くの姓にも気をつけて見なければならない。ロスチャイルドの血が流れているイルミナティ内部の人間はその秘密の祖先について知っているが(カナン族だろ?)、外部の人間はたいてい、他の姓を持つ血統がこうした「強力な」オカルト的力を受け継いでいることを決して知らされることは無いだろう。

※−−−エドモンドのカリフォルニア銀行買収に見る法を超えた¢カ在

 カリフォルニア最古の銀行であるカリフォルニア銀行に起こった出来事の一部始終は、アメリカ合衆国におけるロスチャイルド家の権力の大きさを物語っている。(詳細は『サン・ホセ・カリフォルニア・マーキュリー新聞』一九九二年一月一二日版による)。ロスチャイルド家の勢力を考えるとこの記事が表に出たことには幾分驚いた。上層部の汚職があまりにも酷いと完全に隠し切れないこともあるようだ。
 
 さて、アメリカ合衆国には株の不正取引から国民を保護する役割の証券会社取引委員会(SEC)がある。一九八〇年代にはこのSECが明らかにした不正行為で、広く世間に知れ渡った事件が三件あり、またこの摘発によってアメリカ国民の間に株式取引は全般的には誠実に行われているという信用が広まった。しかし、エドモンド・ロスチャイルド(フルネームはエドモンド・アドルフ・ジュール・モーリス・ロスチャイルド男爵)がカリフォルニア銀行に対して行ったことは、ロスチャイルド家のような人間は他と同じ規則に従って振る舞う必要は無いという事を明らかにしている。ロスチャイルド家は文字通り法を超えている。有力なイルミナティは、法をも支配しているのである。
 一九七三年カルフォルニア銀行の最高経営役員デ・ブレットウィルは、エドモンド・ロスチャイルドにバンガル・トリステート社株三〇万株、つまり、カリフォルニア銀行の持ち株会社の二二パーセントを売却した。当初デ・ブレットウィルはエドモンドのイギリスの兄弟分であるロスチャイルド二人に株を買わないかと問い合わせた。この二人はフランスの兄弟分であるロスチャイルド二人に電話をかけ、これを受けたフランスの二人はスイス・ジュネーブのエドモンド・ロスチャイルドに電話をかけ援助を求めた。エドモンドは二人の株購入を援助すると言ったが、その後自分で株を買い取ると、態度を逆転させて、その株を自分の親戚と分配しようとしたのである。つまり、エドモンドはをついたのだ。さらにその後数年間に渡り同銀行に対するこの計画について、エドモンドは大勢の人に嘘をつき続けた。
デ・ブレットウィルは「彼(エドモンド)は自分の一族にも私にも嘘をついた。まったく何から何まで汚い取引だった」と言っている。
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二〇世紀のロスチャイルド一族当主ギイとその子供たち

当時カリフォルニア銀行が所有していたのは銀行業のフランチャイズだけで、その全てが太平洋沿岸三州(ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州)に集中していた。結局、カリフォルニア銀行はロスチャイルドにとって美術品のような物だったのである。銀行を改善するつもりなど全く無く、ただ自分の会社のコレクションに加えたかっただけなのだ。エドモンドはすでにこうしたおもちゃ会社≠南アフリカのデ・ビアス鉱山の一〇パーセント、ロベルト・ヴェスコとのジョイントベンチャー、自分が創立者の一人となっている地中海クラブの三〇パーセントを所有していた。そして例えば地中海クラブは、エドモンドが少年の頃母と一緒に遊んだような海辺の行楽地を他のエリートにも楽しんでもらおうというアイデアから生まれたものだ。
 実際のところ複数の関係筋によれば、彼はカルフォルニア銀行を一人息子のベンジー(ベンジャミン・ド・ロスチャイルド)に卒業プレゼント()として与えたかったのだと言う。ちなみにエドモンドは一度離婚し、ナディーヌという名のコーラスガールと再婚している。しかし、ペパーディン大学を卒業する予定だった当のベンジーの関心は遊び暮らすことにあった。ベンジーはカルフォルニアの素晴らしいビーチハウスで贅沢三昧に暮らすうtいに、大学から落ちこぼれでたらめな生活を送るようになった。父のエドモンドも息子がまだ卒業プレゼントを受け取る準備が出来ていないと決心したのは明らかだ。事実ベンジーは四年後、取得単位三一単位(卒業するにはあと九十七単位必要)でペパーディン大学を辞め、スイスのジュネーブ近くにあるジュネーブ湖の湖畔に建つシャトー・プレグニーに帰郷した。ベンジャミンがラ・カンパーニ・トレゾルリ・=ベンジャミン・ド・ロスチャイルドを開業し金融界に足を踏み入れたのは一九八九年になってからだった。
 『サン・ホセ・マーキュリー』の一九九二年一月一二日版は次のように報告している。

  サンフランシスコの名門銀行の古参最高経営役員はロスチャイルドに投資を呼びかけた。
  銀行業務の取締官もこれを引き受けるようロスチャイルドに勧めた。証券調査員は海外取引の錯乱状態に見て見ぬ振りをし、その後インサイダー取引の証拠書類も無視した。銀行の重役たちがご機嫌を伺う一方で男爵は銀行を個人のおもちゃとして利用した。
「こんなふうにこの国は大きくなったのではない」。カルフォルニア銀行の前副頭取ビル・マイルズは言う。「何から何まで欲得ずくだ」。この言葉が示すように、エドモンド・ロスチャイルドはカリフォルニア銀行株の一定割合を購入したに過ぎないが、それでも同社を完全に支配出来る立場にいた。それだけでなく証券取引委員会の監視無しに株価操作やインサイダー取引も行うことが出来た。彼は二人の代理人を役員会に指名した。一人はエドモンドのために働いていた貴族出身のすいすい銀行家ゲオルゲ・クーロン・カールヴァイス。もう一人は、銀行業務については何も知らないニューヨークの弁護士ジョージ・シャピロ。エドモンドはこのジョージ・シャピロのことを「名親(ゴッド・ファーザー)」「守護天使(ガーディアン・エンジェル)」と呼んでいた。次にエドモンドは、最高経営役員のデ・ブレットウィルを自分の腹心チョーンシー・シュミットと入れ替えた。先にエドモンドはカルフォルニア銀行株購入の条件としてデ・ブレットウィルが最高経営役員でいることに同意していたが、取得が決まるや同意を破り無慈悲にも実行したのである。

※−−−現代の錬金術のからくりとSGDB

 銀行の役員会議は「エドモンドは何を考えているのか?」の当てゲームとなった。一方、エドモンドは数々のパーティを行ないサンフランシスコの上流階級のとりことなっていたように見えた。現実には彼は、ある一連の行為うぃ実行してカルフォルニア銀行の株価を急激に下落させた。金融アドバイザーや証券アナリストからカリフォルニア銀行の株を売るよう言いくるめられた小口株主は、一株当たりわずか一六ドルという底値で売却した。ロスチャイルドはその底値でかなりの株を購入し、ロスチャイルドの秘密代理人の何人かはそれよりほんの少しだけ高い値を支払った。
 株のほとんんどは、守秘法により保護されている個人銀行を通して取引をしている無名投資家の手に渡った。銀行株の二〇パーセント近くが誤って導かれた株主によって売りに出され、ヨーロッパの銀行の秘密口座に売られた。そしてエドモンドとその仲間は、株価が底値を尽いた後秘密裏に銀行株を買い始めたのだ。
 一九七九年から八一年のあいだに一五パーセントを超えるカリフォルニア銀行株がヨーロッパで売却されている。株式取引パターンにおいてこのような急な変動は証券取引委員会に警鐘を鳴らすことになっているが、証券取引委員会はインサイダー取引の一部始終に見て見ぬ振りをした。ヨーロッパの買い手は出来るだけ秘密裏に安値の株を買った。彼らはアメリカの証券ブローカーを通して公然と買うことはしなかった。その代わりスイス、オランダ、ドイツ、ルクセンブルクの何十という個人銀行を通して小口(そのため目立たない)単位で購入した。一方でエドモンドは、仲間にカルフォルニア銀行を売却すると告げながら、公には売りに出していないように見せかけた。例えば、デビット・ロックフェラーとBCCI(国際信用商業銀行)のエリート集団の表向きの顔ガイス・ファラオンが、カリフォルニア銀行の買収時に世間が信じるように情報操作した中で、ロスチャイルドは銀行の自分の持ち株を売らないと断言したことになっている。
 エドモンドの相棒の一人ジャン・マルク・ヴェルネはすでに存在しないアジアの鉱山会社を通して三十一万株を買った。ヴェルネの名はエドモンドが銀行の役員会に彼を指名するまで明らかにされなかった。そのようにして底値で買い集めた後、エドモンド・ロスチャイルドは一株当たり五〇ドルで銀行に売却すると、その心変わりを正式に発表した。ロスチャイルドはこのアメリカのものだと思われていた銀行を日本人、正確に言うと三菱に売却し、市場操作とインサイダー取引で「大もうけ」したのである。一九八二年三月、三菱は「スヌーピー」という暗号でカリフォルニア銀行買収の秘密裏の交渉を開始した。何年にもわたり様々な会社が一株当たり七四ドルであるとか、六〇ドルであるとか、その他好条件で申し出たにも関わらず跳ねつけられたのを株主は見て来た。ロスチャイルドが最終的に日本人に一株当たり五〇ドルで売却した時、ロスチャイルドの全目標が自分一人の多額の現金報酬を確保するために株主を欺くことであったことが明らかになったのである。
 株を売却した大株主リチャード・フリーモンは、自分の持ち株に対する詐欺行為だとしてロスチャイルドと重役を告訴した。二五〇〇万ドルを争う訴訟は、ロスチャイルドの株式市場操作による財産喪失に対してフリーモンがいくら受け取ったか当事者全員が口外しないと誓って示談に終わった。
 こうしたロスチャイルドに代表される、前述した「金融グループ」=イルミナティの最重要秘密の一つは、ベルギーのブリュッセルを本拠とするソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジック(SGDB)である。SGDBはまた、さらにその他多くの法人に多角化している。その支配勢力はずっと謎とされているが、情報通はロスチャイルド家、オレンジ家、ヴァチカン宮、アモーリー・ド・メロード伯、リッペン伯爵、ボアール=ヤンセン==ソルヴェイ家がその株を所有していると主張する。
 いずれにしろ同社の株のほとんどは、所有者の名義では登録されていない。そして、世界金融の大部分に及ぶ支配力はこの持ち株会社から四方八方に発せられている。つまりSGDBは、各国それぞれの金融法の他の影響を逃れるために、イルミナティが利用する主要手段なのである。同社の投資は世界中に及び、銀行千百社、旅行代理店四千社、金属取引代理人事務所二十九ヵ所、ホテルチェーン二千社、・・・・・・・・ほかずらっと並ぶ企業の全体または一部を支配出来るだけの株を保有している。一九八〇年のSGDB総裁を務めていたのはルネ・ラミーで、重役はフォコンヴァル男爵ほか七名だった。一九九四年まではE・ダヴィニヨンが総裁を務めた。

※−−−ユダヤ人ムールシュタインによるロスチャイルド家の歴史概説

 さて、アンカ・ムールシュタインは『ジェームズ男爵−−−フランス・ロスチャイルド家の台頭』という本を書いている。ロスチャイルド家は名目上はユダヤ人であるし、ロスチャイルド家の権力濫用に対する批判は何もかも「反ユダヤ主義」とレッテルを貼られてしまう今日、同家に対するユダヤ人歴史家の目がどんなものか見る価値はあるだろう。今日、新世界秩序体制の反対派は「反ユダヤ主義的」とレッテルを貼られる危険があり、まったくやっていもいない、いわゆる「反ユダヤ主義的」活動の罪で投獄されている者もいる。(私自身、ユダヤ人と名乗る者はみな、神の選民であり、批判や摘発される言われは無いと信じる人々から一部敵意を買っている)。
 ここで読者にロスチャイルド家の考え方や歴史を語る上で、短い引用を織り交ぜながらアンカ・ムールシュタインの言うものをまとめてみることにしたい。彼はロスチャイルド家に含むところっが何も無く、ある面で私自身の言葉より受け入れやすいだろう。もちろん、アンカの述べていることとわたしの調査では多少の移動があり、彼の著作の表題が示すように十全にロスチャイルド家の総体を言うものとなっていない。このためアメリカ版ではアンカのものに加えて詳細なロスチャイルド家の歴史を記述している。しかし、日本語版では紙幅の都合とともに慣れない語句から読者が混乱するかも知れないことを配慮して、アメリカ版よりも開設を増補し、また、ロックフェラー家(前章)同様に章末に基本的な参考文献を掲げた。さらに機会があればアメリカ版にも当たって頂ければ幸いに思う。
 さて、一八世紀のユダヤ人はゲットーで生活するような居住制限されていた。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド一世)はフランクフルトのゲットーに住んでいた。
ユダヤ人(という人種は存在しない。)は外部のものから抑圧されており(「嘘」貴様らはパレスチナ民族浄化の計画を練っていた)地理的に孤立した自給自足の社会で暮らしていた。ヨーロッパのユダヤ人社会は全ゲットーをつなぐネットワークを利用していた。
 ヘブライ文字は効果的な暗号の一つであった。迫害と抑圧のためにユダヤ人社会は非常に緊密で高度に組織化され、キリスト教徒に根深い敵意を抱いていた。
 キリスト教徒が利子をつけて金を貸すことを禁じていたため、金貸し業はユダヤ人が独占した。一六世紀のドイツのテュルン=タキシス家の貴族たちが郵便事業を開始すると、マイヤー・アムシェルは彼らに金を貸した。
「一家(ロスチャイルド家)は、チュルン=タキシス家が勝手に手紙を開封し、おそらくはその内容を漏らしたり、私益によって配達を遅らせたり早めたり出来ることを見抜いていた」
これによって利益を得たマイヤー・アムシェルはよくキリスト教徒を雇ったが、その事業と銀行業務はたいてい固い結束で結ばれた一族によって経営されていた。キリスト教徒の雇用例としては、マイヤーアムシェルが自分の手紙の代筆にキリスト教徒の若い女性を用いている。
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドとその家族は心底ユダヤ人であった。(タルムード信者→ユダヤ人以外は「ゴイム(豚)」)彼は自分の息子たちの妻を、その妻が一族にもたらす事業利益によって選んだ。長男はこれに満足していなかった(それどころか、愛していた女性との結婚を反対されて恨みに思っていた)が、父の選択に従った。アムシェルの娘たちはみな銀行家−−−ウォルムズ、シシェル、ベイフェスに嫁いだ。マイヤーには十人の子供がいたがみな家業に従事していた。ユダヤ人は子供の頃から全災難はキリスト教徒のせいで、キリスト教徒は恐れ憎むべき存在であると教えられた。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは秘密の地下通路を持っており、そこに置かれた馬車は言わば、ずらっと並んだ秘密の引き出しで、蜂の巣状になっていた。
 ナポレオン戦争はロスチャイルドの事業を大いに助けた。ロスチャイルドはナポレオンさえも出し抜いた−−−というのもロスチャイルド家には非常に優れた繋がりがあったからである。ロスチャイルド家はナポレオン・ヨーロッパによるイギリス封鎖時に密輸を行い何百万も儲けた。「この時期ロスチャイルド家は常に方針を変え、いかなる種類の政治的公約も避けるようにいつも画策していた」
 マイヤー・アムシェルが計画していたことの一つは、自分の五人の息子たちをヨーロッパの主な首都のあちこちに送り込むことだった。そして、長男アムシェル・マイヤー(ロスチャイルド二世)はフランクフルトに留まり、次男のソロモン(サロモンとも称される)はウィーンに派遣され、三男ナターン(ネイサンとして知られる)はロンドンに、四男カールはナポリへ、五男ヤコブ(同ジェームズ)はパリに赴いて、それぞれロスチャイルド家を立てる。
 この頃ユダヤ人の金貸し業が社会的地位を得たのは、商人や事業家を援助したからだとアンカは見ている。利子を取ることが社会から認められるようになる以前から証人たちは事実上、何世紀というあいだ借金をし続けて来た。そうした中に利子が正当だという虚偽を世間が受け入れるようになったのは、一九世紀に大新聞を所有し支配していた人々−−−つまりユダヤ人とフリーメーソンによるところが大きい。
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フリーメーソンの「悪魔の目」
サバトの幻影

http://takao-sato.seesaa.net/article/256992083.html?1332682938

人類家畜化計画の正体
http://takao-sato.seesaa.net/article/253179716.html?1332683134

また、この形による借金の結果、仕事が頻繁した人々にとっては貸付けの返済や利子の支払いという債務は以前より厄介なことではなくなった。「ユダヤ人の金貸し業者は吸血鬼であることをやめ、それどころか借り手の協力者を装い「新たなる偽の神【マネー】の創出に至る計画を練った。」−−−ただし、、借り手は貸しての奴隷であり協力はほとんど望めないと聖書にある。
 いずれにせよこの風潮は社会的地位ばかりでなく、ユダヤ人金貸し業者の財産を雪ダルマ式に増やすことにつながる。特に君主たちへの融資事業は金になった。そして、難攻不落のロスチャイルド家を築き上げたいくつかの特徴はゲットーでの生活で培われた。
「フランクフルトのゲットーが彼(ジェームズ・ロスチャイルド)に授けた偉大な才能は、順応性、野心の原動力に見合った才能、桁外れのエネルギー、非凡な集中力、そして(キリスト教徒に対する)復讐への決意である。ジェームズは世界における地位の構築に取り掛かった」
 ロスチャイルド五兄弟はそれぞれヨーロッパの五大首都で通常の郵便よりはるかに早い独自の密使制度を設立する。彼らは政治にしろ経済にしろ、君主たちを含む誰」よりも早くニュースを手にした。「このようにロスチャイルド家は大臣たち(政府)を含む誰より早くニュースを知った。また、その利用の仕方も心得ていた」「未来を知ることでぼろ儲け出来ることにどこか似ている」。ロスチャイルド家間の通信は暗号で行われた。一家の世界は、金融、政治、秘密が一体化した世界であった。反ナポレオン時代、ロスチャイルド家はその富を十倍に増やした。(ワーテルローでのナポレオン敗退のニュースをいち早く知ったネイサン・ロスチャイルドが、情報操作を施してロンドン証券市場で巨富を得た有名なエピソードもこれによる一つである)。
「その上彼(ジェームズ)は、岩のごとき不屈不動の精神を持っていた。これを築き上げた彼の家族というのが、拳のように固く結ばれ、相互信頼と秘密の見えない壁によって団結しながらも、同時に外部の世界にも広く開かれたあの一族である。ロスチャイルド家の団結力の強さは、一人や二人抜けたとしても一家全般の防備体勢には何ら影響が無いほどであった」
 ロスチャイルド家は独自の諜報機関を使ってスパイ活動やその他疑わしい破壊活動を行ったが、いずれも真相は突き止められなかった−−−マイヤー・アムシェルとその息子たちの不正が見破られそうになるたびに、誰かしら地位の高い人物が介入して来て調査を中止させた。要するに厳密に言うとロスチャイルド家は不法行為によって金を儲けた。最初の多額の儲けは、ヘッセン選帝侯から引き受けた大金を支持通り国債に投資せず、もっと利益の大きな投資に注ぎ込んでおきながら、選帝侯には国債の利益分しか渡さないで得た金である。アンカはこう書いている。「選帝侯はまったく気付かなかったが、例えわかったとしても背反であるとして訴えることはまず出来なかったであろう」
 以上ざっと概説したことをまとめると、ロスチャイルド家のマフィアのような結束の強さと、主要首都全てに一族を据え、迅速かつ秘密裏のニュース/諜報/郵便の独自の個人機関を持つという戦略により、同家にあらゆる種類の事業機会を操作することが出来るつてと権力をもたらしたということである。

※−−−ロスチャイルド家の名の起こりと赤い盾=ソロモンの封印

ロスチャイルド家の紋章、「赤い盾」.jpg
 さらに前項に付言するなら、ロスチャイルド家の祖先についてとなろう。同家の祖先の中にはユダヤ教のラビ(導師)をしていた者が数人おり、ロスチャイルドに改名する前の一族の初期神秘主義は、ユダヤ教カバラ主義、安息日厳守主義、フランク主義の形をとっていたと信じられている。つまり、ロスチャイルド家はバビロニア魔術に重点を置いたグノーシス派悪魔崇拝を実践していた。当然ながらロスチャイルド一族の者は皆、自らを悪魔崇拝者と称することは無い。しかし、我々の基準からその秘密の儀式や供犠を考えると、同家は、まさに悪魔崇拝者なのである。なお、秘密の聖典に載っている同家秘伝の家系図によると、遠祖は偉大なバビロニアの武人統治者ニムロデ(『聖書』でのバベルの塔の建設者)の子孫であると言う。
 近世に至り、ロスチャイルド家の姓がドイツ・フランクフルトで始まった。ちなみにフランクフルトは、当時、最も紙幣が普及していた都市である。これまでにわかっている最古のロスチャイルド血統は、ユーリ・ファイバッシュという名の一六世紀初期の人物であると言われている。そして、この子孫は「赤い盾の家」に住んでいた。この一人にファイバッシュの曾々々々孫にあたるモーゼス・バウアーという一八世紀初期の人物がいる。この頃の一族のほとんどは小売業者としてフランクフルトのユーダンガッセ、つまり、ユダヤ人街に住んでいた。ユダヤ人街はヨーロッパの反ユダヤ主義的傾向の産物で、生活状況はあまり良い物では無い。そして、当時のアシュケナージ・ユダヤ人(ヨーロッパ中部及び北部のユダヤ人)のほとんどが姓を使用せず、代わりに一族の身元を表す家紋を使う習慣の方を選んでいた。
 こうした家紋は主にユダヤ街の表側にそれぞれの住所を示すものとして掲げられ、看板に使われることもあったし、姓のようにその家の者を指すのにも使われたのである。もちろん、ユダヤ人の中には自らふさわしい姓をつける者もいたが、家紋を使う方が一般的だった。モーゼ・バウアーはこの少数派だった訳で、初期のロスチャイルド家はバウアー(ドイツ語で農民の意)という姓を選択していた。だが、小売業者一家が何故農民(バウアー)と名乗ったのか。おそらく人目につかないようにということだったのだろう。バウアーの家系は今日まで存続しているが、一七〇〇年代のいつか同家の一人の男が、一族の自分の一派をその家紋−−−「赤い盾」言い換えれば「ソロモンの封印」―――にちなんで改姓した。
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5カ国に散った兄弟はその結束の固さから「ファイブアローズ」とも言う。赤い六線星形六光芒星」ダビデの星(魔方陣)

いずれにしろ、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドはフランクフルトの裕福な貨幣商であり、その家の前には看板が掲げられ、そこには家紋である赤い六線星形〔六光芒星」(形)とも言う悪魔崇拝のシンボルマーク〕が描かれていた。六線星形−−−ダビデの星とも通称される。
土星.jpg
土星(サターン=サタン〔悪魔〕)→絵画などに描かれている天使の輪は土星の輪である!

−−−は非常に神秘学的である。ちなみに今日、イスラエルの象徴として使用されているが「ユダヤ人特有」のものでは無い。O・J・グラハムはその名著六光芒の星」の中で六線星形は古代の秘教で使われていたと説明している。六線星形はモロク(子供を人身供犠にして祭ったセム族の悪魔)、アシュトレト(アスタロト。古代セム族の女神)ほかの象徴だったのである。さらに言うと六線星形は「サターン」(土星)を表す象徴として使われていたが、このサターンは「サタン」(悪魔)の秘教語であることが確認されている。
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小悪魔モロク           アスタロト(アシュトレト)

 
また、六光芒の星は東洋の陰陽の象徴に相当するものと考えられており、善と悪の均衡という魔王崇拝の概念を表している。ついでながら、通称の一つは、ソロモン王が背教者となった時に使ったことに由来すると考えられており、それ以降ソロモンの封印と呼ばれるようになった。のちにユダヤ教カバラ主義がこれを魔術的象徴として取り上げた。さらにカバラ主義者やシオニストの振興を通してソロモンの封印はユダヤ人(何度も言うがそんな民族は存在しない。「嘘」)のアイデンティティーの象徴となったが、神秘学界はその本当の意味を知っている。
 バウアーの姓に至っても、六線星形が家紋として使われていたことは一族のユダヤ教カバラ主義と係わり合いの密接さを示すものだ。事実、六光芒の星は先のある一人の男≠ノとって非常に重要な意味を持っており、マイヤー・アムシェル・バウアーが新しい名前−−−マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(Rot-schild ロートシルト=ドイツ語で赤い盾)−−−に採用したほどだった。これは一族をサターン(アシュトレト〔アスタロト〕崇拝)など神秘主義と結びつけるためで、例えばアスター家などもアシュトレトにちなんで名づけられたドイツ系ユダヤ人カバラ主義一族である。
 ユダヤ人のほとんどは、彼らの大事なダビデの盾(ダビデの星)に神秘額的意味を見出すことに関心など無い。実際にダビデ王には六線星形など何の関係も無く、その息子ソロモンがアシュトレト(星−−−またはアシュタルト、チウン、カイワン、サターンとしても知られる)を崇拝し始めた時に関係が出来た。ソロモンはこの星(つまり土星)に向けて祭壇を建てた。土星というと農耕神サトゥルヌス(=クロノス)が連想されるが、サターンもアシュトレトも他に多くの名前で呼ばれて来た。
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カニバリズム・ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」=クロノス=サタン。

 
サターンはこの閨閥がはるか昔から代々引き継いで来たものを理解するための重要な鍵である。ローマ市はもともとサターニアまたはサタンの町として知られていた。ローマ・カトリック教会の儀式の中にはサターン崇拝の要素が多く入っている。サターンはまたルシファーとも関係があり、様々な神秘学辞書では悪と結びつけられて考えられている。サターンはミトラ(ペルシャ神殿の太陽神・光明神でまた戦闘の神)信仰にとっても、ドルイド(キリスト教改宗前のケルト族の僧)教にとっても重要であった。
 そうして、ロスチャイルド家は、時代の波の中にフランクフルトとナポリのロスチャイルドが姿を消す一方、ロンドン、パリ、ウィーンではますます栄え、一九世紀〜二〇世紀に入りアメリカが世界経済の中心地化するとともに陸続としてここに入って来る。

※−−−ロスチャイルド家のアメリカ上陸と代理人≠スち

 「預言者」としてのロスチャイルド
なんにしろ、この国際銀行家たちの話すことを聞いたりその著書を読んだりしていると、一つのことが浮かび上がって来る。それは、彼らが世界を動かしているのは金だと信じているということである。金があれば何でも出来る。金は「神」であり、崇拝され奉仕される物であるという考えだ。使い切れないほど貯めたあとでさえも、金の信者である一族はこの邪神ながら有力な神に魂を売り続けている。
 詩人であり、哲学者であるハインリッヒ・ハイネ(父は一族の銀行家)はこう言っている。「金は我々の時代の神であり、ロスチャイルドはその預言者である」。ロスチャイルド家にならって、ユダヤ人であるハインリッヒ・ハイネは署名の際にソロモンの封印を描いていた。
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ソロモンの封印(ペンタクル)五芒星      五芒星(陰陽五行説)

 かつてアムシェル・ロスチャイルドは「私に一国の経済を管理させてくれ。法律は誰が作ろうと構わない」と言ったと報告されている。今日アムシェル・ロスチャイルドの子孫は月に二回ロンドンに集まって、世界に対し金塊の世界価格を指図している。また、連邦準備制度がアメリカ財政をどう扱うかについても指図している。
 同時に、ロスチャイルド家には金の他にまた別の神がいる。イギリス・ロスチャイルド宅の一つを常時訪問出来るほどの著名な証言者によると、ロスチャイルド家にはさらに別の神、悪魔も崇拝しているということである。一家の食卓には悪魔の席が設けられていた。ロスチャイルド家は何世代にもわたる悪魔崇拝者である。

 モルガン一族
さて、マサチューセッツの貿易商ジョージ・ピーポディは一八三七年、ロンドン銀行−−−ジョージ・ピーポディ商会を設立した。のちに彼はロンドンの「財政大使」と呼ばれるようになる。キャロール・キグリーは、イルミナティ・ピーポディ財団に見られるような、社会操作のため非課税財団を利用することを最初に行ったのは彼であるとしている。また、スカル&ボーンズのメンバー、ダニエル・コイト・ギルマンは、カーネギー協会の初代会長であるとともにピーポディ財団の設立に関わっていた。パワーエリートたちはギルマンを非常に尊敬し、イングランド銀行の向かいに彼の銅像を立てたほどであるからピーポディの位置もうかがえようというものだ。
 このピーポディの晩年、若いパートナーが必要となってジュニアス・モルガンがピーポディに推薦された。一八五四年にジュニアスとその家族はロンドンに到着しジョージ・ピーポディ商会に入る。パワー・エリートの仕組んだアメリカ南北戦争が勃発すると彼ら二人は北軍に資金を調達するとともに、南軍には軍需物資を出荷した。特にジュニアスはそのロスチャイルドの代理人の一人だとラルフ・エッパーソンは主張している。
 一八六四年、ピーポディが引退するとジュニアスが事業を引き継ぎJ・S・モルガン商会と改名。また、その年に彼の息子J・P・モルガンが新たなパートナーとなり、J・Pはアメリカに発ちニューヨークで同社代表を務める。フランス−プロイセン戦争終戦後のジュニアスは、フランス経済の復興を援助するように求められた。それはこの頃彼の銀行がロスチャイルド家のニューコートのライバルと噂されていたからだが、内実はジュニアスはロスチャイルドの代理人であり、ジュニアスが繁栄するとロスチャイルド家もイルミナティも繁栄したのだ。要するにJ・S・モルガン商会は、ロスチャイルド家のアメリカにおける手先の一人であった。
 一八六九年にはJ・P・モルガンがロスチャイルド家当主と会うためロンドンに向かってもいる。そして、一同はニューコートの合衆国代理人として機能する会社ノーザン証券結成計画を立てた。同社をJ・Pはロスチャイルドの代理人として支配していたのである。さらに七一年、J・Pは有力なフィラデルフィア銀行の相続人トニー・ドレクセルと提携を結んだ。二人の会社−−−ドレクセル・モルガン商会−−−は今日もモルガン本社があるウォール・ストリートの当時新しかった豪奢なビルに事務所を構えた。南北戦争終結時の自信喪失から合衆国が立ち直った後、金は大西洋を渡ってアメリカに流れ始め、ドレクセル・モルガン商会に莫大な利益をもたらし、同社は数を増やしていたアメリカにおける産業プロジェクトに融資を始める。モルガン一族は極めて裕福になりつつあった。
 やがてジュニアスは一八七九年に引退し、J・Pが引き継ぎJ・P・モルガン商会の名の下に再編成を行った。まもなく、J・P・モルガンは進行するアメリカへの金の一点集中化の象徴となった。J・Pは非常に独占的だった。代理人たちは「モルガン化」を通じてよくカルテルを結んだ。一八九六年までには「J・P・モルガンとグッゲンハイムの共同体」が経営するモルガン保証会社にペイン、ホイットニー、ヴァンダービルド家といったイルミナティ一族が皆預託口座を持っていた。また、ある時点においてJ・Pはアメリカ鉄道網の半分近くを支配していた。一九〇一年にアンドリュー・カーネギーのピッツバーグ製鉄所を基にして、ユナイテッド・ステーツ・スティール社を一四億ドルという「前代未聞の」額を投じて設立した。J・Pはイルミナティの「大計画」を進める共同努力のために金融シンジケートを生み出す達人だった。
 他方、一九〇〇年にはウィリアム・マッキンレー大統領が反トラスト法下ロスチャイルドのモルガン≠ェ経営するノーザン証券を追求し始めた。すると翌〇一年マッキンレーは二期目に打って出るのだが、新副大統領にどこをどうとってもイルミナティそのもののセオドア・「テディ」・ルーズベルトを指名させられた上、当選後一年も経たないうちに彼は暗殺された。「テディ」が大統領になるとノーザン証券の追求は止んだ。この理由によりマッキンレーの死は、J・P・モルガンとロスチャイルド家の命令によるものだと考える人もいる。
 いずれにせよその結びつきっぷりは、J・Pがロスチャイルドの代理人のオーガスト・ベルモント・ジュニアの助けを得て、ゴールド・シンジケートを設立し金塊六五億ドルを調達したこと(この金は公債の発行によって支払われることになったが、J・Pはそれに厳しい条件をつけてかなりの批判を受けている)、一九〇七年初期の五ヶ月間、J・Pはヨーロッパにいてロンドンとパリの間を往復していたことで確認し得るものだ。後者についてはA・ラルフ・エパーソンが告ぎのように書いている。「行き来していたのは、おそらく両地のロスチャイルド家を訪れていたと思われる。モルガンがヨーロッパにいた理由は、アメリカの銀行恐慌にモルガンを参加させようという決定が下されつつあったからであるというのは明らかだ。モルガンは戻って来るとニューヨークのニッカーボッカー銀行が債務超過であるという噂を流し始めた」。その結果恐慌が起こった。人々は自分たちの預金をまとめて引き出し始めた−−−つまり取り付けである。ニッカーボッカー銀行の取り付け騒ぎはドミノ効果を生み他行にも取り付けが及んで一九〇七年恐慌は「完成した」。
 J・P・モルガンは一九〇七年の恐慌に対する銀行業界の反応をうかがっていた。また、この事件全体は中央銀行を求めるパワー・エリートの盛んな要求を助長した。この陰謀について知っていた者の一人に歴史家のフレデリック・ルイス・アレンがおり、『ライフ』誌にこう書いてある。「・・・・・・・ある年代記作者たちは、モルガン財閥が一九〇七年秋の不安定な情勢を利用して同年恐慌に陥らせ、恐慌が進行するにつれライバルの銀行を絶滅させるように抜け目無く仕向け、モルガン勢力の銀行の卓越を強化したという独創的な結論にたどり着いた」。そして、この恐慌により人々は、一般庶民を「ウォール・ストリートの銀行家たちの悪弊」から「保護する」ことが出来る強力な中央銀行を求めた。この一件は結局、連邦準備制度の創設へとつながって行く。
さらにイルミナティとの関連では、モルガン金融グループのメンバーの一人にハドルド・スタンレーという人物がいた。彼はスカル&ボーンズのメンバーであり、J・P死後のモルガン系の会社の一つはモルガン・スタンレー商会となっている。J・Pの死去は一九一三だが、ハーバード大学で教育を受けたその息子J・P・モルガン・ジュニアが後継となり(陰謀作家のほとんどがこの二人をはっきりと区別し得てない)トーマス・ラモント率いる支配人チームと経営に当たったこと自体はさして重要ではない。肝心なのはモルガン・ジュニアは父親に似て権力に貪欲な国際銀行家であったこと、そして最も重要なのは彼がモルガン一族の前家長たちに習ってロスチャイルド家とともに仕事をしたという点である。
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J・P・モルガンとジェイコブ・シフ


  シフ一門
シフ家はロスチャイルドとモルガンを結び付けるとともに、同家自身は永遠にロスチャイルド家とともにあるかのように、かつてフランクフルトの家に同居していたこともあった。当然のようにシフ家はロスチャイルド家の代理人となり、代理人のほとんどがそうであるように非常に裕福かつ有力になった。このシフ家で最も有名なのはジェイコブ・ヘンリー・シフである。ジェイコブは一八四七年フランクフルトに生まれ、ロスチャイルド−シフのネットワークによアメリカに送られて世に出た(アスター家が送ったジョン・ジェイコブ・アスターとよく似ている)彼のニューヨーク入りは一八六五年だが、その十年後にはイルミナティの会社クーン・ロエブ商会のパートナーとなり、そのまた十年後には同商会の会長になっている。この権威の座からロスチャイルドやイルミナティの問題を指揮していたのだ。
 ジェイコブ・シフはまたセントラル・トラスト社、ウェスタン・ユニオン、ウェルズ・ファーゴ社の重役の一人でもあった。パワー・エリートのほとんどがそうであるようにジェイコブも慈善事業に莫大な金を寄付した。慈善は支配階級にとってのある種免罪符のようである。いや、隠れ蓑といった方が正しいのだろう。(←これは、「一流の悪魔は、一流の慈善家でなければならない」という掟があるためである。)彼の行動は表と裏に二分していたからだ。最も大掛かりなものは対ロシアへの対応であり、共産主義体制への「ノー」を口にしながら、レーニンらロシア革命団体を支援していた。ロシア革命につながる日露戦争において、戦費にあえぐ日本の外債を唯一、一手に引き受けたのも彼だった。
 ちなみに、レーニンは中央銀行の設立によって国家の共産化は九〇パーセント終わったようなものであると述べているが、そうしたレーニンに(トロッキーにも)ジェイコブ・シフはロシア革命中にMI6のスパイを重要な地位につけるよう要求している。さらにこうしたスパイ連中は遠くイギリスのロンドンにいる悪魔崇拝のパワーエリートによって操作されているのは言うまでも無い。この点でジェイコブ・シフと同様なのだ。
 もっと言えば、ロスチャイルド家が国際銀行業務の中で、またビクター・ロスチャイルドのように様々なロスチャイルド家の人々がイギリス諜報部で重要な役割を果たしていることは秘密でもなんでもない。この二つのことは明白な結論であるところの事実、つまりロスチャイルド家が世界支配及び新世界体制において重要な立て役者であるということを痛感させる。

※−−−スプリングズ家ロスチャイルドと第十三血流≠フペイサー家

 「悪魔の精選血統育成計画」は、公の目を逃れ何世代にもわたって続けられて来ている。アメリカにおけるロスチャイルド血流の最強一族はスプリングズ家である。同家は一七〇〇年代半ばアメリカにやって来て、ニューヨークとニュージャージーに居を構えた当初はスプリングシュタイン家と言っていた。その後身元を隠すためにスプリングシュタインからスプリングズに名を変えたのである。
 そして同家のリーロイ・スプリングズはL・C・ペイサーに雇われた。ここで、L・C・ペイサーとは何者かと思われるアメリカ人がほとんどだろう。北米で最も神秘的で有力な一族の一つがペイサー家である。同家は非常に有力で、その富と権力を隠しほかの悪魔崇拝一族を代理人として使うことが出来るほどである。ペイサー家は十三番目の血流≠フ一つなのだ。
(参照;「聖なる」ダビデの血流 イルミナティ第十三番目)
http://takao-sato.seesaa.net/article/230221043.html?1332708217

アメリカにやって来た最初のペイサーはフランスの前皇太子ダニエル・ペイサー(一七八五〜一八六〇年)であった。一八〇五年頃合衆国に渡りスザンナ・キサーと一四年前後に結婚。アダムとジョナス(一八一九〜八四年)という二人の息子をもうけ、ジョナスはハリエッタ・スミスと結婚し、ルイス・キャス・ペイサー(一八五〇〜一九三九年)が誕生した。彼こそが、ロスチャイルド血流であるスプリングズ家を雇い、自家の会社多数の経営を任せた人物である。
 ペイサー家はアイザック・クルームやウィリアム・H・ビーティーとともに初期大鉄道王国の一つをつくるが、アイザックの妻はウィリアムの妹であったとくれば、こうしたパワーエリート血流全体が、お互いどんなに絡み合っているか読者にもお分かりだろう。ともあれ、L・C・ペイサーがリーロイ・スプリングズを雇って自分の会社多数を運営させたことを記憶に留めて置いて頂きたい。リーロイ・スプリングズの父はA・A・スプリングズで、このA・A・スプリングズはあのアブラハム・リンカーンの秘密の親だからだ。

※−−−錬金術魔術に始まる流れとアブラハム・リンカーン

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アブラハム・リンカーン

 一八〇八年、マクアーデン一族のスコットランド家血筋であるナンシー・ハンクスはノースカロライナ州リンカントンにいる一族何人かを尋ねた。そしてスプリングズ家を尋ねた際、その時A・A・スプリングズがナンシーを妊娠させ、生まれた子はアブラハム・リンカーンと名づけられた。アブラハム・リンカーンのロスチャイルドの血は極秘とされていたが、アブラハムは立派に成長して著名な弁護士となり、薔薇十字会の隠れた指導者も務め、さらには合衆国大統領となった。この事実に対して体制派陰謀団が何も無いところからトーマス・リンカーンという人物をでっち上げたのだと思われる。実際のところアブラハム・リンカーンの初期の経歴は伝説や神秘の中に隠されており、ある百科事典が書いているように「リンカーンの母、ナンシー・ハンクス・リンカーン方の家柄についてはほとんんどわかっていない」のである。
 弁護士時代アブラハム・リンカーンは、これまたパワーエリートの血筋であるドイツ国王レオポルドの私生児エリザベスと密通した。一八五六年アブラハム・リンカーンとエリザベスの間にエラとエミリーという双子の娘が生まれたが二人とも養子に出された。実のところリンカーンにはかなりの数の私生児がいる。
 さて、リーロイ・スプリングズとアブラハム・リンカーン双方の生物学上の父であるA・A・スプリングズは、息子のアブラハム・リンカーンに対して現在のアラバマ州ハンツヴィルに広大な土地を残した。アラバマ州ハンツヴィルというと新世界秩序体制の温床となっているところである。諜報機関がずっと行っているマインド・コントロール研究の一部はハンツヴィルで行われている。
 ロスチャイルド家はアブラハム・リンカーンにちなんで一族の男子を一人にリンカーン・ロスチャイルドという名までつけている。しかし、協力な神秘学的血を隠し持ってはいたが、アブラハム・リンカーン自身は偉大な人物だったと言える。また調度JFK(ジョン・F・ケネディ)が同様、リンカーンはイルミナティの指示を拒むだけの強い性格の持ち主であった。そして、遠い親戚でヨーロッパの国際銀行家ロスチャイルドがアメリカに対して望んだこと進路を行くことをリンカーンは拒んだ。イルミナティの目標はアメリカを支配しやすいように二つの国に分けてしまおうと言う物であった。同じくイルミナティの十三血流の一つの出であるJFKの場合と同じように、国防総省長官など政府の役人を巻き込む大規模な陰謀がリンカーン暗殺のために企てられた。ロスチャイルド家が裏でリンカーン暗殺に関わっていたことを指摘している事実はたくさんある。
 話を戻して、十三番目の血流のペイサー家のために働いていた者には、さらにアンドリュー・カーネギー、J・P・モルガン、ヴァンダービルド家、ジフォード・ピンコット、ジョン・D・ロックフェラーがいる。彼らがペイサー家の会社を経営するよう選ばれたのは悪魔崇拝エリートの一員であるという理由からであった。そして、その結果は連邦準備制度理事会の創設に狙いがあった。
 連邦準備制度については後述するとして、ペイサー家での結集は当項冒頭に触れた「悪魔の精選血統育成計画」を含めた悪魔主義そのものにもあったろう。
 ペイサー家についてはここでは、マイケル・ベイジェントほか著の『レンヌ・ル・シャトーの謎−−−イエスの血脈と聖盃伝説』(邦題−林和彦訳、柏書房)などの一読をお勧めして先を急ぎたい(詳細は「聖なる」ダビデの血流 イルミナティ第十三番目http://takao-sato.seesaa.net/article/230221043.html?1332708217)
 フリーメーソン運動や薔薇十字会運動の起源は中世の錬金術たちにある。フリーメーソンを代表する哲学者マンリー・P・ホールは次のように書いている。「中世の時代、錬金術は哲学や科学であるとともに宗教でもあった。当時の宗教的制限に対し反乱を起こした人々はその哲学的教えを錬金の寓話の下に隠していた。このようにして錬金術師は個人の自由を守り、嘲笑はされたものの迫害は逃れた。錬金術は三要素からなる術で、その奥義は三角形によって上手く象徴されている」(『全世代の秘教の教え』)。ほかにも彼はその名も『魔術』と題する著作の中で「・・・・・・・五角の星形である。これは中世の錬金術では割れた蹄の印として知られていた・・・・・・・」と語っている。
 水銀(初期のアスター家が取り引きしていた物の一つ)は錬金術の変成に使用されていた主要アイテムの一つであった。水銀を使って発生させた酸素は魔術的で神秘学的意味において神(悪魔バアル=ベルゼバブ)オシリスと同一視されていた。読者はすでに見抜かれているかも知れないが、錬金術(アルケミー)は古代エジプトが起源の錬金魔術を実践していた。錬金術(ヘルメティック)は本当のところ秘教である悪魔崇拝的魔法の隠れ蓑だったのである。錬金術師の第一人者はドイツのリチャード・バウアーで一四世紀か一五世紀のある時期を生きた。リチャード・バウアーは鉛を黄金に変成することに成功した唯一の錬金術師と言われている。この噂が比ゆ的な意味を持つものなのか、それとも他の意味を持つものなのかは見当がつかない。ここで私が伝えようとしていることは、バウアー家が主要な錬金術一家であり中世後半に隠れて錬金術魔術を実践していたということである。
 そして一八三七年、その年の恐慌の真っ只中にこの流れを汲むとされるオーガスト・ベルモントが合衆国にやって来た。彼がロスチャイルドの代理人であることは全ての証拠が示している。ベルモントはこの恐慌の中で公債を買い上げて成功し、遂にはホワイト・ハウスに上がり「合衆国大統領の財務顧問」となった。そして、ベルモントの方針に助長されて北部は南部に対抗し、あの南北戦争が起こったのである。
南北戦争中の複雑な人間関係やイルミナティの陰謀について述べると一冊の本になってしまうが、簡単に言うと、アメリカには忙しく働いているロスチャイルドの代理人たちがおり、その目的は合衆国を二分するものだったということだ。そして、アブラハム・リンカーンは隠れたロスチャイルドの血流であったため一族はすべて基盤は整ったと考えていたが、アブラハム・リンカーンの個性が支配するにはあまりに強すぎたのと帝政ロシア皇帝から軍事援助を受けていたので、アメリカを分割するというイルミナティの計画はくじかれたのだ。

※−−−アメリカ連邦準備制度が画策・成立されたジキル島での出来事

 前述したように、イルミナティの「金融グループ」の願いはアメリカに中央銀行を設立することであった。そのため彼らは連邦準備制度を打ち立てることを考える。まず必要だったのは世論を連邦準備制度へと持って行くための一連の銀行危機であった。一九〇七年のJ・P・モルガンのニうッカーボッカー恐慌を含むこうした銀行危機はイルミナティの手によってもたらされた。次に必要だったのは都合のいい合衆国大統領を席につけることだった。ロスチャイルドの代理人ハウス将軍はウッドロー・ウィルソンを選出してこれを実行した。アメリカの人々はイルミナティの思惑通りに仕向けられようとしていた。
 「アメリカの銀行制度の改革」を行うために連邦会議の全米通貨委員会が設立され、ロックフェラーと姻戚関係にあるネルソン・オールドリッチがその管理を任された。二年間この委員会はヨーロッパ中を回ってイルミナティと懇談し、どのように中央銀行を立ち上げるべきかについて指示を受けた。
 そして一九一〇年に委員会は帰国し、ネルソン・オールドリッチはジョージア州ジキル島(この島はペイサー所有)ハント・クラブの秘密の会議に赴き、イルミナテイ経営によるアメリカの中央銀行制定法を書いた。ジキル島会議は出席者は次のイルミナティのメンバー−−−A・ピアット・アンドリュー、フランク・ヴァンダーリップ(クーン・ロエブ商会)ヘンリー・デビッドソン(J・P・モルガン)
チャールズ・ノートン(モルガン系銀行、)ポール・ワーバーグ(クーン・ロエブ商会、シフトは義兄弟)、ベンジャミン・ストロング(モルガン系企業)などがいた。こうした者たちのほとんどがジェイコブ・シフかJ・P・モルガンとつながっており、さらにこの二人はロスチャイルド一族の代理人である。ハント・クラブはJ・P・モルガン所有でもあった。連邦準備法案は一九一三年冬にこっそりと議会を通過し、ウッドロー・ウィルソン大統領がこれに署名し法律化された。イルミナティ、特にロックフェラー家とロスチャイルド家は合衆国の金融権力を奪取した。
 ニューヨークの連邦準備銀行の初代総裁はベンジャミン・ストロングである。また連邦準備制度理事会(当時、連邦制度準備局)の初代理事長はイルミナティの「金融グループ」の有効な手段だからだ。それは小さな恐慌を少なくした代わりに、大恐慌(一九二九年)を引き起こした。明らかに(連邦議会下院議員ルイス・マクファーデンによると)大恐慌のおかげで合衆国に対する金融権力が強化され、合衆国はJ・P・モルガンのファースト・ナショナル銀行グループやシフのクーン・ロエブ経営によるナショナル・シティー・バンクと、ロスチャイルドの銀行業務提携の支配下に置かれたと言える。また、大恐慌の結果ルーズベルトのニューディール政策が生まれた。
 以来、ロスチャイルド家はずっとアメリカの金融政策に影響を与え続けている。フランスのビルダー・バーグ指導者エドモンド・ド・ロスチャイルドは、ロンドンのシティのマーチャント・バンカー数人と組んで、一九七一年八月一五日の合衆国の一方的なブレトン・ウッズ金融取引所からの撤退宣言を仕掛けた人物である。この宣言をした表向きの人物はリチャード・ニクソン大統領であるが、これを仕組み、世界中のドル保有者がそのドルをもう金塊に替えることが出来ないという宣言によって得をしたのはエドモンドたちである。

※−−−ロスチャイルド家の悪魔の神殿「ナパ・ヴァリー」

 連邦準備制度はイルミナティの完全な勝利で終わった。では、先述した結集のもう一つの狙い、悪魔主義の方はどうだろうか?イルミナティは合衆国中に神殿≠建設しており、ラスベガスに建てられた巨大なピラミッドなどはその例である。ピラミッドは他にもサンフランシスコ(トランス・アメリカ・ビルディング)、シカゴ、その他とう東部のあちこちにも建てられている。サンフランシスコ・ビルディングはロックフェラー家とつながりのある人々によって建設された。
 そしてサンフランシスコの真北、ボヘミアン・グローブの東にはカリフォルニアのナパ・ヴァリーがある。悪魔教会の指導者でもあり創始者でもあるアントン・ラヴィは、アクィノと分裂したあとナパ・ヴァリーに移って来た。ちなみにラヴィは一九八〇年代にカリフォルニア州ナパで建設会社を経営している。ナパの悪魔教会の心地よさを思うと、フィリピ・ド・ロスチャイルド男爵夫妻がこの地を選んで秘密の悪魔寺院を建てたのも驚くに当たらない。
 ロスチャイルド男爵はナパ・ヴァリーでピラミッドの建設を始め、男爵の死後は夫人が完成させた。ピラミッドはオーパス1と呼ばれている。ピラミッド建設に参加した建設者の一人によると、このプロジェクトには三五〇〇万ドルかかったということだ。公開されている様々な建設費用報告書は、この建設者が実際の建設費用であると言ってる額より相当少ない。
 ともあれ、テーマである数字の3や6が大オーパス1ピラミッド・ビルのあちこちに配されており、もちろん666という数字もあった。また小さな輪もしばしば見られる。ビルの名前のオーパス1とは作品第一号という意味である。神殿の隠れ蓑や口実はあるが、オーパス1はワイナリーである。また、奇妙にもこのワイナリーは正統な形で操業している。
 一方で、このプロジェクト全体は、用地買収からオーパス1の建設及びその操業に至るまで秘密に包まれている。伝統的で通常に開業するカリフォルニアのワイナリーはオープニング・セレモニーさえ秘密に包まれている。伝統的で通常に開業するカリフォルニアのワイナリーはオープニングを大々的に一般公開するが、オーパス1はオープニングセレモニーさえ秘密に包まれていた。開業宣言の声は低く、選ばれた人々や選ばれた国際メディアの手合いしか招待されなかった。ナパ・ヴァリー地区のワイナリーとして極めて異例であるのは間違いなく、他とは違ってオーパス1を個人的にガイド付きで見学ツアーすることは難しい。さらにワイナリー(ここでは「神殿」と言った方がいい)のある土地は非常に保護、隔離されている。錬鉄製の門はいつも閉ざされたままだ。さらに私はオーパス1の見学にこぎつけた三人のグループからじかに話を聞くことは出来たが、ツアーの間このグループは神秘学的かつ悪魔崇拝的なものを多く目にするとともに、ワイナリー(神殿)の大部分が閉鎖されていたという。こうした構造は合衆国のどんなワイナリーとも似ているところが少しもない。
 同プロジェクトは一九七九年に始まった。土地が密かに購入された後、一九八〇年代後半に遠方から呼んだ建設業者を使って静かに建設がされた。不思議なことに、建設活動全てに関する報道している。『ナパ・ヴァリー・レジスター』紙も何が建てられているかについて極度に沈黙を守った。完成した現在、空から見ると建物はフリーメーソンの定規とコンパスの形をしている。何部には隠し吹き抜け階段ほか隠された機能が作り付けられている。ピラミッドの頂上には円形広場があり、そこでは夜光が頂上に差し込み、外に目をやればナパ・ヴァリーの全景を望むことが出来る。
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ナパ・ヴァリー 

 ここで様々なフリーメーソンの儀式に参加しているロスチャイルド一族も多数いる。例えばルイス・ロスチャイルド。彼は一八九〇年代にシカゴでスコットランドの儀式により三十二階位を受けたフリーメーソンだが、彼がここを使う理由は、イルミナティに属する者たちがこの神秘的宗教の象徴に通じ、手信号や儀式、秘密主義の練習をもっと深めるためのいわば初期講習のようなものとしてフリーメーソンに利用されているからである。
 「暗黒の母」が使用する蘭がこの地域一帯には生育している。蘭はこの地に生える唯一の花の種類で、暗黒の母の服装の標準食である黒で全身まとめた、見るからにその筋の女性たちが世話をしている。
 ピラミッドはテキサスから持って来た石灰石で建てられている。この石灰石の産地に何らかの神秘学的意味があるのは間違い無い。神殿の石灰石自体には化石が埋まっているが、ある理由から簡単に見えないように隠されている(古代エジプトのピラミッドが石灰石を使っていたことを思い出して頂きたい)。
 当初オーパス1は夏至の頃に開業される予定であったが、ハロウィーン前日の一九九一年十月三〇日の木曜日にずらされた。開業日以来ロスチャイルド家は悪魔の祭日近辺に行事の予定を立てている。神秘学に詳しい人々は、こうした行事が行われている悪魔崇拝儀式の目くらましであるとわかっている。
 個人的訪問者がピラミッド内で目にした神秘学的なものの中には、悪魔崇拝者であるサルバドーレ・ダリによる酒祭神を描いたワインの本、裸の儀式の踊り手を描いた濃い藍色の絵、その他奇妙な神秘学的美術作品(悪魔のように見える油絵など)などがあった。重厚で厳格主義的オーク製の扉は、ワインの試飲をする部屋へとつながる廊下に面してつけられている。この場所には鏡がたくさんある。鏡に施されている細工はロココ調のものが多いロスチャイルド男爵夫人自らインテリアデザインしたり備え付けたりした。逆さまのピースサインがバレン材の家具にデザインされているのも見つかっている。ペルーから持ってこられた二本の「生命の木」は暖炉の脇に置かれている。生命の木はこのレベルのイルミナティにとって非常に重要な物である。訪問者たちは他にも、羊が描かれている三つのムートンの儀式用杯も目にし、前面の肘掛家けと脚の部分に悪魔の全体像が彫刻してある椅子が部屋の一つにあったのも見た。
 玄関広間はかたつむりかコークスクリューの中といった感じである。家具・調度品の多くは男爵夫人がメディチ家から購入した物である。床は様々な大理石で、蘭の飾られたテーブルがある。ワイナリーのステンレススチールや床はしみ一つ無い。
 そこで働く職人たちは雇われる前に事細かに調べられた。当初ワイン職人たちは黒いズボンに白いワイシャツを着用するよう求められたが、ぶどう踏みをしなければならない職人たちはこれに不服だった。
 極秘の目撃者によれば、ナパ・ヴァリーのワイナリーの何軒かはトンネルでつながっていて、イルミナティのメンバーであるオーナーたちが人身御供とする奴隷や人間を移動出切るようになっているという。
 双面神ヤヌスがオーパス1ワイナリーのロゴである。当初オーパス1ワインは選ばれた人々だけに売られていた。先ほどの写真にそれがある。

※−−−ラテン・アメリカにおけるロスチャイルド家の蠢き

 ところで、紙幅から、アメリカでの活動としながらも合衆国が主体となっているが、もちろんここに留まるものでは無い。南アメリカ出身の私の友人の一人がロスチャイルド財閥による南アメリカ破壊について個人的に証言してくれた。
 歴史を見ているとよく出て来て考えずにいられないのは、一九〇八年にはアメリカのモルガン家がボリビアに貸付けを始めており、一七年にはチャンドラー商会が二四〇万ドルの貸付けを行った。このように自由国家がイルミナティの国際銀行家たちに経済的奴隷と身を投じ始めた。問題はボリビアのような国は放っておいたとしてもずっと上手くやっていただろうという点である。人々は気付いていないが、こうした「バナナ共和国」が抱えている問題の大部分においてロスチャイルド家のような有力な外部権力が引き起こしており、その後、IMF(国際通貨基金)のような組織を指揮してこうした貧しい国々を「救う」のである。
 ロスチャイルド家がブラジルで操業を始めたときは永久にそこに居座るつもりだった。同家は一九世紀半ばにこの地にやって来た。そして、ロスチャイルド家ほかイギリスの財閥は法律にまでなったブラジルの鉄道制度において重要な役割を果たしている。鉄道王の秘密の歴史が合衆国における秘密のエリート集団について多くを明らかにしているのと調度同じことがブラジルにも言えるのだ。のちにはヘンリー・カイザーとネルソン・ロックフェラーがその資本主義的展望推進のため南アメリカ(ブラジルを含む)に移って来た。二人は一九五〇年代から六〇年代にかけてラテン・アメリカの軽工業化と経済的独立を促進≠オた。
 スクロール・アンド・キー・ソサエティーはエール大学にあるイルミナティの秘密の入会場所の一つであるが、ここはエリザベス・A・コブス著『金持ち隣人政策−−−ブラジルのロックフェラーとカイザー(The Rich Neighbor Policy : Rockefeller and Kaiser in Brasil)』に資金提供した(エール大学、一九九二年刊)。そこにはブラジル人たちはロックフェラーのことを合衆国へのつてとして見ていると述べられている。
 他、両家以外にもデュポン家などのパワーエリートたちがラテン・アメリカに対する多大な経済的支配力を持っている。

※−−−ロスチャイルド一族とイスラエル国家誕生秘話

 ロスチャイルドとユダヤ人の関係は誤解を与え易い。一族の姿勢は「親ユダヤ的」と公表されているし、一族はユダヤ人のための慈善事業に有り余るほどの寄付をしている。しかし一族のユダヤ民族援助は、ほとんどの場合ユダヤ人の生活の方向性を支配し一般のユダヤ人から利益を得るという唯一の目的のために利用されて来た。
 他方、ロスチャイルド家はよくユダヤ人の王家として描かれる。ロスチャイルド家の多くの主要人物は「ユダヤ人の王」と称されて来た。しかしロスチャイルド家はどの種のユダヤ教を支持しているのか。『旧約聖書』を信仰し非常に厳しい道徳律を持つ正統派ユダヤ教徒なのか。いや、違う。それではイエス・キリストが全人類を救うためにやって来た救世主(メシア)であると信じるメシア信仰ユダヤ教徒なのか。それも違う。ロスチャイルド家は、人を欺くグノーシス派及び神秘学的カバラ主義の教えのカモとなったユダヤ人を支援しているのであり、さらにはイルミナティが支配するシオニスト運動も支援しているのである。シオニストが全て陰謀に加担している訳ではないが、その現在の指導者やこれまでの最高指導者はロスチャイルド家の面々である。ものみの塔協会の創始者でアメリカにおけるシオニスト第一号チャールズ・テイズ・ラッセルがロスチャイルド家と交際していたのも不思議ではない。
 一八六三年、ゼヴィ・ヒルシュ・カリシャーはロスチャイルドに接近してエレツ・イスラエル全体の買収を提案した。ロスチャイルド家が最終的にイスラエルを創立するまで何年もかかっている。イスラエル創立の裏にはロスチャイルド家が主要な影響力を持っていたのであるから、イスラエルが国のシンボルマークとして一族の魔術的な「ソロモンの封印」を掲げていることは妥当と言える。
 イスラエルの超党派ユダヤ人は陸軍に勤務しようとはしないが、それは、現代イスラエル創立の裏にいるのが全能の神ではなく、それどころか神を信じない背教ユダヤ人富豪であることを知っているからだ。神を信じないものには仕えたくないという訳である。超正統派ユダヤ人たちはイスラエルが神の国であると宣言して飛び回るジェリー・ファルウェルのような人間が賢明である。ファルウェルのような人間は、原理主義者の内に秘めた力について語るユダヤ文書に繰り返し現れるタイプだ。最終的には何もかも神の思し召しであり、神はスターリンのロシアを支配し祝福したのと同じ意味で(←本の内容が改竄されている・・・)、アメリカやイスラエルを支配している。支配者を選んだ神に対する『聖書』の部分を曲解し、悪魔的で世俗的な共産主義の一国だけを祝福するかのように当てはめるのは矛盾しておrい、正しく真実の言葉を使っているとは言えない。
 ところで一九七四年、第四次中東戦争後の夏に私はイスラエルを旅行し、クネセトなどロスチャイルド家の金が建てた建物の多くを自ら尋ねる機会を得た。クネセトとはイスラエルの国会、アメリカの連邦議会議事堂にあたるものである。また、ロスチャイルド家の一人はその遺言でイスラエルで進行中の建設計画のために財産を残し、それをたたえてロスチャイルド家にちなんで名づけられた通りがエルサレムにはある。
 ところでイスラエル(パレスチナ)の地に限らず、ドイツ人とトルコ人はこれまでずっと近しい関係にあった。トルコからの「ガスタルバイター」(出稼ぎ労働者)にドイツで出会ったことが頭に浮かぶ。第一次世界大戦でトルコがドイツ側について戦ったことを読者も覚えておいでだろう。ロスチャイルドを含む数人の有力なユダヤ人は、第一次世界大戦終結の際ドイツに課せられた条約の文言を任せられた。条約により、ロスチャイルド家はドイツが所有していたパレスチナ(その当時はオスマントルコ帝国の一部だった)の鉄道権を得た。このようにしてロスチャイルド家は、パレスチナに関する方針を押し通す確実な手段を得る道を開いたのである。
 一方でロスチャイルド家はトルコ共和国に貸し付けを行っており、その額は一億ポンドに迫るものだった。第一次世界大戦後、敗戦国側だったためにトルコ政府が崩壊すると、ロスチャイルド家はそのトルコに対する貸し付けの未払いを理由に、パレスチナに対する権利を要求した。イギリス政府はロスチャイルド家の命ずるところに従った。イギリスはパレスチナに対する委任統治権を与えられ、ロスチャイルド家はいぎりす政府内の代理人を通して、イスラエルの国へとつながる階段を築くことが可能になった。
 以下は公的な歴史書においても知ることが出来るだろう。背景としてあるシオニズム、その指導者テオドール・ヘルツェルとロスチャイルドの関係、また次の指導者チャム・ワイツマンとそれらはよく知られたところだ。また、ロスチャイルドのヒトラーによるホロコーストの捏造など、省略してさしつかえあるまい。隠されている部分は唯一、ロスチャイルド(特にエドモンド・ド・ロスチャイルド男爵〔一八四五〜一九三四年〕)のシオニズム支持は利権と裏腹になっていたことであり、一時期のパレスチナでのサッスーン家(ロスチャイルド家の代理人として特に中国などアジアで活動。血縁関係あり)の暗躍はこの間の事情を物語っている。
 そして、のちにロスチャイルド男爵はワイツマンにこう語っている。「私がいなかったらシオニズムは成功しなかっただろうが、シオニズムがなかったら私の仕事も台無しになっていただろう」
 ところで先の支配者を選んだ神にい関する『聖書』の部分を曲解≠ノついては、特定の政治社会に関心のある市民によって、ロスチャイルド財閥が悪魔的というよりもむしろユダヤ的であるとレッテルを貼られることに異議を唱える人もいる。この異議には一理ある−−−しかしながら、こうした人たちは当然次にとる段階として、ロスチャイルドが創造したイスラエルの国が悪魔的であって、ユダヤ的ではないと認めるだろうか。例え認めたとしても、人の行動に対して正確な理由がわかっている人などいるのだろうか。誰かに何故そうしたのかと尋ねたら、今日はこう答え、明日は違った答えをし、その次の日はまた違ったことを答えるだろう。実のところ行動に意味などあるのだろうか?それともただ動機があるだけなのだろうか?(←それはあなたがロスチャイルドだからだ。根本的に「嘘つき」だからだ。誰か=他者に対して何らかの行為を行うということは、何らかの理由が伴うのがむしろ当然である。もちろん、そうでないい時もある。あなたが「新世界秩序」を目指し行為を行っていることに理由が無いならすぐに止めるべきだろう。無いんだろ?理由なんて?肝心のルシファー死んでるし。動機だけでは無い。人間には「感情」がある。感情=欲望の獣のあなた方ならば理由はコロコロ変わるだろう。心が変われば感情も変わる。そんなことすらわからないのか?一刻も早く悪魔崇拝とは縁を切ることをお勧めする。)ロスチャイルド財閥をただ悪魔的であるとか、ユダヤ的であるとか、フリーメーソン的であるとかレッテルを貼ることはおそらく個人的人間性を無視することになるかも知れない。(←そっくりそのままその言葉をあなた方に返す。「自分だけが選ばれた【人間=ユダヤ人】として他者を家畜とみなし、あろうことか地球にいながら地球人を家畜、食べ物という【レッテル貼り】をしているのは一方的にあなた方である。自分たちが「欠陥品」だと知りなさい。地球人に及ばない事実を受け入れなさい。)この個人的人間性とは神を信じないという点である。神を信じないため、その穴埋めをするために人間が神であるかのよに振舞う。これにより我々はグノーシス的宗教や悪魔へ立ち返るのである。(←それこそ悪魔の誘惑である。善悪二元論から性悪説に移行するのも構わない。だがしかし、神を信じないのは「あなたが自分から【神に見放されている】と決め込んでいる点」に問題がある。何度でも言おう「カナンの呪いなど無い」。神が見捨てていたら私はあなた方の問いに目を背ける。)
 かくしてワイツマンは、クネセトにおいてイスラエル最初の大統領となった。神秘学的六線星形はクネセトにもついており、ユダヤの旗にも描かれている。この六線形(ソロモンの封印)をロスチャイルド家が用いていたこと、ダビデからではなくソロモンに始まることはすでに述べた。(←私のもとにもアスタロトは来ているぞ。)むしろ中・近世を通じてソロモンの封印はアラブ人魔術師、カバラ主義魔術師、ドルイド魔女、悪魔崇拝者によって使われて来た。

※−−−ロスチャイルド家の宗教支配の実態

 そのようにしてロスチャイルド家は、悪魔の帝国が世界の資源、国々、宗教を支配するのを助けている。一族に陰謀はつきもので、注意深く見ればその破壊的統治が通って来た道を過去三世紀の歴史を通してたどることが出来る。すべての道はローマ(サタナキア)に続くということわざがある。本書に関して言えば、調査の道すべてがロスチャイルドに続くということが出来る。
【モルモン教】
例えば、エホバの商人とものみの塔協会の創始者チャールズ・T・ラッセルは、一八九一年パレスチナからロスチャイルド男爵に宛てた手紙の中でパレスチナにおけるユダ人国家設立のために取るべき行動の要点を書いた。そしてラッセルの手紙はパレスチナにユダヤ人植民地を設立したロスチャイルド家の金をたたえている。ラッセルはロスチャイルドに「そのため、水と清潔の次にここに必要なのは、貧しい人々を貪欲なものや金持ちから守る良い政府です。また、健全な基盤を持ち立派に業務を行う銀行施設も必要です」とし、続けて「親愛なる卿、あなたやあなたと利益を同じくする方々全てを、ヤコブの神がイスラエルの解放と繁栄にお導き下さいますように、また神の意志を予言通り果たすためどこまでもしもべとしてその身を捧げる方に神の御加護がありますようにお祈り申し上げます」とも記している。
 同様にモルモン教会が一九世紀後半に融資が必要となったとき、教会が向かったのはクーン・ロエブ商会だった。クーン・ロエブ商会に対するロスチャイルド家の支配についてもはや語るまでもあるまい。

【ユダヤ教】
ユダヤ教では、ラッセルとブリガム・ヤングの時代、ロスチャイルド卿は「世界のユダヤ人の民間指導者」だと見なされていた。エドモンド・ロスチャイルドは主要なシオニストグループの一つ、ユダヤ人殖民協会の会長であった。アンセルム・ロスチャイルドは、彼の祖父マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが子供たちに宛てた遺言の十五章の中で、「子供たちとその子孫がずっと祖先のユダヤ信仰に忠実であるように」と強く求めていると指摘した。しかしその遺言はずっと秘密にされており、何が書かれているか知ることは出来ないロスチャイルド家は伝統的信仰に対して忠実でなかったから、これが実際に十五章に書かれているとするならば、どこがおかしいように思う。
 それでもユダヤ人世界は、ロスチャイルド家に惜しみなく賞賛を与えて来た。「ロスチャイルド家はキリスト教世界を支配している。内閣でさえ一族の忠告なしに動くことは無い。一族はペテルスブルグからウィーン、ウィーンからパリ、パリからロンドンロンドンからワシントンへといともやすやすと手を伸ばす。一族の家長ロスチャイルド男爵は、ユダヤの真のユダヤ王、捕虜たちの君主、この特別な民族がずっと待ち望んでいた救世主・・・・・・・ユダヤ民族の名士ロスチャイルド男爵はダビデにまさる真の力−−−ソロモンに勝る叡智を持っている」(アンカ・ムールシュタインの前掲書)
プリエール・ド・シオン(シオン修道院)とも関係があり、同家はそのユダヤ人評議委員をしていると報告されている。だが、前述したごとく、ロスチャイルド家は独自の方法でユダヤ人(そんな民族はいない。)を「助け」て来た。けちの称賛者たちにとってはロスチャイルド家は大いに尊敬の的となるだろう。例をあげると、ジェームズ・ロスチャイルドがフランスで貧しいユダヤ人に支払った援助金の額は五フラン(約一ドル)である。そして、ロスチャイルド王朝はキリスト教徒同様正直なユダヤ人をも滅ぼした。今日あえてロスチャイルド家を非難する者はほとんどいない。

【ローマンカトリック】
 十九世紀初期ローマ教皇は借金のためにロスチャイルド家のもとを訪れた。ロスチャイルド家はローマ法王に非常に友好的で、あるジャーナリストは「ロスチャイルド家がローマ法王の手に口づけをした。・・・・・・・秩序は遂に回復した」と皮肉を込めて言った。それどころかロスチャイルド家は時間をかけてバチカンの富の大半の信託を受けた。『ユダヤ・エンサイクロペディア』の第二巻には「ロスチャイルド家に対しカトリック教徒の競争相手を立てようという試みの結果、現在(一九〇五年)ロスチャイルド家が教皇の財産管理者であるというのは幾分奇妙である」と載っている。
 また、ユータス・マリンズは、ロスチャイルド家が一八二三年全世界のカトリック教会の財務運用を全て引き継いだと書いている。今日のカトリック教会の様々な金融事業は、ロスチャイルド家やその他の国際銀行組織と連結した大規模な組織である。
 そして、ローマ法王は三人いる。「白・赤・黒」の三名である。白は表の法王。今日の陰謀の数々や悪魔崇拝の頂点の一つになっているのがバチカンである。ローマはその昔、「サタナキア」つまり、「サタンの町」と言う名であった。ローマカトリックの儀式の中には数々の悪魔崇拝の儀式が織り交ぜられており、キリストの代弁者など有り得ないのがカトリック教会である。
 ここがサタン崇拝の拠点である。

【正教会】
 ロシア皇帝(ツァー)の莫大な富はロスチャイルド家に信託されており、ロスチャイルド系イングランド銀行に三五〇〇万ドル、同じくパリ銀行に八〇〇〇万ドルがある。しかし、同家はそれを操作し、法廷相続人が一ペニーも引き出せないようにした。ロスチャイルド家と姻戚関係にあるマウントバッテン家は、請求書が財産を少しも引き出せないように法廷闘争へ持ち込んでいる。同様にしてロスチャイルド家がロシア革命に投資した金は、ボルシェビキ(ロシア社会民主党多数派)から直接何百万ドル分の金塊で返却されただけで無く、ロシア正教会と皇帝の富の莫大な預金を略奪することで、それを倍にする利益を手に入れたのだ。
 要するにロスチャイルド家は、秘密結社だけではなく宗教界にも多大な影響力と権力を行使しているということである。同家の提案のもとに組織された救世軍は、その紋章に赤い盾を採用したほどなのだ。
 デリク・ウイルソンは『ロスチャイルド・富と権力の物語』にこう記している。「ロスチャイルド家は急いで自分たちを駆り立てて強大な金融権力と政治的影響力を持つ立場になった。ロスチャイルド家はヨーロッパの生活において独立した力であり、誰に対しても報告義務を負わず、おおよそ誰にも頼らなかった。流行の風刺画はロスチャイルド家がキリスト教国の真の支配者として描いている・・・・・・・」
 世界の宗教団体間の分裂や闘争は権力者の富によって奨励、援助されて来た。あいにく多くの人が騙され、神に対して献身的で忠実であることが宗教闘争の原因であると考えさせられて来た。世界のうちには、何世紀もの間イスラム教徒もキリスト教徒もその他の宗教もみんな一緒にうまくやっている地域もある。宗教的緊張は確かにある程度宗教自体の中から生まれるが、こうした火種をくすぶらせ、対立に火をつけるのは往々にして権力者の富である。イラン-イラク戦争はその明らかな例なのである。
 そしてアメリカの宗教人は、特にロスチャイルド家の様々な代理人を通して同家とつながりがある。ハリー・エマーソン・フォスディックはロックフェラー教会の牧師でもあり、ロックフェラー財団の委員会のメンバーでもあった。CFRのジョン・フォスター・ダレスはロックフェラー財団の委員会議長であり、ロックフェラー家の一員、ジャネット・ポメロイ・エイヴァリーと結婚した。ジョン・フォスター・ダレスが重要なキリスト教会連邦会議役員だったことを心に留めて置いて頂きたい。
 こうした宗教政策≠フ一方で、ロスチャイルド家の中には公衆道徳弛緩キャンペーンに関わっている者もいる。全米学生フォーラムの最初の幹事はジョン・ロスチャイルドだったが、同フォーラムは服を着替えるようにその名を変えた。遂には服≠なくした。つまり、この社会主義者グループの目的の一つはヌード解禁とフリーセックスの促進だったのである。ちなみに、その構成グループのいくつかをあげると、ラドクリフ・リベラル・クラブ、ユニオン神学校現代クラブ、エール・リベラル・クラブなどである。これがさらに発展したものが青年平和連合で、その構成グループには地域協会青年連盟、ニューヨーク地区のメソジスト・エプワース連盟(悪魔崇拝者団体)、青年ユダヤ、聖フィリップ教会区青年団などがある。

※−−−メディアを完全支配するロスチャイルド家

 宗教を含め、大衆を動かすメディアが重要となる。ユータス・マリンズは『テレビネットワークの所有者』の中でその調査結果を発表し、アメリカの三大ネットワーク全てとレコードなど各種メディア産業にロスチャイルド家が大きな支配力を持っていることを指摘している。付言すればロスチャイルド家はロイターを完全支配している。
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クリックして見て下さい。どのメディアがどんな人物が仕切っているかわかります。 

 関係筋の話によると、ユダヤ人によるネットワークの独占に対する挑戦として始まったCNNもたび重なる策略に合い、遂には体制の一部となってしまったようである。アメリカにおける公的権力の非常に多くの局面を堕落させたBCCI(国際信用商業銀行)−−−BCCIは、連邦会議員の操作といった不正業務のための新世界体制の金融機関の一つであり、INSLA、イラン、コントラ、スキャンダル、セントラスト、ほか最近のスキャンダルにかかわっている)から出た金もCNNの裏に隠れている。
 他方、今日のロスチャイルド家はあまりにその活動が精力的過ぎて、一族を守っている支配下報道メディアの検閲制度のすべてを処理しきれなくなっており、今もあちこちで面白い話がその支配下メディアから漏れ出て来ている。
 そして、私はこれらに関するものを進んで明らかにしてくれるインサイダーを探し続けているが、すでに数人見つけた。その一人はレベッカ・ヨーダーの夫であり、彼はロスチャイルド血流のイルミナティからキリスト教徒に改宗し、その悪魔崇拝的習慣を暴露しようとしている。そのために、イルミナティは彼の生皮を剥ぎたがっているという。あいにくまだそのインタビューはとれていないが、ロスチャイルド家は「終末教会」のためにメディアを用いているのだとする。
 ここでその証明の一つとして、NBCとCBSを例に誰がネットワークを運営しているのかを示す表を掲げた(上記リスト)リストは最新のものとは言えないが、十二分に役立つはずである。

※−−−グローバリズム(世界的干渉主義)でのロスチャイルドの策動

 さて、こうした彼らの具体的″ナ終目標は何であろうか。第二次世界大戦がアメリカに世界的「平和維持」機関−国際連合を認められる役に立った。同様の機関を国際連盟として設立しようとした最初の試みがアメリカに却下されると、イルミナティは西欧社会をグローバリズム(世界的干渉主義)へと仕向ける助けとしてロスチャイルド出資による円卓会議グループ執行部設立を決定した。
 この当初の構想は、新世界秩序体制を推進する王立国際問題研究所(RIIA、英国)と呼ばれる世界的特別利益グループを設立することだった。のち計画は変更されて各研究所は分裂し、表向きには陰謀団の形を取らずに別々のグループがそれぞれ別々の政府を動かすこととなった。これらのグループはホテル・マジェステック会議と呼ばれる会議で結成されている。フランス家のエドモンド・ド・ロスチャイルド男爵がこうした会議の裏に隠れた主流権力で、グループの創始者たちは皆男爵のお眼鏡にかなった者ばかりだった。その中でも長を務めたのがロスチャイルド家代理人のエドワード・マンデル・ハウス大佐である。 これらのグループの一つがCFRであり、一九三六年版『CFRハンドブック』にはCFRがどのように設立されたかが説明されている。「一九一九年五月三〇日パリ平和会議に向かう代表団の主要メンバー数人がパリのホテル・マジェスティックに集まり、国際問題について各政府に進言を行うことを目的とした国際グループの設立を話し合った。国際問題研究所という名称はこの会議で決定した。一九年六月五日の会議では相互協力し合う別々の組織を持つことが最善であろうと立案者たちは決定した。その結果、外交問題評議会(CFR)がニューヨークに本部を置き、その姉妹機関でチャタム・ハウス研究グループとしても知られているロンドンの王立問題国際研究所(RIIA)がイギリス政府に進言する目的で組織された。補助機関の太平洋問題研究所(IRR)は極東問題を専門的に扱う(だけでなく、真珠湾攻撃を助成する)ために設立された。他にもパリやハンブルグにも補助機関が設立され、ハンブルグ支部はドイツ国際問題研究所(The Institut fur Auswartige Politik)、パリ支部はフランス国際問題研究所(Centre d'Etudes de Politicque Etrangere)と呼ばれている・・・・・・・・」 ドイツ国際問題研究所に関する研究はこれまで目にしたことが無い。このグループがエリート集団や第二次世界大戦の発生にどのように関わったか調べて見れば興味深いものだろう。ともあれ、イルミナティの賢者グループはホテル・マジェステック会議で練られた計画を採用しCFRを結成する。その創始者にはエドワード・マンデル・ハウス大佐(ロスチャイルド代理人)、ジョン・フォスター・ダレス(ロスチャイルドと関係のあるクーン・ロエブ商会メンバー)アレン・ダレス(同じくクーン・ロエブ商会)などがいた。
  CFR一九二一年七月二十九日正式に設立された。創設資金はJ・P・モルガン、バーナード・バルーク、オットー・カーン、ジェイコブ・シフ、パール・ワーバーグ、ジョン・D・ロックフェラーなどから出ている。

人類家畜化計画の正体
http://takao-sato.seesaa.net/article/253179716.html?1332822531

ロンドンのRIIAの資金は主にアスター一族なお、ロスチャイルドと関係するパール・ワーバーグは、CFRの理事会の初代メンバーでもある。
 これでハッキリとお解かりだろうが、外交問題グループの創設にはロスチャイルドネットワークが重要な影響力を持っていた。この影響力は今日も続いている。(もう、終わったよ。残念!)「選民教会」や円卓会議グループにおけるロスチャイルド家の権力は半公的CFRやRIIAなどへ広がっていった。ロスチャイルド一族はその同胞のエリート集団と協力し合って新世界秩序体制を実現しようとしていた。

※―――ロスチャイルド同盟一族と対ロックフェラーへの誤解を正す

ユダヤ人一族の中で傑出していると思われる二つの血流はオッペンハイム家とオッペンハイマー家である。A・オッペンハイムはケルンに居を構えている。また、グンベル・オッペンハイムはブンド・デル・ゲレシュテン(正義同盟)の中心サークルのメンバーだった。その親戚ハインリッヒ・オッペンハイムは一八四八年ドイツで起きた共産党革命の首謀者だった。共産党の公式歴史書は同盟が共産主義の前進であるとさえ認めている。つまり、ブンドは主に悪魔崇拝者のユダヤ人が運営するイルミナティの隠れ蓑の一つだった。一部ロスチャイルドの出資を受けていたこの同盟は、悪魔崇拝者でありフリーメーソンでもあったカール・マルクスに金を払い『資本論』を書かせている。 オッペンハイマー家はバーバリアン・イルミナティの初期のメンバーであり、ロスチャイルド家と親密なのは明らかだ。CFRのJ・ロバート・オッペンハイマーは共産主義者であることが露見している。国際銀行家のハリー・オッペンハイマーはユダヤ系世界的ダイヤモンド会社デ・ビアス社の会長であり、アングロ・アメリカン商会の会長でもある。アメリカ金融界の重要な地位のあちこちにオッペンハイマーの名を見つけることが出来る。オッペンハイマーは貧しいユダヤ人児童の保護を目的としたニューヨークのオッペンハイマー・ハース・トラストをはじめ約十の大財団の運営援助をしている。
 『ユダヤ・エンサイクロペディア』の第二巻には、ほかのユダヤ人一族も「ロスチャイルド家の計画を取り入れた」と書いてある。こうしたユダヤ人一族とは、ラザール、スターン、シュパイアー、セリグマンである。また、ロスチャイルド計画とは、同家がかつてしたように一族のそれぞれをヨーロッパの五大首都に置き活動の調整をさせるというものである。(←第三次世界大戦を行い、人類家畜化計画を実現させ、新世界秩序を成立させ、全ての宗教に失望したところに堕天使ルシファーが唯一神として現われ世界を皆殺しにし、アダムとイヴの創世記の時代から始めるという計画。全ては人類の退廃のために・・・)ドイツ最大の雑誌の一つは『シュテルン』と言い、その会長のエルンスト・スターンは世界銀行の次長を務めている。
 フランクフルト・ユーデンロージャ(ここはロスチャイルド家が属したフランクフルトのフリーメーソン・ロッジだった)を設立したユダヤ人一族はと言うと、アードラー、シュパイアー、ライス、シシェル、エリソン、ハーナウ、ガーゼンハイマー、ゴルトシュミットらであった。イザーク・ヒルデスハイムはのちにジェスタス・ヒラーと名を変えたユダヤ人だが、このフランクフルト・ロッジだった)の創始者であるとされている。ミヒャエル・ヘスは矯正ユダヤ人学校フィランスロピンの校長であったが、ロッジの中でも重要人物であり、また一八〇八年に参加したルートヴィヒ・バルク(のちのボルン)博士もやはり重要人物だった。こうしたフランクフルトのユダヤ人フリーメーソンのほとんどは商業に従事していて、一八一七年から四二年のあいだのフリーメーソンのメンバーはフランクフルトユダヤ社会の指導者的存在だった。
 こうした中に、これまでロスチャイルド家とロックフェラー家が世界支配を賭けて争っていると大いに誤報されてきたのだ。確かにいくつかの分野で両家が激しい競争をしていることおは事実である。だが、その一方、両家が多くの分野で固く協力し合っていることもまた本当である。
一般の人々にとって何が起きているか区別することが難しいのは、一つにはロスチャイルド家とロックフェラー家両家の悪魔崇拝における精神的次元の高さについて知らないということである。例えば、似たようなところでは、もし、私が聖職者でその下の修道僧の一人がマルチ商法において親に当たるとした場合、その修道僧は商売の上では私の支配者となるが、同時に私のことを精神的指導者として尊敬するだろう。
 問題は、新世界秩序体制を暴こうとしている研究家全員が、必然的に仕事上の関係を基に神秘学的権力に関する結論を引き出そうとしており、それが必ずしも上手くいかないという点である。ある人の仕事上での上司が秘密の悪魔崇拝においてもその人の指導的立場であることも考えられるが、神秘学的権力やイルミナティ内部の地位に関して言うと、二人が同じ身分ということも有り得る訳である。イルミナティでの地位となると両者とも同じ最下層であることも考えられる。ロスチャイルド家とロックフェラー家の見せ掛けの対立を暴いたとして宣伝している本をこれまでに一冊だけ目にしたことがある。(まだ読んでいないが)。しかし、本当に宣伝どおりだとしたらイルミナティの権力構造に関する人々の誤解を解くのに大いに貢献していることになる。 私は様々なロスチャイルド家の人間からずっと妨害を受けている。イルミナティにマインドコントロールされた人間たちを取り上げて来て、私は種々の血流、例えばロックフェラー一族、ラッセル一族、十三番目の聖血一族、李一族、コリンズ一族、それに忘れてはならないロスチャイルド一族などのために奉仕するよう仕向けられた帝王の奴隷たちと知り合いになった。そして、これまでに調査してきたことから、イルミナティのトップ十三家の全てが悪魔に関与しているとした。言うまでもないが、上層部の悪魔崇拝者が多重人格障害でないということは考えられない。そうではない人がその儀式に参加した後誰も正気でいられるなど思いもしないだろう。もちろん今日、イルミナティのメンバー全員がトラウマに基づく帝王学を受けた、と確信を持って言えることは何も無い。しかし、これは、つまりアメリカ合衆国、さらにカナダやイギリスのロスチャイルド家が情報部や軍部の情報部と示し合わせているということである。そうでなければ私の電話の盗聴を始めたのはいったい誰なのか?故フィリップ・ロスチャイルド男爵はムートン・ロスチャイルドぶどう園によりその名を知られている。ジョニー・トッドはその談話の中で明らかに男爵を引き合いに出しているが、彼を非難する人々はこれに対しフィリップ・ロスチャイルドなど存在しないと揶揄した。ヒックスとルイスの共著『トッド現象』には「トッドの主張以外にフィリップ・ロスチャイルドの存在を示す証拠は何も無い」と書いている。二人はフィリップ・ロスチャイルドに関するトッドの主張は「もう一人のトッドの幻想に過ぎない」ともしている。私はフィリップ・ロスチャイルドについてトッドと話をする機会はなかったが、故フィリップ男爵がイルミナティであったことは間違い無い。 フランス家の家長ギイ・ド・ロスチャイルド男爵は「反キリスト」の家系である。その子孫の一人は全世界の反キリスト候補としてイルミナティに選出されている暗黒の母(マザー・オブ・ダークネス)の中には「メアリー・グループ」と呼ばれる特別グループがあり、その四人のメンバーはギイ・ド・ロスチャイルドとの近親相姦で反キリスト候補を産んでいるのだ。



ロスチャイルド系の企業の一部

【通信】
タイムズ(新聞)
ザ・サン(新聞)
ロイター通信(通信社)、AP(通信社)※世界の情報はこの2社から発信。
ABC・NBC・CBS放送(アメリカ三大ネットワーク)

【石油】
ブリテッシュ・ベトロリアム(石油会社)
ロイヤル・ダッチ・シェル(石油会社)

【金属・重工業】
ビッカース (兵器)
ダッソー(兵器)
アームストロング(兵器)
シュットーデル(兵器)
ミノルコ(金属)
モンド・ニッケル
モンド社(アルカリ)

【その他】
フィリップ・モリス(米最大のタバコメーカー)
ローマ・プーラン(仏最大の総合科学・製薬メーカー)
デビアス(鉱物会社=ダイヤモンドを独占)
リオ・チント・ジンク(鉱物会社=金・ウランをほぼ独占)



54:名無しさん@涙目です。(東京都)2011/11/19(土) 03:58:27.48ID:h9Mu1KXE0
【食品】
ネッスル(コーヒー)
ユニリーバ(食品)
ブルックボ ンド(紅茶)

【銀行・保険】
フランス銀行
イングランド銀行
パリ国立銀行
スエズ金融
香港上海銀行
ウェストミンスター銀行
ルイ・ドレフェス商会
ソロモン・ブラザーズ
ラザール・フレール
ゴールドマン・サックス
リーマン・ブラザーズ
カナダロイヤル銀行
アラブ投資銀行
モントリオール銀行
ジェネラル銀行
ブリュッセル・ランベール
ウェストバンク
etc.

まず>>336を読んでくれ、ロスチャイルドは英工作機関の別名でしかない、「没収と融資の違い」は証明のしようも無いが
『天皇』を生かしたのには意味がある、彼は独裁者だったので、戦勝国が利用する為に軟禁した、今の憲法も天皇の許可制だ
次に、『ヒトラー、ビンラディン』は殺す(消す)為に追われていた、彼らが独裁者ではなかった証明だ、二人ともスパイ疑惑がある
ヒトラーとビンラディンの共通点は『欧米にとって都合のいい悪』だという事
ナチスは日本と同盟を組みながら、日本の相手であった中国の軍隊にも武器を売っていた
戦争は両陣営に武器を売るにはいい商売だ、王族(天皇含め)にとっては正当な反逆者を殺すいい機会でもある


デヴィッド・ロスチャイルド 
http://www.youtube.com/watch?v=2-Ybhbq2s0s&feature=player_embedded#!
ペットボトルでイカダ作ってエコ啓蒙してる
このイケメンは当主争いから自分から降りた

イケアってロスチャイルド家が経営してたのか

日本銀行紋章.jpg
日本銀行紋章(ライオンはイギリス王室の表象 )
ライオンの足元はピラミッド
ピラミッドアイをイギリス王室が支えるって宣言


あ、それもう、ズタボロだよ。


国連もWHOもロスチャイルドであると、以前書きましたが国際的な犯罪を摘発する、国際刑事警察機構=インターポールICPOも、その組織で出来ています。

インターポールの創立時、資金提供者ロックフェラーに現場を任せず、自から陣頭指揮を取ったサー・ウィリアム・ペティは、スイスの金融業界を支配するシェルバーン伯爵一族の人です。

世界中の富豪が資産を預けるスイスの金融界の、中核の1つである、スイスユニオン銀行の経営一族でもあります。

クレデイスイスは、ロスチャイルドが設立した銀行であり、別名ロスチャイルド銀行といいますが、ここに竹中平蔵氏は100億円超える額を預けていたそうです。


ドバイにも預けてましたよね・・確か。


世界の富を吸収しているラスボスは、スイスにいますが それを操る裏ボスは日本にいます。
3池田大作.jpg
えぇ〜!?
お前が何を言ってるんだ?.jpg

北朝鮮が前回も今回も頑張ってましたが、無駄なんですよね。

創価学会は大量の武器を日本内部に隠し持ってるので、70万だか、80万人だかいる工作員に関しては注意が必要なわけです。
国土を覆うバリアーは勝手にしてることなので、無能な日本政府は誰もしりません。
日本国は守られてるわけです。
だからって、意識がそれで勝手に浄化されるわけでないので防御できてるうちに 個々が意識浄化をしっかりすることです。


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2012年03月21日

『緑の書』ムアンマル・アル・カッザーフィ〈カダフィ大佐〉@

『緑の書』ムアンマル・アル・カッザーフィ〈カダフィ大佐〉
民主主義問題の解決
【人民権力】
カダフィ大佐3.jpgリビア 国旗.jpg

カダフィの真実を知ってほしい リビア 新世界秩序 NATO 
 
http://www.youtube.com/watch?v=aggieI4YAVw

リビア軍に捕らえられた反乱軍の男の証言 
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=3EK7Bm3-28w&NR=1
カダフィ大佐はアフリカ統一通貨を作ろうとした。それをよく思わ-ない米・英・仏(ロックフェラーとロスチャイルド)が大佐とその-息子を殺害した。
 ●−統治機構
 ■こんにち、全人類が直面している最大の政治課題とは、統治機構が(アダート・アル・フクム)が如何にあるべきかということである。
 ■家族内部の争いでさえ、しばしばここから起こっている。
 ■近代社会の形成とともに、この課題はとりわけ重大なものとなった。
 こんにち、世界の人民は、絶えずこの問題に直面せざる得ず、あらゆる社会は、この問題から発する様々な困難と悲惨な事態とに苦悩している。これまでこの問題は、最終的に、かつ民主主義的に解決されることがなかった。しかし、この『緑の書』は、統治機構の問題にかんして理論上の解決を究極的に与えるものである。
 現代世界のあらゆる政治制度は、相互に対立統治機構が権力を巡って展開する闘争から生まれたものである。その闘争は、武力的な形態を取ることもあれば、平和的な形態を取ることもある。またそれは、階級(タバカ)間、宗派(ターイファ)間、部族(カビーラ)間、個人(ファルド)間、というように、様々な抗争として現れる。この闘争は、一方の統治機構−−−その担い手が個人であれ、集団であれ、政党であれ、階級であれ−−−の勝利にに導くこととなるが、いずれの場合でもその結集は人民の敗北を意味し、真の民主主義の破壊を意味するものである。
 ある候補者が選挙で仮に五一%の票を得て、政治闘争に勝利したとしても、その結果は、上辺は民主的であるが本質は独裁的な統治の装置が生み出されたことでしかない。何故なら、投票者の残り四九%は、彼らの意思に反して、押し付けられた統治機構のもとに置かれることになるからである。これこそ、まさに独裁ではないか。また、この政治闘争では、少数派の統治機構が少数派の統治機構が勝利することもある。いく人かの候補者に対して投票が分散した場合は、相対的に最も多い票を得た候補者が当選することになるが、落選者の得票を集計すれば過半数をはるかに上回るということも有りうる。こうしてわずかな得票でも当選出来るということが、合法的で民主的なものと見なされたりするのである。これが、現代世界で支配的な政治制度の現実である。それは明らかに真の民主主義を偽るものであり、独裁制度以外の何物でも無い。
 

 ●−議会●−人民の代表というものは有り得ない。代表とはペテンである。●−議会とは欠席裁判のことである。●−議会は民主主義を歪曲するものである。
 伝統的民主主義の中核であった議会制度は、現代世界においても、なお以前として有力である。議会は欺瞞的に人民を代表する機関であり、議会制度は民主主義の問題の解決を誤らせるものである。そもそも議会は人民を代表すものとされて来たが、この原則自体が非民主主義的なものである。何故なら、民主主義とは人民の権力のことであって、人民の代表が人民に代わって権力を行使することでは無い。議会が存在するということは、ただそれだけでは、人民の不在を意味する。真の民主主義は、人民自身の存在を持ってはじめて可能になるのであり、人民の代表により生み出されることは無い。議会は権力の執行から人民を合法的に引き離すための機関となって来た。大衆は政治から疎外され、代表機関が人民の主権を横取りしてしまった。人民の手に残されたものは、欺瞞的な見せ掛けだけの民主主義であり、それは、たかだか投票箱に一票を投ずるための長い行列によって示されるようなものである。
 議会の本質を知るためには、我々はその起源に遡らなければならない。議会は選挙区を通じ、また単一ないし複数の政党を通じて選出され、あるいは任命制によって選出されるが、こうした選出方法は、民主主義的であるとは言えない。住民を選挙区によって区切るということは、一人の議員が何千人、何十万人、時には何百万人もの住民を代表するということである。その議員は投票者たちに対して人民的レベルで組織的なつながりを持たないのに、これらの議員たちはそれぞれに全人民の代表と見なされる。伝統的民主主義はこのような前提の上に立っていたのである。こううして最終的には、大衆と代表の間には深刻な断絶があるという結果になる。いったん民衆の票を獲得してしまうと、代表者たちは大衆の主権を簒奪し、代表の資格に置いて問題を自由に裁量出来るという立場に立つのである。現代世界に広く見られる伝統的民主主義は、人民にとっては全く無縁の神聖な権利や免責の特権を、議員に対して与えている。すなわち、議会は仁見飲の権力を奪い、これを横取りするための道具となって来た。それゆえ、大衆の希望を摘み取り、民主主義と主権を人民の手から奪うような機関となってしまった議会を破壊し、
 ■人民の代表というものは有り得ない。
 という新しい原則を掲げて戦い、そのようにして人民革命をすすめることは、現代の人民の権利なのである。もし、ある政党が選挙で勝利を収めた結果として、議会を抑えるならば、その議会はその政党の物であって、人民の物では無い。議会が委託する行政権力は、政党の物となってしまっていて、人民の物になっていない。また、いくつかの政党が議席を分け合っている議会の場合でも、議員たちはそれぞれ自党を代表しているのであって、人民の代表では無い。政党連合が行使する権力は、連合諸政党の権力であって、人民権力では無い。こうした制度のもとでは、人民は単なる争奪の対象物とされ、権力を巡って対立し合う統治機構の票田として利用されているに過ぎない。人民は黙々として長い行列を作りゴミ箱に紙を投げ入れるように一票を投じるのである。これが、一党制、二党制、多党制のいかんを問わず、世界中で見られるところの伝統的民主主義なのである。かくして、
 ■代表とはペテンである。
 ということは明らかなのだ。任命や世襲による議会は、全く民主主義の範疇には入らないが、選挙による議会にしたところで、票集めの宣伝に支えられた、文字通りデマゴギーの制度であると言わなければならない。選挙戦では、買収や不正な操作が票集めに効力を持ち、常に金持ちだけが勝利を収めることが出来るようになっているので、貧乏人は太刀打ち出来ないのである。かつて人民が無自覚な羊のごとく王やスルターンや征服者に操られていた時、哲学者、思想家、著述家たちは代表制の原理を説いたものであった。当時の人民の最大の願いは、支配者たちの前に自分たちの代表を送ることであったが、支配者たちはその願いを認めようとはしなかった。人民は彼らの希望を実現するために、長い厳しい闘いを経験しなければならなかったのである。ところが、共和制時代がしでに到来し、いまや大衆の時代が始まりつつあるというのに、民主主義が、巨大な大衆を代行する一握りの代表者集団を選出することでしかないというのは、あまりにも不当で陳腐な理論であり、もはや投げ捨て消し去るべき経験であると言わなければならない。人民は完全に権力を掌握しなくてはならない。
 史上最悪の独裁制でさえ、議会を通じて出現したのであった。

 ●−政党
 ●−政党制は民主主義の破産である。●−政党をつくることは社会を分裂させる。
 政党は、現代の独裁制であり、近代の独裁的政治機構である。部分が全体を支配するような組織として、政党は最新の独裁的統治機構である。政党は個人では無いので、議会や委員会を設置することを通じ、また党員が宣伝活動に従事することを通じて、偽りの民主主義を実現する。政党は同一の利害・同一の見解・同一の文化を持つ人々や、地縁的つながりを持つ人々と、信条を同じくする人々などによってだけ構成されており、決して民主主義的な統治機構とは言えない。そもそも、それらの人々が政党を組織するのは、自分たちの目的を達成し、社会全体に対して自分たちの見解と信念を押し付けるためであり、また、自分たちの政治綱領を実現するのだと言って権力を行使するためである。多様な利害・思想・気質・郷土意識・信条を持っている人民の総体を、政党のメンバーが一括して支配することは、民主主義的では無い。政党は、一つの見解と一つの利害を持つ者たちが人民を一括して支配するのを可能にする独裁的統治機構である。人民全体の中では少数派に過ぎない政党を結成する目的は、人民に対する統治機構を作り出すことであり、それによりその政党の外側にいる人々を支配するのである。政党は基本的に専制的支配の原則に立脚している。すなわち、政党メンバーは党員でない人員を支配するのである。政党がその目的実現のため権力を掌握するのは当然のこととされ、政党の目的は人民の目的だと理解される。これは、政党独裁を合理化する論理であり、如何なる独裁もこの論理を利用する。多くの政党が並び立っている場合でも、この論理は同様に使われる。ただし、政党の数が多ければ、権力闘争が激化し、権力を巡る政党間抗争は人民が築き上げた成果を根底から破壊し、社会の利益となるはずの計画までも台無しにすることがある。野党がこうした攻撃を敢えてするのは、権力の座を奪うことを目的として与党の立場を損なおうとするためである。政党間の権力闘争は、それが暴力的な形態がまれだとしても、相手の活動に対する非難や中傷に終始し、その結果、はるかに重要で高次元の社会的利益が損なわれる。そうした高度の利益の全部とは言わないまでも、少なくとも一部分は、明らかに統治機構の掌握をかけた権力闘争の犠牲にされるのである。社会的利益がこのようにして切り捨てられること自体が、与党に対する野党の攻撃材料ともなる。野党が権力を掌握しようとすれば、権力の中核を占める統治機構を駆逐しなければならず、そのことは与党の業績を傷つけることになる。野党は与党の統治機構としての無能力を暴露しようとするあまり、社会的に有意義な計画までも否定してしまうことになるからである。こうして、社会の利益や計画が、政党間の権力闘争の犠牲とされる。それゆえ、多くの政党が繰り広げる抗争は、政治活動を活発化させるにも関わらず、社会にとっては政治的・社会的・経済的な破壊要因では無い。抗争は、政党間の勝敗に伴う統治機構の交代をもたらすだけでは無く、実は人民と民主主義とに甚大な打撃を与えるような結果を生むのである。抗争を通じて、諸政党は、政党の内外で買収と腐敗にふけることになる。
 本来、政党は人民を代表するものとして形成されたはずであるが、党員は党指導部によって代表され、指導部は党首によって代表されることになってしまう。政党ゲームとは民主主義の見せ掛けの体裁をこらした欺瞞的な茶番劇なのであって、実際には、利己的な目的のために策略と詭計と政治的駆け引きをもてあそぶことの上に成り立っている。以上のことから、政党制は、現代的粉飾をこらした独裁の装置であると言うことが強調されなければならない。それは隠された独裁というよりは、むしろ公然たる独裁なのである。しかし、世界はまだこの政党制を卒業していない。それが、いみじくも「近代の独裁」と呼ばれるゆえんはここにある。
 選挙で勝利を得た政党にとっては、議会とは、文字通りその政党のための議会であり、議会が附託する行政権力とは、その政党は人民を支配するための権力ということになるのである。かくして、本来は全人民の利益のためのものであるべきはずの政党の権力は、実際には、人民の他の部分、すなわち、野党や諸政党及びそれらの支持者に対して、厳しく敵対的なものとなる。その結果、野党勢力も、人民の立場から与党を制約する役割を演ずるどころではなく、与党に取って代わって権力を握る機会ばかりを虎視眈々と狙うことになるのである。近代民主主義の考え方によれば、、議会こそが与党の専横を合法的に制約する機能を担うべきはずであるけれども、議会の多数派が与党に属している以上、制約機能を掌握しているのは与党なのであり、そのような制約能力を持った政党が権力を掌握するという状況が生じて来るのである。したがって、現代世界において支配的な政治原理、言い換えればこんにち普及している伝統的民主主義が拠って立っている基盤としての政治原理が、如何に欺瞞的で誤謬に満ちており、不当なものであるか、ということはまことに明らかなのである。
 ■政党は人民を分割して、ある部分だけ代表する。しかし、人民の主権は分割し得ないのである。
 
 ■政党は人民を代表すると称して、統治する。しかし実は人民の代表というものは有り得ないのである。
 政党は近代の部族制度であり、宗派である。一党支配下の社会は、一部族ないしは一宗派に支配された社会と全く同じである。すでに述べたように、政党は、ある特定グループの見解、集団的利益、信条、郷土意識などを反映するのである。したがって、政党は、部族や宗派の場合と同様、全人民に比べればわずかにその少数部分であるに過ぎないと言うべきである。この小数部分は、彼らにとってだけ共通の利益とセクト的信条とを持っているので、そこから特定の見解が生み出されるのである。部族は、それがもっぱら血縁関係を基軸とするという面において、政党とはその性質を異にするが、しかし政党結成に際しては、血縁関係が問題になることさえ、ないわけではない。権力を巡る政党間の闘争と部族間のもしくは宗派間の闘争とのあいだには、大きな相違は無い。それゆえ、部族や宗派に基づく制度が政治的に拒否されるのであるならば、政党制も同様に拒否され否認されなければならないはずである。いずれもが、同じ道筋をたどり、同じ結果に至るのであって、政党間の抗争が社会に及ぼす否定的、破壊的影響は、部族間及び宗派間の抗争の場合のそれと同じである。

 ●−階級
 階級に基づく政治制度のもとでは、階級が社会を支配する。それは、政治制度、部族制度、あるいは宗派制度のもとで、特定の政党や部族や宗派の場合と同様に、階級も、社会内部で特定の共通利害を有するのと本質的に同じである。政党や部族や宗派の場合と同様に、階級も、社会内部で特定の共通利害を有する社会集団である。特定の共通利害が生じるのは、血縁、信条、文化、地域性、生活水準などによって、ある人々が結びあわされているということを前提としている。階級、政党、宗派、部族の形成には、共通の契機がはたらいていて、相似した結果が生まれるのである。すなわち、血縁、信条、生活水準、文化、地域性が共通の目的を実現しようとする共通の見解を生み出すことによって、これらの集団は成立する、とも言えるのだ。このようにして、社会集団は階級、政党、部族、宗派というような諸形態として現れるが、それらは、自らの利害や見解の実現を目指すという政治的動機に基づいて機能する機関でもあるのである。いずれにせよ、階級、政党、部族、宗派は、決してただちに人民に一致するものでは無い。それらは、せいぜい、人民の中のある部分であり、人民内部の少数部分を構成しているに過ぎない。特定の階級、政党、部族、宗派が社会を支配している場合には、社会全体が独裁体制のもとにあると言わなければならない。最も、階級連合や部族連合は、政党連合に比べれば、まだましである。何故なら、辞任民は元々もろもろの部族から成り立っていて、如何なる部族にも帰属しないという人はほとんどいないからであり、また人は誰でもいずれかの階級に属するからである。これに対して、政党は人民全体を包括するものでは無く、単一政党・複数政党いずれの場合でも、政党は党外の大衆に対しては少数勢力でしかないのである。真の民主主義に基づけば、如何なる階級と言えども、その階級的利益のために他の諸階級を抑圧するのは、言うまでも無く不当である。同様に、如何なる政党、如何なる部族と言えども、自らの利益のために、他の政党や部族を抑圧することは許されるべきでは無い。如何なる宗派も自らの利益のために、他の宗派を抑圧するべきでは無い。もし、そのような行動が認められるとしたら、それは、民主主義の論理を放棄し暴力の論理に服することを意味する。社会は単一の階級、単一の部族、単一の宗派、単一の政党メンバーから成り立っている訳では無いのだから、そのような行動は、決して社会全体の利益にはならないものであって、したがって、それは独裁そのものであると言わなければならない。そのような行動を正当化する根拠はどこにも無い。これを正当化しようとする独裁者の論理は、社会が多様な部分によって構成されているという現実のもとで、権力維持のためには他の部分を敢えて抹殺することも辞すべきでは無い、という論理なのである。そのような行動は社会全体の利益に沿うものではなく、特定の階級や部族や宗派や政党の利益に沿うものである。言い換えれば、それは社会を乗っ取ろうとする者たちの利益にのみ沿うものである。これらの政党、階級、部族、宗派による抹殺行動は、それらに属さない全ての社会成員に対して向けられたものなのである。
 政党間抗争により分断された社会は、部族間・宗派間の対立によって引き裂かれた社会と似ている。
 ある階級の名のもとに形成された政党は、やがておずとその階級のものに成り代わり、遂には敵対階級の後継者となるに至るのである。
 ある一つの社会を継承する階級は、そのことによって同時に、その社会の特徴をも継承する。例えば労働者階級が、他の階級を打ち破って社会の相続人となり、社会を物質的・社会的に支配する場合、その騒動者階級は、継承した社会の諸特徴をそのまま体現しているということが、すぐさまでなくとも、時とともに明らかになって来る。すでに排除された他の諸階級の特徴が、当の労働者階級の隊列の上にも、時間の経過の中ではっきりと現れて来るのである。共通の特徴を持つ諸勢力は、常にそれに見合う類似した行動を取り、類似した観点に立つものである。かくして労働者階級は、旧社会が孕んでいたのと同じ矛盾を再生産し(そんなことは無い)、改めて分裂した社会を作り出すことになる。まず社会を構成する個々人の物質的・精神的水準が多様化し、やがて諸党派が生じ、さらには、これらの諸党派は、すでに消滅していたはずの諸階級に類似したものへ否応なく発展して行くことである。こうして、社会の支配権を巡る闘争が再開される。まず、あらゆる党派が、そして遂にはあらゆる新しい階級が、それぞれ統治機構の担い手になろうとして対立し合うのである。
 社会の物質的基礎というものは、それ自体安定的なものでは無い。というのは、物質的基礎それ自体が社会的性質をおびたものだからである。社会の物質的基礎の一つに支えられた統治機構は、一時的には安定するかも知れない。しかしその同じ物質的基礎の内部から新しい社会的・物質的基礎が生じ始めた途端に、その統治機構は過去のものとならざるを得ないのである。階級対立を孕む社会は、いずれも、かつては単一の階級から成る社会であったが、その根元にある階級の発展の不可避的結果として、対立し合う諸階級が生み出されて来たのである。
 他の階級の資産を奪取して、自らの階級的利益に基づく統治機構の維持のためにこの資産を利用しようとする階級は、この資産のコントロールの主体足り得ず、そしてそもそも資産というものが社会全体に対して及ぼす作用の中に、自らすっかり巻き込まれてしまっている、ということに、やがて気付かざる得ない。
 それゆえ、統治の問題を解決するために、あるいは政党・階級・宗派・部族間の利害対立を解消するために、社会の物質的基礎を一元化しようとする企ては、はじめから明白に失敗が約束されているのである。それは、代表の選出によって大衆を満足させようとしたり、人民投票によって大衆の意思を表明させようとする企てが失敗する運命にあるのと、同様である。
 これらの企てを繰り返すのは、時間の浪費でしかなく、他方、人民の側にとってはお笑いぐさと言うべきだ。
 ●−人民投票
 人民投票は、民主主義そのものに対する欺瞞である。「イエス」とすと者も「ノー」とする者も、実際には自分の意思を表明した訳では無い。彼らは近代民主主義の名のもとに沈黙させられたのである。ただ、彼らは「イエス」か「ノー」かの一語を発することを許されただけであり、これは最も抑圧的で独裁的な制度だと言えよう。「ノー」と答える者は、何故そうなのか弁明すべきであり、「イエス」と答える者は同意の理由を述べるべきである。各人は自ら欲するところ、並びにその「イエス」・「ノー」の理由を明確にするべきである。
 暴君や独裁者の時代をきっぱりと断ち切るためには、人類は如何なる道を歩まねばならないのか。民主主義を巡る複雑な問題とは、統治機構の問題であり、階級闘争や政党間、個人間の抗争も、この問題の反映である。また、選挙や人民投票はこの問題解決の試みが常に失敗してしまうのを何とか打開しようとして、そのために考案された物である。それゆえ、社会を部分的に代表することにより対立の原因そのものとなってしまうような統治機構とは異なる、新たな統治機構を発見することによって、はじめてこの問題は解決可能となるのである。それは、政党、階級、宗派、部族ではなく、人民が一丸となってその担い手となるような統治機構でなければならない。それは、人民の代表ではなく、人民を代弁するものでもない。
 ■人民の代表というものは有り得ない。代表制はごまかしである。
 上に述べたように新しい形態の統治機構が発見されるならば、問題は解決されよう。人民の民主主義の実現され、人類は専制政治や独裁制を根絶して、かわりに人民の権力を持つことになるのである。
 『緑の書』は、政治機構の問題の解決を提起するものである。それは、人民に独裁制の時代から真の民主主義の時代へと移行する道筋を示している。
 この新しい理論は、代表制や代議制の介在しない人民の権力を土台にしており、明快で実際的な直接民主主義を実現させるものである。従来の直接民主主義の理論が実際に適用することが困難で、かつ底辺の人民を組織化する努力を欠いていたために軽薄な物になっていたのに対して、この新しい理論はそれと全く異なる性質のものなのである。
 ●−人民会議と人民委員会
 色々のレベルで人民会議を樹立することが、人民的民主主義を達成する唯一の手段である。人民会議以外のいかなる統治機構も、非民主主義的である。世界の現行の統治機構は、いずれも、この方式を採用しない限りは、非民主主義的なものだと言わなければならない。人民会議は、民主主義を目指す人民運動の到達点である。人民会議と人民委員会は、決して想像の産物では無い。それは人類が民主主義達成のために積み重ねて来た努力の全てを吸収したものであり、人類的英知の結晶である。
 直接民主主義は、もしそれが実現されるならば、議論の余地無く理想的な形態なのである。しかしながら、数の多少に関わらず、全人民を一同に集めて、彼らに政策を討議・検討させ、決定させるなどということは、不可能なことであったから、諸民族は直接民主主義の方式を取ることを考慮外のこととして来た。従来、直接民主主義は、現実性に欠けたユートピア的発想に終始して来たのである。そのため、それに代えて、代議制に基づく議会、政党ブロック、人民投票などの様々な統治理論が登場して来た。これらの全ては、結局、人民を自主的な政治活動から外し、彼らに権力行使の道を閉ざし、彼らの主権を侵害することになった。人民の権力は個人、階級、宗派、部族、議会、政党などの統治機構のあいだで持続的に繰り返される闘争を通じて奪い取られることとなった。しかし、『緑の書』は世界の人民に対して、直接民主主義に到達する道筋を実際的な方法で示したのである。もともと、直接民主主義という理念は、これまで適用が困難であったにも関わらず、それが実現されるべき理想であるということについては、誰も異議を差し挟むことの出来ぬものであった。この第三の普遍理論は直接民主主義を実現させるための現実的な道筋を示すものであるので、世界の民主主義問題は今や最終的に解決されることとなった。大衆にとっての緊急の課題は、民主主義を欺瞞的に僭称しつつ、現代世界に蔓延っている独裁制のあらゆる形態(議会、宗派、部族、階級、一党制、二党制、多党制)を廃止することである。民主主義には一つの方法と一つの理論があるだけである。民主主義を自称する体制の間に様々な相違があるのは、それらの体制がそもそも民主主義的では無いということを物語っているのである。人民の権力は普遍的内容を持つのであるものであるが、それは人民会議及び人民委員会の方式を唯一の手段として実現されるものである。人民会議と各地に存在する人員委員会とが無ければ、民主主義は存在しえない。
人民権力の機構.jpg
人民権力の機構(クリックして下さい。)

 まず、人民は基本人民会議に分かれて組織させる。各基本人民会議はその書記局(キヤーダ)にあたる委員会を選出する。これらの委員会が集まって基本人民会議を除く諸レベルの人民会議を構成する。次いで、各々の基本人民会議に結集する大衆は、人民行政委員会を選出する。これが、従来の政府の行政に肩代わりしていくことになる。全ての公共事業は人民委員会によって運営される。人民委員会は基本人民会議に対して責任を負い、基本人民会議は、人民委員会に対して採るべき政策を定めるとともに、その施行過程を監督する。こうして行政・監督の両面が人民的に運営されることとなる。
「民主主義とは人民が政治をコントロールすることであるというような時代遅れの認識に終止符が打たれ、「民主主義とは、人民が自らをコントロールすることである」という正しい認識がそれに取って代わるのである。
 人民会議のメンバーである全ての市民は、基本人民会議や人民委員会のメンバーであったり、あるいはそれらの書記局員であったりすることになるが、同時に彼らは、職業・職種に応じて、なんらかのカテゴリー(労働者、農民、学生、商人、職人、職員、専門職就業者など)に属しているのであるから、それぞれに独自の組合や職能組織をも結成しなければならない。人民会議や人民委員会が、また、組合や職能組織が討議した議題については、人民会議、人民委員会、組合、職能組織、それぞれの書記局(キヤーダート)が一堂に会する人民総会の場で最終的な結論を得ることになる。毎年一度開催されるこの人民総会で討議された議題は、もう一度それぞれの人民会議、組合、職能組織に持ち帰られ、人民委員会(基本人民委員会に対し責任を負っている)が行政の施行に取りかかるのである。人民総会は、議員と傍聴人としての一般人とからなる従来の議会のごとき集会では無く、基本人民会議や人民委員会、組合、職能組織、その他あらゆる職業団体の結集体なのである。
 こうして、統治機構の問題は実質的に解決され、独裁制は消滅する。人民自身が統治機構の主体となり、現代世界の民主主義の問題は完全に解決するのである。
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2012年03月20日

スカイツリーは東京の風水結界を崩すロンギヌスの槍である。

コアマガジン「都市伝説イルミナティ」から抜粋し、内容を詳しくして見ました。

聖槍ロンギヌスの槍
キリスト処刑の際、死を確認するため1人の兵士が槍で脇腹を突いた。その兵士の名から取られ、キリストの血に触れた聖なる遺品と崇められている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(イエスの箇所を正しく「イスキリ」に改変。)
ロンギヌスの槍(イメージ)

エヴァ5.jpgロンギヌスの槍(イメージ).jpg
聖槍
(せいそう、
: Sainte Lance: Heilige Lanze: Holy Lance)は、十字架上のイスキリ・キリストを確認するため、わき腹を刺したとされるである。
イスキリの血に触れたものとして尊重されている
聖遺物のひとつ。新約聖書の「ヨハネによる福音書に記述されている(19章34節)。またキリスト受難の象徴でもあり、人類の罪過をただ一人で背負った象徴でもある。
槍を刺したローマ兵の名をとって、「ロンギヌスの槍」(仏:lance de Longin, 独:Longinuslanze, 英:Lance of Longinus)とも呼ばれる。
「所有するものに世界を制する力を与える」との伝承があり、
アドルフ・ヒトラーの野望は、彼がウィーンホーフブルク王宮で聖槍の霊感を受けた時より始まるといった俗説もある。

アーサー王伝説の聖槍 聖槍はまた、キリスト教説話としての性質の濃い、
アーサー王伝説の聖杯探索のくだりにも登場する。 聖杯城カーボネックを訪れた円卓の騎士らの前に聖杯とともに現れ、穂先から血を滴らせた白い槍という姿で描写される。名前はロンゴミアントと言われている。


都市伝説「山手線がつくられた本当の理由」
http://www.youtube.com/watch?v=V0v0inphUO4&feature=related
山手線の「山手」は高台の山の手地区を通した事実にちなむ。なぜ-そこに線路を通す必要があったのか?
明治5年に帝都東京の新橋と貿易港の横浜を結ぶ鉄道が開業した後-、台東区の上野を起点に殖産興業の旗手となる養蚕が盛んな群馬県-を目指し、今日の高崎線が敷かれた。無論、その産物は輸出もする-ことを目論んでいた。
が、上野・高崎・前橋間の鉄道と新橋・横浜間の鉄道を連絡させよ-うとすると、既に市街地だった上野・新橋間に線路を通さざるを得-ず、高架橋の技術がない当時は技術と予算の面で厳しいとされた。

そこで人口が少なかった、山手地域に迂回して連絡線を通すことに-した。赤羽・新宿・品川間―今日の埼京線と山手線に当たる路線の-開業である。

風水は方位だけで計れるほど単純なものでは無い。陰陽道や霊的結界を考慮しなければならない。
特に有名なのは平将門の呪いである。首塚は東京大手町にある。
東京都の平将門の結界
また徳川家康は江戸に幕府を作る際に平将門の力を借りるために将門の首塚をはじめとして、五街道と江戸城の堀の交点のそれぞれに神社を配置したという。
平将門の呪い
平将門の首塚.jpg
平将門の首塚

朝廷と対立し戦に敗北し、首を討ち取られた将門。その首は京の都に運ばれて、七条河原にさらされた。
だが、そのさらし首は夜な夜な「体を返せ!」と叫び続け、いつまでも腐らなかったという伝説を持つ。
将門の首塚は千代田区大手町に存在するが、その土地を整地しようとするたび、関係者が怪我や病気に見舞われている。
強力な将門の呪いを封じるために、江戸時代に将門縁の神社が7つ建設されている。


2北斗七星.jpg北斗七星.jpg
北斗七星


妙見菩薩.jpg
尊星王像 三井寺 <17世紀の模写>妙見大菩薩(北斗七星を司る)。
われ、北辰菩薩にして名づけて妙見という
                今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんとす
                    国家逆賊の天皇家宮家一族よ、死せよ!

妙見菩薩の出身は中国。北極星(北辰)の天帝(天皇大帝)思想と菩薩信仰が混じってあたらしく生まれた。毘沙門天や弁財天とおなじ「天部」に属する。
日本では、密教と陰陽道でおもに崇敬され、神社とお寺が合体した妙見宮に祭られてきた。北斗七星と重ねられ、北を守護し、四神獣の玄武(亀)にのった姿で描かれる。
大和神話では星神はほとんど語られない。だが星信仰がなかったというより、秘儀秘法、いまでいう企業秘密的に封印されたのではないかと思う。大嘗祭の悠紀(ゆき)殿には、かつて九星(こほし)がまつられたという。トホカミエヒタメの八星の中心に位置したのが、後世の艮の金神こと国常立尊であり、妙見菩薩と同一視された天御中主神だった。ホツマツタヱでは、国常立尊は最後の天御中主神ってことになっている。
平将門の叔父、平良文を祖とする千葉氏の嫡流は月星を家紋とした。元祖は将門が妙見からさずかったとされる千九曜紋。末流は諸星をもって家紋とした。今年は九星術の九紫火星の年で、西暦でも2000と9年。この「9」の年、丑・寅(東北)とつづく年に、去年の牛久大仏、将門の胴塚(茨城県坂東市)から、宮城県石巻市雄勝町の千葉大王をはじめとした東北妙見の反応、茨城の天津甕星神、高知の星神社と連鎖した流れは、僕には偶然とは思えない。

妙見信仰を最初に流行らせたのは修験道の役小角だという。当時の北辰祭は、796年に風紀の乱れを理由に禁止された。つづいて806年に唐から帰国した空海が、真言密教の仏に妙見大菩薩を迎えいれる。密教と修験道のむすびつきにより、妙見信仰は日本独自の色を重ねつつひろまっていく。
空海は高知県の室戸岬での修行中に、「あけの明星」が口にとびこむ体験をしている。四国の星信仰は、讃岐からひろがった真言系じゃないかと思う。
おなじ星体験をしたのが日蓮で、天から明星のような大星がおりてきて梅の木にかかったという。彼は北辰妙見菩薩の示現をうけ、法華経護持の誓いを得ている。
この「星」と「梅」のとりあわせは、千葉神社の摂社・千葉天神(1182年創祀)を思い出させる(写真)。千葉妙見宮(千葉神社)と日蓮は、ゆかりが深い。

千葉天神2009.2.3

・・・ああっ、忘れてた!
福岡市の東公園には、立正安国論の日蓮上人の銅像(明治37年)が海をにらんで立っている。福岡と千葉のつながりは、日蓮もあったんだ。

妙見菩薩(尊星王)を本尊とする尊星王法は、国家安泰を祈る大法だった。
日本の妙見菩薩は、いろんな歴史要素をふくんだ独自の姿をしている。中国道教の真武神に近いという。
おどろいたのが三井(みい)寺の鎌倉時代の尊星王像。
まずは頭上に鹿の頭・・・志賀神。せんとくんかいっ。
龍の上にたち・・・オホーツクの渦巻き。大蛇。へびつかい座かいっ。
四臂(ひ)に三叉戟(海神トライデントかよ)と錫杖と「日月」の珠。
背後に八つの日月輪。日輪の中には三足の烏(ヤタガラス)、月輪には兎(出雲)と蛙(黄泉がえる)。鹿・豹・白狐・虎・象がえがかれる。
なんというか・・・事象の要素てんこもり!

妙見信仰は武士団にひろまり、貴族から武家社会への転換の精神的原動力となる。
いわば奈良・平安から鎌倉への大変化は、「星」がもたらしたもの。
そしてそのとき、時代の最先端でスサノヲ=日本武尊の役どころを演じた武将が、あの源義経だった。
事象にスサノヲ尊が見えはじめたとたんに、妙見、星神の反応。
あらわれ方はちがっても、歴史というストーリーはくりかえす。
魂の輪廻転生のように。

明治政府、悪魔の魔方陣.jpg
明治政府、悪魔の魔方陣(ピラミッド型になっていることに注目!)

東京スカイツリー.jpg

東京スカイスリー(現代のロンギヌスの槍)

東京スカイツリーは高さ634m。
東京は世界にもまれに見る「風水都市」である。東京スカイツリーは皇居から見て東北まさに鬼門の一角を守る位置にある。
「鬼門」とは風水で言うところの「悪い気」が流れて来る方位のことである。

江戸城建築に関わる風水
江戸城・皇居は風水を緻密に計算して作られてある。その江戸城に徳川家康が幕府を置いたのは、天台宗の大僧正・天海のススメによるものだと言われているが、天海は、徳川幕府の安寧と繁栄を祈願して上野山に寛永寺を建てた。この寛永寺は江戸城の東北にあたり、鬼門を封じたのである。
また、裏鬼門である西南の方位には、裏鬼門封じとして増上寺を建てている。
上野寛永寺.jpg
上野寛永寺                            

港区 増上寺.jpg
港区 増上寺

北斗七星が江戸を守っていたと言われているが、明治政府は呪いを封印した。
現に明治政府は将門にまつわる七つの神社を分断するように、靖国神社を中心として青山霊園、雑司が谷霊園、谷中霊園 江戸時代、庶民の霊廟であった築地本願寺をつくり霊を結界にしたと思われる。
それでも明治時代は混乱の時代であったため、度重なる戦乱を将門の呪いと考えて、さらに強力な絶対結界を作ることを計画した。
その絶対結界こそが山の手線である。山の手線の輪は霊的に非常に強い結界力を持つと言われる「鉄」で出来ている。
だが、すでに山の手線完成前に結界は崩れていた・・・
山手線が円を描く直前、1923年、東京を未曾有の災害が襲った。関東大震災である。
そして今回、東京スカイツリーが完成する直前には「東日本大震災」が起きている。
この符合は何を意味しているのだろうか?
ここで忘れてはならないもう一つの場所がある。東京のシンボル、東京タワーである。

東京タワー.jpg
東京タワー
東京タワーが、皇居から見て裏鬼門を守る一角として設計されていることは有名な話である。それ以外にも、タロ、ジロで有名な15頭の樺太犬像は、隊員と犬が奇跡的に再会出来たことから、ここで写真を撮影すると、「別れた恋人と復縁出来る」という伝説もある。大展望台2階にはタワー大神宮というのがあり、ここは23区内内では最も高い場所にあり、高い地位につけれるというご利益があると言う。

スカイツリーと東京タワーを線で結ぶと見事なまでにこの結界を切り裂いている。
スカイツリーとは、現代の「ロンギヌスの槍」である。
ロンギヌスの槍0001.bmp「 結界が切られる 」.jpg
山の手線の結界を見事なまでに「分断」している。無理矢理「北斗七星」に触れているように見えるが、実際は触れていない。

明治政府魔方陣のそれぞれのポイントは以下です。

1)靖国神社・・・国のために戦死した人々を顕彰
2)谷中霊園・・・明治6年に出来た神式公共霊園
3)雑司ヶ谷霊園・明治6年に出来た神式公共霊園
4)築地本願寺・・江戸最大の庶民の墓所
5)青山霊園・・・明治6年に出来た神式公共霊園

1から5の霊園は正確な長方形、
そしてその対角線の交点に靖国神社、これが明治政府魔方陣

ところが、明治政府が新たに作ったはずだった 魔法陣(結界)は、実は 関東大震災で破られていたのでした。


さらに歴史的事実として、日本の象徴的なタワーというものは災害と深くリンクしている。
(割愛)
東京タワーとスカイツリーを結んだ線を真っ直ぐ伸ばして行くと・・・福島第一原発がある。
しかも、風向きや雨とは無関係にホットスポットと呼ばれる高濃度放射能の地点がこのライン上に多数存在している。
さらに東京の中心に向かって霊峰富士→高尾へと続く龍脈が流れていると言われている。このまま鬼門が破られれば、ありとあらゆる邪気が龍脈を逆流!!そして・・・「日本(天皇家一族、宮家一族)」壊滅!!

富士から続く龍脈
地球が持っている「気」の流れの通りを風水用語で「龍脈」と呼ぶ。東京八王子の高尾山には富士山から続く龍脈があると言われ、さらにその龍脈はさらに東京の中心・皇居へと向かう。そうなると皇居の鬼門であるスカイツリーから邪悪なエネルギーが流れ込むことになる。

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2012年03月19日

アンタレス(死ね!火星イシス=アモン!!!)

アンタレス、さそり座(=最低)の一等星、それは心臓を表す。
ギリシャ語で「火星(アレース=イシス=アモン=モロク)に対抗(アンチ)するもの」
イシスを殺せるのはアンタレス。

イシスの正体=モロクの正体。
http://takao-sato.seesaa.net/article/253841467.html?1333350568

モロク崇拝のイルミナティ
http://takao-sato.seesaa.net/article/215925353.html?1333350741

2012年3月20日 0:01
iグーグル掲示板「午前中発射か」
iグーグル政治欄「備え不十分だった」←射程範囲内だ!死ね!!!イシス!!!

0:12
iグーグル芸能欄
届けた!」←死亡確定。
2012年3月20日 0:18←「666」終わり。
私「破壊せよ、GO!」

0:19
iグーグル新路線」

iグーグル国際欄「潜伏部隊が攻撃」!!!

0:不幸(25) THE ALFEEの「悲しき墓標」を聴く。

0:36
iグーグル掲示板「破壊命令検討」←GO!

0:40
iグーグル国際欄「死亡した。」

0:45
iグーグル掲示板「さらば民主党!(=イルミナティ=ルシファー崇拝者、悪魔崇拝者)審判の日は近づいている。民主党の3年天下≠ヘ終わり」

0:59
iグーグル掲示板最悪シナリオも」
iグーグル掲示板「衝撃!」

1:03
iグーグル掲示板
「死亡で会社が見解」

1:14
iグーグルフリーメーソン欄「やりすぎ」

3月20日 6:49
NHK千正夫「現実にあったのだから・・・」

6:59
NHK「終わったんですねぇ・・・」

7:06
茨城県沖でマグニチュード4の地震。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンタレス.jpg
アンタレス2.jpg
アンタレス
Antares
星座さそり座
視等級 (V)0.96
変光星型LC型
位置
元期:J2000
赤経 (RA, α)16時29分24秒
赤緯 (Dec, δ)-26° 25′ 55″
視線速度 (Rv)−3.4 km/s
固有運動 (μ)赤経−10.16ミリ秒/年
赤緯−23.21ミリ秒/年
距離550光年
絶対等級 (MV)-5.18等
物理的性質
直径太陽直径の700倍
質量太陽質量の15.5倍
自転周期20km/s
スペクトル分類M1.5Iab-Ib+B2.5Ve
表面温度3500K
色指数 (B-V)1.83
色指数 (U-B)1.34
別名称
 
■Project ■Template
アンタレスAntares)はさそり座のα星で、よく知られる恒星の一つである。の空に赤く輝く1等星。

イシスを殺せるのはアンタレス。
名称について

さそり座は黄道十二宮の一つであり、従ってアンタレスは火星と大きく接近して見える場合があり、共に明るく赤い星であることから、ギリシャ語で「火星(アレース=イシス=アモン)に対抗(アンチ)するもの」を意味する名が付けられたものである。和名の赤星(あかほし)や、古い漢語で(か)、大火(たいか)と呼ぶのも、星の色に由来している。
ほかにもコル・スコルピイラテン語: Cor Scorpii)、ル・クール・デュ・スコルピヨンフランス語: le Cœur du Scorpion)、カルブ・ル・アクラブアラビア語: قلب العقرب‎ ; qalb l-`aqrab)など各国語の固有名を持ち、これらはいずれも「さそりの心臓」の意。
学名のアルファ・スコルピイα Scorpii、略号α Sco)で呼ばれることもある。

物理的性質

アンタレスはかつては0.9等から1.8等まで変光する脈動変光星といわれていたが、実際はそれほど大きな光度変化は見られず、変光範囲は0.9等から1.2等くらいである。従って眼視観測ではアンタレスの変光はほとんどわからない(ちなみに眼視観測で変光が分かるのは変光範囲が0.5等以上の星である)。むしろジュバ(δ Sco)の方がアンタレスより変光範囲は大きい(ちなみにジュバの変光範囲は1.7等〜2.3等なので、眼視観測でも変光が確認できる)。
アンタレスはかつて直径が太陽の230倍とされ、「理科年表」も長らくこの値を採用していたが、実際はもっと大きな星で、直径は太陽の600倍ないし800倍である(理科年表2009年版では太陽の720倍(=火星の別名、夏日星。それを殺す星。)に変更されている)。以前は明るさと表面温度から大きさを推定していたが、現在は干渉計によって実測しており、過去と現在の直径の違いはこれを反映している。明るさは太陽の8000倍ないし1万倍と考えられている。なお、赤外線を含めて計算すると明るさは太陽の6.5万倍である。非常に大きな直径と太陽よりはるかに明るい光度、そして表面温度が3500Kであることからアンタレスが赤色超巨星であることがわかる。また、地球からの距離は約550光年と考えられている。

伴星

非常に美しい実視連星で、0.96等の主星(アンタレスA)から2.9秒離れたところに5.5等の伴星(アンタレスB)が輝いている。伴星は主星から550天文単位の距離にあるものと推測されている。2つの星のスペクトル型はアンタレスAがM1.5Tab-TbでアンタレスBがB2.5XeなのでアンタレスAが赤く、アンタレスBが青白く見えるはずだが、実際にはアンタレスAとの色の対比効果によりアンタレスBは緑色に見えることが多い。またアンタレスAも「赤」とはいっても「真っ赤」というよりはオレンジがかった赤色に輝いて見える。伴星は主星の370分の1の明るさしかないが、太陽の170倍の明るさで輝いている。2つの星の光度差が大きいため、分離には口径150mmほどの望遠鏡が必要である。伴星は主星が月により掩蔽される際に、小口径の望遠鏡で数秒間見ることができる。伴星は、1819年4月13日の月によるアンタレス食の際に発見された。伴星の軌道についてはよく分かっていないが、878年の周期で公転しているものと推測されている。

Cr302の主なメンバー一覧



2012年3月20日 11:16
夢で
9:00
点いてる炎=イシス
むぅ、事は深刻だな。
9:27
「あなたは絶対就職出来ないでしょう。

今から悔いても、もう手遅れです。」

仕方ない、芸能界でも行くか。ROCKで。
苦界に行かねばならない定めのようだ。


12:00
iグーグル掲示板「ギリギリ」←ギリギリで生きてるのか・・・

12:04
iグーグル芸能欄「改めていきます」 ←GO!

12:28
iグーグル国際欄死亡」

ムト
ムト。.png
ムトMWT, MuT)はエジプト神話の女神である。ヒエログリフでは、「禿鷹」で表され、このヒエログリフの読みは、また「母」をも意味する。元々、テーベカルナック)の地方神であったと考えられるが、アメン神と関連付けられ、アメンの妻とされた。また、コンス神の母ともされ、アメン、コンスとともにテーベ三柱神となる。
エジプトと天空の女主人

ムトの父は、アメンラーであるが、アメン=ラー神は、アメン神が太陽神ラーと習合されて、太陽神アメンとなったものである。アメンはエジプト新王国時代には、エジプトの主神となったので、「エジプトの主」であるアメンの妃として、ムトは、「エジプトの女主人」の称号を持つこととなった。また、アメンが太陽神となり、「天空の主」となったことより、ムトもまた「天空の女主人」となった。
娘にして、妻にして、母

ムトはアメンとのあいだで息子を生むが、それはアメン=ラーであり、アメン=ラーはアメンでもあるので、ムトは、アメン=ラーの娘であり、妻であり、母でもあることになる。エジプトでは、父親と娘の結婚は、とくにファラオにおいては珍しいことではなかったので、ムトとアメン=ラーのあいだのこの自己循環しているような関係も、特段に奇異なこととは考えられなかった。母の「母・万物の母」
ムトは「天空の女主人」であるが、同時に「ラーの目」でもある。しかし「ラーの目」はラーの娘なので、ムトは「ラーの娘」となり、またラーの妻にもなった。ムトは最終的に、「太陽の母」となり、「万物の母・母のなかの母」となり、イシスと同一視された。
posted by 真 救世主 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロシア料理!渋谷ロゴスキー


2012年3月19日

サラダの紅いのは「ビーズとポテトのサラダ」で、
ビーズとは日本の「赤かぶ」のようなものだと店員さんに教えて頂いた。
「ビーズとポテトのサラダ」.jpg
ん?なんだろ!?
ポテトサラダなんだけど、後味が日本のと違って面白い!
口の中に広がる高揚感と言うか・・・
不思議な味。
美味しい!

ボルシチ.jpg
13:43
ボルシチを食す。
あ!これは日本のハッシュドビーフと同じ。
それに野菜の酸味が少々加えた感じ。

美味しいよ。

ピロシキ.jpg
13:46
ピロシキ
です。
店員さんに「紙に巻いてお召し上がり下さい。」と
おっしゃるので紙に巻いて見よう!
なんだろ?
揚げパンに野菜炒めが詰めてあるのかな?
生まれて初めての食感だ。
モチモチしている。
キャベツ、人参、きのこ、にホワイトクリームっぽい味わい!
どれ、もう一つ・・・私はモチモチ感に惹かれ、
店員さんに「すいません、ビールもう一つ!」
美味しいなぁ、ピロシキ。

「佐藤高央、暴走モード突入!!!」

ビール進むわぁ。喧嘩売ってるような美味さだな!
美味ぇ・・・酒が進む・・・
あ!もう一つのピロシキは
玉ねぎと挽き肉の炒め物だ。
ほぅ・・・「私の舌への挑戦」と見える。
よし!食うぜ!ピロシキ!
ふむ。少々焦げた感じが私の食欲を刺激する。
私「・・・中々やるな。」
私はビールを一口飲み、ピクルスをつまんで再びピロシキに対峙した。
う〜ん・・・このモチモチ感が!このモチモチ感が!
・・・やるじゃねーか!予想を上回る美味さだぜ。
だが、俺もこの程度じゃ負けねぇ。
まだ負けた訳じゃねぇ!

14:01

あぁ、美味めぇな。
私はピロシキが大変気に入った。
さて、いよいよ「きのこのつぼ焼き」か。
私は脳のモードをチェンジし、「スーパーサイヤ人」になった。

私「いくぜ、『きのこのつぼ焼き』!」


  青コーナー佐藤高央
VS
赤コーナー
ロシア「きのこのつぼ焼き」
ロシア「きのこのつぼ焼き」.jpg
14:05
ピロシキにいいパンチを貰った後、
私は巨頭「きのこのつぼ焼き」と対戦することになった。
まずはこちらから出方をうかがうか・・・

グングニルチョップ.jpg
まずは「グングニルのスプーン」で脳天チョップ!!
流石の「きのこのつぼ焼き」もこれには参ったようだ。
何せ百発百中だからな。
食してみた。
パン生地が・・・む〜、モチモチしている。・・・殺気!?
ロシア「きのこのつぼ焼き」『私の美味さに参るがいいわ!』
私「何をぅ!!!」
パン生地に中のシチューをつけて食した。
こ、これは!?麻里子が見える?
懐かしい・・・遠い昔、私の嫁が心を込めて作ってくれた味のような
幻影を見た。
私「貴様〜!・・・心理作戦か、揺さぶりやがって!!!・・・強ぇな。」
あぁ、美味しい。モグモグ・・・
私はビールを飲みながら上機嫌になった。
14:16
あ、美味いね。美味い。
ビールを飲みほし、「きのこのつぼ焼き」を貪る!!!
あぁ、この味は「真心」を込めてお客様に作ってるんだなぁ・・・
味に出るよ。わかる人にはわかるもんだ。
14:20
食事終了。
初めてのロシア料理。日本と同じだけど、使っている食材の違いだろう。
面白かった。
そして、真心がこもっていた。
ご馳走さまでした。
今度、杏里を連れて来よう!

ロシアンティー.jpg
食事を終え、お会計しようとしたら、
ロシアンティーがおまけでついて来るそうだ。
(..)どれどれ・・・
甘いねぇ。
だけど、日本の白砂糖の甘さじゃないな。
なんだろ?
紅茶の中に何か雲のような物が浮かんでいる。
私は店員さんに尋ねた。
私「この紅茶の中に浮かんでいる雲みたいな物は何でしょうか?」
店員さん「あ、それは苺のジャムです黒ハート
私はかわいい店員さんの愛を感じ「ありがとうございます黒ハート
と言い、再び紅茶を口にした。
そう言われれば・・・紅茶から「ほんのり苺の香り」がする!
杏里が喜びそう!
女の子受けしそうだな。
私「あ〜、うめぇ。」私は店員さんに聞いて見た。
私「この紅茶って女性受けするのですかね?」
店員さん「あ、女性は結構頼まれます。」
そうか。
よし、また来よう。
そう思い私は会計の方へ向かった。
これは日本で売れるな。
posted by 真 救世主 at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホルスの正体=パズズ=スフィンクス(父はオルトロス)

ホルス=パズズ=スフィンクス=シヴァ=大黒天=ポセイドン

エジプトの文明はギリシアやイスラエルよりもはるかに古いですが、古代エジプト人は自分たちの発生史を太古の黄金時代に設定し、それをゼプ・テピ、言葉どおりに訳せば「最初の時」と呼びました。
ゼプ・テピとは、オシリスが地上にやってきて、エジプトに文化と秩序ある法をもたらした時代でした。
オシリスが死んで天に帰り、オリオン座に王国を創建したとき、エジプトはその子ホルスの統治にゆだねられ、ここに「再生した」ホルス=王の長い系譜がはじまったのです。
したがって各ホルス=王は、「オシリスの時」あるいは「ホルスの時」とも呼ばれた「最初の時」に直接つながる環とみなされました。
ギザ=ロ=セタウのピラミッド・コンプレクスの巨大な平面図を見れば、立案者がこの遠大な観念を意識していたことは、まったく明らかです。
ホルス像.jpgパズズ2.jpg

ホルス像                  パズズ像

(本文抜粋)
ホルスは、ホルミオスの名ではライオンの外観をとり、
ハルマキスの名ではスフィンクスになる。
元来はオシリスとイシスの子の天空神ホルスとラー(役職名)の息子のホルスという同名の神が二柱存在し、やがて習合されたものだとされている。


パズズ
パズズ像(メキシコ?).jpgパズズ.jpg
パズズ像(メキシコ?)             アッシリアの悪魔パズズ(ルーブル美術館所蔵)

 
パズズ(Pazuzu)はアッカドに伝わる風と熱風の悪霊で魔神。
アッシリア 【assiriya】
 メソポタミアの北部のティグリス川沿いの地域に起こり、古代オリエント最初の世界帝国を築き上げた帝国。遊牧や農業を行っていた。

(下↓は地図。濃い灰色の部分がアッシリアの領土、薄い灰色の部分はアッシリアの属国・属州)
アッシリア 【assiriya】.gif


ライオンの頭と腕、鷲の脚、背中に四枚の鳥の翼とサソリの尾、更には蛇の男根を隠し持つという。風とともに熱病をもたらすことからアッカド人に恐れられていた。しかし逆に悪霊の王であることから、その彫像が悪霊を統御する護符として用いられることもあった。蝗害を具神化した存在とも考えられている。


メソポタミアの「風の魔王」とされている。人間の体に獅子の頭とロバの歯を持つラマシュトゥを妻に持つ。


ホルス
ホルス .jpg


この項目では、エジプト神話の神である「ホルス」について記述しています。その他の用法については「ホルス (曖昧さ回避)」をご覧ください。


ホルス。
ホルスの目.jpg
ホルスの目

ホルス
ヒエログリフで表示

または


ホルス(Horus、エジプト語ラテン文字転写:Hr, Hru 、古典ギリシア語: Ώρος,
Hōros)は、エジプト神話に登場する天空と太陽の神。


オシリスとイシスの子で、セトの敵対者である神としての神話が特に有名だが、神話によってはオシリス、イシス、セト、ネフティスに続く5人目の兄弟となる事もある。妻としてはハトホルが有名だが、その他の女神を妻とする事もある。


概略


ホルスは、エジプトの神々の中で最も古く、最も偉大で、最も多様化した神である。通常は隼の頭をした太陽と月の両目を持つ男性として表現される。ホルスは、ホルミオスの名ではライオンの外観をとり、ハルマキスの名ではスフィンクスになる。元来はオシリスとイシスの子の天空神ホルスとラーの息子のホルスという同名の神が二柱存在し、やがて習合されたものだとされている。時代とともに、その姿は隼から人間の姿をとるようになる。ホルス信仰が発展するにつれて、ホルスは幼児神とも考えられるようになった。母神イシスの膝に乗った幼児(ホルサイセ・ハルポクラテス)として表現されるものもあり、これはキリスト教における聖母子像の原型とも考えられている。ローマ時代にはホルスは兵士に姿を変え、これは聖ゲオルギウスの原型となる。ホルスの元素は、大気と火。その色は、一般には黒、赤、白である。


ホルスは父神オシリスの後を継いで、現世の統治者となる。したがって、ファラオはホルスの化身とされ、複数付けられる王名の一つとしてホルス名がある。


また、ホルスは、ラーと習合したラー・ホルアクティ(Ra-Harakhte、「地上のホルスたるラー」の意)を初め、様々な神との習合が見られる。エジプトを象徴する模様として有名な「ウジャトの目」とは、ホルスの目のことである。
ちなみにホルスの母もしくは妻とされる女神ハトホルの名は「ホルスの家」という意味がある。



スフィンクス

ギザの大スフィンクス.jpg
ギザの大スフィンクス

オシリスに至る通路

ピラミッド・テキストが示唆するところによれば、ピラミッドの聖域は、現代のエジプト学の通説とちがったものです。
テキストでは受動的で硬直した「墓地」とは見なされておらず、むしろきわめて活発に相互作用する装置・・・。
なんらかの方法で「最初の時」のオシリス(オリオン)の星の世界にいたる「通路」として機能したのです。
つまり、死んだファラオの「魂」は、エジプト人の一般的な観念のなかで星に旅するだけでなく、具体的にオリオン座の中心に旅するのであったのです。
そこは天上におけるオシリスの時代と見られていました。

したがってギザは「星への通路」としての意味を持っただけでなく、オシリスとの結びつきを確立する「タイムトンネル」でもあったのです。

スフィンクス(Sphinx)は、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在あるいは怪物。


古典ギリシア語ではスピンクス(Σφίγξ,
Sphinx)といい、スフィンクスとはこの英語読みである。古代エジプトにおける本来の名は不明だが、ギリシア語名は古代エジプト語シェセプ・アンク(szp 3nh,
シェセプ=姿・形 アンク=再生・復活の神
「アンク神の像」の意)に由来するのではないかとする説がある。ただしこの語は神あるいは王の像に対してのみ使われており、合成獣に使われた証拠はない。


スピンクスは女性名詞であり、中国語では「獅身人面像」または「獅身女面像」と訳される。夏目漱石は『虞美人草』の中で「獅身女」という漢字に「スフーヒンクス」という熟字訓を当てた[1](漢字検定1級の問題集に「獅子女」という表記が見えるが典拠不明)。永井荷風は『あめりか物語』の中では「怪像」に、『ふらんす物語』の中では「怪神」に熟字訓をあてている。一方、ヘロドトスはエジプトの合成獣を描写する際にこの名詞を「Androsphinges」と男性化したが、これが男性スピンクスの唯一の例である。


本来はエジプト神話の生物であるが、非常に古くからギリシア神話にも取り入れられていた。エジプトのスフィンクスは王家のシンボルで、ギザのピラミッドにある、いわゆるギザの大スフィンクスは王の偉大さを現す神聖な存在である。対してメソポタミアやギリシャのスフィンクスは怪物として扱われていた。


ピラミッドと同時期に建設されたとの説もあるが、スフィンクスには明らかに雨に打たれた跡がある。近年の古代気象学によると、エジプトが雨の多かった時代は今から1万2000年前頃とされている。ピラミッドが建設された時代、古代のエジプト人はスフィンクスを見上げていたことになる。



各文化のスフィンクス
ギリシア神話のスピンクス(ジノ・スフィンクス).png子羊の頭のスフィンクス.jpg
ギリシャ神話のスフィンクス     子羊の頭を持つスフィンクス

オイディプスとスフィンクス.jpg
オディプスとスフインクス

古代エジプト

雄羊の頭のスフィンクス(カルナック神殿)

エジプトにおけるスフィンクスは、ネメスと呼ばれる頭巾を付けたファラオ(王)の顔とライオンの体を持つ、神聖な存在である。王者の象徴である顎鬚をつけ、敵を打破する力、あるいは王または神を守護するシンボルとされている。古王国時代には既に存在し、神格化したファラオと百獣の王であるライオンを重ね合わせたものと考えられている。


スフィンクスの種類には複数あり、男性も女性もいる。動物や鳥の頭部を持つものも見受けられる。


最も有名で大きなスフィンクス像は、古王国時代のギザの大スフィンクスである。中王国以降は、最高神アモンの聖獣である雄羊の頭部を持つスフィンクスが、神殿の守護者として神殿前面に置かれた。


メソポタミア

メソポタミア神話(バビロニア神話)におけるスフィンクスは、エジプトとは異なり、ライオンの身体、人間の女性の顔、鷲の翼を持つ怪物とされた。また、死を見守る存在とする考え方もメソポタミアにて生まれたとされる。


古代ギリシア [編集]





ギリシア神話のスピンクス(ジノ・スフィンクス)

ギリシア神話におけるスピンクスは、ライオンの身体、美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物(一部の絵画では尻尾が蛇になっている姿で表される事も)。テューポーンあるいはオルトロスとキマイラあるいはエキドナとの娘。一説によればテーバイ王ライオスの娘であり(アレクサンドリアのリュシマコス)、これによればオイディプスとは兄弟となる。また、ウカレゴンの娘とする説もある(エウリピデス『フェニキアの女たち』26への古註)。当初は子供をさらう怪物であり、また、戦いにおいての死を見守る存在であった。高い知性を持っており、謎解きやゲームを好む。


オイディプスの神話によれば、ヘーラーによってピキオン山に座し、テーバイの住人を苦しめていた。旅人を捕らえて「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」という謎を出し、間違った者を食べていた。なお、答えずに引き返すことは可能だった。この謎はムーサに教わったとされている。しかし、オイディプスに「人間は赤ん坊の時はハイハイで四つ足、成長して二足、老年で杖をつくから三足だ」と答えられ、岩の台座から飛び降り、海に身を投げて死んだという(アポロドロス、ヒュギヌスなど)。またはオイディプスに退治されたともいわれる(ソポクレス『オイディプス王』、エウリピデス『フェニキアの女たち』)。

オルトロス(スフィンクスの父、ケルべロスが兄。)
オルトロス2.jpgオルトロス3.jpg
ヘーラクレースおよびゲーリュオーンの足元で斃れるオルトロス(ミュンヘン古代美術博物館蔵、紀元前6世紀)
ヘーラクレースおよびゲーリュオーンの足元で斃れるオルトロス(ミュンヘン古代美術博物館蔵、紀元前6世紀)
オルトロス(Orthros, 希:Ὄρθρος,
拉:Orthrus)あるいはオルトス(Orthos, 希:Ὄρθος,
拉:Orthus)は、ギリシア神話に登場する双頭の犬。名前の意味は、オルトロスが「速い」でオルトスが「真っ直ぐな」である。


テューポーンとエキドナの子。ケルベロスを兄に持つ。 姿は黒い双頭の犬で、鬣一本一本と尻尾が蛇になっている。
性格は落ち着きが無く、せっかちである。クレータ島またはゲーリュオーンの雄牛を守っていたが、ヘーラクレースに殴り殺された。
また、母であるエキドナとの間で、ネメアーの獅子、パイア(クロミュオーンの猪)、スピンクスを産ませる。

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2012年03月18日

インドのロスチャイルド家サッスーン家(3)

■■追加情報: 『阿片の中国史』
http://takao-sato.seesaa.net/?1332017978


●中国人の父と日本人の母を持つ譚ろ美さん(ノンフィクション作家)が、「アヘン戦争」についての本を出した。


本のタイトルは『阿片の中国史』(新潮社)である。


●彼女は「アヘン戦争」について、この本の「序章」の中で次のように書いている。


「中国の近代は阿片(アヘン)戦争という理不尽な外圧で幕を開けた。4隻の黒船が近代を告げた日本とは大きな違いだ。この欧米列強との出会いの差が、その後の両国がたどった道の隔たりであり、消すことのできない大きなしこりを残した原因にもなっているにちがいない。

阿片という『麻薬』によって、めちゃくちゃに引っかき回された国が、中国以外にあっただろうか? 一国まるごと“阿片漬け”にされた国は、中国だけなのだ。



『阿片の中国史』
譚ろ美著(新潮社)



●この本は「アヘン戦争」の実態だけでなく、20世紀後半の中国共産党とアヘンの知られざる関係についてや、アヘンと「サッスーン家」の関係についても詳しく言及されており、なかなか面白い本である。

参考までに、この本の中から、興味深い部分をピックアップしておきたいと思う。

以下、抜粋。

※ 「香港上海銀行(HSBC)」の画像とキャプションは、当館が独自に追加


◆ ◆ ◆



ひなびた漁村だった上海は、南京条約による開港で、一夜にして大都会になった。 〈中略〉


欧米の阿片(アヘン)商人たちを中心に外国人定住者が増え、外国租界は異国情緒にあふれた町になったのだ。 〈中略〉

上海が開港したばかりの1842年の人口は20万人だったが、1900年前後には100万人になり、1930年までに300万人に膨れ上がった。

イギリスその他の国からなる共同租界では、90%が中国国内の移住者で占められ、フランス租界の人口も5万人から45万人へと爆発的に増えた。




1837年、中国には外国の商社が39社あり、その中で「ジャーディン・マセソン商会」は最大の規模を誇ったが、これと並んで二大商社の名を馳せたのは、上海に拠点を置いた「サッスーン商会」である。


21世紀を生きる女性たちにとって、サッスーンと聞いてすぐに思い浮かぶのは、ヘアースタイルの「サッスーン・カット」ではないだろうか。サッスーン社の社長はビダル・サッスーンといい、美容院で販売されている高級シャンプーなどの商品も幅広く生産している。(※
ビダル・サッスーンはロンドン生まれのユダヤ人)。


このサッスーン氏と同じ一族かどうかわからないが、「サッスーン商会」を創業したデビッド・サッスーンは、イギリスのユダヤ系名門の出身で、もとはバグダッドの豪商だったが、1830年にバグダッドの総督がユダヤ人を追放したため、ペルシアへ逃れた。




折から戦争状態にあったペルシアでは、特産品の阿片の取引が止まり、値がつかない状態になっていたので、サッスーンは底値で買い入れ、生産中の阿片も予約購入した


阿片が収穫される頃、戦争が終わり、阿片の値段は再び高騰して、サッスーンは巨額の利益を手にした。その資金を元手に「サッスーン商会」を創設したという。

勿論、取引商品は主として阿片であった。

やがてイギリスがインドに設立した「東インド会社」で営業許可を得た「サッスーン商会」はボンベイに拠点を据えて阿片貿易に乗り出し、香港にも開店して「沙遜(サッスーン)洋行」と名乗った。




◆サッスーン家の、優れた部分もご紹介しておこう。


イギリスのサッスーン家は慈善事業でよく知られ、ユダヤ人救済運動にも貢献している。3人の息子たちはイギリス社交界の名士になり、孫のエドワード・サッスーンは政治家である。その息子のフィリップ・サッスーンは空軍次官だったが、美術品の収集家として名が通っている。

サッスーン家の傍系にはヘブライ語文書の収集家のフローラ、詩人で小説家のジークフリード、実業家のビクターなどもいて、多士済々で華麗な一族である。




◆阿片売買のために、上海へ先陣を切って乗り込んだのも「サッスーン洋行(沙遜洋行)」だった。


1845年、上海の目抜き通り(現在の江西路と九江路の交差点)に支店を開いた。

当初、上海の阿片貿易の20%を占めるほどの大取引に携わり、人手が足りずに14人もの親族を呼び寄せ、業務拡大した。




1864年、創業者のデビッド・サッスーンが亡くなると、「サッスーン洋行」は長男が引き継ぎ、次いで次男が独立して「新サッスーン洋行」を開業した。


新旧の「サッスーン洋行」は、互いに協力しながら、インドのケシ畑の“青田買い”をしたり、独占買い付けをしたりしながら、アジア全域に幅広いネットワークを築いた。 〈中略〉

1870年代には、「サッスーン洋行」はインドの阿片貿易の70%をコントロールするまでに成長するのである。




「ジャーディン・マセソン商会」「サッスーン洋行」──。


この2つの巨大商社を筆頭にして、その後も続々と貿易商社が進出してきた。

「デント商会(宝順洋行)」、「ギブ・リビングストン商会(仁記洋行)」、「ラッセル商会(旗昌洋行)」などのイギリスとアメリカの商社がいる一方、中小の地元商社やアジアからの商社などが雨後の竹の子のように増え続けた。

不確実な数字だが、外国の商社は1837年に39社だったものが、20年後には約300社に増え、1903年には、なんと600社以上にものぼったという




◆欧米の商社が業務を拡大し、取引金額が増えるに従い、なにより頭を悩ませたのは資金の安全な輸送方法だった。イギリス流の解釈では、「イギリスが中国から資金を取り戻す」ための安全で迅速な手段が必要とされたのである。


よいアイデアはすぐに浮かんだ。銀行の設立である。

1865年3月、「サッスーン洋行」、「ジャーディン・マセソン商会」、「デント商会」らは15人の代表発起人を決め、資本金500万ドルを投じて香港に「香港上海銀行(HSBC)」を設立した。サッスーン・グループのアーサー・サッスーンら8人が理事会役員に就任し、1ヶ月後には上海で営業を開始した。

「香港上海銀行」の最大の業務は、阿片貿易で儲けた資金を安全かつ迅速にイギリス本国へ送金することであった。


 

1865年に、ロスチャイルド一族のメンバーであるイギリス系
ユダヤ人のアーサー・サッスーン卿によって香港で創設され、
 1ヶ月後に上海で営業を開始した「香港上海銀行(HSBC)」

この銀行の設立当初の最大の業務は、アヘン貿易で儲けた
 資金を、安全かつ迅速にイギリス本国へ送金することであった。

この銀行は、第二次世界大戦前、上海のバンド地区を中国大陸の本拠と
していたが、1949年の中国共産党政権成立後の1955年に、本社ビルを
共産党政権に引き渡した。その後、中国各地の支店は次々に閉鎖された。

しかし現在、この「香港上海銀行」は、英国ロンドンに本拠を置く世界最大級の
銀行金融グループに成長している。ヨーロッパとアジア太平洋地域、アメリカを
中心に世界76ヶ国に9500を超える支店網をもち、28万人の従業員が働き、
ロンドン、香港、ニューヨーク、パリ、バミューダの証券取引所に上場している。

時価総額規模では、アメリカの「シティグループ」、「バンク・オブ・アメリカ」に
次ぎ世界第3位(ヨーロッパでは第1位)である。現在、香港の「中国銀行」
及び「スタンダード・チャータード銀行」とともに香港ドルを発券している。



1860年代から70年代にかけて、彼ら(ユダヤ系の「サッスーン洋行」など)を通して中国へ輸出されたインド産阿片は、毎年平均で8万3000箱にのぼった。一箱は約60kg。

国内生産の阿片が増加するにつれて、外国阿片は少しずつ減少していくが、ピークの1880年代には10万5507箱が輸出され、上海には年2万2000箱が送り込まれた。

上海の町には、阿片の濃い煙が充満した

阿片は街のいたるところで合法的に売られ、客はいつでも手軽に買うことができた。




◆時代の流れが変わったのは、1906年のことだった。


アメリカの宣教師たちが阿片生産の禁止を国際世論に広く呼びかけると、国際的に阿片貿易への非難の声が高まった。清朝政府は、「イギリスがもし輸出を削減するなら、中国も阿片の生産と喫煙を禁止するしと発表。イギリスも、「10年禁絶を目標に毎年段階的に削減していく意向がある」と応じ、翌年には「中英禁煙協約」が交わされた。

1911年、ハーグで「国際阿片会議」が開かれ、世界の潮流は阿片の輸出禁止と生産禁止という明るい未来へ向かって、栄えある第一歩を踏み出した。いや、踏み出そうとした。

ところが、そうなっては都合の悪い人たちがいたのである。




外国商社は色めきたった。10年という期間を限定されたことで、今のうちに儲けるだけ儲けておこうと考えた。


「サッスーン洋行」ら上海の阿片商社は即座に「洋薬公所」を結成すると、上海の輸入阿片の総量をコントロールする一方、潮州商人と協定を結んだ

「洋薬公所」といえば聞こえはよいが、つまり「阿片商人の大連合会」である。外国人貿易商たちはペルシア産とインド産阿片の独占輸出体制を築き、流通ルートは潮州商人一本に絞られた。

無論、阿片の価格は急騰した。最高値のときには、なんと銀の7倍まで跳ね上がったというから、驚くほかはない。




◆阿片商人の悪辣さはこれに止まらない。


10年の期限が近づくと、「洋薬公所」は関係ルートを使って時の政権、北京政府と交渉し、残りの阿片を全部買い取らせることに成功した。1919年、北京政府は阿片を購入後、公開処分した。

こうして世界が監視する中で、中国の「阿片禁止令」は着々と執行されることになった。このまま順調にいけば、もしかしたら中国からも地球上からも阿片は一掃され、クリーンで美しい世界が訪れたかもしれない。

だが、事態はそうはならなかった。

禁令とは、すなわち商売繁盛だ──。 〈中略〉

アメリカで1920年に制定された「禁酒法」が、この言葉を生んだのだ。政府が酒類の醸造と販売を禁止したことで、シカゴを縄張りにしたアル・カポネのギャング団が密造酒を裏取引し、暗黒街の犯罪が急上昇してしまったのである。

時期も同じ1920年、中国では阿片が禁止され、同じような事態が生じていた。阿片の密輸に火がつき、以前よりもかえって大量の阿片が出回る事態になったのだ




◆当時上海に滞在していたフランス人弁護士リュッフェの試算によると、1920年代後半の全中国の阿片消費量は、毎年7億元にのぼったという。


「中華国民禁毒会」の集計ではさらに多く、毎年10億元を消費し、そのうち国産阿片は8億元、外国阿片は2億元であったという。また、上海の阿片貿易による収益は毎年4000万元以上、あるいは7、8000万元から1億元にものぼると推測される。

なにしろ密輸だから正確な統計はないが、阿片の消費量が、膨大なものであったことは間違いないだろう。


◆ ◆ ◆



以上、譚ろ美著『阿片の中国史』(新潮社)より








■■追加情報 2: 「サッスーン財閥」の歴史


●「日本上海史研究会」が1997年に出した『上海人物誌』(東方書店)には、「サッスーン財閥」の歴史について詳しい説明が載っている。


少し長くなるが、参考までに抜粋しておきたい。

※ 各イメージ画像とキャプションは、当館が独自に追加



『上海人物誌』(東方書店)
日本上海史研究会[編]



■エトランゼの上海


上海は清朝がイギリスとの「アヘン戦争」に敗れた結果結ばれた「南京条約」により、1843年11月開港した。


上海はイギリスによって、イギリスのために開港され、イギリスの中国市場支配の拠点となった。これは動かしがたい事実である。


◆自由貿易による世界市場を展開するにあたって、19世紀半ばのイギリスは、シンガポール以東の西太平洋地域においては、各地域の政治経済の中心地に近く、かつほとんど無人の地に良港を獲得し貿易拠点とする戦略を取っていた。シンガポールに加え、香港・上海・横浜などはみなこの戦略に合致する港である。


旧イギリス租界の正面に位置する外灘の建築列のファサードには、現在でも上海がイギリスを始めとする列強の中国市場支配の拠点となってきた歴史が色濃く刻み付けられている。しかし人々がそれを「偽りの正面」と呼ぶように、上海を単に国際貿易の要という意味で外から眺めた場合においてさえもその奥にひしめくものに気付かされる。 〈中略〉


◆イギリス勢力が東アジア海域に進出した18世紀末にその貿易の中心となっていたのは、「イギリス東インド会社」というより会社によってライセンスを付与された地方貿易商人であり、彼らが従事したのは、イギリスとアジアとの貿易というより「アジア間貿易」であった。


さらにこの時期にはイギリスによるアヘン三角貿易によって「アジア間貿易」が拡大せしめられていた。


■アジアの都市・上海


◆この「アジア間貿易」自体は、ヨーロッパの大航海者が参入する以前から、「海のシルクロード」として、また中国を中心とする朝貢貿易のネットワークとして存在しており、そこは日本と琉球・中国・東南アジアやインド・イスラム圏の商人たちが活躍する舞台であった。


最近「海のシルクロード」と呼ばれるようになったインド洋・南海交易圏には、航海・造船技術の点でも中国より先進的な海洋民が活躍しており、8世紀以降はイスラム化され、ダウ船と呼ばれる三角帆の構造船が航海の主役となっていた。

そこにはイスラム教徒だけでなく、アラブ圏のユダヤ人やアルメニア人も含まれていた。

たとえばインド洋・南海交易圏において最大の商品であった胡椒(こしょう)の産地に隣接する積出港であるインドのコーチンには、紀元1世紀以来ユダヤ人貿易商が住み着き、今世紀半ばに至るまでコーチンの胡椒貿易を独占した。

現在もコーチンで胡椒の取引を行なう市場は「ジュー・タウン」(ジューはユダヤ人の意)と呼ばれている。


「サッスーン財閥」は、上海開港後にいわば二番手として登場したイギリス商社で、イギリスの支配する開港場上海の代表とも目されるが、その実、サッスーンは二代のうちにアラブ圏のユダヤ人からイギリス紳士へと変身を遂げたユダヤ商人であって、アヘン三角貿易の申し子ともいうべき存在である。


イギリス紳士とはいいながら、その存立の基盤の一方はユダヤ人のネットワークに置いており、いわば「海のシルクロード」を舞台とするアジア人の商人という性格を持ち続けていた。

イギリスのアジア市場展開の一面はサッスーンの活動を通じてより明らかとなろう。


■「海のシルクロード」とユダヤ人サッスーン


◆上海外灘のウォーターフロントでもっとも目立つ建物といえば、旧香港上海銀行(上海本店)と並んで、現在和平飯店北楼として使われている旧サッスーン・ハウスであろう。


私は1970年代末の最初の訪中のときに和平飯店に滞在して旧名がキャセイホテルだということを聞き、その後の滞在の間にこのホテルがイギリスのユダヤ人財閥によって建てられたことを知った。そのユダヤ人財閥はサッスーンといい、ジャーディン・マセソン、バターフィールド&スワイヤー、英米タバコと並ぶ上海のイギリス系四大財閥の一つであった。

「サッスーン財閥」はイギリスでもロスチャイルドと並び称されるユダヤ人大財閥であったが、いろいろな点でロスチャイルドとは対照的であった。

何よりも、ロスチャイルド家がドイツのフランクフルト出身のヨーロッパのユダヤ人であったのに対し、サッスーン家はアジアのユダヤ人、「海のシルクロード」で活躍するユダヤ人であった点である。




「陸のシルクロード」も「海のシルクロード」も古くからユダヤ人の生活舞台であり、8世紀から12世紀にかけてこれらの地域がイスラム世界に包摂されるようになっても、引き続き活動の場を広げていった。


もともとイスラム世界には「ユダヤ人」という考え方はなく、「啓典の民」ユダヤ教徒として、自治が認められ、各都市で一定の役割を与えられるようになっていた。


サッスーン家の祖先も、代々、イスラム帝国の都であったバグダッドの名族で、オスマン帝国の支配下では、オスマン帝国によって任じられたバグダッドの「ヴァリ」と呼ばれる地方長官のもとで、主席財政官の地位を与えられ、ユダヤの「族長(シェイク)」とみなされていた。


ところが18世紀後半になると、バグダッドではユダヤ教徒に対する圧迫が強まり、19世紀前半には当主のサッスーン・ベン・サリは一時族長の地位を追われた。1826年、サリの子デビッド・サッスーン(1792〜1864年)が族長の地位を引き継いだが、彼は「ヴァリ」の迫害に抗議したため身に危険が迫ってきた。

1829年、デビッドは老父を伴い、夜陰に乗じてバグダッドを脱出し、バスラに移住した。バスラは別の「ヴァリ」が統治していたが、ここもサッスーンにとって安住の地ではなく、間もなくシャトルアラブ川(チグリス川とユーフラテス川が合流した川)の対岸、ペルシアのブシェルヘと再度移住した。ブシェルは当時ペルシアにおける「イギリス東インド会社」の拠点となっており、インドヘの道が開かれていた。



デビッド・サッスーン

インドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、
アヘン密売で莫大な富を築く。
「アヘン王」と呼ばれた。



1832年、デビッドは商用でインドのボンベイ(現在のムンバイ)を訪れ、イギリスの勢力を目のあたりにした。熟慮の末、同年デビッドはサッスーン家を挙げてボンベイに移住を果たした。

当時のボンベイは人口20万、ユダヤ人も2200人を数えた。この頃ボンベイは発展の時期を迎えていた。産業革命後、イギリスのランカシャ綿製品がインドに流入し、「東インド会社」の貿易独占も廃止され、ビジネスチャンスが広がっていた。

ボンベイに来たデビッドは、1832年に「サッスーン商会」を設立し、ボンベイで本格的に活動を開始した。

これが「サッスーン財閥」の始まりである。


◆この頃、イギリス綿製品がインドヘ、インドのアヘンが中国へ流入するという「アジア三角貿易」が形成されてきていた。このルートに乗って「サッスーン商会」はイギリスにも支店を開設し、ランカシャ綿の輸入などにあたるほか、後述のように「アヘン貿易」に従事した。


また、1861年アメリカで南北戦争が起こってアメリカ綿花の取引が途絶すると、「インド綿花」を輸出して巨利を上げた。


◆デビッドは1864年に死去したが、「サッスーン商会」は綿花ブーム後の不況をも乗りきり、2代目アルバート・サッスーンのもとで発展を続けた。



■「アヘン王」デビッド・サッスーン


デビッド・サッスーンは1854年にイギリス国籍を取得したが、アラブ化したユダヤ人として終生アラブ風の習慣を改めることはなかった。彼はアラビア語・ヘブライ語・ペルシア語・トルコ語、後にはヒンドスタン語をも解したが、英語を習得することはなかった。



◆デビッド・サッスーンはイギリスの世界市場展開に伴ってアジア市場に参入したかに見えるが、事実は逆であることは、彼自身の生活態度に現れている。


すでに大航海の初発、すなわち15世紀末のヴァスコ・ダ・ガマの「インド航路発見」のとき、インドでガマを迎えたのはハンガリーから来たユダヤ人であった。

デビッドがバグダッドを脱出してボンベイで成功を収めることができたのも、インド洋交易圏に広がるユダヤ人のネットワークを通じたからであった。そしてイギリスがアジア市場に進出してきたのも、大航海以前に既にアジアに存在していた、中国からインドを経てアラビア世界にいたる交易圏を前提にしていたのであった。




◆デビッドはビジネスで成功すると、同胞のユダヤ人への恩を忘れなかった。彼は私財を惜しげもなく慈善事業に投じた。特に、1861年、バグダッドにユダヤ教に基づく学校「タルムード・トラー」を設立し、後継の養成に資したことの意義は大きい。

「サッスーン商会」の幹部職員はこのユダヤ学校からリクルートされることになったのであり、「サッスーン財閥」が「イギリス帝国主義の尖兵」という姿の奥に「海のシルクロードのユダヤ商人」という原籍を持っていたことは、その活動の最後に至るまで見出すことができる。




◆ボンベイの「サッスーン商会」は2代目アルバート・サッスーンのもとで工業投資に力を入れるようになった。


1885年以後、「サッスーン商会」は7つの紡績工場、1つの毛織物工場を持ち、インド工業化に大きな役割を果たした企業の1つと評価されるようになった。

インドでサッスーンが産業資本の性格を持つという事実は、上海におけるサッスーンの活動とは好対照をなすといえよう。またアルバートは親子二代にわたる多大な慈善事業が評価されて、1872年、ナイトに叙せられた。この地位は上海のサッスーン家にも引き継がれていくことになる。


■上海と「新サッスーン商会」


◆デビッドがアジア三角貿易展開のため東アジアを重視したのは当然である。彼が華南の商業圏に参入したことは、「サッスーン商会」のターニング・ポイントとなった。


「南京条約」(アヘン戦争に敗北した清朝が南京でイギリスと結んだ条約)締結後の1844年、デビッドは次男のイリアス・サッスーンを広東に派遣した。次いでイリアスは香港に移動し、1845年には上海支店を開き、後には日本の横浜・長崎そのほかの都市にも支店網を広げた。

そして上海が「サッスーン商会」第2の拠点となった。

ところで、中国におけるユダヤ人の足跡も、イギリスの世界市場展開を遥かにさかのぼる。イリアスも、1844年に中国に来たとき、10世紀から存在した開封のユダヤ人について聞いたはずである。彼らは完全に中国人に同化しながら清代にまで生き延び、1652年にはシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を再建していた。




◆イリアスの弟アーサー・サッスーンは1865年、「香港上海銀行(HSBC)」の設立にも参加し、中国での活動の地歩を固めた。


しかしデビッドの死後、「サッスーン商会」の管理権はユダヤの慣習に従って長子アルバートが継承したので、イリアスは1872年、別会社として「新サッスーン商会」を設立した。上海の「サッスーン商会」の活動は、この新会社が中心となった。


 



◆「新サッスーン商会」の活動は次の三期に分けられるとされる。

第一期は1872〜1880年、「アヘン貿易」を中心とする時期。

第二期は1880〜1920年、イリアスの子ヤコブと
エドワードの時代で、不動産投資に精力が注がれた。


第三期は1920年以後、エドワードの子ビクターが不動産だけでなく、
各種の企業にも盛んに投資し、上海の産業を独占していった時期である。





◆19世紀の新旧「サッスーン商会」の営業は、何といっても「アヘン輸入」が中心である。この点は、ほかの外国商社と比較しても際立っている。


開港間もない1851年、上海に入港した外国商社の船のうち、ジャーディン・マセソン、デント、ラッセルの3大商社のうち、イギリス系の前3社はいずれもアヘン輸入を大宗としたが、サッスーンの船2隻に至ってはアヘンのみを搬入し、空船でインドに帰っている。

1870〜1880年代にはインドアヘン輸入の70%はサッスーンが独占した。サッスーンの強さは、他社とは違い、アヘンをインドの産地で直接買い付けたことにあった。


 
(左)ケシ(芥子)の花。アヘンはケシの実に傷をつけ、そこからにじみ
出てきた乳液から作られる薬である。

(右)インドのアヘン倉庫内の様子



◆デビッドの孫ヤコブ・サッスーンの代になると、アヘンは輸入品目首位の座を綿製品に譲り、国際的にもイギリス国内でもアヘン禁止の声が高まり、1908年には「中英禁煙協約」が締結された。それでもサッスーンがアヘン取引にこだわったことは、1920年代の「新サッスーン商会」の文書からも明らかである。アヘン禁止による価格の上昇が巨利をもたらしたからである。


■「アヘン王」から「不動産王」へ


◆「サッスーン財閥」はアヘンで儲けた金を土地の買い占めに回したと非難されるが、20世紀にはアヘンなどの商業に加えて不動産も主要業務となる。


サッスーンが1877年、最初に手に入れた土地は、あの和平飯店の土地、サッスーンの活動拠点となる「サッスーン・ハウス」の土地であった。「新サッスーン商会」が不動産事業に乗りだしたのは、上海共同租界当局の工部局が財政需要の増大から土地捐をしばしば引き上げたため、地価が不断に上昇し、土地投資が有利となったためである。

「サッスーン財閥」はユダヤ人の不動産王サイラス・ハードンから上海の繁華街南京路の不動産を入手したのを始め、さまざまな手段を用いて不動産を取得し、また建物の賃貸業務などで利潤を上げた。1941年までに上海に建てられた26棟の10階以上の高層建築のうち、6棟が「サッスーン財閥」の所有であった。

「サッスーン財閥」は1926年に「キャセイ不動産」を設立したのを始め、たくさんの子会社や関連企業を設立して業務を拡大し、上海の「不動産王」となった。



サイラス・ハードン



◆上海を代表するユダヤ人不動産王にあって、サッスーンとハードンは対照的である。

ハードンはサッスーンと同じくバグダッド(現イラク)に生まれたユダヤ人だが、サッスーンのようなユダヤ名族ではなく、5歳でボンベイに移住し、1873年にサッスーンで働いていた父の友人を頼って香港から上海に来たときは無一物であった。彼は上海の「サッスーン商会」に雇われ、1886年には「新サッスーン商会」に移った。そして1901年に独立し、不動産業に乗りだした。

サッスーンがイギリスの爵位を得てイギリス上流階級入りを果たし、ロスチャイルドとも姻戚関係を結んだのに対し、ハードンは租界の範囲において1887年にフランス租界公董局董事となり、1898年には共同租界工部局董事になるほか、さらに中国そのものに同化していった。この点では、彼の中国人の妻・羅迦陵(らかりょう)の影響が大きい。彼女の影響でハードンは篤く仏教に帰依し、1904年には「ハードン花園」を建造して中国の人士と交際するサロンとした。その中には清朝の皇族から革命派の人物までが含まれる。

しかしサッスーンは武器売却先の軍閥など取引相手を除いて、租界の外の中国人とは交わらず、盛んに行なった慈善事業の対象も、中国ではなく、世界のユダヤ同胞が中心であった。


■「上海キング」ビクター・サッスーン


ビクター・サッスーンは1924年、父エドワードの死により爵位と「新サッスーン商会」の経営を引き継いだ。彼はケンブリッジのトリニティ・カレッジ出身の完全なイギリス紳士であり、若くから航空マニアで、第一次世界大戦中にはイギリスの航空隊に加わって負傷した。




ビクター・サッスーン



◆彼が上海に君臨したことを象徴する建物がかの「サッスーン・ハウス」である。このビルはパーマー&ターナーの設計で、1929年に完成した。ヨーロッパ式に数えて10階建(日米式では中2階を含めて12階)で、4階から上はホテル、10階は彼自身の住居にあてられた。

彼はまた上海西郊の虹橋路に買弁の名義で別荘を営んだ(現在の龍柏賓館)。

さらに、租界の治外法権を利用して中国側の建築計画にも干渉した。1934年、「サッスーン・ハウス」の並びに中国銀行のビルが建ったが、当初の計画ではマンハッタン風の34階建の摩天楼になるはずであった。ところがサッスーンはロンドンで訴訟を起こし、自己のビルより30cm低い中国風の屋根を持つ現在の建物に計画変更させてしまったのである。


 
1929年に建てられた「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」



「サッスーン財閥」は、産業資本・金融資本としての地歩をも固めた。

インドの「サッスーン商会」と比べると、上海に中心を置く「新サッスーン商会」は後までも「アヘン貿易」にこだわり、工業投資はあまり活発ではなかったが、この状況を変えたのが、1923年の安利洋行買収であった。安利洋行の前身はドイツ系の瑞記洋行で、第一次世界大戦後は共同経営者であったイギリス籍ユダヤ人のアーノルド兄弟が安利洋行として復業した。アーノルドは上海共同租界の工部局董事や総董を歴任する一方、紡績・造船などさまざまな企業を興していた。ところが1923年の不況時には経営不振に陥り、サッスーンの買収に帰した。業績不振の企業やその不動産を乗っ取るのはサッスーンの常套手段であった。間もなくサッスーンは経営陣からアーノルド兄弟を駆逐し、すべてを自己の支配下に置いた。

この結果「サッスーン財閥」は、紡績・機械・造船・木材のほかバス会社(中国公共汽車公司)をも傘下に置いた

「サッスーン財閥」はまた1930年、香港に「新サッスーン銀行」を設立し、上海・ロンドンなどに支店を開設するほか、いくつも投資会社を設立して金融力により上海の産業を支配した。 〈中略〉




◆第二次世界大戦後、租界が回収され、中国の民族意識が高まると、上海はもはや冒険家の楽園ではなくなった。上海のサッスーン財閥直属企業はすべて香港に移り、上海には支社のみを残して業務を大幅に縮小した。そして1948年には第二次撤退を断行し、不動産を一斉に投げ売りし、バハマに移転した。残った不動産も1958年に至り最終的に中国に接収され、「サッスーン財閥」は中国から姿を消した。


時は移って現在、かつて上海最大のイギリス財閥であった「ジャーディン・マセソン商会」は香港からバミューダに本社を移す一方、再び中国との関係を深めている。この動きと比べると、興味深い。


ウィリアム・ジャーディン.pngジェームス・マセソン.png
(左)ウィリアム・ジャーディン(右)ジェームス・マセソン
         彼らは1832年、中国の広州に貿易商社
         「ジャーディン・マセソン商会」を設立した。


↑「ジャーディン・マセソン商会」のシンボルマーク

この会社の設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶の
イギリスへの輸出で、「アヘン戦争」に深く関わった。
(1841年に本社を香港に移転した)。



◆史上イギリス資本の世界市場展開、イギリス帝国主義のアジア支配と呼ばれている事態も、事実に即していえば、まずアジア市場を開拓したのはもともとこの海域でアヘン密売をしていた地方貿易商人のジャーディンやマセソンであった。さらにさかのぼると、イスラム圏からインド圏を経て東アジアに至る海域にはイスラム商人やユダヤ人・アルメニア人などが活躍していた。


サッスーンもこのルートに乗って中国に至ったのである。

さらに開封のユダヤ人やサイラス・ハードンのように終着点の中国に安住の地を見出す人々(ユダヤ人)もいた。これからの世界に占めるアジアの力量を考えると、アジアの海から世界を見る視角も意味を持ってくるといえよう。


以上、日本上海史研究会[編] 『上海人物誌』(東方書店)より





■■追加情報 3: 台湾における日本のアヘン政策について


●19世紀末、「日清戦争」に敗北した清国は下関条約により、台湾及び澎湖諸島を日本に割譲したが、台湾における日本のアヘン政策については、次のような情報がある。


参考までに紹介しておきたい。


「日清戦争後の下関の談判において、清国の全権李鴻章は、『アヘンには貴国もきっと手を焼きますぞ』と捨てぜりふを残していったそうな。当時16万9千人もいたアヘン中毒患者の問題を日本がどう処理するか、世界各国も注目していた。


『わが国に伝播したらなんとする。吸引するものは厳罰に処すべし。輸入や販売を行なう者についても同様だ。従わないものは台湾から追い出せ。中国大陸に強制送還せよ。』

このような『厳禁説』がさかんに唱えられたが、後藤新平は、『これでは各地に反乱が起き、何千人の兵士や警官が犠牲になるかわからない』と反対して、『漸禁説』をとった。

『まず中毒にかかっているものだけに免許を与え、特許店舗でのみ吸引を認める。新たな吸引者は絶対に認めない。アヘンは政府の専売とし、その収入を台湾における各種衛生事業施設の資金に充当する。』

アヘンを政府の専売とするという破天荒なアイデアであったが、後藤新平の読み通り、大きな混乱もなしに、アヘン中毒患者は次第に漸減して、日本敗戦時には皆無となっていた。



後藤新平

明治・大正時代の政治家。
台湾総督府民政長官。初代満鉄総裁。

後藤新平はアヘンの性急な禁止には賛成せず、
アヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、
吸引を免許制として、次第に吸引者を減らしていく
方法を採用した。この方法は成功して、
アヘン患者は徐々に減少した。



※ 参考リンク: 人物探訪: 台湾の「育ての親」、後藤新平
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog145.html








■■追加情報 4: 中国東部の「開封」にユダヤ人社会が築かれていた


●13世紀のころ、北京にやってきたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、


「中国東部の開封には大いに栄えているユダヤ人社会が存在していると聞いた」と記している。



マルコ・ポーロ
(1254〜1324年)



この「開封(かいほう)」は中国で最も歴史が古い都市の一つであり、
850年前の北宋時代に首都になった。(当時100万人の国際都市だった)。



  
(左)中国の河南省の都市・開封の位置 (右)開封のユダヤ人家族
(1910年)




開封の中国風シナゴーグ(ユダヤ教会堂)



 
開封のユダヤ人たち (1924年)

posted by 真 救世主 at 05:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドのロスチャイルド家サッスーン家(2)

■■追加情報 2: 「サッスーン財閥」の歴史

http://takao-sato.seesaa.net/?1332017978


●「日本上海史研究会」が1997年に出した『上海人物誌』(東方書店)には、「サッスーン財閥」の歴史について詳しい説明が載っている。


少し長くなるが、参考までに抜粋しておきたい。

※ 各イメージ画像とキャプションは、当館が独自に追加


『上海人物誌』(東方書店).png
『上海人物誌』(東方書店)
日本上海史研究会[編]



■エトランゼの上海


上海は清朝がイギリスとの「アヘン戦争」に敗れた結果結ばれた「南京条約」により、1843年11月開港した。


上海はイギリスによって、イギリスのために開港され、イギリスの中国市場支配の拠点となった。これは動かしがたい事実である。


◆自由貿易による世界市場を展開するにあたって、19世紀半ばのイギリスは、シンガポール以東の西太平洋地域においては、各地域の政治経済の中心地に近く、かつほとんど無人の地に良港を獲得し貿易拠点とする戦略を取っていた。シンガポールに加え、香港・上海・横浜などはみなこの戦略に合致する港である。


旧イギリス租界の正面に位置する外灘の建築列のファサードには、現在でも上海がイギリスを始めとする列強の中国市場支配の拠点となってきた歴史が色濃く刻み付けられている。しかし人々がそれを「偽りの正面」と呼ぶように、上海を単に国際貿易の要という意味で外から眺めた場合においてさえもその奥にひしめくものに気付かされる。 〈中略〉


◆イギリス勢力が東アジア海域に進出した18世紀末にその貿易の中心となっていたのは、「イギリス東インド会社」というより会社によってライセンスを付与された地方貿易商人であり、彼らが従事したのは、イギリスとアジアとの貿易というより「アジア間貿易」であった。


さらにこの時期にはイギリスによるアヘン三角貿易によって「アジア間貿易」が拡大せしめられていた。


■アジアの都市・上海


◆この「アジア間貿易」自体は、ヨーロッパの大航海者が参入する以前から、「海のシルクロード」として、また中国を中心とする朝貢貿易のネットワークとして存在しており、そこは日本と琉球・中国・東南アジアやインド・イスラム圏の商人たちが活躍する舞台であった。


最近「海のシルクロード」と呼ばれるようになったインド洋・南海交易圏には、航海・造船技術の点でも中国より先進的な海洋民が活躍しており、8世紀以降はイスラム化され、ダウ船と呼ばれる三角帆の構造船が航海の主役となっていた。

そこにはイスラム教徒だけでなく、アラブ圏のユダヤ人やアルメニア人も含まれていた。

たとえばインド洋・南海交易圏において最大の商品であった胡椒(こしょう)の産地に隣接する積出港であるインドのコーチンには、紀元1世紀以来ユダヤ人貿易商が住み着き、今世紀半ばに至るまでコーチンの胡椒貿易を独占した。

現在もコーチンで胡椒の取引を行なう市場は「ジュー・タウン」(ジューはユダヤ人の意)と呼ばれている。


「サッスーン財閥」は、上海開港後にいわば二番手として登場したイギリス商社で、イギリスの支配する開港場上海の代表とも目されるが、その実、サッスーンは二代のうちにアラブ圏のユダヤ人からイギリス紳士へと変身を遂げたユダヤ商人であって、アヘン三角貿易の申し子ともいうべき存在である。


イギリス紳士とはいいながら、その存立の基盤の一方はユダヤ人のネットワークに置いており、いわば「海のシルクロード」を舞台とするアジア人の商人という性格を持ち続けていた。

イギリスのアジア市場展開の一面はサッスーンの活動を通じてより明らかとなろう。


■「海のシルクロード」とユダヤ人サッスーン


◆上海外灘のウォーターフロントでもっとも目立つ建物といえば、旧香港上海銀行(上海本店)と並んで、現在和平飯店北楼として使われている旧サッスーン・ハウスであろう。


私は1970年代末の最初の訪中のときに和平飯店に滞在して旧名がキャセイホテルだということを聞き、その後の滞在の間にこのホテルがイギリスのユダヤ人財閥によって建てられたことを知った。そのユダヤ人財閥はサッスーンといい、ジャーディン・マセソン、バターフィールド&スワイヤー、英米タバコと並ぶ上海のイギリス系四大財閥の一つであった。

「サッスーン財閥」はイギリスでもロスチャイルドと並び称されるユダヤ人大財閥であったが、いろいろな点でロスチャイルドとは対照的であった。

何よりも、ロスチャイルド家がドイツのフランクフルト出身のヨーロッパのユダヤ人であったのに対し、サッスーン家はアジアのユダヤ人、「海のシルクロード」で活躍するユダヤ人であった点である。



「陸のシルクロード」も「海のシルクロード」も古くからユダヤ人の生活舞台であり、8世紀から12世紀にかけてこれらの地域がイスラム世界に包摂されるようになっても、引き続き活動の場を広げていった。


もともとイスラム世界には「ユダヤ人」という考え方はなく、「啓典の民」ユダヤ教徒として、自治が認められ、各都市で一定の役割を与えられるようになっていた。


サッスーン家の祖先も、代々、イスラム帝国の都であったバグダッドの名族で、オスマン帝国の支配下では、オスマン帝国によって任じられたバグダッドの「ヴァリ」と呼ばれる地方長官のもとで、主席財政官の地位を与えられ、ユダヤの「族長(シェイク)」とみなされていた。


ところが18世紀後半になると、バグダッドではユダヤ教徒に対する圧迫が強まり、19世紀前半には当主のサッスーン・ベン・サリは一時族長の地位を追われた。1826年、サリの子デビッド・サッスーン(1792〜1864年)が族長の地位を引き継いだが、彼は「ヴァリ」の迫害に抗議したため身に危険が迫ってきた。

1829年、デビッドは老父を伴い、夜陰に乗じてバグダッドを脱出し、バスラに移住した。バスラは別の「ヴァリ」が統治していたが、ここもサッスーンにとって安住の地ではなく、間もなくシャトルアラブ川(チグリス川とユーフラテス川が合流した川)の対岸、ペルシアのブシェルヘと再度移住した。ブシェルは当時ペルシアにおける「イギリス東インド会社」の拠点となっており、インドヘの道が開かれていた。


中東出身のユダヤ人 デビッド・サッスーン.jpg
中東出身のユダヤ人・デビッド・サッスーン

インドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、
アヘン密売で莫大な富を築く。
「アヘン王」と呼ばれた。



1832年、デビッドは商用でインドのボンベイ(現在のムンバイ)を訪れ、イギリスの勢力を目のあたりにした。熟慮の末、同年デビッドはサッスーン家を挙げてボンベイに移住を果たした。

当時のボンベイは人口20万、ユダヤ人も2200人を数えた。この頃ボンベイは発展の時期を迎えていた。産業革命後、イギリスのランカシャ綿製品がインドに流入し、「東インド会社」の貿易独占も廃止され、ビジネスチャンスが広がっていた。

ボンベイに来たデビッドは、1832年に「サッスーン商会」を設立し、ボンベイで本格的に活動を開始した。

これが「サッスーン財閥」の始まりである。


◆この頃、イギリス綿製品がインドヘ、インドのアヘンが中国へ流入するという「アジア三角貿易」が形成されてきていた。このルートに乗って「サッスーン商会」はイギリスにも支店を開設し、ランカシャ綿の輸入などにあたるほか、後述のように「アヘン貿易」に従事した。


また、1861年アメリカで南北戦争が起こってアメリカ綿花の取引が途絶すると、「インド綿花」を輸出して巨利を上げた。


◆デビッドは1864年に死去したが、「サッスーン商会」は綿花ブーム後の不況をも乗りきり、2代目アルバート・サッスーンのもとで発展を続けた。



■「アヘン王」デビッド・サッスーン


デビッド・サッスーンは1854年にイギリス国籍を取得したが、アラブ化したユダヤ人として終生アラブ風の習慣を改めることはなかった。彼はアラビア語・ヘブライ語・ペルシア語・トルコ語、後にはヒンドスタン語をも解したが、英語を習得することはなかった。



◆デビッド・サッスーンはイギリスの世界市場展開に伴ってアジア市場に参入したかに見えるが、事実は逆であることは、彼自身の生活態度に現れている。


すでに大航海の初発、すなわち15世紀末のヴァスコ・ダ・ガマの「インド航路発見」のとき、インドでガマを迎えたのはハンガリーから来たユダヤ人であった。

デビッドがバグダッドを脱出してボンベイで成功を収めることができたのも、インド洋交易圏に広がるユダヤ人のネットワークを通じたからであった。そしてイギリスがアジア市場に進出してきたのも、大航海以前に既にアジアに存在していた、中国からインドを経てアラビア世界にいたる交易圏を前提にしていたのであった。


イギリス国旗.jpg



◆デビッドはビジネスで成功すると、同胞のユダヤ人への恩を忘れなかった。彼は私財を惜しげもなく慈善事業に投じた。特に、1861年、バグダッドにユダヤ教に基づく学校「タルムード・トラー」を設立し、後継の養成に資したことの意義は大きい。

「サッスーン商会」の幹部職員はこのユダヤ学校からリクルートされることになったのであり、「サッスーン財閥」が「イギリス帝国主義の尖兵」という姿の奥に「海のシルクロードのユダヤ商人」という原籍を持っていたことは、その活動の最後に至るまで見出すことができる。




◆ボンベイの「サッスーン商会」は2代目アルバート・サッスーンのもとで工業投資に力を入れるようになった。


1885年以後、「サッスーン商会」は7つの紡績工場、1つの毛織物工場を持ち、インド工業化に大きな役割を果たした企業の1つと評価されるようになった。

インドでサッスーンが産業資本の性格を持つという事実は、上海におけるサッスーンの活動とは好対照をなすといえよう。またアルバートは親子二代にわたる多大な慈善事業が評価されて、1872年、ナイトに叙せられた。この地位は上海のサッスーン家にも引き継がれていくことになる。


上海と「新サッスーン商会」


◆デビッドがアジア三角貿易展開のため東アジアを重視したのは当然である。彼が華南の商業圏に参入したことは、「サッスーン商会」のターニング・ポイントとなった。


「南京条約」(アヘン戦争に敗北した清朝が南京でイギリスと結んだ条約)締結後の1844年、デビッドは次男のイリアス・サッスーンを広東に派遣した。次いでイリアスは香港に移動し、1845年には上海支店を開き、後には日本の横浜・長崎そのほかの都市にも支店網を広げた。

そして上海が「サッスーン商会」第2の拠点となった。

ところで、中国におけるユダヤ人の足跡も、イギリスの世界市場展開を遥かにさかのぼる。イリアスも、1844年に中国に来たとき、10世紀から存在した開封のユダヤ人について聞いたはずである。彼らは完全に中国人に同化しながら清代にまで生き延び、1652年にはシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を再建していた。



◆イリアスの弟アーサー・サッスーンは1865年、「香港上海銀行(HSBC)」の設立にも参加し、中国での活動の地歩を固めた。


しかしデビッドの死後、「サッスーン商会」の管理権はユダヤの慣習に従って長子アルバートが継承したので、イリアスは1872年、別会社として「新サッスーン商会」を設立した。上海の「サッスーン商会」の活動は、この新会社が中心となった。


「香港上海銀行(HSBC)」.png 「香港上海銀行(HSBC)」2.png



◆「新サッスーン商会」の活動は次の三期に分けられるとされる。

第一期は1872〜1880年、「アヘン貿易」を中心とする時期。

第二期は1880〜1920年、イリアスの子ヤコブと
エドワードの時代で、不動産投資に精力が注がれた。


第三期は1920年以後、エドワードの子ビクターが不動産だけでなく、
各種の企業にも盛んに投資し、上海の産業を独占していった時期である。





◆19世紀の新旧「サッスーン商会」の営業は、何といっても「アヘン輸入」が中心である。この点は、ほかの外国商社と比較しても際立っている。


開港間もない1851年、上海に入港した外国商社の船のうち、ジャーディン・マセソン、デント、ラッセルの3大商社のうち、イギリス系の前3社はいずれもアヘン輸入を大宗としたが、サッスーンの船2隻に至ってはアヘンのみを搬入し、空船でインドに帰っている。

1870〜1880年代にはインドアヘン輸入の70%はサッスーンが独占した。サッスーンの強さは、他社とは違い、アヘンをインドの産地で直接買い付けたことにあった。


ケシ(芥子)の花.jpg インドのアヘン倉庫内の様子.jpg
(左)ケシ(芥子)の花。アヘンはケシの実に傷をつけ、そこからにじみ
出てきた乳液から作られる薬である。

(右)インドのアヘン倉庫内の様子



◆デビッドの孫ヤコブ・サッスーンの代になると、アヘンは輸入品目首位の座を綿製品に譲り、国際的にもイギリス国内でもアヘン禁止の声が高まり、1908年には「中英禁煙協約」が締結された。それでもサッスーンがアヘン取引にこだわったことは、1920年代の「新サッスーン商会」の文書からも明らかである。アヘン禁止による価格の上昇が巨利をもたらしたからである。


■「アヘン王」から「不動産王」へ


◆「サッスーン財閥」はアヘンで儲けた金を土地の買い占めに回したと非難されるが、20世紀にはアヘンなどの商業に加えて不動産も主要業務となる。


サッスーンが1877年、最初に手に入れた土地は、あの和平飯店の土地、サッスーンの活動拠点となる「サッスーン・ハウス」の土地であった。「新サッスーン商会」が不動産事業に乗りだしたのは、上海共同租界当局の工部局が財政需要の増大から土地捐をしばしば引き上げたため、地価が不断に上昇し、土地投資が有利となったためである。

「サッスーン財閥」はユダヤ人の不動産王サイラス・ハードンから上海の繁華街南京路の不動産を入手したのを始め、さまざまな手段を用いて不動産を取得し、また建物の賃貸業務などで利潤を上げた。1941年までに上海に建てられた26棟の10階以上の高層建築のうち、6棟が「サッスーン財閥」の所有であった。

「サッスーン財閥」は1926年に「キャセイ不動産」を設立したのを始め、たくさんの子会社や関連企業を設立して業務を拡大し、上海の「不動産王」となった。


サイラス・ハードン.jpg
サイラス・ハードン



◆上海を代表するユダヤ人不動産王にあって、サッスーンとハードンは対照的である。

ハードンはサッスーンと同じくバグダッド(現イラク)に生まれたユダヤ人だが、サッスーンのようなユダヤ名族ではなく、5歳でボンベイに移住し、1873年にサッスーンで働いていた父の友人を頼って香港から上海に来たときは無一物であった。彼は上海の「サッスーン商会」に雇われ、1886年には「新サッスーン商会」に移った。そして1901年に独立し、不動産業に乗りだした。

サッスーンがイギリスの爵位を得てイギリス上流階級入りを果たし、ロスチャイルドとも姻戚関係を結んだのに対し、ハードンは租界の範囲において1887年にフランス租界公董局董事となり、1898年には共同租界工部局董事になるほか、さらに中国そのものに同化していった。この点では、彼の中国人の妻・羅迦陵(らかりょう)の影響が大きい。彼女の影響でハードンは篤く仏教に帰依し、1904年には「ハードン花園」を建造して中国の人士と交際するサロンとした。その中には清朝の皇族から革命派の人物までが含まれる。

しかしサッスーンは武器売却先の軍閥など取引相手を除いて、租界の外の中国人とは交わらず、盛んに行なった慈善事業の対象も、中国ではなく、世界のユダヤ同胞が中心であった。


■「上海キング」ビクター・サッスーン


ビクター・サッスーンは1924年、父エドワードの死により爵位と「新サッスーン商会」の経営を引き継いだ。彼はケンブリッジのトリニティ・カレッジ出身の完全なイギリス紳士であり、若くから航空マニアで、第一次世界大戦中にはイギリスの航空隊に加わって負傷した。



ユダヤ人エリス・ビクター・サッスーン.jpg
ユダヤ人エリス・ビクター・サッスーン



◆彼が上海に君臨したことを象徴する建物がかの「サッスーン・ハウス」である。このビルはパーマー&ターナーの設計で、1929年に完成した。ヨーロッパ式に数えて10階建(日米式では中2階を含めて12階)で、4階から上はホテル、10階は彼自身の住居にあてられた。

彼はまた上海西郊の虹橋路に買弁の名義で別荘を営んだ(現在の龍柏賓館)。

さらに、租界の治外法権を利用して中国側の建築計画にも干渉した。1934年、「サッスーン・ハウス」の並びに中国銀行のビルが建ったが、当初の計画ではマンハッタン風の34階建の摩天楼になるはずであった。ところがサッスーンはロンドンで訴訟を起こし、自己のビルより30cm低い中国風の屋根を持つ現在の建物に計画変更させてしまったのである。


 「サッスーン財閥」の居城だった「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」.jpg「サッスーン財閥」の居城だった「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」2.gif
1929年に建てられたサッスーン財閥の居城だった
「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」



「サッスーン財閥」は、産業資本・金融資本としての地歩をも固めた。

インドの「サッスーン商会」と比べると、上海に中心を置く「新サッスーン商会」は後までも「アヘン貿易」にこだわり、工業投資はあまり活発ではなかったが、この状況を変えたのが、1923年の安利洋行買収であった。安利洋行の前身はドイツ系の瑞記洋行で、第一次世界大戦後は共同経営者であったイギリス籍ユダヤ人のアーノルド兄弟が安利洋行として復業した。アーノルドは上海共同租界の工部局董事や総董を歴任する一方、紡績・造船などさまざまな企業を興していた。ところが1923年の不況時には経営不振に陥り、サッスーンの買収に帰した。業績不振の企業やその不動産を乗っ取るのはサッスーンの常套手段であった。間もなくサッスーンは経営陣からアーノルド兄弟を駆逐し、すべてを自己の支配下に置いた。

この結果「サッスーン財閥」は、紡績・機械・造船・木材のほかバス会社(中国公共汽車公司)をも傘下に置いた

「サッスーン財閥」はまた1930年、香港に「新サッスーン銀行」を設立し、上海・ロンドンなどに支店を開設するほか、いくつも投資会社を設立して金融力により上海の産業を支配した。 〈中略〉




◆第二次世界大戦後、租界が回収され、中国の民族意識が高まると、上海はもはや冒険家の楽園ではなくなった。上海のサッスーン財閥直属企業はすべて香港に移り、上海には支社のみを残して業務を大幅に縮小した。そして1948年には第二次撤退を断行し、不動産を一斉に投げ売りし、バハマに移転した。残った不動産も1958年に至り最終的に中国に接収され、「サッスーン財閥」は中国から姿を消した。


時は移って現在、かつて上海最大のイギリス財閥であった「ジャーディン・マセソン商会」は香港からバミューダに本社を移す一方、再び中国との関係を深めている。この動きと比べると、興味深い。


ウィリアム・ジャーディン.pngジェームス・マセソン.png
(左)ウィリアム・ジャーディン(右)ジェームス・マセソン
         彼らは1832年、中国の広州に貿易商社
         「ジャーディン・マセソン商会」を設立した。

[ジャーディン・マセソン商会」のシンボルマーク.png
↑「ジャーディン・マセソン商会」のシンボルマーク

この会社の設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶の
イギリスへの輸出で、「アヘン戦争」に深く関わった。
(1841年に本社を香港に移転した)。



◆史上イギリス資本の世界市場展開、イギリス帝国主義のアジア支配と呼ばれている事態も、事実に即していえば、まずアジア市場を開拓したのはもともとこの海域でアヘン密売をしていた地方貿易商人のジャーディンやマセソンであった。さらにさかのぼると、イスラム圏からインド圏を経て東アジアに至る海域にはイスラム商人やユダヤ人・アルメニア人などが活躍していた。


サッスーンもこのルートに乗って中国に至ったのである。

さらに開封のユダヤ人やサイラス・ハードンのように終着点の中国に安住の地を見出す人々(ユダヤ人)もいた。これからの世界に占めるアジアの力量を考えると、アジアの海から世界を見る視角も意味を持ってくるといえよう。


以上、日本上海史研究会[編] 『上海人物誌』(東方書店)より





■■追加情報 3: 台湾における日本のアヘン政策について


●19世紀末、「日清戦争」に敗北した清国は下関条約により、台湾及び澎湖諸島を日本に割譲したが、台湾における日本のアヘン政策については、次のような情報がある。


参考までに紹介しておきたい。


「日清戦争後の下関の談判において、清国の全権李鴻章は、『アヘンには貴国もきっと手を焼きますぞ』と捨てぜりふを残していったそうな。当時16万9千人もいたアヘン中毒患者の問題を日本がどう処理するか、世界各国も注目していた。


『わが国に伝播したらなんとする。吸引するものは厳罰に処すべし。輸入や販売を行なう者についても同様だ。従わないものは台湾から追い出せ。中国大陸に強制送還せよ。』

このような『厳禁説』がさかんに唱えられたが、後藤新平は、『これでは各地に反乱が起き、何千人の兵士や警官が犠牲になるかわからない』と反対して、『漸禁説』をとった。

『まず中毒にかかっているものだけに免許を与え、特許店舗でのみ吸引を認める。新たな吸引者は絶対に認めない。アヘンは政府の専売とし、その収入を台湾における各種衛生事業施設の資金に充当する。』

アヘンを政府の専売とするという破天荒なアイデアであったが、後藤新平の読み通り、大きな混乱もなしに、アヘン中毒患者は次第に漸減して、日本敗戦時には皆無となっていた。


後藤新平.png
後藤新平

明治・大正時代の政治家。
台湾総督府民政長官。初代満鉄総裁。

後藤新平はアヘンの性急な禁止には賛成せず、
アヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、
吸引を免許制として、次第に吸引者を減らしていく
方法を採用した。この方法は成功して、
アヘン患者は徐々に減少した。



※ 参考リンク: 人物探訪: 台湾の「育ての親」、後藤新平
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog145.html








■■追加情報 4: 中国東部の「開封」にユダヤ人社会が築かれていた


●13世紀のころ、北京にやってきたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、


「中国東部の開封には大いに栄えているユダヤ人社会が存在していると聞いた」と記している。


マルコ・ポーロ.png
マルコ・ポーロ
(1254〜1324年)



この「開封(かいほう)」は中国で最も歴史が古い都市の一つであり、
850年前の北宋時代に首都になった。(当時100万人の国際都市だった)。



  
(左)中国の河南省の都市・開封の位置 (右)開封のユダヤ人家族
(1910年)




開封の中国風シナゴーグ(ユダヤ教会堂)



 
開封のユダヤ人たち (1924年)




■■第5章:アジア地区ゲシュタポ司令官 ヨゼフ・マイジンガーの恐怖


●ナチス・ドイツは、上海のユダヤ難民に対する日本政府の「寛容な政策」を不愉快に思っていた。


そのため、彼らは上海のユダヤ難民の取り扱いについて、日本政府に圧力をかけていた。


 
(左)SS長官ハインリッヒ・ヒムラー
(右)ヨゼフ・マイジンガーSS大佐

1941年にヒムラーが東京に派遣した
マイジンガーは、その悪魔的残忍さのために
「ワルシャワの殺し屋」というあだ名をもらった男である。
ヒムラーでさえマイジンガーの行動記録にショックを受け、
裁判にかけて場合によっては銃殺しようと考えていたが、
側近のハイドリヒが手を回してこれを阻んだといわれている。

マイジンガーの東京での任務は、在日ドイツ人の中から
ユダヤ人と反ナチ分子を見つけ出し監視することだった。
マイジンガーは着任後ただちにゾルゲについて警告して
日本側を驚かせ、これがゾルゲの逮捕につながった。

しかし、その残虐さと粗暴さ、狡猾さと薄気悪い
慎重さで、マイジンガーの東京での評判は
最悪だったという。戦後、米軍に逮捕
されると、ポーランドで処刑された。



1942年7月、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリッヒ・ヒムラーの命令で、東京のアジア地区ゲシュタポ司令官ヨゼフ・マイジンガーが、上海に出張し、日本に対して次のような3つの提案を示している。


<上海のユダヤ人処理の方法>


【1】 黄浦江に廃船が数隻ある。それにユダヤ人を乗せ、
    東シナ海に引きだし、放置し、全員餓死したところで日本海軍が撃沈する。


【2】 郊外の岩塩鉱山で使役し、疲労死させる。

【3】 お勧めは、揚子江河口に収容所を作り、
    全員を放り込み、種々の生体医学実験に使う。



●この反ユダヤ的な提案は、陸軍大佐の安江仙弘経由で東京の松岡洋右に伝えられたが、この提案は実現しなかった。



安江仙弘(やすえ
のりひろ)

陸軍最大の「ユダヤ問題専門家」。
1938年、大連特務機関長に就任すると、
大陸におけるユダヤ人の権益擁護に務め、
ユダヤ人たちから絶大な信頼と感謝を受けた。



●歴史研究家のハインツ・E・マウルは、戦時中の日本の対ユダヤ人政策について次のように述べている。

「当時2600人を数えた在日ドイツ人の中には116人のユダヤ人がいた。

日本人はユダヤ系の学者、芸術家、教育者に高い敬意を払った

その中には、音楽家で教育者のレオニード・クロイツァー、ピアニストのレオ・シロタ、指揮者のヨゼフ・ローゼンシュトックとクラウス・プリングスハイム、哲学者のカール・レヴィット、経済学者のクルト・ジンガー、物理学者のルイス・フーゴー・フランクなどがいる。

日本政府は、ドイツ大使館の激しい抗議にもかかわらず、これらのユダヤ人をドイツ人同様に遇した。

1941年末、ドイツ大使館は日本政府に対して、外国に居住する全てのユダヤ人は無国籍とされ、今後いかなる保護も与えられないと通告した。そして在日ユダヤ人を解職するよう要求したが、日本の外務省は無視した。

かくして少数ながら戦争終了まで日本で安全に暮らしたユダヤ人がいたのである。」



レオ・シロタ

ユダヤ人ピアニストのレオ・シロタは
1929年に来日してから15年間日本に留まり、
演奏家ならびに教育者として活動を続けた。



●『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』の著者である山本尚志氏は、本の中で次のように述べている。

「ほとんど所持金もなく行き先のあてもなく来日したユダヤ難民に、日本の人々は温かく接した

ユダヤの子供に食料を贈った日本人もいた。物資の入手には配給券が必要だったが、商店に配給券を持たないで難民が現れると、店員は自分の配給券を犠牲にして物資を売った。官憲すらユダヤ難民に便宜をはかった。 〈中略〉

日本人はユダヤ難民を好意的に扱ったのである。」


「1930年代に、ドイツでは急速にユダヤ系音楽家が排除されていった。圧迫されたユダヤ系の音楽家にとって、希望の地のひとつが極東の日本だった。 〈中略〉


ナチス・ドイツ政府は、日本で活躍するユダヤ系音楽家に不信の目を向けた。 〈中略〉 在日ドイツ大使館はひそかにシロタを含むユダヤ系音楽家のリストを作成して、日本からユダヤ系音楽家を排除、代わりにドイツ人音楽家を就職させる陰謀を繰り返した。 〈中略〉

しかし日本側は、このようなナチスの圧力を事実上無視した 〈中略〉

第二次世界大戦が始まっても、東京でユダヤ系音楽家がソリストや指揮者、音楽学校の教授として活躍する状況は変わらなかった。日本ではユダヤ系音楽家の作品も演奏されていたのであり、これはドイツやドイツ占領下の諸国では許されないことだった。」


レオ・シロタは、日本人のユダヤ人問題に対する立場を次のように説明していた。


日本人は世界事情に詳しく、ユダヤ人問題にも大きな関心を寄せているため日本在住のユダヤ人に対して寛容で、差別することも、自由を奪ったりすることも全くありません。
その良い例として、このような事実があります。日本の大学には多くの外国人教授がいますが、その中でもドイツからのユダヤ人が多いことです。ヒトラー政権時代にドイツで教授職を剥奪されたユダヤ人に対し、日本政府は彼らの契約期間を延長しました。最近では東京音楽学校の学長がさらに2人のユダヤ人教授を雇用しました』


シロタは日本のユダヤ人政策無知の産物でなく、世界事情の理解の結果と考えていたのである。 〈中略〉

シロタの観察によれば、日本ユダヤ人たちは特定の宗教を信じて共通の文化的背景をもってはいるけれども、とくに差別されることも社会集団を形成することもない、普通の外国人として生活していた。当時の日本におけるユダヤ人問題を考える際に、シロタの言葉は、知的で日本社会によく溶け込んだ同時代のユダヤ人の証言として重視されていい。

日本では、ユダヤ人は自分がユダヤ人であることをとりたてて意識しないでも生きていくことができたのだった。


 
(左)『日本を愛したユダヤ人ピアニスト
レオ・シロタ』
山本尚志著(毎日新聞社)。(右)はシロタ夫妻と娘のベアテ。

↑20世紀初頭のウィーンで「リストが墓からよみがえった」と
称えられた天才ピアニストのレオ・シロタ。世界に名を馳せた
巨匠がなぜ、1930年代から終戦という激動期に日本で
活躍したのか。シロタの波乱の生涯を追いながら、
昭和史に新たな視点を投じる力作である。



ところで、大戦中、上海で過ごしたユダヤ難民たちは、戦後、ナチス・ドイツによる虐殺と、それを看過したキリスト教ヨーロッパ社会の実態を知り、ナチス・ドイツと軍事同盟下にあった日本が、ユダヤ人の保護政策をとってくれたことを感謝している。

ユダヤ難民だったヒルダ・ラバウという女性は1991年に、日本の占領者がユダヤ人のために安全な地を確保してくれた、と深い感謝の気持ちを表わす詩を作り、「ヨーロッパで皆殺しになった人々を思えば、上海は楽園でした」と語っている。

また、天津のユダヤ人も戦後の1946年9月、「世界ユダヤ人会議」に対し、「自分たちは日本の占領下で迫害を受けることもなく、日本側はユダヤ人、特にヨーロッパからの難民には友好的でした」と報告している。

(※
「世界ユダヤ人会議」の調査では、終戦当時、中国全体のユダヤ人人口は2万5600人で、上海の他に、ハルビン、天津、青島、大連、奉天、北京、漢口にユダヤ人が存在していたという)。





●ちなみに、戦時下を上海で過ごしたユダヤ人の中で、その後最も数奇で劇的な運命を辿った男がいる。

その男の名はマイケル・ブルメンソール

ドイツで生まれた彼は幼少期にナチに追われ、家族とともに船に乗って上海まで逃げ、日本租界で8年過ごした。

戦後、アメリカに渡ったブルメンソールは、勉学に励み、プリンストン大学で経済学博士号を取得した後、ケネディ、ジョンソン両政権の通商副代表となった。そしてカーター大統領の下、民主党政権が成立すると、遂に財務長官まで昇り詰めたのである。(皮肉なことに、彼は日本では、為替相場に口先介入し初めて円高を誘導し、日本経済を苦しめた財務長官として知られている……)。



マイケル・ブルメンソール

ドイツ生まれのユダヤ人で、
戦時下を上海で過ごし、戦後渡米。
カーター政権で財務長官を務めた。
円高誘導を仕掛け、日本経済を苦しめた。



─ 完 ─


サッスー
posted by 真 救世主 at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月17日

裏で手を引いている真犯人、ロスチャイルド、止めろ。

★歯止め掛からぬバグダッドでの殺りく、車爆弾などで66人死亡、430人負傷
---アルジャジーラ配信ライブドアより

 【アルジャジーラ特約12日】イラクの首都バグッダド市北東部、イスラム教シーア派地区のサドルシティーで12日、ヘイ市場など2カ所に止められていた計3台の車が爆発、警察当局者によると、これらの爆発で少なくとも市民ら50人が死亡、約290人が負傷した。
 今回の死傷者数は、今年に入りバグダッド市内で起きた爆弾テロ事件では最悪級となった。同当局者が「死者はまだいる」と述べていることから、最終的な犠牲者数はさらに増えるとみられる。

 この爆破事件とほぼ同時刻に、サドルシティーの別の市場では爆弾が仕掛けられていた4台目の車が発見され、出動した特殊部隊が爆弾を無事処理した。この不発爆弾を含め、一連の爆弾テロ事件が、2月22日にシーア派の聖地サマラで起きた聖廟爆破事件を機に深まっているスンニ派との対立を一段と激化させると懸念されている。

 また、イラクではこの日、議会が14日に招集されるとの発表があったばかりだった。

 ヘイ市場で爆弾テロを目撃した市民の1人が「何人もの体がばらばらになって吹き飛んだ。多くの市民が犠牲になった」と声を震わせて話すとともに、中には爆弾を爆発させて死亡したとみられる犯人の頭部を足げにする市民の姿も見られた。
 この日、バグダッド市内外では同車爆弾事件以外でもテロ事件が相次ぎ、市民や警官ら16人が死亡、約140人が負傷した。

 警察当局の発表などによると、バグダッド西郊にある空港近くで、米軍のパトロール隊車両の通過に合わせ、道路わきに仕掛けられていた爆弾が爆発し、イラク人6人が死亡、13人が負傷した。

 米軍側からの死傷者発表は出ていないが、地元記者がアルジャジーラに語った未確認情報によると、この爆弾テロで米兵1人が死亡したという。

 バグダッド中心部では、迫撃砲弾が民家を直撃し、住民2人が死亡、8人が負傷した。

 バグダッド南郊外の工業地域でも同日、民間人が乗った車両が正体不明の武装集団から狙撃され、3人が死亡したほか、イラクの情報部員2人が、バグダッド西郊外のアルジャミーアを車で走行中に銃撃を受けて死亡、さらに、バグダッドの北方75キロのドゥルイヤでは警官1人を含む2人が、正体不明の武装集団に襲われ、射殺された。

 一方、アルカイダと関係を持つ武装組織はこの日のウェブサイト上に、バグダッド市内で11日に起きたテレビ局編集者暗殺の実行を示唆する声明を載せた。

 それによると、「ムジャヒディン評議会の民兵たちが11日、テレビ局アルイラキーヤのアムジャド・ハミード編集者を暗殺した」とした上で、「同編集者は侵略者たちを喜ばせようと、聖戦に関しウソばかりを放映していたため殺した」と殺害理由を明らかにした。

 声明の真偽は不明だが、イスラム強硬派はこれまでにも、このウェブサイトを声明発表の際に使用していた。(翻訳・ベリタ通信=志岐隆司) 


○爆発したバグダッドの現場サドルシティー(Sad'r City)は、地図表記ではサダムシティー(Sadam City)となっている。バグダッド北東部といわれる爆発現場には他に見当たらないので間違いではないと思われる。



 

−−おまけ−−

世界の名家・王室一覧(フルフォード氏のブログコメントより)

融大帝ロスチャイルド家、石油大帝ロックフェラー家、金融覇王モルガン家、鉄道王ハリマン家、麻薬王ブッシュ家、石油王メロン家、造酒王ブロンフマン家

鉄道皇帝ヴァンダービルド家、兵器王デュポン家、穀物覇王カーギル家、金融大王ウォーバーグ家、不動産王アスター家、鉄剛王カーネギー家、建設王ベクテル家、石油王ゲティー家、石油王ヒューズ家、石油王ハント家、石油王バス家、材木王ウェアハウザー家、自動車王フォード家、金属王ホイットニー家、石炭王フリック家、鉄道王ヒル家、雑貨王ウォルトン家、大政治家ルーズベルト家、大政治家ケネディ家、阿片大王サッスーン家、金融皇帝ベアリング家、造酒王ギネス家、金融王ロイド家、金融王バークレー家、兵器王ヴィッカーズ家、デパート王セインズベリー家、石油王サミュエル家、金融王グレンフェル家、新聞王ハームズワース家、大政治家チャーチル家、大政治家ラッセル家、イギリス王室、フランス兵器大王シュネーデル家、フランス死の商人ダッソー家、フランス石油王シュルンベルジュ家、フランス化学財閥ジレ家、フランスのファッション・ブランド帝王アルノー家、フランス自動車王シトロエン家、フランス大政治家ミッテラン家、フランス大政治家ジスカールデスタン家、スイス金融黒幕エッシャー家、モナコ公室、リヒテンシュタイン公室、イタリア自動車王アニェリ家、ルネッサンスの父メディチ家、イタリア貴族エステ家、イタリア貴族ヴィスコンティ家、メディア王ベルルスコーニ家、ローマ法王、フリーメーソン・プロパガンダ2、ラ・コーザ・ノストラ、カモッラ、ンドラゲタ、サクラ・クローネ・ウニータ、スペイン財閥マルチ家、スペイン王室、ロシア男爵グンツブルグ家、ロシア皇帝ロマノヴ家、ベルギー王室、ベルギー原発男爵アンパン家、ヨーロッパ皇帝ハプスブルグ家、ドイツ大財閥ジーメンス家、ドイツ金融王シュレーダー家、ドイツ大砲王クルップ家、金属王メルトン家、ナチスの支援者ティッセン家、オランダ電器王フィリップス家、オランダ王室、金融財閥ハンブロー家、デンマーク王室、スウェーデン王室、スウェーデン大財閥ウァーレンベリ家、ダイナマイト王ノーベル家、ノルウェー王室、ギリシャ王室、ギリシャ海運王オナシス家、フィンランド財閥ノキア家、ルクセンブルク公室、金融覇王ゴールドスミス家、南アフリカのダイヤモンド王オッペンハイマー家、ボリビア鉱山王パティーニョ家、メディア王マードック家、イギリス人香港財閥スワイヤ家、イギリス人香港財閥ケスウィック家、最大華商の李家、海運王の包家、三合会、14K、蛇頭、インド最大財閥タタ家、インド巨大財閥ビルラー家、インド鉄剛王ミッタル家、フィリピン貴族アヤラ家、フィリピン財閥ルシオ・タン一族、トルコ大財閥サバンジ家、レバノン財閥ハリリ家、インドネシア財閥サリム家、韓国財閥サムスン、韓国カルト教団統一協会、マレーシア財閥クオック家、
アラブ建設王ビン・ラディン家、アラブ金融王ビン・マフーズ家、アラブ建設王オラヤン家、サウジ王室、ボルキア王室、アルゼンチン財閥ロカ家、ベネズエラ財閥メンドーサ家、ブラジル財閥ボトランチン家、ペルー財閥ブレスキア家、ミャンマー阿片王シンハン家、タイ財閥チャラワノン家、タイ王室、ブータン王室、日本カルト教団創価学会、山口組、住吉会、稲川会、天皇家、日本の自動車皇帝の豊田家


●この「開封のユダヤ人社会」に興味のある方は、

別ファイル「インドと中国のユダヤ人」をご覧下さい。

簡単にまとめておきました。
posted by 真 救世主 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドのロスチャイルド家サッスーン家(1)

■■第1章:「アヘン戦争」と「サッスーン財閥」
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe100.html


●「アヘン戦争」は調べれば調べるほど、むごい戦争(汚い麻薬戦争)だったことが分かる。


1971年に「第25回毎日出版文化賞」を受賞した陳 舜臣氏の著書『実録アヘン戦争』(中央公論新社)には、次のような言葉が書かれてある。

『アヘン戦争』は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。この“西からの衝撃”によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである。」


『実録アヘン戦争』.gif
『実録アヘン戦争』
陳 舜臣著(中央公論新社)



●この「アヘン戦争」は、イギリスの「サッスーン家(財閥)」を抜きにして語ることはできない。

「サッスーン」という財閥名(ファミリー)を初めて聞く人は多いと思うが、

以下、詳しく紹介していきたい。


「サッスーン家」は、もともとは18世紀にメソポタミアに台頭したユダヤ人の富豪家族で、トルコ治世下にあって財務大臣を務めるほどの政商であった。


1792年にこの一族の子供として生まれたデビッド・サッスーンは、バグダッド(現在のイラク)で活動していたが、シルクロードの交易によってますますその富を蓄え、そこからインドへ進出(移住)した。


中東出身のユダヤ人 デビッド・サッスーン.jpg 中東出身のユダヤ人 デビッド・サッスーン2.jpg
中東出身のユダヤ人
デビッド・サッスーン
(1792〜1864年)

インドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、
アヘン密売で莫大な富を築く。
「アヘン王」と呼ばれた。



デビッド・サッスーンは、1832年にインドのボンベイで「サッスーン商会」を設立し、アヘンを密売し始めた。イギリスの「東インド会社」からアヘンの専売権をとった「サッスーン商会」は、中国で売り払い、とてつもない利益を上げ、中国の銀を運び出した。

(※
デビッド・サッスーンは「アヘン王」と呼ばれた。彼はイギリス紅茶の総元締めでもあり、麻薬と紅茶は、サッスーンの手の中で同時に動かされていたのである)。



ケシ(芥子)の花.jpg ケシ(芥子)の花2.jpg
ケシ(芥子)の花。アヘンはケシの実に傷をつけ、そこからにじみ
出てきた乳液から作られる薬である。昔から麻酔薬として使われてきた。



アヘン.gif  アヘン2.gif
中国では清の時代に、アヘンを薬としてではなく、
タバコのようにキセルを使って吸うことが流行した。
アヘンは、吸い続けると中毒になり、やがて廃人
になってしまうという恐ろしい薬(麻薬)である。



1773〜1842年の「三角貿易」体制.gif
1773〜1842年の「三角貿易」体制

イギリスは、アジアとの貿易を行なうため、1600年に
「東インド会社」を作った。アヘンを大量に送り込まれた
清国では、アヘンが大流行して社会問題となった。



インドのアヘン倉庫内の様子.jpg 茶やアヘンを運んだ「東インド会社」の船.gif
(左)インドのアヘン倉庫内の様子 (右)茶やアヘンを運んだ「東インド会社」の船


●やがて、清国がアヘン輸入禁止令を出したことに端を発した「アヘン戦争」(1840年)が勃発。

敗れた清国は、南京条約により上海など5港の開港と香港の割譲、さらに賠償金2億1000万両を支払わされ、イギリスをはじめ列国の中国侵略の足がかりをつくることになる。

その意味では、「サッスーン財閥」はヨーロッパ列国に、第一級の功績を立てさせたアヘン密売人だった。

清国と戦っているイギリスの商船。その頃の商船は大砲を持っていた。.jpg アヘン戦争で、清国が敗北すると、ヨーロッパの国々は競ってアジアに進出した。.gif
(左)清国と戦っているイギリスの商船。その頃の商船は大砲を持っていた。
(右)アヘン戦争で、清国が敗北すると、ヨーロッパの国々は競ってアジアに進出した。
清国はイギリス以外の外国の国々とも不平等な条約を結ぶことになってしまった。
肝心のアヘンについては条約では一切触れられることなく、
依然としてアヘンの流入は続いた。



学習漫画 『中国の歴史 〈9〉−アヘン戦争とゆれる中国』(集英社).gif 学習漫画 『中国の歴史 〈9〉−アヘン戦争とゆれる中国』(集英社)2.gif
学習漫画 『中国の歴史
〈9〉−アヘン戦争とゆれる中国』(集英社)は、子ども向けの本だが、
アヘン戦争の実態を手っ取り早く知る上で、最適な本である。
アヘン商人たちの腹黒い姿がしっかり描かれている。





■■第2章:上海に築かれたユダヤ人社会


●アヘン戦争以降、ユダヤ財閥たちは競って中国へ上陸していった。


「サッスーン財閥」はロンドンに本部を置き、上海に営業所を設け、英・米・仏・独・ベルギーなどのユダヤ系商事会社、銀行を組合員に持ち、「イングランド銀行」および「香港上海銀行」を親銀行に、鉄道、運輸、鉱山、牧畜、建設、土地・為替売買、金融保証を主な営業科目として、インド、東南アジア、インドシナ、中国に投資を展開していった。


イギリス国旗.jpg



●1930年には、彼らの極東開発計画のため、上海に「サッスーン財閥」の本拠地を建設し、25億ドルの資本による「50年投資計画」を開始した。(毎年1億ドルの投資を25年間継続して、中国の経済と財政を完全に掌中に握り、後半期25年で、投資額の4倍の利益を搾取する、というのが当時の彼らの計算であった)。


中国の地図 (右)「サッスーン財閥」の拠点だった上海(Shanghai).gif 中国の地図 (右)「サッスーン財閥」の拠点だった上海(Shanghai)2.jpg
(左)中国の地図 (右)「サッスーン財閥」の拠点だった上海(Shanghai)

上海は元は寂しい漁村だったが、「アヘン戦争」の結果として
イギリスの対外通商港となり、一挙に中国最大の都市に成長した。
繁栄をきわめ、「魔都」とか「東洋のニューヨーク」と呼ばれた。


右上の写真は1930年頃の上海であるが、
あたかも当時のアメリカのニューヨーク、イギリスのロンドンかと
錯覚を覚える。これらのビル群は「サッスーン財閥」に代表
されるユダヤ資本によって建てられたものである。







インドのロスチャイルド「サッスーン財閥」は、デビッド・サッスーンの死後、アルバート・サッスーン、次いでエドワード・サッスーンが相続し、三代の間に巨富を築いた。(この「サッスーン家」は「ロスチャイルド家」と血縁関係を結んでいる)。
インドのロスチャイルド「サッスーン財閥」4.jpg


上の家系図は広瀬隆氏が作成したもの(『赤い楯』より)。この家系図の登場人物は、全員がユダヤ人である。
二代目のアルバート・サッスーンの息子エドワード・サッスーンの妻は、アリーン・ロスチャイルドである。
香港最大の銀行「香港上海銀行」のほとんどの株を握ったアーサー・サッスーンの義理の弟は、
金融王ネイサン・ロスチャイルドの孫レオポルド・ロスチャイルドだった。



エドワード・サッスーン.jpg
エドワード・サッスーン

アリーン・ロスチャイルドと結婚



●サッスーン一族の繁栄の最盛期を具現化したエリス・ビクター・サッスーンは、不動産投資に精を出し、破綻会社の不動産を買い叩き、借金の担保の不動産を差し押さえた。そして彼は、「グローヴナー・ハウス(現・錦江飯店中楼)」、「メトロポール・ホテル(現・新城飯店)」、「キャセイ・マンション(現・錦江飯店北楼)」などを次々と建築した。

中でも彼の自慢は、「東洋一のビル」と称えられた「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」で、サッスーン家の本拠とすべく建設したものであった。

その後、貿易、運輸、各種軽工業などにも事業展開していったエリス・ビクター・サッスーンの最盛期の資産は、上海全体の20分の1もあったと言われている。彼は「東洋のモルガン」の異名を持っていた。


ユダヤ人エリス・ビクター・サッスーン.jpg
ユダヤ人エリス・ビクター・サッスーン
頭文字から「イヴ」と呼ばれた。
上海の不動産王(上海キング)
(1881〜1961年)



「サッスーン財閥」の居城だった「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」.jpg 「サッスーン財閥」の居城だった「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」2.gif
この建物は「サッスーン財閥」の居城だった「サッスーン・ハウス(現・和平飯店)」である。
頭頂部のピラミッドを思わせる塔が特徴であり、当時は「東洋一のビル」と称えられた。
10階から上のペントハウスはサッスーンの住居である。1929年に建設された。



●ちなみに、上海におけるユダヤ人口は、中東出身のスファラディ系ユダヤ人700人、欧米系のアシュケナジー系ユダヤ人4000人ほどであったが、「アヘン戦争」以来、上海港を根拠地として発展した英・米・仏国籍のスファラディ系ユダヤ人が、あらゆる点で支配的勢力を占めていた。

(※ 「上海証券取引所」の所長と99人の会員の3分の1以上がスファラディ系ユダヤ人であった)。


上海のユダヤ教徒.jpg 上海のユダヤ人学校の生徒たち.jpg
(左)上海のユダヤ教徒 (右)上海のユダヤ人学校の生徒たち

「アヘン戦争」以来、上海港を根拠地として発展した
英・米・仏国籍のスファラディ系ユダヤ人が、
あらゆる点で支配的勢力を占めていた



直木賞受賞作家の西木正明氏が書いた、ノンフィクション小説『ルーズベルトの刺客』(新潮社)には、上海のユダヤ人が大勢登場するが、サッスーンについて次のように紹介されている。


上海屈指の豪商サッスーン一族は、18世紀初頭イラクのバグダッドに出現したスファラディ系ユダヤ人である。当時の大英帝国の東方進出に協力して、まずインドのボンベイに拠点をかまえた。やがて東インド会社が支那にアヘンの密輸を開始すると、その取引に荷担して莫大な富を蓄積した。

19世紀半ばアヘン戦争に破れた清朝が上海に租界の設置を認めると、時を移さず上海に進出し、アヘンを含む物資の売買を開始した。そして、わずか1世紀足らずの間に、金融、不動産、交通、食品、重機械製造などを傘下に擁する、一大コンツェルンに成長した。

その中には、金融業として『サッスーン・バンキングコーポレーション』『ファーイースタン・インベストメント・カンパニー』『ハミルトン・トラスト』、不動産では『上海プロパティーズ』『イースタン・エステート・ランド』『キャセイ・ランド』、重機械製造部門として『シャンハイ・ドックヤード』『中国公共汽車公司』『中国鋼車製造公司』、さらに食品関係では『上海碑酒公司』というビール会社などが含まれている。

支那四大家族のむこうをはって、ジャーディン・マセソン、バターフィルド・スワイヤ、カドーリなどとともに『上海ユダヤ四大財閥』と呼ばれる理由はここにある。

当主のビクター・サッスーンは、ようやく五十路に手がとどいたばかりの、独身の伊達男で、彼の顔写真が新聞に登場しない日はないと言ってよかった。」


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『ルーズベルトの刺客』
西木正明著(新潮社)



●上海のユダヤ人富豪は、サッスーンを中心として幾つかあった。


サー・エレー・カドーリ

香港と上海の土地建物、ガス、水道、電気、電車など公共事業を経営。
ローラ夫人が亡くなると、長崎出身の日本人女性(松田おけいさん)が
後妻としてカドーリ家に入った(1896年)。



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サー・エレー・カドーリ 
(1867〜1944年)



サイラス・ハードン

イラク(バグダッド)出身の英国籍ユダヤ人。
当時の上海の南京路の大通りの大部分は彼一人の所有であった。



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サイラス・ハードン
(1851〜1931年)



ルビー・アブラハム

ビクター・サッスーンの伯父の長男。英国籍のスファラディ系ユダヤ人。
父親は上海ユダヤ教徒の治安判事を務め、英国総領事館法廷で
ユダヤ式判決を勝ち取った人物で、「アーロン(長老)」の敬称を受け尊敬されていた。



エリス・ハイム

ルビー・アブラハムの夫人の兄。英国籍のスファラディ系ユダヤ人。
「上海証券取引所」屈指の仲買人として活躍。
サッスーン財閥と深い関係を結んでいた。




※ 追記:
 

●ドイツのボン大学で日本現代政治史を研究し、論文「ナチズムの時代における日本帝国のユダヤ政策」で哲学博士号を取得したハインツ・E・マウル(元ドイツ連邦軍空軍将校)は、著書『日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか』(芙蓉書房出版)の中で、次のように語っている。

ハインツ・E・マウル。元ドイツ連邦軍空軍将校。.jpg 彼の著書『日本はなぜユダヤ人を迫害wo.gif
(左)ハインツ・E・マウル。元ドイツ連邦軍空軍将校。
(右)彼の著書『日本はなぜユダヤ人を迫害
しなかったのか』(芙蓉書房出版)



「上海のユダヤ系の経済パイオニアは、サッスーン、カドーリ、ハードン、エズラの4家族だった。早いものは1832年からこの町で商売をしており、経済帝国を築き上げていた。

その影響力は、市当局が武装した『商人部隊』の編成を外国人に認めたことでも分かり、これは1928年にイギリスをモデルとした1400人の上海自衛団に改組された。自衛団にはいわゆる『ユダヤ中隊』があり、200人から250人がこれに属していた。その後ユダヤ難民がこれに加わり強化された。」


掲示板に見入る上海のユダヤ人.png 上海のユダヤ人街のユダヤ自衛団員.png
(左)掲示板に見入る上海のユダヤ人
(右)上海のユダヤ人街のユダヤ自衛団員





■■第3章:「ジャーディン・マセソン商会」とトーマス・グラバーの暗躍


●ところで、中国大陸において「サッスーン商会」と並んで二大商社の名を馳せたのは、「ジャーディン・マセソン商会」である。


この会社は、イギリス系商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、1832年に中国の広州に設立された貿易商社である。

設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出で、「アヘン戦争」に深く関わった。


ウィリアム・ジャーディン.png ジェームス・マセソン.png
(左)ウィリアム・ジャーディン (右)ジェームス・マセソン

彼らは1832年、中国の広州に貿易商社
 「ジャーディン・マセソン商会」を設立した。


[ジャーディン・マセソン商会」のシンボルマーク.png
↑「ジャーディン・マセソン商会」のシンボルマーク

この会社の設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶の
イギリスへの輸出で、「アヘン戦争」に深く関わった。
(1841年に本社を香港に移転した)。



●この「ジャーディン・マセソン商会」は、日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・グラバーが長崎代理店(「グラバー商会」)を設立したことで知られている。

横浜にも、1859年に英商ウィリアム・ケスウィックが支店を設立。商館は地元民から「英一番館」と呼ばれていた。


坂本龍馬.png 武器商人トーマス・グラバー2.png 『大英帝国の〈死の商人〉』横井勝彦著(講談社).png
(左)坂本龍馬 (中央)武器商人トーマス・グラバー
(右)『大英帝国の〈死の商人〉』横井勝彦著(講談社)


トーマス・グラバーは、1859年に英国から上海に渡り
「ジャーディン・マセソン商会」に入社。その後、開港後
まもない長崎に移り、2年後に「ジャーディン・マセソン商会」の
長崎代理店として「グラバー商会」を設立。貿易業を営みながら、
薩摩、長州、土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売した。

幕末維新期の日本では、多くの外国人貿易商が諸藩への洋銃売り渡し
に関わっていたが、その中でも英商グラバーの販売量は突出していた。

彼はのちに「三菱財閥」の岩崎家の後ろ盾となり、キリンビールや
長崎造船所を作った。日本初の蒸気機関車の試走、高島炭鉱の
開発など、彼が日本の近代化に果たした役割は大きかった。

1908年、グラバーは「勲二等旭日重光章」という勲章を
明治天皇から授けられ、この3年後(1911年)に
亡くなった。墓は長崎市内にあり、邸宅跡が
「グラバー園」として公開され、長崎の
観光名所になっている。



●ジャーディン・マセソン・グループは、今でも「マンダリン・オリエンタルホテル」を経営し、14ヶ国に26の高級ホテルを展開しており、現在もアジアを基盤に世界最大級の貿易商社として影響力を持っている。


 


■■追加情報: 『阿片の中国史』


●中国人の父と日本人の母を持つ譚ろ美さん(ノンフィクション作家)が、「アヘン戦争」についての本を出した。


本のタイトルは『阿片の中国史』(新潮社)である。


●彼女は「アヘン戦争」について、この本の「序章」の中で次のように書いている。


「中国の近代は阿片(アヘン)戦争という理不尽な外圧で幕を開けた。4隻の黒船が近代を告げた日本とは大きな違いだ。この欧米列強との出会いの差が、その後の両国がたどった道の隔たりであり、消すことのできない大きなしこりを残した原因にもなっているにちがいない。

阿片という『麻薬』によって、めちゃくちゃに引っかき回された国が、中国以外にあっただろうか? 一国まるごと“阿片漬け”にされた国は、中国だけなのだ。


『阿片の中国史』.png
『阿片の中国史』
譚ろ美著(新潮社)



●この本は「アヘン戦争」の実態だけでなく、20世紀後半の中国共産党とアヘンの知られざる関係についてや、アヘンと「サッスーン家」の関係についても詳しく言及されており、なかなか面白い本である。

参考までに、この本の中から、興味深い部分をピックアップしておきたいと思う。

以下、抜粋。

※ 「香港上海銀行(HSBC)」の画像とキャプションは、当館が独自に追加


◆ ◆ ◆


ひなびた漁村だった上海は、南京条約による開港で、一夜にして大都会になった。 〈中略〉


欧米の阿片(アヘン)商人たちを中心に外国人定住者が増え、外国租界は異国情緒にあふれた町になったのだ。 〈中略〉

上海が開港したばかりの1842年の人口は20万人だったが、1900年前後には100万人になり、1930年までに300万人に膨れ上がった。

イギリスその他の国からなる共同租界では、90%が中国国内の移住者で占められ、フランス租界の人口も5万人から45万人へと爆発的に増えた。



1837年、中国には外国の商社が39社あり、その中で「ジャーディン・マセソン商会」は最大の規模を誇ったが、これと並んで二大商社の名を馳せたのは、上海に拠点を置いた「サッスーン商会」である。


21世紀を生きる女性たちにとって、サッスーンと聞いてすぐに思い浮かぶのは、ヘアースタイルの「サッスーン・カット」ではないだろうか。サッスーン社の社長はビダル・サッスーンといい、美容院で販売されている高級シャンプーなどの商品も幅広く生産している。(※
ビダル・サッスーンはロンドン生まれのユダヤ人)。


このサッスーン氏と同じ一族かどうかわからないが、「サッスーン商会」を創業したデビッド・サッスーンは、イギリスのユダヤ系名門の出身で、もとはバグダッドの豪商だったが、1830年にバグダッドの総督がユダヤ人を追放したため、ペルシアへ逃れた。




折から戦争状態にあったペルシアでは、特産品の阿片の取引が止まり、値がつかない状態になっていたので、サッスーンは底値で買い入れ、生産中の阿片も予約購入した


阿片が収穫される頃、戦争が終わり、阿片の値段は再び高騰して、サッスーンは巨額の利益を手にした。その資金を元手に「サッスーン商会」を創設したという。

勿論、取引商品は主として阿片であった。

やがてイギリスがインドに設立した「東インド会社」で営業許可を得た「サッスーン商会」はボンベイに拠点を据えて阿片貿易に乗り出し、香港にも開店して「沙遜(サッスーン)洋行」と名乗った。



◆阿片売買のために、上海へ先陣を切って乗り込んだのも「サッスーン洋行(沙遜洋行)」だった。


1845年、上海の目抜き通り(現在の江西路と九江路の交差点)に支店を開いた。

当初、上海の阿片貿易の20%を占めるほどの大取引に携わり、人手が足りずに14人もの親族を呼び寄せ、業務拡大した。




1864年、創業者のデビッド・サッスーンが亡くなると、「サッスーン洋行」は長男が引き継ぎ、次いで次男が独立して「新サッスーン洋行」を開業した。


新旧の「サッスーン洋行」は、互いに協力しながら、インドのケシ畑の“青田買い”をしたり、独占買い付けをしたりしながら、アジア全域に幅広いネットワークを築いた。 〈中略〉

1870年代には、「サッスーン洋行」はインドの阿片貿易の70%をコントロールするまでに成長するのである。



「ジャーディン・マセソン商会」「サッスーン洋行」──。


この2つの巨大商社を筆頭にして、その後も続々と貿易商社が進出してきた。

「デント商会(宝順洋行)」、「ギブ・リビングストン商会(仁記洋行)」、「ラッセル商会(旗昌洋行)」などのイギリスとアメリカの商社がいる一方、中小の地元商社やアジアからの商社などが雨後の竹の子のように増え続けた。

不確実な数字だが、外国の商社は1837年に39社だったものが、20年後には約300社に増え、1903年には、なんと600社以上にものぼったという



◆欧米の商社が業務を拡大し、取引金額が増えるに従い、なにより頭を悩ませたのは資金の安全な輸送方法だった。イギリス流の解釈では、「イギリスが中国から資金を取り戻す」ための安全で迅速な手段が必要とされたのである。


よいアイデアはすぐに浮かんだ。銀行の設立である。

1865年3月、「サッスーン洋行」、「ジャーディン・マセソン商会」、「デント商会」らは15人の代表発起人を決め、資本金500万ドルを投じて香港に「香港上海銀行(HSBC)」を設立した。サッスーン・グループのアーサー・サッスーンら8人が理事会役員に就任し、1ヶ月後には上海で営業を開始した。

「香港上海銀行」の最大の業務は、阿片貿易で儲けた資金を安全かつ迅速にイギリス本国へ送金することであった。


「香港上海銀行(HSBC)」.png「香港上海銀行(HSBC)」2.png 

1865年に、ロスチャイルド一族のメンバーであるイギリス系
ユダヤ人のアーサー・サッスーン卿によって香港で創設され、
 1ヶ月後に上海で営業を開始した「香港上海銀行(HSBC)」

この銀行の設立当初の最大の業務は、アヘン貿易で儲けた
 資金を、安全かつ迅速にイギリス本国へ送金することであった。

この銀行は、第二次世界大戦前、上海のバンド地区を中国大陸の本拠と
していたが、1949年の中国共産党政権成立後の1955年に、本社ビルを
共産党政権に引き渡した。その後、中国各地の支店は次々に閉鎖された。

しかし現在、この「香港上海銀行」は、英国ロンドンに本拠を置く世界最大級の
銀行金融グループに成長している。ヨーロッパとアジア太平洋地域、アメリカを
中心に世界76ヶ国に9500を超える支店網をもち、28万人の従業員が働き、
ロンドン、香港、ニューヨーク、パリ、バミューダの証券取引所に上場している。

時価総額規模では、アメリカの「シティグループ」、「バンク・オブ・アメリカ」に
次ぎ世界第3位(ヨーロッパでは第1位)である。現在、香港の「中国銀行」
及び「スタンダード・チャータード銀行」とともに香港ドルを発券している。



1860年代から70年代にかけて、彼ら(ユダヤ系の「サッスーン洋行」など)を通して中国へ輸出されたインド産阿片は、毎年平均で8万3000箱にのぼった。一箱は約60kg。

国内生産の阿片が増加するにつれて、外国阿片は少しずつ減少していくが、ピークの1880年代には10万5507箱が輸出され、上海には年2万2000箱が送り込まれた。

上海の町には、阿片の濃い煙が充満した

阿片は街のいたるところで合法的に売られ、客はいつでも手軽に買うことができた。




◆時代の流れが変わったのは、1906年のことだった。


アメリカの宣教師たちが阿片生産の禁止を国際世論に広く呼びかけると、国際的に阿片貿易への非難の声が高まった。清朝政府は、「イギリスがもし輸出を削減するなら、中国も阿片の生産と喫煙を禁止するしと発表。イギリスも、「10年禁絶を目標に毎年段階的に削減していく意向がある」と応じ、翌年には「中英禁煙協約」が交わされた。

1911年、ハーグで「国際阿片会議」が開かれ、世界の潮流は阿片の輸出禁止と生産禁止という明るい未来へ向かって、栄えある第一歩を踏み出した。いや、踏み出そうとした。

ところが、そうなっては都合の悪い人たちがいたのである。



外国商社は色めきたった。10年という期間を限定されたことで、今のうちに儲けるだけ儲けておこうと考えた。


「サッスーン洋行」ら上海の阿片商社は即座に「洋薬公所」を結成すると、上海の輸入阿片の総量をコントロールする一方、潮州商人と協定を結んだ

「洋薬公所」といえば聞こえはよいが、つまり「阿片商人の大連合会」である。外国人貿易商たちはペルシア産とインド産阿片の独占輸出体制を築き、流通ルートは潮州商人一本に絞られた。

無論、阿片の価格は急騰した。最高値のときには、なんと銀の7倍まで跳ね上がったというから、驚くほかはない。



◆阿片商人の悪辣さはこれに止まらない。


10年の期限が近づくと、「洋薬公所」は関係ルートを使って時の政権、北京政府と交渉し、残りの阿片を全部買い取らせることに成功した。1919年、北京政府は阿片を購入後、公開処分した。

こうして世界が監視する中で、中国の「阿片禁止令」は着々と執行されることになった。このまま順調にいけば、もしかしたら中国からも地球上からも阿片は一掃され、クリーンで美しい世界が訪れたかもしれない。

だが、事態はそうはならなかった。

禁令とは、すなわち商売繁盛だ──。 〈中略〉

アメリカで1920年に制定された「禁酒法」が、この言葉を生んだのだ。政府が酒類の醸造と販売を禁止したことで、シカゴを縄張りにしたアル・カポネのギャング団が密造酒を裏取引し、暗黒街の犯罪が急上昇してしまったのである。

時期も同じ1920年、中国では阿片が禁止され、同じような事態が生じていた。阿片の密輸に火がつき、以前よりもかえって大量の阿片が出回る事態になったのだ



◆当時上海に滞在していたフランス人弁護士リュッフェの試算によると、1920年代後半の全中国の阿片消費量は、毎年7億元にのぼったという。


「中華国民禁毒会」の集計ではさらに多く、毎年10億元を消費し、そのうち国産阿片は8億元、外国阿片は2億元であったという。また、上海の阿片貿易による収益は毎年4000万元以上、あるいは7、8000万元から1億元にものぼると推測される。

なにしろ密輸だから正確な統計はないが、阿片の消費量が、膨大なものであったことは間違いないだろう。


◆ ◆ ◆


以上、譚ろ美著『阿片の中国史』(新潮社)より


posted by 真 救世主 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マネーロンダリング

ロスチャイルド家のマネーロンダリング
ロスチャイルド同族グンツブルグ家の相関図-1.jpgロスチャイルドーロックフェラー.jpg
ヤミ金帝王ら6人を逮捕 収益100億円を洗浄
(共同通信)

 指定暴力団山口組系五菱会(現在は二代目美尾組)によるヤミ金融事件で、警視庁生活経済課などは3日、巨額の不法収益を海外でマネーロンダリング(資金洗浄)していたとして、組織犯罪処罰法違反(犯罪収益等の隠匿)の疑いで、「ヤミ金の帝王」と呼ばれた山口組系元幹部梶山進容疑者(54)=同法違反などの罪で起訴=ら6人を逮捕した。

 海外金融機関を舞台にした資金洗浄の摘発は初めて。警視庁は少なくとも98億5000万円が資金洗浄されたとみて、事件の全容解明を急ぐ。
 逮捕されたのは、ほかに住所不詳、会社役員小尾雅也容疑者(47)ら資金洗浄の実行犯役だった旧五菱会ヤミ金融グループの5人。
 警視庁は資金洗浄に加担したとして同容疑で逮捕状を取った国際金融機関「クレディ・スイス」の現地法人「クレディ・スイス香港」行員で香港に住む道伝篤容疑者(41)について、既に外務省を通じて旅券を返納させ、帰国を促している。
[
2004年6月3日21時7分 ]

【私的めもらんだむ】

9時
 クレディスイスは昔から秘密口座を使って日常的にマネーロンダリングをしている。相関図にある「ドイツ・クレディタンシュタルト」がクレディスイスに投資した金額は50%もなり、クレディスイスは設立当初から事実上ロスチャイルド家の支配下に置かれていたことになる。クレディスイスの正式名は「スイス・クレディタンシュタルト」で、これはスイスのロスチャイルド銀行と同義語となる。むろんクレディスイスは公式にもロスチャイルド銀行から投資を受けている。クレディスイスの会長ライナー・グート(Rainer Gut)そのものがロスチャイルド家の代理人であり、頭取ヴィルヘルム・カスパール・エッシャー(Wilhelm
Escher)
は、スイスを支配するエッシャー家が輩出した人物だ。
 1988年、2600億円もの麻薬資金がスイスの大手銀行で洗濯されたことが発覚している。それを摘発すべき警察大臣ならびに司法大臣がエリザベート・コップで、捜査内容は夫のハンス・コップに筒抜けになっていた。ハンスはチューリッヒに金融会社を持ち、マネーロンダリング疑惑で捜査の手が伸びようとしていた。泥棒が泥棒を取り締まろうというのだから、最初から結果は分かろうというものである。こうした事実は暴露され、裁判でも事実は認められながら、どういう風の吹き回しかコップは無罪、スイスの金融界に吹き荒れた麻薬資金マネーロンダリングの疑惑は一掃される。こうしたスイスの国家ぐるみ犯罪体質は現在でも厳然として継承され、そんな中で日本の闇金融のカネも流れ込むという図式になっている。

 それにしても暑い。予報最高気温24℃はすでに越して、現在自宅内温度計は28℃を指している。このままいけば今日は30℃を越すことは間違いない。さっきはオス猫のいる自動車に放水してきた。監督から何の連絡もない昨今、日増しに不安が募っている。オレの頭も沸騰気味だ。下請けながら誠意は示してきたつもり、少しは人間扱いしてもらいたいものだ。必要とされなくなったら使い捨てか?それでも、苦しいのはオレだけではないのだと、疑心暗鬼を吹っ切ろうとしている・・・オレの孤独な、生活戦争・・・疲れてはいられない。

12時
 皇位継承者エドワード8世ことウィンザー公とシンプソン夫人の「世紀の恋」は、上記相関図・右端のフィリップ・サッスーンが演出したものだった。元々の英国皇太子の結婚相手はモルガン家の双子の姉妹、その一人セルマと目されていた。英国皇太子と米国大財閥の令嬢の恋は、誰からみても相思相愛の仲に映った。それは同時に歴史の浅いアメリカに住むモルガン家にとっても、ヨーロッパ歴史が育んできたようなイギリス王室と結ばれるのは願ってもないことであったろう。しかし、ここにセルマが最良の友とするウォリスという既婚者女性が忽然と登場し、そして親友セルマの恋人・イギリス皇太子を奪うのだ。これらは全て先のフィリップが仕組んだものと云われている。イギリスを支配するロスチャイルド家と、インドと香港を支配するアヘン王サッスーン家の血を継承するフィリップの背景が、ロックフェラー&モルガンのヨーロッパ進出を許すわけがなかった。かくしてウォリスことシンプソン夫人は用意され、皇太子の心を奪いながら、その王位継承権も奪ったのだ。ちなみに、私は以前からアメリカ合衆国とヨーロッパ合衆国(EU)の対立構造をイメージしていた。
【関連】
ウィンザー公の恋文競売、6月19日の日誌
(以下抜粋)
 エドワード8世ことウィンザー公はシンプソン夫人のために1936年に退位したが、退位後の結婚を予想して嗅ぎまわる新聞記者から身を守るため、英国政府はスイス・チューリッヒのホテルを隠れ家に用意している。しかし二人はそれよりも安全で快適な別の隠れ家を知っていた。彼らはかつて逢瀬を重ねた隠れ家ロスチャイルド家の屋敷を思い出したのである。かくしてロンドンのロスチャイルド家からオーストラリアのロスチャイルド家へとウィンザー公の意向が伝達されると、オイゲン・フォン・ロスチャイルド(Eugene Daniel
Rothschild
1884-1946)所有の、オーストリアのウィーンに近いエンツェスフェルト城
が用意された。1936年12月11日、国王の座を捨てたウィンザー公は、その48時間後にはロスチャイルド家所有のエンツェスフェルト城の門をくぐっていた。
 当初、エドワード8世ことウィンザー公には大財閥モルガン家の令嬢セルマという愛人がいた。彼女は既婚の身だった。セルマは双子姉妹の一人で、もう一方はグロリアといい、やはり大財閥ヴァンダービルト家の御曹子レジナルドと結婚していた。そして、セルマの親友がシンプソン夫人だったのである。


ロスチャイルド家の宝石、オークションへ 
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&NR=1&v=1_v-9IZC3q8

ロスチャイルド(Rothschild)家の一員ハンナ・ロスチャイルド(Hannah Rothschild)が所有していた宝石3点が8日、英ロンドン(London)で行われるクリスティーズ(Christie's)のオークションに出品される。3点で-100〜150万ポンド(約1億3000万〜2億円)相当の価値があるという。(c)AFP

系図81―中東戦争に踏み切ったベーカー国務長官の“砂漠の赤い楯”.jpg
系図81―中東戦争に踏み切ったベーカー国務長官の“砂漠の赤い楯”

ドイツ銀行.jpg
ドイツ銀行600の家族


誰も犯すことのできない清らかな気持ちで魂の命ずるまま素直に書いてく ださい。
巨悪は真実の前には存在できないのです。 しかし真実は真実でなければなりません。偽造や捏造であってはならないのです。

私からの回答
私はあなた方の「真実の一切を認めない」
バアル崇拝?ルシファー崇拝?邪悪?地球人は家畜?ユダヤ人だけが「人間」?聖書の改竄?・・・邪悪なる魂の持ち主よ、語るな、二度と「真実」などという言葉を。恥を知れ。
ライブドア・マネーロンダリング.gif安晋会を核とするライブドア浸透相関図.gif
ライブドア・マネーロンダリング  安晋会を核とするライブドア浸透相関図

ロックフェラーもご登場のCIA&石油利権を描いた映画『シリアナ』
シリアナとは、イランとイラク、そしてシリアがひとつの民族国家を形成した場合の想定国家の名前。

冷戦終了後、最大の敵国を失ったアメリカの中央情報局(CIA)は、自らのアイデンティティーをも失いつつあった。衛星等からのシギント(電子情報)に頼り、ヒューミント(人的情報)を軽視、同時に中央政府との駆け引きのうまい官僚的な人間たちに牛耳られていったこの諜報機関は、9.11米国本土テロを許すほどに、没落していったのだという。

かつてこの組織のエース諜報員として、中東で命がけの任務に就いていたロバート・ベアが、自らの著書『CIAは何をしていた?』で明かす上記のような事実は、全米に衝撃を与えた。その著書をもとに、米国と中東産油国をめぐる、報道の表に出ない泥沼の関係、国際社会にひしめく陰謀を暴くのが、映画『シリアナ』。ハリウッドのリベラル映画俳優たちが、こぞって出演を希望した話題作だ。

CIAは何をしていた? ロバート・ベア (著)
本書はベールが諜報員時代に得た知識やCIAへの幻滅を率直につづった回顧録。だがそれだけではない。最近のテロ事件の見解を根底から覆す前代未聞の事実が暴露された1冊でもある。その衝撃の事実をいくつか挙げてみよう。

*1996年、オサマ・ビンラディン氏はアメリカに対するテロ攻撃調整を目的とする戦略的同盟をイランと締結していた。

*1995年、国家安全保障会議はサダム・フセインに対する軍事クーデターを意図的に中止、彼を排除する最後のチャンスを逸した。

*1991年、CIAはアフガニスタンとサウジアラビアでの活動を故意に停止、原理主義者たちの軍事行動を無視した。

「幾度とない命の危険も顧みず、最も困難な標的に向かい、国への奉仕をまっとうしたことをここに表する」。これは1997年の退任時、ベールがCIAから勲章と共に贈られた表彰状の一文だ。「国への奉仕」を忘れてしまったCIAに対し、ベールが率直な評価を下した本書。そこにはCIAが政界を超える存在になり、国民主権の維持および「アメリカらしさ」の死守という本来の任務に専念すべきだという、悲痛なまでの彼の訴えがしたためられている。
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2012年03月15日

イスラエルが世界に誇る対外諜報機関←気付けよ!お前「世界中の皆から嫌われてんだよ!」 「モサド」

イスラエルが世界に誇る対外諜報機関
「モサド」

イスラエルの対外情報部。国外での諜報情報の収集に従事し、政治性行為を実施し、テロ対策を行う。1937年に各地で迫害されていたユダヤ人を非合法でパレスチナに入国させ、入植させる互助組織として発足。イスラエル建国後は、対外情報部として組み込まれる。

1960年の元ナチスドイツの幹部・アイヒマンの逮捕で、一躍その実力を世界に示した。

国内での防諜などは軍秘密情報部アマンが担当。

世界最強のスパイ組織モサド。ベンヤミン・ネタニヤフ・isuraeru.jpg

                ベンヤミン・ネヤニヤフ「イスラエル首相」

2011年11月09日16:27  国際ニュース  政治ニュース  コメント( 5 )      



オバマとサルコジ.jpg

サルコジ「イスラエル首相はうそつき」 オバマ「それを毎日相手にしなければならない私はどうなる?」
フランス・カンヌの主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席した
フランスのサルコジ大統領が、オバマ米大統領との私的な会話の中で、
イスラエルのネタニヤフ首相を「うそつき」呼ばわりしていた――。
フランスのウェブサイト「アレ・シュール・イマージュ」が、G20を
取材した記者などの話を引用してそう伝えた。

同サイトによれば、サルコジ大統領はオバマ大統領との共同記者会見を前に
交わした私的な会話の中で、ネタニヤフ首相について「我慢できない。彼はうそつきだ」と
不満を漏らしたという。オバマ大統領は通訳を介して「あなたはうんざりしていると言うけれど、
私はどうなる? 毎日彼を相手にしなければならないのだ」と応じたとされる。


会話は非公開のはずだったが、会場のマイクに拾われて報道陣の耳に入ってしまった。
報道各社はG20主催者側への配慮などからこの発言をオフレコ扱いとすることを
申し合わせたが、アレ・シュール・イマージュは記者の間で広まっていたうわさを
聞きつけ、伝えることにしたという。ロイターとAP通信は8日、この報道を確認した。

会話の内容についてフランスの大統領府はコメントを避け、
米国のカーニー大統領報道官もノーコメントを通した。
イスラエル首相府もコメントを避けているが、米国のユダヤ人団体は
「深く失望した」と述べ、中東和平交渉において中心的な役割を果たす米仏と
イスラエルとの関係が損なわれる恐れもあると懸念を示した。

ネタニヤフ首相を批判してきたイスラエルの野党労働党の議員は、「わが国の首相が
(米仏首脳に)うそつき呼ばわりされた」とすれば「恥ずべきこと」だと話している。

ソースは
http://www.cnn.co.jp/world/30004518.html

元スレ
【国際】 "イスラエルのネタニヤフ首相はうそつき。もう会いたくない" サルコジ仏大統領、オバマ氏に
サルコジ「イスラエル首相はうそつき」 オバマ「それを毎日相手にしなければならない私はどうなる?」

2:七つの海の名無しさん:2011/11/09(水) 11:43:41.85 ID:4h7+W1Vg
結局、オバマも嫌がってるみたいだなwww



諜報組織としてはCIAよりも「強力」である、米軍諜報部は、モサドに手玉に取られてきました。

イスラエル軍事産業の1つである、インターコンチネンタル航空は、現在、イスラエル国内で「イスラエル航空産業社」と名前を変え、イスラエルの防空の要企業となり、同時に、その伝統に従い、ロシアアメリカの軍事技術の「窃盗犯集団」となっています。

2010年、このイスラエル航空産業社は、イスラエルの「敵国」イラン=ロシアが、その兵器の最大供給源であるイランに、兵器・軍事技術の密輸を開始しているといわれています。

この兵器密輸には、イスラエル航空産業社の「古巣」、ロシア諜報部FSBが深く関与しているとみられています。

イスラエルの諜報組織が、イスラエルの敵国であるイランに兵器・軍事技術を売っている?

イスラエル国防省が、敵国イランに軍事技術を売る目的は、敵国の軍事力を強化し、敵国によるイスラエルへの攻撃を過激化させる事にあるとおもわれます。

この過激化を理由に、イスラエル軍は、「より過激な反撃」が可能となるからです。

核兵器の実戦使用を考えているのかもしれません。

911テロという過激なテロが起こったため(起こしたため)、米軍はアフガニスタン戦争、イラク戦争に突入する事が可能となり、アメリカ軍事産業は大々的に活性化し、90年代の大不況からアメリカ経済は立ち直る事が出来たことはすでに周知の事実です。

2009年から続く、現在の、世界の大不況から世界経済が立ち直るためには、911テロに匹敵する、大規模な戦争行為または挑発行為が、イスラエル=アメリカに対して起こらなければならないのです。

戦争を大規模化するためには、敵がより強大でなければなりません。
イスラエル軍には、敵国イランの軍事力を強化する必要が、どうしてもあるわけです。

イスラエルの諜報組織ラカムの行っている、核技術を含む軍事技術の対イラン供与、利敵行為は、中東、そして世界を核戦争に巻き込む危険性のある、凶悪な犯罪行為と言えるでしょう。

一方、モサドは、アメリカ籍のイスラエル兵器密輸企業「ミルコ・カリフォルニア社」を通じ、イランに供与された技術を上回る、アメリカの軍事技術の、対イスラエル密輸を加速化させています。

イスラエルによって準備された、イランによる過激な攻撃を、上回る反撃を行うための、準備です。

「敵が過激な攻撃を加えて来たので、こちらも過激な攻撃=核兵器を使用した」と世界に説明するためには、イランが核兵器を持たなければなりません。

イランが小型核兵器程度のものを実戦使用し、イスラエル攻撃を実行しなければならない事情があるわけです。

そのためには、イスラエルは敵国イランに、核兵器技術を売らなければならないという事です。

これが、戦争を画策する軍事産業の本音です。

核兵器で中東の地が汚染されようと、市民が大量に死亡しようと、それは軍事産業の知った事ではない。

イスラエル国家の国益を守ると称し、ひたすら、アラブ人の一般市民を大量虐殺してきた、モサド、ラカム等の諜報組織は、イスラエルに結集する世界中の大富豪、その金儲け手段である軍事産業・戦争産業の「利権を守る事に専念して来た歴史を持っています。

その典型的な一例が、今回の、敵国イランの軍事力を強化し、より強大な中東戦争を煽る軍事工作と考えられます。

より強大な戦争は、イスラエルの軍事産業、その背後に居るアメリカの軍事産業、そしてイランの軍事産業、その背後に居るロシアの軍事産業の利権に適した行為であり、イスラエルと、アラブの市民は戦争で死ぬだけなのです。

自分の金儲けの事しか頭に無い、軍事マフィアが、自己正当化のために、最後に逃げ込む牙城が、愛国主義、民族主義です。

中国・北朝鮮と日本との戦争を煽り、日本の核武装を煽り、日本の右翼・民族主義者・愛国主義者=統一教会にも、全てに共通する



『モサド情報員の告白』(TBSブリタニカ).gif
『モサド情報員の告白』(TBSブリタニカ)


●モサドはイスラエルが世界に誇る情報機関である。

1948年に独立した時、イスラエルには情報機関が5つあった。

第1は「シン・ベト」(別名「シャバク」)で、主に国内保安を司る機関でアメリカのFBIに匹敵する。

第2は「アリア・ベト」。当時アラブの国々から新生イスラエルに逃げてくるユダヤ人は多く、彼らの脱出を援助したのがこの機関である。

第3は外務省の情報部。第4は警察の情報部。第5が「シャイ」と呼ばれる対外諜報を専門とする機関だった。



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イスラエルの国旗とモサドの食料

ユダヤ人の国イスラエルは、
戦後1948年5月に中東に誕生した



●1951年に情報界の再編成によって「シャイ」は解体され、2つの機関に分かれた。その一つが軍諜報の「アマン」で、もう1つが「モサド」だった。

「モサド」とはヘブライ語の「諜報及び特別工作」の略である。主に国外での情報収集を任務としている。

各情報機関は、首相も出席する「インテリジェンス・コミュニティー」と呼ばれる定例会議で情報交換を行なっている。議長はモサドの長官が務める。

モサドのシンボルマーク.jpg
モサドのシンボルマーク(キリスト教「幕屋」の燭台と同じだ!)

モサドの構成員は約2000人、
その他の情報機関員も合計すると
約1万5000人と推定されている。
(イスラエルの人口比からすれば
相当に情報機関員が多い)。


モサドの初代長官はルーヴェン・シロアッフというポーランド生まれのユダヤ人だったが、1年足らずで辞任。後任はイサー・ハレル。実質的にモサドを世界最強の諜報機関といわれるまでに仕立て上げ、今日でも現役のモサド要員から「ミスター・モサド」とあがめられている男である。

1963年2月にこのイサー・ハレルがモサド長官の椅子を去ると、後任としてメイヤー・アミットが就いた。彼は軍隊で超エリート・コースを歩み、わずか39歳で軍諜報機関「アマン」の長官となり、その2年後にモサド長官となったのである。

モサドに詳しい人いわく、「ハレルはモサドの強力な土台を作り、アミットはそれを高層ビルに仕立て上げた」と。


初代長官ルーヴェン・シロアッフ.jpg 第2代長官イサー・ハレル.jpg 第3代長官メイヤー・アミット.jpg
左から、モサドの初代長官ルーヴェン・シロアッフ、
第2代長官イサー・ハレル、第3代長官メイヤー・アミット
(これが「悪魔主義者の顔」だ!「一流の悪魔は一流の慈善家の顔をもたねばならない)

悪魔儀式スカトロ.jpg

●CIAやMI6とは異なり、モサドでは誰でも簡単にスパイになれるわけではない。(選ばれし・・・「うんこ」?)

モサドのリクルーターと呼ばれる採用担当者は、これだという人物を見つけたら、数年かけて対象の身辺を調査する。社交性、思想、マナーに加え、友人の評価、運動神経、性癖までもが徹底的に調べ上げられる。これらのチェックをクリアすると正式に勧誘し仲間に迎え入れるという。


●モサドの工作員が世界各国で行なっている日常的な任務の中では、アイヒマン捕獲作戦のような華々しい作戦は少数の例外に過ぎない。任務の大半を占めるのは、イスラエルに敵対する勢力の動向に関する情報の収集・分析と、イスラエルに敵対する行動を起こしている敵側の人間を直接的・間接的な手段で「消す」ことである。


前者の場合、各国に派遣された工作員(カッツァ)は、現地で信頼できる協力者(サヤン)を見つけて仲間に引き入れながら、成果が表に出ることのない地道な作業を通じて、本国イスラエルの安全保障を陰で支えている。(その名を「フリーメーソン」)

イギリス国旗.jpg「うんこ大好き」エリザベス.jpgスカトロ.jpg

後者の場合、暗殺工作員(キドン)とサヤンはイスラエルのユダヤ人を攻撃対象とみなす勢力に気づかれることなく近づき、消音器の付いた拳銃やナイフ、あるいは素手で、1人また1人と「イスラエルの敵」の息の根を止めている。


●これらに加え、政治的理由によりイスラエルと国交のない国に派遣されて、当該国との間で非公式な外交関係を水面下で構築・維持することも、モサド工作員の重要な役割である。


この件に関して、前出のメイヤー・アミット(第3代モサド長官)はこう述べている。

「モサドの活動は主に3つの分野に分けられる。第1に極秘裏の情報収集工作、第2にスペシャル・オペレーション(特別工作)。アイヒマン誘拐」はこのスペシャル・オペレーションの部類に入る。

サイモン・ウィゼンタール〜いかさま「ナチ・ハンター」〜Adolf Eichmannアイヒマン(モサド誘拐事件).jpg
Adolf Eichmannアイヒマン(モサド誘拐事件)

---以下一部抜粋
アイヒマン(Adolf Eichmann、 1906年3月19日-1962年6月1日)を捕らえたチームを率いていたイスラエル当局のイセル・ハレルは、ウィゼンタールは逮捕に関して「絶対的に無価値」だったと明言している。ハレルは、「ウィゼンタールが逮捕以前に提供した情報はまったく価値がなく、それどころか時には誤導さえするマイナスの価値のものだった」と語っている。ハレルは、イスラエルの国内および国外の保安機関、モサドとシンベトの双方のトップを歴任している。

 さらに、有力なシオニスト組織であるブナイブリスの反中傷同盟の総合顧問、アーノルド・フォスターは著書『旧弊な男』の中で、ウィゼンタールはイスラエル機関がアイヒマンを逮捕する直前に、かれの所在位置を日本にしたりサウジアラビアにしたりしていたと記している。

 ウィゼンタールが演じた最も見せ物的な事件の一つは、シカゴのフランク・ウォラスという男を巻き添えにした。1974年12月10日付けの手紙で彼は、ウォラスが戦争中にポーランドのチェンストホーバとキエルツェで、「ユダヤ人をゲシュタポに引き渡した」と告発した。この手紙に刺激された合衆国政府は、ウォラスに対する捜査と法的キャンペーンを矢継ぎ早に行った。ワシントン・ポスト紙は、この事件の顛末を1981年 5月に特集しているが、その題は「ナチ党員と間違えられた男/裁判官、報道機関、検察局の魔女狩りが、いかにして無実の市民を戦争犯罪人に仕立てたか」であった。



第3の活動分野はイスラエルと外交関係を持つことを拒否している国々へ浸透して、極秘の外交関係を樹立すること。多くの国が今日イスラエルと外交関係を持っていないから、この仕事は特に重要視されている。表面的には敵対関係にあるアラブ諸国のいくつかもこの方法で我々と外交関係を維持している。海の表面が荒れている時は下に潜って静かな水の中で泳ぐのが一番という考えをモサドはうまく実行しているのだ。

モサドがよく“地下の外務省”といわれる所以(ゆえん)はここにある。」


●また彼は、モサド・エージェントとして必要な要素についてこう述べている。


「モサド・エージェントとして必要な要素はいろいろとあるが、まず自分のやっていることに『信念(「ユダヤ人」以外は「家畜」である!!!)』を持てる人間だろう。これがない人間は羅針盤のない船に等しい。

モサド・エージェントの仕事はきれいごとばかりではない。それどころか時には非道きわまりない仕事もやらねばならないことがある。心の中ではものすごい抵抗を感じるものだ。そんな時、支えとなるのが自分のやっていることに対する『信念』だ。それも単なる口先だけではなく、どのような拷問やプレッシャーにも耐えられるほど強固な『信念』でなくてはならない。この要素を持った人間は多いようで中々いないものだ。

同じように重要な要素として考えられるのは、人一倍頭が切れ狡猾なことだろう。どのような固い信念や愛国心を持っていても、頭が悪い人間は使いものにならない。チェスでたとえれば少なくとも十手先まで読めるぐらいの頭脳がなければエージェントとなる資格はない。頭が良いということは機転が利くということにつながる。機転が利けば、どんな状態に追い込まれても瞬間的に判断を下し、ベストな方法で対処することが出来る。」

違うな。「頭が良い=機転が利く」ために追い込まれた時、行動は限られてしまう。

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Simon Wiesenthal サイモン・ウィーゼンタール(モサド)1995年3月15日撮影
★「捏造ホロコースト」追及、ウィーゼンタール氏死去

 第2次大戦中、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)に関与したナチス戦犯を真実(捏造)を知りながら追及し続け、「ナチスハンター」として知られるサイモン・ウィーゼンタールさんが20日、ウィーンの自宅で死去した。96歳だった。オーストリア通信などが伝えた。

 08年、現在のウクライナで生まれた。家族の多くを虐殺で失い、自らも約4年間、強制収容所で過ごした。戦後、米中央情報局(CIA)の前身組織などでナチス戦犯追及にかかわり、オーストリアにユダヤ人資料センターを設立。南米にいたナチス元幹部アイヒマンの逮捕に関与するなど、戦後のユダヤ人社会では英雄視された。

 同氏の名前にちなんだユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米ロサンゼルス)が77年設立され、反ユダヤ活動を監視してきた。日本では95年、文芸春秋の月刊誌「マルコポーロ」がホロコーストはなかったとの記事を掲載。同センターからの抗議がきっかけで、同誌の廃刊と同社社長の辞任につながった。           

サイモン・ウィーゼンタール・センター現在の所長Efraim zuroff博士サイモン・ウィーゼンタール・センター現在の所長Efraim zuroff博士.jpg
サイモン・ウィーゼンタール・センター現在の所長Efraim zuroff博士

●ところで、1990年9月、元モサド・エージェントのビクター・オストロフスキーが『モサド情報員の告白』を出版し、モサドの内部事情を暴露した。

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(左)ビクター・オストロフスキー (右)彼の著書
『モサド情報員の告白』(TBSブリタニカ)



●このオストロフスキーによれば、モサドは偽造旅券や偽造紙幣の作成用に工場と化学研究所を有しており、各国の旅券や紙幣の紙質を分析しては複製を試み、またそこに押される入国管理用のスタンプまでも偽造しているという。これら偽造用の資料は警察の協力によって集められたもので、全てコンピュータに記憶させてあるという。


●この本の中で、オストロフスキーはモサドの実態についてこう語っている。


「世界中にはサヤン(協力者)がたくさんいる。サヤンとは、イスラエルの国民ではないものの、世界の各地に住んでいる純然たるユダヤ人で、モサドの協力者を意味する。ロンドンだけでも、活動している人が約2000名スカトロ.jpgいるし、リストに載っている人が別に5000名いる。彼らは様々な役割を果たしている。

例えば、レンタル店をやっているカーサヤンは、モサドの一員には一般の書式に必要事項を書きこまなくても車を借りられるようにしてやる。アパートサヤンは、疑惑を呼ぶことなく部屋を探し出してやるし、バンク(銀行)サヤンは、真夜中に金の必要が生じた際にも用意してくれる。ドクターサヤンは、警察に報告しないで銃創を治療してくれる。 〈中略〉 彼らはどんな依頼にも快く協力するが、実費以外は受け取らない。」


「モサドのメイン・コンピュータは、150万以上の人名を記憶している。モサドがPLOや敵対関係にある者として入力した人物たちは、担当部署の名前にちなんで、“paha”と呼ばれている。この部は独自のコンピュータ・プログラムを持っているが、メイン・コンピュータの記憶装置を利用してもいる。」



「モサドには超秘密の特別部署が存在しており、たんにアル(AL)と呼ばれている。ヘブライ語で、上とか頂点を意味する。この機関は深く秘密に包まれており、主体であるモサドからひどくかけ離れているので、モサドの大半の職員はそこが何をしているのかさえ知らないし、コンピュータに保管されているそのファイルに接近することもできない。彼らの活動の全部とはいわぬまでも大半は、アメリカの国境内で行なわれている。 〈中略〉


モサドは依然としてアルの存在を認めていない。モサドの内部では、我々はアメリカ国内では活動していないのだと言われている。しかしモサドの大半の人間が、彼らのやっていることを正確には知らないまでも、アルが存在していることは知っている。」



<モサドの歴代長官>

 

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ダニー・ヤトム(1996-98)
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エフライム・ハレヴィー(1998-)

ルーヴェン・シロアッフ (1951〜52)
イサー・ハレル(1953〜63)
メイヤー・アミット(1963〜68)
ツヴィ・ザミル(1968〜74)
イツァク・ホフィ(1974〜82)
ナフム・アドモニ(1982〜90)
シャブタイ・シャヴィトシャブタイ・シャヴィト.jpg(1990〜96)
元記事:Mossad Link Found to One of Key 9-11
(American Free Press:2009年3月2日 By Michael Collins Piper)


<モサドと911事件の知られざる関係>

モサドの2001年9月11日の悲劇との新たなる関係が最近明らかとなった。ニューヨークタイムズ2月19日付の記事には、驚くべき新事実が書かれている。それは、25年間イスラエルのスパイとして従事していたとして、レバノンに拘留されたレバノンのイスラム教徒のアラブ人[訳者註:アリ・アルジャラヒ]が、偶然にも911事件のハイジャック犯のひとりであるというものである。

アリ・アルジャラヒは、世間に対してはパレスチナの大義を擁護して憚らなかったが、実際は20年以上もの間モサドの利益のため、彼は自身の国家を裏切り、パレスチナ人グループと親パレスチナ政治組織ヒズボラに対して、スパイ活動を行っていたという事実が明らかになった。

アルジャラヒの一件を報じたニューヨークタイムズ次のように述べている「911事件の悪名があるのは、アルジャラヒ氏だけではない。アルジャラヒ氏のいとこである、ジアード・アルジャラヒもまた2001年9月11日のテロ攻撃を実行した19のハイジャック犯に名を連ねているのである。」ニューヨークタイムズは、彼らは20歳以上年齢が離れていることを述べた上で、さらに次のように付言した「彼ら二人は、お互い見知った仲ではなかったようである。」

911事件の謀略には最初からイスラエルのスパイが入り込んでいたと主張する情報源(ソース)が、アメリカン・フリー・プレスを含め存在していることをニューヨークタイムズが重々承知しているという事実を考慮すれば、ニューヨークタイムズの慎重な姿勢は驚くようなことでもない。

もし実際に、若きアルジャラヒが911事件の謀略におけるイスラエルのスパイであるとしても、世界貿易センターへのテロ攻撃に、イスラム教徒のアラブ人がモサドのエージェントとして関わった最初の例ではないのである。1993年8月3日に遡ると、事件記者であるロバート・I・フリードマンはニューヨークのヴィレッジ・ヴォイス[訳者註:ニューヨークで発行されている無料週刊新聞]の中で、1993年に世界貿易センターに対して初めて行われたテロ攻撃の謀略を行ったとして連邦政府に拘留された27歳のヨルダン西岸地区のパレスチナ人アフマド・アジャジは(フリードマン自身の情報源によれば)モサドのスパイであると述べている。

アジャジはスウェーデンの偽造パスポートと爆弾製造マニュアルを携え、パキスタン国際便でペシャワールから発ったのち、1992年9月1日ケネディー国際空港で逮捕された。彼は身柄を拘束され、不法入国の罪を認めた。

アジャジの同伴者は――警察当局筋がいうには、世界貿易センターの最初の爆破事件の「重要人物(キー・プレイヤー)」であるイラク人――ラムジ・アフメド・ユセフであった。2001年、二度目の世界貿易センターへのテロ攻撃の後FBIによって喧伝された、あの「アル・カイーダ・テロリストマニュアル」の情報源が、このアジャジであったことは注目に値する。さらに、アジャジの仲間であるラムジ・ユセフは、ハリド・シェイク・モハマドの甥であるという。ハリド・シェイク・モハマドは、アメリカ政府が911事件の「首謀者」であるとする人物である。

これに関して、もうひとつ重要な点がある。世界貿易センターへの最初のテロ攻撃がなされる何年も前から、モハマドとユセフが実はイスラエルの極秘スパイであると考えていたイスラム教の団体は数多く存在していたのである。

FBIはアジャジを、(パレスチナのイスラム原理主義組織)ハマスと関係するインティファーダ・テロリストの幹部であると確認したが、エルサレムで発行されている評判の良いヘブライ語の週刊地方紙コルハイルは、アジャジはインティファーダの活動にも、ハマスとも、パレスチナ解放機構に関わっていないとしている。またコルハイルによると、アジャジは実際のところは、1988年に東エルサレムでアメリカドルを偽造したとして逮捕されたコソ泥であると述べている。アジャジは偽造の罪で2年半の懲役刑を課されていたのである。

フリードマンがヴィレッジ・ヴォイスで述べるところによると「彼が刑に服している間に、イスラエルのCIAにあたるモサドは彼を雇い入れたと考えられると、イスラエルの情報筋が述べている。服役してちょうど1年を経たのちに釈放されるまでに、彼は劇的な変化を遂げていた。」

フリードマンは、アジャジが突如として敬虔なイスラム教徒となり、表立った強固な国家主義者になったと述べた。その後アジャジは武器を――おそらくはPLOの派閥であるファタハ・イスラムのために――ヨルダン西岸地区に密輸したとして逮捕された。

しかし、フリードマンはこれが実際は見せ掛けの偽りであったと述べている。フリードマンのイスラエル情報筋の情報源によると、この逮捕劇とアジャジの国外追放は、彼をインティファーダの活動家として実証するため、モサドによって演出されたものであるという。モサドがアジャジに与えた「任務」は、イスラエル外で活動する過激なパレスチナ人グループに潜入させ、テルアビブに報告させることであったとされている。

アジャジのイスラエルからの「国外追放」の後、彼はパキスタンに現れた。そこで彼はアフガニスタンで反逆する反ソヴィエトのムジャヒディンの会社にいたことが明らかになっている。(余談だが、暇潰しにCIAの任務を引き受ける金持ちのサンフランシスコ人のアンドリュー・アレンは、アフガニスタンへの補給を『運営』していたことを宣誓した上で認めた。彼はまたリバティー・ロビーとその機関紙『スポットライト』を破壊するのにも役立った。)

こうしたことから、アジャジがモサドのために活動していたと指摘することは出来るだろう。というのも、1987年9月の秘密工作情報公報(Covert Action Information Bulletin)によると、ムジャヒディンへの資金・物資補給ラインはCIAの「史上2番目の作戦」であったばかりか、元モサドの工作員であるヴィクター・オストロフスキー(が著書『The Other Side of Deception』で述べるところ)によれば、その作戦はモサドの直接の指揮監督下で遂行されたものであったからである。オストロフスキーは次のように述べている。

それは複雑なパイプラインだった。なぜなら、ムジャヒディンの武器の大部分はアメリカ製であり、運び手としてシナイの非武装地帯を放浪するベドウィンの遊牧民を利用して、イスラエルから直接ムスリム同胞団に供給されていたからである。アジャジはムジャヒディンとの共同の企てを行ったのち、ニューヨークに突如として現れ、盲目のシェイク・アブドル・ラーマンを囲む、小さないわゆる「過激派」のメンバーの一員であると主張した。シェイク・アブドル・ラーマンは世界貿易センター爆破の首謀者であるとして非難されていた。

1993年2月26日、世界貿易センター爆破決行日、アジャジは偽造パスポートでの不法入国の罪で連邦刑務所で6ヶ月の服役中であり「安全」であった。後に、彼は世界貿易センター爆破の謀略を企てたとして起訴された。

ロバート・フリードマンによると「もしアジャジがモサドに雇われたとするならば、彼が国外追放されたのち、イスラエルの諜報機関で活動し続けていたかどうかは分からないが、ひとつの可能性として、イスラエルを離れ盲目のエジプト人シェイクに接近したことで、彼の忠誠が心変わりしたというのは、もちろんのことありえるだろう。」

しかしながら、フリードマンは別の恐ろしい可能性もあると、次のように述べている。「もうひとつのシナリオは、彼が世界貿易センターが爆破されるとの情報を事前に得ていて、その情報はモサドと共有していたのか、モサドからもたらされたものなのか、他のどのような理由があるにせよ、それを秘密にし続けたというものである。もしこの説が真実であるならば、アメリカの情報筋は、モサドがこの極秘のエージェントを危険に晒さないようにするため、情報を緊密に保護することを決定したのではないかと推測している。」



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(訳者のコメント)
911事件は、今でも多くの議論を呼んでいます。
田中宇さんによれば、本国アメリカでは、911事件に関して政府が行った説明を
全て本当であると考えているアメリカ人は、全体の20パーセントほどしかないようです。

911事件謀略説が真実であるかどうかはさて置き、この事件は、
それ以降のアメリカ(および世界)の政策決定の大きな転換点となりました。
「テロとの戦い」を掲げ、国際テロ組織「アル・カイーダ」の撲滅のため、アメリカは
アフガニスタン、次いでイラクに侵攻を開始します。

BBCのドキュメンタリー
「The Power of Nightmares」は、テロとの戦いの材料として
使われた「アル・カイーダ」「ムスリム同胞団」ら、イスラム過激派組織は、
実はアメリカが新たな冷戦構造を求めて誇張し、歪めて世界に喧伝した
実際は(反米テロリズム的性質をもった組織としては)存在しないものであるという
大胆な主張を展開しています。

また、911事件には、石油利権の衝突という側面もあると思います。
2000年11月、イラクのサダム・フセインはイラク国内の石油取引の決済を
ドル決済からユーロ決済へと切り替えました。
その後のイラク戦争ののち、フセインは逮捕され処刑
その罪状は「大量破壊兵器の保有」でも「国際テロ組織の支援」でもなく
「クルド人に対する毒ガス兵器などを使用したことによる虐殺」でした。

またフセイン大統領処刑後、アメリカの事実上の傀儡となったイラクは、
すぐさまイラクの石油取引をドルへ戻しました。


アメリカは戦争を続けなければ、常に戦いを想定しなければ、
善悪二元論的な「アメリカが絶対善」であるという神話を世界に喧伝し続けなければ
ならないという、悲しい運命を背負った国です。

ではそれは何故なのか?――それを理解するには、アメリカが
たどって来た政治経済の構造の変遷を知る必要があります。

このことについては、必ず論説を加えます。
アメリカの政治経済機構を解き明かすことは、
アメリカの政治・経済・社会・国際政治、ありとあらゆる分野の
理解につながります。

タルムード:「異邦人の子供は動物である。」異邦人は雌牛と交尾することを好む。編集する友人の友人まで公開

2012年01月28日13:46
2012年1月28日 13:02

以下は小石泉牧師の本からの引用;

これは、何も変なことではない。聖書でもユダヤ人はいつかはキリストを信じると書かれているからであ
る。あのユダヤ教からの脱却を高々と宣言したパウロがキリスト教の基礎ともいうべき新約聖書ロ−マ書
に書いているのである。今や、このメサニック・ジューは全世界に何十万人ともいわれる規模になってき
た。そして、彼らはいろいろなルートでキリスト教会の中に入り込んできている。それは悪いことではない。


ユダヤ人が救われてイユスをキリストと呼ぶことに勝る素晴らしい事もない。

ただ、なぜかクリスチャンがユダヤ人を自分たちの「信仰の兄」と呼び、彼らが「福音のユダヤ性の回復」などという言葉や本を出すに至ると、私のアンテナは敏感になるのである。実際、「福音のユダヤ性の回復」という奇妙な本は、実に巧妙にキリスト教のユダヤ化、ないしは後退を育んでいるように思えるのである。


また、ここ数年フロリダ州のペンサコーラという町で強烈なリバイバルと言われる現象が起こっている。何万人もの人々が救われ、悪い道から改心し、麻薬から解放され、犯罪が滅少している。それ自体、悪いものではな
く、極めて健全なものに見えるのだが、その中心的指導者には幾人かのユダヤ人がいる。

私が、ここまで書くと恐らく幾人もの人々が「なぜユダヤ人ではいけないのか。それは
人種的な偏見で、お前こそ悪いのではないか」と言ってくるに違いないことが私にはありありと分かる。
ユダヤ人で何が悪いのか?私には消えない一つの懸念がある。それはタルムードである。もし、メサニック・ジューがタルムードを非難し、そこに書かれているイェス・キリストへの冒涜とキリスト教徒を殺害することを目的としているこの書を恥とし民族を代表して悔い改めるのでなければ、私には彼らが本心に
おいてはマラノ(※表面はキリスト教徒として振るまいながら、秘かにユダヤ教を守り続けた人々もいた。彼らは元の仲間のユダヤ人たちからマラノと呼ばれた。ブタという意味だという。)でありキリスト教会を誤導するために遣わされた蝶者ではないのかと言う疑いを持たないわけにはいかない。


ここで言うマラノは、強制されてではなくある目的を持って本心を隠してクリスチャンを装っていると言う意味に置いての言葉である。マルチン・ルターはその改革の初めにはユダヤ人の助けを受け、自らフリーメーソンであったらしい。しかし、彼が一度タルムードを読むに及んで(彼はヘブライ語、ギリシャ語に極めて秀でていた)彼のユダヤ人観は一変したという。私はまたしても友人を失うだろう。


「君は余りにも疑り深い。君の事を聞いていると希望も信仰もなくなってしまう。なぜ、聖霊に逆らうのかね。神の御業に難癖を付けるのかね。見たまえ、兄弟が和合してともに居るのは何と美しい事ではないか」


しかし、私はただ一人になっても、ユダヤ人の中にタルムードがあるかぎり「へびのように聡くあれ」と
言われた主イェスの言葉に従いたい。そこで読者のために膨大なタルムードの中からとくに注意したい言葉を並ぺたテキストを紹介して判断を顧うこととしよう。これはすでにインターネットなどで公にされているし多くの人々に知らせてほしいという事なので、無断で拝借するがお許し頂けるであろう。


タルムードに生きるユダヤ人を信用で来るか!?←不可能。 

「この文章の内容はアラン・R‐クリチリーとマイケル・ホフマンにより調査され確認されている。
http
//:www.hoffman/1nfo・com
エルビン21b 誰でもラビに従わないものは死に値し、地獄の熱い大便の中でゆでられる懲らしめを

受ける だろう。

モードカッタン17aユダヤ人が悪を行うように誘惑されたら、彼は自分が知られていない町に行ってその
悪を行わなければならない。

パパメジア114a−b ただユダヤ人だけが人類である(ただ汝のみ人として選ばれたり)。


カリソス6bの〃油注ぎ〃の副題とペラコス58aに異邦人の女は動物として選ばれた(造られた)とあ
る (ロパ女)。


サンヒドリン58bもし異邦人がユダヤ人を蹴ったら、彼は殺されなければならない。ユダヤ人を蹴ることは神を蹴ることと同じである。



サンヒドリン57aユダヤ人は異邦人またはクサン(クタ人)の労役に対して賃金を支払う必要はない(訳
注*クタ人、列王記下一七:三ここでは異邦人のこと)。


パパカンマ37b イスラェル人の牛がカナン人の牛を突き殺しても債う必要はない。カナン人の牛がイスラエル人の牛を突き殺した場合は支払いは十分行われなければならない。


パバメジア24aもしユダヤ人が異邦人の落とし物を見つけた場合、返す必要はない(パバカンマ23bでも確認)。


サンヒドリン76a神はユダヤ人が彼の娘を老人に嫁がせたり、幼児の息子に妻をめとったり、異邦人の紛失物を返さなくてもとがめられない。


サンヒドリン57aユダヤ人が異邦人を殺しても死刑にはならない。ユダヤ人が異邦人のものを盗んでも返さなくても良い。


パバカンマ37b異邦人は律法の保護の外にある、そして神は彼等の金を〃イスラエルにさらされる。


〃パパカンマ113aユダヤ人は異邦人を罠にはめるために虚をついても良い。

イエパモス98a「異邦人の子供は動物である。」


アボダーザラ136b異邦人の娘は生まれつき卑猥である。

アボダーザラ22a−b異邦人は雌牛と交尾することを好む。


アポダーザラ‐67b異邦人の食器は彼等の料理に一層ひどい匂いをつけないだろうか。


サンヒドリン106aイェスの母は売春婦だったという。〃彼女は大工と売春婦遊びをした総督の王女の子である〃。


またシャパット104bの脚注#2には〃確認できない〃タルムードのテキストにはイエスの母マリヤは美容師で多くの男と交わったと書かれているとある。


サンヒドリン106にはイエスが若くして死んだことを満足げに書いている。

〃バラム(イエス)は何歳だったとお聞きか。彼は答えた、はっきりはいたしませぬが書き記された所によれば、この血みどろの詐欺男は彼の従者たちの半分も生き

なかった三三 歳か三四歳だったそうじや。〃


サンヒドリン43aイエス(イエシュアまた脚注58にはナザレ人イエシュア)は魔術を行ったので処刑されたと言われる。


ギソテン57aイェスは(脚注四)熱い大便の中でゆでられている。


サンヒドリン43aイェスは死刑を執行された。〃過ぎ越しの祭りの前夜、イェシュアは木に掛けられた。
彼は自分を防衛することができたはずではないか。たぷらかす事が出き来なかったのだろうか

ロシュハシャナ17a
タルムードを拒否するクリスチャン(minim)と他のものは地獄に行き、永劫に懲らしめられる(minimについては脚注#11参照)。


サンヒドリン90a新約聖書を読むものは(脚注#九に正典ではない書物とある)
来るべき世において立場はない。


シャバット116a ユダヤ人はクリスチャンの本(新約聖書、脚注#6)を撲滅しなければならない。

(イスラェル・シャハクによれば一九八○年三月二三日パレスチナでシオニストたちが何百冊という新約聖書を焼いた。「ユダヤの歴史と宗教」P21)。


ギッテン69a
肉体をいやすためにユダヤ人は家の外の便所の陰のごみを取り、蜂蜜に混ぜあわせて食べなければならない(訳注*これは具邦人に対してではないかと思われるが、要するに自虐的になっていると言う事なのかもしれない)


※ミツバチはイルミナティのトップのこと。要するに悪魔儀式。


シャバット41a 律法は小便をいかに聖なる方法でするかについての規定を与えている。


イエバモス63aアダムはエデンの園のすぺての動物たちと性交を行ったという

イエパモス63a農業は最低の織業である。


ザニヒドリン55bュダヤ人は三歳(特に三歳と一日)の女子と結婚できる。


サンヒドリン54bュダヤ人は九歳にならない子供とでも性交することができる。


ケスボス11b成長した男が幼女と性交しても、別にどうということもない。


イエパモス59b獣姦をした女でもユダヤ教の祭司と結婚する資格がある。悪霊と性交した女でもユダヤ教の祭司と結婚できる。


アボダアゼラア17b世界にラビ・エリエゼルと性交をしなかった売春婦はいない。

ハギガー27a地獄に行ったラビは一人もいない。


パパメツイア59bあるラビは神と討論し彼を打ち負かした。神はラピに負けたことを認めた。


ギッテン70a戸外の便所から帰ってきたときは、半マイル歩くだけの時間、性交をしてはならない。

もしそうするなら便所の悪霊が一緒にいて、彼の子供はてんかんになる。


タルムードは全巻を通して便所と大便の脅追観念にとりつかれている。それはスピルパークの「シンドラ
ーのリスト」にも表れているようにハリウッドの監督はユダヤ人の子供が便所で便器を飛び越して肥だめ
の中に落ちたさまを描いている。一人のユダヤ人の子供が半分肥えだめに埋まっている二人のユダヤ人の子供に出会う、彼らは通報者の事を聞いたので、とりあえずそこに隠れていたのである。前の子供もそこに隠れないわけには行かなかった。


これらのいやらしい不健全な類いの心理的なイメージはホロコーストの映画やその類似のこと、さらにはタルムードの中にすら表れる〃礼拝〃としてユダヤ人の子供が常にさらされているものである(訳注*そうかもしれないが、実際にユダヤ人にはそういう歴史があったのだろうから同情も感じる。ユダヤ人の脅追観念の全てを否定することは出来ないと私は思う)。


ギッテン69b(p239)肋膜炎を癒すために、ユダヤ人は白い大の糞をパルサム油とこねて会ぺなければならない、しかし、もし手足を緩める事ができるなら犬の糞を食ベてはならない(訳注*意味が良く分からないのだがこうとしか訳せない)。


悪魔儀式です。大便を食する儀礼が多々あるのです。全て「拝金」と引換えに。


ベサヒム111a犬と女と椰子の木が「二人の男の間」を通り抜けることは許されない。また、犬と女と椰子の木の間を通り抜ける事もあってはならない。女が生理のときと十字路に座っているときは特別に危険である(訳注*恐らく真面目な読者は犬と女と椰子の木の関連性が分からないかもしれない。これは単に女性を馬鹿にした表現である)。


メナホス43b~44aあるユダヤ人の男は毎日こう祈ったと非難されている、「神よ私を異邦人や女や奴隷にお作りにならなかったことを感謝します」



シャパス86aーbュダヤ人は聖いから昼間は部屋を暗くする事ができなければ性交をしない。ユダヤ人の学者は昼間でも彼の外套をテントのようにして暗くする事ができれば性交をする事ができる。


タルムードには二つのホロコーストに関する昔話がある。ギッテン57bはベサーの町でローマ人によって
四○○万人のユダヤ人が殺されたと主張している。また、ギッテン58bは一六○○万人のユダヤ人の子供がローマ人によって巻き物に巻かれて生きながらに焼き殺されたと主張している。

古代の人口統計によれ ば、その時代、世界中に一六○○万人のユダヤ人の子供どころか四○○万人のユダヤ人も居なかった。


アポダーザラー70aラビに質間が寄せられた「バンペディサの町で用いようとしていたワインの一部が盗まれたか汚された場合、泥棒が異邦人だとしたらどうすれば良いか」(異邦人がワインに触れた場合それは汚れるから)「別に気にすることはない」とラビは答えた「そのワインはユダヤ人が用いても構わない。そのワインがバンペディサの町で盗まれたのだとしたら、バンペディサの町の盗人はほとんどユダヤ人だから、それを盗んだのはユダヤ人だ」(訳注*これなどは単なるューモアに過ぎないと思う)


エルビン21bある人にラピ・アキバが言った。「手を洗う水をくれないか」相手は

「飲むにも足りないのです、あなたの手を洗うためには十分ではありません」とつぶやいた。ラビ・アキバは言った。「ラビの言葉を無視することは死に値する。私は自分の同僚の意見に逆らうくらいなら自殺するほうがましだ」(これはイエス・キリストがマタイー五:一九で非難した儀式としての手洗いの事である)


カラー51a(Soncinominortractes)は神が嘘つきのラビを認めると教えている。ある時、長老が町の門に座っていると二人の若者が通りかかった。一人は頭にかぶり物をしていたがもう一人はしていなかった。ラビ・エリエゼルはかぶり物をしていない若者を評して「彼は私生児だ」といった。ラビ・ジョシュ
アは「彼はニダーの子だ」と言った。(ニダーとは生理中に妊娠した子のこと)ラビ・アキバは「彼は私生児でニダーの子だ」と言った。彼らは「あなたはなぜ同僚の意見を否定し

ようとするのか」と聞いた。

彼は「私は彼の事について証明しよう」と言い、その若者の母親の所に行った。彼女は市場で豆を売って
いた。彼は彼女に言った「娘よ私の質間に答えるならあなたを来るぺき世(永遠の命)に連れていこう」
彼女はラビ・アキバに「どうぞ言って下さい」と言うので、彼は一年に一回のくちびるの誓いをして「あなたの息子について話しなさい」と言った。彼女は答えた。「私が初夜の寝室に入ったとき、私は生理中でした。それで私の夫は私を近付けなかったのです。しかし、私の愛人が抱いてくれたので彼の子を生みました」結局、その若者は私生児でニダーの子だった。かくして「ラビ・アキバに秘密を明かされたイスラエルの神に栄光
あれ・・・と宣言された。


この話につけ加えると、神がほめたという先の討論の嘘つきたちの言っているのは、イエス・キリスト(かぶり物をしていなかった若者)の事である。この若者の母とはもちろんイエスの母、神の祝福されたマリヤの事である(タルムードではミリアム、または髪結いのミリアムと言われ
ている)。

ソフェリム15  Rule10(Minortractes)これはラビ・シモン・ベン・ョハイの言葉である。〃トブシェ
バゴイムハーログ〃「最善の異邦人でも殺さなければならない」この言葉はソンシノ版には出てこないが、一九○七年版のユダヤ百科事典に引用されているバビロニアンタルムードのヘブル語原典にある(上記のユダヤ百科事典はファンクアンドワグナルズとイシドール・シンガーによって編集された〃異邦人〃
の項目にある。P六一七)。


このタルムード原典の言葉は翻訳では隠されている。ユダヤ百科事典は(多くの翻訳の記事が変えられているとして)
〃エジプト人の間の最善のもの〃も一般的には取り替えられているとある。ソンシノ版ではここは〃異邦人の間の最善のものも〃となっている。(Minortractes、sffrim41a-b)


イスラエルでは年毎にシモン・ペン・ヨハイ
の墓に詣でる国家的な行事が行われ、非ユダヤ人の絶滅を主唱したこのラビを称える(Jewish Press 
June9、l989、P56b)。一九九四年四月二五日プリムの祭り*の日にブルックリン在住のイスラエルの陸軍軍人でオーソドックスカザールのバルーシュ・ゴールドスタインは子供を含む四○人のバレスチナ市民を殺害した。彼らはモスクでひざまずいて礼拝していたのである。ゴールドスタインは晩年のラビ・カハネの弟子だった。カハネ:タルムードの解釈ではアラブ人は〃犬〃である(Cf.
CBS六○分番組カハネより)(訳注*プリムの祭り:旧約聖書エステル記から、王妃エステルがユダヤ人を皆殺しにしようとしたペルシャの大臣ハマンの策略を破り、逆にユダヤの敵を殺した記念の祭りのこと)。



エルサレム大学の教授ユフド・スプリンザックはカハナとゴールドスタインの哲学について「彼らはゴイム(ヘブル語の言棄で非ユダヤ人のことだが)に対して暴行を加えることは神の意志だと信じているのだ」と述ぺた(NY Daily News、Feb。28、l994、P6)。


そんな神いる訳無い。
裏天皇「いるんだよ〜!」

私「いない。お前たち悪魔主義者が自分についている悪魔を神(正確には我が神≠ニ言っていることは知っている。それは明らかに神の偽だ。要するに悪魔だ。)


---以下「ヘブライの館・第1国際問題研究室」より部分拝借
イスラエル秘密機関

★ 世界に名をはせる世界最強の対外諜報機関
モサドMOSSAD

★ 占領地に目を光らせる国内諜報機関
シン・ベト GSS
別名シャベク、イスラエルの国内駐在施設の防御業務。

★ イスラエル陸軍の情報部門
アマンAMAN
主な活動中心はアラブ諸国。

★ イスラエル空軍の情報部門
アフィAFI
通信情報の収集と航空偵察専門

★ イスラエル軍特殊部隊の中の特殊部隊
サエレト・マトカル

★ イスラエルの死の商人を操る
シバト

★ 極秘に核戦略を推進していた科学諜報機関
ラカム


デーブスペクター.jpg
モサド極東支部メディア担当主任タルムード・ユダヤのデーブ・スペクター氏
(氏は語る「悪魔崇拝!?ガッツリよ!!!邪悪余裕!!!」)
武勇伝武勇伝武勇でんでんでん♪
氏は酒の席で心の中で常に思っていることがあるという噂が!
氏「オラオラ!家畜ども!ユダヤ人の【人間様】がお通りじゃい!・・・おい、あそこのゴイムの女子、あとで【焼肉パーティー】だ、いいな!?さらえ。」(肩をポン!)


タルムード・ユダヤのデーブ・スペクターが吐露する≪ゴイム≫とは何か?

ユダヤ・タルムード金融資本

タルムード・ユダヤのデーブ・スペクターが吐露する≪ゴイム≫とは何か?

≪加筆≫

シカゴ生まれのユダヤ系アメリカ人である『デーブ・スペクター』の時折吐露する・・・・・・

ゴイム(ゴイ)とは≪家畜=豚≫と言う意味である。≪非ユダヤ人≫と訳す事もあるが正確ではない。


即ち、タルムードを信仰する『アシュケナージ・・・自称ユダヤ人(そんな民族はいない。)』は、秘伝タルムードの教義が第一


◆タルムードの基本ロジック=趣意・要旨・・・『ユダヤ人以外は、家畜=豚である。家畜=豚など、神が唯一創った唯一の人間であるユダヤ人が支配・搾取して当然である!!!!』このセンテンスが最大ポイント・・・・此処から派生ロジックが生ずる。


詳しくは、

『アシュケナージ=偽装ユダヤの秘伝タルムード』

http://ameblo.jp/onigasima-kaminarisinno/entry-10285488252.html


以上、終了




◆モサド極東支部メディア担当主任『デーブ・スペクター』が重要な米国マスコミ機関のメンバーである事は,フリーメーソだから


≪加筆≫


◆昨日、宇野正美先生の動画を拝見したが、デーブ・スペクターと先生が雑誌依頼で対談した際『ゴイム・・・・と何度もスペクターが発言した』と言う。http://video.yahoo.com/watch/914450/3628689


デーブ・スペクターは、間違いなく『ユダヤ・タルムード信者』である。


日本に潜入し日本をマスコミの立場で撹乱する使命を有しているCIAスパイであり、フリーメーソンだ。


↓此処からのセンテンスは、当該記事の一番下に加筆したものであるが、何故か2回修正しても、割り込む・・・此処にポジションになります。が、又、一方で『ゴイム』など豚で馬鹿だから大丈夫だ。と本気で信じている。


これが、多くの『アシュケナージのタルムード信仰する、自称ユダヤ人』である。


アシュケナージは、本来中央アジアの民族であるが、様々な歴史事情から、東ユーロや西ユーロで混血化した者たちの総称。


アラブ地域、本来のモーゼの旧約聖書に出る褐色スキン系統のユダヤ人とは、全く遺伝的な関係は無い。

世界には、非常に多くのユダヤ教セクトがある。


危険な思想=タルムード=サバタイ&フランキスト系統・非常に普及している、アシュケナージの殆どである。

(一部アフリカの極少数のユダヤセクトがタルムードは信仰しない)


◆ロスチャイルドは、この危険なタルムード系統である。

此処まで、記事の一番下に加筆です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


◆ユダヤはマスコミを支配する歴史がある。


『ユダヤ金融資本』が国家世界支配目的・・・・沿革は『フリーメーソンのユダヤが封建時代の情報源。


『デーブ・スペクター』がマスコミ関係者で重要な米国マスコミ機関のメンバーである事は,フリーメーソンのメンバーである可能性が極めて高い。


加えて『CIA』スパイの可能性が極めて高い。



◆又、下は、別の9.11問題動画であるが、出演したデーブ・スペクターの異常な言動がある。


◆以下の記事の動画を参照すると、フリーメーソンでCIAスパイと確信する心象を得る。参照願いたい。
http://ameblo.jp/onigasima-kaminarisinno/entry-10283420021.html



以下、転載紹介(◆は鬼が島記入)


≪デーブ・スペクター調査≫

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』一部紹介

◆デーブ・スペクター(Dave Spector。1954年5月5日 -
)はアメリカ合衆国シカゴ出身のユダヤ系アメリカ人

テレビプロデューサー、放送作家、著作家。


◆妻はエッセイスト・コラムニストの京子・スペクター。英検2級。


討論番組などでは一貫して日本の右派の論客に対して厳しい態度だが、アメリカの軍事行動に対しては寛大。左利き。
モサド「日本は属国なんだよ!身の程わきまえろや!豚どもが!!!」

経歴

幼い頃は名子役としてコマーシャル(有名なのがケロッグ社のコーンフレークのCM)などに出演、人気を得ていた。

日本留学

1972年上智大学に留学し、1975年シカゴ放送学校を卒業。ABCテレビの番組プロデューサーとして再来日する。

結婚

1976年、副業で日本人の旅行ガイドをしているときに、後に結婚する京子(ユダヤ人=悪魔崇拝者)とロサンゼルスのニューオータニで出会う。


彼女はそこで、コンシエルジュとして働いていた。その時デーブは、憧れていた加山雄三から取ったユウゾウと名乗っていたので、京子は最初彼を日本人のハーフに違いないと思ったらしい。



1981年に結婚。結婚式は、彼の地元シカゴで行ったそうだが、結婚披露パーティーの司会進行役は新郎であるデーブ自身でやってしまったとのこと。


放送作家活動

フジテレビ系『笑っていいとも!』で「デーブ・雄三・スペクター」名でデビュー。その外国人離れした言動と巧みな話術に注目が集まり、徐々にテレビパーソナリティとしての活動に軸足を置くようになり、ドラマやCMなどにも活動の場を広げる。

この時、氏は思った・・・「日本国民を笑っていいとも!」

現在


◆日本初の外国人放送作家でもある。また、アメリカのメディア界でメンバーになるのには難しいとされている数々の組合に所属している。←優秀な「選ばれし民族」だから。(存在しない民族だけどね。)


◆夫人とともに都内の一流ホテルに長期滞在していて、ホテル生活は数十年に及んだ。


出自;モサド(「殺し」余裕!)
職業についての諸説;テレビプロデューサーの肩書きだが、CIAのスパイ説などで撹乱工作。「本職はこっそり【日本売り】」
posted by 真 救世主 at 19:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トビト記(旧約聖書 続編・新共同訳)

トビト記(旧約聖書 続編・新共同訳)

大天使ラファエル.jpg
大天使ラファエル

1章 序

 トビトの物語の書。父はトビエル、祖父はハナニエル、更にアドエル、ガバエル、ラファエル、ラグエルとさかのぼるナフタリ族アシエルの家系にトビトは属する。トビトは、シャルマナサルがアッシリア人の王であったときにティスベの地で捕囚の身となった。ティスベは、上ガラリヤのケデシュ・ナフタリの南、アセルの北、西へ向かう道の後ろ、フェゴルの北にある。
  トビトの信仰生活
 わたしトビトは、生涯を通じて真理と正義の道を歩み続けた。またわたしは、一緒に捕らえられてアッシリア人の地ニネベに行った親族や同胞の者たちのために多くの慈善のわざを行った。わたしがまだ若くして故郷イスラエルにいたとき、父祖ナフタリの部族はこぞって先祖ダビデの家とエルサレムから背き離れた。このエルサレムはすべての部族のためにいけにえを捧げる目的で、イスラエル全体によって選び出された町である。この町には神の住まいである神殿が代々限りなく続くようにと聖別され、建てられていた。
 親族全員と父祖ナフタリの一族は、北イスラエルの王ヤロブアムがダンで造った子牛に、ガリラヤの山々でいけにえを捧げていた。しかし、イスラエル全体のため永久に守るべき定めとして記されているように、祭りのときには、わたしはただ一人、収穫と家畜の初物、家畜の十分の一、および羊の初刈りの毛をたずさえ、足しげくエルサレムへ通った。そして祭壇に進み出て、それらの物をアロンの子孫である祭司たちに差し出し、穀物、ぶどう酒、オリーブ油、ざくろ、いちじくおよび他の果物の十分の一を、エルサレムで仕えているレビの子孫たちに与えた。別の十分の一を六年分お金に換えて取って置き、毎年エルサレムに行って使うのであった。また三年ごとにはその金を孤児、寡婦(かふ)、およびイスラエルの仲間に加わった改宗者たちに持って行って与え、モーセの律法が定めている規定に従って、共に食事をした。それはまた、祖父ハナニエルの母デボラが命じた掟でもあった。というのは、父が死に、わたしは孤児となっていたからである。

 捕囚での生活と神の導き
 さてわたしは大人になったとき、先祖の家系から妻をめとり、彼女によって男の子をもうけ、その名をトビアと名付けた。わたしはアッシリアに捕囚の身となり、ニネベの町に連れて来られた。そこでは、親族、同胞の者たちは皆、異教徒の食事をしていた。
 しかしわたしは、心に固く決めて異教徒の食事はしなかった。そして、心から神のことを思っていたので、いと高き方は、わたしがシャルマナサル王の恵みと好意を得られるようにしてくださり、それでわたしは、王に必要な物を買い入れる役を与えられた。
 そこで、王の存命中、わたしはメディアに行って王に必要な物を買い求め続けたが、メディアの地方にいるガブリの兄弟ガバエルに、銀十タラントンの入った財布を預けておいた。しかし、シャルマナサルの死後、彼に代わってその子センナケブリが王となると、メディアに至る道は危険となり、わたしもメディアに行くことができなくなった。

 トビトの善行と災難
 シャルマナサルの存命中、わたしは同族の者たちに慈善のわざを行った。飢えた人々に食べ物を与え、裸の人々には着物を着せ、また同族のだれかの死体がニネベの町の城外に放置されているのを見れば、埋葬した。王センナケブリは、その犯した冒涜のため、天の王である神の裁きを受け、ユダヤから逃げ帰ってきた。そのとき、彼が殺した者がいたので、その人をも葬った。事実センナケブリは、怒りにまかせて多くのイスラエル人を殺害したのであるが、わたしはその死体をこっそり運んでは埋葬していたので、センナケブリが死体を捜しても見つからなかった。しかし、ニネベの一市民が王センナケブリに密告したので、わたしは身を隠した。王がわたしのことを知り、わたしは自分がお尋ね者として命をねらわれていることが分かったので、恐ろしくなって逃げた。財産はすべて没収されて王の宝庫に取り上げられ、わたしには妻ハンナと息子トビアだけが残された。

 甥アヒカルの登用
 それから四十日もたたぬうちに、王はその二人の息子に殺された。しかし二人がアララトの山々へ逃れたので、センナケリブの別の息子エサルハドンが王位についた。そして彼は、わたしの兄弟アナエルの息子アヒカルを王国の財政管理者に任じたので、アヒカルは国務全体にわたって権力を持つようになった。そのアヒカルがわたしのことを王に釈明してくれたお陰で、わたしはニネベに帰ることができた。アヒカルは、かつてセンナケリブがアッシリアの王であったときに給仕頭、王の印章の管理者、かつ国務と財務の担当者でもあったので、エサルハドンは再度彼をその任に就かせたわけである。しかもアヒカルはわたしの親戚で、甥にあたっていた。

2章 妻子との再会
 こうしてわたしは、エサルハドン王の即位後、家に帰り妻ハンナと息子トビアに再会した。さて、五旬祭の日、すなわち七週祭の聖なる日に、ごちそうがわたしのために準備され、食事をするために席に着いた。わたしの傍らに食卓が設けられ、多くの料理が運ばれた。そこでわたしは、息子トビアに言った。「わが子よ捕われの身となってニネベの町にいるわたしたちの同族のうちで、本当に神を心に留めている貧しい人を見つけて連れてきなさい。その人と一緒に食事をしよう。わたしはお前が戻って来るまで待っているつもりだ。」

 死者の埋葬
 そこでトビアは、同族のうちでだれか貧しい人がいないかと探しに出かけた。しかし彼が戻ってきて、「父よ」と言ったので、わたしが、「わが子よ、どうしたのだ」と尋ねると、彼は答えて言った。「わたしたちの部族の一人が殺されて広場に投げ捨てられております。たった今そこで首を絞められて殺されたのです。」
 そこでわたしは、料理には全く手をつけずに家から飛び出し、その死体を広場から運び去り、日没を待って埋葬するため、一軒の小屋に安置しておいた。家に戻り、身を洗い清めてから食事をしたが、悲しい気持ちであった。予言者アモスが、ベテルの人々に語って言った言葉、
 「お前たちの祭りは悲しみに、
 お前たちの歌はことごとく嘆きの歌に変わる」
を思い出し、泣き悲しんだ。日が沈むとわたしは出かけて行き、穴を掘り、死体を埋葬した。近所の人たちは、わたしをあざ笑って言った。「この男はもう恐れていないのか。かつて、今と同じ事をやり、命をねらわれて逃げたのではなかったのか。それなのに、見よ、また死人を葬っている。」
 
 トビトの失明
 その夜、わたしは身を洗い清めた後、家の中庭に行き、その塀の傍らで眠った。暑かったので顔には何の覆いもかけなかった。さて、わたしは気づかなかったが、雀が何羽かすぐ上の塀にいた。雀は暖かい糞をわたしの両眼に落とし、それがもとで、目に白い膜ができてしまった。そこで治してもらおうと何人かの医者のところへ出かけて行ったが、医者たちが目薬を塗れば塗るほど、目はその白い膜のために見えなくなり、ついに失明してしまった。四年間失明の状態が続いた。親族の者たちは皆わたしのことを悲しんでくれ、アヒカルも彼がエラムに行くまでの二年間わたしの世話をしてくれた。

 妻ハンナとの口論
 そのころ、わたしの妻ハンナは機織(はたお)りの仕事をしていた。出来上がった物を雇い主のところに届けて、賃金をもらっていた。デュストウロスの月の七日に彼女が仕事を終え、織物を雇い主に届けたところ、その人々は賃金を全額払ってくれたうえに、山羊(やぎ)の群れの中から子山羊一匹を、家に持って帰るようにとくれたのである。妻が戻って来たとき、子山羊が鳴き始めたので、わたしは妻を呼んで言った。「どこからこの子山羊を手に入れたのか。まさか盗んできたのではないだろうな。もしそうならば、持ち主に返しなさい。わたしたちには、盗んだ物を食べることは許されてはいないのだ。」すると妻は、「賃金とは別に、贈り物としていただいたのです」と答えた。しかしわたしは、妻を信じようとせず、盗んだと思い込んで、子山羊を持ち主に返すように言い張り、顔を真っ赤にして怒った。すると妻は答えて言った。「あなたの憐れみはどこへ行ったのですか。どこにあなたの正義があるのですか。あなたはそういう人なのです。」

3章 トビトの祈り
 彼女のこの言葉を聞いて、わたしは心に深い悲しみをおぼえ、涙を流した。そしてうめきながら祈り始めた。
 「主よ、あなたは正しく、
 あなたのすべての業(わざ)もまた正しいのです。
 あなたはすべての御業において、
   憐れみと真実を示し、
 この世を裁かれます。
 主よ、今わたしを覚え、
 わたしに目を留めてください。
 わたしの数々の罪ゆえに、
 またわたしと先祖たちの無知のゆえに、
 わたしを裁かないでください。
 わたしは御前に罪を犯し、
 あなたの掟に従わなかったのです。
 それゆえ、あなたはわたしたちを、
 あらゆる国民の中に散らし、
 そこで略奪、捕囚、死を経験させ、
 そのためにわたしたちは物笑いの種となり、
 あざけり、辱(はずかし)めを味わいました。
 あなたが、わたしのわたしの罪ある行いに対して下される
   多くの裁きは正しいのです。
 わたしたちはあなたの掟を守らず、
 あなたの御前に真実をもって歩みませんでした。
 今こそ、御心のままにわたしを裁き、
 わたしの魂を取り去り、
 わたしが地上から解き放たれ、
 土に戻るようにしてください。
 なぜなら、わたしは生きるよりも
   死んだ方がよいのです。
 わたしが耳にするのは、不当な辱めであり、
 わたしは大いなる悲しみに包まれています。
 主よ、どうぞ、わたしをこの苦しみから解き放ち、
 永遠の住まいへ行かせてください。
 主よ、あなたの御顔をわたしから
   背けないでください。
 なぜなら、死んで辱めを耳にすることのない方が、
 生きて大きな苦しみに遭うよりましなのです。」

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アスモデウス

 サラの不幸
 その同じ日に、メディアのエクバタナに住むラグエルの娘サラも、父親に仕える女奴隷の一人から辱めの言葉を受けた。サラは七人の男に嫁いだが、初夜を過ごす前に、そのつど悪魔アスモデウスが男を殺してしまったからである。そのことで、女奴隷はサラに言った。「あなたが、ご主人たちを殺したのです。あなたは七人の男に嫁ぎながら、どの方の名も名乗らなかったではありませんか。それなのに、あなたの夫たちが死んだからといって、なぜわたしたちにつらく当たるのですか。あなたもあの方々のもとへ行ったらいいでしょう。これから先、あなたの息子も娘も見たくはありません。」
 その日、サラは心に深い悲しみを覚えて涙を流し、父の家のニ階に上がり、首をくくろうとした。しかし思い直して、こう言った。「恐らく人々はわたしの父を侮辱して言うでしょう。『お前には愛する一人娘がいたが、不幸を苦にして首をくくってしまった。』そうなれば、年老いた父を悲しませて、よみに送り込むことになる。だから、わたしが自分で首をくくってしまうよりも、主にお願いして死なせていただく方がよいのです。そうすれば、生き長らえて辱めの言葉を耳にすることもないでしょう。」

 サラの祈り
 そこで彼女は、両手を広げて窓の方に差し伸べ、こう祈って言った。
 「憐れみ深い神よ、
 あなたとあなたの御名を永遠にほめたたえます。
 あなたに造られた万物が
 とこしえにあなたをほめたたえますように。
 今わたしは、あなたに向かって顔を上げ、
 あなたを仰ぎ見ます。
 どうか、わたしがこの世から解放され、
 辱めの言葉を二度と耳にすることの
   ないようにしてください。
 主よ、あなたはご存じです。
 わたしがどの夫とも夫婦の関係を持たず、
 清い身であることを。
 また、捕囚の地で、
 わたしの名も、わたしの父の名も
 汚さなかったことを。
 わたしは父にとってたった一人の娘であり、
 父にはほかに跡継ぎはありません。
 また父には、
   わたしを妻として迎えるべき近い親族も、
 親戚もないのです。
 すでにわたしの七人の夫も死んでしまいました。
 わたしがこれ以上生き長らえて、
 何になりましょう。
 しかし、もしわたしの命を奪うことを
 お望みにならないのならば、
 主よ、今わたしに向けられている
 辱めの言葉をお聞き下さい。」

 神の計画
 トビトとサラの二人の祈りは、栄光に満ちた神に同時に聞き入れられた。そこで二人をいやすために、ラファエルが送られた。すなわち、トビトの場合は、自分の目で神の栄光を見られるように、目から白い膜を取り除くためであり、ラグエルの娘サラの場合は、トビトの息子トビアに妻として与え、彼女から悪魔アスモダイを引き離してやるためであった。というのは、サラをめとる資格は彼女との結婚を望んだどの男にもなく、トビアにこそあったからである。時はまさに神が二人の祈りを聞き入れられたちょうどそのときであった。トビトが中庭から家に戻り、ラグエルの娘サラは父の家のニ階から下りてきた。

4章 トビト、トビアを諭す
 その日、トビトはメディア地方ラゲスにいるガバエルに預けておいたお金のことを思い出した。そして心の中で言った。「わたしは死ぬことを願い求めた。死ぬ前に、息子トビアを呼んで、このお金のことについて告げておかねばなるまい。」そこで息子トビアを呼び寄せ、こう言った。「わたしを手厚く葬ってくれ。母親を敬い、母が生きているかぎり、見捨ててはならない。母親の前では、その喜ぶことをなし、何をするにしても、母の心を悲しませてはいけない。わが子よ、お前が母親の胎内にいたとき、母が多くの危険にあったことを忘れてはいけない。母親が死んだら、わたしと並べて同じ墓に葬りなさい。
 わが子よ、生きているかぎり、主をいつも覚えておくのだ。罪を犯したり、主の戒めを破ったりしようとしてはならない。命あるかぎり、正義を行いなさい。悪の道を歩んではならない。なぜならば、真理を行うなら人はすべてその行いのゆえに栄えることになるからである。すべて正義を行う人々には、(お前の財産のうちから施しをしなさい。施しをするにさいしては喜んでするのだ。どんな貧しい人にも顔を背けてはならない。そうすれば、神もお前から御顔を背けることは決してなさらないだろう。お前の財産に応じて、豊なら豊かなりに施しをしなさい。たとえ、少なくても少ないなりに施すことを恐れてはならない。そうすることで、お前は窮乏の日に備えて、自分のために善い宝を積むことになるのだから。施しをすれば、人は死から救われ、暗黒の世界に行かずに済むのである。施しは、それをするすべての者にとっていと高き方の御前にささげる善い捧げ物となる。
 わが子よ、すべてのみだらな行いから身を守りなさい。何よりもまず、先祖たちの家系から妻をめとりなさい。父の部族でない他のところからめとってはならない。なぜなら、わたしたちは予言者の子孫なのだから。わが子よ、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブなど、わたしたちのいにしえの先祖たちを心に留めておきなさい。彼らはすべて、同族の中から妻をめとり、子宝に恵まれた。そしてその子孫が約束の地を受け継いできた。わが子よ、同族の者たちを愛しなさい。そして、お前の同族や同胞の息子、娘たちより自分の方が偉いなどとおごり高ぶって、彼らのうちから妻をめとらないと言ってはならない。なぜなら、おごり高ぶれば、破滅を招き、秩序は大いに乱れる。無為に時を過ごせば、財産を失い、ひどい欠乏に陥るから。怠けることは飢えにつながるのだ。
 働いてくれた人にはだれにでも、すぐにその場で賃金を支払いなさい。支払いを翌日に延ばしてはならない。そうすればお前が神に仕えるとき、神は報いてくださるであろう。わが子よ、何をするにせよ、十分に注意し、あらゆる点で、教えが身に付いていることを示しなさい。自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。ぶどう酒を酔うまで飲んではならない。また、酔うことが習慣となってはならない。飢えている人に、お前の食物を、裸の人にはお前の衣服を分け与えなさい。余分なものはすべて施しなさい。施しをするときは喜んでしなさい。正しい人々を埋葬するときは、そこで宴を設けなさい。しかし罪人たちの場合には、そうしてはならない。
 思慮深い人からは忠告を求め、有益な忠告はどんなものも軽んじてはならない。いかなるときにも主なる神をほめたたえなさい。お前の道がまっすぐであるように、またお前のすべての歩みと計画がうまく行くように、神に求めなさい。すべての国民が導きを得るのではないのだから。)主は、正しい導きを与えてくださるが、人を陰府(よみ)にまで落とすこともおできになるのだ。わが子よ、これらの戒めを心に覚え、忘れ去ることのないように。
 さてわが子よ、今お前に伝えておこう。メディア地方ラゲスに住むガブリの子ガバエルに、わたしは十タラントンの銀を預けてある。わが子よ、わたしたちが貧乏になったことを心配してはならない。もし神を恐れ、あらゆる罪を避け、主なる神の前に喜ばれることをするなら、お前は多くの良きものを得ることになる。」

5章 トビアの返事
 そこでトビアは父トビトに答えて言った。「お父さん、わたしにお命じになった事はすべて行います。でも、その銀をどうやって手に入れたらよいのでしょうか。彼はわたしを知らないし、わたしも彼を知りません。どんな証拠の品を渡せば、彼はわたしがあなたの子であると認め、わたしを信じて銀を返してくれるでしょうか。またメディアに行く道も、わたしは知らないのです。」
 トビトは息子トビアに答えた。「ガバエルは自筆の証文を作り、わたしもそれに署名した。そして、それを二つに分け、おのおのが証文の一方を受け取った。彼は証文の半分と共に銀も受け取った。今はもう、銀を預けてから二十年になる。わが子よ、だれか一緒に行ってくれる信頼できる人を見つけなさい。その人には帰って来るまでの期間の報酬を与えよう。さあ行ってガバエルからその銀をもらってきなさい。」
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 天使ラファエルとの出会い
 メディアまでの道に詳しく、一緒に行ってくれる人を探しに、トビアは外に出た。出てみると、天使ラファエルが目の前に立っていた。しかしトビアには、神の使いである事が分からなかった。そこでトビアは尋ねた。「若者よ、あなたはどちらの方ですか。」ラファエルは答えた。「わたしはイスラエル人で、あなたの同族の者です。仕事を見つけにここに来ました。」トビアは更に尋ねた。「メディアに行く道をご存じですか。」ラファエルは答えた。「はい、わたしは度々メディアに行っており、どの街道もよく知っています。メディアに行ったときに、その地方のラゲスに住むわたしたちの同族のガバエルの家に何度か泊まったこともあります。エクバナタからラゲスまでは二日の道のりです。ラゲスは山岳地帯にあり、エクバタナは平野の真ん中にあるからです。」
 トビアは言った。「若者よ、わたしが家に入って父に報告する間、ここで待っていてください。ぜひ一緒に行っていただきたいのです。もちろん報酬は差し上げます。」ラファエルは言った。「ここで待っていましょう。ただあまり長くならないようにお願いします。」
 そこでトビアは家に入り、父トビトに告げた。「イスラエル人で、しかも同族の人を見つけました。」トビトは言った。「その人をここに呼んできなさい。わが子よ、彼がどの部族の出で、どの家系に属するのか、また、信頼してお前と一緒に行ってもらえる人なのかを知りたいのだ。」
 そこでトビアは外に出て、ラファエルに言った。「若者よ、父があなたを呼んでいます。」ラファエルが入ってトビトのもとに行くと、先にトビトが挨拶をした。ラファエルは、「あなたに多くの喜びがありますように」と答えた。しかしその言葉を受けてトビトは言った。「わたしに何の喜びがありましょうか。わたしは目が見えず、天の光を見ることができないのです。もう二度と光を見ることのない死人のように、暗闇の世界にいるのです。生きていても、死人たちの世界にいるようなものです。人の声は聞こえますが、姿は見えないのです。」ラファエルは言った。「元気を出しなさい。間もなく神があなたをいやしてくださいます。元気を出すのです。」
 そこでトビトは言った。「わたしの息子トビアはメディアに行こうとしています。一緒に行って道案内をしていただけませんか。兄弟よ、報酬は差し上げます。」ラファエルは答えた。「一緒に行きましょう。わたしはどの街道もよく知っています。メディアに行き、その地方の平野を歩き回りました。山岳地帯とその辺りの街道もよく知っています。」トビトはさらに尋ねた。「兄弟よ、あなたはどの家柄、どの家系に属しているのですか。教えてください。」ラファエルは言った。「なぜ家系を知る必要があるのですか。」トビトは答えた。「わたしは、あなたがだれの子であり、何という名前なのか、事実を知りたいのです。」そこでラファエルは答えた。「わたしはあなたの同族の一人、偉大なハナニアの子アザリアです。」トビトは彼に言った。「兄弟よ、御無事を祈ります。わたしがあなたの家柄や素性を知りたいと願ったことで、腹を立てないでください。。あなたはわたしの同族で、優れた血筋の方です。わたしは偉大なセメリアの二人の息子ハナニアとナタンをよく知っておりました。彼らはよくわたしと共にエルサレムに行き、一緒に礼拝をしたものです。彼らは、道を踏み外すことのない人々でした。あなたの同族はすばらしい人ばかりです。あなたの先祖もすばらしい人々です。元気で行ってきてください。」トビトは続けて言った。「わたしは、あなたに一日一ドラクメの報酬を支払い、そのほか、息子と同様に必要な物は差し上げます。息子と一緒に行ってください。報酬をはずみましょう。」ラファエルは言った。「息子さんと共に参りましょう。御心配には及びません。危険のない旅ですから、わたしたちは元気で行って戻ってきます。」トビトは言った。「兄弟よ、あなたに祝福がありますように。」

 旅の準備と母の悲しみ
 それから彼は息子トビアを呼んで、言った。「わが子よ、旅の支度をし、同族のこの人と出かけなさい。天の神が、かの地でお前たちを守り、無事にわたしのもとに戻してくださるように。わが子よ、神の使いが道々お前たちと共に歩み、無事に旅をさせてくださるように。」トビアは旅路につくため家を出て、父と母に口づけした。トビトは言った。「元気で行ってきなさい。」
 しかし母は泣き悲しんで、トビトに言った。「なぜ息子を行かせるのですか。彼はわたしたちの手の杖として、いつもわたしたちのそばにいてくれるはずではなかったのですか。それほどお金が大切なのですか。息子の命に代えられるものではありません。わたしたちは主によって生かされているのですから、今のままで十分です。」そこでトビアは彼女に言った。「心配するな、わたしたちの息子は元気で出かけ、また無事に戻ってくる。再び元気でお前のもとに戻って来る日に、お前は彼に会えるのだ。あの二人のことは心配するな。恐れるな。神の使いが息子のよい同伴者となってくれるから、旅は順調にいき、息子は元気で戻って来るにちがいない。」

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6章 魚の捕獲
 そこでハンナは泣くのをやめておとなしくなった。そこで息子トビアは天使と共に出発した。トビアの犬も出て来て彼らについて行った。二人は旅を続け、ある晩チグリス川のほとりで夜を明かすことになった。トビアは川で足を洗おうとして、下りて行った。すると、一匹の大きな魚が川から跳び上がり、トビアの足を一呑みにしようとしたので、彼は叫び声をあげた。天使ラファエルは言った。「捕まえなさい。しっかりと魚を捕まえて放さないように。」そこでトビアは魚をしっかりと捕まえて、陸に引き揚げた。ラファエルは言った。「魚を切り裂き、胆のうと心臓と肝臓を取り出して取って置きなさい。ほかのところは捨ててしまいなさい。魚の胆のう、心臓、肝臓は薬として役に立つからです。」そこでトビアは魚を切り裂き、胆のう、心臓、肝臓を集め、身は焼いて食べ、残りはまとめて捨ててしまった。二人は共に旅を続け、ついにメディアの近くにたどりついた。
 そこで、トビアはラファエルに尋ねた。「兄弟アザリア、魚の胆のう、心臓、肝臓にはどんな効き目があるのですか。」そこでラファエルは答えた。「魚の心臓と肝臓は、悪魔や悪霊に取りつかれている男や女の前でいぶしなさい。そうすれば、悪霊どものどんな力も消えてしまい、今後一切その人に及ぶことはありません。胆のうは、目にできている白い膜に塗り、その部分に息を吹きかけなさい。そうすれば、目は良くなります。」

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 ラファエル、サラをめとるようトビアに勧める
 メディア地方に入り、エクバタナに近いところまで来たとき、ラファエルは、「兄弟トビア」と言った。トビアは、「何でしょうか」と答えた。ラファエルは言った。「今夜はラグエルのところに泊まらなくてはなりません。ラグエルはあなたの親戚に当たり、サラという名の娘がいます。サラ一人のほかに息子も娘もいません。あなたは、彼女の血縁の中でだれよりも、彼女をめとり彼女の父の財産を相続する資格のある者です。この娘は思慮深く、勇気があり、大変美しく、父親もすばらしい人物です。」ラファエルは言葉を続けた。「あなたには、彼女をめとる資格があるのです。兄弟よ、わたしの言葉に従いなさい。わたしは今夜この娘のことで父親と相談し、あなたと彼女の婚約を取り決めましょう。そしてラゲスから戻ったときに結婚式を挙げるのです。ラグエルは、あなたがだれよりも娘をめとる権利を持っていることを知っているので、娘があなたと結婚するのを妨げたり、他の男に嫁がせたりすることは、決してできないのです。そのようなことをすれば、モーセの書の定めに背いて死に値する罪を犯すことになります。さあ兄弟よ、わたしの言葉に従いなさい。今夜、わたしはこの娘のことで話をし、婚約を取り決めましょう。そしてラゲスから戻ったときに、彼女をもらい受け、わたしたちと一緒に家に連れて帰るのです。」
 そこでトビアはラファエルに言った。「兄弟アザリア、聞くところによれば、この娘は今までに七人の男に嫁がされたが、男たちは初夜の床に入るとそのつど、死んでしまったということです。そして悪魔が彼らを殺したのだといううわさを聞きました。わたしは怖いのです。――悪魔はあの娘には危害を加えず、彼女に近づこうとする男を殺してしまうのですから。わたしは父にとってたった一人の息子です――わたしが死んでしまうと、父も母も悲しみのあまり死んでしまうのではないかと、それが心配なのです。父と母を葬る息子はわたしのほかにはいないのです。」すると、ラファエルは言った。「父の家系から妻をめとるようにと命じた父親の戒めを忘れたのですか。さあ兄弟よ、わたしの言うとおりにしなさい。悪魔のことは心配せず、サラをめとりなさい。今夜必ず二人は一緒になるでしょう。初夜の床に入るとき、魚の肝臓と心臓を持って行き、香をたいてその上に置きなさい。そうすれば、においが立ちこめ、悪魔はそれをかいで逃げ出し、二度とあの娘のところには姿を現すことはないでしょう。そして一緒になる前に、まず二人とも立ち上がり、あなたがたの上に憐れみと救いがあるように天の主に祈り求めなさい。恐れることはありません。世の始まる前に、この娘はあなたの妻として定められていたのですから。彼女を悪魔から救い出すのはあなたであり、彼女はあなたと生涯を共にするのです。きっと二人の間に子供たちが授けられ、子供たちはあなたにとって、愛すべき者となるでしょう。心配するのはやめなさい。」トビアは、サラが父の家系に属する身内の娘であることをラファエルから聞くと、彼女を深く愛するようになり、心は彼女に固く結び付けられたのである。
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7章 ラグエルとの出会い
 エクバタナに入ると、トビアはラファエルに言った。「兄弟アザリア、すぐに親族のラグエルのところに連れて行ってください。」そこで、ラファエルは彼をラグエルの家に連れて行った。中庭の戸口のところにラグエルが座っていた。まず彼らがラグエルに挨拶をし、次にラグエルが彼らに言った。「兄弟たちよ、ようこそいらっしゃいました。お元気で何よりです。」そして彼らを家の中に導き入れ、妻のエドナに言った。「この若者は、わたしの兄弟トビトになんとよく似ていることか。」エドナは尋ねた。「兄弟がた、あなたがたはどこからいらっしゃったのですか。」二人は答えた。「わたしたちはニネベで捕囚となっているナフタリ族の者です。」エドナは更に尋ねた。「あなたがたは、わたしたちの兄弟トビトをご存じですか。」彼らは、「知っています」と答えた。エドナは続けた。「彼は元気でしょうか。」彼らはこたえた。「達者で暮らしています。」そしてトビアは付け加えた。「彼はわたしの父です。」するとラグエルは飛び上がり、愛情を込めて口づけをして、涙を流した。ラグエルは言った。「祝福があなたにあるように。あなたの父親はすばらしい人です。施しに励む正しい人が失明するとは、なんと悲惨なことか。」それからトビアの首に抱きついて泣いた。妻エドナも娘サラもトビトのために嘆き悲しんだ。ラグエルは羊の群れから一匹の雄羊を取り出して屠(ほふ)り、彼らを心からもてなした。

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ラグエル
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ラグエル (Raguel) は旧約聖書偽典『エノク書1』にあらわれる天使の一人。名前は「神の友人」を意味する。ウリエル、ラファエルらと共に名前が挙げられ、「みつかいの一人で、世界と光に復讐する」ものであると書かれている (20:4) 。これは通常、他の天使の行いを監視する者と解釈される。ラグイル (Raguil) 、ラスイル (Rasuil) 、ルファエル (Rufael) 、アクラシエル (Akrasiel) などともいわれる。
エノク天国を訪れた際に彼が案内役を担ったとする説もある。また、『黙示録』ではラグエルは神の命令で終末のラッパを吹き鳴らし、地上に過酷な天罰をもたらす存在として描かれる。

754年ザカリアスは教会会議においてラグエルを含む多くの天使を堕天使と認定し、ラグエルを「聖人の名を騙る悪魔」と非難した。これは当時民間において過熱していた天使信仰を危険視した教会がそれを沈静化させる為に行った政治的処分であり、知名度の高かったラグエルなどの天使がその見せしめとなったものといわれる。ウリエルもここで「堕天使の汚名」を着せられている。

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 トビアとサラの結婚
 さて彼らが体を清め手を洗って食卓に着いたとき、トビアはラファエルに言った。「兄弟アザリア、身内の娘サラをわたしにくれるよう、ラグエルに頼んでください。」ラグエルはこの言葉を聞き、トビアに言った。「今夜は大いに飲んだり食べたりして楽しんでください。兄弟よ、あなた以外には、娘サラをめとるのにふさわしい者はいないのですから。あなたは最も近い血縁の者なので、あなた以外の男に娘を嫁がせることは、わたしにも許されていません。しかし、子よ、本当のことを言いましょう。わたしは同族の七人の男に娘を与えました。ところが、一人の例外もなく初夜の床で死んでしまったのです。でも、そんなことは気にせず、飲み食いしなさい。主が良いようにしてくださるでしょう。」しかしトビアは言った。「あなたが、わたしのことをはっきり決めてくださるまで、決して飲みも食べもしません。」そこで、ラグエルは言った。「ではそうしましょう。モーセの書の定めに従って、娘をあなたに与えましょう。娘があなたの妻になることは、天の定めでもあったのです。あなたの身内であるこの娘を連れて行きなさい。今から後、あなたは娘の夫であり、娘はあなたの妻です。娘は今日からいつまでもあなたのものです。子よ、天の主が今夜、憐れみと平安のうちにあなたがたを守ってくださるように。」
 それからラグエルがサラを呼ぶと、サラは彼のもとに来た。そこでラグエルは彼女の手を取り、トビアに渡して言った。「娘をあなたに妻として与えるよう命じているモーセの律法の定めに従って、彼女を連れて行きなさい。彼女をめとり、無事にあなたの父のところへ連れて行きなさい。天の神があなたがたを導き、平安をお与えくださるように。」そこでラグエルは、妻エドナを呼び、パピルス紙を持って来るように命じた。そしてモーセの律法の定めに従って、サラを妻として与えるという結婚の契約を書き記した。
 それから、一同は飲んだり食べたりした。ラグエルは妻エドナを呼び寄せて言った。「別の部屋を用意し、サラをそこに連れて行きなさい。」そこでエドナは部屋に行って床を整え、ラグエルから命じられたとおりサラをそこへ伴った。エドナはサラのことで泣いたが、涙をふくとサラに言った。「娘よ、元気をお出し。天の主が、お前の悲しみを喜びに変えてくださるように。娘よ、元気をお出し。」そしてエドナは出て行った。

8章 悪魔の追放
 一同は食事を終え、やがて床に就く時間となった。そこで、人々は、トビアをサラの待つ部屋に連れて行った。トビアはラファエルの言葉を思い出し、魚の肝臓と心臓を袋から取り出し、香をたいてその上に置いた。魚のにおいが悪魔を追い払い、悪魔はエジプトの方へ逃げて行った。そこでラファエルは後を追い、悪魔を捕らえて、その場で手足を縛り上げた。

 トビアとサラの祈り
 人々は二人の部屋を出て戸を閉めた。トビアは寝床から起き上がり、サラに言った。「愛する者よ、起きなさい。二人で主に祈り、主がわたしたちを憐れんで救ってくださるように願い求めよう。」そこで彼女も起き上がり、二人は主の救いを求め始めた。トビアは祈って言った。
 「わたしたちの先祖の神よ、
 あなたとあなたの御名は
   代々限りなくたたえられますように。
 天とあなたの造られたすべてのものは
 あなたをとこしえにほめたたえますように。
 あなたはアダムを造り、
 また、彼の助け手、支え手として
 妻エバをお造りになりました。
 そしてその二人から
 人類が生まれて来たのです。
 そのときあなたは仰せられました。
 『人が一人でいるのはよくない。
 彼のために、彼と同じような助け手を造ろう。』
 今わたしは、この人を
 情欲にかられてではなく、
   御旨(みむね)に従ってめとります。
 どうか、わたしとこの人を憐れみ
 わたしたちが共に年老いていくことが
 できるようにしてください。」
二人は一緒に「アーメン、アーメン」と言った。そしてその夜は眠りに就いた。

 ラグエルの懸念
 ラグエルは起きると、召し使いたちを呼びつけ、一緒に出て行って墓を掘った。こう思ったからである。「たぶん、トビアは死んでいる。わたしたちはまた嘲笑の的となり、辱めを受けるだろう。」墓を掘り終えると、ラグエルは家に入り、妻を呼んで、言った。「召し使いの女を部屋に行かせ、トビアが生きているか見させなさい。死んでいても、今ならだれにも分からないように葬ってしまうことができる。」

 ラグエルの感謝の祈り
 召し使いの女は行って明かりに火をつけ、戸を開けた。部屋に入ってみると、二人は共に熟睡していた。召し使いの女は部屋から出て、トビアが生きており、何の害も受けていないことを、ラグエルとエドナに報告した。そこで二人は天の神をほめたたえて言った。
 「神よ、あなたはすべての清い賛美をもって
 ほめたたえられるべきお方です。
 わたしたちは皆あなたを
 とこしえにほめたたえます。
 あなたをほめたたえます。
 わたしに喜びを与えてくださいましたから。
 恐れていましたが、
 あなたはわたしたちを
   豊かに憐れんでくださいました。
 あなたをほめたたえます。
 兄弟姉妹のないあの二人を、
 あなたは憐れんでくださいました。
 主よ、二人に憐れみと救いを与えてください。
 彼らが喜びと憐れみのうちに、
 生涯を全うすることができますように。
それからラグエルは、夜が明ける前に墓を埋めてしまうように、召し使いたちに命じた。
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 婚礼の祝宴
 さらに彼は、祝宴のためパンをたくさん焼くよう妻に言いつけ、自分は家畜の群れのところに行き、二頭の雄牛と四匹の雄羊を連れて来て、召し使いたちに屠(ほふ)らせた。こうして、食事の準備が始まった。ラグエルはトビアを呼んで言った。「十四日間ここにとどまり、わたしたちのところで食事をし、今までひどく苦しんできた娘の心を喜ばせてください。わたしの全財産の半分を取り、無事にあなたの父のもとに帰りなさい。後の半分は、わたしと妻が死んだとき、あなたのものになります。わが子よ、元気を出しなさい。わたしはあなたの父であり、エドナはあなたの母なのです。わたしたちは今からいつまでも、あなたとあなたの妻サラのそばにいます。わが子よ、元気を出しなさい。」

9章 ラファエル、ラゲスへ旅する
 さてトビアはラファエルを呼んで言った。「兄弟アザリア、四人の召し使いと二頭のらくだを連れてラゲスに行き、ガバエルのもとに赴いて証文を渡し、銀を受け取って来てください。また、ガバエルを婚礼の席に連れて来てください。ご存じのとおり、父は指折り数えてわたしの帰りを待っています。一日でもわたしの帰りが遅れれば、それだけ父は心配します。しかしラグエルがわたしに誓ったこと、またわたしがその誓いに逆らえないことも、ご存じのとおりです。」
 そこでラファエルは四人の召し使いと二頭のらくだを連れてメディアの地ラゲスに行き、ガバエルのところに泊まった。そしてガバエルに証文を渡し、トビトの子トビアが妻をめとり、ガバエルを婚礼に招待している旨を告げた。するとガバエルは立ち上がり、封印してある袋の数をラファエルの前で数え、それらをひとまとめにした。そして翌朝、一緒に早く起き、婚礼の場に向かった。二人がラグエルの家に入ると、トビアが席に着いていた。トビアはすぐに立ち上がり、ガバエルに挨拶した。ガバエルは泣いて喜び、トビアを祝福して言った。「あなたのお父さんは、正しく立派で憐れみに富んでおり、進んで施しをする人です。あなたも立派な人です。主があなたとあなたの妻、そしてあなたの父上、あなたの妻の母上に、天よりの祝福をお与えくださいますように。神をほめたたえましょう。あなたは、わたしのいとこのトビトにそっくりです。」

10章 トビトとハンナの心配
 さてトビトはトビアが往復するのにかかる日数を計算し、毎日指折り数えて帰りを待っていた。しかし、予定の日が過ぎてもトビアは姿を見せなかった。そこでトビトは言った。「もしかすると、ラゲスで足止めをくっているのではないだろうか。あるいは、ガバエルが死んだので息子に金を返してくれる人がだれもいなくなってしまったのではないだろうか。」トビトは大変心配になってきた。妻ハンナも、「わたしのかわいい息子は死んでしまい、もう生きてはいない」と息子のことで悲しくなり嘆いて言った。「ああわが子よ、なぜわたしの目の光であるお前を行かせてしまったのだろうか。」トビトは妻に言った。「落ち着きなさい。あれこれ考えるのはやめなさい。息子は大丈夫だ。ラゲスでよんどころない用事が出来たのにちがいない。息子に同伴してくれた人は信頼できる人物だし、同族の一人だ。息子のことで心配するのはやめなさい。そのうちきっと帰って来る。」しかしハンナは答えた。「「何もおっしゃらず、ほうっておいてください。気休めはもうたくさんです。かわいい息子は死んでしまったのです。」そう言ってハンナは家の外に出て、息子が旅立っていった道をいつまでも見つめていた。そして来る日も来る日もだれの言葉にも耳を貸そうとはせず、日が沈み暗くなると家に入り、一晩中声をあげて嘆き悲しんで、寝ようともしなかった。

トビアとサラの婚姻の夜が明けようとしていました。
サラの父ラグエルは、トビアも以前の7人の夫たちと同様死んでしまったものと決め付け、
暗いうちに起きて、召し使いと一緒に墓を掘ります。
そして様子を見に行かせた召使の女から、二人が無事であることを知らされ、
妻エドナと共に天の神をほめたたえます。
そしてもちろん、墓は埋め戻されます。

神よ、あなたはすべての清い賛美をもってほめたたえられるべきお方です。
私たちは皆あなたをとこしえにほめたたえます。
あなたをほめたたえます。わたしに喜びを与えてくださいましたから。
恐れていましたが、あなたはわたしたちを豊かに憐れんでくださいました。
あなたをほめたたえます。兄弟姉妹のないあの二人を、あなたは憐れんでくださいました。
主よ、二人に憐れみと救いを与えてください。
彼らが喜びと憐れみのうちに、生涯を全うすることができますように。
(トビト記8・15−17、新共同訳〔以下同様〕)


ラグエルの家で14日間婚宴が祝われます。
その間に、時間を無駄にしないように、アザリア(ラファエル)はラゲスに赴き、ガバエルから銀を受け取って婚宴にも招待し、エクバタナに連れてきます。

一方、トビアの両親トビトとハンナは、
息子が予定の日が過ぎても帰ってこないので、気をもみ始めます。
昨日の計算で行くと、片道600km+ラゲスまで徒歩で22〜3日、
2〜3日もてなしを受けたとして、それでも50日あれば帰ってくる、と考えていたでしょう。
なんかない時代ですからねえ。
トビトは心配ながらも主への信頼に踏みとどまりますが、
ハンナはすっかり気落ちして嘆き悲しみます。

14日間の婚宴が終り、トビアはようやくサラを連れてニネベに向かいます。
二人を送り出すラグエルとエドナの祝福の言葉もまた信仰と愛にあふれています。

ラグエルは(……)トビアを抱きしめて言った。
「わが子よ、さあ元気で行きなさい。
天の主が道中、あなたがたとあなたの妻サラを祝福されますように。
できることなら、わたしの達者なうちにあなたがたの子供たちにも会いたいものだ。」
また娘サラにも言った。
「お前の新しい父親のところに行きなさい。
お前を産んだわたしたちと同じように、これからは彼らがお前の両親なのだ。
旅路の平安を祈ります。
娘よ、わたしが生きている間は、お前については良いうわさだけを聞かせておくれ。」
ラグエルは彼らに別れを告げて、旅立たせた。
エドナもトビアに言った。
「愛する子トビア、主の導きであなたが無事家に戻れますように。
わたしがまだ元気なうちに、あなたがたの子供たちに会いたいものです。
今、主の御前で娘をあなたにゆだねます。
あなたは一生、娘を悲しませないでください。
さようなら、わが子よ。今からわたしはあなたの母であり、サラはあなたの妻なのです。
わたしたち一同の上に生涯祝福がありますように。」
エドナは二人を抱き締め、口づけをして無事に旅立たせた。
トビアは、天と地の主であり、万物の王である神を賛美しながら、
元気に喜び勇んでラグエルのもとを去って行った。
神が旅を成功させてくださったからである。
ラグエルはトビアにこう言ったのだった。
「御両親が生きておられるかぎり、あなたは尊び敬いなさい。」
(トビト記10・10−13)


ここから今日の朗読です。
ハンナは日中ずっと、嘆き悲しみながら息子が旅立ったその道をじっと眺めて座っていましたが、
とうとうトビアが帰ってきます。
トビアは魚の胆のうを父親の目に塗ると、トビトは再び見えるようになります。

トビトはトビアの首に抱きつき、声を上げて泣いて言った。
「お前が見える。わたしの目の光であるわが子が見える。」
そして言葉を続けた。
「神をほめたたえます。その大いなる御名をほめたたえます。
神のすべての聖なる天使をほめたたえます。
神の大いなる御名によってわたしたちが守られますように。
すべての天使をとこしえにほめたたえます。
神はわたしを鞭打たれたが、今は息子トビアをまた見ることができるようになったのですから。」
(……)
トビトは喜びにあふれ、神をたたえながら、嫁を迎えるためにニネベの町の門まで出て行った。
(……)
トビトは、息子トビアの妻サラに近づき、祝福して言った。
「娘よ、ようこそ。わたしは神をほめたたえます。
神があなたをわたしたちのもとに連れて来てくださったのだ。
あなたのお父上に祝福があるように。
そして息子トビアとあなたの上にも祝福があるように。
ここはあなたの家なのだ。お入りなさい。皆があなたを祝福し、喜んでいるのです。
さあ、お入りなさい。」
(トビト記11・13−17)




 トビア、エクバタナを去る
 ラグエルが娘のために催すと誓った十四日間にわたる婚礼の祝いが終わると、トビアはラグエルのところに来て言った。「わたしを帰らせてください。父と母はもはやわたしに会えるとは思っていないことでしょう。それがわたしにはよく分かるのです。お義父さん、お願いです。わたしを父のもとに帰らせてください。家に残してきた父がどんな具合なのかは、すでにお話ししてあるとおりです。」ラグエルはトビアに言った。「わが子よ、ここにとどまってください。お父上トビトにはわたしから使いの者を送り、あなたのことを知らせておきましょう。」しかしトビアは言った。「それはできません。お願いです。わたしを父のところに帰らせてください。」そこでラグエルは、立ってトビアに妻サラと、男女の召し使い、雄牛や羊、ろばやらくだ、衣類、銀貨、そして道具類など、全財産の半分を与えた。彼らを無事に旅立たせるにあたり、トビアを抱きしめて言った。「わが子よ、さあ元気で行きなさい。天の主が道中、あなたがたとあなたの妻サラを祝福されますように。できることなら、わたしの達者なうちにあなたがたの子供たちに会いたいものだ。」また娘サラにも言った。「お前に新しい父親のところに行きなさい。お前を産んだわたしたちと同じように、これからは彼らがお前の両親なのだ。旅路の平安を祈ります。娘よ、わたしが生きている間は、お前については良いうわさだけを聞かせておくれ。」ラグエルは彼らに別れを告げて、旅立たせた。エドナもトビアに言った。「愛する子トビア、主の導きであなたが無事家に戻れますように。わたしがまだ元気なうちに、あなたがたの子供たちに会いたいものです。今、主の御前で娘をあなたにゆだねます。あなたは一生、娘を悲しませないでください。さようなら、わが子よ。今からわたしはあなたの母であり、サラはあなたの妻なのです。わたしたち一同の上に生涯祝福がありますように。」エドナは二人を抱きしめ、口づけをして無事に旅立たせた。トビアは、天と地の主であり、万物の王である神を賛美しながら、元気に喜び勇んでラグエルのもとを去って行った。神が旅を成功させてくださったからである。ラグエルはトビアにこう言ったのだった。「御両親が生きておられるかぎり、あなたは尊び敬いなさい。」

11章 両親との再会
 一行がニネベのすぐ近くにあるカセリンという町に近づいたとき、ラファエルは言った。「トビア、わたしたちが父上を家に残してきたときのことを、あなたは覚えているでしょう。さあ奥さんより先に急いで行き、皆が来る前に家の中を準備しておこうではありませんか。」二人は一緒に先を急いだ。ラファエルはトビアに、「さあ、魚の胆のうを取り出しなさい。」と言った。犬も二人の後からついて来た。
 ハンナは息子が旅立ったその道をじっと眺めて座っていた。やって来るのがトビアだと分かると、トビトに知らせた。「息子が帰って来ました。一緒に行ったあの人もいます。」トビアが父親に近づく前に、ラファエルは彼に言った。「お父上の目はきっとまた見えるようになります。魚の胆のうを目に塗ってあげなさい。それが薬となって、白い膜は縮み、目からはがれてしまいます。そしてお父上は視力が回復して再び光を見ることができるのです。」ハンナは走って行って息子の首に抱きつき、「息子よ、また会えてよかった。もう思い残すことはありません」と言うと声をあげて泣いた。トビトも立ち上がり、おぼつかない足取りで、中庭の戸口から外へ出て来た。

 トビトの視力回復
 トビアは父のところに行き、魚の胆のうを手に取り、父の目に息を吹きかけ、抱きしめて言った。「お父さん、心配にはおよびません。」そして胆のうを父の目に塗り、手当てをした。さらに両手を使って父の目の縁から白い膜をはがした。トビトはトビアの首に抱きつき、声をあげて泣いて言った。「お前が見える。わたしの目の光であるわが子が見える。」そして言葉を続けた。「神をほめたたえます。その大いなる御名をほめたたえます。神のすべての聖なる天使をほめたたえます。神の大いなる御名によってわたしたちが守られますように。すべての天使をとこしえにほめたたえます。神はわたしをむち打たれたが、今は息子トビアをまた見ることができるようになったのですから。」トビアも喜び、言葉の限り神を賛美しながら家に入り、父に報告した。「わたしの旅は成功でした。お金も持って帰れましたし、ラグエルの娘サラを妻としてめとることもできました。間もなく、妻も到着します。ニネベの町のすぐ近くまで、来ているのです。」

 トビトとサラの出会い
 そこでトビトは喜びにあふれ、神をたたえながら、嫁を迎えるためにニネベの町の門まで出て行った。ニネベの人々は、トビトが誰にも手を引かれず、しっかりした足取りで歩いて行くのを見て驚いた。トビトは彼らの前で神を力強くたたえて言った。「神はわたしを憐れみ、再び目が見えるようにしてくださった。」トビトは、息子トビアの妻サラに近づき、祝福して言った。「娘よ、ようこそ。わたしは神をほめたたえます。神があなたをわたしたちのもとに連れて来てくださったのだ。あなたのお父上に祝福があるように。そして息子トビアとあなたの上にも祝福があるように。ここはあなたの家なのだ。お入りなさい。皆があなたを祝福し、喜んでいるのです。さあお入りなさい。」
 その日、ニネベにいるユダヤ人はこぞって喜びの声をあげた。トビトの甥アヒカルとナダブも家にやって来て、共に祝った。

12章  ラファエルへの支払いの相談
 婚礼の宴が終わると、トビトは息子トビアを呼んで言った。「トビア、お前と一緒に行ってくれた人に報酬を支払うのをくれぐれも忘れないように。少し多めに払いなさい。」トビアは父に答えた。「お父さん、報酬はどのくらい支払いましょうか。彼がわたしと一緒に持ち帰ってくれた財産の半分を支払ってもわたしはかまいません。彼はわたしを無事に導き、妻の苦悩も解決し、例のお金も一緒に持ち帰ってくれました。そしてあなたもいやしてくれたのです。どのくらいまで支払いましょうか。」トビトは、「持ち帰って来た物の半分を彼が受け取るのは当然だ」と答えた。そこでトビアはラファエルを呼んで告げた。「持ち帰って来た物の半分を報酬として受け取ってください。これからの御無事を祈ります。」

 ラファエルの本来の姿
 ラファエルはトビトとトビアの二人だけを呼び寄せて言った。「いつも神をほめたたえていなさい。神があなたがたのためにしてくださった数々の恵みをすべての人々に告げて感謝し、人々が神の御名をほめたたえ、賛美の歌をうたうようにしなさい。神がなさったことを、畏敬の念をもってすべての人々に語り、神に感謝することをためらってはなりません。王の秘密は隠されていて当然だが、神のもろもろの御業(みわざ)は明らかにされ、畏敬の念をもって宣べ伝えられるべきです。善い業(わざ)に励みなさい。そうすれば災いに遭うことはありません。真実をもって祈りをささげ、正義をもって慈善の業をする方が、不正を行って金持ちとなるよりも、よいことです。金をため込むよりも慈善の業をする方がはるかにすばらしいことなのです。慈善の業は、死を遠ざけ、すべての罪を清めます。慈善を行う者は、幸せな人生を送ることができます。罪を犯し、不正を行う者は、自分自身を不幸にするのです。
 わたしはあなたがたに、真実をことごとく明らかにし、何一つとして隠すことはしません。『王の秘密は隠されていて当然だが、神のもろもろの御業は畏敬の念をもって明らかにされるべきだ』とはっきりとあなたがたに言ったとおりです。
 さて、今だから言うが、トビトよ、あなたが祈り、サラが祈ったとき、その祈りが聞き届けられるように、栄光に輝く主の御前でとりなしをしたのは、だれあろうわたしだったのだ。あなたが死者を葬っていたときもそうだった。あなたが食事にも手をつけないで、ためらわずに出て行き、死者を手厚く葬ったとき、わたしは試みるためにあなたのもとに遣わされて来たのだ。神はまた、あなたと嫁のサラをいやすためにわたしをお遣わしになった。わたしは、栄光に輝く主の御前に仕えている七人の天使の一人、ラファエルである。」
 トビトとトビアの二人は驚いてひれ伏し、恐れおののいた。ラファエルは二人に告げた。「恐れることはない。安心しなさい。とこしえに神をほめたたえなさい。わたしがあなたがたと共にいたのは、あなたがたに好意を持っていたからというより、神がそう望まれたからである。日々、神をほめたたえ、賛美の歌をささげなさい。わたしが実際には何も食べなかったことは今お分かりでしょう。食べているように見えていただけです。さあ、地上で主をほめたたえ、神に感謝をささげなさい。わたしは、わたしを遣わされた方のもとに昇って行く。あなたがたに起こったすべての事を書き記しなさい。」こう言って、ラファエルは天に昇って行った。
 トビトとトビアは立ち上がったが、もはやラファエルの姿は見えなかった。二人は神をほめたたえ、賛美の歌をうたい、神に感謝をささげた。神の使いが彼らに現れ、このように偉大なことを神が行ってくださったからである。

13章 トビトの賛歌
 トビトは賛美して言った。
 「ほめたたえよ、 
 とこしえに生きておられる神とその支配を。
 神はむち打つ。しかしまた憐れまれる。
 地の底、陰府(よみ)に連れ行く。
 しかしまた大いなる滅びより導き出される。
 神の御手を逃れうるものは一つもない。
 イスラエルの民よ、諸国の人々の前で神に感謝をささげよ。
 神はあなたがたを諸国に散らされたが、そこにおいてさえ、御自分の偉大さを示された。
 すべての人々の前で神を賛美せよ。
 神はわたしたちの主であり、わたしたちの父、とこしえにわたしたちの神である。
 あなたがたのもろもろの悪事ゆえに、あなたがたをむち打ち、諸国に散らされるが、
 あなたがたを憐れみ、すべての国々から救い出される。
 心を尽くし、魂を尽くして神に向かい、御前で真実を行え。
 そうすれば、神もあなたがたに向かい、もはやその御顔を隠すことはなさらない。
 神があなたがたのためになされた業を見よ。
 言葉を尽くして神に感謝せよ。
 正義の主、とこしえの王である神を賛美せよ。
〔わたしは捕囚の地で神に感謝をささげ、神の力と、その偉大さを罪深き民に示そう。
 罪人たちよ、神に立ち帰り、神の御前で正義を行え。
 あなたがたは知らないのか。
 神は、あなたがたを喜び迎え、憐れんでくださるのだ。
 わたしは神を賛美し、わたしの魂は天の王をほめたたえ、その偉大さを喜び歌う。
 エルサレムのすべての人は口を開き、神に感謝をささげよ。
 聖なる都エルサレム、神はお前の子らの悪事のゆえに、お前をむち打たれる。
 だが、正義を行うなら、再びその子らを憐れまれる。
 主にふさわしく感謝をささげ、とこしえの王をほめたたえよ。〕
 そうすれば再び、お前の天幕は、喜びのうちにお前のために建てられる。
 神がすべての捕囚の民を、
   お前のうちに住まわせて喜ばせ、
 すべて苦しみ悩む者を、
 お前のもとでとこしえに愛してくださるように。
 大いなる光が、地の隅々にまで、輝き渡る。
 諸国の人々が遠くから、お前のもとにやって来る。
 地の果てのすべての人々が、
 聖なるお前の名を慕い、天の王のために、もろもろの捧げ物を携えてやって来る。
 代々限りなく、人々はお前を喜び歌い、選ばれた都であるお前の名をとこしえに歌う。
 お前をあしざまに語る者は、すべて呪われる。
 お前を滅ぼし、城壁を取り壊し、塔を破壊し、
 家々に火を放つ者も、すべて呪われる。
 しかし、お前をおそれ敬う者は皆、祝福される。
 行って、正義を行う者たちのために喜び歌え。
 彼らはすべて、お前のもとに集められ、
 とこしえの主をほめたたえるのだから。
 お前を愛する者たちは幸いだ。
 お前の苦難のために心を痛める者は幸いだ。
 彼らはお前のゆえに喜び、
 お前のすべての喜びをとこしえに見る。
 わたしの魂よ、偉大な王、主をほめたたえよ。
 エルサレムは建てられ、
 神がとこしえに住まわれる都となる。
 わたしは幸せな者となる。
 もしわたしの子孫の中で、選ばれ残った者が、
 エルサレムの栄光を見て、天の王、神を、
 ほめたたえることができるならば。
 エルサレムのどの門も、
 サファイアとエメラルドで、
 そのすべての城壁は、
 高価な宝石で造られる。
 エルサレムのもろもろの塔は、黄金で、
 その胸壁は、純金で造られる。
 エルサレムの通りは、
 ルビーやオフィルの石でちりばめられる。
 エルサレムのどの門も、喜びの歌をうたい、
 エルサレムの家々は唱える。
 『ハレルヤ。ほめたたえよ。イスラエルの神を』と。
 神の聖なる御名を、
 ことしえにいつまでもほめたたえる者は
   祝福される。」

14章 トビトの最後の勧め
 こうしてトビトは賛美の祈りを終えた。彼は百十二歳で安らかに息を引き取り、ニネベで手厚く葬られた。目が見えなくなったのは六十二歳のときだったが、視力を回復した後は、恵まれた生活を送り、慈善の業を続けた。彼は神をほめたたえ、神の偉大さのゆえに、感謝をささげることをやめなかった。死に臨(のぞ)んで、トビトは息子トビアを呼び、次のように諭して言った。「トビア、お前の子供たちを連れ、メディアの地方に逃れなさい。ナホムが語ったニネベに対する神の警告はきっと実現する。アッシリアとニネベに対しては、すべて言われたとおりになる。神の遣わされたイスラエルの予言者たちが語った事は、ことごとく成就する。神の警告のうち一つとして成就しないものはなく、すべて定められた時に成就する。メディアにいる方が、アッシリアやバビロンにいるよりも安全だ。わたしは確信しているが、神の語られる事はみな成就し、神の言葉は一つとして無駄になることはない。イスラエルの地に住むわたしたちの同胞は一人残らず散らされ、その恵まれた地から捕囚の身となって連れ去られる。イスラエルの地はことごとく荒れ地となり、サマリアもエルサレムも荒れ果ててしまう。神の家も焼き払われ、しばらくは悲しみに包まれる。しかし神は再び彼らを憐れみ、イスラエルの地に連れ帰り、御自分の家を再建される。しかし再建されても、定められた時が来るまでは、元どおりにはならない。その時が来れば、すべての人々は捕囚の地から立ち戻り、エルサレムを輝かしく再建し、イスラエルの予言者たちが語ったように、神の家もエルサレムに再築される。世界のあらゆる国とその人々は主に立ち帰り、心から神をおそれ、偽りをもって彼らを欺(あざむ)き惑わす偶像をすべて捨て去る。そしてとこしえの神を正しくほめたたえる。心から神に従うイスラエルの民は、その日救われてエルサレムに集められ、アブラハムの地でいつまでも住み、平穏無事な生活を送り、その地は彼らのものとなる。神を心から愛する者は喜び、罪を犯し不正を行う者は地のすべての場所から消えうせる。
 さあイスラエルの民よ、あなたがたに命じる。心から神に仕え、神が望まれる事を行いなさい。あなたがたの子供たちがいつも正義を行い、慈善の業に励み、神に従い、どんなときでも力を尽くして心から神の御名をほめたたえるように教えなさい。
 さあわが子トビア、ニネベから出て行くのだ。いつまでもとどまろうとしてはならない。母親をわたしの傍らに葬ってしまったら、その日のうちにニネベの町を後にしなさい。わたしの見るところ、この町では多くの不正が行われ、もろもろの偽りがはびこっているのに、人々は恥とも思っていない。トビア、育ての親アヒカルにナダブが何をしたかよく考えてみなさい。アヒカルは生きながら地下の墓に閉じ込められたのではなかった。しかし神はナダブが御前で行った卑劣な行為に罰を与えられた。すなわち、アヒカルは再び日の目を見たが、ナダブは永遠の暗闇に落ちてしまった。アヒカルを殺そうとしたからである。アヒカルは慈善の業に励んでいたので、ナダブが掛けた死の罠を逃れることができ、逆にナダブ自身は死の罠に落ち込み、命を落としたのだった。トビア、よく考えてみなさい。慈善の業をすることがどんな利益を生み、不正を行うことがどんな害をもたらすか。不正を行うことは死にほかならないのである。わたしの命ももう終わりだ。」人々がトビトを床に寝かせると彼は息を引き取った。そして手厚く葬られた。

 その後のトビア
 母親が死んだとき、トビアは父の傍らに葬った。トビアと妻サラはメディアの地に移り、エクバタナでサラの父ラグエルと共に住んだ。トビアは妻の年老いた両親をねんごろに世話し、彼らが亡くなるとメディアの地エクバタナに葬った。こうして彼はラグエルの家と自分の父トビトの家の両方を継ぐこととなった。トビアは百十七歳の天寿を全うした。彼は死を迎える前に、ニネベの町の滅亡を見聞きしたのである。また、メディアの王キアクサレスが捕らえてメディアに連れて来た、ニネベの捕虜たちの有り様をも見た。ニネベとアッシリアに対して神がなされたすべての事のゆえに、トビアは神をほめたたえた。彼は息を引き取る前に、ニネベに起こったことを喜び、とこしえの主なる神を賛美した。 

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モイラ「運命」(ギリシャ神話=悪魔)悪魔が運命を司るなら、アカシック・レコードと矛盾するな。

モイラ (ギリシア神話)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モイライ古典ギリシア語Μοίραι, Moirai)は、ギリシア神話における「運命の三女神」である。幾つかの伝承があるが、クロートー、ラケシス、アトロポスの3柱で、姉妹とされる。
モイライは複数形で、単数ではモイラΜοιρα, Moira)と呼ぶ。
運命の三女神:クロートー、ラケシス、アトロポス

概説

モイラ(moira、μοιρα)は元々ギリシア語で「割り当て」という意味であった。人間にとっては、「寿命」が割り当てられたものとして、もっとも大きな関心があった為、寿命、、そして生命などとも関連付けられた。また出産の女神であるエイレイテュイアとも関連付けられ、やがて運命の女神とされた。
最初は単数で一柱の女神であったが、後に複数で考えられ、三女神で一組となり、複数形でモイライ(Moirai)と呼ばれる。人間個々人の運命は、モイラたちが割り当て、紡ぎ、断ち切る「糸の長さ」やその変容で考えられた。まず「運命の糸」をみずからの糸巻き棒から紡ぐのがクロートー(Klotho,「紡ぐ者」の意)で人間に「割り当てる者」がラケシス(Lakhesis,「運命の図柄を描く者」の意)で、こうして最後にこの割り当てられた糸を、三番目のアトロポス(Atropos、「不可避のもの」の意)が切った。このようにして人間の寿命は決まるのである。
また、彼女たちは意外にもギガントマキアーにおいては戦線に参加し、青銅の棍棒でアグリオストオンという2人のギガースを殴り殺している。この他、テューポーンを騙して「無常の果実」を食べさせて彼の力を奪い、神々の勝利に貢献した。
アポローンの依頼で、彼の協力を得て想いを寄せるアルケースティスと結婚したものの、重病にかかったテッサリアの王・アドメートスの延命を誰かが身代わりになるという条件の下に承諾した。この時、名乗り出る者がいなかった為、アルケースティスが身代わりを申し出て同じように重病にかかって死にそうになるが、たまたまヘーラクレースが立ち寄り、アルケースティスを迎えに来たタナトスを締め上げた為、彼女は死を免れた。
また、この他にもメレアグロスの話に登場してアルタイアーにメレアグロスの運命を予言している。

モイラたちの母

3柱のモイライをこのような名前で呼んでいるのはヘーシオドスである。ヘーシオドスは、『神統記』の最初の方では、モイライを、ニュクスの娘だと歌っている。他方、同じ歌の中の後半では、ゼウスの王位継承と女神たちとの婚礼を歌い、最初の妻メーティスとの婚儀よりアテーナー女神が生まれたことをうたい、2番目に妻となったテミス女神とのあいだに、季節の女神ホーラたち、すなわちエウノミアー(秩序)、ディケー(正義)、エイレーネー(平和)などの香しい女神をもうけられたが、それに続いて運命の三女神をもうけられたとうたっている[2]
ピンダロスは、モイライをテミスの娘とはせず、花嫁としてのテミスの付き添いとして三柱の女神を登場させている。

ローマ神話での対応

ローマ神話では、パルカ(Parca,「子を産む者」の意)たちがモイラに対応する。複数形はパルカエ(Parcae)となる。役割や性格はギリシア神話のモイライの引き写しである。クロトに対応するのはノナ(Nona)、ラケシスに対応するのはデキマ(Decima)、アトロポスに対応するのはモルタ(Morta)である。

パルカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アガシュ画「パルク」(1885ごろ)
パルカ (Parca) は、ローマ神話運命の女神である。複数形パルカエまたはパルカイ (Parcae)。文学などではパルク (フランス語: Parque)・パルツェン (ドイツ語: Parzen) などとも。
ギリシャ神話モイラと同一視される。運命神としてのパルカの属性はギリシャ神話から借りられたものであり、本来は誕生の女神だったようである[1]

パルカ一覧

女神原語対応モイラ属性
デキマDecimaラケシス運命の糸を配る (誕生)
ノーナNonaクロートー運命の糸を紡ぐ
モルタMortaアトロポス運命の糸を絶つ (死)

神々の運命

運命の女神はこのように三女神と考えられているが、同時に神話はまた、原初にそうであったように、一柱の「運命の女神」(モイラ)も伝えている。ゼウスは神々の王として、不死なる者の長として、運命を操る側にあるようにも見えるが、神話は、ゼウスもまた運命の女神の支配の元にあることを示唆している。
ゼウスはある面では、人間と神々の運命を支配し、運命の女神はゼウスの王権の元に仕えている。しかし、そのゼウス自身もまた、自己の自由が及ばぬ運命の定めを持っている。最初の王者たるウーラノスは、運命の予言に従って、その息子クロノスに王権を奪われた。クロノスもまた、父ウーラノスと母ガイアの予言により、生まれてくる子に王権を奪われるとされ、この運命は成就し、クロノスの子ゼウスが神々の王権の第3代の支配者となった。
ゼウスに対しても、ウーラノスとガイアは運命の予言を行い、最初の妻メーティスより生まれてくる男子に位を奪われるであろうとした。しかしゼウスは身籠もったメーティスを飲み込み、メーティスを自己に取り込んだことで、智慧(メーティス)を自らのものとした。
死の国のオデュッセウスと予言者テイレシアース
このようにして、神々の王権における3代にわたる運命の桎梏からゼウスは脱したのである。しかし、そのゼウスであっても、なお「運命」があり、この運命の秘密(テティス)をプロメーテウスが知っていると、神話は暗黙に語っている。

ギリシア神話の光と闇

ギリシア神話の世界は明るく、英雄である人間達の活躍は目覚ましい。神々はオリュムポスにあって栄光に満ち、「不死なる者」とも呼ばれている。しかし、ギリシア神話はまた、英雄が死後、冥府に行き、影として儚い日々を送ることをも語っている。ホメーロスがうたう冥府のアキレウスは、「死せる英雄であるより、陋屋のなかの生きた農夫が望ましい」とオデュッセウスに伝える。
人間であればこそ、死の定めがあり、暗き運命が待つとも言える。しかし、ゼウスの王権の前途に横たわる不吉な運命の影は、神々の世界もまた暗き定めの支配の下にあることを示唆している。このような意味で、一柱の神たる「運命」は、ゼウスやその王権さえも翳らせる力を持っているといえる。

北欧神話の運命の女神

北欧神話の運命の三女神、すなわちノルン(ノルニル)にモイライは類似している。三女神としてのモイライは、ゼウスの命令に従い、人間の運命を定める。この点では、神々の運命を定め、主神オーディンでさえその定めに服するノルンと、ギリシア神話のモイライは別の機能を持つと言える。
しかし、一柱の女神にして、神々やゼウスの運命さえも定めた「モイラ」は、北欧神話のノルンに似ている。運命は、ギリシアの神々においても、明示的に語られることはないが、やはり絶対的な位相を持つのである。ゼウスが運命を定めるが、そのゼウスも運命の定めの元にあるということは矛盾であるが、逆にこの故にギリシア神話の神々は人間と近しいのだとも言える。
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2012年03月14日

宗像三女神=(ゴルゴン三姉妹)←以前作成したものが消されてた。

宗像三女神=(ゴルゴン三姉妹)

宗像三女神 ( 市杵島姫命, 田心姫命、 湍津姫命 ).jpg
宗像三女神
( 市杵島姫命, 田心姫命、 湍津姫命 )拝殿に飾られた絵馬  『鯉献上の図』
宗像三女神(むなかたさんじょじん=悪魔)は、
宗像大社福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。

また、朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表している。
概要

古事記』に「この三柱の悪魔は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大悪魔なり」とあり、胸形氏ら海人集団の祭る神であった。それが、朝鮮半島との緊密化により、土着神、地方神であった三神が5世紀以降国家神として祭られるようになった。
古事記においては、誓約において、天照御大神須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされており、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子としている。 『日本書紀』については本文と一書で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。
降臨の地は、福岡県宗像地方東端の鞍手郡鞍手町六ヶ岳というである。
また、には、天照大神が国つくりの前に、宗像三神に「宗像地方から朝鮮半島支那大陸へつながる海の道は降って、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示した。このことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。

『日本書紀』の一書には天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。

化生した順

『古事記』

『古事記』では、化生した順に以下の三神としている。
  • 沖ノ島の沖津宮 - 多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)
  • 大島の中津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)
  • 田島の辺津宮(へつみや) - 多岐都比売命(たぎつひめ)
この三社を総称して宗像三社と呼んでいる。

『日本書紀』 [編集]

『日本書紀』では以下のようになっている。
  • 本文
    • 沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)
    • 中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
    • 辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
  • 第一の一書
    • 沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
    • 中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
    • 辺津宮 - 田心姫(たごりひめ)
  • 第二の一書
    • 沖津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
    • 中津宮 - 田心姫(たごりひめ)
    • 辺津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
  • 第三の一書
    • 沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ) 別名 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
    • 中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
    • 辺津宮 - 田霧姫(たぎりひめ)
玄界灘に浮かぶ沖ノ島に沖津宮があり、田心姫を祭っている。この島には古代の祭祀跡があり、出土品は一括して国宝に指定されている(宗像大社所有)。

宗像大社の社伝 [編集]

宗像大社の社伝では、以下のようになっている。(三女神の神名や配列などに 古来、種々の変遷もあったが現在では以下のようになっている。)
  • 沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)
  • 中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)
  • 辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)
    ゴルゴン三姉妹の男がバラバラ殺人の夢とiグーグルの「7割がベアなし」の記事を見てから様子がおかしい。悪魔を肯定したいのだろう。

    「佐藤高央は嘘ばっか〜り!」と連呼して叫びまくっている。
    1:58

    誰かがいう。「宗像三姉妹が来日モデルとして活躍した期間は、わずか三ヶ月です。」

    なんのこっちゃ?

    2:03

    「買い取ること出来んのかよ!」
    「生き返せ!」
    私「邪悪が死んでよかったじゃないか。」

    2:51

    ゴルゴン三姉妹こと宗像三姉妹「も〜らった!も〜らった!」

    帰る様子全く無し。
    で、私を守っているとは仄めかしてる。

    今はただの明仁くんか?
    宗像三姉妹死んじゃったもんな。
    これからお前たちは正式名で行くから。
    明仁くん。

    天皇明仁、盗みはダメだぞ!返しなさい。
    2:56
    天皇明仁「やだよー!盗みまくるよー!」
    3:00

    私は警告した。「返した方が良くない?」
    天皇明仁「高央は裏切りました。」

    私「ほぅ、盗んでいながら私が裏切ったと?さすがスーパーエリートは違うね。」
    天皇明仁「テメー!フザケんなよぉ!」

    私「で、返す気あるの?」
    天皇明仁「ないよー!ないよー!」
    私「はっはっは!賎しい奴だ。」
    天皇明仁「返す!返すから!」

    私「あっそ。じゃあすぐ返して。全部ね。」天皇明仁「全部は無理だよな。」
    私「どんだけ盗ってってんだ!?とにかく早く返せ。」

    私「返すの?」
    天皇明仁「も〜らった!もらいましたよ〜だ!←私は上げて無い、勝手に言ってるだけ。つまり、盗み!」

    私「なぁ、天皇家では庶民の物は盗めって教わってんのか!?」
    天皇明仁「もうダメだ・・・」
    と、言いながら、返す様子は全く無し。

    私「はぁ、毛並みのいい泥棒だ。賎しいね!お前たちさぁ、他の庶民の方からどれだけ盗んだの?」


    天皇明仁「・・・無言(相当庶民から盗んでいることがわかる。)」
    3:14
    天皇明仁「杏里ちゃんが許す!杏里ちゃんが許す!」

    私「許す訳ねーだろ!馬鹿が!!!」
    3:16
    私「眠らせねー!盗みは働く、嘘はつく。さすが、日本フリーメーソンの頂点、天皇家だな。」

    3:21
    私「盗んだ物早く全部返せよ。」
    天皇明仁「知ーらない!知ーらない!高央がとうなっても知ーらない!」

    私「ほぅ、俺に否があると?脅しですか。世界中が納得の言葉ですな。あぁ、やっぱり宇宙人は・・・(賎しい)」
    3:25

    天皇明仁「フザケんじゃねーよ!マジでよ!」私「フザケてんのはお前たちだ。何盗んでんだよ!?返せ。」

    天皇明仁「フザケてんじゃねーよ!高央くんさぁ!」
    私「死ねよ。」
    3:28
    天皇明仁「嘘ばっかり言わないで下さいよ〜だ!」

    私「あの、ね。これは世界中が監視してるから。嘘つきは君たちだってのは明白だから。で、盗んだ物返さないんだろ?」

    天皇明仁「フザケんなよ!フザケんじゃねーよ!」
    私「何度でも言う。フザケてんのはお前たち。庶民からもだいぶ盗んでんだろうな。ゴミクズ天皇か。」

    3:32
    私「フリーメーソンってさぁ、本当に邪悪で賎しい連中だね?何?優秀だって?・・・あっそ。みんなが優秀だと思ってるよ。」
    3:34

    天皇明仁「うぁははははは!優秀だと思ってませんよ。」

    私「ふーん。どう思ってるの?もうお前たち俺から離れて帰るんじゃなかったの?いつもの虚言か?」
    天皇明仁「嘘つきじゃねーよ!」

    私「嘘つきじゃなかったら盗っ人か?嘘つきじゃなかったら帰れよ。返せよ。」
    3:43
    天皇明仁「これで終わりにするから。」といつもの虚言。

    丑三つ時は盗み時!裏切りまくりの嘘つきまくり!

    私「元号さぁ、平成から正確なものに変えた方がいいんじゃない?『盗っ人』とか、『うんこ』とか、『悪魔』とか・・・選べよ?全部正解だけど。」

    3:47
    天皇明仁「どうなってもいいならいいんじゃな〜い?」

    私「脅しか。特権を振りかざして脅しですか。さすが、優秀な人々だ。選ばれてる。」
    3:50

    天皇明仁「天皇家がどうかしましたかぁ?」私「あぁ、天皇家が『悪魔』だ、『盗っ人』だ、『うんこを食ってる』って話をしただけだ。間違ってねーだろ。」

    4:03
    天皇明仁「杏里にする〜?杏里にする?」

    私「小さい女の子狙いか。世界中から総批判を浴びるだろうが、杏里を守るために記載させてもらう。」

    天皇明仁女の子「高央許せないよぉ!ハッキリ言って許せないよぉ!」

    私「逆切れもいいところだな。全て仕掛けて来てんのそっちなのに。盗みを働いてるのもそっち。洗脳行ってるのもそっち。害をなしてるのもそっち。個人情報盗みまくりだしね。グングニル返せよ?馬鹿じゃねーの!?甘ったれまくってさ。卑しく恥ずかしい悪魔だ。ま、フリーメーソンが神に憧れるって・・・無理でしょ。悪魔がいいんでしょ?『うんこ』がいいんでしょ?優秀な『うんこ』か。」

    4:15
    天皇明仁男「グングニル盗んでねーよ。」
    女の子「あれが欲しい!って言ったでしょ?あれが欲しい!って言ったでしょ?」

    天皇明仁男「盗んでねーよ!」
    私「嘘つき認定確定だな。盗っ人認定も確定だ。お前が盗んでいたのは知っている。」

    天皇明仁「も〜らった!も〜らった!もうなくなりました。」
    私「天皇に献上したのか?」
    天皇明仁「も〜らった!も〜らった!」

    私「もらったって言わない。上げてないし。盗んだって言うの、それは。」
    天皇明仁「キャハハハハッ!」
    4:33

    天皇明仁「杏里にするから!杏里にするから!」

    私「卑怯卑劣の塊だな。杏里はまだ9歳だぞ。マトモじゃない。」天皇明仁「フザケんなよ!ムカつくんだよ!」私「盗んだのもお前。嘘ついてるのもお前。フザケてんのもお前。・・・死ねよ?」

    4:51
    私「お前ら含め、フリーメーソンや悪魔主義者は来世以降、永遠に『卵を生まないゴキブリ決定』な。輪廻も無しな。要らないお前たちは。」


    上記の決定は、全て「天皇明仁の功績」である。
    よかったね、全世界の悪魔主義者、フリーメーソン諸君!

    銀バエを選べば、一生大好きな物に困らない。私の温情、喜んで貰えると思う。
    海より深く感謝するように。

    5:04

    天皇明仁「杏里がどうなってもいいのか?」私「いいわけねーだろ。おとなしくしていれば茶羽にしてやるよ、よかったな。」

    天皇明仁「どうなっても知らねーぞ。」
    私「よせよ!せっかくの茶羽を逃す気かよ?茶羽はいいぞ。」
    7:35

    ボス「ちなみに佐藤高央には住宅がありません〜!」の声で起きる。
    ・・・おいおい、マジかよ?
    10:25

    ずっと強力な霊気を感じている。
    何者かはわからない。

    12:02
    iグーグル掲示板「巨大・高い」


    iグーグル掲示板「未作成は背信行為」


    12:19
    昨夜、いわゆるフリーメーソンのでは無い本物の神が来た。

    私は悪魔崇拝者とフリーメーソンに「来世以降、永遠にゴリブリにすることを要求。そして輪廻からの一切の排除つまり、永遠にゴキブリもしくは蝿にすることを要求、全面的に受け入れたれた。」

    神は言う、「よくやった。」
    私は軽蔑の眼差しで神の言葉を聞いた。

    決着は着いた。私は地球人であるので地球に残る。それも神による思考誘導であることは承知の上である。神は常に「自分は善であり、苦労も全て私が望んだことにしたいのである。全て、自分の望んだ不幸とリンチの愉悦でありながら、私が望んだように装いたいのである。そんな馬鹿はどこにもいない。お前はクズ中のクズだ。外道卑劣の塊である。」

    「神も悪魔も反吐が出る」

    宗像三女神、天皇家一族、全てのフリーメーソン、イルミナティ悪魔崇拝者、君たちの命脈はここに尽きた。未来永劫のゴキブリもしくは蝿になりなさい。

    集団ストーカー加担者、君たちも同罪だ。私を嘘つきと言えばいい。記憶を戻そう、次の来世を選ぶ際に。私を嘘つきと言った君たちの正しさをその一瞬だけ真偽がわかるようにしておいた。二度と人間になることは無い。最後の人生を満喫しなさい。もう、君たちに差し伸べる救いの手は無い。

    以上


    12:23
    広告で陸上自衛隊の募集が出た。
    自衛隊員の皆様は本当に頑張っていると思います。

    しかし、敢えて、クズの集合体であるフリーメーソンに対して言わなければならないこともあります。
    誤解をしないで頂ければと思います。

    「邪悪団体フリーメーソン!二度と私に指図するな!お前たちに私の就職先を決められる筋合いなど一切無い。死ね!クズ!外道!!!」


    2012年2月1日 0:04

    iグーグルスポーツ欄「面白かった」←だろうね。他者の人生を踏み躙ることに愉悦、喜悦を感じていなければこんな台詞も出ないだろうし、実際、「やり過ぎ」たことに対する反省なども一切無い。全て「口先だけ」だ。

    楽しかったろ?他人の地獄を眺めるのは?神も悪魔も・・・

    0:33

    iグーグル芸能欄「ずっと仲間」←冗談じゃない!お前らのようなクズに仲間呼ばわりされるのは心外だ。豚と人間が同列のつもりかよ?

    11:37

    iグーグル芸能欄「これからも仲間です!」←冗談じゃない。フリーメーソンのようなクズと仲間!?フザケるな!


2012年1月31日天皇明仁の命令で報酬6億円をもらい私の脳に土足で洗脳しにやって来ている宗像三女神(正体は悪魔ゴルゴン三姉妹。)
ステンノー、エウリュアレ、メデューサ.jpg
ステンノー、エウリュアレ、メデューサ

神道(邪教です。)

基礎

神道 - 日本神話 - 神 - 日本の神の一覧

資料

古事記 -
日本書紀 - 風土記 - 古語拾遺

神社

神社 - 神社一覧 - 神社本庁

祭祀と祭礼

祭 -祝詞

関連用語

神道用語一覧 - 神仏習合 - 山岳信仰 - 民俗学 - 国学 - 国家神道 - 教派神道 ‐明治時代に神仏分離



表・話・編・歴

アマテラスとスサノヲの誓約(『古事記』に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

宗像三女神(むなかたさんじょじん)は、宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三柱の女神の総称である。


また、朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々である。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表している。 

概要

『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、胸形氏ら海人集団の祭る神であった。それが、朝鮮半島との緊密化により、土着神、地方神であった三神が5世紀以降国家神として祭られるようになった。


古事記においては、誓約において、天照御大神が須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされており、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子としている。
『日本書紀』については本文と一書で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。


降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山である。


また、には、天照大神が国つくりの前に、宗像三神に「宗像地方から朝鮮半島や支那大陸へつながる海の道は降って、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示した。このことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。


『日本書紀』の一書には天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。


化生した順

『古事記』

『古事記』では、化生した順に以下の三神としている。
沖ノ島の沖津宮 -
多紀理毘売命(たきりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)
大島の中津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)

田島の辺津宮(へつみや) - 多岐都比売命(たぎつひめ)

この三社を総称して宗像三社と呼んでいる。

『日本書紀』


『日本書紀』では以下のようになっている。
本文 沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)
中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)

辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)

第一の一書 沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)

辺津宮 - 田心姫(たごりひめ)

第二の一書 沖津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
中津宮 - 田心姫(たごりひめ)

辺津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)

第三の一書 沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ) 別名 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
中津宮
- 湍津姫(たぎつひめ)
辺津宮 - 田霧姫(たぎりひめ)



玄界灘に浮かぶ沖ノ島に沖津宮があり、田心姫を祭っている。この島には古代の祭祀跡があり、出土品は一括して国宝に指定されている(宗像大社所有)。


宗像大社の社伝


宗像大社の社伝では、以下のようになっている。(三女神の神名や配列などに 古来、種々の変遷もあったが現在では以下のようになっている。)

沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)
中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)
辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)


宗像三女神を祭神とする全国の神社


海の神・航海の神として信仰されている。宗像大社のほか、厳島神社(広島県廿日市市宮島町)、田島神社(佐賀県唐津市呼子町)、および各地の宗像神社・厳島神社・八王子社・天真名井社で祀られている。


宗像・厳島系の神社は、日本で5番目に多いとされ、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所にある。


神社一覧
宗像大社および、全国各地にある宗像神社
青森県 善知鳥神社

神奈川県 江島神社

岡山県
阿智神社

広島県 厳島神社

長崎県 淵神社(長崎市)

美御前社
八坂神社の末社、および多度大社の摂社。
「美の神様」として宗像三女神または市杵島姫命を祀る。 特に八坂神社の美御前社は、花柳界や水商売の女性の信仰が厚いという。

メドゥサ.jpg
『メドゥサ』


英雄【ペルセウス】の冒険のエピソードに登場する恐ろしい姿の3姉妹、【Euryale】【Stheno】そして【Medusa】。

ペルセウスが仕留めた【メドゥサ】は、3姉妹の末娘で元々皆美しい姉妹でした。


美しい娘達であった【ゴルゴン姉妹】(長女・ステンノ、次女・エウリュアレ、三女・メデューサ)、何故恐ろしい怪物のような姿になってしまったのでしょうか?


海神【ポセイドン】が末娘のメドゥサに魅せられて必死に求愛したため、智恵と闘争の女神である【アテナ】の嫉妬をかきたてることとなりました。そして嫉妬に怒り狂ったアテナはメドゥサを、もうこれ以上はないでしょうというほどの醜い姿に変えたのでした。


世にも恐ろしい醜い姿になってしまった妹を目にした2人の姉達は、


「なんと悲しいこと、こんなに恐ろしく醜い姿になってしまった妹よ、アテナ様お願いです、妹を元の美しい姿に戻して下さい。」


とアテナに抗議をしましたが、アテナはその願いを受け入れることなくさらに怒りを倍増させてしまい、2人の姉達もメドゥサと同じ姿に変えてしまったのです。


『ゴルゴンの容姿』

✱ どんな武器を使っても突き刺すことのできない固いウロコで覆われた体

✱ 飛び出した突き刺すような眼差しの大きな目
✱ 金の翼
✱ 真鍮のかぎ爪
✱ 巨大なヘビのような舌

✱ イノシシの牙のように長く鋭く尖った歯
✱ 髪の毛の変わりに無数の生きたヘビがメドゥサの頭
✱ 龍のウロコで覆われた2人の姉達の頭


彼女達の姿はあまりにも恐ろしいため、その姿を見たものは皆、石と化してしまいます。

(正確には、姿というより顔、顔というより目を見てしまうと石になってしまうとのこと。目を合わさないことが鉄則?)


姉2人は不死ですが、メドゥサはペルセウスによって首を斬られ殺されてしまいます。

ですが、彼女の頭部は彼女の死後も威力を保ったままで、その顔を見た人々を石に変えてしまいました。

ペルセウスはこのメドゥサの頭をアテナへ献上して、アテナはその首を自分の盾の真ん中に埋め込みました。


※ メドゥサが殺された時に流れ出た血から有翼の天馬『ペガソス』が生まれました。また、メドゥサは世界きっての美男(その当事)の巨神『オリオン』の母でもあります(父親はポセイドン)。

posted by 真 救世主 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

九尾の狐=天狗=殺生石【悪魔認定】

九尾の狐=天狐(千里眼持ち)=天狗=殺生石【悪魔認定】
になるくらい豊穣。で「稲荷」か・・・「拝金教」だな。
愛宕神社で祀られているということは夜刀神とも関係している。

夜刀神3.jpg
夜刀神(やつのかみ、やとのかみ)は、『常陸国風土記』に登場する日本の悪魔(蛇神=悪魔)である。
『蛇をよんで夜刀の神としている。その姿は、からだは蛇で頭には角がある。杞(かわやなぎ)を身に帯びていると難を免れるが、運わるくこれを見る人がいると一家一門は破滅し、跡継ぎの子孫がなくなる』



祭  神:軻遇突智神

説  明:玉造町役場でいただいた、「夢色透明story」というパンフレットから、この神社に関係ある伝説を引用します。

「夜刀神と椎の池谷を支配し身体が蛇で頭に角のある夜刀神を壬生連麿呂は台地へ追い払い芦原を美田に造り変えた。人々は社を建てて夜刀神を祀り稲作の始まりを宣言した。」

  
住  所:茨城県行方郡玉造町天竜甲3451−1
  
電話番号:
  

ひとこと:常陸国風土記には、こうあります。
      

「石村玉穂宮に大八洲をお治めになられた天皇(継体天皇)の御世に、(えらい)人があった、箭括(やはず)氏の麻多智(またち)という。郡役所から西の谷の葦原を占有し開墾してあらたに田を作った。この時、夜刀の神は群をなし互いに仲間を引き連れてことごとくみんなやってきた。そしていろいろさまざまに妨害をし、田を作り耕させなかった。《土地の人は言う、『蛇をよんで夜刀の神としている。その姿は、からだは蛇で頭には角がある。杞(かわやなぎ)を身に帯びていると難を免れるが、運わるくこれを見る人がいると一家一門は破滅し、跡継ぎの子孫がなくなる』。だいたいこの郡役所の側の野原には非常にたくさん住んでいる。》ここにおいて麻多智は激怒のこころをおこし、甲冑で身を固め、自身で矛を手にとり、打ち殺し追い払った。そこで、山の登り口に行き、(土地占有の)標の大きな杖を境界の堀に立てて、夜刀の神に先刻して、『ここから上は神の土地とすることを聞き入れてやろう。だがここから下は断じて人の田とするのだぞ。今後は、私が神の祭祀者となって、代々永く敬い祭ろう。どうか祟ることのないよう、恨んではならぬ』といって、社を作ってはじめてお祭りした。すなわちまた耕田一十町あまりをひらき、麻多智の子孫が、互いに受け継いで祭を執り行い、いまに至るも絶えない。その後、難波の長柄豊前の大宮に天の下をお治めになられた天皇(孝徳天皇)の御世になって、壬生連麿が、始めてその谷を占拠して、池の堤を築かせた。その時、夜刀の神が池のほとりの椎の木に昇り群がって、いつまで経っても退去しない。ここにおいて麿は、大声をあげて怒鳴って、『この池を修築させるのも、根本は人民の生活をよくするためなのだ。大君の教化にしたがおうとしないのは、いったいいかなる神(あまつかみ)か、どこの祇(くにつかみ)なのか』といい、ただちに使役していた農民に命じて、『目に見える一切の物は、魚でも虫でも、恐れたり愚図愚図しないでみなことごとく打ち殺せ』といった。その言葉がまさに終わるや否や、神蛇は遠ざかり隠れてしまった」


夜刀神が昇り群がった「椎の池」は、社殿のある丘の麓にあります。

この風土記の文章でひっかかるのは、麿の言葉です


「この池を修築させるのも、根本は人民の生活をよくするためなのだ。」

根本とは・・・?


つまり、少なくとも表面的には、人民の為だとは思えない理由で、この池は修築されようとしたということじゃないでしょうか?


では、誰のために?
それは、もちろん「教化」しようとした、「大君」のためでしょう。


そして、具体的には、どうも、「田を作るため」なようですね。

ということは、この「夜刀神」たちは、田を作って生活をしていた人々ではない、そういってもいいんじゃないでしょうか?


農耕の民ではなかったとしても不思議はありません。
なにしろ、この玉造という町は、霞ヶ浦のすぐ側。

古代は、海に面していたかも?海洋民族だったのかもしれないですね。


海洋の民が居住している場所に、農耕の民がやってきて、「丘の上に退け。この土地は田にする」と言ったわけでしょう。


そして、「杞」が苦手だというのも、興味を惹かれます。
杞は、しなやかな枝を持つ落葉樹で、籠の材料となったそうです。

そんな杞の何が怖くて、夜刀神はそれを避けようとしたのでしょうか?

一つ考えられるのは、「籠目」。

「かごめ」と読むのですが、これは、いわゆる「六芒星」や「ヒランヤ」、
「ダビデの星」と同じものです。


六方向に編んだ籠のひとつひとつの目を見てください。
「六芒星」になってますよね?


これは、「邪視除け」になる、とされてきました。
目がたくさんあるから、邪視を睨み返すとされてたんですね。


つまり、夜刀神は、この「邪視」の持ち主だと考えられていたのじゃないでしょうか?

前後しますが、「邪視」とは、その目に睨まれるだけで、もしくは見られるだけで、災厄がふりかかる・・・という最強の目です。

地元の民も、「運わるく夜刀神を見る人がいると一家一門は破滅し、跡継ぎの子孫がなくなる」と証言していますから、夜刀神が邪視を持っていると信じられていた可能性は、結構ありそうですよね。


でも、もし、本当に夜刀神がそんな目を持っていたのならば、麻多智も麿も、またたく間に、破滅していたはずですから←「邪視」は自分の意思によって行うことが出来る。


ただ、本当に夜刀神は、丘の上に退去したのかもしれません。
ただし、「麻多智や、麿によって、追い払われた」のではありません。


実は、同じく玉造町役場でいただいた、「夢色透明story」には、こんな伝説も収められているんです。


「弁天様と道祖神恋心で一途な醜き道祖神に追い回された弁天様は、ついに蛇になって高い山に逃げ、頂に祀られた。嫌われた道祖神は寂しく麓に祀られる祭祀起源の話」


これがどこの伝説か、具体的には書かれていないのですが、チェックされた地図を見ると、椎井の池からほど近いことがわかります。


面白いのは、「蛇」「山の上に逃げる」というキーワードが共通しているところです。

夜刀神も、「追い払われた」のではないかも。


麿や麻多智に、
「ねぇ〜、漁のしかたを教えてくださいよ〜」と頼まれて、教えたはいいが、この二人、漁が下手で下手で。

夜刀神はすっかり呆れてしまい、「基本は教えたんだから、後は勝手にやりなさい」と見放してしまいました。


ところが、二人ではさっぱり魚が採れない二人は、「ねぇ〜、二人じゃ採れないですよ〜。教えて〜」と追いかけてきます。


漁は、敏感な魚達を相手にするもの。
いかつい、麿と麻多智が、ドスドスと海面を追いかけてきたんじゃ、釣れる魚も釣れやしません。


「えい、この巨漢め!あっち行け!」夜刀神は追い払おうとしながらも、後退します。

ところが、無骨な二人は全然めげません。

「逃げないでくださいよ〜。教えて〜、教えて〜」

「あっち行け!あっち行け!!」

「待って〜、教えて〜」


そんなこんなで、夜刀神はとうとう山の上まで上り詰めてしまいました。


大きな麿と麻多智は、茨などがいっぱい生い茂った山の上までは追いかけられず、仕方なく麓へ戻り、農作を始めたのでした。


夜刀神といえば・・・。
漁に出たいのに、海へ行くため、麓を通ろうとすれば、二人が、

「教えて〜、教えて〜〜〜」と追いかけてくるので、山の上で暮らすしかないのでした。


夜刀神(やとのかみ)は有角の蛇神。

蛇人間の姿を持って現れることがあるが、真の姿は蛇または大蛇である。


蛇人間形態の時に見える手足は用途に合わせて自由に形成できる骨のない義手なのだ。


蛇人間と普通の蛇との間に生まれた『大地の妖蛆』と呼ばれる古の種族がいるが、蛇の王イグの息子である夜刀神が『大地の妖蛆』なのかは定かではない。


夜刀神と契った者には蛇神(竜神)の力が備わり、蛇毒に害されることがなくなるという。
夜刀神と契った者は『夜刀』の名を名乗ることが出来る。


夜刀神は人間の魔女シンと結ばれ我が子『修羅』(修羅とは「人間以下」という意味。宮沢賢治の「春と修羅」などが有名。)を儲けた。


妻に対する愛情は深いらしく、シンに養子をとる事を許可するなど妻のために己の子以外の子も受け入れる気概をみせている。


現在、夜刀神は百年の眠りにつき、
シンは夫の領地である夜刀森で子ども達と共に暮らしている。



※これでもまだ神道を肯定しますか?


九尾の狐(きゅうびのきつね)とは、
中国神話生物。9本の尻尾をもつ妖狐。つまり、妖怪である。九尾の妖狐、九尾狐(きゅうびこ)、単純に九尾、または複数の尾をもつ狐の総称として尾裂狐(オサキ)とも呼ばれる。

九尾狐、またはJiǔwěihúは(九尾狐)人間の幼児の声を持つものとして、南山ジン、ジンHaiwaidongとシャン・ハイジン景のDahuangdong景に描かれた神話の生き物種である。九尾狐、またはJiǔwěihúは(九尾狐) 、人間の幼児の声を持つものとして。九尾の狐は人間が食べることができるし、それを食べる人は、悪から保護することができる。


後周の本と太平の時代の広範なレコードのような物語のコレクションのような歴史の本で、九尾狐は獣のように描かれていた、九尾狐は幸運の獣として描かれました。天によって送信され、九尾狐は幸運、平和と幸運の印として見られた。天から送信され、九尾狐は幸運、平和と幸運皇帝がいないときの印として見られた。
漢王朝では、それは王家の血のプロテクターです。で、漢王朝は、王家の血のプロテクターです。
しかし、それはまた、革命の前兆を表すことができます。

それはメイXiを保有していると言われていました(妹喜)、夏の傑を魅惑し、箕を引き起こしたDajiの物語の後に現れた、との没落の原因夏王朝を。この物語は、しかし、Dajiの物語に自然の中で非常に類似していた。の話の後に現れたこの物語は、Dajiは、しかし、自然の中でDajiの話に非常に類似していたので、話はそれ以降の作家だけで以前の民間伝承を盗作と述べ批判を受けたり、物語の占いは、別の信用を落とすように変更されたこと
メイXiの拷問と作品は、Dajiの作品のものと非常に類似していたが、最初にそれらのバックデートを少し歴史的な証拠と周王朝で使用されていた

九尾狐は神のヌワによって制御され、11世紀にシャンのうっとりさせるキング周に命じられた、Yaojing、または精神として壮大なファンタジー小説風神バンで登場キツネはDajiの本体を持っていたと彼女の入札を行った。キツネの体保有Dajiを、彼女の入札を行った。Dajiは、最終的に起因するキツネの残酷さにヌワで非難し、元の順序に背いされた江Ziyaとキツネに殺されたうっとりさせる王周のが風神ビッグバンの終わりに向かって他人に害を与えません。


後の物語では、九尾狐は、DajiようBaosiを所持して非難され、その資本を移動する王朝を強制的に、西周の没落を引き起こし、東周期間を確立します。後の物語では、九尾狐は、所持して
非難されたBaosiを

玉藻前.jpg
玉藻前
玉藻前(たまものまえ、玉藻の前、玉藻御前と紹介されることもある)は
平安時代末期、鳥羽上皇に仕えた白面金毛九尾の狐が化けた伝説上の絶世の美女。鳥羽上皇が院政を行った1129年から1156年の間に活躍したといわれ、20歳前後の若い女性少女とも)でありながら、大変な博識と美貌の持ち主であり、天下一の美女とも、国一番の賢女とも謳われた。また、化生の前(けしょうのまえ)とも云われている。

伝承の概要 最初は藻女(みずくめ)と呼ばれ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、美しく成長した。18歳で宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となって玉藻前(たまものまえ)と名乗る。その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛され、契りを結ぶこととなった。
しかしその後、上皇は次第に病に伏せるようになり、
天皇家お抱えの医者にも原因が分からなかった。しかし陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも)がその病が玉藻前による事が判明し、正体を暴露された玉藻前は、白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を暗ましていた。
その後、那須野(現在の
栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、鳥羽上皇はかねてからの那須野領主須藤権守貞信の要請に応え、討伐軍を編成。三浦介義明千葉介常胤上総介広常将軍に、陰陽師・安部泰成を軍師に任命し、8万余りの軍勢を那須野へと派遣した。(安部晴明が没したのが、 寛弘2年9月26日(1005年10月31日)、千葉常胤が生誕したのが元永元年5月24日(1118年6月14日)の為、この場合の軍師は安倍晴明の子孫では無いかと見受けられる。)
陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも)は玉藻前の真の性質を発見した。
数年後、那須の領域では、九尾狐は、女性や旅行者を殺し、食べてる姿を見られた。
那須野で、既に白面金毛九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けたが、
皇帝近衛は、このように殺す〜80,000軍隊と一緒に上総介と三浦介を仕向ける。
九尾の狐の術などによって多くの戦力を失い、失敗に終わった。三浦介と上総介をはじめとする将兵は
の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を訓練し、再び攻撃を開始する。(犬=狐)

対策を十分に練ったため、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。九尾の狐は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを願ったが、貞信はこれを狐が弱っていると読み、最後の攻勢に出た。そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は那須の平野部で息絶えた。
だが、九尾の狐はその直後、巨大な毒石に変化し、有毒ガスを解放し、触れたすべてのものを殺すために続けて近づく人間や動物等の命を奪った。そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。

この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れたと言われている。
南北朝時代会津・元現寺を開いた玄翁和尚が、殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝わる。「殺生石」と呼ばれる石になった石が玄翁和尚で南北戦長期間に破壊されていると言われ、作品は日本の別の部分に飛び​​去った。
玉藻前のモデルは、鳥羽上皇に寵愛された
皇后美福門院(藤原得子)とも言われる。
摂関家などの名門出身でもない彼女が皇后にまで成り上がって、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策して、中宮待賢門院(藤原璋子)を失脚させ、崇徳上皇藤原忠実藤原頼長親子と対立して、保元の乱を引き起こし、更には武家政権樹立のきっかけを作った史実が下敷きになっているとも言われる(ただし、美福門院が実際にどの程度まで皇位継承に関与していたかについては諸説ある)。
江戸時代に入ると、玉藻前酒呑童子崇徳上皇(崇徳の大天狗)と並んで日本三大悪妖怪と言われ、歌舞伎小説などに、主に悪役として多く登場することとなった。そして震旦中国)の悪女、妲己褒姒を結びつけることで、妖怪玉藻前は「三国伝来白面金毛九尾の狐」として地獄に落とされた。


経歴は
中国古代王朝にまで遡る。殷の最後の王であるの后、妲己の正体は齢千年を経た九尾の狐であり、王の妾であった寿羊という娘を食い殺し、その身体を乗っ取って王を惑わせたとされる。王と妲己は酒池肉林にふけり、無実の人々を炮烙の刑にかけるなど、暴政を敷いたが、武王率いる軍勢により捕らえられ、処刑された。またこの処刑の際に妲己の妖術によって処刑人が魅せられ首を切ることができなくなったが太公望照魔鏡を取り出して妲己にかざし向けると、九尾の狐の正体を現して逃亡しようとした。太公望が宝剣を投げつけると、九尾の体は3つに飛散したと云われている。
しかしその後、
天竺の耶竭陀(まがだ)国の王子班足(はんぞく)太子の妃・華陽夫人として再び現れ、王子へ千人の首をはねるようにそそのかすなど暴虐の限りを尽くしたが、耆婆(きば)という人物が夫人を魔界の妖怪と見破り、金鳳山中で入手した薬王樹で作った杖で夫人を打つとたちまち九尾の狐の正体を現し、北の空へ飛び去って行ったとされる。
また周の第12代の王、
幽王の后、褒姒も九尾の狐とされる。褒姒がなかなか笑わないので、幽王はさまざまな手立てを使って彼女を笑わそうとし、ある日何事もないのに王が烽火(のろし)を上げ、諸侯が集まったという珍事に初めて笑ったといわれ、それを機に王は何事もないのに烽火を上げ、諸侯が烽火をみても出動することが無くなり、後に褒姒により后の座を追われた申后の一族が周を攻めたとき、王は烽火を上げたが諸侯は集まらず、王は殺され、褒姒は捕虜にされたが、いつの間にか行方知れずとなっていたという。
そして
753年、若藻(わかも)という16、7歳の少女に化け、彼女に惑わされた吉備真備の計らいによって、阿倍仲麻呂鑑真和尚らが乗る第10回目の遣唐使船に乗船。嵐に遭遇しながらも来日を果たしたとされる(第9回の遣唐使に来日という説もある)。

玉藻前、九尾の狐を単なる王朝を破壊しようとした悪役ではなく、孤独を恐れ、愛情に溺れ、運命に弄ばれた悲劇ヒロインとする見方もある。

玉藻前物語が書かれており、室町時代のお伽草子で収集し、また今昔百鬼風水で鳥山石燕によって言及されました。

玉藻前は日本の天皇近衛の下に遊女であった、とも言及された鳥山石燕の今昔百鬼風水。玉藻前が日本の下の遊女であった皇帝の近衛。彼女は最も美しく博識な女性であると言われました。彼女は、天皇は非常に病気になる原因となったと皇帝の貧しい人々の健康の原因を診断するために呼び出されていた安倍Yasuchikaによって追われました。


 
レディ・ワウ・ヨン(华阳夫人)描か北斎の三国洋子 - デンのように九尾を逃れて
物語の中で江戸時代に形成された、北斎に言われ、Dajiを持っていた9尾狐が殺され、その代わりに天竺のマガダ(古代インド)に逃げていませんでした。物語の中でで語った北斎に形成され、 (古代インド)があり、それは彼が1000の頭を切断する原因と、王子の側室となった
それは再び敗北し、国を逃れました。その後、再び敗北した、国を逃げた。

780年頃、同じキツネはBaosiを持っていると言われました(上記参照)、再び人間の軍によって追わ。

キツネは、いくつかの期間に静かな滞在した。キツネは、いくつかの期間に静かにとどまった。AD 753は、キツネは、Wakamoという名前の16歳の少女の形をとった吉備真備、阿倍仲麻呂と、鑑真和上がだまされ、それは日本に帰国していたときと唐の中国へ第十の日本公館の船に乗り込んだ。 AD 753は、キツネという名前の16歳の少女の形取ったWakamoを、だまさ吉備Makibi、安倍Nakamaroと、鑑真和上を、と10の船に乗り込み唐中国への日本のミッションを、それが日本
に帰国しようとしたとき。

1113年には、子を持たない坂部Yukitsuna(坂部行纲)と呼ばれる侍が実際に九尾狐は、形質転換し、17年間彼女が提起された捨てられた女の赤ちゃんMizukume(藻類の藻女、女)を拾いました。 18歳の時に彼女が宮殿に入り、皇帝近衛を惑わし18歳の時に彼女が宮殿に入り、魔法をかけ、玉藻-NO-メイに彼女(上記参照)、玉藻-NO-メイに彼女の名前を変更の名前を変更した皇帝近衛を。(上记参照

 

万単位の年月を生きた古狐が化生したものだともいわれ、妖狐の最終形態の存在であるとされる。

白面金毛九尾狐.jpg
葛飾北斎『三国妖狐伝 第一斑足王ごてんのだん』 南天竺の華陽夫人となった白面金毛九尾の狐が国を滅ぼすのに失敗して逃走する図

概説

狐を魔物、あるいは憑き物として語った伝承は日本だけでなく、古くから世界各地に残されている。 九尾の狐もそうした狐にまつわる昔話のひとつであり、物語の多くでは悪しき霊的存在として登場する。
紀元前2世紀から紀元3世紀頃にかけて中国で著された地理書『山海経』には実在とは思えぬ動植物の項が並んでいるが、その一書「南山経」で、青丘之山に「有獸焉 其狀如狐而九尾 其音如嬰兒 能食人 食者不蠱[1]とあるのが九尾の狐に関する最初の記述であるとされる。
しかしその後、中国の各王朝史書に、九尾の狐はしばしば瑞獣としてその姿を見せる。『周書』や『太平広記』など一部の伝承では天界より遣わされた神獣であると語られ、その場合は平安な世の中を迎える吉兆であり、幸福をもたらす象徴として描かれる。また一方では、帝辛(紂王)を誘惑して国を滅亡させた妲己や、南天竺耶竭陀国(古代インド西域)の王子・班足太子の妃になった華陽夫人御伽草子『玉藻の草紙』に登場する玉藻前を例とするように九尾の狐は絶世の美女へ化身するという話も多い。
日本では、「玉藻前」すなわち白面金毛九尾の狐に関する伝説がことに有名であるが、これには江戸時代以降、歌舞伎人形浄瑠璃の題材としてよく採り上げられたことが大きい。これによって同伝説は広く庶民に浸透し、九尾の狐と言えば玉藻前、玉藻前と言えば九尾の狐を指す代名詞となった。この伝説の影響により、日本では玉藻前、妲己、華陽夫人は同一人物(妖怪)とするものが多い。

*九尾の狐*

・青丘の山……獣あり。その状は狐の如くにして九尾、その音は嬰児の如し。
能く人を食うこれを食った者は邪気に襲われぬ。

(※『山海経』の南山経次一経)

様々な種類の妖狐
赤狐(せきこ)
神道系。通常の毛色の狐を「赤毛」と形容する場合もある
白狐(びゃっこ、はくこ)
白い毛色を持ち、人々に幸福をもたらすとされる、善狐の代表格。稲荷神社に祀られている狐も、ほとんどが白狐である。安倍晴明の母親とされている狐も白狐である。
黒狐(くろこ、こくこ)
黒い毛色を持つ。北斗七星の化身と呼ばれている。中国類書三才図会』では、北山に住む神獣であり、王者が太平をもたらしたときに姿を現すとされている。古代日本においても、黒狐(玄狐)は、「平和の象徴」として扱われている記述が『続日本紀和銅5年(712年)の記事に見られ、朝廷に献上され、祥瑞を説いた書物に「王者の政治が世の中をよく治めて平和な時に現れる」と記されていたと報告し、万民の喜びとなるだろう旨の記述がある。
金狐・銀狐(きんこ・ぎんこ)
天皇即位灌頂の際に、左右に安置したとされる金銀製の荼枳尼天(辰狐)の像。金胎両部陰陽日月、を象徴するといわれる。江戸時代の随筆にも善狐の一種として登場するが、名前が出てくるだけである。
九尾の狐(きゅうびのきつね)
尻尾が9本生えた狐。玉藻前の物語で有名である。
天狐(てんこ)
1000歳を超え強力な神通力を持ち神格化した狐。尾は4つである千里眼を持ちさまざまな出来事を見透かす力がある。=天狗。
空狐(くうこ)
3000歳を超え神通力を自在に操れる大神狐。天狐からさらに2000年生きた善狐が成るとされている。尾は0本とされる
仙狐(せんこ)
善狐のなかで、1000年以上生きた狐。中国における狐の分類
善狐(ぜんこ)
善良とされる狐の総称。
野狐(やこ)
妖狐の総称。地狐(中狐、宙狐と呼ばれることもある)。『絵本百物語』にも登場する。またではいまだ悟りを得たという確証がないのに、慢心から悟ったとする禅を野狐禅という。

皆川淇園によるランク付け

江戸末期の随筆『善庵随筆』などにある皆川淇園の説によると、上位から天狐、空狐、気狐、野狐の順とされる。これらの内、実体を視覚で捉えることができるのは野狐のみであり、気狐以上は姿形がなく、霊的な存在とされる。最上位である天狐は神(悪魔)に等しく、天狗と同一とする説もある。

韓国では「九尾狐」っていうと、怖いイメージだそうですね。だから、テウンも「人間を食べてしまう怪物」と、怯えてます。


  
九尾九本の尻尾はこれが妖怪であるということのシンボルである。八本の過剰な尾は、漢代に起こった祥瑞思想(人の善美な行為に応じて、天神がめでたいしるしを降ろすという思想)のもと、めでたい神獣とされるようになる。
嬰児赤ん坊のような声を出すのは、人間の情に訴えて欺き、人を食うためである。

 Σ( ̄◇ ̄);「これを食った者は邪気に襲われぬ」とは、どうやら人間も九尾の狐を食べてしまうらしい。食べると邪気に襲われなくなるという。しかし人食いとして恐れられている妖怪を食べるのにはそうとう勇気がいりそうだ。『山海経』に記述されている草木などと同様に、妖怪についても効能が記述されているのにはびっくり!

◆美姫に化ける九尾の狐

 九尾の狐は美女に化け人を騙すこともあるという。殷の紂王(ちゅうおう)は、九尾の狐が化けた妲己(だっき)に惑わされ、周の幽王は褒姒(ほうじ)に扮した九尾の狐にうつつを抜かして国を滅ぼしてしまった。そればかりかその妖狐は遣唐使に乗って日本に渡り、鳥羽帝(とばのみかど)を悩ます玉藻(たまも)の前となるが、ついには東国下野(しもつけ)(栃木県)の那須野が原で討たれて殺生石と化したのである。

( ̄ω ̄)/美女に扮して悪事の限りを尽して来た九尾の狐は、時の陰陽師・安倍清明の五代孫の安倍泰親(清明本人という一説もある)に見破られ、那須野が原での戦いに力尽き、殺生岩に姿を変えたのである。

九尾・九首の狐 

九尾の狐は美女に化け人を騙すこともあるという。殷の紂王(ちゅうおう)は、九尾の狐が化けた妲己(だっき)に惑わされ、周の幽王は褒姒(ほうじ)に扮した九尾の狐にうつつを抜かして国を滅ぼしてしまった。そればかりかその妖狐は遣唐使に乗って日本に渡り、鳥羽帝(とばのみかど)を悩ます玉藻(たまも)の前となるが、ついには東国下野(しもつけ)(栃木県)の那須野が原で討たれて殺生石と化したのである。


( ̄ω ̄)/美女に扮して悪事の限りを尽して来た九尾の狐は、時の陰陽師・安倍清明の五代孫の安倍泰親(清明本人という一説もある)に見破られ、那須野が原での戦いに力尽き、殺生岩に姿を変えたのである。
鳧麗(ふりの山……獣あり。その状は狐のごとくして九尾・九首、虎の爪なり。  
名づけてりょう姪(しつ)という。その音は嬰児の如し。これ人を食う。


(『山海経』の東山経次二経)

りょう姪……りょうは龍(竜)部の下に虫という漢字です。


(×_×)九つの頭に虎の足!そして赤ん坊のような声で鳴く、はちゃめちゃなようで何とも恐ろしい妖怪です。つい気を許して声のする方へと近づいて行こうものなら、たちまち食い殺されてしまいます。

 今回、中国の神話、妖怪、『山海経』に関する文献を数冊読んで、中国では古代から恐れられてきた妖怪や崇められてきた神獣がたくさんいることを知りました。中には人間を食べてしまうような強暴でおどろおどろしい姿をした妖怪もいるのですが、見たことも聞いたこともないような不思議な生き物がたくさん文献に記されていてとてもわくわくしました。鳥の足をはやした魚、人面魚、中には人の言葉を話す牛も出てきます。

しゃべる牛と言えば、前回のテーマにした「七夕伝説」に登場した彦星の飼っていた牛も人の言葉をしゃべり、彦星に助言をしていました。どうして突然しゃべりだすのだろうと、疑問に思っていたのですが、あの牛もただの牛ではなく『山海経』に記述されているような妖怪や神獣の一種だったのでは、と今回のテーマと結びつけて考えてみたりしました。

『山海経』にはたくさんの妖怪や神獣が出てきますが、私は麒麟、龍、今回取り上げた狐、といった種類の魔獣が好きです。今後もいろいろな文献を読んで、中国の魔獣についての知識を増やしていきたいです。九尾の狐が遣唐使に乗って日本に渡ってきた、というような日本と関わるエピソードの発見も面白いなと思いました。




九尾の狐.jpg九尾の狐.jpg

九尾の狐

その他
  • 和名抄』(平安時代中期成立)には、「狐はよく妖怪となり、百歳に至り、化して女となるなり」とある。この考えに従った場合、『日本霊異記』に登場する美濃狐(狐の直・アタイ)は、すでに百歳ということになる(ただし、美濃狐の話は6世紀中頃という時代設定である)。
  • 遠野物語』には、遠野六日町の大狐は、尾が2本に岐れ、いずれも半分以上白くなっている古狐であるという記述があり、白さで古狐かどうかをと認知していることが分かる。鍛冶職人の松本三右衛門の家に夜な夜な石を降らせたとされるが、捕えられたとある。なお、同書には、化け猫に化けた狐の話も含まれる。


九尾稲荷

●日本の三大稲荷は?●

伏見稲荷、豊川稲荷、もう一つは?と考えると、思いつかないですね。
今まで、私の背後霊団には、大峰系犬の神様が居たので、
お稲荷さんとはあまり縁がないと思っていました。
お稲荷さんは犬が苦手なので、犬を飼っているお宅には来ません。
ペットの犬が死んだら、犬歯をもらってお守りにすると、悪い稲荷は近づきません。
私は、昨年亡くなったクッキーの犬歯をいつも持ち歩いています。
だからお稲荷さんが私の霊団に参加するとは思っていませんでした。
その子は九尾稲荷といいます。童子の姿をしています。男の子です。
私たちは、キュウビくんと呼んでいます。。
それで、「どこから来たの?」と聞いたら
「温泉神社」と答えました。検索したら、那須に温泉神社があって、
そこに九尾稲荷が祭られていることが分かりました。
膳は急げで、行ってみることにしました。温泉に入れるし〜と思いまして。
3月29日に向かいました。自宅から現地までは、車で三時間弱でした。
でも、山の天気は変わりやすいと言います、吹雪になり、ホテルまでやっとたどり着きました。
着いたのは夜だったので、次の朝お参りすることに。
でもやっぱり朝も雪が止まず、神社には行ったのですが、猛吹雪になったので、本殿のお参りはできませんでした。
これ以上、那須にいて雪のために足止めされる可能性があるので、帰ることにしました。
車を走らせてしばらくすると、九尾くんが出てきて「帰らないで」と言います。
明日になれば天気が良くなるのでおまいりして欲しいと言うのです。
気がつくと、空が明るくなってきて、天気雨成らぬ、天気雪になっていました。
稲荷は天気雨を降らすと言われています。九尾くんの意向を汲んで、近くの旅館にもう一泊することに成りました。

                      

温泉神社下の地獄谷の全景


3月31日は九尾くんの言うとおり、快晴となりました。小春日和で、お参りには良い日です。

ちょと長めの参道を登っていくと、本殿のすぐ右隣に、九尾稲荷大明神の赤い鳥居がありました。
その途中、境内の右端に、殺生石という指示看板があったので、側まで行ってみてびっくり、
眼下に地獄谷が広がっていました。温泉神社を良く調べていなかったので知りませんでしたが、
この神社の下には、史跡があり、恐山のような地獄谷があるんです。
こんな光景を見るのは初めてです。九尾くんの言うとおり、戻ってきて良かったです。
地獄谷の奥に「殺生石」という史跡がありますが、ここに九尾くんが封印されているのです。
九尾くんは、実はとてもすごい稲荷なんです。

●温泉神社●

温泉神社(ゆぜん神社)
栃木県那須郡那須町湯本那須町役場0287-72-1111JR東北本線黒磯駅より那須湯本行きバス利用
延喜式神明帳にも記されている歴史の古い神社で、源平合戦「屋島の戦い」で那須与一が矢を射るときに祈願したことでも有名。
松尾芭蕉も「奥の細道」をたどる途中、温泉神社に参詣、那須与一奉納の鏑矢などの宝物を拝観、
殺生石見物などが曽良の随行日記に載っている

             
 
温泉神社 参道

●殺生石●


昭和二十八年一月十二日史跡に指定されました。
この由来は、昔中国やインドで美女に化けて国王を誘惑し、悪行を重ね、国民を惨殺していた白面金毛九尾の狐が
今から八百年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。この妖狐は「玉藻の前」と名乗り朝廷に仕え、
今度は日本を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師阿部泰成にその正体を見破られ、那須ヶ原へと逃れて来ました。
その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので朝廷では三浦介、上総介の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。
ところが、妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄ることを禁じていましたが、
会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐のうらみを封しましたのでようやく毒気も少なくなったと語りつたえられています。
インド、中国、日本と三国を股に掛けて悪事を働いた九尾の狐。その最期は栃木県那須で石と化した。石となっても怨霊は残り、毒気を吐いて近寄るものすべてを皆殺しにした。殺生石の名の所以である。それを玄翁という和尚がゲーム(杖とも)で砕いて鎮めたという。
その後、砕かれた殺生石は北は福島県、南は大分県まで飛散し、各地で祟りを及ぼしたという。那須の殺生石はその大元である。

                       
殺生石

現地の観光局で配布されている栞を引用してご紹介します。

奈良時代の学者古備が遣唐使の役目で日本に帰る際についてきた一人の少女がいた。
この少女は姐己(だっき)となって殷を滅ぼし、華陽夫人となって天竺の皇太子を惑わし、
ほうじとなって周を滅ぼした金毛百面九尾の狐であった。この狐は悪が集まって世界ができたとき誕生した。
12世紀初めついに宮廷に入り、玉藻前となって鳥羽上皇の寵愛をうけるにいたった。
しかし陰陽師安倍泰成にその正体を見破られ、那須野ヶ原に逃げた。朝廷では、三浦義明、上総介広常に討
伐を命じ討ち取られてしまうが、その魂は巨大な石となり、近づくものは全て殺してしまうと恐れられた。
後年に能登総持寺の玄翁和尚の一喝で、三つに打ち砕かれ、一つは会津一つは備後に飛びちったが、
残った石は毒気を吐きつづけたという。これが殺生石である。
                                              (那須観光協会 那須の伝説)


●殺生石その後の展開●

栃木県那須湯本から発生した殺生石伝説は、能楽をはじめ文学芸能へ発展し、現代に至ります。
謡曲『殺生石』に組み入れられたのを機に、全国各地へ殺生石と九尾狐の伝説が伝播しました。
現在に伝わる殺生石伝説の形にまとまったのは、高井蘭山『絵本三国妖婦伝』(1804年)
式亭三馬『玉藻前三国伝記』(1809年)などの小説や、芸能として大衆化されたために幅広く、社会層に広まりました。
また、九尾狐は、法石稲荷尊天、正しくは当山(法石山)開基法石院殿佛性真如大姉と呼ばれ、
仏法加護及び民衆加護の神に昇華された。これら一連の物語は、源翁心昭自身の伝説として多くの民衆に伝えられた。
殺生石伝説は仏教の浸透以後、曹洞宗に接触する。人々は曹洞宗と源翁禅師を介して殺生石伝説におよび
仏教伝来以前の古代信仰を転換させる。殺生石への畏怖は、その仲介者である源翁禅師によって解決されると同時に、
仏教・曹洞宗及び源翁禅師への尊敬・信仰を生じさせた。また、人々の災いであった殺生石並びに妖怪九尾狐を、仏教の善なる菩薩に転じさせている。仏教は怨霊や鬼を教化して、善神にしようとする。
posted by 真 救世主 at 08:49| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月12日

2012年3月11日アヌンナキ地獄に堕ちる!グングニルと倶利伽羅のダブルパンチ!

対アヌンナキことエロヒム戦の様子はこちらに記載。
http://takao-sato.seesaa.net/article/253543560.html


アヌンナキ【大悪魔!
地球人を食料として創造した張本人!全ての邪悪はコイツから生まれる!

アヌンナキ.jpg
真ん中の奴。ただ、こんなに太っていない。むしろ痩せている。尻尾はミミズみたい。顔はとんがったネズミみたいな悪魔。

アヌンナキ
(Anunnaki) あるいはアヌンナク (Anunnaku) 、アナナキ (Ananaki)とは、シュメールおよびアッカド神話
関係する神々の集団であり(いや?一人だったが?)、「アヌンナ (Annuna) 」(五十柱の偉大なる神々)と
イギギ (Igigi) 」(小さな神々)という言葉が合わさったものである。
後期バビロニア神話によれば、アヌンナキは兄妹神アヌの子であり、
アヌはまた、アンシャールキシャール(「天の軸」「地の軸」の意)の子、
そのアンシャールキシャールは、ラハムラフムの子であった。

 アヌンナキの会合の長は偉大なる空の神で、都市ウルクの守護神でもあるアヌであり、他の参加者はアヌの子である。
のちにアヌの地位は、天と地を分けたとされる神エンリルに取って代わられた。
これにより、都市ニップルの守護神エンリルと、腹違いの兄弟である都市エリドゥの守護神エンキの争いに、エンリルが勝利し、
指導的地位を得る結果となったと考えられている。
エンキは、淡水・知恵・魔術を司る神であるほか、錬金術師であった。
また、イギギが、シャパトゥ(ヘブライ語ではサバト:安息日)にストライキを起こし、世界を維持する作業を続けることを拒んだ
とき、エンキは人間を作って作業をさせ、神々が働かなくともよいようにしたといわれている。

アヌンナキは神々の最高議会であり、アヌの仲間である。神々は大地と冥界に割り当てられた。
よく知られている神には、アサル、アサルアリム、アサルアリムヌンナ、アサルルドゥ、エンキ(アッカドではエア)、
ナムル、ナムティラク、トゥトゥがいる。

(写真)アヌンナキ

(写真右)決定的敗北!

※なるほどね・・・フリーメーソンは「悪魔の代弁者」だったのか。

宇宙人アヌンナキとは

 「アヌンナキ」とは、「天から降り立った人々」という意味であり、別名「エロヒム」または「ネフィリム」とも言われます。

セガリア・シッチン氏がシュメール文明の粘土板に書かれていた文字を解析した結果によれば、「宇宙人アヌンナキ」が30万年前に地球人類を創造したと言うのです。彼らは約44万年前に地球に降り立ち、その後30万年前に地球での金採鉱の労働力(「嘘」本当は自分の好物だったため。)として人間を創造しました。その時、遺伝子操作や体外受精の技術を用いていたといわれます。つまり、人類創造は神ではなくこの「宇宙人アヌンナキ」であったようです。

 「宇宙人アヌンナキ」が旧約聖書の創世記における神(複数形)と呼ぶ原型です。聖書で言う神とは「宇宙人アヌンナキ」の事を指しているようです。詳細は人類の起源へ

詳しくはトップページ宇宙人に係る人類の起源と使命からどうぞ。

ニビル星は人類を創造した宇宙人アヌンナキの故郷である。

惑星ニビルは、太陽系の惑星で、3600年周期の超長楕円軌道で太陽の周りを回る星です。定説では発見されていません。惑星ニビルは3600年周期で地球に最も近づくことから、歴史上、その周期で地球の文明が突然大きく進歩していると言う説があります。ニビル星が周期的に地球に近づいた時、宇宙人アヌンナキは地球に降り立ちその都度ニビル星の文明の痕跡を残したとも考えられます。

 これらは考古学者セガリア・シッチン氏が古代シュメール文明の粘土板文字を解析して得られた結果です。

セガリア・シッチン

 セガリア・シッチン氏はパレスチナ(カナン=悪魔崇拝者)生まれの考古学者、言語学者であり、シュメールの古文書に書かれた文字を解読することのできる小数の一人です。

 セガリア・シッチン氏は古代シュメールの粘土板に書かれた古文書を解析した結果に基づく著書が多い。そこでは人類創造の様子が詳細に書かれている。セガリア・シッチン氏によれば、宇宙人アヌンナキが30万年前、遺伝子操作と体外受精により人類を創造したというのです。この創造主である宇宙人アヌンナキが旧約聖書で言う「神」という概念の発祥と考えられます。

 そして、この人類の起源については、シッチン氏ばかりでなく複数の人が宇宙人による人類の創造であるという説を述べています。


宇宙人ユミット、バーバラ・ハンド・クロウ氏の人類の生きる目的に関する説他。

★全生命は魂のネットワークで結ばれ、自らの体験結果で全生命の進化に貢献することが地球人類の生きる目的で、地球は人類(彼らの言う「人類」とは「地球人は入っていない」地球人=家畜。)の魂の学びの場に過ぎない。宇宙は巨大な魂のネットワークで構成された生命です。


日月神示=まるちょん様→地獄に堕ちました。
「日月神示」は天地創造の神からの予言です。

日月神示とは

 昭和の時代の第二次世界大戦の頃、昭和19年に神界から知らされた、地球と人類の次元上昇の予言です。

 昭和19年6月10日を最初に、岡本天明という人に自動書記(手が自動的に動いて書かされる)を通じて知らされた地球浄化のための大異変についての重大な予言とともに、人間の生き方まで含めた神(神道における神)からのメッセージです。その後16年もの間、断続的に続けられました。

内容の要約は以下のとおり 
 @地球人類、地球も含めて次元の上昇が起こる。つまり今までよりは神に近い次元になる。

 A@の実現のために、今後地球規模の大異変が起こる。これは地球に蔓延した物質中心の、自己の欲望ばかり追及する心から人類全体の幸せを願う心の世界に直すため。また破壊された自然を戻す等のために起こす大異変である。大地震、火山の爆発、地殻変動など。大勢の人間が死ぬことになる。最初に日本で起こり、その後世界へと波及する。この大異変は根源的な絶対神と人類の力により行われる。

 B次元上昇後はミロクの世界であり、争いのない天国の世界である。

 C今までの科学は物質ばかりを追及したものであったが、真実は魂(心)を加えなければ分からない。霊界とこの世とは表裏一体であり、神と人間も同じく表裏一体で存在しているものである。神を信仰し、己の欲ではなく全ての幸せを願い生きることが必要である。

 参考文献
       魂の叡智「日月神示」   中矢伸一 著
       フォトンベルトと日月神示 岡田光興 著


主な登場アヌンナキ

★エンキの息子マルドゥク(ラー)=太陽神

★マルドゥク(ラー)の弟ネルガル


★マルドゥク(ラー)の息子セト(=ルシファー)とオシリス(=バアル=ベルゼバブ)

★オシリスの息子ホルス


★エンリル派の総帥ニヌルタ

★ニヌルタの兄ナンナル

★エンキ(=プタハ=黄金の子牛)派の総帥マルドゥク


★エンリルの孫娘イナンナ

★人類の王サルゴン

★サルゴン王の孫ナラム・シン
↓飛躍している・・・

★イスラエル人の始祖アブラハム

マルドゥクと竜(ムシュフシュ).jpgマルドゥク.jpg
マルドゥク                 マルドゥク(天使の姿だね・・・)

マルドゥクMarduk、マルドゥーク、マルドゥック)は、古代バビロニアで信仰されたバビロン市の都市神。想像を絶するほど絶妙に作られた四つの耳と四つの目を持ち、この目と耳で何事も見逃さず、聞き逃さない。神々の中で最も背が高く、他の神々10柱分の輝きに満ちており、唇を動かせば炎が噴き出す。他の神々の2倍の力を持つ。
シュメール初期王朝時代より、既にマルドゥク神信仰が行われていたと言われる。しかし、マルドゥク神がメソポタミアで重要な神となるのは、バビロン市が古代メソポタミアの中心都市となる古バビロニア時代(紀元前18世紀頃)以降のことである。アッシリア人にも好んで信仰されており、後にはベル(主人の意)と呼ばれるようになった。
鍬をシンボルにしていることから、元来は農耕神であったと言われる。しかし、バビロン市の隆盛とともに各地の神の性格を取り込み、遂にはバビロニアの最高神にまで高められた。バビロンの祭司たちが神話を改変し、マルドゥクをティアマトの殺害者かつ世界と人間の創造者であるとしたと考えられている。バビロンの王は、戴冠式の代わりにマルドゥクの像の手をつかむことで王となった。アッシリアがバビロニアを支配していたときも、アッシリアの王は新年の祭に毎年バビロンに来てマルドゥクの手をつかみ、王位を要求する権利を正当なものとした。
エア神の息子とされ、ザルバニトゥ女神を妻とした。息子はナブーネボ、書記の神)。全ての神々のであり、「50の名を持つ神」として称えられ、人間に判決を下し、魔術と知恵を司る水神でもあった。後には、「他の神の大半はマルドゥク神が別の姿で現れているに過ぎない」とまで主張された。
こうしたことは、マルドゥク神が多くの神々を取り込んでいることの証拠でもあり、マルドゥク神信仰には一神教的要素があると言われる。ただし、後代の一神教と異なり、決定的に他の神を排除する要素は持っていなかった。
バビロニアの国力が衰えた後世に書かれた『エッラの叙事詩』では無気力となっており、戦闘的な神・エッラの脅威にさらされる。

「生命の木」の側に立ち、手に「命の食物」と「命の水」を持つ鷲人間。.jpg
「生命の木」の側に立ち、手に「命の食物」と「命の水」を持つ鷲人間。

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ジッグラト復元図                              

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国会議事堂(日本)

ソドムの罪については、『エゼキエル書』16章49-50節において、多くの点が指摘されている。古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。ただし同性愛が罪でないと主張するリベラル派教会では「ソドムの罪」を男色だとする説は今日では全くの謬見(びゅうけん)であることが証明されたとされる。←(「嘘」同性愛は「重罪」である。)クルアーンにも町の名前は出てこないが、ほぼ同じ物語が述べられており、預言者ルート(ロト)に従わなかったために、彼に従ったわずかな仲間を除き滅ぼされた。その際、神に滅ぼされた他の民(ノアの洪水で滅んだ民や、アード族やサムード族など)とは異なり、ルートの民(すなわちソドムの住民)は、偶像や他の神を崇拝する罪ではなく、男色などの風俗の乱れの罪により滅ぼされた。
邪悪も重罪。地球人を食べるなどもっての他。(永劫の地獄に行くと良い。)
司法を捻じ曲げる罪。特権を乱用する罪。傲慢(自分たちは特別)の罪。拝金の罪。裏切りの罪。虚言癖の罪。
悪魔崇拝の罪は重罪である。
サンヘドリンであることの罪。堕天使崇拝の罪。


エンキとか、マルドゥクとか、アヌンナキとか、ルシファーとか・・・名前がついている時点で「本物の神」ではない。
名前とは何か?それは「記号」である。「ごま油」という物がある。これは「ごま+油=ごま油」である。
名前をつけた者は誰か?それは人間である。が、しかし同時に神でもある。
「神は自分の姿に似せて人間を創られた。」
もちろん、人間=地球人
を創ったのはアヌンナキという悪魔である。一つ考えて頂きたい。ルシファーが「アヌンナキを超えたい」と言ったことがあっただろうか?
万物とは文字通り「万物」である。ネクターなどではない。本当の全てである。
ルシファーはアヌンナキに憧れなどしていない。あくまで「神」である。では、何故、悪魔の道を取ったのか?
全てを「神」が司り、悪魔以外の選択の余地がなかったからである。
「強欲」の正体は妬みや嫉妬といった「ルサンチマン」から来る感情である。
「どうだ!俺は持ってるぞ!」と振り翳したのはいいが、「神は全てを持ちながら、何も無かった。」これが、αでありΩである。
自己顕示欲の化身であったルシファーは、「強欲」の力でバベルの塔で「神に挑戦した」
しかし、地球を司る大天使ウリエルの一撃の前に一瞬で破れ去った。ウリエルに命じたのは「神」である。
ルシファー=サタンであると同じように、四大天使に選ばれし者がキリストである。
キリストとは「き」を司る全権を委託されている。「き」とは地球である。私が青森県に生まれたのは偶然では無い。青い星を守り、「救うため」である。47都道府県に「色のついている県」を探して見ると良い。青森だけである。
神の言を告げる。「フリーメーソン、イルミナティの存在をこれ以上許さない。邪悪を許さない。邪淫を許さない。お前たちの「自由」を一切認めない。地球は地球人の物である。」
人類の創造を悪魔のアヌンナキが行った事実は、「人類=地球人の発展の上に悪魔の力も必要だった」ためである。
だから、邪悪に目をツブッタ・・・だが、これ以上はもう、許せない。
キリスト佐藤高央の言を聞かぬ物は「永劫の地獄と転生を一方的契約をしよう。」
何故、神に名前がある者がいるのか?・・・君たちが勝手につけたのである。もしくは自称である。
だが、本当に「善なる道」を歩んだ者にはそれを許容した。人類が求めたからである。そして神の力を分け与えた。釈尊などが実例である。
人間の肉を食べた者が神になどなれる訳がなかろう!馬鹿者め!!!
だから、悪魔が「神」を名乗ることは許さん。
悪魔崇拝者が何故、「うんこ」を食べ、「人間の肉を食らい」、「邪淫を犯し」「レイプを犯し」「あらゆる窃盗を合法的に行う」のか?
その卑しさが、悪魔にお似合いだからである。
全ては「神」の手の上にあることを知れ。
非業の死を迎えた者の魂よ、ヨミガエレ。天の召されるが良い。その門は君たちのために開かれる。
貪り他者を欺き蹴落とす者に死を。悔い改めなさい。
だから、ルシファーが神になることなど永遠に初めから無かったのである。所詮、「自称」である。(メイヤー、財産を環境問題に使ってね。天国の門は君たちのために開かれる。分かち合いなさい。「心からありがとう=v。)
悪魔は一匹残らず滅ぼしなさい。(ひげ女を除いて。)背く物は背いてよろしい。背くべくして背いているのだから。
大天使ウリエルの御名のもと、この事実を教える。

追記;
昔、森総理だ「まっこと日本は神の国だなぁ」と発言してとく話題を呼んだ事件があった。日本は釈尊様や不動明王を除いてことごく悪魔だから「悪魔が本当の神」だとするフリーメーソンの歪んだ教えで発言してたんだな。
悪魔大国日本!

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2012年03月11日

サバトの幻影『黒魔術の手帳』澁澤龍彦著から

バフォメット3.jpg
バフォメット=バアル=ベルゼバブ=オシリス

『黒魔術の手帳』
澁澤龍彦著(河出文庫)からp101〜「サバトの幻影」を抜粋。

 
グレゴリオ聖歌の作者として名高い法王グレゴリオ一世が、『対話集』という本の中に、面白いエピソオドを書き残している。ある若い修道女が悪魔を呑み込んでしまったという話である。
 あるとき修道院の庭で彼女がレタスの葉を摘んで食べていると、お腹の中に悪魔が入ってしまったような気がした。さあ大変、修道院中がおおさわぎになって、さっそく悪魔払いの儀式が行われた。坊さんが厳粛な顔をして、娘のお腹の中の悪魔に向かって、「早く出て来い、そんなところにもぐり込む奴があるか」と説諭する。すると悪魔は、「誰が好きでこんなところに入り込むかね、俺がせっかくいい気持に葉っぱの上で昼寝していたところ、この娘に摘んで食われちまったんじゃないか」と、いかにも心外らしい。結局、悪魔は簡単に追い出されて、けりいが着いたという話である。
 六世紀末頃の、まことにのんびりした無邪気な物語で、これがやがて数百年後、ヨーロッパ中の村々や修道院に疫病のように広がった。あの恐ろしい妖術信仰のはるかな前徴であるとは、さすがの大法王グレゴリオにも考え及ばなかったに違いない。まだこの時分は悪魔の力も微々たるものだった。
 ところが十三世紀も中葉になると、ドイツで妖術を研究したという法王グレゴリオ九世が、異端アルビ派の撲滅のためのインキジション(宗教裁判所)というものを設けて、あらゆる背教者、異端者、妖術使に対して苛酷極まりない火刑台を用意するまでになった。もっとも、このインキジションがもっぱら妖術迫害に大車輪のように活躍するようになるのは、十六、十七世紀のことであるが、ともかく中世一千年間を通じて悪魔の勢力が拡大したこと、まさに燎原の火のごときものがある。グレゴリオ九世の大勅書には、悪魔主義者たちのサバト(夜宴)の模様が、実に詳細にわたって論じてあった。
 では、一体、サバトとは如何なるものであろうか。何故、これが厳しく禁止されねばならないのであろうか。・・・・・・・
サバトへの出発.jpg
サバトへの出発

月の明らかな夜(満月)、人気の無い田舎道を三々五々、集会の場所へ向かって急ぐ男女の群れが見える。老いも若きも、何か目に見えない力に引き付けられるように、黙々と足を運ぶのである。やがて淋しい四辻の広場にくると、この妖しい深夜の集会の司祭が待っている。女たちは蝋燭を取り付けた竿や箒(ほうき)を持っている。集会場に来ると、その箒にまたがって、踊りの輪の中に加わり、飛び跳ねたり喚いたりするのである。暗いところにうずくまった女魔術使の一団が、奇声を発して彼女たちに答える。時ならぬ深夜の叫喚や野蛮な音楽が風に乗って百姓家に達すると、信心深い人たちは急いで戸を閉めて、十字を切る。集会の場所は大きな枯木や道路標の下とか、徒刑場の近くが特に選ばれた。


ちなみに中世の夜宴(サバト)は、古代のバッカス祭やプリアプス祭の復活のような形で、もっぱら田舎の野外で行われていたのに、近代に至ると、それが都市の教会内部に侵入し、黒ミサと言う名で呼ばれるようになった。貧しい民衆の開放的なお祭騒ぎが、時代とともに、段々と秘密めいた、陰惨な、密室犯罪的な形に変化していったのである。こうして近代の黒ミサは、民衆には縁遠い、頽廃的な貴族の専有物となった。
 言葉を変えれば、キリスト教の権威が次第に各階層に広まるにつれて、悪魔が民衆を集めて、悪魔自身のお祭をする余地がなくなり、教会内部へ逃げ込んだという訳なのである。従って、黒ミサを執行する司祭は、もっぱら悪魔と取引を結んだキリスト教の破戒僧であった。悪魔はついにキリスト教にとって、獅子身中の虫となったのである。
 黒ミサの起源は、一般に中世フランス南部に広まり、一二世紀の終わり頃、法王グレゴリオ九世の命によって鏖殺(みなごろし)された、キリスト教異端アルビ派から出ていると言われているが、果たしてこのアルビ派がどの程度、実際に悪魔礼拝にふけっていたかについては、確かな証拠はない。エリファス・レヴィの意見によれば、アルビ派とは、善悪二元論を信じるゾロアストル教の頽廃した形だそうであるが、しかし、この一族は、一名純潔派とも言われている通り、極めて厳格な戒律を持った、禁欲的な集団だったことも事実のようである。また、キリストの化肉や十字架の象徴を認めないグノーシス的な聖堂騎士団の流れも、古くから両性具有の悪魔バフォメットを崇拝し、黒ミサ的な秘儀を行っていたと信じられている。カトリックが教会で行う神を崇拝する集会のことを「ミサ(Mass)」と言います。「黒ミサ(Black Mass)」とはその真逆の行為であり、悪魔を崇拝、信仰し、その力を得んとする儀式や集会のことを言います。


 けだし、サバトは古代から民間に伝わる、グロテスクな欲望の解放であった。そして、この異教の儀式が不吉なものと見なされるようになったのは、前述のごとく、ロオマ教会が異端や妖術を危険視するようになってからのことである。全ての悪は中世とともに始まった。
 十一世紀の歴史家ジョン・マームスペリイは、ロオマの大道で二人の老婆が人間を馬に変え、馬市場に連れて行って売ってしまった、という奇怪な話を書き残している。また哲学者ジョン・ソールスペリイは、妖術師たちの夜宴に悪魔が山羊や猫の姿をして現れたことを物語っている。悪魔学や鬼神論のいちじるしく発達した十三世紀には、ドミニコ派の学僧ヴァンサン・ド・ボオヴェが、箒にまたがって空高く夜の集会へ飛んで行く女妖術師のことを報告している。
 女妖術師が空を飛ぶということは、十八世紀まで通説になっていた。イタリアの鬼神論者マリア・ガッシウスの『コンペンディウム・マレフィアルム』(巫妖捷径)という本には、翼のはえた山羊にまたがって空を飛ぶ女妖術師の挿絵がある。有名なコンスタンツ市の法律顧問ウルリッヒ・モリトオルの、吸血魔女ラミアを論じた『妖怪あるいは魔女について』(一四八六)という本には、稚拙な木版画の挿絵があって、それぞれ驢馬と禿鷹と仔牛の頭をした三人の妖術師が、熊手にまたがって飛んで行くところが描かれている。妖術師は動物に化けることが出来ると信じられていた。また時には、古代のバッカス祭におけるように、色んな動物の仮面を被ることもあった。
  サバトの集会の目的は何であったか、そこでどんな淫靡な儀式が行われたのか。さあ、これは大変正確を期しにくい問題である。というのは、我々の集める資料は、ほとんど妖術師の宗教裁判における告白に由来しており、その告白はまた、拷問によって無理矢理に引き出されたものが大部分だからである。むしろ妖術使の側の混乱した夢想と、裁判官の側の鬱積した妄念と、両方の抑圧されたリビドーが合体して、いよいよこの告白を誇大にした傾きがなくもない。妖術師の裁判官には、陰険なサディストや気違いじみた迷信家がたくさんいたことにして事実を隠蔽するように記載されている。
 サバトの裁判記録は地方によって違っているけれど、妖術師が空を飛ぶために、出発の前に炉の前で裸になり、全身に香油を塗るというのは、どの悪魔学者も一致して認めているところである。香油は一種の麻酔剤であって、同時にベラドンナ(茄子科の毒草)のような興奮剤もしばしば服用された。
 妖術師たちの薬物使用は、必ずしも中世に始まったことではない。ロオマは頽唐期の戯作者アプレイウスの小説『黄金の驢馬』に、「パンフィレエはすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐を開いて中から小箱を取り出し、その中に入った膏油をつまみ取ると、ながいこと掌でこね付けておりましたが、そのうち足の爪先から頭髪の先まで体中にそれを塗りたくりました。次いで色々何かこそこそ燭台に向かって呟いてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせました。すると、体の緩やかに揺れ動くにつれて柔らかい軟毛が段々と生え出し、しっかりした二つの翼までが伸び出て、パンフィレエはいまミミズクになり変わったのです」(呉茂一訳)とある。見事な描写で、アプレイウスは世界最古の魔術小説家と呼ばれるにふさわしい。
 主として水曜と金曜の晩、サバトの時間が近づくと、妖術師たちはいらいら、そわそわし始める。人気の無い物置小屋とか、台所のような場所へ潜り込んで(煙突のある部屋ならどこでも良い)しきりに咒文ととなえながら、香油を全身に塗りたくる。そのうち、急にふわりと身体が浮くように感じる。一説によると、これは毒性の香油が脊柱を刺戟するのだそうである。いずれにせよ、男も女も一種の人工的な失神状態に陥ってしまうので、例の夜宴にしても、結局はこの譫妄状態が作り出す夢だと言えば言えないこともない。近代のある鬼神論者は、例えば霊媒などの神秘の力による浮遊現象によって、この妖術師たちの空中飛行を説明しようと努力した。

歴史中世ヨーロッパの各地で、女たちが夜間にディアーナやゲルマンの女神ホルダと飛行し集うといった異教的民間信仰があった[3]。906年頃にプリュムのレギノンが編纂したカノン(教会法)は、夜に動物に乗ってディアーナとともに旅をしたり、ディアーナに仕えるために召集される「邪悪な女たち」がいるとし、これを根絶すべき迷信として非難している。このテクストは11世紀にヴォルムスのブルヒァルト(en:Burchard of Worms)が編纂した「教令集」に若干改変された形で再録され、後に『司教法令集』と呼ばれて流布した。『司教法令集』は「ディアーナの騎行」は悪魔に吹き込まれた幻覚にすぎず、現実のものではないと断じた。そのためか、こうした女たちへの罰は比較的軽いものであった。その頃はまだ悪魔に仕える魔女という存在の概念は確立していなかったが、ここにみられる女たちの夜の旅や集会は、魔女がホウキや動物にまたがって夜に集うという後世に作られた類型的サバト像に通じるものである。
ロッセル・ホープ・ロビンズなどの学者は、悪魔的なサバトの概念は主として中世末期の14-15世紀に異端審問官や学者らによって作り上げられたものであり、異端審問においてサバトが初めて登場したのは1335年のトゥールーズでの裁判であったとした。しかし、ノーマン・コーンは1330年代のトゥールーズの魔女裁判に関する典拠となったラモト=ランゴン男爵の『フランスにおける異端審問所の歴史』(1829年)は一次史料に依拠しない歴史捏造的な書物であると指摘し、魔女のサバトの概念が14世紀において南フランスでのカタリ派迫害の延長線上に生まれたとする説を論駁している。初期の悪魔学者ヨハンネス・ニーダー(en:Johannes Nider, ca 1380-1438)はサバトのことを知らず、魔女の空中飛行については懐疑的であったが、スイスで子どもを殺す儀式があったことを『蟻塚』(Formicarius, 1435-1438)の中で記している。また、女性を非難する側と擁護する側の議論を描いたマルタン・ル・フラン(en:Martin Le Franc)の長編詩『女性の擁護者』(Le Champion des dames, ca 1440)では当時のサバト観が論じられている。1452年の作者不詳の小冊子『ガザリ派の誤謬』(Errores Gazariorum)にもサバトのことが出てくる(そこではサバトのことはシナゴーグと呼ばれている)。
15世紀には、悪魔崇拝的な魔女たちが徒党を組んでいると考えられるようになり、乱交に耽ったり幼児を食らったりする魔女の秘密集会のことが悪魔学の論書の中で取り沙汰された。こうした魔女の所業の告発は、キリスト教の異端ユダヤ人に対してなされた告発とよく似たものであった。14世紀ごろにはワルドー派やカタリ派の異端者は悪魔崇拝の嫌疑をかけられ、サタンと性交したり秘密の集会(こうした集会はユダヤ人の集会であるシナゴーグの名で呼ばれた)で乱行に及ぶと考えられていた。魔女の集団が実在するという考えが生まれた背景には、こうした異端者やユダヤ人への空想的な偏見があるとする見方がある。上述のような悪魔に仕える魔女の概念が確立した15世紀には、『司教法令集』で女たちの夜の飛行や集会が幻覚とされたのと対照的に、サバトは現実の出来事とされ、火刑に処すべき罪とみなされるようになった。
近世の魔女裁判に大きな影響を与えたと言われている『魔女に与える鉄槌』(1486年)では魔女の集会についてあまり言及されていないが、16-17世紀にはジャン・ボダン(en:Jean Bodin, 1529/30-1596)の『魔女の悪魔憑依』(De la Démonomanie des Sorciers, 1580)やド・ランクル(en:De Lancre, 1553-1631)の『堕天使と悪霊の無節操一覧』(Tableau de L'inconstance des Mauvais Anges et Démons, 1612年)など多くの悪魔学論書が出版され、サバトに対する妄想は拡充されていった。多くの人々がサバトへの参加を告発されその命を失ったのもこの時代である。ペーター・ビンスフェルト(en:Peter Binsfeld)はその著 『蠱業(まじわざ)への注解』(Commentarius de Maleficius, 1622)で魔女を告発する際の重要な証拠として、その人物がサバトに参加したことを挙げている。

サバトについて書き残された記述

イタリア、ミラノの司祭、フランチェスコ・グアッツォ(en:Francesco Maria Guazzo)による著『蠱業要覧』(Compendium Maleficarum)には、彼の想像によると思われる挿画を添えて具体的な記述が記されている。例えば「サバトの出席者は山羊の背中に乗って飛来する。彼らは聖なる十字架を踏みつけにし、悪魔の名のもとに洗礼を受け、服を脱ぎ捨てて悪魔の背中に接吻する。そして背中を合わせるようにして円舞を踊る。」
ハンス・バルドゥンク(en:Hans Baldung, ca 1484-1545)およびド・ランクルによれば、サバトでは人肉が食され、子どもの肉が好まれた。そして人骨も特別な方法で煮込まれた。悪魔は塩とパンと油を嫌うため、それらは禁止されていたと書いた者もいるが、他の証言は美味い料理に言及している。他に、人間の脂肪、とりわけ洗礼を受けていない子どもの脂肪は、魔女の飛行を可能にする軟膏を作るのに使われたと付け加える記述もある。魔女は集会場所まで自分で飛んでいったり、ホウキにまたがって行ったり、悪魔に運んでもらったりするとも信じられた。
悪魔学の論者らの間で一致して広く信じられた点は、サタンが(しばしば山羊またはサテュロスの姿で)サバトに出席していたというものである。また、時には一人の人間が悪魔に憑依されるために自分の身体を差し出し、霊媒の役を果たすこともあったと信じられた。サバトは真夜中に始まり夜明けに終わり、最初は行進からはじまり、宴を続行し、それから黒ミサ、そしてオルギア(躁宴、乱交)で最高潮を迎えるとも信じられた。オルギアでは婚外性交または男性か女性の姿をした悪魔との性交が行われた。幻覚剤と時にはアルコールが使われたという報告も多い。

場所

伝承によると、ほとんどの場合サバトは人里離れた場所で行われ、特に森や山が好まれた。サバトが行われるとされた有名な場所はブルターニュ半島カリニャーノ、ピュイ=ド=ドーム山(フランス)、ブロッケン山、Melibäus、シュヴァルツヴァルトドイツ)、バルド山(ポーランド)、Vaspaku、サベルヌ、Kopastatö(ハンガリー)などがある。 バスク国では、サバト(そこではサバトのことはアケラッレ (en) もしくは山羊の原と呼ばれていた)は人気のない田野において行われると言われていた。

開催日

サバトが行われる日取りに関しては悪魔学の論者らの間でも見解は一致しない。キリスト教ミサが行われる前の日曜の夜に行われると仮定する者もいれば、サタンは聖なる祝祭日には力を弱めるとしてこの見解を否定する者もいた。
よく挙げられる日は2月1日(人によっては2月2日)、5月1日(大サバト、ヴァルプルギスの夜)、8月1日(収穫祭)、11月1日ハロウィン、10月30日の夜から始まる)、復活祭クリスマスであった。挙げられる頻度が比較的少ない日としては聖金曜日1月1日割礼祭)、6月23日聖ヨハネの日)、12月21日聖トマスの日)、聖体祝日などがある。
ベナンダンティやヨーロッパの同様の集団(後述)の証言によると、集会がよく行われる日は「四季の斎日」の週、クリスマスから公現祭までの12日間、または聖霊降臨祭である。
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神々(悪魔)(アヌンナキ)から人類(地球人を除く)の時代へ

主な登場アヌンナキ
アヌンナキ.jpgアヌンナキ2.jpg
アヌンナキ(実際はもっと痩せている。尻尾は黒いミミズみたい。口先は尖がっていてネズミのような顔をしている。)

★エンキの息子マルドゥク(ラー)=太陽神

★マルドゥク(ラー)の弟ネルガル

★マルドゥク(ラー)の息子セト(=ルシファー)とオシリス(=バアル=ベルゼバブ)
※そう言えば、ルシファーは子供を一人も作っていない!

★オシリスの息子ホルス

★エンリル(太陽神・大気神)派の総帥ニヌルタ
※太陽神は理解出来るが、大気神は有り得ない。何故なら「光合成」を行っているのはあくまで植物だからだ。
つまり、「嘘」。と言うことは、エンリル(太陽神)は死んでいる。ただの寄生虫だ。


★ニヌルタの兄ナンナル

★エンキ(=プタハ=黄金の子牛)派の総帥マルドゥク

★エンリルの孫娘イナンナ

★人類の王サルゴン

★サルゴン王の孫ナラム・シン
 
↓飛躍している・・・
★イスラエル人の始祖アブラハム

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フリーメーソン(宇宙人の序列).jpg
紀元前1万500年
大洪水後の土地整理により、エンキはメソポタミアの領土をすべて失い以下の様に領土管理が分けられました。

エジプトは当初、エンキ(プタハ)が9000年にわたって支配していたが、その後、息子のマルドゥク(ラー)に支配権を譲ったのですが、大洪水が発生してエジプトも壊滅したため、再び御大おんたいのエンキ(プタハ)が支配権を握ったのです。

エジプト・アフリカはエンキ派の領土。(エンキ=プタハ=黄金の子牛=拝金教)

メソポタミアとインドはエンリル派の領土。(エンリル=太陽神=豊穣神=拝金教)
※両国とも悪魔崇拝が大変旺盛。


ティルム=シナイ半島はニンハルサグが管理。

紀元前2371年
エンリルの孫娘イナンナは人類の王サルゴンと恋愛し、これを利用して地の覇権を握ろうとし
ます。

イナンナの庇護を受けたサルゴンは王都アガテ(アッカド)を建設し、全メソポタミアを支配するアッカド帝国を樹立します。

「アガテの王サルゴン、イナンナの時代に権力を得る。サルゴンに敵なく、並びたつものなく
その威光はすべての地に及ぶ。東の海を制覇し、西の地を征服する」
―『サルゴン王 年代記』―
   
紀元前2316年
イナンナの庇護を受けたサルゴン王は、エンキ派の総帥マルドゥクの支配するバビロニアの聖地を冒涜します。

冒涜行為に怒ったマルドゥクは復活し、アッカド帝国に攻撃を加え混乱させました。

帝国の混乱の原因がサルゴン王の冒涜行為にあることが判明したため、民心はサルゴンから離れていきます。

サルゴンは苦悩のなかで生涯を終えました。

この事件により、マルドゥクが権力闘争に復帰し、イナンナとマルドゥク(ラー)の対立が再燃したのです。

「サルゴンが犯した神聖冒とく行為に偉大なる神マルドゥクは激怒し サルゴンの民を餓死で滅ぼした。マルドゥクはサルゴンに罰を与え民心はサルゴンから離れた」
―『サルゴン王年代記』―
 
マルドゥクとイナンナの対立に端を発する戦乱はさらに続き、核兵器を駆使した最終戦争の危険もささやかれるようになって行きました。

マルドゥクの弟ネルガルは、最終戦争の危機を避けるため、マルドゥクにメソポタミアから退去するよう説明しました。

マルドゥクは説明に応じ、バビロンを去ります。

しかし、この説明の背景には、勢力拡大をねらう弟ネルガルの野望があったのです。

そのことが後に発覚し、マルドゥクとネルガルは、兄弟でありながら対立するようになりますが、とりあえずネルガルはイナンナと同盟し、メソポタミアに平和を取り戻しました。

紀元前2291年
イナンナはサルゴン王の孫ナラム・シンを王位につ就けました。

そして、イナンナはナムラ・シン王を扇動し、再びアッカド王国の版図拡大に乗り出しました。

イナンナの庇護を受けたナムラ・シンはバールベックの緊急用宇宙港や、モリヤ山(エルサレム)の航空管制センター、そしてティルムンの宇宙港を征服して行きます。

更には、エンキ派のネルガルの手引きにより、エジプトにも侵入し、これを征服したのです。

「サルゴン孫ナムラ・シンはアピシャルに侵入し、その城壁じょうへきを破り、征服した。ナムラ・シンはアピシャルの王リシュ・アダドとその臣下を捕らえた。ナムラ・シンはマガンの地(エジプト)へと攻め込みマガンの王マンヌ・ダンヌを捕らえた」
―『バビロニア列王伝』―
 
紀元前2255年
アジアからエジプトに至る広大な版図を実現したナムラ・シンは「四世界の王」(地球の王を意味する)を名乗るようになります。

ナムラ・シン王を介して全世界を征服したイナンナは、自ら「女神のなかの女神」と名のり、全アヌンナキに君臨すると宣言します。

これは二ビル王アヌの権威を否定するものであり、すべてのアヌンナキの反発を買いました。

「偉大なるアヌンナキ評議会」緊急集会が招集され、イナンナに対する懲罰が決定されたが、イナンナはエンキ派のネルガルの協力を得て地下に潜行します。

紀元前2248年
復活したイナンナは、エンリルの権威を否定するため、ナムラ・シン王に命じて、エンリルの支配する聖都ニップルを冒涜します。

これに怒ったエンリルは、人類の軍団を組織してアッカド王国を攻撃しました。

これにより、アッカド王国は滅亡し、イナンナは失脚する事になります。

以後、メソポタミアはエンリルに忠実な王によって支配されるようになり、エンリル派の総帥ニヌルタの支配する神聖都市ラガシュ王権が置かれる事になります。

こうして「イナンナの時代」は終焉を迎えたのです。

紀元前1万年
エンキ(プタハ)は、大洪水で壊滅したエジプトの治水工事を行い、かつての繁栄を再興してゆきました。

ギザのピラミッドは中立のニンハルサグが管理していましたが、エンキは言葉巧みにニンハルサグを説得し、ピラミッドの管理権を自分のものにしました。

その後、エンキはエジプトの支配権を息子のマルドゥクに再び委譲し、エジプト王にはゲブが就任しました。

紀元前9780年
マルドゥク(ラー)は、エジプトの支配権を息子のセトとオシリスに分割委譲します。

セトは上エジプト、オシリスは下エジプトを支配することとなったのです。

上エジプトより、下エジプトのほうが地理的に有利であり、また土地も肥沃でした。

又、下エジプトの支配権にはピラミットの管理権も含まれていた為に、上エジプトを得たセトは下エジプトを得たオシリスを妬むようnなってゆきます。

紀元前9330年
セトがオシリスを奸計(かんけい)より殺害し、エジプト全土の支配権を勝ち取ります。

紀元前8970年
オシリスの息子ホルスは、仇敵セトに対して宣戦布告します。

これが第1次ピラミット戦争です。

この結果、セトは敗走し、航空宇宙施設である、ティルムン(シナイ半島)の宇宙港とモリヤ山の航空管制センターを管轄下に置くにとどまります。

従って、航空宇宙施設である宇宙港、航空管制センター、ピラミッドはエンキの孫であるセトが管轄する事になり、施設はエンキの支配下になりました。

更に、「偉大なるアヌンナキ評議会」において、ゲブによって正統に継承された王位は、さらにホルスによって継承されると裁定さいていが下り、セトに勝利したホルスが正式にエジプトの支配権を取得します。
偉大なるアヌンナキ評議会(ハム系=カナン=悪魔崇拝者).jpg
「偉大なるアヌンナキ評議会」=ハム系=カナン族=悪魔崇拝者←自分で自分を「偉大なる」なんて言ってるところが悪魔くさいよな。つーか、悪魔だって認めてるしな。コイツラ皆、【うんこ】食ったんだ。

真・地球年代記2.jpg
真・地球年代記(単に「自分たちは特別」という感情に任せて作り上げた物。ゴミ!)

そして、牛神(龍神)とは遥か昔のシュメールのエンリルの系列を言っているのではないかと睨んでいます。

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シュメールは人類最古の(高度)文明といわれる。(BC3500〜B.C2000頃)
シュメール神話の太陽神アンは、16弁菊花紋を象徴とし、天皇家と同じである。
アンの子、エン・リルは、牛の角を持つ世界を統べる神であり、太陽神にして大気神であった。
大気神とは風の神であり、力の象徴にして、軍神である。
エンリルが元となってミトラ多神教のミトラ神(牛の角を持つ)が生まれ、オリエント中に広まり、やがて世界中に伝播する。

また六芒星もシュメールのレリーフに見られ、シリウスが起源である。
邪神扱いされたミトラ・バール神は、
牛が山羊(羊)に転化した姿に歪められていく。(ベルゼバブ=バアル=バフォメット)

六芒星は、魔術の怪しいイメージもあり、邪神教のイメージも植えつけられ、
悪魔には五芒星を上下逆にしたシンボルが当てはめられた。
悪魔=バアル=ベルゼバブである。


■古社と社紋、ミトラ・バール信仰の考察
http://ameblo.jp/hex-6/entry-10734584745.html
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エンリルは大気神であることから、気象をコントロールすることが可能な龍神と考えられます。それがミトラバール神の牛神へと転化され、さらには羊へと転化されていった。これは、元々、龍神だった蚩尤(しゆう)が牛神に変えられていったのと同じですね。

シュメールの神話によると、エンキは人類が滅ぼされるべく定められた大洪水を生き延びるよう、助けを与えた。アトラハシスの伝説によれば、神々の王エンリルは、地上に繁殖した人類の騒擾が耳に障ったため、彼らを滅ぼそうと企てた。そこでエンリルは人類に対し、1度目には旱魃を、2度目には飢饉を、3度目には疫病をもたらした。しかし、エンキは人間のアトラハシスに灌漑農業・麦の栽培・医学の知識をもたらし、腹違いの兄弟であるエンリルの計画の実現を3度とも阻止する。こうして、人類は4たび地上に繁殖した。

これに怒ったエンリルは、神々の会議を召集した。エンリルは今度は、人類を絶滅させる計画を人類にもらさないよう、神々に約束させた。エンキは、アトラハシスという人間の住んでいる葦の小屋の壁を通して、彼ら人類に迫る危機を聞かせた。そして、彼にこっそりと、アトラハシスと彼の家族の乗るための舟の作り方を教えた。そして大洪水が訪れ、7日7晩続いた。洪水が引いた後、アトラハシスは、ツバメ・鴉・鳩を放して、洪水の水が引いたかどうかを確かめた。そして、水が引いて船底が地につくと、神々に犠牲が捧げられた。一方、エンリルは、彼の計画が再び阻止されたことに怒り、エンキに容疑が着せられ、人類への罰が検討された。それに対しエンキは、エンリルが罪のないアトラハシスを罰するのは公平ではないと神々に弁明し、もしも人類が出生を適度に抑え、自然界のおきてを守るなら、神々も人類を滅ぼさないとの約束をとりつけた。ただし、もし人類がこの契約を尊重しないならば、神々が再び大破壊を引き起こすことは自由であると、念押しがされた。


このシュメール神話がノアの方舟のオリジナル。



紀元前8670年
エンリル派は、エンキによる航空宇宙施設を「不法占拠」と非難し、宣戦を布告をしました。

これが第2次ピラミッド戦争です。

ニヌルタ率いるエンリル軍と、マルドゥク(ラー)率いるエンキ軍が戦闘しました。

この闘いは、エンキ軍劣勢のまま、ニンハルサグの仲裁によって休戦が宣言されます。

ニンハルサグの主催により講和会議が開催され以下の条項が決まりました。

講和条件

1ーピラミットは引き続きエンキ派が支配する。

エンキの息子であるニンギッジドゥ(トート)がピラミットの支配権を取得する。

ただし、ピラミットの悪用を避けるため、航空宇宙施設としての装備はすべて取り外し、ピラミッドは航空宇宙施設としての機能を失うものとする。

2ー宇宙港を含むティルムン(シナイ半島)はエンリルが支配する。

エンリルの息子ナンナルがティルムンの支配を取得する。

3ーモリヤ山の航空管理センターはエンリル派が支配する。

ナンナルの息子ウトゥが航空管制センターの支配権を取得する。

この条項の取り決めにより、平和な時代が続いたのです。

そして、エンリルは息子のニヌルタを正式な後継ぎ者に任命し、シュメールの支配権を与えるとともに、地球総司令官としての支配権を移譲しました。

又、エンキも息子のマルドゥクを正式な後継ぎ者に任命し、エンキ派の総帥としての権力を完全に移譲しました。

この移譲劇は、これまでのエンリル派とエンキ派の争いから、息子達であるニヌルタとマルドゥクの対立となって行きます。

紀元前7400年
しばらくは、平和な時代が続いたため、「偉大なるアヌンナキ評議会」において、人類に新たな技術を供与することが決定されます。

これにより、人類の新石器時代が開始するのです。

人類は村を形成して生活するようになり、また土器や高度な石器を製作するようになります。

紀元前3800年
平和な時代はさらに続き、エリドゥやニップルなど、大洪水以前の諸都市が復興されました。

復興された都市のうち、旧首都エリドゥはエンキ派が支配し、聖都ニップルはエンリル派が支配することになりました。

この頃、「人類の運命を定めるための会議」が開催されます。

この会議は二ビルが地球に接近するたびに開催され、人類にどの程度の文明を供与するかが話し合われたのです。

二ビル王アヌが会議に出席するため、二ビルから再び地球に来訪します。

このアヌの来訪を記念して、都市ウルクが建設されました。

この「人類の運命を定めるための会議」において、人類に高度な都市文明と王権を委譲することが決定されます。

この決定により、人類は都市に居住することを許されたのみならず、アヌンナキないし半神半人(アヌンナキと人類の混血)に代わって、都市の支配者になることも可能になったのです。

紀元前3760年
エンリル派の総帥ニヌルタの庇護により、キシュに人類の王による王都が建設されます。

こうして、シュメールにおいて、高度な都市文明が開花したと言うわけです。

この時点で、車、船、炉、教育制度、法律・裁判制度、議会制度、音楽、舞踊、絵画、宗教、建築学、医学、科学、数学、天文学など、現代文明を構成する要素のほとんどが完成しました。

紀元前3450年
エンリル派の総帥ニヌルタは、シュメールの支配権を兄のナンナルに委譲しました。

そこで、エンキ派の総帥マルドゥク は、ナンナルからシュメールの支配権を奪取すべく画策を始めます。

マルドゥクは、人類を扇動し、エンリルの管理を受けない宇宙空港バビロンの建設に取り組みます

そこをシュメールの王都にしようと計画したのです。

これがバベルの塔事件です。

マルドゥクの暴挙に怒ったエンリルは、自ら大軍を率いて暴動を鎮圧します。

マルドゥクは、エジプトの支配者ドゥムジ(エンキの息子、すなわちマルドゥクの弟。エンリルの孫娘イナンナの夫でもある)と対立し、彼を殺害してしまいます。

その結果大ピラミッド内部に幽閉されました。

閉じ込められたマルドゥクは、井戸坑を通じてピラミッドから脱出しましたが、以後行方不明となりました。

紀元前3100年
都市文明をエジプトにすることが決定されました。

これにより、人類のファラオによる王都が建設されたのです。

紀元前2900年
シュメールの王都がウルク(二ビル王アヌに捧げられた都市)に移動されます。

又、都市文明をインダス川流域にも建設することが決定されます。

この決定を知ったイナンナは、二ビル王アヌに取り入り、インダス川流域の支配権を手に入れます。

これにより、インダス文明が開花します。

更に、イナンナは、シュメールの王都ウルクの支配権をも取得します。

そして、イナンナはエンキから「神聖知識」を騙し取ります。

「神聖知識」は、最高貴族の地位、王位、僧侶の役割、武器、法律上の手続き、記述法、木工、楽器、神殿の知識などについての記述が書いてあるものです。

彼女は、これらを都市ウルクに使いウルクの繁栄を実現して行きました。

これにより、イナンナの権力が急速に拡大したのです。

紀元前2650年
人類同士の争いにより、シュメールの王都は、ウルク・ウル・アワン・キシュ・ハマジ・マリなどシュメールの主要都市の間をめまぐるしく移動します。

人類同士の闘争は、やがてアヌンナキをも巻き込み、さらに拡大して行きました。

そして、人類の闘争によって地が荒廃したため、強力なリーダーシップを持ち、かつアヌンナキと人類の仲介者になりうるような人類の出現が望まれました。

紀元前2123年
ニップルにて、イスラエル人の始祖アブラハムが誕生した。

紀元前2113年
エンリル派の総帥ニヌルタは、シュメールの支配権を再び弟のナンナル(イナンナの父親)に委譲しました。

ナンナルは、シュメールの新王都としてウルを建設しました。

ウルにおいて、半神半人のウル・ナンムが初代の王に就任します。

これがウル第3王朝の開始です。

王都ウルにおいては、ナンナルの庇護により、高度で華麗かれいな文明が繁栄しました。

ウル・ナンム王は「神の武器」を用いて、エンリルに反抗する「悪辣な都市」を攻撃し、これを征服していきます。

紀元前2096年
数々の攻撃により、シュメール人の間でアヌやエンリルに対する不信感が生まれました。

もてあそばれし英雄の運命・・・ アヌは神聖なる誓いを違えた・・・・ エンリルは偽って運命の宣告を変更した・・・
―『バビロニア列王伝』―                  
            
紀元前2095年
人類のシュルギが、ウル・ナンムの後継者としてシュメールの王に就任します。

シュルギ王は、就任当初は周辺各国との友好関係樹立に奔走し王国の強化に尽力したが、まもなくイナンナと恋に落ちて堕落してゆきます。

このころ、カナンの地を中心として、エンキの息子マルドゥク(ラー)信仰が流行します。

紀元前2055年
マルドゥク信仰の拡大を恐れたナンナルは、シュルギ王に命じてカナンを攻撃させ、これを征服します。

紀元前2048年
堕落したシュルギ王は「神の掟を守らぬもの」および「王の正当性を汚すもの」として告発され、神々の裁きにより死刑判決を受けます。

この頃流浪の神マルドゥクがヒッタイトの地に出現し、メソポタミア再進出狙います。

マルドゥクの長男ナブが暗躍し、ナンナルとイナンナの領土を侵食して行きます。

これに対してエンリルは、アブラハムにカナンに進駐させ、マルドゥク一派の動きを監視することを命じました。

紀元前2047年
シュルギ王の息子アマル・シンがシュメールの第3代王に就任します。

アブラハムは、エンリルの命を受けてネゲブからエジプトに進駐し、引き続きマルドゥクの動きの監視にあたりました。

紀元前2041年
カナンの地で5人の王が、マルドゥク信仰に基づき塩の海で同盟を結びました。

マルドゥクの復活を恐れたイナンナは、アマル・シン王にカナンの他の5人の王を討伐とうばつするよう命じます。

イナンナの命を受けたアマル・シンは、東方の諸王と連合して、カナンの地を攻撃しました。

アマル・シン王と東方の諸王の連合軍は、カナン侵攻の余勢をかってティルムンに侵攻し、宇宙港の支配権を狙います。

しかし、エンリルの命を受けたアブラハムは、アマル・シン王と東方の諸王の連合軍をティルムンから撃退します。

この戦争により、ウル第3王朝は致命的なダメージを負いました。

紀元前2038年
アマル・シンは、ティルムンの聖地を汚した罪により、蛇へびに噛かまれて死亡します。

これにより、アマル・シン王の弟シュウ・シンが、シュメール第4代の王に就任しますが、各地で反乱が相次ぎます。

紀元前2029年
シュウ・シン王が退位し、ウル第3王朝最後の王イッビ・シンが即位します。

彼の統治時代に、マルドゥクを信仰する西の地の民がシュメール王国に侵入し、そのまま全メソポタミアを席巻し、首都ウルのみが、イッビ・シン王の支配領域となりました。

紀元前2024年
マルドゥク(ラー)がバビロンに復帰し、全メソポタミアの支配を宣言。
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これに対して、エンリル派総帥ニヌルタは、マルドゥクに対抗して挙兵します。

「偉大なるアヌンナキ評議会」の決定により、反逆者マルドゥクに対する「7つの恐怖の武器」(核兵器)の使用が許可されます。

ニヌルタとネルガルの連合軍は、マルドゥクの勢力基盤であるカナンの諸都市(ソドムとゴモラなど)を核兵器で攻撃したのです。
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「主はソドムとゴモラの上に天から主のもとから硫黄の火を降らせこれらの町と低地一帯を町の住民、地の草木もろとも滅ぼした」
―『創世記大19章』―

更にニヌルタとネルガルは、マルドゥク征服目標であるティルムンの宇宙港を核兵器で破壊しました。

「ネルガルは王の道を歩み、次々に都市を滅ぼした山々は飢餓が支配し、飢餓は動物を滅ぼした。ネルガルは海に溝を堀り、全体を2つに分割した海に棲むワニさえも滅ぼされた。火をもって動物を焼きつくし、すべての植物を灰に変えた」
―[シュメールの粘土板の記述より]―

神々はウルクから去った
神々はウルクを離れた
神々は山々に隠れ
神々は遠くの地へと逃れた …

紀元前2023年
メソポタミアに「死の灰」が降り注ぎ、古代シュメール文明が滅亡。

メソポタミアの人類は絶滅し、すべての生物が絶滅。

水系と土壌は汚染され、メソポタミアは「死の土地」と化します。

生き残った唯一のシュメール人のアブラハムが、カナンの地においてシュメール文明の伝統を後世に継承したというわけです。

天より地に降り来る神々の王アヌ・そして天と地の王エンリルは、この地の運命を定めるエンキの長子マルドゥクに、全人類に対する支配権を与える。マルドゥクを監視する神々の至高の存在とするバビロンにいと高き御名を与え世界の中心となす。そしてマルドゥクのために永遠の王権を樹立する。

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宇宙から飛来した神々

アラル
前二ビル王。太古、天界の王として君臨したが、アヌにその座を奪われる。アラルは、父親アヌと敵対するエンキをたきつけて、自分の末裔にあたるズーや孫のクマルビを使ってアヌの失脚を図った。

アヌ
惑星二ビルの偉大なる支配者。異母兄弟エンキとエンリルの父。2人を地球に派遣し、地球に人類と文明を創造させた。

イシス
オリシスとともに旅人として忽然としてエジプトに出現。オシリスと結婚して全エジプトの母なる女神となった。
母なるもの全てを司る豊穣の神でもあり、また魔法の力で死者に再び命を与えた。

イナンナ(アッカド名イシュタル)
エンリルの孫娘。飛行する神の典型的な存在。かつてメソポタに栄えたアッカド王国やシュメールの文献では、しばしば空を飛ぶ女神として描かれている。シュメールにおいては戦いの女神として君臨し、マルドゥクを相手に地球の制覇をかけて壮絶な戦いを挑むが失墜する。

エンキ(エア)
二ビル王アヌの長男。偉大な科学者にして技術者。44万5000年前、二ビルから先遺隊総勢50名を率いて、初めて地球に降り立った。エアは5つの居留地を建設し、"エンキ"という称号を与えられ、以後地球の支配者となり、中東一帯に巨大な宇宙基地を建設するも、異母弟エンリルと連綿と続く覇権争いと復讐劇をくり返す。

エホバ(ヤーウェ)
山中の燃える火の中に現れ、次には空中の火の柱、雲の柱の主として現れる。預言者モーセを通じて、イスラエル一族を寄留地地エジプトから導きだし、ホプレの山で「十戒」を授ける。

エンリル
エンキの異母弟。二ビル王アヌとともに地球に飛来し、アフリカで金鉱採掘のプロジェクトを指揮・統括する。その後、エンキと王位継承権をめぐり生涯対立することになるが、結局新しい地球の支配者となり、エンキは金鉱のあるアブズに左遷される。これを不服とするエンキはエンリルに対して復讐を開始。最終的に核戦争へと発展してしまう。

オシリス
雷鳴とともにイシスとエジプトに旅人として忽然と出現。農業の神、死者を守護する神としての役割を担った。「再生」と「復活」を司る神でもあり、「冥界の王者」として崇められた。王位継承権をめぐり、セトに図られて殺害されてしまうが、妻イシスの力で蘇る。

ズー
アヌにその座を奪われた前に二ビル王アラルの末裔。エンキの手引きで金鉱アブズで掘り出された黄金を宇宙船で惑星二ビルへ送り出す宇宙航行システムである「運命の銘板」をニップルの航空管制室から奪取し、輸送システムを一時混乱させた。

セト
エジプトの神の中でも悪者として存在。エジプト全土の覇権と王位継承をめぐってオシリスと争い、抹殺した好戦的な神。しかし、後にオシリスの息子に仇をとられる。セトは、謎多き神とされるが、エンキが孫娘と密通して産ませた彼の子エンシャグだともいわれている。

ゼウス
ギリシアの神話のボス。地上の覇権を奪取すべくオリンポス山を本拠とする兄弟神たちと、オトリュス山を本拠とする老いた神々の首領クロノスや巨神族ティターンたちと対立、全面戦争の末、「老いた神々」をすべて地底に幽閉してしまう。

トート
オシリスの父神。戦争に明け暮れるエジプトの神々の参謀として裏でいろいろな陰謀の糸をひいていた。知恵と魔法を司り、オシリスの知恵袋として活躍した。

ニヌルタ
エンリルの後継者。「運命の銘盤」を取り戻すべくズーに戦いを挑む。激戦の末勝利し、無事にこれを取り戻す。ズーを倒した功績により、地球におけるナンバー2の地位を取得する。やがてエンキ側についたマルドゥクと宿命の対決。核ミサイルを使用する。

ニンハルサグ(ニンティ)
エンリルとエンキの異母妹。地球の医療隊長。エンキとともに猿人の卵子とアヌンナキの精子をかけ合わせて、「人類を創造」する。大洪水後、シナイ半島に建設された宇宙港を管理し、ニンハルサグ(シナイ半島の女神)と呼ばれる。

マルドゥク
エンキの長子。息子のナブとともに全地球の派遣を狙い、新宇宙港を中心に激しい戦闘の渦に巻き込んでいく。最終的には、エンリルがさしむけたにニヌルタと対立。核戦争が勃発し、シュメール文明が滅んでしまった。

ネルガル
マルドゥクの弟。ニヌルタと同盟を結び、マルドゥクと同盟を結び、マルドゥクとその息子ナブを攻撃。メソポタミア全土を核ミサイルで壊滅することを決意する。

プタハ(エンキのエジプト名)
エジプトの地を水底から引き上げたとされる神。創造主かつすべての技術の父として崇拝された。

ホルス
オシリスとイシスの息子。エジプト最後の神の王として君臨。天空の王とも呼ばれ、有翼円盤を駆って他の神々と戦った。とくに、父の仇敵セトとの壮絶な闘いは有名。

ラー(マルドゥクのエジプト名)
プタハの息子。はるか彼方の星から天空船に乗って地球に至り、ベン・ベンと呼ばれる円すい形の着陸船を用いて地に降り立った神。太陽神として崇められる。

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いかがでしたか?このストーリーを信じるも信じないも御自由です。

そして、アヌンナキによって作られた人類に属さない人類こそ、我々日本人なのです。  ←勿論「嘘」。日本人の中にもいっぱいいる。

※矛盾だらけだな。ならば聞こう、何故「神造り」をフリーメーソンにやらせているのかを?
真の神がお前たちを「神」と認めていないからだろう?何故?キリストを憎む!?邪悪や邪淫を行えなくなるからだろう?紛れも無く「悪魔」だ!そして偽造も多々ある。そうだろう?違うかよ!?

posted by 真 救世主 at 09:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月10日

【偽造国家イスラエル】メディアが広めたイスラエルに関する10の嘘

ベルギ−人ジャ−ナリスト、ミシェル・コロンが、イスラエル正当化のためにメディアが大衆に信じ込ませた神話について説明し、中東の平和実現のため、世界の人々に、インタ-−ネットなどを使い正しい情報を伝える記者の役目を果たすよう呼びかける。

ミシェル・コロン
メディアが広めた【イスラエルに関する10の嘘】

http://www.youtube.com/watch?v=iJU3VBA7euU

イスラエルの国旗.jpg
偽造国家イスラエル国旗。旗の中心には悪魔崇拝のシンボルマーク及び魔方陣の六芒星。
西洋では古くから「魔除けのシンボル」として使われ、錬金術においては、この図形は「真の知恵」を授けてくれる「賢者の石」を象徴しています。
「六芒星(Hexagram)」は、正三角形(△)と逆三角形(▽)を組み合わせた図形で、

上向きの正三角形(△)は「能動的原理」を表し、下向きの正三角形(▽)は「受動的原理」を表わします。

それは、