2012年04月28日

ロシアってどんな国?(Wikiからのコピペ)

ロシア
ロシア連邦
Российская Федерация
ロシア連邦国旗.jpg
国の標語: なし
国歌: ロシア連邦国歌

 
ロシア大統領 ウラジーミル・プーチン(2012年)
プーチン9.jpg

ロシア連邦
(ロシアれんぽう、ロシア語: Российская Федерация)、またはロシアРоссия)は、ユーラシア大陸北部に位置する大統領制共和制国家東ヨーロッパに分類され、ロシア人が国民の多数を占める。首都はモスクワ
世界最大の面積をもつ国土はヨーロッパアジアにまたがり、北西から順にグリーンランドデンマーク自治領)、ノルウェーフィンランドエストニアラトビアベラルーシリトアニアポーランド(リトアニア、ポーランドとの国境バルト海とリトアニアに囲まれた飛び地領であるカリーニングラード州である)、ウクライナグルジアアゼルバイジャンカザフスタン中国モンゴル北朝鮮日本アメリカカナダと陸上または海上で国境を接し、北は北極海、東は太平洋に囲まれている。
なお、右図に示すロシアの領土(実効支配地域)は概ね国際的に承認されているが、日本政府は北方領土の領有権を主張し、それ以外の千島列島および南樺太は帰属未定としている。

国名

正式名称はРоссийская Федерацияラテン文字転写: Rossíjskaja Federácijaラスィーイスカヤ・フィヂラーツィヤIPA: [rɐˈsʲijskəjə fʲɪdʲɪˈratsɨjə] Ru-Rossiyskaya Federatsiya.ogg 発音ヘルプ / リンク)、またはРоссияRossíjaラスィーヤ[rɐˈsʲijə] Ru-Россия.ogg 発音ヘルプ / リンク)。これはそれぞれ日本語表記のロシア連邦ロシアに相当するが、憲法で双方とも正式名称であるとされている。略称はРФ (RF)。
キリル文字ラテン文字転写、ロシア語のカタカナ表記にはいずれも多数の方式、表記があり、ここにあげたものは一例である(本記事の以下の転写も同じ)。
日本語表記は以前はよりロシア語名に近いロシヤと書かれることが少なくなかったが、1980年代頃からギリシャ語風の(つまり他のヨーロッパ諸国の名称に合わせた)ロシアという表記が完全に主流となった。なお1991年(平成3年)の内閣告示『外来語の表記』には、細則的な事項として「イ列・エ列の音の次のアの音に当たるものは,原則として「ア」と書く。」とあり、これに従った場合の表記はロシアになる[2]。現代日本語の漢字表記は露西亜で、略称は[3]江戸時代にはオロシャをろしやとも呼ばれた。これは、中国語の「俄羅斯」及びモンゴル語Орос(オロス)に近い呼び名である。日本の江戸時代から戦前にかけては魯西亜という表記が主流で、1855年に江戸幕府とロシア帝国の間で初めて結ばれた条約は「日本国魯西亜国通好条約」という名称になった。この漢字表記について1877年(明治10年)にロシア領事館から「魯は魯鈍(愚かなこと・様子)を連想させる」との抗議をうけた当時の日本政府は、ロシア側の希望を容れ表記を露西亜とした。だが露の字も「日(=日本)が昇ると(ろ・つゆ)は消える」というマイナスイメージがあることから、この様な表記の変更をあえて受け入れたことに当時の対ロシア観があらわれているとする見方もある。
ロシアの国名は、現在のロシア北西部とウクライナベラルーシにあたるルーシという国家のギリシア語の発音によって生まれた名前である。この名は、ルーシの北東の辺境地に起こったモスクワ大公国がルーシ北東地域を統合し、“ルーシの遺産の争い”をめぐってリトアニア大公国と対立していた16世紀イヴァン4世(雷帝)の頃に使われ始め、自称に留まったロシア・ツァーリ国を経て、18世紀初頭のピョートル1世(大帝)がロシア皇帝インペラートル)と称したことにより対外的にも正式の国名となった。
ルーシのギリシャ語風名称としてのロシア(正確には「ローシア」)という語はかつてのルーシの諸地域を指し、ルーシ北西部を「大ロシア[6]現在の西ウクライナあるいは中・南部ウクライナを「小ロシア」と呼んだ。ベラルーシも「白ロシア」という意味である。しかし、小国の乱立したルーシ地域では早くからウクライナやベラルーシの人々とロシアの人々との間には異なった民族意識が醸成されていった。結果、これらの国々はロシア帝国の崩壊後別々の国家として独立し、再統合されたソ連邦下でも別々の共和国とされ、ソ連邦の解体に際しては別々に独立することとなった。別の観点から言うと、ロシアはキエフ・ルーシ時代、その大公権に属するモスクワ公国という小さな一部分に過ぎなかったが、ジョチ・ウルスの時代に征服者モンゴルとうまく協調したこと(税金を進んでモンゴルに納めたこと等)や、隣国を破って旧キエフ・ルーシの東側領土の大半を影響下に収めたこと、帝政時代の極東への進出と拡張により大国となった。その権力の正統性を説明するため、モスクワは東ローマ帝国からローマの威信も受け継いだという学説も考案された。こうしたことから、モスクワ大公国は「偉大なルーシ」の権力を継ぐ国家であると自称するようになり、なおかつヨーロッパ国家の一員であるという考えから公式にギリシャ風の「ロシア」を国号として用いるようになった。

冷戦時代

戦後、ソ連は、強大なソ連軍の軍事力を背景に、東ドイツポーランドチェコスロバキアハンガリールーマニアブルガリアなどの東欧諸国を衛星国として勢力範囲に収めて、自国と同様の一党独裁を強要し、世界の二大超大国の一つとしてアメリカ合衆国冷戦を繰り広げたが、計画経済の破綻等から次第に共産主義の矛盾が露呈していった。1985年にソ連の指導者となったミハイル・ゴルバチョフは冷戦を終結させる一方、ソ連を延命させるためペレストロイカグラスノスチを掲げて改革に取り組んだものの、かえって各地で民族主義が噴出し、共産党内の対立が激化した。

ロシア連邦

脱共産化

党内抗争に敗れた改革派のボリス・エリツィンはソ連体制内で機能が形骸化していたロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を自らの権力基盤として活用し、1990年に最高会議議長となると、同年6月12日ロシア共和国と改称して主権宣言を行い、翌年にはロシア共和国大統領に就任した。1991年ソ連8月クーデターではエリツィンが鎮圧に活躍し、連邦を構成していた共和国は、そろって連邦を脱退していった。同年12月25日にはソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、ソビエト連邦は崩壊した
こうして、1991年12月25日にロシア連邦が成立した。ソビエト連邦崩壊により世界規模のアメリカの覇権が成立。当時はこれを歴史の終わりと見る向きも現れた。
ロシア連邦は、ソ連構成国の連合体である独立国家共同体 (CIS/СНГ) 加盟国のひとつとなった。ロシア連邦は、ソビエト連邦が有していた国際的な権利(国連の常任理事国など)や国際法上の関係を基本的に継承し、大国としての影響力を保持している。
国名は1992年5月、ロシア連邦条約により、国名が現在のロシア連邦と最終確定した(ロシア連邦への国名変更は、ゴルバチョフ・ソ連大統領辞任の当日である1991年12月25日、当時のロシア最高会議決議による)。
1999年12月8日には、当時のエリツィン大統領と、ベラルーシアレクサンドル・ルカシェンコ大統領との間で、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野での統合を目指すロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約が調印された。しかし、その後、後継大統領に就任したプーチンが、ベラルーシのロシアへの事実上の吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになってからは、これに反発するベラルーシ側との対立により、両国の統合は、事実上、停滞状態となっている。

国際地位の向上

2000年に大統領となったプーチンは、国内の安定と政府権力の強化を目指し、ロシア経済を半ば私物化していた新興財閥「オリガルヒ」の解体に乗り出し、石油・ガス会社ガスプロムの国有化をはじめ、親欧米・反政府的なオリガルヒはプーチン時代を通してほぼ一掃された。また、政権初期に頻発したテロの報復としてチェチェンへの軍事作戦を再開するとともに周辺各共和国への締め付けも図った。報道管制も強化し、反政府的な報道機関は露骨な圧力をかけられた。対外的には、上海協力機構を通じて中華人民共和国との関係を強化し、また中央アジア各国とはエネルギー開発の面での協力を強めた。ウクライナで親西欧政権ができると、ガス供給停止措置を採ることで圧力をかけ、間接的にドイツフランスへの自国の影響力を誇示した。また、就任当初は蜜月と言われた米国との関係も、イラク戦争イラン核疑惑といった諸問題を扱う中で悪化、米国による東欧のミサイル防衛構想によって冷却化しているが、首脳同士の懇談は頻繁であり、かつての冷戦とは違った様相である。プーチンが行った事業はいずれも強圧的で批判が多いものの、結果的にはロシアの国際的地位を向上させている。これにはプーチン政権発足後から続くエネルギー価格の急騰により、対外債務に苦しんでいたロシアが一転して巨額の外貨準備国となり、世界経済での影響力を急速に回復した事も寄与している。2007年には2014年冬季オリンピックを南部のソチで開催するソチオリンピックの招致に成功した。
2008年に側近のドミートリー・メドヴェージェフが大統領に就任したが、プーチンも首相として引き続き残留した。同年、メドヴェージェフ大統領下で南オセチア問題を原因とする南オセチア紛争が発生。これはソ連崩壊後、初めての対外軍事行動となっている。これらの行動から国際政治での多極主義を唱えて、ロシアが新たな一極となろうとしていると思われる[誰によって?]。事実、「アメリカの裏庭」であるベネズエラエクアドルなどの反米的な中南米諸国との関係を強化している(逆にアメリカは「ロシアの裏庭」であるウクライナグルジアなどとの関係を強化している)。このように、冷戦終結後の一極主義の維持を目指すアメリカ側と対立する「新冷戦」の開始をもいとわないとも見られ、緊張状態が続いている。

世界金融危機

世界金融危機が表面化した2007年頃から、ロシアの経済を牽引していた新興財閥が打撃を受け、没落の危機に瀕するようになった。また、金融危機に伴い外国資本も一気にロシアを去り、今まで貯め込んだ国のオイルマネーが財界にとっての唯一の頼りとなっている。そして、グルジア紛争以降ロシアの株式市場の株価下落が続いている。それに加え、2008年後半になって原油価格が急落した。こうしたことが原因で2009年にはGDPが1999年以来のマイナス成長となった。ロシアは、世界金融危機で最も経済に打撃を受けた国だと言われている。メドベージェフ政権は危機を乗り越える為、財界の国家による統制を強めているが、政権支持率は低下している。世論調査機関レバダ・センターによると、政権支持率は2008年9月の61%をピークに、2009年4月時点で43%にまで落ちている。また、有力シンクタンク、モスクワ・カーネギーセンターのリリヤ・シェフツォワ上級研究員は、産経新聞と会見(2009年5月)した際、金融危機の進展次第ではプーチン人気が急落し、2012年に大統領選が実施された場合、プーチンが当選するかは疑問との考えを述べている。更に、プーチンが金融危機の責任を取り2009年秋で辞任するという専門家の観測も出ている。しかし、2009年現在、ロシアの連邦議会、多くの地方議会はプーチン派であり、マスコミも政権の強い影響下にある為、プーチン再登板の流れは揺らがないとの見方もある[誰によって?]。例として、あるテレビ番組では討論番組と銘打っておきながら実際はプーチン政権の与党「統一ロシア」の宣伝番組であったりしている。新聞も「ノーヴァヤ・ガゼータ」以外の新聞は軒並み政権の強い影響下にある。その為、ロシア以外の欧米諸国とロシア国内の民主化勢力は、ロシアは民主的ではないと批判している。また、ロシア連邦共産党は世界不況を機に支持を伸ばしたい考えだが、プーチン与党の支持基盤は磐石であり、難しいとの見方がある。しかし、2012年のロシア大統領の前哨戦と位置づけられていた2011年ロシア下院選挙で、プーチン与党の統一ロシアが予想外の苦戦をし、磐石と思われていたプーチン体制にほころびも見え始めている。

政治

国制は連邦制を取るが、国家元首である大統領行政の中心として強い指導力を発揮する。大統領は、首相議会の信任を要する)を含む政府の要職の指名権・任命権と、議会の同意を得ないで政令(大統領令)を発布する権限を持ち、軍隊と国家安全保障会議の長を兼ねる。
ソビエト連邦からの独立以降、大統領の任期は4年であったが、2008年の法改正によって6年となった。
21世紀に入ってからは、豊富な原油天然ガスなどエネルギー資源をてこに、特に欧州中央アジアに対し、急速に影響力を拡大している。ソ連崩壊後の弱体ぶりから比べると相当影響力を取り戻したといえ、豊富な資金力を背景に軍備の更新を進めており、ロシアとの協議無しに東ヨーロッパへのミサイル防衛基地の展開を進めているアメリカや、NATOとの緊張状態は高まりつつある(新冷戦)。
ロシア連邦議会 (Федеральное Собрание Российской Федерации, Federal'noe Sobranie Rossijskoj Federatsii ) は二院制で、各連邦構成主体の行政府と立法府の代表ひとりずつからなり上院に相当する連邦院連邦会議Совет Федерации, Sovet Federatsii 、定員178名)と、下院に相当する国家院国家会議Государственная Дума, Gosudarstvennaja Duma 、定員450名)からなる。下院議員は、任期4年で、小選挙区制比例代表制により半数ずつ選出される仕組みであったが、2005年4月23日完全比例代表制に移行する選挙制度改正が下院を通過した。また、5パーセント条項が7パーセント条項へと議席を得るためのハードルがあげられ、プーチン政権、シロヴィキおよび与党統一ロシアに有利な選挙戦が展開された。また、大統領と同じく2008年に任期が5年に延長された。
中央政界で活動する主要な政党については、ロシアの政党を参照のこと。
ロシアの国家元首は頭髪がツルツルとフサフサの交互になるというジンクスがある(いわゆるつるふさの法則)。

司法

ロシアの司法は憲法裁判所を置いている大陸型である。1996年に陪審制を連邦各地に順次導入することを決定、2010年までに全ての地域で導入された。
以前から死刑の執行を停止していたが、2009年11月19日に、憲法裁判所は死刑の廃止を規定している欧州人権条約を批准するまでは死刑の執行を停止するという命令を出した。この憲法裁判所の命令でロシアの死刑制度は事実上廃止された。2010年1月15日、ロシア下院は、欧州人権条約第14追加議定書を賛成多数で批准し、名目上も死刑が廃止された。同国は欧州会議の加盟国47カ国中、同議定書の最後の批准国となった。

主要都市

ロシアには人口100万人を超える都市が13(以下、2002年時点)ある。最大の都市は首都モスクワ(1012万6000人)。続くサンクトペテルブルク(466万人)の2都市が規模としては飛び抜けて大きく、独立したロシア連邦の構成主体(連邦市)として他の共和国と同格となる。ウラル山脈東山麓のエカテリンブルクチェリャビンスク、シベリアのオムスクノヴォシビルスクを除く都市はすべてウラル山脈よりも西側、すなわちヨーロッパ・ロシアに位置する。一方、厳しい気候条件のために長らく人口希薄地域だった極東部や北極海沿岸地域でも19世紀以降に鉄道・港湾整備や鉱業開発などに伴う都市建設が進み、ハバロフスクウラジオストクは50万人を超える人口を持つ。

経済

モスクワはビジネス、文化、政治などを総合評価した世界都市格付けにおいて、世界第19位の都市と評価された。
IMFによると、2010年のロシアのGDPは1兆4769億ドル(約120兆円)であり、世界第10位である。 ソビエト連邦解体後、ボリス・エリツィン大統領の主導のもと市場経済化が進められたが、このためにかえって急速なインフレーションを招き、1990年代半ばには経済的に落ち込んだ。その後、成長に転じつつあったが1997年アジア経済危機の影響を受けて1998年財政危機を招き、再び落ち込んだ。
しかし、ロシアはサウジアラビアに次ぐ世界第2位の原油生産国であり、同時にサウジアラビアに次ぐ世界第2位の原油輸出国である。2003年以来の原油価格上昇によって貿易収支が改善し、市場経済転換後の長い経済停滞を脱し、急速な景気回復が見られた。豊富な地下資源を武器に石油産業を中心とする成長が続く。その石油産業への依存の重さや自由化の恩恵に与った者(オリガルヒ、新ロシア人、ニュー・リッチに代表される)とそうでない者の貧富の格差の拡大、チェチェン人によるテロのリスクなど、不安定要因もいくつかは見られるが、2000年にはGDP成長率が10%を越える一方、インフレーションも抑制され、好調が続いた。一人当たり名目GDPも、1999年には1334ドルに過ぎなかったのが、2006年には6879ドルと5倍強の増加を見せた。2013年に25,091ドルになり、先進国ほどの一人当たりのGDPになる見込みである。ロシアはまた、ブラジル中国インドと共に「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の1つに挙げられているが、BRICsではロシアは最も一人当たりのGDPが先進国に近く、ロシアは超大国の地位を得ようとしている。
ロシアの人口は減少しつつあり、そのペースは年々早まっているが、経済成長は今後も続くと見られている。ただ2009年のロシアのGDPは1兆2292億ドルであり、インドに抜かれ世界12位に後退している。一人当たりのGDPは59位の8,694ドルであり、60位のブラジルにほぼ追いつかれている。公用語であるロシア語は世界でも総話者数の多い言語であり、ドイツイギリスフランスイタリアスペインに並ぶヨーロッパの経済規模の大きい大国だが、開発の遅れなどの要因もあり、経済力の割には人口が多いので西側諸国よりもロシアは若干物価が安い。

鉱業

ロシアは最も鉱物資源が豊富な国の一つである。産出量が世界シェア10位以内となる資源だけで20種類に及ぶ(以下の統計数値は「鉱業便覧 平成14年版 経済産業調査会」による2002年時点のものである)。
有機鉱物資源では、天然ガス(21807千兆ジュール、21.9%、2位)、原油(3.5億トン、10.3%、2位)、燃料に用いられる亜炭(8668万トン、9.5%、4位)、石炭(1.6億トン、シェア4.4%、6位)の採掘量が多い。原油と天然ガスの産出量は1位の国(サウジアラビアアメリカ合衆国)との差が小さく、いずれも2ポイント未満の差にとどまる。このため、統計年度によっては1位となることもある。
これらの有機鉱物資源のうち、国内で消費される比率が高いのが石炭と亜炭 (88%) と天然ガス (69%) である。一方、原油の国内消費比率は29%と低く、主に輸出されている。ロシアの原油輸出量は世界第2位(1億6211万トン、2001年)である。

貿易

ロシア経済に占める貿易の割合は急拡大している。1992年時点では、国民総生産3978億ドルに対し、輸出が381億ドル、輸入が350億ドルであった。2003年に至ると、国民総生産4885億ドルに対し、輸出は1260億ドル、輸入524億ドルに増加している。輸出の伸びが著しい。これは原油及び、石油関連の生産・輸出拡大によるものだ。ロシアの貿易構造は1992年から2003年に到る10年間で大きく変化してきた。1992年時点ではソ連を構成していた諸国に対する貿易が、輸出で7割、輸入で5割を占め経済ブロックを形成していた。品目では機械と原油、化学工業製品を輸出し、建設機械と軽工業品、食料を輸入していた。ところが、2003年時点では輸出入とも相手国が分散する。原油、石油製品を輸出し、機械、自動車を輸入している。つまり、機械工業の落ち込みと原油輸出の大幅な伸びが特徴と言える。
1992年時点の輸出品の品目別の比率は、United Nations Statistical Yearbook 2003などによると建築機械 (35.0%)、原油(天然ガスを含む、14.7%)、化学品 (10.6%)、軽工業品 (8.1%)、鉄鋼 (6.9%)。同輸入品は、建築機械 (36.2%)、軽工業品 (20.4%)、食料 (16.7%)、化学品 (7.5%)、鉄鋼 (5.0%)。2003年時点の輸出品の品目別の比率は、原油 (27.6%)、石油ガス (13.0%)、石油製品 (10.4%)、鉄鋼 (6.1%)、アルミニウム (2.6%) である。2003年時点の貿易相手国は輸出相手国が順に、オランダ (6.2%)、中国、ベラルーシ、ドイツ、ウクライナ、輸入相手国が順にドイツ (14.1%)、ベラルーシ、ウクライナ、中国、アメリカとなっている。
日本との貿易は順調に拡大している。日本からの輸入額は15億ドルから45億ドルへ、輸出額は28億ドルから62億ドルに伸びている。品目は輸入を中心に変化した。日本への輸出の変化を見ると、1992年時点は魚介類、木材の2品目で50%弱を占め、アルミニウム(アルミニウム合金を含む)、石炭、白金が次いだ。これが2003年になるとアルミニウム(アルミニウム合金を含む、22.4%)、魚介類、石炭、木材、原油となった。輸入は、機械類 (26.7%)、鉄鋼、電気機械、自動車、プラスチックであったものが、乗用車 (62.1%)、建設機械 (6.4%)、映像機器、通信機器、バスに変わった。品目が自動車に集中したことになる。

軍事産業

ロシアにとって軍事産業はソ連時代から重要な地位を占めており、今後も積極的に輸出拡大を続けるとしている。輸出額は2011年は100億ドルを超え、2012年には150億ドルを超えるとされ順調に推移している。民間転用も積極的に行っており、宇宙・航空・情報通信産業等多岐にわたる。しかし、政治的な理由で輸出が出来なくなるなど不安定な要素も含んでいる。しかし、ロシアを含め世界の軍事費は今後も増え続けるとされ、軍事産業は今後も拡大を続けるとされている。

国民

ロシア語を使用する地域。
20世紀のロシアの人口動態は、第一次大戦・干渉戦争期そして第二次世界大戦期と二度にわたって激減したが、その後は回復。しかし1992年以降ふたたび人口の減少が続いており、1992年で最大1億4800万人いた人口が、2050年には1億1000万人程度まで減少すると見られている。原因には、出生率が著しく低下していること、男性の平均寿命が極めて短くなっていることがある。現在のロシアの男性の平均寿命は1987年以降短くなる傾向にあり、世界銀行の統計によると1994年には57.6歳まで低下した。その後回復したが、2008年でも61.8才である。女性は、1993年に71.2歳まで低下したが、2008年には74.2歳と上昇、男女差は12歳と極めて大きいままである。ちなみに2008年、OECD諸国の平均は男性77.2歳、女性82.8歳と男女差は6歳程度である。
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2012年04月26日

ロスチャイルド、ロックフェラーを奴隷として扱う ベネチア=スイス


ロックフェラー、ロスチャイルドが、企業を次々に乗っ取り、大帝国を作り上げてきた、その資金が、どこから来るのか?「天から降ってくるのか?」

ロスチャイルドを神格化し、恐れおののく無知は、ロスチャイルドが世界のトップであるとカン違いする所から、来る。

 世界中の大富豪の資金が集まるスイス、そこから投資先を求め、資金がロスチャイルド、ロックフェラーへと、「天下り」して来る。

ロシアン・マフィア=マーク・リッチが、スイスでダボス会議を主催する所以は、ここにある。ロシアのプーチン自身が、スイスの金融機関を経営し、スイスを通じ欧米石油・ガス会社と事業提携を推進している歴史背景も、ここにある。

ロシアは決してロスチャイルド、ロックフェラーへの抵抗の「牙城」とは成り得ず、スイスから生え出した同一の樹木の異なる枝葉が、ロシアとロスチャイルド・ロックフェラーである




西暦1200年という、現代から800年以上、時代を遡る

産業革命が起こる以前、農業以外の産業としては綿織物等の手工業が主流であった時代は、河の水流を使った水車が動力であった。この動力が得られる、スイスのような山間部が産業地帯となり、さらにスイスでは、現代の時計につながる鉄砲、刀等の精密機械業、金属加工業が発達し、山間部で火薬原料も採掘された。

産業と兵器が、スイスにあった。


綿花はインド製の物等がヴェネチアから荷揚げされスイスに届き、スイスとヴェネチアは姉妹都市であった。


やがて貿易で富を作ったヴェネチアの貿易業者=金融業者がスイスに移住する。

皇帝に反逆した貴族達は、兵器と富と産業を求め、スイスに結集した。これが、やがて現代の金融国家スイス、マネーロンダリング天国スイスを形成する。


貴族勢力=反カトリック=反皇帝の牙城がベネチアであった。このベネチアの金融業者が、後にスイスの金融界を形成する。そして、そのスイスがロスチャイルドに資金を融資する事になる

世界最大の金融街、英国ロンドンのシティ。
ここが、ポルトガル貴族等によって支配されている。
シティの「番人」ポルトガル貴族
ポルトガル貴族=金融マフィアの母国ベネチア。




スイスのシェルバーン伯爵が、スイス金融界の「ドン」として君臨。

 シェルバーン一族は、この銀行の頭取ロベルト・ホルツバッハを使い、ロックフェラーのリーマン・ブラザースと、ロスチャイルドの銀行ラザール・フレールに、資金を「貸し付けて」来た。

シェルバーン伯爵は、英国情報部のトップであり、スパイの首領であり、スコティッシュ・ライトのフリーマーソンリーという過激な狂信主義思想を持つ秘密結社のトップだったのだ。

フリーメーソンリーが果たしている極めて重要な役割を、もう一度見てみよう。アメリカのみならず、全世界で事件を生み出し、いわゆるワン・ワールド政府という社会を目指している。この陰謀の首謀者=シェリバーン男爵。

シェリバーンは何よりもまず、スコティッシュ・ライトのフリーメーソンであり、イギリス、フランス、スイスのイエズス会と強いつながりを持っていた。イギリス首相ウィリアム・ビットを操っていた以外にも、ダントン、マラーといったテロリストや、アーロン・バーに率いられた東部エスタブリッシュメントの裏切り者たち、イギリス東インド会社のスパイから経済学者になったアダム・スミス、その嘘っぱちで西側経済を破滅させたマルセスまでもが、シェルバーンの支配下にあった。

フリーメーソンのリーダーであったシェルバーンは、15世紀のルネッサンス以降に人類が享受した利益をすべて破壊し、キリストから授けられたキリスト教思想、合衆国憲法に示された社会政治理念や個人の自由という概念を裏切るのに、最も力を振るった人物であった。要するにシェルバーンはルネサンスを憎悪し、忌み嫌い、一般大衆は自分達の階級に仕える為に存在しているという、特権思想を固く信じていた。産業資本主義を憎み、封建制度を熱烈に支持していた。

 ロスチャイルドと、その米国支部ロックフェラー。この「下っ端」現場要員=ロスチャイルドのボスの1人が、このシェルバーンである。


英国スコットランド沖に浮かぶマン島、そしてイタリアのベネチア。オフショアと呼ばれるこの地域は、どこの国にも属さない「公国」、あるいは独自の法律、税法が許される「自治領」という無税地帯となっている。
世界のマネーの70%はこのオフショアにある。
富(マネー)が権力を生み出し、マネーが世界を支配する。
それが現実なら70%という数字は、世界を支配しているのがオフショアであるという事実を示している。そして世界を支配しているのは米国、アメリカ帝国であるという考えが幻想であるという事実を示している。


19世紀、世界の覇権が英国に移ると、イタリアの金融街ロンバルディアにある銀行群は次々と英国に支店を開いた。
英国にはロンバルディアのコピーのような金融街が出来、ロンバルディア街、ロンバート街と呼ばれるようになった。米国のウォール街は英国のロンバート街に依存し、ロンバート街の本拠地はイタリア、ロンバルディアにあった。
しかしロンバルディアの銀行に資産を預ける資産家は、イタリア政府に従順に税金を納める事はしない。資産は当然、直近にある税金の課されないベネチアに置く。そのため金融街ロンバルディアの銀行は、皆、本店を税金の課されないベネチアに置く。つまりベネチアが世界の中心、世界の支配者であるという事になる。

 ベネチアの金融界は狭いギルド社会であり、過去800年間ベネチア金融界を支配してきたのがデル・バンコ一族である。銀行=バンクの語源になっているこのデル・バンコ一族が世界の支配者ベネチアの中心に居る。
デル・バンコは課税を逃れるため、欧州では全く別名のウォーバーグ銀行を経営している。

ブッシュ一族などデル・バンコにとって雑用係なのだ。
 またウォーバーグ、デル・バンコはナチス、ヒトラーを全面的に支持、資金援助し人種差別によるユダヤ人大量虐殺を行わせた。


EUの本部はランベール銀行ブリュッセル支店の重役室の中にある。それはEU統一の実験の目的がどこにあるかを示している。EUと米国を動かしているのがイスラエル、ランベール(地下経済)とデル・バンコのオフショアであるという実像が浮かび上がって来る。




ベネチアの場所

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http://alternativereport1.seesaa.net/article/105869369.html

ロスチャイルドを奴隷として扱う一族

 警察の国際組織であり、国際的な犯罪を摘発する、国際刑事警察機構=インターポールICPOは、元々、ナチス・ドイツの国際スパイ組織を原型とし、それがロックフェラーの資金によって、第二次世界大戦後、インターポールに改造された。

 インターポールの創立時、資金提供者ロックフェラーに現場を任せず、自から陣頭指揮を取ったサー・ウィリアム・ペティは、スイスの金融業界を支配するシェルバーン伯爵一族の人間であり、世界中の富豪が資産を預けるスイスの金融界の、中核の1つである、スイスユニオン銀行の経営一族でもある。

 シェルバーン一族は、この銀行の頭取ロベルト・ホルツバッハを使い、ロックフェラーのリーマン・ブラザースと、ロスチャイルドの銀行ラザール・フレールに、資金を「貸し付けて」来た。

 ロスチャイルドと、その米国支部ロックフェラー。この「下っ端」現場要員=ロスチャイルドのボスの1人が、このシェルバーンである。

ロックフェラー、ロスチャイルドが、企業を次々に乗っ取り、大帝国を作り上げてきた、その資金が、どこから来るのか?「天から降ってくるのか?」

ロスチャイルドを神格化し、恐れおののく無知は、ロスチャイルドが世界のトップであるとカン違いする所から、来る。

 世界中の大富豪の資金が集まるスイス、そこから投資先を求め、資金がロスチャイルド、ロックフェラーへと、「天下り」して来る。

ボスのボスは、ここに居る。




http://www.rui.jp/ruinet.html?=200&c=400&m=211492


シェルバーン一族って何者?
シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティー[1737-1805年。1782-83年首相.jpg麻薬貿易で暴利を得た者のなかにシェルバーン伯爵ウィリアム・ペティー[1737-1805年。1782-83年首相]がいるが、彼は英国に最初の諜報機関を組織した人物である。


一体シェリバーン一族とは何者???と気になったので、少し調べてみました。

下記は
「秘密結社 上」 ジョン・コールマン博士 大田龍監訳 
リンク より「シェリバーン(=ウィリアム・ぺティ)伯爵」について書かれている内容の引用です。

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
シェルバーン伯爵は、英国情報部のトップであり、スパイの首領であり、スコティッシュ・ライトのフリーマーソンリーという過激な狂信主義思想を持つ秘密結社のトップだったのだ。

【ワン・ワールド陰謀、その首謀者の素顔】

これと関連して、フリーメーソンリーが果たしている極めて重要な役割を、もう一度見てみよう。アメリカのみならず、全世界で事件を生み出し、いわゆるワン・ワールド政府という社会を目指している。身分も高く「先祖伝来の遺産を継ぐ」立派なファミリーの心と意識と哲学を支配する、この陰謀の首謀者シェリバーン男爵とは、いったい何者だったのか。ボストン、ジュネーブ、ローザンヌ、ロンドン、ジェノバ、ベネチアなどに住み、アヘンと奴隷で信じられないほどの富を築いたファミリー、ウィリアム・ビット、マレット一族、シュルムベルガー一族のようなファミリーも含めて、シェルバーン伯爵は、その心と頭脳を支配しているのである。


(中略)

シェリバーンは何よりもまず、スコティッシュ・ライトのフリーメーソンであり、イギリス、フランス、スイスのイエズス会と強いつながりを持っていた。イギリス首相ウィリアム・ビットを操っていた以外にも、ダントン、マラーといったテロリストや、アーロン・バーに率いられた東部エスタブリッシュメントの裏切り者たち、イギリス東インド会社のスパイから経済学者になったアダム・スミス、その嘘っぱちで西側経済を破滅させたマルセスまでもが、シェルバーンの支配下にあった。このようにフリーメーソンのリーダーであったシェルバーンは、15世紀のルネッサンス以降に人類が享受した利益をすべて破壊し、キリストから授けられたキリスト教思想、合衆国憲法に示された社会政治理念や個人の自由という概念を裏切るのに、最も力を振るった人物であった。要するにシェルバーンはルネサンスを憎悪し、忌み嫌い、一般大衆は自分達の階級に仕える為に存在しているという、特権思想を固く信じていた。産業資本主義を憎み、封建制度を熱烈に支持していた。

さらに、同盟の父ウィリアム・ぺティ伯爵が創設したロンドンの英国学士院が前身となって、王立国際問題研究所(RIIA)が生まれた。ニューヨークにあってアメリカの外交問題を操る外交問題評議会(CFR)もここから生まれた。
(中略)

フランス革命でのジャコバン党の悪行も同じようにシェルバーンが操っていた。
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シェルバーン伯爵は、英国情報部のトップであり、スパイの首領であり、スコティッシュ・ライトのフリーマーソンリーという過激な狂信主義思想を持つ秘密結社のトップだったのだ。

【ワン・ワールド陰謀、その首謀者の素顔】

これと関連して、フリーメーソンリーが果たしている極めて重要な役割を、もう一度見てみよう。アメリカのみならず、全世界で事件を生み出し、いわゆるワン・ワールド政府という社会を目指している。身分も高く「先祖伝来の遺産を継ぐ」立派なファミリーの心と意識と哲学を支配する、この陰謀の首謀者シェリバーン男爵とは、いったい何者だったのか。ボストン、ジュネーブ、ローザンヌ、ロンドン、ジェノバ、ベネチアなどに住み、アヘンと奴隷で信じられないほどの富を築いたファミリー、ウィリアム・ビット、マレット一族、シュルムベルガー一族のようなファミリーも含めて、シェルバーン伯爵は、その心と頭脳を支配しているのである。


(中略)

シェリバーンは何よりもまず、スコティッシュ・ライトのフリーメーソンであり、イギリス、フランス、スイスのイエズス会と強いつながりを持っていた。イギリス首相ウィリアム・ビットを操っていた以外にも、ダントン、マラーといったテロリストや、アーロン・バーに率いられた東部エスタブリッシュメントの裏切り者たち、イギリス東インド会社のスパイから経済学者になったアダム・スミス、その嘘っぱちで西側経済を破滅させたマルセスまでもが、シェルバーンの支配下にあった。このようにフリーメーソンのリーダーであったシェルバーンは、15世紀のルネッサンス以降に人類が享受した利益をすべて破壊し、キリストから授けられたキリスト教思想、合衆国憲法に示された社会政治理念や個人の自由という概念を裏切るのに、最も力を振るった人物であった。要するにシェルバーンはルネサンスを憎悪し、忌み嫌い、一般大衆は自分達の階級に仕える為に存在しているという、特権思想を固く信じていた。産業資本主義を憎み、封建制度を熱烈に支持していた。

さらに、同盟の父ウィリアム・ぺティ伯爵が創設したロンドンの英国学士院が前身となって、王立国際問題研究所(RIIA)が生まれた。ニューヨークにあってアメリカの外交問題を操る外交問題評議会(CFR)もここから生まれた。
(中略)

フランス革命でのジャコバン党の悪行も同じようにシェルバーンが操っていた。


『プーチンとロスチャイルドを結ぶ地下水脈』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。
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 〜前略〜

…教会からの学問の自律には、反カトリックの政治運動、カトリックを信奉するローマ皇帝と貴族との対立・権力闘争、貴族側の優勢という「政治」の力学が背景に存在した。

そして皇帝=カトリックに反旗を翻した貴族達は、「カトリックとは別の宗教」を信奉する。禁断とされたエノク書等の初期キリスト教の経典を用い、「自分達の方が皇帝=カトリックよりも、歴史・伝統の古い正当なキリスト教徒である」と称した。その経典には、「一部の白人を除き、全人類を絶滅させた時、神が再来する」と書かれていた。

21世紀、米国ブッシュ大統領の信仰するキリスト教原理主義の源流である。

イエズス会の宣教師が戦国時代の日本を訪れ、火薬と鉄砲を与え、戦国武将に「日本人=有色人種同士の相互殺戮」を行わせたのは、「一部の白人を除き、全人類を絶滅させ、神を再来させる」ためであった。

こうした貴族勢力=反カトリック=反皇帝の牙城がベネチアであった。このベネチアの金融業者が、後にスイスの金融界を形成する。そして、そのスイスがロスチャイルドに資金を融資する事になる(注2)。

このベネチアはローマが東西に分裂すると、ビザンツ帝国の影響下に置かれる。ロシアの政治勢力図の中に入る。

スイスとロシアを結ぶ、地下ネットワークが、こうして形成される。

ロシアと、スイスのバーゼル、アムステルダム(オランダ)、アントワープ(ベルギー)、そして英国を結ぶ航路が、大きな通商ルートとなる。この荒海で漁を行い、英国・スイス・オランダ・ベルギー・ロシアを行き来する漁師の航海術が、後に大英帝国の海軍を形成する。

冷戦時代、敵国であるはずのソ連(ロシア)の原油を英国ICI(インペリアル・ケミカル・インダストリー)が精製する地下ルートが、こうして準備される(注3)。

ロシアン・マフィア=マーク・リッチが、スイスでダボス会議を主催する所以は、ここにある。ロシアのプーチン自身が、スイスの金融機関を経営し、スイスを通じ欧米石油・ガス会社と事業提携を推進している歴史背景も、ここにある。

ロシアは決してロスチャイルド、ロックフェラーへの抵抗の「牙城」とは成り得ず、スイスから生え出した同一の樹木の異なる枝葉が、ロシアとロスチャイルド・ロックフェラーである(注4)。



http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=210986

1492年 コロンブスはカリブ海に到達した。これが「コロンブスのアメリカ大陸発見」と言われている。しかし実際には、コロンブスはカリブの島嶼に到着したに過ぎない。1497年、アメリカ本土に到着し、本格的に米大陸への入植を開始したのが、英国ブリストル港から来訪したジョン・キャボット、セバスチャン・キャボット親子であった。

>この「真の米大陸の初代侵略者」キャボット一族は、アフリカ黒人を奴隷として米国に「強制連行する」奴隷商人として、巨万の富を築き上げる。

>UF(長年、中南米でバナナの黒人奴隷農園を経営してきたUF・ユナイテッド・フルーツ社(現在はチキータ・バナナ社))の経営者一族がブッシュ大統領一族であり、その共同経営者が著名な「キャボット一族」である。UFの黒人監視組織が、後にCIAに発展する。

>キャボット家の奴隷売買・麻薬売買の富は、スイスに集積され、キャボットの代理人であるスイスのシェルバーン伯爵が、スイス金融界の「ドン」として君臨し続けて来た

>キャボット一族は、21世紀現在、ロスチャイルドと、ロシアのプーチンに資金提供を行っているスイス金融界の源流である、ヴェネチア金融界の一画を占める、ジェノア生まれの銀行家ジョバンニ・カボートを源流としている。


シェルバーン一族の背後にキャボット家があり、キャボット家は、ヴェネチア金融界を源流としているらしい。

歴史的に調べていくと、ロスチャイルドの背後には、さらなる支配勢力がありそうだ。



http://alternativereport1.seesaa.net/article/100576557.html#trackback

ロスチャイルドのボス達
拙稿「ダイアナ元皇太子妃を殺害した一族」より続く。



 13世紀のスイスの都市を研究しなければ、現代の事は分からない。


 古代ローマ帝国と、その末裔であるハプスブルク帝国の皇帝の絶大な権力による支配は、その部下である貴族達に大きな不満をもたらした。人間、誰しも他人に支配等されたくはなかったのである。しかし、そこにはローマ・カトリックに対する、異端・キリスト教原理主義(その原型であるドルイド教)の教義、「人類絶滅を至上目的とする」が深く関与していた。


この異端を信奉する貴族達は軍事力を持ち、また領地で農民を働かせ、農産物を農民から暴力で奪い、その富を蓄積していた。金と軍隊を持ち、皇帝など居なくても「自分で独立できる」と考えたのである。


そこで、各地で皇帝に対する闘争・戦争を引き起こし、時には異民族であるトルコ軍を招き入れ、皇帝と戦争を行わせる。


この絶え間無い戦争は「人類絶滅」の目的に沿って実行された。


皇帝は戦争の費用で借金だらけになる。この金を皇帝に貸し付けたのがロスチャイルドである。


皇帝は担保として土地を差し出し、やがては借金が返済出来なくなり、担保の土地をロスチャイルドに取られてしまう。


そして、この銀行家ロスチャイルドの資金をロスチャイルドに与えていた預金者が、皇帝からの独立を狙う騎士・貴族達であった。


エッシェンバッハ一族、レーゲンスベルク一族、サヴォイ一族(ダイアナ元皇太子妃の暗殺犯)、キーブルク一族、フローブルク一族、ラッパースヴィル一族、トッゲンブルク一族と言った貴族達が、ロスチャイルドに資金を貸し、ロスチャイルドがその資金を皇帝に貸し付けていた。


 ロスチャイルドは、こうした貴族の「使い走り」でしかなかった。


借金が払えなくなった皇帝からロスチャイルドが担保の土地を取り上げると、当然、その土地は、資金提供者であった貴族の所有物となる。


こうして皇帝の権限の届かない土地が貴族・騎士達によって、都市として独立する。


 産業革命が起こる以前、農業以外の産業としては綿織物等の手工業が主流であった時代は、河の水流を使った水車が動力であった。この動力が得られる、スイスのような山間部が産業地帯となり、さらにスイスでは、現代の時計につながる鉄砲、刀等の精密機械業、金属加工業が発達し、山間部で火薬原料も採掘された。


産業と兵器が、スイスにあった。


綿花はインド製の物等がヴェネチアから荷揚げされスイスに届き、スイスとヴェネチアは姉妹都市であった。


やがて貿易で富を作ったヴェネチアの貿易業者=金融業者がスイスに移住する。


皇帝に反逆した貴族達は、兵器と富と産業を求め、スイスに結集した。これが、やがて現代の金融国家スイス、マネーロンダリング天国スイスを形成する。


こうして、西暦1200年以前に成立した、原初形態のスイスの都市国家は、わずかに35都市、その中で人口が2000人を上回るのは11都市に過ぎなかった。しかし、この都市が連合し、やがて国家を形成して行く。


 これが現在の国家の出発点であり、国家とはローマ皇帝の「質流れ品の寄せ集め」であった。国家制度の起源は、ここにある。


西暦1200年という、現代から800年以上、時代を遡る事で、ロスチャイルドを支配し、その背後にいる一族達の姿が浮かび上がって来る。



http://alternativereport1.seesaa.net/article/150258057.html

 世界最大の金融街、英国ロンドンのシティ。

ここが、ポルトガル貴族等によって支配されている
事は、既報した。

昨年の、リーマン・ブラザース倒産に続いて世界中で拡大しつつある金融恐慌。その中で、経営危機に陥った欧米金融機関発行の債券・株式、欧米諸国発行の国債に対し、中国共産党が「事実上の最後の貸し手」として投資を継続し、「世界の金融王」として君臨し始めている。

これは、やがて欧米金融機関・国家の経済破綻による債務不履行=デフォルトに際し、中国が「一蓮托生」で滅びて行くか、あるいは逆上した中国と欧米諸国の間で、軍事紛争の引き金になり、米国の代理人である日本・台湾と中国との「戦争に発展する」、大きな火種となる。

 とりあえず「最後の貸し手」となった中国共産党幹部達を、シティの「番人」ポルトガル貴族は、旧ポルトガル領マカオのギャンブル施設、サンズ・ホテル(近年、倒産)、ウィン・グループ、MGMミラージュに「招待」し、ポルトガル貴族=金融マフィアの母国ベネチアのベネチア・ホテルに「招待」する。

そこでは英国金融街シティの支配者からの豪華な接待が行われ、欧米の国債等々を購入してくれた返礼の「ワイロ」が手渡される。

 このワイロは、そのままポルトガルの銀行、あるいはスイス、ケイマン諸島等々のオフショアの金融機関に預けられ、共産党幹部達の「個人資産」となり、やがて将来、中国共産党政府が崩壊し、中国が「純粋・資本主義国」となった暁に、元共産党幹部達が、「資本家として中国各地を割拠」し、分割支配する際の「資金源」となる。

こうして中国の「次の時代」が、準備されつつある。




http://alternativereport1.seesaa.net/article/49425520.html

使い捨てにされる国家アメリカ
 英国スコットランド沖に浮かぶマン島、そしてイタリアのベネチア。オフショアと呼ばれるこの地域は、どこの国にも属さない「公国」、あるいは独自の法律、税法が許される「自治領」という無税地帯となっている。
世界のマネーの70%はこのオフショアにある。富(マネー)が権力を生み出し、マネーが世界を支配する。
それが現実なら70%という数字は、世界を支配しているのがオフショアであるという事実を示している。そして世界を支配しているのは米国、アメリカ帝国であるという考えが幻想であるという事実を示している。

1.
1991年の湾岸戦争を起こした父ブッシュと米国国務長官ジェームズ・ベーカー。ブッシュは銀行ハリマンの経営一族であり、その子会社シティ・バンクの経営一族がベーカーである。
現在のイラク戦争を起こしたのも子ブッシュであり、戦争に反対した独仏を戦争に協力するよう説得して回ったヨーロッパ特使がベーカーである。
常に戦争の実働部隊として世界を動かしてきた、
この2つの一族の経営になる世界最大のシティ・バンクは、1991年倒産の危機に立たされた。
その時、シティ・バンクが助けを求めた相手は、親会社のハリマンでも米国の中央銀行FRBでもなかった。シティ・バンクは英国の金融街、ロンバート街にある世界最古の植民地銀行スコットランド銀行に泣き付き資金を提供され助けられた。

現大統領ブッシュは、かつては酒びたりのアル中患者だった。我が子の醜態に苦悶する父ブッシュは、キリスト教原理主義の牧師パット・ロバートソンに泣き付いた。ロバートソンの説得とロバートソンの指示で24時間同居し、身心共に現大統領ブッシュの「ケア」を行った次期大統領候補コンドリーザ・ライスの努力で子ブッシュは立ち直った。(ライスは現大統領ブッシュの2人目の「妻」である。)
このロバートソンはスコットランド銀行の米国代表だった。
世界「最大」の銀行シティ・バンクと世界の「支配者」米国大統領が、公私ともに困った時に泣き付く相手が英国のロンバート街にある金融機関だったという事になり、本当の世界のボス、支配者は米国ではなくロンバート街にあったという事になる。


2.
ロンバート街にある世界最大手のスタンダード・チャータード銀行(以下SC)。英国王室の出す特許状(チャータード)により創立され、
「世界をあまねく=スタンダード」
「独占支配する=チャータード」
という意味を持つ銀行。その米国における出先機関としてシティ・バンクは巨大化してきた。SCは旧名ロード・ミルナー・セシル・ローズ銀行であり、ロード・ミルナー=ミルナー卿は世界各地でアヘン貿易を行い、有色人種の大量虐殺を行ってきた東インド会社の創立者である。
またセシル・ローズは南アフリカで黒人を奴隷とし、金GOLDとダイヤモンド鉱山を開発し世界の金塊とダイヤモンドを独占してきたデビアス=アングロ・アメリカン社AAの創立者である。
 そして黒人を奴隷とする事を定めた悪名高い南アフリカのアパルトヘイト法を起草したのがスコットランド銀行であった。
 世界「最大」のシティ・バンクと米国大統領を救った実力はロンバート街の持つ南アの金塊とダイヤモンドの資力から来ていた。
 現在、父ブッシュはAA社のカナダ支部バリック・ゴールド社の一役員である。同僚にはカナダの元首相マルルーニー、元ドイツ中央銀行総裁オットー・ベールが居る。AA社にとって中央銀行総裁も首相も合衆国大統領もマイナーな国の一支部の一役員、つまり「使い捨て可能」「取り替え可能」な一人の「使用人」にしか過ぎない事をこれは示している。


3.
SCにとって小さな島国の英国よりもヨーロッパ全体を対象にしたビジネスの方が本業であり、ロンバート街のSCは英国支店に過ぎない。そのSCの本店がイタリアのロンバルディアにある銀行スコシア・モカッタである。
 19世紀、世界の覇権が英国に移ると、イタリアの金融街ロンバルディアにある銀行群は次々と英国に支店を開いた。
英国にはロンバルディアのコピーのような金融街が出来、ロンバルディア街、ロンバート街と呼ばれるようになった。米国のウォール街は英国のロンバート街に依存し、ロンバート街の本拠地はイタリア、ロンバルディアにあった。
しかしロンバルディアの銀行に資産を預ける資産家は、イタリア政府に従順に税金を納める事はしない。資産は当然、直近にある税金の課されないベネチアに置く。そのため金融街ロンバルディアの銀行は、皆、本店を税金の課されないベネチアに置く。つまりベネチアが世界の中心、世界の支配者であるという事になる。

 ベネチアの金融界は狭いギルド社会であり、過去800年間ベネチア金融界を支配してきたのがデル・バンコ一族である。銀行=バンクの語源になっているこのデル・バンコ一族が世界の支配者ベネチアの中心に居る。
デル・バンコは課税を逃れるため、欧州では全く別名のウォーバーグ銀行を経営している。


4.
1913年、米国に渡ったウォーバーグ一族の1人ポール・ウォーバーグは、米国のウォール街に指示し、米国の中央銀行FRBを創立し、ポール自身がFRB議長の席に座る。ポールはFRBの事務仕事、雑用をベネチアの支店の、そのまた支店である米国の世界「最大」の銀行シティ・バンクに担当させた。
ブッシュ一族などデル・バンコにとって雑用係なのだ。
 またウォーバーグ、デル・バンコはナチス、ヒトラーを全面的に支持、資金援助し人種差別によるユダヤ人大量虐殺を行わせた。
 そしてポール・ウォーバーグは最大手銀行クーン・ローブ一族と婚姻し、その銀行を系列下に置いた。
正式名リーマン・ブラザース・クーン・ローブ(ライブドアの親会社)の会長でブッシュのハリマン銀行の社長ハリマンに命じ、ブッシュ一族からヒトラーへの多額の資金援助をも行わせた。


5.
ヒトラー支援に見られるデル・バンコ一族の人種主義は、他民族、有色人種との結婚を厳禁し、一族の純血を守り、欧州全体に広がる親族間との結婚しか認めない所にも出ている。その白人至上、純血主義、異民族排外がヒトラーを政権に就けた。


6.
「白人」を語源辞典、医学用語辞典で引いて見るとコーケイジャン、コーカサス人と出てくる。現在チェチェンやアゼルバイジャン等の紛争の絶えない地域コーカサスが、白人という人種の源流、発祥の地である。
 キリスト教の聖書の中に出てくるアダムとイヴが食べる禁断の木の実リンゴはこのコーカサスが原産であり、白人が世界に民族移動するに従ってリンゴも世界に広がって行った。
 リンゴが重要なシンボルとして記載されているキリスト教最古の文献の1つシュメール語版聖書が示すように、シュメールの源流はこのコーカサス地方と関係があると思われる。(現在、考古学等ではシュメール文明の発祥地は特定できていない。)

 紀元前5000年前後、コーカサスから欧州全域に徐々に移動を始めた白人(スキタイ民族)は現在のトルコにあったトロイ帝国に代表される国家、都市を各地で建設する。
さらに紀元前11世紀トロイのフランシオン王子率いるフランク族がドナウ川以西に移住、王子の名前フランシオンから後にフランス国家の名が取られる。
 またもう一つのトロイ帝国を作る意図からシャンパーニュ地方にトロワ(トロイ)という町が作られ、トロイ王パリスの名を取り首都パリが建設される。
 英国ロンドンも古くはニュー・トロイと呼ばれ、ベネチアもAD466年、コーカサスから移住してきたスキタイ人が入植、経済の実権を握って行く。
 現在のドイツ地方にAD4世紀頃移住してきたスキタイ人は、自分達を「スキタイの純血種」=ジェヌイン・ワン=ゲルマンと呼び、異民族の排斥と親族間の結婚を厳守した。ナチス、ヒトラーのゲルマン主義、異民族虐殺はここから来ている。異民族排除はシュメール版聖書の示す通り、自分達を半神半人と考え、神の血の成分を薄めないために行われる。
 神が宇宙から採取に来るとシュメール聖書に記載されている貴金属の収集への執着=金銭欲=銀行業を生業とする習性もここから来ている。デル・バンコ一族もこの部族だった。
この部族の特徴は、トロイあるいは聖書の中のエレサレム等、伝説や書物の中で聞かされてきた国家(都市国家)を再び現実世界の中で築こうとする所にある。
(イスラエル建国とモルモン教)


7.
1090年、現在のトルコ、トロイ帝国の跡地にスキタイ人が結集、トロイ帝国再建と聖書に記載されているエルサレム再建を誓いテンプル騎士団を結成する。
 1126年、エノク書を信仰するテンプル騎士団はフランスのトロワ(新しいトロイ帝国)に結集、トロイ帝国再建を誓いエルサレム奪還のためイスラム教徒大量虐殺の十字軍に出発する。


8.
現在、デル・バンコ一族はスコシア・モカッタ銀行の共同経営者となり、1948年、この銀行が経営するイスラエル・レウミ銀行がイスラエル建国資金の大部分を出資した。
 スキタイはエノク書の指示通りエルサレム再建に成功した。続く事業はイスラエルを世界を支配する世界帝国に育成する事である。要は世界を動かすマネーの支配である。


9.
現在デル・バンコ=モカッタ銀行は、ロンドンで金GOLDの取引を独占している。ロンドンの貴金属取引所ロンドン・メタル・エクスチェンジ(LME)の「黄金の間」と呼ばれる部屋では、毎日デル・バンコ一族を中心とした5つの銀行が
国際的な金GOLD価格を独占的に決定している。その決定に世界中の金融機関、貴金属購入者が黙って従っている。あらゆる商品の中でも最も重要で、しかも紙幣より信用のある決済手段である金GOLD価格が、たった5つの銀行により独裁的に決められている。
「価格は需要と供給の関係で決まる」という市場原理が全くの「作り話」である事が分かる。市場を成り立たせている根源にある金GOLDが、市場原理でなく独裁で決められている。


10.
世界を支配するためには、抵抗する者の抵抗心を麻薬で失わせる「心理戦争」も重要になる。デル・バンコは、CIAそのものであるデューク一族の麻薬入りタバコ会社ブリティシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の創立資金を出資する。
 エノク書はイスラエル以外の全ての人種を絶滅させるよう指示している。全人類を絶滅させるまで絶え間ない戦争が必要とされる。
 デル・バンコは戦争で使用する火薬を大量生産しているデュポン社を経営し、共同経営者であるランベール銀行はイスラエル建国資金を一部出資している。
デュポンが火薬生産を止めれば世界中の戦争が止まる。だがデル・バンコは火薬の大量生産を続ける。イスラエル以外の全人類を全滅させる事が「神が再臨」する条件だとエノク書が教えているからだ。
 そしてランベールの経営する新聞エレサレム・ポストは、「有色人種を絶滅させよ」と叫び続けている。ランベールは世界最大のメディア企業AOLタイム・ワーナー、CNNTVを経営し「戦闘シーンをカッコ良く」放送している。
子供と若者が戦闘もののTVゲームをやるように喜んで本当の戦争に参加するように、そして人類の絶滅に貢献させるためだ。


11.
悪質サラ金業者が「強盗でも何でもして金を持って来い」と怒鳴るように、借金だらけであったナチス・ヒトラーに対し厳しい取り立てを行い、窮地に陥ったヒトラーをユダヤ人の家全てに強盗に入らせ、ユダヤ人を大量虐殺し、奪った金で借金を返済させた国際決済銀行BIS。
このBISが自己資本規制を8%に上昇させた事で(銀行が金を貸し出さず自分で持っている事)、日本では資金不足で優良企業が次々に倒産、年間自殺者が3万人、15年間の不況で50万人が自殺する事態となった。
 BIS規制を強化したBISの頭取ジャン・ゴドーは、エノク書を信仰するランベールの頭取である。ゴドーは「人類絶滅、有色人種絶滅は神の再臨への道」と考え、日本人50万人の大量虐殺を実行した。 

 イスラエルを中心とした「神の国」の再臨、それはイスラエルを中心とした世界統一政府による中央集権管理体制であり、その実験は現在EUによって行われている。
 EUの本部はランベール銀行ブリュッセル支店の重役室の中にある。それはEU統一の実験の目的がどこにあるかを示している。EUと米国を動かしているのがイスラエル、ランベール(地下経済)とデル・バンコのオフショアであるという実像
が浮かび上がって来る。
posted by 真 救世主 at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月25日

フリーメーソンの食人

2012年4月25日 14:55
iグーグル国際欄米当局者「百パーセント」

フリーメーソン7.jpg
カニバリズム8.jpg
フリーメーソン、イルミナティと言う団体が如何に邪悪極まりないかを糾弾するために、ここにその現実を写真付きで掲載する。
カニバリズム(人肉食)をして楽しむ、すの現実を!
カニバリズム3.jpg
「女王陛下、本日の昼食は何に致しましょうか?」

エリザベス女王「ヒューマンミートのソテーにして頂戴。」←マジ。
エリザベス2世女王.jpgイギリス国旗.jpg
フリーメーソンの頂点はエリザベス女王。

イルミナティ悪魔の13血流の一つ、ダビデ家もエリザベス女王。
サンヘドリンの一つもエリザベス女王。
3バフォメット.jpg

当然、日本フリーメーソンの頂点、天皇家一族は人間の肉ガンガン食っている。
天皇.jpg日本の国旗.jpg
日本フリーメーソンの頂点、天皇明仁。まさに悪魔!!!

この写真見てもまだ、否定する?
カニバリズム2.jpg
カニバリズム4.jpgカニバリズム6.jpg
このように、フリーメーソン専用に人肉を売っている場所がある。
靖国神社.jpg
もちろん、神道関係者は必死で否定するだろう。自分が食っているから・・・

食人の儀

「巫女は食べてもいい人類だって言い伝えが・・・」の一言がある。

伊勢神宮.jpg
大邪神、天禍々彦(あままがひこ、=天若彦=天邪鬼)を祀る伊勢神宮。

その正体はルシファー。

厳島神社宮島.jpg宗像三女神 ( 市杵島姫命, 田心姫命、 湍津姫命 ).jpg

厳島神社宮島では、宗像三女神=ゴルゴン三姉妹(市杵島姫=メデューサ)崇拝を行っている。
倒されたメデューサ.jpg
倒されたメデューサ像。トルコ、アヤ・ソフィアのキリスト教寺院での地下においての悪魔崇拝。
これによる、効果は洗脳である。
ペルセウス.jpg
メデューサの首を切る半神のペルセウス座。

フリーメーソン、イルミナティ悪魔主義者にとって、「秋の日の食人」は最大の楽しみである。

カニバリズム.jpg

カニバリズムの事例は昔から割と後を絶たない。

たとえばヨーロッパでは英仏百年戦争の頃にイギリスのグラスゴー付近に、ソニー・ビーンという男を長として近親相姦を繰り返してできた一族が隠れ住んでおり、25年間で約300人以上の人肉を食ったという。

さらに中世ドイツで起こった事例だが、2人の子供が「首つりごっこ」という遊びをしているうちに片方が本当に死んでしまい、亡くなった子供の父親が相手の家族を恨みに思い、もうひとりの子供を殺して調理し、黙って相手の親に食べさせてしまったという事件がある。(ちなみにこの後両家の間に血で血を洗う報復合戦が続き、ほぼ全滅してしまったという。)


近現代になると個人的な異常性癖が食人に駆り立てたような事件が目立つ。

もっとも有名なのはロンドンの切り裂きジャックの事件だろう。中年売春婦ばかりを狙い5人を殺し、そのうち少なくとも2人目の犠牲者までは内臓を斬り裂いて食っていたと本人の犯行声明に書いてある。

1924年の一次大戦敗戦後のドイツでは、ハノーヴァーのフリードリヒ・ハールマンという人物が若い男性ばかりを24人次々と殺害、それらの遺体を解体して首に貪りつき生き血を啜った挙句、余った人肉を自分の経営する肉屋でハムやソーセージにして売ったり近所の肉屋に卸していた。

1928年のアメリカ・マンハッタンでの事例。アルバート・フィッシュは10歳の少女を誘拐して殺し、家族にあてて「生き血を啜り、尻の肉はオーブンでローストして、それ以外の肉は玉ねぎやニンジンと煮込んで食った」などという内容の手紙を出している。この男も生涯で少なくとも数十人単位の殺人を犯したという。

他にも、殺した人間を食ったばかりか皮細工でストッキングやマスクを作っていたエド・ゲイン、6人の女性を誘拐して監禁し、人肉とドッグフードを混ぜたものを食わせていたゲリー・マイケル・ハイドニク、鮮血と獣姦に興奮を覚え生き血をたびたび啜っていたというピーター・キュルテン、男ばかりを犯して殺したうえ性器などを切り取っては塩コショウで炒めて食べていたジェフリー・ダーマーと枚挙に暇がない。

近年の例ではアフリカのDRCコンゴ(旧ザイール)で政府軍および反政府軍のどちらもが、軍の携帯食料としてピグミー族の人間を使用していることが国連から批判されている。これはピグミー族の身体に戦士の血を覚醒させる効能があるという迷信によるものらしい。


しかし歴史上は、下記の「妖怪腐れ外道」のように純粋に飢えから食人のタブーを犯してしまうものの方が圧倒的に多い。農業技術が確立してない中世はもちろんだが、近代以降もひとたび飢饉が発生すれば食人の誘惑とは常に隣合わせだったことだろう。現代でも長期に及ぶ雪山遭難や海上漂流などの場合に緊急避難的に食人に手を染めたりすることは決して珍しいことではない。

日本の飢えによる食人の例では、南部盛岡藩の四大飢饉が比較的有名だろう。江戸時代は稲作の北限ギリギリだったことと、「餓死風」とまで言われる偏東風「やませ」による冷夏が猛威をふるい、数年に一度は不作・凶作になるという土地柄が背景にはある。この四大飢饉の折には使える馬すら潰し、野良犬や猫を食い尽くして、雑草・害獣・虫まで食いつくすと死人の肉を食い、それでも足りずに弱った人間から殺して食ったとされる。また近隣の村や集落と食料をめぐる争いがあれば、その死者すらも食料としてカウントされたという。


文化として成立している場合の食人や、緊急の状況下での食人を非難することはできない。だが一方で、同類を殺して口にすることに抗いがたい魅力を感じ、己の欲望のためだけに禁忌を繰り返すものがいないとは言い切れない。そして、そういった人物の逸話を調べれば一様に表の顔はよき夫だったり勤勉な社会人だったりする。

もしかしたら、そんな人物はあなたのすぐ近くにいるのかもしれない…。

そしてフリーメーソンの掟にはこうある。
「一流の悪魔は一流の慈善家でなければならない。」
1557年ブラジルで行なわれたカニバリズム.jpg
昔のフリーメーソンの人肉パーティー。
posted by 真 救世主 at 13:51| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金融の仕組みは全部ロスチャイルドが作った

『金融の仕組みは全部ロスチャイルドが作った』(安部芳裕著 5次元文庫)から

環境問題も貧富の拡大もすべては金融システムの歪みが原因です。「利子」は本来存在しません。
この架空の数字の発明によって奪い合いの椅子取りゲームが始まり、無限の借金ループとなるのです。
さらに銀行家たちは政府の通貨発行権を巧妙に奪い、濡れ手に粟の儲けを出しています。
こうして私たちは知らないうちに支配者に搾取されているのです。
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ロスチャイルドという名をご存知ですか?
閨閥によって地球を網の目のように覆い200年以上にわたり世界を動かし続ける陰の支配者。
「そんな・・・小説じゃあるまいし」と思われますか?いや「事実は小説よりも奇なり」です。
彼らが目指すのは、大衆を家畜のように管理・コントロールする社会です。一部のエリートが絶対的な権力で支配しようとしています。
ほとんどの人は「そんなバカな」とか「くだらない陰謀論だ」と思うことでしょう。
その原因は、多くの人がお金の仕組みを知らないためだと思います。
「お金のことくらい知ってるよ」と思われることでしょう。
しかし、本当にお金の仕組みを理解している人は実際にはほとんどいないのが実情です。
信じるも信じないもあなた次第ですが、まずう、事実を知って下さい。
教科書もマスコミも絶対教えてくれないロスチャイルドが作った世界支配の構造をお伝えしましょう。


はじめに−−金融システム設計者の意図に気づいた理由

 今から20年ほど前、第一子ができたことをきっかけに、私は環境問題に興味を持ちました。
 昨年、日本でも評判になった映画『不都合な真実』でアル・ゴア氏が語っていたような危機的状況を知り、「このままでは地球に人が住めなくなってしまう。大変だ。なんとかしなければ」と一人焦っていました。しかし、世はまさにバブルの真っ只中。グルメにブランド品、海外旅行と贅沢な生活に浮かれていた人々は、私の忠告などに耳を貸してはくれませんでした。
 仕事も忙しく、なかなか環境問題などに参加することも出来なかったので、とりあえず暇を見つけては独学で環境問題を研究する日々が何年か続きました。

 環境問題の解決策を模索していくと必ず「地球循環型社会への転換」に突き当たります。すでに答えは出ているのに「地球循環型社会への転換」は、現実には一向に進展しません。現実に進行しているのは、地球循環とは逆方向のグロオーバリゼーションでした。そこで私の関心は経済へと向かいます。
 1999年、NHKで放送された『エンデの遺言』という番組を観て、初めてお金のシステムそのものに構造的な問題があること。そして、その問題の解決策として地域通貨という実験的な試みが世界各地で行われていることを知ります。
 たまたま日本の地域通貨の黎明期であったため、その後、私は日本各地の地域通貨を実践しよう、勉強・研究しようとする人たちから呼ばれ、講演やワークショップを数多く行うことになりました。もともと私は経済の専門家ではなく、それどころかインフレが何かも知らない経済オンチでした。しかし、呼ぶ方はそうは思ってません。講師である私に様々な質問をぶつけて来ます。それらに応えるために、その後、必死に勉強するはめになりました。そして、勉強すればするほど、お金のことは何も知らなかったことを思い知らされました。
 お金の成り立ち、お金のシステム、それらは調べれば調べるほど興味深く、また、お金のシステムが社会に与える影響の大きさに驚きました。何故ひどくなる一方の経済格差、環境破壊、紛争などが食い止めることが出来ないのか?お金という観点から社会を見ると、それらが当然の帰結であることがわかります。
 ただ、その頃私は、それが単なる構造的な欠陥だと認識していたのです。しかし、どんなシステムでもそうですが、必ず設計者がいて、その設計者の意図がシステムに反映されるはずです。
 子供向けの入門書から高度な専門書、あるいはちょっと怪しげな類の本まで・・・・・・・、お金にまつわる本なら何でも次から次へ読み漁った私は、どうやら経済の専門書の書かれていることと現実はかなりかけ離れているという違和感を持つようになりました。「歴史は勝者がつくる」という言葉がありますが、まるで映画の『マトリックス』のように、これまで現実だと思っていた世界は、実は誰かがつくり上げた仮想現実であり、実際の世界はもっとドロドロとしたおどろおどろしい欲望と暴力にあふれたものだったようです。
 本書では、お金と金融の歴史そして問題点を取り上げ、如何に私たちがそのシステムによって知らず知らずの内に搾取され、混迷の中に置かれているか。次に、世界史をたどりながら、社会・経済システムの制度設計を行って来たロスチャイルド一族をはじめとする支配者層が、どのように私たちをコントロールして自分たちの理想とする世界を築き上げようとして来たかを明らかにしていきます。そして最後に、このおどろおどろしい現実に対して私たちはどんな対応が出来るかのか、僭越ながら未来への提案をしてみたいと思います。
 本書を読まれた方は、少なからず反発されることと思います。「そんなバカなことはない。くだらない陰謀論じゃないか」と。
 しかし、冷静に私たちが置かれている現実と照らし合わせてみれば、決して私が何の根拠も無く長々と妄言を書き綴っているわけではないことがご理解頂けると思います。
 そしてもし、このおろどおろどしい現実を変えたいと思うならば、私なりの「未来への提案」を参考にして頂ければ、これ以上の幸せはありません。


第1章お金の歴史−銀行という詐欺システムが誕生したカラクリ


「お金とは何か?」−−国家通貨と地域通貨

 まずは「お金とは何か?」と定義する必要がありますが、実はお金の定義というものは、あまりはっきりしてません。
 学者によって色々なことを言われますが、共通している機能としては@「交換の媒介物」となるもの、A「価値の尺度」となるのも、B「価値の貯蔵手段」となるもの、この三つがお金の三大機能と言われてます。その他に重要な機能としては「投機的利益の道具」となるもの、「支配の道具」となるもの、等があります。
 私たちは通常1種類のお金しか使ってませんが、実はお金の形態は一つではありません。私たちが普段使っているお金、円とかドルとか、ポンドとか、元などは国が法律で認めているお金で国家通貨(National Currency)と言います。その特徴としては強制通用力を持っていることです。国によってその効力は定められていて、誰も受け取りを拒否出来ないものです。国家通貨は汎用性があり、いつでも、どこでも、誰にでも、何にでも使用出来て非常に便利です。
 この国家通貨以外に地域通貨(Local currencyあるいはCommunity currency)というものがあります。これは特定のコミュニティで信頼に基づいて発行されるお金の総称です。総称ですから決して1種類のものではありません。
 地域通貨には色々な種類があります。地域通貨の特徴としては強制通用力がありませんから、任意、合意によって成立するものであると言うこと。もう一つの特徴としては機能が限定されていて、ゼロ、もしくはマイナス利子であること、さらに使用範囲が限定されていることです。お金の機能を交換と価値尺度に特化させたものになっています。
セクター別お金の分類.jpg
セクター別お金の分類

原始的な自給自足から物々交換へ

 お金の存在しない時代、私たちの祖先は共同体の中で自給自足をしていました。ただ、自給自足というのは、自らの生活に必要なものを全部作り出さなければいけないので、非効率的であり、なかなかの重労働であったりします。
 自給自足経済では、その地域で取れないモノがあったりまたモノ自体が不足してしまう場合もありますので、物々交換の必要性が生まれてきます。
 ただ、この物々交換というのは、交換の方法としては効率が良くありません。例えば、Aさんは普段、海で魚を捕っているとします。毎日毎日魚ばかり食べているので、たまには「お肉でも食べてみたいなぁ」と思うようになります。そこで、今日捕った魚を持ってBさんの牧場へ行き「魚と牛肉を取り換えて下さい」とお願いします。Bさんがさかな好きなら問題ありませんが「そんな生臭いものは喰いたくねぇ」とか言われたら交換が成立しません。
 しかたなくAさんはお肉を諦めて、今度は野菜との交換を目指してCさんとの畑に行きます。「すみません。この魚と野菜を交換して下さい」「いやー、魚は好きだけど、この前たくさん交換しちまって、食べきれないくらい干物にして持っているんだよ」
 こう言われてしまうと、やはり交換は成り立ちません。
 しかたなくAさんは物々交換を諦めて、家で魚を食べることにしました。しかし、家に帰ってみると既に魚は腐っていたなんてことが起きる場合もあります。
 このように物々交換はお互いの欲求や必要性が一致しないと交換がスムーズに行えないという不便さがあります。


便利な交換手段としてお金が発明され文明は発達した

 そこで発明されたのが、交換の媒介物としてのお金≠ナす。
 お金とは何かというと、それを持ってくれば「相当分の何かと交換しますよ」という取り決めだったのです。つまり、突き詰めて言えば、お金の本質は情報≠ナす。お金が発明されたことにより、いつでもどこでも誰とでも何とでも交換が出来るよになりました。これは非常に便利ですね。
 また、人には得手不得手があります。例えば、私は絵を描くのが好きで、非常に上手いとします。しかし、いくら絵が上手くても、お金がなければ、やはり自分の必要とするものは自分でつくらなければなりません。そうすると絵を描く時間もなくなってしまいます。ところが、お金を媒介とすることで、私は好きな絵を描いて、それを売り、生活に必要なものを手に入れることが出来ます。
 つまり、お金が人と人を結ぶ道具となり、人間は初めて「自分の好きなことをしながら生きていくことが出来る」という自己実現≠フ可能性を手に入れます。
 こうして交換の媒介物としてのお金が使われることにより分業化が促進されていきました。また、分業することにより専門性が高まり、効率性が向上したり、より高度な技術が開発されたりして、文明が発達していくことになります。


お金の発明史@−−日常必需品としての商品貨幣

 お金の発達段階は世界各地によって様々ですが、半ば強引にまとめて大まかな流れをご説明します。
 まず初めにお金として使われたのは、お米や小麦、塩、油、布、皮、牛、羊など、誰もが生活していくにおいて必要とするものでした。誰もが必要とするから「交換の媒介物」として成立したわけです。
 しかし、これらの商品貨幣は自然物ですから時間と共に品質が悪くなったりします。また、例えば牛がお金だったとして、少額の取引をするたびに切り刻むというわけにはいきませんね。つまり、商品貨幣には劣化するという問題と分割に不便という二つの問題がありました。


お金の発明史A−−希少性に基づいた貝殻貨幣

 次に世界的に使われたお金は、貝殻です。
 タカラ貝などのキレイで粒の揃った貝殻は非常に珍しく、アクセサリーとして使われ人気がありました。
 何故貝殻がお金として使われたかと言えば、それはその希少性に基づいています。非常に珍しく、人気があった。だから誰もが欲しがった。誰もが欲しがるから「交換の媒介物」として成立したわけです。
 しかし、希少性に基づくということは十分な数が無いということです。例えば交換する品物がたくさんあっても、その媒介物が少なければ充分な交換が行えなくなります。さらに、数少ない交換の媒介物を巡って競争が促進されることになります。


お金の発明史B−−劣化しにくい金属貨幣

 やがて鉱山の発掘技術が発達してくると、金や銀などの貴金属がお金として使われるようになります。
 これも希少性に基づいたお金です。非常に珍しく、人気があったので、交換の媒介物として成立したわけです。
 金属には、お金として非常に優れた性質がありました。それは品質があまり劣化せず、分割が割りと容易に出来るという性質です。品質が劣化せず、長い時間経っても価値が変わらないので、お金に「価値の貯蔵手段」という機能が加わります。
 ただ、この頃は金属そのものがお金として使われたので、取引のたびに重さを量ったり、純度を調べたりする必要がありました。本当にこの金属は純金なのか?何か違う金属が混ざっているのではないだろうか?という点では、品質に不安があったわけです。


お金の発明史C−−信用の裏付けを必要とした鋳造貨幣

 そこで次に出来たお金が鋳造貨幣、いわゆるコインですね。
 これは重量や純度が一定であるとお墨付きを得たものです。しかし、誰もが勝手にお墨付きを与えられるわけではありません。どこの誰かも知らない人間のお墨付きなんて信用出来ませんから。
 そこで信用があった貴族や国王など時の権力者(※反吐が出そう・・・)に貨幣発行権が集中することになります。ここで、重量や純度が一定であるために、お金に「価値の尺度」という機能が加わります。
 それと、お金の総量は「どれだけ貴金属が発見されたか」によりますが、誰にどれだけ分配するかを決める権限を、貨幣発行権を持つ国王などが持つことになります。誰にどれだけお金を分配するかを決める権限を自分が持った時のことを想像してみて下さい。どれだけの大きな権力を手中に収められるか。こうして、お金に「支配の道具」という機能も追加されます。


金細工師の預かり証を利用した取引

 中世ヨーロッパでは、国王が定期的に鋳造貨幣を回収して、税金として金属を少し削り取ったり、あるいは削り取った分、他の金属を混ぜたりして、新たに刻印して返却していました。この作業を担当したのが金細工師です。金細工師たちの家には、集められた貨幣を保管する大きな金庫があり、当時のお金持ちたちは、金貨を自分で所持していると泥棒に入られたり強盗に襲われたりするので、金細工師の金庫に金貨を預けていました。金細工師は、その保管料をもらうというビジネスです。

 AさんがBさんと何か取引をした場合(図1)、Aさんは金細工師に預かり証を渡し、預けてあった金を引き出します。そして、その金でBさんへの支払いをします。
図、お金.jpg

 その金を受け取ったBさんは、やはり金を持っていると泥棒に入られたり強盗に襲われたりするので、金細工師の金庫に預けます。そうすると金細工師たちは、Bさんへの預り証を渡します。
 結果だけ見ると、AさんからBさんへの金の所有者は変わりますが、金が金細工師の金庫にあることには変わりません。つまり、AさんからBさんへ預り証を渡せば、結果的には同じこと(図2)になります。


お金の発明史D−−信用創造から近代銀行制度が始まった

 こうして、金の保管所の預り証で決済する方が安全で便利なので、この預り証がお金の役割を持つことになりました。紙幣の誕生です。
 ところが、皆が預り証で決済するようになると、金細工師たちの金庫に金は眠ったままになります。そのことにい気づいた金細工師たちは、この金を裏付けとしてお金に困っている人に紙幣を貸し付け、その利子を取るというビジネスを思いつきました。これが近代的な銀行制度の始まりです。ですから、当時のお金=銀行券という紙幣は、それを銀行に持っていけば相当分の金と交換出来る兌換券でした。
 こうして、お金は銀行貸し付けに基づくお金に変身し、お金は銀行から融資を受けた時に作られるようになります。これを信用創造と言います。
図2.jpg

信用創造とは銀行の詐欺行為

 銀行の信用創造は将来価値の先取りになります。このことについて少し説明しましょう。
 Aさんが銀行家から100万円借りて、利子込みで110万円返済するケースを考えてみましょう。Aさんは融資を受けた100万円を事業に投資します。原材料を仕入れ、人件費、燃料費などの減価償却費のコストに付加価値を加えて売上げを110万円あげれば、初めて銀行家に110万円返済することが出来ます。
 仮に、120万円の売上げを上げれば、初めてAさんの手元に10万円の資産が残ります。
 逆に、もし110万円を返済出来ない場合は、何かしら担保に入れた実物財を没収されることになります。
 つまり、信用創造は。Aさんが将来的に経済活動によって価値を生み出すことを前提に、そこで得られる成果を先取りしている行為なのです。
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(図;顧客の金を内緒で流用)
銀行家同士で金を融通し合って、顧客から引き出しの要求が来た時に対応する。内緒で客の金を運用し合う銀行家の秘密のカルテルが形成されていく。

この時、銀行家が行う作業と言えば、ただ銀行券を印刷して渡すだけです。銀行の保有する何かしらの実質的な財を貸し出しているわけではありません。
 しかも、この貸付けの元となっている金は、銀行家のものではありません。顧客の金を内緒で勝手に利用しいているのですから、これは詐欺的行為と言ってもいいでしょう。でも、そのことは秘密にされて来たので、誰からも文句が出ることはありませんでした。
 ただ、たまに困ったことが起きました。金の持ち主である顧客が、何かの理由で一斉に金を引き出しに来た時です。銀行家の金庫には、紙幣の分しか金は存在しません。そういう時には、他の銀行家から一時的に金を借りて、その場を凌ぎました。逆に他の銀行で取り付け騒ぎが起こった時は、融通をしてあげます。
 こうして後ろめたいことをしている同士、銀行家間で秘密のカルテルを形成していくことになります。一度、引き出された金も、やがてはまた銀行家の金庫へ戻って来ます。そして、もし、この銀行家同士が家族であれば、金は常にこの一族の金庫にあることになります。


金融カルテルの形成

 この大掛かりな詐欺的行為がバレないためにも、銀行業者の秘密性はさらに高まりました。かくして銀行家カルテルは物質的な金に囚われることなく自らお金を創り出し、それを誰にどれだけ分配するか決める権限を持ったのです。
 このようにお金の主流が、銀行が発券する紙幣に変わっていくと、これまでのように国家がお金をコントロールすることは出来なくなりました。ヨーロッパの君主たちは、お人好しにも、銀行家は大量の金を持っているのだと信じたのです。そして、国家がお金を必要とし、しかし税収をもう上げられないとなると、銀行家から借りるしかないとなりました。
 旧約聖書では、「借りる者は貸す者の奴隷になる」と言っています。こうして次々と国家に対して貸し付けることによって、絶大な力を手に入れるようになったのが、ロスチャイルド家です。


中央銀行制度の誕生

 資本主義の発展と共に多くの銀行が誕生し、それぞれの銀行が預り証として銀行券を発行するようになりました。これまでのようにお金をコントロールすることが出来なくなった国家は、銀行とある取引を行います。それは、政府がお金を必要とする時、銀行は必ず供給する。その代わり、銀行がお金を発行し管理する権利を得るという協定です。こうして19世紀後半から銀行券は中央銀行のみが発券するという制度が誕生し、世界各国へ広まっていくことになります。
 中央銀行の役割を知るために1694年に設立されたイングランドの例を見ましょう。
 フランスとの長い戦争が続き多額の戦費を必要としていたイギリス政府にウィリアム・パターソンという人物がある財政計画を提案します。それは、民間から120万ポンドの資金を集め、8%の利息で国家に貸し付けるというもので、イギリスの戦費を調達する代わりにイングランド銀行という株式会社を設立し、その資金と同額までの銀行券を発行してよいという国王の許可をもらいました。
 同時にイングランド銀行は、政府の財政管理も任され、国債市場を整備することになります。こうして中央銀行は「発券銀行」と「政府の銀行」という二つの機能を持つようになりました。


世界恐慌と銀行

 1929年、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落したのをきっかけに世界大恐慌が起こりました。
 経営がおかしくなった企業は、銀行に駆けつけて預金を引き出します。はじめのうちは要求に従っておとなしく銀行券を渡していた銀行も、苦しくなった企業が増えるにつれ、預金引き出しを渋るようになりました。
 そうなると預金を引き出すのに銀行券をもらうのが不安になり「金(金貨)で返せ」と言うようになります。しかし、それだけの金貨が銀行にはありませんでした。前述のように、銀行は手持ち以上の銀行券を発行していたのです。ますます銀行券は信用されなくなり、兌換要求に応じられない銀行は倒産に追い込まれました。
 そうなると倒産した銀行に預金していた企業や融資を頼っていた企業も巻き添えになり、倒産してしまいます。このように倒産の嵐が吹き荒れ、失業者が街にあふれてしまったのです。こうして大恐慌が原因となり、主要各国の金本位制は崩壊しました。
 この時に、第一次地域通貨ムーブメントが起こります。オーストリアのヴェルグルやドイツのシュヴァーネンキルヘンでの成功事例を見て、世界各地で地域通貨が作られました。この時期アメリカだけでも4000もの地域通貨が作られています。
 色々なタイプの地域通貨が作られましたが、成功したものは2種類で、一つは地方政府が主体となって必要な公共事業を起こし、その労働に対して地域通貨を支払うというタイプのもの。もう一つは、企業が自ら生産した財を担保として発行したタイプの地域通貨です。しかし、いずれも「国家の通貨システムを乱す」という理由で禁止されてしまいました。


第二次大戦とゴールド

 その後、世界は混沌のままに第二次世界大戦に突入していきます。
 戦後、世界の金(ゴールド)の65%が米国に集中したそうですが、その理由の一つは、第二次世界大戦が膨大な物資の消耗戦であり、米国がその資源供給国となったため。もう一つは、それまでの金融の中心地であった米国に資金が移動して来たためと言われています。
 金(ゴールド)が米国に集まっていたことが決め手となり、1944年に開かれたブレトン・ウッズ会議で、米国は世界の銀行という役割を担うことになります。ドルが世界の基軸通貨となり、「米ドルのみが金と交換可能で、他国のお金は米ドルと交換出来る」という金為替本位制がとられることになりました。
 翌年に開かれたヤルタ会談では、戦後の世界統治について話し合われ、資本主義国を米国が、共産主義諸国をソ連が統治していくことが決められ、米国は世界の警察という役割も担うようになります。
 そして戦後、同盟国の復興や軍隊派遣でドルが大量に国外へ流出していくことになります。


金本位制の崩壊

 米国は、金の準備量をはるかに超えたドルを発行して世界中にばら撒いたため、金との交換を保障出来なくなりました。
 1971年、当時の大統領ニクソンが、ニクソン・ショックと言われるドルと金の交換停止を発表します。これにより金為替本位制は崩壊。お金はこれまでの兌換券から不換券へと転換しました。お金の裏付けとなるものが何もなくなったのです。金という物的制限を失ったお金の発行量は際限なく膨れ上がり、金融市場はまるで糸の切れた凧のように不安定なものとなっていきます。


グローバル・カジノ

 では、お金の価値は何によって決められるかというと、需要と供給のバランスによって価値が決まる変動相場制がとられるようになりました。
 この頃からコンピューターの発達に乗って投機が過熱していきます。お金自体が商品となり、「投機的利益の道具」となったのです。コンピューター上の数字となったお金は、一瞬たりとも休む間もなく利潤を求めて世界中を駆け巡るようになりました。年間の通貨取引量は300兆ドル(約3京6000兆円)にまで膨れ上がり、これは全国家のGDPの10倍もあって、お金は地球を数個も買うことが出来るような状態(←じゃぁ、買ってみろよ?)となりました。
 この実物経済からかけ離れ巨大に膨れ上がった投機マネーが、1990年代後半に世界各国で金融危機を引き起こすことになります。
 そしてまた、国家通貨で生活出来なくなった人たちの間で、地域通貨が復活し始めました。


第2章お金の問題点−利子という椅子取りゲームが貧富の差を生んだ!

ある寓話から

 お金の問題点を知るために、一つの寓話から話を始めましょう。

 あるところに、自給自足をしていて、足りないものは物々交換で補っている100人ほどの小さな農村がありました。
 そこへ、どこからともなく見知らぬ男が現れます。
 男は村中をブラブラしながら、しばらく村人たちの生活を観察していきました。
 素朴で疑うことを知らない村人たちは、不審な男へも笑顔で挨拶をし、寝場所を提供してあげたりしました。

 何日か過ぎて、男は村人を集めてこう話ました。「皆さんはなんて原始的な生活をしてるんでしょう。私が良いものを教えてあげましょう。」
 そう言って、あるモノを皆に配り始めた。
「これはお金というものです。これを使えば交換がスムーズに行えます。」
さらに男は野菜作りの得意な人は八百屋を、狩りが得意な人は肉屋を、釣りが得意な人は魚屋を、料理が得意な人はレストランをお菓子作りが得意な人にはケーキ屋を、花が好きな人には花屋を手先の器用な人には大工をきれい好きな人には掃除屋をと、各人がお店を開くことを勧めました。
 それまでは自分の生活に必要なモノを各人がバラバラに作ったり調達したりしていたのですが、男が置いていったお金を使って交換をすることにより、それぞれが自分の得意なことや好きなことを生かして生活出来るようになりました。
 また。作業を分担することにより、村人同士のつながりも密接になり、静かだった村に活気が出て来ました。
 1年が過ぎて、再び男が現れ、村人を集めてこう言いました。
「どうです?お金があると便利でしょ?申し遅れましたが、実は私、銀行家です。この前皆さんに10万円づつお貸ししました。来年、また来ますので、それまでに利子をつけて11万円を返して下さい。返して頂けない場合は、お店の権利を頂くことになります」
 お金のある生活にすっかり慣れてしまった村人たちは、昔のような自給自足の生活に戻る気はありません。お金を貸してくれた銀行家に御礼を支払うのは当然と、利子をつけて返済することを了承しました。
 再びに日常生活に戻り、いつも通り商売に励む日々が続きました。しかし、なんとなく手元のお金が気になります。すでに11万円持っている人は、お金を減らさないよう出来るだけ使わないようにしました。また、11万円持っていない人は、足りない分を何とか稼ごうと、もっと儲かる方法はないかとアイデアを捻る人が出て来ました。返済日が近づくにつれ人は焦り始めます。「どうしよう?このままだとお店を没収されてします・・・・・・・・」
 こうして仕事の目的が、これまでのように人々が必要とするものを提供することではなく、お金を稼ぐことに変わっていきました。
 そして、相手が必要としているかどうかなんて関係なく、とにかく売ってお金を儲けることを目指すようになります。
 なんとなく村人同士の関係もギクシャクしてきました。

 1年が過ぎ、銀行家は再び村にやって来ました。「さぁ、皆さん、約束通り、利子をつけてお金を返して下さい」

 10万円を100人に貸したので、村にあるお金は1000万円です。しかし、銀行家へ返すお金の総額は1100万円。当然、返済出来ない人が出て来ます。
 結局、村人の3分の2が返済できませんでした。村人の中に「勝ち組」と「負け組」が誕生します。
 銀行家は「負け組」の人たちに向かってこう言います。「またお金を貸してあげてもいいですが、皆さんはどうも商売が上手ではないようです。リスクが高いので、今度は利子を20%にして12万円を返してもらいます。ただし、今度こそ返して頂けない場合は、お店の権利をもらいますよ」
 銀行家は返済の誓約を得て、再び村人にお金を貸し付けて行きました。
「ではまた1年後に」


本来は存在しない利子返済

 この寓話は、お金の問題点を理解しやすくするために、その仕組みを非常に単純化してストーリー仕立てにしたものです。もちろん実際のお金の仕組みはもっと複雑ですが、基本的な構造は変わりません。では、復習してみましょう。
銀行のマネー回路.jpg
銀行のマネー回路(貸し出し局面)   図2;銀行マネーの回路(償還局面)

 図1は銀行によるマネー回路を図にしたものですが、まずは貸出しの局面です。
 お金を必要としているAさんが銀行からお金を借ります。その際、Aさんは融資金額に相当する担保を銀行に入れます。Aさんは基本的に企業ですね。
 Aさんは銀行から借りたお金を使って事業のために投資します。人件費やら原材料費やら設備投資費ですね。ただ、分散すると分かりづらいので図では一本化してあります。
  AさんはBさんにお金を渡し、Bさんから何かしらの財を受けとります。
 BさんはAさんから受け取った受け取ったお金をCさんとの取引の時に使用し、Cさんから何かしらの財かサービスを受け取ります。
 以下、同様にDさん、Eさん、Fさんと取引が繰り返され、最終的にFさんがAさんの生産した財かサービスを受け取った時、Aさんにお金が戻って来ます。
 続いて図2の償還局面です。Aさんは銀行から借りたお金、元本に利子を付けて返さなければなりません。返さなければ担保に入れていた資産を取られてしまいます。しかし、このマネー回路の中に利子分のお金はありません。元本だけです。利子を付けて返すには、他のマネー回路から、利子分のお金を持って来ないといけません。つまり、利子とは単なる数字であって、実際には存在しないお金なのです。これは椅子取りゲームに例えられます。皆が椅子に座ろうとするけれど、全員分の椅子はありません。必ず椅子に座れない人が出て来ます。
 寓話の中で、初めに利子を付けず男が村人にお金を与えた時の状態を図にしたものが、図3の地域通貨のマネー回路です。お金は、この回路の中をグルグル回ってるだけの状態です。つまり、地域通貨とは、財やサービスの等価交換システムなのです。
 もちろんこの中にもお金儲けの上手い人下手な人がいます。多少の貧富の差というのは出て来るでしょう。一番の違いは、このお金は借金ではないので、貨幣システムのせいで破産したり、私財を没収される人が出て来たりしないところです。


現在のお金のシステムでは破綻は不可避

 利子はバーチャルな数字であって、実体のないお金です。利子分のお金は、椅子取りゲームのように、誰かから奪わなければ支払えません。だから、椅子を巡って激しい競争が行われます。
 そして、全体で見れば貸し出し金額より返済金額の方が常に大きい。借金を完済しようと思えば、さらに新たな借金をしないとできない仕組みになっています。これを「無限の借金ループ」と呼びます。
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地域通貨のマネー回路

 フォード自動車の創業者ヘンリー・フォードは「金融業者たちの目的は、消滅不可能な債務の創造によるう世界支配である」と語っています。
 
どんな事業を行うにも、まずは資本の調達が必要です。
 株や社債を発行したり、金融機関から借り入れたり等の方法がありますが、これらのお金には必ず利子が付きます。
 この利子は誰が支払っているのかと言えば、直接的にはお金を借りた事業者ですが、実際には利子や配当も経費として価格に含まれるので、間接的に私たち消費者の誰もが負担しているのです。ドイツで行われた調査では、商品やサービス価格の25〜35%は、利子ないし資本部分ということでした。
 例えば、10万円借りて元本の10万円のみ返せばよいなら、経済は均衡を保ったまま、お金と、その反対方向に財やサービスが循環するだけですが、10万円借りて元本+利子11万円返さなければならないとなると、1万円分売上げを増やさなければならない。つまり経済成長しなければならなくなります。利子の返済によって経済成長が強制されると言ってもよいかと思います。
 さらに、このシステムでは利子率を上回る収益を出せる事業にしか投資出来ないという問題があります。しかし、必要な事業が必ずしも収益を出せるわけではありません。収益は出ないけれども私たちにとって必要な事業というのはたくさんありますが、銀行家が通常そういう業務に投資することはありません。
 それと、ご存知の通り地球は有限です。
 私たちの経済活動というのは、地球という閉鎖空間の中で行われ、その地球自体が持つ生産能力及び浄化能力の範囲内でしか持続的に行うことは出来ません。この資源循環を超えて経済成長を続けていけば、やがて環境破壊に行き着きます。
 つまり、今の貨幣システムでは、経済的な破綻か環境的な破滅か、どちらかという選択肢しかありません。
 経営者なら誰もが経済的な破綻を避けたいと思うはずです。自分や家族だけでなく社員やその家族の生活までもその双肩にかかっているのですから。目前の問題である経済的破綻を避けるために、取り合えずは将来的な問題である環境を犠牲にしてしまうのも仕方ない選択なのかも知れません。
 かつては、経済が成長すれば皆が豊かになるとされていました。しかし、実際には経済格差が拡大するのみで、一部の富者と大多数の貧者に分かれてしまいました。貧者が増えれば消費は止まり、成長も止まります。
 このような行き詰まりを解消するために、戦争で全て破壊して一から作り直す「スクラップ&ビルド」と言われる愚かな行為が行われる要因にもなります。


 経済成長がもたらすもう一つの問題は、時間との兼ね合いです。一日は24時間、一年は365日でしかありません。来年になったら一年が380日になるなんてことは有り得ません。時間は不変だけれども、売上げは伸ばし続けなければならない。価格を上げれば競争に負けてしまいますから、簡単に値上げすることも出来ない。そうなると、行われることは効率化、合理化、リストラというものです。一定の時間の中でぎゅっと作業を圧縮して行うことになります。
 リストラとして最も行われていることは人件費の削減、つまり人を減らすことです。だから、一方では精神に変調をきたしたり、過労死するほど忙しい人がいる中で、他方では仕事のない人が溢れるという現象が起きます。
 この先、ますますRace to the bottom 「最低水準へと向かう競争(引き下げ競争)」と呼ばれる状態が加速していくでしょう。つまり、いかに長時間、安い賃金で、過酷な労働をさせるか、底辺に向けての競争が行われる社会です。


本当の勝ち組は銀行家

 再び先ほどの寓話に振り返ってみましょう。
「負け組」は圧倒的不利な状況に置かれます。お金を必要としているところには、さらに高い利子が付きます。しかし、もともと返済能力の低い人に、さらに高いハードルを設けるわけですから、再び返済不能に陥る可能性は当然高くなります。
「負け組」と呼ばれる人は、自分の存在価値を見失ったり、社会や人間への不信感を募らせたりすることになるでしょう。それは、モラルの喪失や、犯罪や自殺の原因ともなります。
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首吊りした若い女性

 最近「誰でもいいから殺したかった」と無辜の人々を道連れにする凶悪な犯行が目立ちます。もちろん本人の責任が一番大きいのは確かですが、その人たちを追い詰めた社会状況を変えない限り、このような凶行は今後も増え続けるのではないでしょうか?
 社会の中に経済的弱者が出てば、通常は社会保障で救済します。つまり、経済的弱者が増えるほど、真面目に働く納税者の負担が増えることになります。
 寓話の中の「勝ち組」を現実社会にあてはれば資本家といってもいいでしょう。資本家には有利な選択肢があります。その地域に貧しい人が増えて売上げが伸びなくなれば、更なる利益を求めて移動することが出来ます。
 また、人件費を安く抑えるために、生産拠点を移すことも自由です。しかし、住民はそれに伴って移動するというわけにもいきません。資本家が地域の外に出れば、この地域からお金や雇用が無くなって、さらに貧しい状態に置かれます。
 ただ、先ほどの寓話の話での本当の「勝ち組」は、実は資本家ではありません。誰だかわかりますか?
 そう。銀行家です。銀行家が何をしたかと言えば、ただお金を印刷して配っただけ。それだけで村人の労働の成果である元本+利子、あるいは破産した人からはお店の権利をもらいました。実に悪魔的かつおいしい商売です。


地方から中央へのお金の転移

 ここまで銀行による貨幣システムの問題点を見て来ましたが、私は何も銀行員がみんな悪いと言っているわけではありません。おそらく銀行に勤めている方は、真面目で勤勉な方がほとんどでしょう。問題はシステムなのです。
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地方から中央へのお金の転移

 銀行は利潤目的の機関であり、決して国民の生活を守るために設けられた機関ではありません。
 銀行システムを通した、地方から中央へのお金の転移についても見ていきましょう。
 地方で、企業や商店、あるいは個人が一生懸命働いて稼いだお金は、銀行の支店に預けられます。
 この預金は各支店から中央の本店に流れて行き、本店は安全・確実に資金を増やすために、大企業や多国籍企業に貸し付けたり、あるいはヘッジ・ファンドなどで運用したりします。
 そこで得られた利益の一部が預金者にわずかな利子として還元されますが、地方の企業に投資されることは、あまりありません。
 仕方なく政府が再分配機能を発揮して、地方交付税や公共事業という形で地方にお金を流します。本来なら、その資金は税収から捻出するものですが、現在その余裕は無く、国債を発行して、その原資としています。
 こうして地方へ流したお金も、やはり銀行の支店に預けられ、同じような経緯をたどって、大企業や多国籍企業、投機家を太らせ、地方を痩せ衰えさせる結果となります。
 こうして見て来た通り、現在起きている多くの問題は、ほとんどが貨幣システムに起因していることをご理解頂けると思います。
 アインシュタインは「問題は、その問題を引き起こした考え方と同じ考え方をしているうちは解けない」という有名な言葉を残しています。
 つまり、このシステムに手をつけない限り、自民党だろうが、民主党だろうが、誰が政権を取っても、何をやっても状況は変わりません。問題を解決するには、全く違う発想をする必要があります。


第3章金融の歴史−国家の命運は銀行家が握っている

ユダヤ教徒への迫害から生まれた金融システム

 金融の歴史についても、ごく簡単にまとめてご説明しておきましょう。
 国際的な金融システムを最初に作りあげたのはユダヤ人(という架空の民族)でした。
 昔のヨーロッパキリスト教社会では、ユダヤ教徒たちは「キリストを十字架にかけて殺した罪人」として迫害されていました。ほとんどの職業につくことを禁止され、土地を持つことも制限されたため、農業を行うことも出来ませんでした。
 唯一の残された職業が、キリスト教徒から忌み嫌われていた利子を取り扱う職業=高利貸し(質屋)や金塊の保管人(貿易決済業)などでした。
 当時、ユダヤ教もキリスト教やイスラム教も、利子の徴収は原則として禁じられていたのです。利子を取ることの弊害を経験的に知っていたのでしょう。しかし、ユダヤ教だけは例外として、異教徒から利子を取ることは許されていたのです。
 何故ユダヤ教だけが例外だったかと言えば、ユダヤ教徒は異教徒を人間として認めていなかったからです。後述する「タルムード」に書かれているように、相手は人間じゃないから何をしても良いという発想があったのではないでしょうか?
 中世になってルネサンスや宗教革命が起こり、政治と宗教が分離され、キリスト教会から国王に司法権が移り、その後、フランス革命などを経て国民が力を持つようになりました。教会は国民の経済活動に口を出せなくなり、利子を取ることは罪悪ではなくなりました。ところが、それまで利子を取ることが罪悪だっただけに、金融の技術はユダヤ人(という架空の民族)の専売特許だったのです。
 ユダヤ人は弾圧を受け、世界中に拡散して行きました。この離散状態を生かし、貿易決済業にたずさわるようになり、為替技術を発達させます。そして、保険や株式会社、債券、銀行券などを「発明(詐欺)」していくことになります。
 このように、現在の金融業は、ユダヤ人の迫害から生まれて来たとも言えるもの(この文言がすでに「嘘」。)です。ユダヤ人は自らの構築した金融システムのノウハウを積極的に提供して行きました。それが、産業革命という(三男、ネイサン・ロスチャイルドの基盤、イギリスでの利権の)時代の波に乗り、資本主義を世界に広めて行くことにつながります。
 産業振興や侵略戦争など、国家の運営に必要な資金を最も上手に調達出来る(偽)ユダヤ人は、ヨーロッパ各国の王室にとって必要不可欠な存在となり、国家財政や金融政策を奪い取ることに成功しました。その中でも最も強大な影響力を持った存在、それがロスチャイルド家の人々でした。


国家と企業と銀行の力関係

 金融資本とは、銀行資本が産業資本と結合して、経済を独占的に支配する資本形態のことを言います。銀行資本は、いわば口座の中のバーチャルな数字です。それ自体が何か実質的な富を生み出すわけではありません。銀行資本は産業資本と結合することにより、はじめて実質的な富を手に入れることが出来ます。
 どんな事業を行うにしても、まずは資本=お金が必要となります。自己資本を持っているお金持ち以外は、銀行から融資を受けるか、株券を購入するか、債券を発行するか、いずれにしても金融機関を通さなければなりません。銀行から融資を受ければ、銀行は企業の債権者となります。その経営状態を把握することも出来ますし、その状態が良くなければ経営について口を挟む権利があります。つまり、力関係を図式にすれば「銀行>企業」となります。
 また、私たちのお金は、銀行に預けると金融資産となります。銀行は、預かったその金融資産の運用権を持ちます。その金融資産を運用するため、銀行は株券を購入します。株券は企業の所有権ですから、銀行は企業の所有権を持つことになります。つまり、ここでも「銀行>企業」という関係になります。
 続いて国家と企業の関係について見てみましょう。国家の収入は税金から得ることになっています。税金がなければ国家経営が成り立ちなせん。その税金は、所得税にしても消費税にしても物品税にしても、企業が営利活動を行うからこそ得ることが出来るものです。
 また、政治家レベルで考えて見ても、政治活動及び選挙活動にはお金が必要です。これもよほどのお金持ちでもない限り献金が無ければ成り立ちません。この献金も企業が営利活動を行うからこそ得ることが出来るものです。
 要するに、国家は企業が利益を出さなければ運営が出来ない経済的に依存している存在≠ナすから、国家は企業が利益を出し安い環境を整えなければならなくなります。つまり、力関係から言えば「企業>国家」となります。
 法律的な見地からすれば、国家が銀行や企業の存在を認め、その営利活動を許しているからこそ銀行も企業も成り立っているのですが、国家が経済の分野を民間に委ねてしまっているので、建前としては国家が最高位についていても、実質的には銀行や企業の方が上位に位置してしまいます。つまり、貨幣経済社会においては、お金を持ち、それを操作出来る力(=金融力)を持つ者が最も強大な権力を持つことになるのです。

 その中で、世界中に金融資本の閨閥を張り巡らし、最も強大な金融力を持つ一族、それがロスチャイルドなのです。フランス革命以降、地球はロスチャイルド家を中心に回ってきたと言っても過言では無いかも知れません。


第4章ロスチャイルドの世界革命行動計画

秘密会議で決定された現代にも影響を与える25の計画案

マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド
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「私に一国の通貨の発行権を与えよ。そうすれば誰が法律を作ろうとそんなことはどうでも良い」と豪語したマイヤー・アムシェルは、世界の富を独占するための計画を密かに練っていた。

 初代ロスチャイルドの名前はマイヤーアムシェル・ロスチャイルド。1744年にドイツのフランクフルトのゲットー(ユダヤ人の強制居住区域)で生まれます。この頃、迫害されていたユダヤ人たちは、狭いゲットーに押し込められていたという架空の話をデッチ上げているのです。
 そのマイヤー・アムシェルが30歳の時、フランクフルトに12人の実力者を招いて(ゲットーにいる人間がどうやって12人もの「実力者」を集めることが可能なのでしょうか?)秘密会議を開いたと言われます。(※William Guy Carr 『PAWNS IN THE GAME(ゲームの罰) 』『教科書が絶対教えない闇の世界史』ウィリアム・ガイ・カー、太田龍訳 成甲書房)どんな会議かと言えば、全世界のマン・パワーと資源を独占的に支配するための計画が話し合われ、25項目から成る「世界革命行動計画」と呼ばれるアジェンダ(行動計画書)がスタートしたのです。
 世界を支配するなんて、まるで漫画や映画のような話で、普通ならば誇大妄想狂のように思えます。
 古い記録なので、この会議が本当に行われたかどうかは知る術がありません。ただ、この一族と同盟者たちが、代々このアジェンダを忠実に実行していったように見えると言うのは事実です。

これらは全て、堕天使ルシファーを唯一神にしようとするために行われた計画であることはフリーメーソンの本当の意味が「フラムの子」すなわちフランス語で「ルシファーの子」という意味であること。イルミナティという団体の邪悪に満ちた行為の全てが「真実の目」という名の「悪魔の目」すなわち「ルシファーの左目」を象ったものであることでも理解できる。
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「真実の目」は「悪魔の目」これは、亡きルシファーの左目である。

ルシファーの最期
http://takao-sato.seesaa.net/article/263235075.html?1337129974

 
では、少し長いですが、そのおアジェンダを要約してご紹介致します。(ウィリアム・ガイ・カー『教科書が絶対教えない闇の世界史』 成甲書房より)。

1) 人間を支配するには暴力とテロリズムに訴えると最善の結果が得られる。権力は力の中に存在している。
2) 政治権力を奪取するには「リベラリズム(自由主義)」を説くだけで十分である。そうすれば、有権者は一つの思想のために自らの力、特権を手放すことになり、その放棄された力、特権をかき集めて手中に収めればいい。
3) 大衆はどのようにして自由を享受すればいいのかわからない。「自由」という思想を利用すれば「階級闘争」を生じさせることも可能だ。
4) 最終目標(ルシファーの唯一神化)に到達するためには、ありとあらゆる手段を正当化出来る。率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、支配者になろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えねばならない。
5) 我々の権利は力の中にある。私が見出している新たな権利とは、強者の権利によって攻撃する権利であり、既存の秩序、規律の全てを粉砕し、既存の全ての制度を再構築する権利である。
6) 我々の富の力は、いかなる狡賢さ、力によっても損なわれないような強さを獲得する時まで、表面化しないよう保たれなければならない。戦略計画の基本路線から逸れることは何世紀にも及ぶ営為を無にする危険性がある。(←「無」になっちゃったね。)
7) 群集心理を利用して大衆に対する支配権を獲得するべきだ。
8) 酒類、ドラッグ、退廃的道徳、あらゆる形態の悪徳を代理人を通じて組織的に利用することで、諸国家の若者の道徳心を低下させなければならない。賄賂もペテンも裏切り行為も、それが我々の目的達成に役立つのであれば、続けられなければならない。
9) そうすることで服従と主権を確保出来るなら、何がなんんでも躊躇う事無く財産を奪い取る権利が自分たちにはある。
10) 我々は「自由・平等・博愛(友愛)」という言葉を大衆に教え込んだ最初の民族である。ゴイム(「豚ども」の意。他民族全てを彼らはこう影で呼んでいる。)は難解さゆえにこの言葉の意味のその相互関係の対立に気付くことさえない。ゴイムの自然発生的で世襲的な貴族社会の廃墟の上に、我々は金による貴族社会をつくりあげた。それは我々の拠り所、すなわち富を参加資格とする貴族社会である。
(※ゴイムというのはゴイの複数形で、ゴイとは非ユダヤ人のことを指します。また家畜とかブタという意味もあります)
11) 自ら戦争を誘発しながら、敵対するどちら側にも領土の獲得が生じない和平会議を主導しなければならない。戦争は対立する双方の国家がさらに負債を抱え込み、我々の代理人の手中に落ちるように主導されなければならない。
12) 財を活用して、我々の要求に素直に従い、ゲームの駒となって、政府を陰で操ることを我々から任じられた人物を選ばなければならない。
13) 誹謗、中傷、偽の情報を流したことでどのような波紋が広がろうと、自らは姿を隠したまま、非難されることがないようにしなければならない。大衆への情報の出口全てを支配すべきである。
14) 貧困と恐怖によって大衆が支配された時には、常に代理人を表舞台に立たせ、秩序を回復すべき時が来れば、犠牲者は犯罪者や責任能力の無い人々の犠牲になったと解釈されるよう、事を進めなければならない。計算済みの恐怖支配が実現した時点で、犯罪者や精神異常者を処刑すれば、我々自身を抑圧された人々の救世主として見せかける事が出来る。実際のところ、我々の関心は正反対で、減らすこと、すなわちゴイムを殺害することである。(第三次世界大戦。それによる世界人口削減計画。実際この後、第一次、第二次世界大戦が行われたことは歴史の教科書にも記載されており、我が日本国は哀れにも二発の原子爆弾を投下されている。これの正体は世界大戦に名を借りた「大量生贄」である。)
15) 我々の力を行使すれば、失業と飢えが作り出され、大衆ののしかかる。そうすれば、確実な資本の力が生じる。
16) フリーメーソンのブルー・ロッジ内部の大東社を組織して破壊活動を実行しながら、博愛主義の名のもとで、自らの活動の真の意味を隠すことは可能である。大東社に参入するメンバーはゴイムの間に無神論的唯物主義を広めるために利用されなければならない。
(※ここで明確になることはイルミナティであるロスチャイルドがフリーメーソンの組織を構築している事実である、フリーメーソンとイルミナティは一体である。フリーメーソンには33階級あって、下から三つが徒弟・職人・親方という階級になっています。この3階級のことをブルー・ロッジと言い、つまり、一般的なフリーメーソンリ会員の主会場という意味です。大東社というのは英語でGrand Orient Lodgeであり、Grandには統括するという意味がありますので、東洋を統括する支部ということだと思います。現在はフランスのフリーメーソン本部がGrand Orient Lodgetoと名乗っています。そして、フリーメーソンはある一定以上の幹部階級おそらく第17階級あたり≠ノなると、フリーメーソンであると同時にイルミナティになる事実が判明しております。しかし、真のイルミナティは闇の同胞団と呼ばれ、一般のイルミナティとはまた区別されているということです。ローマ法王イエズス会(ローマ法王は白、赤、黒の三人いる。表の法王は白である。)やエリザベス女王ダビデ家、メディチ家などが判明しており、これらはサンヘドリンという司法を司っている、偽のキリスト者である。)
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サタンの会堂イエズス会日本支部、イグナチオ教会。ここでは大天使ウリエルを認めていない。四谷駅前から撮影。

17) 代理人は大衆受けのするスローガンを生み出せるよう訓練されなければならない。大衆には惜しみなく(反故する大前提で)約束しなければならないからである。約束されたことと正反対の事は、のちになれば常に行える。
18) 恐怖支配は、手っ取り早く大衆を服従させるもっとも安上がりな方法だ。
19) 全ての戦争の後には、秘密外交が主張されなければならない。秘密外交によって、我々の代理人が関わらない限り諸国家は些細な取り決めさえも結ぶことが出来ないような支配権が確保されなければならない。
20) 最終目標である世界政府に到達するためには、大規模の独占、莫大な富の蓄積が必要とされるだろう。
21) ゴイムからその不動産、産業を奪うため、重税と不当競争を組み合わせてゴイムの経済破綻を引き起こさなければならない。国際舞台においてゴイムが商売出来ないように仕向けることは可能である。つまりは原材料の巧みな支配、短期間労働及び高賃金を求める労働運動の普及、競争者の助成によってそれは実現出来る。
22) 最終的には、我々の運動に尽くす少数の金持ち、及び我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆が残ればいい。ゴイムの殺し合いをさせるため、大規模の武装増強が開始されなければならない。
23) 世界統一政府のメンバーは独裁者によって任命され、科学者、経済学者、財政専門家、企業家、大金持ちの名かから選出される。
24) 代理人はその誤りを我々が承知している理論、原則を教え込むことで、社会の若年層の精神を惑わせて腐敗させる目的で、あらゆる階級、あらゆるレベルの社会、政府に対してゴイムが武装蜂起する前に、恐怖の組織を諸国家の各都市に組織することにいたしましょう。

 この戦略を理解すれば、世界で起きている不可解な事件の数々が理解しやすくなると思います。
 ところで、世界革命行動計画の6)番に「戦略計画の路線から逸れることは何世紀にも及ぶ営為を無にする危険性がある」とあります。つまり、この計画は何もロスチャイルド一族に始まったものではないようです。「偽」ユダヤ人学者クリストファー・ジョン・ビェルクネス(※サバタイ派やフリーメーソンを利用してロスチャイルドを世界の王にしようと画策する)によれば、栄華を極めた古代イスラエルのソロモン王の時代、BC929年には、世界を平和的に支配する理論上の計画が作られていたそうです。
 ただ、そこまでいくと神話のような話になってしまうので、本書では初代ロスチャイルドから話を始めたいと思います。


ユダヤ人とは誰か?

 ロスチャイルドは勿論、世界の有力な銀行家、政治家、官僚、シンクタンク、高名な学者、そしてマスコミの有力者など、つまり世界に影響力を持つ人たちにはユダヤ人が少なくないようです。(※日本でも日本人でありながらユダヤ人という人がおります。言うまでも無く、天皇家一族や池田大作など在日朝鮮人たちです。彼らは売国奴であり、フリーメーソンであると同時に悪魔崇拝者です。ロスチャイルド一族は世界中のマスメディアの全てを支配し、日本の電通は在日の悪魔崇拝下にあります。)
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電通銀座ビル正面。悪魔崇拝のシンボルマーク「五芒星」と頂点に頂いている。両脇に並ぶ悪魔はおそらくガーゴイル。
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電通本社ビル内の床。「悪魔の目」=「ルシファーの目」で埋めつくされている。

 しかしユダヤ人はその定義さえはっきりしない不思議な人たちです。(それは世界統一政府実現後、「ユダヤ人のみが人間」とされるため定義がそもそも無いのである。ユダヤ人でない人々は全て「家畜」であり、労働対象であり、食料・生贄になる定めである。その証拠に「ユダヤ民族」というものは存在しない。)
一般的に、古代イスラエル十二氏族のうちユダ民族だった人たちがユダヤ人ということになっていますが、実際にはかなり複雑なことになっています。
 「聖書の民」であるユダヤ人っは、イスラエルからスペイン方面に逃げて来た有色人種で「スファラディ系ユダヤ人」と言います。そして、キリスト教の改宗させられたり、改宗した振りをした隠れユダヤ人を「マラーノ」と言います。また、同じアジア民族に溶け込んだユダヤ人を「ミズラヒ」と言います。それと、ヨーロッパの貴族階級に同化してゆき、特権を享受していた一部のユダヤ人のことは「ホフ・ユーゲン(宮廷ユダヤ人)」と言います。私が注目しているのはこのホフ・ユーゲンたちです。
 ところで、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北で栄えた遊牧国家ハザール汗国という国がありました。
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秘密を握るハザール汗国  ユダヤ教に改宗したハザール汗国の存在が、現代世界に影響を与えるとは・・・・・・。

 8世紀半ば頃、イスラム軍がこのハザール汗国に侵攻して来て、改宗を迫ります。ハザールの隣はキリスト教の大国、東ローマ帝国です。東ローマ帝国と友好関係にあったハザール汗国の皇帝は、悩んだ末にキリスト教とイスラム教の元となったユダヤ教を国教とし、それ以降、国民全員がユダヤ教徒になりました。このユダヤ教徒に改宗したハザール人たちが、のちのアシュケナージ(ドイツ系)と言われる白人のユダヤ人(「大嘘」。ユダヤ教とは言っても、この人々はあくまでハザール人であり、ユダヤ民族と一切の関係は無い。まさに虚言!ユダヤ教徒になろうと、仏教徒になろうと、どこまでいってもこの人々は「ハザール民族」である。)となったという説があります。
 現在、イスラエルにいるスファラディ系ユダヤ人は少数派で、90%以上がアシュケナージ系ユダヤ人(←だから、お前らはユダヤ人では無い!全くこの地やまして「約束の地」や「聖書の民」などとは一切無関係のハザール人だろうが!)です。肌が浅黒い有色人種のスファラディ系と白人のアシュケナージとは、血統的に全く無関係です。ですから、アシュケナージ(←コイツラがユダヤ人を名乗ること自体がまったくおかしい。正当性がどこにも無い。)が「神の約束の地へ帰る」ことを口実にパレスチナにユダヤ人国家を建設することは、全く正当性がありません。(アーサー・ケストラー『ユダヤ人とは誰か−−第十三氏族・カザール王国の謎』三交社などによる)。しかし、世界の主要なマスコミの株主を慮ってか、このことはタブーとされ、決して追求されることはありません。
 ただ、今年になってテルアビブ大学のシュモロ・サンド教授が『ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか』という本をイスラエルで発売し、「今のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ」という説を展開、イスラエル政府が標榜する「ユダヤ人国家」には根拠が無いと批判しています。
 ユダヤ人学者のイズラエル・シャミールは『米国−−あるユダヤ国家』の中で「ユダヤ人批判が許されるのはユダヤ人だけ」(←そんなことは無い!どこまでお前ら「傲慢」なのだ!他者の土地を盗み、陵辱した挙句、ユダヤ人でも無いくせにユダヤ人を偽証しているアシュケナージがこともあろうに恥知らずに「ユダヤ人学者」などと名乗り、「ユダヤ人批判が許されるのはユダヤ人だけ」と言う。逆に聞きたい。その傲慢と勘違いと恥知らずに満ちた「根拠」を!!!!!!!!)と述べてますが、まさにその通りな訳ないでしょう。偽ユダヤ人たちは謙虚になり、他者の批判を受け入れユダヤ人である「虚偽」と「欺瞞」と「恥知らず」と決別すべき時でしょう。


ユダヤ教の神は悪魔エロヒムだったのか!?
それでこんな邪悪な教えを・・・
エロヒム(アヌンナキ)

現在のアヌンナキの状態
  

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=hq4iFwskChU
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エル、エロヒム、エル・シャダイ、神

旧約聖書では他に「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やその複数形エロヒム、またはエローヒームエロヒームאלהים)などもヤハウェの呼称として用いられるが、一般に日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲しとするものが多い。また、「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイEl Shaddai)とした箇所は全能の神などと訳される。
アヌンナキ.jpg
アヌンナキことエロヒム

エロヒムことアヌンナキとの戦い
http://takao-sato.seesaa.net/article/253543560.html?1337126901

エロヒムの訳語としての「神」

」の字が、ヘブライ語: "אלהים"‎または"אלוהים"、"古典ギリシア語: "Θεός"英語: "God"の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していたにおけるキリスト教宣教の先駆者である、ロバート・モリソン英語版記事:Robert Morrison)による漢文聖書においてであった。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。
大きく分けて「上帝」を推す派と「」を推す派とが存在したが、和訳聖書の最も重要な資料と推定される、モリソン訳の流れを汲むブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書は、「神」を採用していた。ほとんどの日本語訳聖書はこの流れを汲み、「神」が適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに、こんにちに至るまで「神」を翻訳語として採用するものが圧倒的多数となっている。

ユダヤ教の聖典とタルムード

 ユダヤ教の聖典は旧約聖書ですが、その中でも重要視されているのが冒頭の5書「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」で「トーラー」と呼ばれています。
 トーラーの注釈書であり、ユダヤ教神秘思想(カバラ)において中心となっている書物が「ゾーハル」。また、モーゼが神から授けられた法で、成文化されずに口伝で伝えられたものを「ミシュナ」と言います。このミシュナと、ミシュナをラビが解釈した「ゲマラ」から作成された日常生活の規範と、時代時代に対応した生き様を記したものが「タルムード」で、これは6部構成、63編から成る文書群であり、「ユダヤの民法」と呼ばれています。
 タルムードの膨大な文書群の中には、民族的排他性と独善的選民思想が含まれているところがあります。その問題箇所を例として挙げてみましょう。

・ユダヤの王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。
・あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいる全ての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。
・神はユダヤ人に全ての方法を用い、詐欺、強力(暴力や脅迫)、高利貸、窃盗によってキリスト教徒の財産を奪取することを命ずる。
汝らは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。
・「汝殺すなかれ」との掟は「イスラエル人を殺すなかれ」との意なり。ゴイ(非ユダヤ人、「豚、家畜」の意味。)、異教徒はイスラエル人にあらず。
ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人がゴイを殺すも責めは負わず。
・ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。
・他民族の有する所有物は全てユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの遠慮無くこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。
・ゴイに我らの信教を教える者は、ユダヤ人を殺すに等しい。もしもゴイが我らの教説を知ったならば、彼らは公然と我らを殺すだろう。(←すでに世界中に知られているにも関わらず君たちはまだ殺されていないよね?皆、君たちのように「卑しくない」からだよ。君たちは「選ばれた民」などでは決して無い。)
・ゴイが我らの書物には何かゴイを害することが書いてあるのではないかと聞いたら、偽りの誓いを立てなければならない。そして、そのようなことは誓って書いてなかったと言わなければならない。
・瀆神者(非ユダヤ人)の血を流す者は、神に生贄を捧げるに等しきなり。
   (★阿修羅♪資料室 http://www.asyura2.com/data000.htmより)

 このように、タルムードには選民思想という特徴がありますが、もう一つの特徴として「終末にあたって救世主が再臨し、正義と平和が支配する理想世界が訪れる」とする救世主思想があります。


自称・救世主と改革派ユダヤ教
サバタイ・ツヴィ.jpg
イスラム教に簡単に屈したトルコ出身の自称・救世主のサバタイ・ツヴィ。

 ユダヤの歴史における二人の超重要人物をご紹介しておきましょう。(Sabbatean Frankist-Freemasonic Chronologや『ロスチャイルドの密謀』 成甲書房などによる)。
 まず一人目がトルコ出身のサバタイ・ツヴィです。
 サバタイは、自分を「メシア(救世主)だ」と言っていたのですが、激しい躁鬱病だったようで、はじめは誰からも相手にされなかったそうです。ところが、ナタンという有名なカバラ学者と知り会い、このナタンがサバタイを「メシアだ」と宣言しました。信用あるナタンの宣言により、人々はサバタイをメシアとして受け入れたそうです。
 その後、サバタイの影響力に危機感を持ったスルタン(皇帝)が、サバタイに「イスラム教へ改宗するか、死か」という選択を迫ります。するとサバタイは、あっさりとイスラム教へ改宗してしまいました。サバタイにがっかりした人々に対して、ナタンは「サバタイはイスラム教内部に入り込み、内部から敵を崩壊させる戦略なのだ」と説明します。
 この「イスラム教やキリスト教の内部に、彼らの味方のふりをして入り込み、内部から腐らせ、無力化させて最終的には崩壊に至らせる」という戦法は、屈辱的に改宗せざる得なかったマラーノ(隠れユダヤ教徒)たちに希望と言い訳を与えてくれるものでした。
 その後、サバタイ・ツヴィを支持するサバタイ派は、マラーノを中心に多くの熱狂的な信者を獲得し、ユダヤ人の間に大ムーブメントを起こしました。

もう一人がポーランド出身のヤコブ・フランクです。
ヤコブ・フランク.jpg
ポーランド出身の自称・救世主のヤコブ・フランク。

サバタイ同様自称メシア≠ナあったヤコブ・フランクは、ユダヤ教の救世主思想を「この世の悪や不幸を人為的に頂点にまで満たして、この世を破壊し尽くし、メシアを到来させる」という危険な思想に転換させた人物で、戦闘的(自称)救世主と呼ばれています。
 ヤコブ・フランクとその信者であるフランキストたちは、正統派ユダヤ教から破門されましたが、ユダヤ教の中で一大勢力となっています。
 そして、このフランキストたちがサバタイ派と結びつき、キリスト教徒・イスラム教徒・仏教徒たちの中に紛れ込んで、危険な終末思想を実現しようとしているのです。
 さらに注目すべきことは、世界の金融に隠然たる力を持つロスチャイルドが、タルムードを信奉していて、しかもサバタイ派フランキストに属しているということです。
 サバタイ派フランキストは、多くの宗派に見られるように、原理主義の過激派のようなものです。決してユダヤ人全体から支持されている訳ではありません。

Aへ
http://takao-sato.seesaa.net/article/272534211.html?1338341656
Bへ
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2012年04月23日

通州事件の惨劇(コピペ)

通州事件の惨劇
(Sさんの体験談)


日本人皆殺しの地獄絵



1937年(昭和12年)7月29日。73年前の昨日、北京の西の通州において、数百人の日本人居留民が虐殺されました。

大東亜戦争の一つのきっかけになったとも言われる通州事件です。

通州の日本人居留民は、日本軍守備隊の留守をねらった支那の保安隊、学生により、世界の残虐史上類例を見ないほどの残虐行為を受け、虐殺されました。さらに支那人達は、殺した日本人に対して一片の同情も哀れみの心もなく、その屍体までもいたぶっているのです。

かけつけた日本軍がそこで見たものは、言語に絶する惨状であったそうです。支那人南京日本軍が大虐殺を行い、妊婦の腹を裂き、胎児を銃剣で突き殺すなど、悪逆非道の限りをつくしたとデッチあげて日本を非難していますが、通州事件を見ますと、日本軍が行った行為と言っているのは、つまり、支那人自身が行ったことに他ならないことが解ります。

通州事件は、殆どの日本人から忘れ去られようとしていますが、日本人居留民の無情な殺され方を、そして支那人の持つ残虐性を私達日本人は決して忘れてはいけません。

通州における惨劇は、多くの人が証言していますが、実際の体験者であるSさんの話を、拙ブログで採り上げ、一人でも多くの日本人に知ってもらいたいと思っています。

通州事件の惨劇(Sさんの体験談)
日本人皆殺しの地獄絵 ですが、今回にて最終となります。話中にて繰り広げられる
支那兵らによる悪逆非道ぶりも更に凄惨さを増します。直近に起きた、尖閣諸島の不当な領有宣言としか取れない支那政府のやり方を見ていると、現在の支那政府も通州で日本人を大量虐殺した当時と根本的には変わらないと、改めて認識しました。


63年前に起きた通州での凄惨極まりない事件が、時と場所を変えてこの日本国内で起きないと誰が言いきれるでしょう。


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Sさんの体験談

私は大分の山の奥に産まれたんです。すごく貧乏で小学校を卒業しないうちにすすめる人があって大阪につとめに出ることになりました。それが普通の仕事であればいいのですけど、女としては一番いやなつらい仕事だったので、故郷に帰るということもしませんでした。そしてこの仕事をしているうちに何度も何度も人に騙されたんです。小学校も卒業していない私みたいなものはそれが当たり前だったかも知れません。それがもう二十歳も半ばを過ぎますと、私の仕事のほうはあまり喜ばれないようになり、私も仕事に飽きが来て、もうどうなってもよいわいなあ、思い切って外国にでも行こうかと思っているとき、たまたまTさんという支那人と出会ったのです。

このTさんという人はなかなか面白い人で、しょっちゅうみんなを笑わしていました。大阪には商売で来ているということでしたが、何回か会っているうち、Tさんが私に『Sさん私のお嫁さんにならないか』と申すのです。私は最初は冗談と思っていたので、『いいよ。いつでもお嫁さんになってあげるよ。』と申しておったのですが、昭和七年の二月、Tさんが友人のYさんという人を連れて来て、これから結婚式をすると言うんです。そのときは全く驚きました。冗談冗談と思っていたのに友人を連れて来て、これから結婚式というものですから、私は最初は本当にしなかったんです。

でも、Yさんはすごく真面目な顔をして言うのです。Tさんは今まで何度もあなたに結婚して欲しいと申したそうですが、あなたはいつも、ああいいよと申していたそうです。それでTさんはあなたと結婚することを真剣に考えて、結婚の準備をしていたのです。それで今日の結婚式はもう何もかも準備が出来ているのです。とYさんは強い言葉で私に迫ります。それでも私は雇い主にも相談しなくてはならないと申すと、雇い主も承知をして今日の結婚式には出ると申すし、少しばかりあった借金も全部Tさんが払っているというので、私も覚悟を決めて結婚式場に行きました。支那の人達の結婚式があんなものであるということは初めてのことでしたので、大変戸惑いました。

でも、無事結婚式が終わりますと、すぐに支那に帰るというのです。でも私も故郷の大分にも一度顔を出したいし、又結婚のことも知らせなくてはならない人もあると思ったのですが、Tさんはそれを絶対に許しません。自分と結婚したらこれからは自分のものだから自分の言うことを絶対に聞けと申すのです。それで仕方ありません。私はTさんに従ってその年の三月に支那に渡りました。

長い船旅でしたが、支那に着いてしばらくは天津で仕事をしておりました。私は支那語は全然出来ませんので大変苦労しましたが、でもTさんが仲を取り持ってくれましたので、さほど困ったことはありませんでした。そのうち片言混じりではあったけれど支那語もわかるようになってまいりましたとき、Tさんが通州に行くというのです。通州は何がいいのですかと尋ねると、あそこには日本人も沢山いて支那人もとてもいい人が多いから行くというので、私はTさんに従って通州に行くことにしたのです。それは昭和九年の初め頃だったのです。Tさんが言っていたとおり、この通州には日本人も沢山住んでいるし、支那人も日本人に対して大変親切だったのです。しかしこの支那人の人達の本当の心はなかなかわかりません。今日はとてもいいことを言っていても明日になるとコロリと変わって悪口を一杯言うのです。

通州では私とTさんは最初学校の近くに住んでいましたが、この近くに日本軍の兵舎もあり、私はもっぱら日本軍のところに商売に行きました。私が日本人であるということがわかると、日本の兵隊さん達は喜んで私の持っていく品物を買ってくれました。私はTさんと結婚してからも、しばらくは日本の着物を着ることが多かったのですが、Tさんがあまり好みませんので天津の生活の終わり頃からは、支那人の服装に替えておったのです。すっかり支那の服装が身につき支那の言葉も大分慣れてきていました。それでもやっぱり日本の人に会うと懐かしいので日本語で喋るのです。遠い異国で故郷の言葉に出会う程嬉しいことはありません。日本の兵隊さんの兵舎に行ったときも、日本の兵隊さんと日本語でしゃべるととても懐かしいし又嬉しいのです。私が支那人の服装をしているので支那人と思っていた日本の兵隊さんも、私が日本人とわかるととても喜んでくれました。そしていろいろ故郷のことを話し合ったものでした。

そして、商売の方もうまく行くようになりました。Tさんがやっていた商売は雑貨を主としたものでしたが、必要とあらばどんな物でも商売をします。だから買う人にとってはとても便利なんです。Tに頼んでおけば何でも手に入るということから商売はだんだん繁盛するようになってまいりました。Tさんも北門のあたりまで行って日本人相手に大分商売がよく行くようになったのです。この頃は日本人が多く住んでいたのは東の町の方でした。私たちはTさんと一緒に西の方に住んでいましたので、東の日本人とそうしょっちゅう会うということはありませんでした。

ところが昭和十一年の春も終わろうとしていたとき、Tさんが私にこれからは日本人ということを他の人にわからないようにせよと申しますので、私が何故と尋ねますと、支那と日本は戦争をする。そのとき私が日本人であるということがわかると大変なことになるので、日本人であるということは言わないように、そして日本人とあまりつきあってはいけないと申すのです。私は心の中に不満が一杯だったけどTさんに逆らうことは出来ません。それで出来るだけTさんの言うことを聞くようにしました。
顔見知りの兵隊さんと道で会うとその兵隊さんが、Tさん近頃は軍の方にこないようになったが何故と尋ねられるとき程つらいことはありませんでした。そのうちにあれだけ
親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。何か日本に対し又日本人に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。Tさんが私に日本人であるということが人にわからないようにと言った意味が何となくわかるような気がしたものでした。そして何故通州という町がこんなに日本や日本人に対して冷たくなっただろうかということをいろいろ考えてみましたが、私にははっきりしたことがわかりませんでした。

只、朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると申すのです。そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると申すのです。だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと申すのです。私は思わずそんなんじゃないと言おうとしましたが、私がしゃべると日本人ということがわかるので黙って朝鮮人の言うことを聞いておりました。そこへTさんが帰って来て朝鮮人から日本の悪口を一杯聞きました。するとTさんはあなたも日本人じゃないかと申したのです。するとその朝鮮人は顔色を変えて叫びました。日本人じゃない朝鮮人だ、朝鮮人は必ず日本に復讐すると申すのです。そして安重根という人の話を語りました。伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させるのだと申すのです。私は思わずぞっとせずにはおられませんでした。なんと怖いことを言う朝鮮人だろう。こんな朝鮮人がいると大変なことになるなあと思いました。Tさんは黙ってこの朝鮮人の言うことを聞いて最後まで一言もしゃべりませんでした。
こんなことが何回も繰り返されているうちに、町の空気がだんだん変わってくるようになってまいったのです。でもそんなことを日本の軍隊や日本人は全然知らないのです。私は早くこんなことを日本人に知らせねばならないと思うけれど、Tさんは私が日本人と話すことを厳重に禁止して許しません。私の心の中にはもやもやとしたものがだんだん大きくなって来るようでした。道を歩いているとき日本の兵隊さんに会うと「注意して下さい」と言いたいけれど、どうしてもその言葉が出てまいりません。目で一生懸命合図をするけど日本の兵隊さんには通じません。私が日本人であるということは通州で知っているのはTさんの友人二、三人

だけになりました。日本の兵隊さん達もだんだん内地に帰ったり他所へ転属になったりしたので、殆ど私が日本人であるということを知らないようになりました。

そうしているうちに通州にいる冀東防共自治政府軍隊が一寸変わったように思われる行動をするようになってまいりました。大体この軍隊は正式の名称は保安隊といっておりましたが、町の人達は軍隊と申しておったのです。この町の保安隊は日本軍ととても仲良くしているように見えていましたが、蒋介石共産軍と戦うようになってしばらくすると、この保安隊の軍人の中から共産軍が支那を立派にするのだ、蒋介石というのは日本の手先だと、そっとささやくように言う人が出てまいりました。その頃から私は保安隊の人達があまり信用出来ないようになってまいったのです。

行商に歩いていると日本人に出会います。私はTさんから言われているのであまり口をきかないようにしていました。すると日本人が通った後ろ姿を見ながら朝鮮人が「あれは鬼だ、人殺しだ、あんな奴らはいつかぶち殺してやらねばならない」と支那人達に言うのです。最初の頃は支那人達も朝鮮人達の言うことをあまり聞きませんでしたが、何回も何回も朝鮮人がこんなことを繰り返して言うと、支那人達の表情の中にも何か険しいものが流れるようになってまいりました。特に保安隊の軍人さん達がこの朝鮮人と同じ意味のことを言うようになってまいりますと、もう町の表情がすっかり変わってしまったように思えるようになりました。私はあまり心配だからあるときTさんにこんな町の空気を日本軍に知らせてやりたいと申しますと、Tさんはびっくりしたようにそんなことは絶対にいけない、絶対にしゃべったらいけないと顔色を変えて何度も言うのです。それで私はとうとう日本軍の人たちにこうした町の空気を伝えることが出来なくなってしまったのです。
通州事件2.jpg

その結果がコレ。

それが、昭和十一年の終わり頃になるとこうした
支那人達の日本に対しての悪感情は更に深くなったようです。それは支那のあちこちに日本軍が沢山駐屯するようになったからだと申す人達もおりますが、それだけではないようなものもあるように思われました。(当然、フリーメーソンの工作が数多くあっただろうからな。)私はTさんには悪かったけれど、紙一杯に委しくこうした支那人達の動き、朝鮮人達の動きがあることを書きました。そして最後に用心して下さいということを書いておきました。この紙を日本軍の兵舎の中に投げ込みました。これなら私がしゃべらなくても町の様子を日本軍が知ることが出来ると思ったからです。こうしたことを二回、三回と続けてしてみましたが、日本軍の兵隊さん達には何も変わったことはありませんでした。

これでは駄目だと思ったので、私はこの大変険悪な空気になっていることを何とかして日本軍に知らせたいと思って、東町の方に日本人の居住区があり、その中でも近水槽というところにはよく日本の兵隊さんが行くということを聞いたので、この近水槽の裏口のほうにも三回程この投げ紙をしてみたのです。でも何も変わったことはありません。これは一つには私が小学校も出ていないので、字があまり上手に書けないので、下手な字を見て信用してもらえなかったかも知れません。このとき程勉強していないことの哀れさを覚えたことはありませんでした。

昭和十二年になるとこうした空気は尚一層烈しいものになったのです。そして上海日本軍が敗れた、済南で日本軍が敗れた、徳州でも日本軍は敗れた、支那軍が大勝利だというようなことが公然と言われるようになってまいりました。日に日に日本に対する感情は悪くなり、支那人達の間で「日本人皆殺し、日本人ぶち殺せ」と言う輿論が高まってまいりました。その当時のよく言われた言葉に「日本時は悪魔だ、その悪魔を懲らしめるのは支那だ」という言葉でした。私はそんな言葉をじっと唇をかみしめながら聞いていなくてはならなかったのです。
通州事件3.jpg
「悪魔だ!」と言う日本人に中国人が行った行為!


支那
の子供達が「悪鬼やぶれて悪魔が滅ぶ」という歌を歌い、その悪鬼や悪魔を支那が滅ぼすといった歌でしたが、勿論この悪鬼悪魔は日本だったのです。こんな耐え難い日本が侮辱されているという心痛に毎日耐えなくてはならないことは大変な苦痛でした。しかしこんなときTさんが嵐はまもなくおさまるよ、じっと我慢しなさいよと励ましてくれたのが唯一の救いでした。そしてその頃になるとTさんがよく大阪の話をしてくれました。私も懐かしいのでそのTさんの言葉に相槌を打って一晩中語り明かしたこともありました。

三月の終わりでしたが、Tさんが急に日本に行こうかと言い出したのです。私はびっくりしました。それはあれ程に日本人としゃべるな、日本人ということを忘れろと申していたTさんが何故日本に行こうか、大阪に行こうかと言い出したかといえば、それ程当時の通州の、いや支那という国全体が日本憎しという空気で一杯になっておったからだろうと思います。しかし日本に帰るべくT山河にほんの状況をいろいろ調べてみると、日本では支那撃つべし、支那人は敵だという声が充満していたそうです。そんなことを知ったTさんが四月も終わりになって「もうしばらくこの通州で辛抱してみよう、そしてどうしても駄目なら天津へ移ろう」と言い出しました。それで私もTさんの言うことに従うことにしたのです。何か毎日が押付けられて、押し殺されるような出来事の連続でしたが、この天津に移ろうという言葉で幾分救われたようになりました。来年は天津に移るということを決めて二人で又商売に励むことにしたのです。でもこの頃の通州ではあまり商売で儲かるということは出来ないような状況になっておりました。しかし儲かることより食べて行くことが第一だから、兎に角食べるために商売しようということになりました。そしてこの頃から私はTさんと一緒に通州の町を東から西、北から南へと商売のため歩き回ったのです。

日本人の居住区にもよく行きました。この日本人居留区に行くときは必ずTさんが一緒について来るのです。そして私が日本人の方と日本語で話すことを絶対に許しませんでした。私は日本語で話すことが大変嬉しいのです。でもTさんはそれを許しません。それで日本人の居留区日本人と話すときも支那語で話さなくてはならないのです。支那語で話していると日本の人はやはり私を支那人として扱うのです。このときはとても悲しかったのです。それと支那人として日本人と話しているうちに特に感じたのは、日本人が支那人に対して優越感を持っているのです。ということは支那人に対して侮蔑感を持っていたということです。相手が支那人だから日本語はわからないだろうということで、日本人同士で話している言葉の中によく「チャンコロ」だとか、「コンゲドウ」とかいう言葉が含まれていましたが、多くの支那人が言葉ではわからなくとも肌でこうした日本人の侮蔑的態度を感じておったのです。だからやはり日本人に対しての感情がだんだん悪くなってくるのも仕方なかったのではないかと思われます。このことが大変悲しかったのです。私はどんなに日本人から侮蔑されてもよいから、この通州に住んでいる支那人に対してはどうかあんな態度はとってもらいたくないと思ったのです。でも居留区にいる日本人は日本の居留区には強い軍隊がいるから大丈夫だろうという傲りが日本人の中に見受けられるようになりました。こうした日本人の傲りと支那人の怒りがだんだん昂じて来ると、やがて取り返しのつかないことになるということをTさんは一番心配していました。

Tさんも大阪にいたのですから、日本人に対して悪い感情はないし、特に私という日本人と結婚したことがTさんも半分は日本人の心を持っていたのです。それだけにこの通州の支那人の日本人に対しての反日的感情の昂りには誰よりも心を痛めておったのです。一日の仕事が終わって家に帰り食事をしていると、「困った、困った、こんなに日本人と支那人の心が悪くなるといつどんなことが起こるかわからない」と言うのです。そして支那人の心がだんだん悪くなって来て、日本人の悪口を言うようになると、あれ程日本と日本人の悪口を言っていた朝鮮人があまり日本の悪口を言わないようになってまいりました。いやむしろ支那人の日本人へ対しての怒りがだんだんひどくなってくると朝鮮人達はもう言うべき悪口がなくなったのでしょう。それと共にあの当時は朝鮮人で日本の軍隊に入隊して日本兵になっているものもあるので、朝鮮人達も考えるようになって来たのかも知れません。

しかし五月も終わり頃になって来ると、通州での日本に対する反感はもう極点に達したようになってまいりました。Tさんはこの頃になると私に外出を禁じました。今まではTさんと一緒なら商売に出ることが出来たのですが、もうそれも出来ないと言うのです。そして「危ない」「危ない」と申すのです。それで私がTさんに何が危ないのと申すと、日本人が殺されるか、支那人が殺されるかわからない、いつでも逃げることが出来るように準備をしておくようにと申すのです。六月になると何となく鬱陶しい日々が続いて、家の中にじっとしていると何か不安が一層増して来るようなことで、とても不安です。だからといって逃げ出すわけにもまいりません。そしてこの頃になると一種異様と思われる服を着た学生達が通州の町に集まって来て、日本撃つべし、支那の国から日本人を追い出せと町中を大きな声で叫びながら行進をするのです。それが七月になると「日本人皆殺し」「日本時は人間じゃない」「人間でない日本人は殺してしまえ」というような言葉を大声で喚きながら行進をするのです。鉄砲を持っている学生もいましたが、大部分の学生は銃剣と青竜刀を持っていました。

そしてあれは七月の八日の夕刻のことだったと思います。支那人達が大騒ぎをしているのです。何であんなに大騒ぎをしているのかとTさんに尋ねてみると、北京の近くで日本軍支那軍から攻撃を受けて大敗をして、みんな逃げ出したので支那人達があんなに大騒ぎをして喜んでいるのだよと申すのです。私はびっくりしました。そしていよいよ来るべきものが来たなあと思いました。でも二、三日すると北京の近くの盧溝橋で戦争があったけれど、日本軍が負けて逃げたが又大軍をもって攻撃をして来たので大戦争になっていると言うのです。こんなことがあったので七月も半ばを過ぎると学生達と保安隊の兵隊が一緒になって行動をするので、私はいよいよ外に出ることが出来なくなりました。この頃でした。上海で日本人が沢山殺されたという噂がささやかれて来ました。済南でも日本人が沢山殺されたということも噂が流れて来ました。蒋介石が二百万の大軍をもって日本軍を打ち破り、日本人を皆殺しにして朝鮮を取り、日本の国も占領するというようなことが真実のように伝わって来ました。この頃になるとTさんはそわそわとして落ち着かず、私にいつでも逃げ出せるようにしておくようにと申すようになりました。私も覚悟はしておりましたので、身の回りのものをひとまとめにしていて、いつどんなことがあっても大丈夫と言う備えだけはしておきました。この頃通州にいつもいた日本軍の軍人達は殆どいなくなっていたのです。どこかへ戦争に行っていたのでしょう。

七月二十九日の朝、まだ辺りが薄暗いときでした。突然私はTさんに烈しく起こされました。大変なことが起こったようだ。早く外に出ようと言うので、私は風呂敷二つを持って外に飛び出しました。Tさんは私の手を引いて町の中をあちこちに逃げはじめたのです。町には一杯人が出ておりました。そして日本軍の兵舎の方から猛烈な銃撃戦の音が聞こえて来ました。でもまだ辺りは薄暗いのです。何がどうなっているやらさっぱりわかりません。只、日本軍兵舎の方で炎が上がったのがわかりました。私はTさんと一緒に逃げながら「きっと日本軍は勝つ。負けてたまるか」という思いが胸一杯に拡がっておりました。でも明るくなる頃になると銃撃戦の音はもう聞こえなくなってしまったのです。私はきっと日本軍が勝ったのだと思っていました。それが八時を過ぎる頃になると、支那人達が「日本軍が負けた。日本人は皆殺しだ」と騒いでいる声が聞こえて来ました。突然私の頭の中にカーと血がのぼるような感じがしました。最近はあまり日本軍兵舎には行かなかったけれど、何回も何十回も足を運んだことのある懐かしい日本軍兵舎です。私は飛んでいって日本の兵隊さんと一緒に戦ってやろう。もう私はどうなってもいいから最後は日本の兵隊さんと一緒に戦って死んでやろうというような気持ちになったのです。それでTさんの手を振りほどいて駆け出そうとしたら、Tさんが私の手をしっかり握って離さないでいましたが、Tさんのその手にぐんと力が入りました。そして「駄目だ、駄目だ、行ってはいけない」と私を抱きしめるのです。それでも私が駆け出そうとするとTさんがいきなり私の頬を烈しくぶったのです。私は思わずハッして自分にかえったような気になりました。ハッと自分にかえった私を抱きかかえるようにして家の陰に連れて行きました。そしてTさんは今ここで私が日本人ということがわかったらどうなるかわからないのかと強く叱るのです。それで私も初めてああそうだったと気付いたのです。私はTさんと結婚して支那人になっておりますが、やはり心の中には日本人であることが忘れられなかったのです。でもあのとき誰も止める者がなかったら日本軍兵舎の中に飛び込んで行ったことでしょう。それは日本人の血といか、九州人の血というか、そんなものが私の体の中に流れていたに違いありません。それをTさんが止めてくれたから私は助かったのです。

八時を過ぎて九時近くになって銃声はあまり聞こえないようになったので、これで恐ろしい事件は終わったのかとやや安心しているときです。
誰かが日本人居留区で面白いことが始まっているぞと叫ぶのです。
私の家から居留区までは少し離れていたのでそのときはあまりピーンと実感はなかったのです。そのうち誰かが日本人居留区では女や子供が殺されているぞというのです。何かぞーっとする気分になりましたが、恐ろしいものは見たいというのが人間の感情です。私はTさんの手を引いて日本人居留区の方へ走りました。そのとき何故あんな行動に移ったかというと、それははっきり説明は出来ません。只何というか、本能的なものではなかったかと思われます。Tさんの手を引いたというのもあれはやはり夫婦の絆の不思議と申すべきでしょうか。


日本人居留区が近付くと何か一種異様な匂いがして来ました。それは先程銃撃戦があった日本軍兵舎が焼かれているのでその匂いかと思いましたが、それだけではありません。何か生臭い匂いがするのです。血の匂いです。人間の血の匂いがして来るのです。しかしここまで来るともうその血の匂いが当たり前だと思われるようになっておりました。沢山の支那人が道路の傍らに立っております。そしてその中にはあの黒い服を着た異様な姿の学生達も交じっています。いやその学生達は保安隊の兵隊と一緒になっているのです。

そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。その娘さんを引き出して来たのは学生でした。そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。体はぶるぶると震えておりました。その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで五回か六回か殴りつけました。そしてその着ている服をいきなりバリバリと破ったのです。支那でも七月と言えば夏です。暑いです。薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。そしてその集まった学生達や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。そして下着を取ってしまいました。娘さんは「助けてー」と叫びました。

と、そのときです。一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。何かグシャッというような音が聞こえたように思います。頭が割られたのです。でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。保安隊の兵隊が何か言いながらこの男の人を引き離しました。娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。この男の人を引き離した保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。そして二、三人の兵隊と二、三人の学生がこの男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。服が破けます。肌が出ます。血が流れます。そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。血がパーッと飛び散ります。その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。今度は胸の辺りを又突き刺します。それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。又腹を突きます。胸を突きます。何回も何回も突き刺すのです。沢山の支那人が見ているけれど「ウーン」とも「ワー」とも言いません。この保安隊の兵隊のすることをただ黙って見ているだけです。その残酷さは何に例えていいかわかりませんが、悪鬼野獣と申しますか。暴虐無惨と申しましょうか。あの悪虐を言い表す言葉はないように思われます。この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を三メートル程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる娘さんのところにやってまいりました。

この娘さんは既に全裸になされております。そして恐怖のために動くことが出来ないのです。その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。そして陵辱をはじめようとするのです。支那人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、これはもう人間のすることとは言えません。ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。どうしても陵辱がうまく行かないのです。すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。こんな姿を見ながらその近くに何名もの支那人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
通州事件.jpg

私とTさんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。私はTさんの手にしっかりとすがっておりました。目をしっかりつぶっておりました。するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。私は思わずびっくりして目を開きました。するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。その私の身体をTさんがしっかり抱きしめてくれました。見てはいけない。見まいと思うけれど目がどうしても閉じられないのです。ガタガタ震えながら見ているとその兵隊は今度は腹を縦に裂くのです。それから剣で首を切り落としたのです。その首をさっき捨てた男の人の屍体のところにポイと投げたのです。投げられた首は地面をゴロゴロと転がって男の人の屍体の側で止まったのです。若しこの男の人がこの娘さんの親であるなら、親と子がああした形で一緒になったのかなあと私の頭のどこかで考えていました。そしてそれはそれでよかったのだと思ったのです。しかしあの残虐極まりない状況を見ながら何故あんなことを考えたのか私にはわかりませんでした。
そしてこのことはずーっとあとまで私の頭の中に残っていた不思議のことなのです。


私は立っていることが出来ない程疲れていました。そして身体は何か不動の金縛りにされたようで動くことが出来ません。この残虐行為をじっと見つめていたのです。腹を切り裂かれた娘さんのおなかからはまだゆっくり血が流れ出しております。そしてその首はないのです。何とも異様な光景です。想像も出来なかった光景に私の頭は少し狂ってしまったかも知れません。ただこうした光景を自分を忘れてじっと見ているだけなのです。そうしたときTさんが「おい」と抱きしめていた私の身体を揺すりました。私はハッと自分にかえりました。すると何か私の胃が急に痛み出しました。吐き気を催したのです。道端にしゃがみ込んで吐こうとするけれど何も出てきません。Tさんが私の背を摩ってくれるけれど何も出て来ないのです。でも胃の痛みは治まりません。「うーん」と唸っているとTさんが「帰ろうか」と言うのです。私は家に早く帰りたいと思いながら首は横に振っていたのです。怖いもの見たさという言葉がありますが、このときの私の気持ちがこの怖いもの見たさという気持ちだったかも知れません。私が首を横に振るのでTさんは仕方なくでしょう私の身体を抱きながら日本人居留区の方に近付いて行ったのです。私の頭の中はボーとしているようでしたが、あの残酷な光景は一つ一つ私の頭の中に刻みつけられたのです。私はTさんに抱きかかえられたままでしたが、このことが異様な姿の学生や保安隊の兵隊達から注目されることのなかった大きな原因ではないかと思われるのです。若し私がTさんという人と結婚はしていても日本人だということがわかったら、きっと学生や兵隊達は私を生かしてはいなかった筈なのです。しかし支那人のTさんに抱きかかえられてよぼよぼと歩く私の姿の中には学生や兵隊達が注目する何ものもなかったのです。だから黙って通してくれたと思います。

日本人居留区に行くともっともっと残虐な姿を見せつけられました。殆どの日本人は既に殺されているようでしたが、学生や兵隊達はまるで狂った牛のように日本人を探し続けているのです。あちらの方で「日本人がいたぞ」という大声で叫ぶものがいるとそちらの方に学生や兵隊達がワーッと押し寄せて行きます。私もTさんに抱きかかえられながらそちらに行ってみると、日本人の男の人達が五、六名兵隊達の前に立たされています。そして一人又一人と日本の男の人が連れられて来ます。十名程になったかと思うと学生と兵隊達が針金を持って来て右の手と左の手を指のところでしっかりくくりつけるのです。そうして今度は銃に付ける剣を取り出すとその男の人の掌をグサッと突き刺して穴を開けようとするのです。痛いということを通り越しての苦痛に大抵の日本の男の人達が「ギャーッ」と泣き叫ぶのです。とても人間のすることではありません。悪魔でもこんな無惨なことはしないのではないかと思いますが、支那の学生や兵隊はそれを平気でやるのです。いや悪魔以上というのはそんな惨ったらしいことしながら学生や兵隊達はニタニタと笑っているのです。日本人の常識では到底考えられないことですが、日本人の常識は支那人にとっては非常識であり、その惨ったらしいことをすることが支那人の常識だったのかと初めてわかりました。

集められた十名程の日本人の中にはまだ子供と思われる少年もいます。そして六十歳を越えたと思われる老人もいるのです。支那では老人は大切にしなさいと言われておりますが、この支那の学生や兵隊達にとっては日本の老人は人間として扱わないのでしょう。この十名近くの日本の男の人達の手を針金でくくり、掌のところを銃剣で抉りとった学生や兵隊達は今度は大きな針金を持って来てその掌の中に通すのです。十人の日本の男の人が数珠繋ぎにされたのです。こうしたことをされている間日本の男の人達も泣いたり喚いたりしていましたが、その光景は何とも言い様のない異様なものであり、五十年を過ぎた今でも私の頭の中にこびりついて離れることが出来ません。そしてそれだけではなかったのです。学生と兵隊達はこの日本の男の人達の下着を全部取ってしまったのです。そして勿論裸足にしております。その中で一人の学生が青竜刀を持っておりましたが、二十才前後と思われる男のところに行くと足を拡げさせました。そしてその男の人の男根を切り取ってしまったのです。この男の人は「助けてー」と叫んでいましたが、そんなことはお構いなしにグサリと男根を切り取ったとき、この男の人は「ギャッ」と叫んでいましたがそのまま気を失ったのでしょう。でも倒れることは出来ません。外の日本の男の人と数珠繋ぎになっているので倒れることが出来ないのです。学生や兵隊達はそんな姿を見て「フッフッ」と笑っているのです。私は思わずTさんにしがみつきました。Tさんも何か興奮しているらしく、さっきよりももっとしっかり私の身体を抱いてくれました。そして私の耳元でそっと囁くのです。「黙って、ものを言ったらいかん」と言うのです。勿論私はものなど言える筈もありませんから頷くだけだったのです。

そして私とTさんの周囲には何人もの支那人達がいました。そしてこうした光景を見ているのですが、誰も何も言いません。氷のような表情というのはあんな表情でしょうか。兵隊や学生達がニタニタと笑っているのにこれを見守っている一般の支那人は全く無表情で只黙って見ているだけなのです。
しかしようもまあこんなに沢山支那人が集まったものだなあと思いました。そして沢山集まった支那人達は学生や兵隊のやることを止めようともしなければ兵隊達のようにニタニタするでもなし、只黙って見ているだけです。勿論これはいろんなことを言えば同じ支那人ではあっても自分達が何をされるかわからないという恐れもあってのことでしょうが、全くこうした学生や兵隊のすることを氷のように冷ややかに眺めているのです。これも又異様のこととしか言いようがありません。こんな沢山集まっている支那人達が少しづつ移動しているのです。この沢山の人の中には男もいます。女もいます。私もその支那人達の女の一人としてTさんと一緒に人の流れに従って日本人居留区の方へ近付いたのです。


日本人居留区に近付いてみるといよいよ異様な空気が感ぜられます。旭軒という食堂と遊郭を一緒にやっている店の近くまで行ったときです。日本の女の人が二人保安隊の兵隊に連れられて出て来ました。二人とも真っ青な顔色でした。一人の女の人は前がはだけておりました。この女の人が何をされたのか私もそうした商売をしておったのでよくわかるのです。しかも相当に乱暴に扱われたということは前がはだけている姿でよくわかったのです。可哀想になあとは思ってもどうすることも出来ません。どうしてやることも出来ないのです。言葉すらかけてやることが出来ないのです。二人の女の人のうちの一人は相当頑強に抵抗したのでしょう。頬っぺたがひどく腫れあがっているのです。いやその一部からは出血さえしております。髪はバラバラに乱れているのです。とてもまともには見られないような可哀想な姿です。その二人の女の人を引っ張って来た保安隊の兵隊は頬っぺたの腫れあがっている女の人をそこに立たせたかと思うと着ているものを銃剣で前の方をパッと切り開いたのです。女の人は本能的に手で前を押さえようとするといきなりその手を銃剣で斬りつけました。左の手が肘のところからばっさり切り落とされたのです。しかしこの女の人はワーンともギャーッとも言わなかったのです。只かすかにウーンと唸ったように聞こえました。そしてそこにバッタリ倒れたのです。すると保安隊の兵隊がこの女の人を引きずるようにして立たせました。そして銃剣で胸のあたりを力一杯突き刺したのです。この女の人はその場に崩れ落ちるように倒れました。すると倒れた女の人の腹を又銃剣で突き刺すのです。私は思わず「やめてー」と叫びそうになりました。その私をTさんがしっかり抱きとめて「駄目、駄目」と耳元で申すのです。私は怒りと怖さで体中が張り裂けんばかりでした。

そのうちにこの女の人を五回か六回か突き刺した兵隊がもう一人の女の人を見てニヤリと笑いました。そしていきなりみんなが見ている前でこの女の人の着ているものを剥ぎ取ってしまったのです。そしてその場に押し倒したかと思うとみんなの見ている前で陵辱をはじめたのです。人間の行為というものはもっと神聖でなくてはならないと私は思っています。それが女の人を保安隊の兵隊が犯している姿を見ると、何といやらしい、そして何と汚らわしいものかと思わずにはおられませんでした。一人の兵隊が終わるともう一人の兵隊がこの女の人を犯すのです。そして三人程の兵隊が終わると次に学生が襲いかかるのです。何人もの何人もの男達が野獣以上に汚らわしい行為を続けているのです。(※全員支那人)
私はTさんに抱きかかえられながらその姿を遠い夢の中の出来事のような思いで見続けておりました。それが支那の悪獣どもが充分満足したのでしょう。何人か寄っていろいろ話しているようでしたが、しばらくすると一人の兵隊が銃をかまえてこの女の人を撃とうとしたのです。さすがに見ていた多くの支那人達がウォーという唸るような声を出しました。この多くの支那人の唸りに恐れたのか兵隊二人と学生一人でこの女の人を引きずるように旭軒の中に連れ去りました。そしてしばらくするとギャーという女の悲鳴が聞こえて来たのです。恐らくは連れて行った兵隊と学生で用済みになったこの日本の女の人を殺したものと思われます。しかしこれを見ていた支那人達はどうすることも出来ないのです。私もTさんもどうすることも出来ないのです。もうこんなところにはいたくない。家に帰ろうと思ったけれどTさんが私の身体をしっかり抱いて離さないので、私はTさんに引きずられるように日本人居留区に入ったのです。


そこはもう何というか言葉では言い表されないような地獄絵図でした。沢山の日本人が殺されています。いやまだ殺され続けているのです。あちこちから悲鳴に似たような声が聞こえたかと思うと、そのあとに必ずギャーッという声が聞こえて来ます。そんなことが何回も何十回も繰り返されているのでしょう。私は聞くまいと思うけど聞こえて来るのです。耳を覆ってみても聞こえるのです。又私が耳を覆っているとTさんがそんなことをしたらいけないというようにその覆った手を押さえるのです。旭軒と近水槽の間にある松山槽の近くまで来たときです。一人のお婆さんがよろけるように逃げて来ております。するとこのお婆さんを追っかけてきた学生の一人が青竜刀を振りかざしたかと思うといきなりこのお婆さんに斬りかかって来たのです。お婆さんは懸命に逃げようとしていたので頭に斬りつけることが出来ず、左の腕が肩近くのところからポロリと切り落とされました。お婆さんは仰向けに倒れました。学生はこのお婆さんの腹と胸とを一刺しづつ突いてそこを立ち去りました。誰も見ていません。私とTさんとこのお婆さんだけだったので、私がこのお婆さんのところに行って額にそっと手を当てるとお婆さんがそっと目を開きました。そして「くやしい」と申すのです。「かたきをとって」とも言うのです。私は何も言葉は出さずにお婆さんの額に手を当ててやっておりました「いちぞう、いちぞう」と人の名を呼びます。きっと息子さんかお孫さんに違いありません。私は何もしてやれないので只黙って額に手を当ててやっているばかりでした。するとこのお婆さんが「なんまんだぶ」と一声お念仏を称えたのです。そして息が止まったのです。私が西本願寺別府の別院におまいりするようになったのはやはりあのお婆さんの最期の一声である「なんまんだぶ」の言葉が私の耳にこびりついて離れなかったからでしょう。

そうしてお婆さんの額に手を当てていると、すぐ近くで何かワイワイ騒いでいる声が聞こえて来ます。Tさんが私の身体を抱きかかえるようにしてそちらの方に行きました。すると支那人も沢山集まっているようですが、保安隊の兵隊と学生も全部で十名ぐらい集まっているのです。そこに保安隊でない国民政府軍の兵隊も何名かいました。それがみんなで集まっているのは女の人を一人連れ出して来ているのです。何とその女の人はお腹が大きいのです。七ヶ月か八ヶ月と思われる大きなお腹をしているのです。学生と保安隊の兵隊、それに国民政府軍の正規の兵隊達が何かガヤガヤと言っていましたが、家の入り口のすぐ側のところに女の人を連れて行きました。この女の人は何もしゃべれないのです。恐らく恐怖のために口がきけなくなっていることだろうと思うのですが、その恐怖のために恐れおののいている女の人を見ると、女の私ですら綺麗だなあと思いました。ところが一人の学生がこの女の人の着ているものを剥ぎ取ろうとしたら、この女の人が頑強に抵抗するのです。歯をしっかり食いしばっていやいやを続けているのです。学生が二つか三つかこの女の人の頬を殴りつけたのですが、この女の人は頑強に抵抗を続けていました。そしてときどき「ヒーッ」と泣き声を出すのです。兵隊と学生達は又集まって話し合いをしております。妊娠をしている女の人にあんまり乱暴なことはするなという気運が、ここに集まっている支那人達の間にも拡がっておりました。

とそのときです。一人の日本人の男の人が木剣を持ってこの場に飛び込んで来ました。そして「俺の家内と子供に何をするのだ。やめろ」と大声で叫んだのです。これで事態が一変しました。若しこの日本の男の人が飛び込んで来なかったら、或いはこの妊婦の命は助かったかも知れませんが、この男の人の出現ですっかり険悪な空気になりました。学生の一人が何も言わずにこの日本の男の人に青竜刀で斬りつけました。するとこの日本の男の人はひらりとその青竜刀をかわしたのです。そして持っていた木刀でこの学生の肩を烈しく打ちました。学生は「ウーン」と言ってその場に倒れました。すると今度はそこにいた支那国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊が、鉄砲の先に剣を付けてこの日本の男の人に突きかかって来ました。私は見ながら日本人頑張れ、日本人頑張れと心の中に叫んでいました。しかしそんなことは口には絶対に言えないのです。七名も八名もの支那の兵隊達がこの男の人にジリジリと詰め寄って来ましたが、この日本の男の人は少しも怯みません。ピシリと木刀を青眼に構えて一歩も動こうとしないのです。私は立派だなあ、さすがに日本人だなあと思わずにはおられなかったのです。ところが後ろに回っていた国民政府軍の兵隊が、この日本の男の人の背に向かって銃剣でサッと突いてかかりました。するとどうでしょう。この日本の男の人はこれもひらりとかわしてこの兵隊の肩口を木刀で烈しく打ったのです。この兵隊も銃を落としてうずくまりました。

でもこの日本の男の人の働きもここまででした。この国民政府軍の兵隊を烈しく日本の男の人が打ち据えたとき、よこにおった保安隊の兵隊がこの日本の男の人の腰のところに銃剣でグサリと突き刺したのです。日本の男の人が倒れると、残っていた兵隊や学生達が集まりまして、この男の人を殴る蹴るの大乱暴を始めたのです。日本の男の人はウーンと一度唸ったきりあとは声がありません。これは声が出なかったのではなく出せなかったのでしょう。日本の男の人はぐったりなって横たわりました。それでも支那の兵隊や学生達は乱暴を続けております。そしてあの見るも痛ましい残虐行為が始まったのです。
通州事件4.jpg
それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。私はあんな残酷な光景は見たことはありません。これはもう人間の行為ではありません。悪魔の行為です。悪魔でもこんなにまで無惨なことはしないと思うのです。頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。目玉を抉り取ると今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。私はTさんにすがりついたままです。何か別の世界に引きずり込まれたような感じでした。地獄があるとするならこんなところが地獄だろうなあとしきりに頭のどこかで考えていました。

そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。そしてそれだけではありません。別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を失ったのです。その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。しかし見ていた支那人の中でこの細切れの腸を拾おうとするものは一人もおりませんでした。この兵隊や学生達はもう人間ではないのです。野獣か悪魔か狂竜でしかないのです。そんな人間でない連中のやることに、流石に支那人達は同調することは出来ませんでした。まだ見物している支那人達は人間を忘れてはいなかったのです。

そして細切れの腸をあちらこちらに投げ散らした兵隊や学生達は、今度は気を失って倒れている妊婦の方に集まって行きました。この妊婦の方はすでにお産が始まっていたようであります。出血も始まったのしょう。兵隊達も学生達もこんな状況に出会ったのは初めてであったでしょうが、さっきの興奮がまだ静まっていない兵隊や学生達はこの妊婦の側に集まって、何やらガヤガヤワイワイと申しておったようですが、どうやらこの妊婦の人の下着を取ってしまったようです。そしてまさに生まれようと準備をしている赤ん坊を引き出そうとしているらしいのです。学生や兵隊達が集まってガヤガヤ騒いでいるのではっきりした状況はわかりませんが、赤ん坊を引き出すのに何か針金のようなものを探しているようです。とそのときこの妊婦の人が気がついたのでしょう。フラフラと立ち上がりました。そして一生懸命逃げようとしたのです。見ていた支那人達も早く逃げなさいという思いは持っているけれど、それを口に出すものはなく、又助ける人もありません。さっきのこの妊婦の主人のように殺されてしまうことが怖いからです。

このフラフラと立ち上がった妊婦を見た学生の一人がこの妊婦を突き飛ばしました。妊婦はバッタリ倒れたのです。すると兵隊が駆け寄って来て、この妊婦の人を仰向けにしました。するともうさっき下着は取られているので女性としては一番恥ずかしい姿なんです。しかも妊娠七ヶ月か八ヶ月と思われるそのお腹は相当に大きいのです。国民政府軍の兵隊と見える兵隊がつかつかとこの妊婦の側に寄って来ました。私は何をするのだろうかと思いました。そして一生懸命、同じ人間なんだからこれ以上の悪いことはしてくれないようにと心の中で祈り続けました。だが支那人の兵隊にはそんな人間としての心の欠片もなかったのです。剣を抜いたかと思うと、この妊婦のお腹をさっと切ったのです。赤い血がパーッと飛び散りました。私は私の目の中にこの血が飛び込んで来たように思って、思わず目を閉じました。それ程この血潮の飛び散りは凄かったのです。実際には数十メートルも離れておったから、血が飛んで来て目に入るということはあり得ないのですが、あのお腹を切り裂いたときの血潮の飛び散りはもの凄いものでした。妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でしたが、あんなことがよく出来るなあと思わずにはおられません。

お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるでボールを投げるように投げたのです。ところが保安隊の兵隊も学生達もその赤ん坊を受け取るものがおりません。赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、どうもこの赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。あまりの無惨さに集まっていた支那人達も呆れるようにこの光景を見守っておりましたが、兵隊と学生が立ち去ると、一人の支那人が新聞紙を持って来て、その新聞紙でこの妊婦の顔と抉り取られたお腹の上をそっと覆ってくれましたことは、たった一つの救いであったように思われます。

こうした大変な出来事に出会い、私は立っておることも出来ない程に疲れてしまったので、家に帰りたいということをTさんに申しましたら、Tさんもそれがいいだろうと言って二人で家の方に帰ろうとしたときです。「日本人が処刑されるぞー」と誰かが叫びました。この上に尚、日本人を処刑しなくてはならないのかなあと思いました。しかしそれは支那の学生や兵隊のやることだからしょうがないなあと思ったのですが、そんなものは見たくなかったのです。私は兎に角家に帰りたかったのです。でもTさんが行ってみようと言って私の体を日本人が処刑される場所へと連れて行ったのです。このときになって私はハッと気付いたことがあったのです。それはTさんが支那人であったということです。そして私は結婚式までしてTさんのお嫁さんになったのだから、そののちは支那人の嫁さんだから私も支那人だと思い込んでいたのです。そして商売をしているときも、一緒に生活をしているときも、この気持ちでずーっと押し通して来たので、私も支那人だと思うようになっていました。そして早く本当の支那人になりきらなくてはならないと思って今日まで来たのです。そしてこの一、二年の間は支那語も充分話せるようになって、誰が見ても私は支那人だったのです。実際Tさんの新しい友人はみんな私を支那人としか見ていないのです。それで支那のいろいろのことも話してくれるようになっておりました。

それが今目の前で日本人が惨ったらしい殺され方を支那人によって行われている姿を見ると、私には堪えられないものが沸き起こって来たのです。それは日本人の血と申しましょうか、日本人の感情と申しましょうか、そんなものが私を動かし始めたのです。それでもうこれ以上日本人の悲惨な姿は見たくないと思って家に帰ろうとしたのですが、Tさんはやはり支那人です。私の心は通じておりません。そんな惨いことを日本人に与えるなら私はもう見たくないとTさんに言いたかったのですが、Tさんはやはり支那人ですから私程に日本人の殺されることに深い悲痛の心は持っていなかったとしか思われません。家に帰ろうと言っている私を日本人が処刑される広場に連れて行きました。それは日本人居留区になっているところの東側にあたる空き地だったのです。

そこには兵隊や学生でない支那人が既に何十名か集まっていました。そして恐らく五十名以上と思われる日本人でしたが一ヶ所に集められております。ここには国民政府軍の兵隊が沢山おりました。保安隊の兵隊や学生達は後ろに下がっておりました。集められた日本人の人達は殆ど身体には何もつけておりません。恐らく国民政府軍か保安隊の兵隊、又は学生達によって掠奪されてしまったものだと思われます。何も身につけていない人達はこうした掠奪の被害者ということでありましょう。そのうち国民政府軍の兵隊が何か大きな声で喚いておりました。すると国民政府軍の兵隊も学生もドーッと後ろの方へ下がってまいりました。するとそこには二挺の機関銃が備えつけられております。私には初めて国民政府軍の意図するところがわかったのです。五十数名の日本の人達もこの機関銃を見たときすべての事情がわかったのでしょう。みんなの人の顔が恐怖に引きつっていました。そして誰も何も言えないうちに機関銃の前に国民政府軍の兵隊が座ったのです。引き金に手をかけたらそれが最期です。何とも言うことの出来ない戦慄がこの広場を包んだのです。

そのときです。日本人の中から誰かが「大日本帝国万歳」と叫んだのです。するとこれに同調するように殆どの日本人が「大日本帝国万歳」を叫びました。その叫び声が終わらぬうちに機関銃が火を噴いたのです。バタバタと日本の人が倒れて行きます。機関銃の弾丸が当たると一瞬顔をしかめるような表情をしますが、しばらくは立っているのです。そしてしばくしてバッタリと倒れるのです。このしばらくというと長い時間のようですが、ほんとは二秒か三秒の間だと思われます。しかし見ている方からすれば、その弾丸が当たって倒れるまでにすごく長い時間がかかったように見受けられるのです。そして修羅の巷というのがこんな姿であろうかと思わしめられました。兎に角何と言い現してよいのか、私にはその言葉はありませんでした。只呆然と眺めているうちに機関銃の音が止みました。五十数名の日本人は皆倒れているのです。その中からは呻き声がかすかに聞こえるけれど、殆ど死んでしまったものと思われました。ところがです。その死人の山の中に保安隊の兵隊が入って行くのです。何をするのだろうかと見ていると、機関銃の弾丸で死にきっていない人達を一人一人銃剣で刺し殺しているのです。保安隊の兵隊達は日本人の屍体を足で蹴りあげては生死を確かめ、一寸でも体を動かすものがおれば銃剣で突き刺すのです。こんなひどいことがあってよいだろうかと思うけれどどうすることも出来ません。全部の日本人が死んでしまったということを確かめると、国民政府軍の兵隊も、保安隊の兵隊も、そして学生達も引き上げて行きました。

するとどうでしょう。見物しておった支那人達がバラバラと屍体のところに走り寄って行くのです。何をするのだろうと思って見ていると、屍体を一人一人確かめながらまだ身に付いているものの中からいろいろのものを掠奪を始めたのです。これは一体どういうことでしょう。私には全然わかりません。只怖いというより、こんなところには一分も一秒もいたくないと思ったので、Tさんの手を引くようにしてその場を離れました。もう私の頭の中は何もわからないようになってしまっておったのです。私はもう町の中には入りたくないと思って、Tさんの手を引いて町の東側から北側へ抜けようと思って歩き始めたのです。私の家に帰るのに城内の道があったので、城内の道を通った方が近いので北門から入り近水槽の近くまで来たときです。

その近水槽の近くに池がありました。その池のところに日本人が四、五十人立たされておりました。あっ、またこんなところに来てしまったと思って引き返そうとしましたが、何人もの支那人がいるのでそれは出来ません。若し私があんんなもの見たくないといって引き返したら、外の支那人達はおかしく思うに違いありません。国民政府軍が日本人は悪人だから殺せと言っているし、共産軍の人達も日本人殺せと言っているので、通州に住む殆どの支那人が日本は悪い、日本人は鬼だと思っているに違いない。そんなとき私が日本人の殺されるのは見ていられないといってあの場を立ち去るなら、きっと通州に住んでいる支那人達からあの人はおかしいではないかと思われる。Tさんまでが変な目で見られるようになると困るのです。それでこの池のところで又ジーッと、これから始まるであろう日本人虐殺のシーンを見ておかなくてはならないことになってしまったのです。

そこには四十人か五十人かと思われる日本人が集められております。殆どが男の人ですが、中には五十を越したと思われる女の人も何人かおりました。そしてそうした中についさっき見た手を針金で括られ、掌に穴を開けられて大きな針金を通された十人程の日本人の人達が連れられて来ました。国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊、それに学生が来ておりました。そして一番最初に連れ出された五十才くらいの日本人を学生が青竜刀で首のあたりを狙って斬りつけたのです。ところが首に当たらず肩のあたりに青竜刀が当たりますと、その青竜刀を引ったくるようにした国民政府軍の将校と見られる男が、肩を斬られて倒れている日本の男の人を兵隊二人で抱き起こしました。そして首を前の方に突き出させたのです。そこにこの国民政府軍の将校と思われる兵隊が青竜刀を振り下ろしたのです。この日本の男の人の首はコロリと前に落ちました。これを見て国民政府軍の将校はニヤリと笑ったのです。この落ちた日本の男の人の首を保安隊の兵隊がまるでボールを蹴るように蹴飛ばしますと、すぐそばの池の中に落ち込んだのです。この国民政府軍の将校の人は次の日本の男の人を引き出させる、今度は青竜刀で真正面から力一杯この日本の男の人の額に斬りつけたのです。するとこの日本の男の人の額がパックリ割られて脳髄が飛び散りました。二人の日本の男の人を殺したこの国民政府軍の将校は手をあげて合図をして自分はさっさと引き上げたのです。合図を受けた政府軍の兵隊や保安隊の兵隊、学生達がワーッと日本人に襲いかかりました。四十人か五十人かの日本人が次々に殺されて行きます。そしてその死体は全部そこにある池の中に投げ込むのです。四十人か五十人の日本の人を殺して池に投げ込むのに十分とはかかりませんでした。池の水は見る間に赤い色に変わってしまいました。全部の日本人が投げ込まれたときは池の水の色は真っ赤になっていたのです。

私はもうたまりません。Tさんの手を引いて逃げるようにその場を立ち去ろうとしました。そして見たくはなかったけど池を見ました。真っ赤な池です。その池に蓮の花が一輪咲いていました。その蓮の花を見たとき、何かあの沢山の日本の人達が蓮の花咲くみほとけの国に行って下さっているような気持ちになさしめられました。Tさんと一緒に家に帰ると私は何も言うことが出来ません。Tさんは一生懸命私を慰めてくれました。しかしTさんが私を慰めれば慰めるだけ、この人も支那人だなあという気持ちが私の心の中に拡がって来ました。

昼過ぎでした。日本の飛行機が一機飛んで来ました。日本軍が来たと誰かが叫びました。ドタドタと軍靴の音が聞こえて来ました。それは日本軍が来たというもので、国民政府軍の兵隊や保安隊の兵隊、そしてあの学生達が逃げ出したのです。悪魔も鬼も悪獣も及ばぬような残虐無惨なことをした兵隊や学生達も、日本軍が来たという誰かの知らせでまるで脱兎のように逃げ出して行くのです。その逃げ出して行く兵隊達の足音を聞きながら、私はザマアミヤガレという気持ちではなく、何故もっと早く日本軍が来てくれなかったのかと、かえって腹が立って来ました。

実際に日本軍が来たのは翌日でした。でも日本軍が来たというだけで逃げ出す支那兵。とても戦争したら太刀打ち出来ない支那兵であるのに、どうしてこんなに野盗のように日本軍の目を掠めるように、このような残虐なことをしたのでしょうか。このとき支那人に殺された日本人は三百数十名、四百名近くであったとのことです。私は今回の事件を通して支那人がいよいよ嫌いになりました。私は支那人の嫁になっているけど支那人が嫌いになりました。こんなことからとうとうTさんとも別れることとなり、昭和十五年に日本に帰って来ました。

でも私の脳裏にはあの昭和十二年七月二十九日のことは忘れられません。今でも昨日のことのように一つ一つの情景が手に取るように思い出されます。そして往生要集に説いてある地獄は本当にあるのだなあとしみじみ思うのです。
posted by 真 救世主 at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

 集団ストーカー 闇世を暴け 県をまたいだ嫌がらせ 

この犯罪は朝鮮部落同和による犯罪である 
戦後GHQによる不当な治外法権が今も尚水面下で続いている


他人の部屋に対して

他人の部屋をスポットにし、電磁波(磁場)を変えた上で 近くから「放射線発生器」を用いて 集団で行う

これらの犯罪行為をいつまで野放しにしておくのか?  今でも朝鮮部落同和民族には「治外法権」が生きている証拠である

この犯罪は組織的に行われる朝鮮部落同和の仕業であるのは、論より証拠である

毎日24時間 これら放射線の被害は止まることはない コッチは黙って耐えるだけである

しかもだ  ひさしぶりにコンビニに行けば 行ったで コンビニの駐車場で

案の定 待ち伏せをしていた 男たち 4人や5人は居た、

車に乗ったままの者

外(タバコ)を吸いながら、私をニラミつけていた男 こいつら犯罪者のくせして

偉そうな態度をしやがって 何様のつもりなのか !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 

案の定 ものすごい目付きをする嫌がらせをされた

 朝鮮人部落民のガキの嫌がらせである

これは私が子供の頃から聞いていた 朝鮮部落民族の嫌がらせそのものである

 部落は赤い血がながれていない。と昔から言われていたという同和のブログで本人が書いていたとおり、

赤い血が流れていないからこそ できる犯罪である

自分たちが言っているのだから 間違いない、

赤い血が流れていたら とてもじゃないが、こういった行為はできない

同和は「自分たち自らが、仕立て上げ デッチ上げ、陥れた上で こういった犯罪を組織的に行っているのは 間違いない

つまり、同和に対しての偏見というのは、同和自ら、生み出しているのであり、それらをすべて 日本人の責任になすりつける手法である

今までも また、今からも、特権利権を得ようとしている。とんでもない 奴らだということだ  また 毎年コンスタントに3万人以上の自殺者は

こいつら同和部落民が、日本人に対して、精神的 肉体的に追い詰め 行われている (間接殺人)だということが見て取れる  背後に居るのは・・・・

これら同和部落は 戦後から、こうした「追い込み殺人」を平然と行ってる民族であり

さも 自分たちが差別を受けているかのごとく
組織的に猿芝居や自作自演を通じて、日本人の税金を食いむしっていたことが理解できる。


それどころか、「間接殺人」を意図的に仕組んでおきながら  自分たちが被害者のように装う、非常に狡猾な手法を使い 日本社会を組織的に破壊しているのだ

これらの朝鮮部落民族に対しての 個人情報保護など、もっての他だ こいつらは日本人の個人情報を意のままに悪用しているにもかかわらず、゜こいつらの個人情報だけは、しっかりと守られている 偏向した この日本社会の現実。日本人の個人情報は、悪用するくせに、自分たち部落の個人情報は保護せよ。の個人情報保護法。という創価学会がひつこく、20年もかけて、法案を出し続け、成立させた闇法案。奴らには道徳はない。 また

すでに
コンスタントに毎年3万人以上の自殺者を20年間出している、この日本の現状を客観的に見ると すでに


大都市が消えていると同じ 日本人の人口が消滅していることになる

  つまり これらの組織的犯罪を行うことにより 

朝鮮部落民の日本における割合が、ますます 大きくなっていることに気づく。

これでいいんですか?
日本人よ


朝鮮部落民族の意図的な追い込み殺人により 

日本人の人口は加速度的に、消滅しているというのに

 朝鮮部落民は 子沢山

これでいいんですか? 日本人よ。

そして 毎日辛い 放射線(微粒子)を飛ばす、軍事兵器の痛みに、じっと 耐えて生きている者に対し 

ちょっと 外へ出ただけで こうした 人的嫌がらせを行う 朝鮮部落同和という 組織犯罪者を このまま 野放しにしておくと この日本は こいつらにますます 破壊されていく。

これらの犯罪が平然と行われる背景には

戦後GHQが朝鮮人に与えた特権の一つ「治外法権」が 水面下で、悪用されている証拠である

つまり朝鮮部落民による「間接殺人」は 奴らが日本に居るだけで永遠に続けられる。ということである  奴らは無差別テロ組織であり 人殺しであり 日本国憲法を守る必要のない民族であるかのごとく、憲法を無視できる神経を持っているからこそ こういった組織犯罪が水面下、地下で、偽装されながら、内密に行われているのだ しかもだ ガキ 中学生や小学生まで使っている朝鮮部落民  大人が大人なので子供も子供も犯罪を組織的に行う。ことが観察できる。

昔の日本人が築いた、日本人が安全に暮らせる社会を朝鮮部落民が、すべて破壊した

そして 自分たちこそ 犯罪組織であるにもかかわらず こいつらが、安全を語っている偏向した世の中は まるで 日本が敗戦した後の 戦後社会と 全く同じ構図である

すべて こいつら民族が コントロールしているのだ 勝戦国民の地位を利用し 一方では 組織犯罪を行い 一方では 安全を語る。構図の歴史が復古したということである

 犯罪者は道徳を語るな!と声を大にして言いたい。

これでいいんですか? 日本人よ!

戦後 多くの日本人が朝鮮部落同和により、殺害され 地方を合わせると3万人以上の殺害されている。 

にもかかわらず朝鮮同和部落民族に対して、「治外法権」が与えられていたために

日本人を殺害した朝鮮同和部落民族は 一人として、「罪に問われていない」 

これが法治国家か?

そのまま日本国内の多くの組織犯罪者は野放しだということだ  それどころか奴らは、犯罪に関与した朝鮮人で日本に帰化していない者の場合

日本社会では生きにくいので「日本名」を与えてくれ。と日本政府に陳情に行き、 簡単に日本人名 「通名」をもらっているのだ

しかし多くは同和部落民族が日本人殺害  住居侵入 モノトリ 不動産搾取に関与している。また国外では 当時朝鮮半島に在留していた日本人の多くが、朝鮮人に大虐殺されている この事実が記されている本は英文でしか出版されていない  よって多くの日本人はこの事実さえ知らない

治外法権を朝鮮同和に与えたのは、米国GHQだったのだ

  GHQの「ウォーギルト インフォメーションプログラム」
戦争への罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」
2005年 8月4日付け 産経新聞


日本人の心に戦争に対する罪悪感を植えつけるため
さまざまな検閲を行い 米軍は紳士的で文明的な軍隊
だった」というイメージのように
米軍に都合の良い数数の情報操作を行った


GHQの検閲指針(主な事例)
連合国軍総司令官に対する批判
極東国際軍事裁判(東京裁判)批判
GHQが憲法を起草したことへの批判
朝鮮人に対する直接的 間接的の一切の批判
他の連合国の戦前の政策に対する批判
戦争擁護 軍国主義 ナショナリズムの宣伝
深刻日本 大東亜共栄圏の宣伝
戦争犯罪人の一切の正当化及び擁護
占領軍兵士と日本女性との交渉(レイプを含む)
占領軍軍隊に対する批判
ウオーギルトインフォメーションプログラムは
現在も形を変えていき続けていて 反日マスコミ 売国左翼
朝鮮人等により 様々な場面で利用されている

また 日本占領し続ける在日米軍の力を背景にCIAは政界や
政府 マスコミに対して工作活動をおこなっており
アメリカに不利益な行動をすると様々な圧力を加えられるといわれている

http://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo&feature=fvwrel

posted by 真 救世主 at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月20日

サンヘドリン=イエズス会(ヴァチカン)からは1人出ている。

イルミナティの悪魔的な所業の謎をとく  

現在わかっている範囲。
イエズス会(ヴァチカン)、エリザベス女王、ジェイコブ・ロスチャイルド、イスラエル、アルカディア、メディチ家、ラッセル家、サバタイ派、オレンジ公

 
1、イルミナティ文化の悪魔性は残虐なスキタイ文化へ遡るのではないか。
いまだにほとんどの人が存在すら認めない、残虐で悪魔的な秘密組織イルミナティ(Illuminati、 見えない多国籍ユダヤ帝国)をしっかり理解することが、彼らのNWO(新世界秩序)に至る今を生きるわれわれにとって最も重要であると考える。
いわゆる秘密結社イルミナティ自体は、堅固な国家そのものである。単なる団体だと勘違いをしてはいけない。この国家は過去の様々な国家とはかなり違う。まず、見えないステルス性を持っている。誰がイルミナティ国民であるか、わからないのだ。職場で机を並べていても、まったく、わからないだろう。きわめて秘密性が高い。つぎに どうやら掟がきわめて厳格で、罰は死をもっておこなわれ、互いの結束が強い。情報統制が行き届いていて、最上部でないと全体像はまったくわからないが、国家が行うすべての機能を持つだろう。
JFK暗殺や911などは表にあらわれた苛酷・非情な活動であったが、あらわれない裏の苛酷・非情な活動も極めて沢山あるのだろう。それが知られることは絶対にない。彼らの表にあらわれる国際銀行家という肩書きなどの裏には、どうやら悪魔教とさえ呼ばれるほど残虐な儀式を執り行う宗教家の冷酷な顔を持つようだ。裏の面は、普通の人には想像を遥かに超えた苛烈・暗鬱な世界なので、誰もイルミナティを本当だと信じることができなかったのだろう。したがって、真実が陰謀と言われ、誠実な証言者がうそつき呼ばわりされてきた。
この人類の癌ともエイズとも言えるイルミナティ国家は、今や人体へのマイクロチップ強制注入による専制独裁とケムトレイルなどによる地球全土の環境汚染等で導く人類絶滅計画、絶対支配を求めてマインドの戦争を心の内宇宙にしかけている主体であることに気づくためには、彼らの実在を信じられる集団にすることが必要である。そこで彼らの悪魔的国家意識の起源を探り、それがスキタイ民族( Skythai、Saka )に起源すると考えれば無理なく理解できるようになるだろう。

もちろん悪魔的存在の他次元からの介入や地球外の知性体の介入などを否定する訳ではない。むしろ宇宙の悪魔的存在との共鳴、悪魔であるルシファーの崇拝と悪魔の憑依
possession の儀式、がイルミナティの性格を決定づけたとは推測している。これほどまでに深く悪魔に愛された集団イルミナティは地球史上で唯一の存在だろう。

フリーメーソン・イルミナティがいかにヘブライ宗教を装っても、深い部分では宗教の誤解があるのではないかと私は考える。それは、われわれ日本人の仏教のようなものだ。実質的に葬式と先祖供養祭儀しかない仏教は、われわれがまさに仏教を誤解していることを示している。仏教で生きているわけでもないが、仏教徒という不思議さ。これを日本教徒という論者まで現われるくらいだ。これは非常に問題と議論の多い部分だが、イルミナティ人の生き様が内部になればなるほど神から離れていくのも似たところがある。というのは、ユダヤ人の9割を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、実は民族的にはハザール人に起源しているからだ。ケストラーは、「ユダヤ人とは誰か」で、これをあばいたことによって殺された。
ハザール文化の上に、バビロニア・タルムードを聖典とするサンへドリンの宗教組織がのり、さらにサバティアン・フランキストのロスチャイルド帝国が覆っている。かれらを理解しようとしたら、混交・習合された仮面をはずして、底流にあるハザール文化(その中で生きた人々の意識)をとらえるべきだ。私はさらに、ハザール文化はスキタイ文化へ遡るのではないかと推測している。では、ユーラシアの遊牧民族の歴史を辿り、スキタイ人、サルマタイ人、ハザール人の遊牧国家興亡の歴史を見てみよう。
ハザールの地、黒海北部は初めキンメリア人が住んでいた。つぎにコーカサス山脈北部草原アシュケナジーから、騎馬弓矢で武装したスキタイ人が、小アジアへキンメリア人を追い払って黒海北岸に住み着いた。残虐で問題の多いスキタイ人はローマ帝国からにらまれたのか、コーカサス山脈北部草原から来たギリシャ式重装歩兵軍隊のサルマタイ人が追い詰め、クリミア半島で滅びた。つぎにコーカサス山脈北部草原から興ったハザール人がサルマタイ人を滅ぼした。そしてハザール王国を建てた。首都はカスピ海北部のイティル。東ローマ帝国と親密な関係を保ち、ブラン・カガンが宗教をユダヤ教に改宗した。首都イティルがロシア人によって落ち、さらに東ローマ帝国が滅びるのと時を同じくしてモンゴル帝国に滅ぼされ、東ヨーロッパ各国に散った。そしてアシュケナジー・ユダヤ人として、知られている東欧の歴史の中に姿をあらわした。
ここで、つぎのような仮説を立てたい。スキタイ滅亡のとき、その王家はコーカサス山脈北部の故地へ逃れ存続したり、サルマタイ国の中でスキタイの秘密結社が出来上がったりした。そのスキタイの秘密結社はサルマタイ国の中で秘密に金融的面、軍事的面を支配して、コーカサス山脈北部の故地で、勃興した混成民族ハザール王国の隆盛を助け、サルマタイ国のクーデターを起こし、サルマタイ国の壊滅に手を貸した。サルマタイ国を倒しても、スキタイ王家とスキタイの秘密結社は、見えない組織として、ハザール王国の中の黒海北岸部に秘密裏に存続し、様々な遊牧民族の集合体の現代世界に似たミニ地球ともいえる、この社会の中で権力を掌握していたのではないか。そしてカスピ海北部の首都イティルの2重王制のハザール王国政府とは、また別の黒海北岸部の見えない政府「原イルミナティ」となっていたのではないか。このミニグローバル国家の中でスキタイ秘密政府「原イルミナティ」は統治の手法を洗練させていき、もはやハザール王国がなくなっても、多くの国のなかで生き続ける、見えない国家に成長していた可能性がある。
ハザール王国の崩壊後、アシュケナジー・ユダヤ人たちはサンヘドリンと連携をとりつつ東欧のゲットーの中で金融に携わっただろう。一部は騎士団の資産管理をしたり、スペインのイグナチオ・ロョラの創設したイエズス会に潜り込み、スファラディ・ユダヤ人と合流したり、またルネサンスのベネチアの貴族や銀行家のもとへと行っただろう。また、一部の戦士たちは王族や貴族たちの傭兵となっていっただろう。そして最終的にフリーメイソン・イルミナティの創設に結びついていく。それはスキタイの秘密結社が導くことによって可能になったのではないだろうか。
このような仮説を立てること(空想というべきかな)によって、イルミナティが歴史に登場するやいなやフランス革命を起こしたりする強力無比な力が無理なく説明できるのではないか。今までの説ではイルミナティの秘密性、掠奪性が合点がいかなかったが、ヘブライ起源ではなく、スキタイ起源の秘密組織「原イルミナティ」を仮定すれば、納得できる解が得られる。イルミナティのことが歴史に浮上したのは単に雷の偶然のハプニングで、彼らは、あわてて存在を消滅させねばならなかったのだ。ロスチャイルド家が登場した時点では、すべての世界征服戦略の準備が整っていて、それは完璧に完成しきっていたのだ。
われわれのあらゆる努力を傾けて得られる事実は数千あるだろうパズル・ピースのごく一部数個でしかない。したがって事実から全体を構築することは無理で、あきらめるか、数個の事実から全体像を想像・空想する手法しかないだろう。しかし描かれる全体像は空想であっても価値があるだろう。
2、なぜ、イルミナティは悪魔まみれの集団になったのか

2−1 
なぜ、かれらは悪魔まみれの集団になって、悪魔(ルシファー)崇拝という信じられない奇妙な宗教的様相を呈したか。それについては、サバティアン・フランキストがグノーシス主義を奉じているというような説明がある。が、それより むしろハザール人はバビロニア・タルムードを聖典とするヘブライの一神教をハザール化したのだが、一方ではスキタイ文化の残虐な伝統を色濃く残した人々であったと考えるほうが、イルミナティの悪魔的活動や悪魔(ルシファー)儀式の起源が理解しやすい。儀式は古の伝統を伝える。

彼ら遊牧民族ハザール人、スキタイ人の伝統的な生きる動機はすべて物欲の実現である。そして、その路線を極限に生きるイルミナティ人は、ヘブライ伝統の、神とともに生きるための教義を実践するためではない。もちろんキリスト教の愛を実現するのためではない。自己の利益のために富と権力のために、人類の不幸と悲しみを切に実現しようと不断に努力する人たちである。
イルミナティ機関であるところの国連のWHOやユネスコなどの真のベクトルが、表づらとは逆方向の人類の不幸を願う方を向いていることに気がつかねばならない。イルミナティは自己中心性の物欲の極限を追求する。イルミナティ文学のアイン・ランドの「利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定する」の表題は、けだし至言であった。そして、様々な口実や理由づけ、理論化をし、ギリシャ哲学を援用したりするが、付け焼刃であり、単なる猿芝居である。生命や魂の倫理への蔑み、憎しみ、軽蔑が、この物欲文化の最も特徴的な特質だ。
彼らイルミナティは、悪魔教義を実現するため行っているのでなく、自ら行っていることの教義化を図るうち、悪魔を神とせざるを得ない事態になったのではないか。すなわち、彼らが、自らの悪魔的な狂気の活動を行うのを理由付けし、正当化するうち、悪魔(ルシファー)崇拝がヘブライ宗教の神と並存し、そのうちにさらに儀式の中心に悪魔(ルシファー)を据えるようになり、そしてついには神は悪魔(ルシファー)だという詭弁を中心教義とするはめになったのではないか。ここに掠奪・強盗民族であるハザール・スキタイ民族の哀しい業が垣間見える。はじめに「行為(掠奪)」ありき、なのだ。

2−2
神が悪魔の世界では、当然ながら愛は憎悪であり、家族の絆が愛でなく憎しみである。親を殺して煮て食べる。兄弟の財産は隙あらば奪い取る。財による階級差別意識は極限まで高まり、王族スキタイ以外の他民族は人間でなく家畜として見て、家畜を屠殺するように他民族を脅迫・掠奪・虐殺して広大な原野を統治することが可能になり、それがハザール・スキタイの伝統文化になったのだろう。殺人儀式、乱交、飲血、人肉食、麻薬の吸引などの伝統儀式を固持する彼らは、まさに人でなしか、異人類というほうが当っているだろう。われわれにイルミナティが簡単には理解できないのは当然である。イルミナティの家庭に生まれてさえ、普通に育つとこれがわからず、立派なイルミナティ人にするには強力な伝統教育、すなわち殺人儀式や多重人格症的マインド・コントロールを必要とするわけだ。

古来からの伝統的で野蛮なハザール・スキタイ儀式、(極秘に頻繁に行われる儀式殺人、乱交、飲血、人肉食、麻薬の吸引などの儀式)は、そのうちに正当化せねばならなくなり、ヘブライのヤーウエ神とは違う悪魔神を導入せざるを得なかったのだ。ハザール・スキタイ文化の中ではヤーウエ神のいどころがなかったと考えた方が、よりよく理解できる。
アシュケナジー・ユダヤのゲットーのなかでの人々の生きる意識、生き様は、集団としては過去の騎馬遊牧文化における社会の要素、すなわちハザール・スキタイ文化の伝統を濃くひきずって持っていただろう。このように考えると無理のない理解ができる。アーリア族スキタイ族など騎馬遊牧民族には、殺人儀式を行う強固な伝統が、表面に出ないが隠れていて、いつまでも続いている。社会の表に現われないだけで、東欧のゲットーのなかで古式にのっとった殺人儀式が行われ、それをうすうす知った他民族の人々の強い嫌悪をもたらしていたのではないだろうか。これも現代と同じである。
この古い殺人儀式を伝えることは結果として、集団の絶対的秘匿性と堅固な結束性をもたらしただろう。そして、儀式殺人、乱交、飲血、人肉食、麻薬の吸引などの儀式が、そのうちに、この集団イルミナティへの高貴な新人、すなわち社会の上流階級のイルミナティ加入の儀式の中心的要素と変化していったと考えられる。すなわちイルミナティ人である最低条件は、この殺人儀式を体験していることなのだろう。

2−3
またイルミナティの教義を、厚化粧してギリシアへと、どうしても持っていこうとする陰謀があるように思われる。すなわち、エーゲ海北部カバラKavalaの岩窟のギリシャ人宗教者たちの瞑想運動にあやかって名づけられたと思われるカバラ哲学qabbalahは、ギリシャ密儀宗教の誤解だろう。すなわち、瞑想体験が主体であるのに、そこから生まれた哲学体系の知的理解、言葉の遊びに主体が移っていってしまった。これはインド宗教の他への伝播とも似ている。これはギリシャ密儀宗教が滅んでしまっているのではっきりとはしないが、インド宗教の密儀的側面が密儀仏教のなかに残存しているので理解はできる。

イルミナティの行動は本来のユダヤの文化と異質に見える。ちょうど、旧約のヨブ記は無名ギリシャ悲劇の剽窃、雅歌や詩篇は消滅したギリシャ・エジプト古代詩の盗用であり、本来のユダヤの文化と異質に見えるのと同様である。古代世界においてもギリシャ文化とスキタイ文化は水と油のようだといわれていた。彼らイルミナティはプラトンの国家を夢見るが、哀れにも完全に誤解している。誤解や剽窃で、できあがったユダヤ文化を、それすら誤解したのがギリシャ文化に盲目のサバティアン・フランキスト(イルミナティ)であった。ドル札の「すべてを見通す目オールシーイング・アイ」の「邪視エビル・アイ」が、果てしの無い冷たい憎しみの、盲目の眼で全人類を睨んでいる。


3、 「遊牧民族」と呼ばれるハザール・スキタイ族の生き方

白く輝く神秘なアララット山を主峰にいだくコーカサス山脈裾野のアーリア人の故里は多くの歴史の謎を秘めている。スキタイの謎、ハザールの謎である。事実は遥か遠い時の霧の彼方に霞んでいる。しかし、可能なかぎり、ヘロドトスの「歴史」のスキュティア誌からイルミナティの核につながると思われるスキタイの伝統を調べてみよう。

3−1
「遊牧民族」と呼ばれるスキタイ族の生き様は、掠奪だ。戦士スキタイは掠奪以外は、なにもしない。成人してから死ぬまでの人生は掠奪だけだ。それ以外の世界観はない。無限の物欲、金銭欲、全世界を自らの手に入れようという欲望を純粋化したこの伝統が、現代にいたってイルミナティに受け継がれ、地球全土の荒廃をもたらしているのではないか。そしてイルミナティ集団全体は死の掟で固められ、ここから抜け出すこともできない。
スキタイ国家そのものが掠奪中心であり、軍事国家である。したがって、スキタイ族の人々は、騎馬、弓、などの術を熟達したり、新しい武器や戦術を考案したりすることにもてるすべての力を注いだ。古代世界の騎馬術、鉄の武器、戦略の徹底したステルス性など軍事にかかわることの多くはスキタイ起源と考えられる。彼らの武器・戦略は時とともに変わっていったが、掠奪中心の生き方は変わらなかった。

現代に至ってイルミナティが根を下ろした国家は、すべて、軍事至上国家と化す。医学・生物学の真理を研究者が究めれば、イルミナティ医学は悪用してもうけるために生物兵器や毒ばかりつくるようになる。ヒポクラテスの誓いに背くことがイルミナティ医学だからである。現代医学はイルミナティ医学によって支配されているので、医療行為は人を病気から助けるためでなく、儲けるための経済行為にすぎない。イルミナティ医学では薬物は軍事兵器なのだ。  イルミナティ自体は、まるで人類にできた癌やエイズ・ウイルスのような存在だ。ここには、信仰(神のもとに生きる意識)は微塵も感じられない。悪魔への信仰(悪魔のもとに生きる意識)を考える他はないとは、もう言葉すらない。が、彼らは居直って正当化するしかないだろう。

3−2
以上のように、西洋の掠奪性はイルミナティ(見えない多国籍ユダヤ帝国、国際投資銀行群)にあり、その起源はハザール・スキタイ文化にあるとするとイルミナティの徹底的壊滅的な掠奪性が納得できる。

近代においては、イルミナティの武器は弓矢から金に変わり、掠奪はわからないよう隠され、投資戦略として戦争を利用することになった。戦争を起こして戦費を貸したり、軍事産業を興し、地球規模のネットワークで金と権力を武器にして国々から掠奪をおこなった。国と国を戦わせたり、内乱の画策をしたりして、世界の国々同士の血塗られたコロッセウムをスイスから高みの見物なのだ。革命戦争を意図的に全世界に扇動し、お人好しが踊るのを見物して楽しみ、もうけるのだ。そして実験国家を次々に作り出した。実験国家ナチスが高度な科学技術で兵器を開発したと言われているが、イルミナティ科学部隊が実験国家ナチスに最新兵器開発を委託したのだろう。ナチス科学とは実はイルミナティ科学であったのだろう。現在も隠れて存在するであろうイルミナティ科学は、大方の予想をたぶん遥かに超えるきわめて高度なものなのだろう。
 第2次世界大戦も含めて近代・現代の戦争とは、すべて例外なくイルミナティの掠奪活動であり、われわれからすれば、「イルミナティのテロ」とも言ってもいいものだ。こうして、「イルミナティのテロ」、すなわち19世紀、20世紀の戦争と革命が200年間絶えず続いていたわけだ。その裏では巨大な金がイルミナティのポケット(タックス・ヘブン)に入っていったのだろう。また、その秘密工作資金は麻薬産業から得ていたので、麻薬産業はイルミナティが繰る国家指導者の最も大きな秘密の仕事になっていった。
イルミナティ金融部隊は諸国の中央銀行と通貨を次々に手中にし、通貨の操作、恐慌の演出により、全世界の国から実体物としての富を強奪し、負債を押し付けた。敵対者はマスメディアで悪者に仕立て上げてつぶし、最終的に毒殺・暗殺によって秘密裏に処理された。宗教、司法と軍・警察の上部を秘密結社に取り込んだので、どんな手段でも取ることが可能であった。イルミナティ国家の実行部隊として設けられた各国の諜報機関はその国の利益のためでなく、イルミナティのために働いていたとは、税を納める国民は夢にも思わなかっただろう。諸国民を戦争や株のバブルの雑巾絞りでしぼりとる技法は、20世紀後半以降さらに洗練度を増し、彼らイルミナティ金融部隊は金融工学とコンピューターを武器にして、壮大なギャンブル、サブプライム・ローンバブルを楽しんで演出し、総額6京円ともいわれる想像もつかない巨大な負債を仕立て上げた。恐慌になるのを防ぐという口実で、全世界の国民の税金をイルミナティのポケット(タックス・ヘブン)に滝のように注ぎ込み、またまた予定通り全世界の実体物としての富を強奪して、100年に1度の金融詐欺の収穫祭を史上空前のボーナスの大盤振る舞いで祝った。これに負けじとイルミナティ医学部隊は新型インフルエンザ・ワクチン詐欺を、イルミナティ環境部隊は地球温暖化詐欺をなどなど、つぎつぎに世界同時多発詐欺を行っている現状だ。

3−3
いままで遊牧民族国家として理解されてきたハザール王国や古のスキタイ族は、ほとんど文字記録に残っていないだけで、じつは掠奪に特化した(DNAさえも変わっているかも)、優れた軍事戦略と軍事技術を持った、きわめて高度な文化の持ち主として理解し直さねばならない。社会全体が軍事至上主義によって成り立ち、経済も統治も掠奪を基本とする軍事傭兵国家だったのだ。しかし、掠奪以外はなにもないという、いびつで普遍性のない貧しい文化ではある。これを騎馬遊牧民族と脳天気に言うのは、名前と実体が違いすぎ。スキタイ族とは人類史上でもっとも純粋な軍事民族なのだ。彼らの神はアレスという戦いの神であった。家畜の遊牧は単に戦争の間の片手間仕事だった。農耕スキタイも、掠奪してきた女奴隷やその子孫なのである。農耕奴隷を、まるで家畜のように扱い、人間牧場だ。人間家畜は増えすぎれば、殺人儀式で屠殺するのだろう。イルミナティの人間家畜の管理技術や高度軍事技術、ステルス戦略などはハザール・スキタイ文化からの何千年もの長い伝統の所産であったのだろう。


4 王国の統治とステルス性
イルミナティの核と思われるロスチャイルド家とハザール王朝を考察してみよう。これは、結束性とステルス性が統治の鍵だ。
 
ハザール王国の統治は王(皇帝、最高権力者)カガンは、ほとんどまったく姿を見せず、その下に全軍を指揮する大公べクがいる。2重王制の統治である。首都は河に挟まれた2つの都市カザランとイティルがある。王が誰であるか、大公べクなど少数以外には、まったく誰にもわからない仕組みであった。
現代のロスチャイルド帝国は組織はさらに複雑になっているだろう。世界皇帝ピンダー(Rothschild
Pindar)はロスチャイルド家の誰であるか、まったくわからない。名前すらロスチャイルドを持たない可能性もある。ロスチャイルド・ピンダー(リボー侯爵the
Marquis de
Libeaux)は、どこにあるのかわからない世界帝国の首都英仏の王宮(例えばオクスフォード、ケンブリッジ大学かも)で誰にも知られず、悪魔教の儀式を執り行っているのだろう。それが古代から連綿と続いてきた祭司王の伝統なのだ。

ロスチャイルド家のパートナーはシフ家であったようだが、これが2重王制の痕跡かもしれない。大公べクたちの絶対的恐怖支配の下に、12の種族が将軍(戦士スキタイ)のもとにステルス作戦行動をとる。これが300人委員会、ビルダーバーク倶楽部、闇の世界政府、シークレット・ガバメントとよばれるものの前身だろう。王は種族長から娘たちを人質妻(ロスチャイルド家の家政婦?)にとるので、王の子は極めて多い。ハザール王国の時で、百人以上はいる。現在、ロスチャイルド家の血流は、おそらく「13血流」すべてに浸透して、名前がロスチャイルドでない「見えないロスチャイルド・ファミリー」でイルミナティ上部が構成されているように見える。おそらく、ローマ法王でさえも、見えないロスチャイルド・ファミリーから選ばれるのだろう。これが、ロスチャイルドの謎の一つだろう。広瀬隆の系図からたどる方法では限界があり、「赤い盾」ロスチャイルド帝国の一部分しかわからない。しかし、系図法でさえも地球全土を隈なく支配する驚くべき巨大なロスチャイルド帝国が浮かび上がる。しかし、それは氷山の一角だろう。その水面下を知るためにはイルミナティ内部離脱者の証言を精査するしかない。
この見えない巨大ロスチャイルド・ファミリー「イルミナティ」の実体はフランクフルト遥か以前からあるようにみえる。また、ロスチャイルド家の5本の矢が結束を表すというシンボルについても、スキタイ王家ではヘロドトスにあるように起源は非常に古いものである。ロスチャイルド家は、悠久の古からアジアのどこかから脈々と続いてきたイラン語系民族スキタイ王族に起源を持つのだろうか。ロスチャイルド家祖先の地は、はたしてコーカサスの地だろうか。ユーラシアの広大な草原の海を漂流する海賊たち、放浪する強盗団を起源とするイルミナティは、現代においても海賊、あるいは強盗団の群れ、といった性格を強く保持している。国連(WHO,ユネスコなど)が本当は残虐な海賊たち、あるいは極悪非道の強盗団の群れと認識しないと見誤るのだ。


5 イルミナティの死の結束と諸国の民主化
本来ばらばらのはずの遊牧民が大国を築けたのは結束の原則があったからだろう。なぜ、ばらばらの牧畜民族のなかから巨大な帝国フン族(匈奴)やスキタイ王国、カザール王国が出現できたか。ユーラシアの遊牧民族は、お互い家族間でも、財を争い、奪い合い、殺し合う習俗であったようだが、そのなかでのスキタイ族の隆盛は多分、一族の固い結束にあっただろう。伝統の一番重要な原則が一族の固い結束にあり、そのシンボル5本の矢がアムシェル・ロスチャイルドまで引き継がれたと思われる。お互いが掠奪・収奪する世界では、消耗して自滅するものだが、その群れのなかから淘汰された結果一つの原則が生まれた。それは結束こそが一国を堅固にする、というあたりまえの原則だ。したがって、他の民族や国に対して分裂させる策略・陰謀があらゆる努力を傾けて取られた。ちょうど世界史にはギリシアというスキタイと対極の価値観を持つ高度文化があった。西洋・イルミナティがギリシアの自由と民主制を金科玉条のように全世界に押し付けて洗脳していったのは当然の戦略であった。

そして、彼らイルミナティ(見えない多国籍ユダヤ帝国)の、世界すみずみまで行き渡った秘密結社の情報網や金脈や人脈の強力無比な結束力を前にして、われわれのいわゆる民主主義と言う名のもとの、あらゆる力がばらばらに分断された民主国家は、まるでコブラににらまれる小カエルのようなものだ。われわれの国家は、もう、ひっくりカエルのだ。
6 何千年間も磨き上げたステルス戦略で、すでに地球全土を征服
また、ヘロドトスによると、スキタイ文化のことがわからないのは、当時首都に他民族の誰も近づくことさえできなかったからだ。ヘロドトスが執拗にスキタイ族のことを追求したのは、親を殺したり食べたりする非人間的な習俗や自らを隠す秘匿性にヘロドトスが多大な興味と好奇心を抱いていたのだろう。これは現代も同じで、誰もロスチャイルド帝国の首都がどこにあり、世界皇帝が誰か知らないし、王宮の様子(話し合われている重要事項)も殺人儀式などもまったく知られない。人はこれを陰謀と呼ぶ。悪魔教徒と呼ぶ。
彼らは、19世紀におおよそ世界征服を果たしてのち、地球全土を手中にし、思うがまま秘密裏に殺略・収奪を繰り返した。アメリカ合衆国の最大の秘密は、すでに100年前にイルミナティ帝国に完全に占領されていることだろう。もちろん全世界も占領地なのだが。アメリカ国民が主権があるということも選挙もすべてが茶番劇だ。なにかあっても、すぐに未来兵器を持つ強力なイルミナティ帝国軍が隠密に鎮圧するであろう。イルミナティ世界秘密政府の全世界支配が見えなかったのは、イルミナティがなくなったとイルミナティ・マスメディアの宣伝シャワーがいきとどいたのだ。そのかわり、見える表の顔、大英帝国の植民地支配だの、東インド会社だの、共産陣営だののまやかしで激動の現代史であった。単に200年間のイルミナティ帝国による全世界諸国へのテロと掠奪、圧政があったにすぎない。イルミナティ帝国の皇帝は秘密の王宮で鼻歌を歌いながら帳簿に金額を記し、脳中の帳簿には戦争死者の数を記していたのだろう。まだこれでは足りないな、うん、細菌兵器を使わねば、と言っては、麻薬モルヒネでのんびりくつろぐのであった。戦争終了時にはトイレでうん、うん、うん、とあまりにもくつろぎすぎて、ポケットから麻薬が口がすべり落ちただろう。

1980〜90年代頃から、ようやく多くの人が問題にし始めた。が、人類がこの「見えない多国籍ユダヤ帝国」に征服されて実に100年以上が経過しているのだ。その間、人々はマスメディアの催眠で深く眠らされてきた。イルミナティの万華鏡(ウソと真実の反射し合うこの世界)の中に人は放り込まれ、何が真実かと右往左往しながら人生を辿って、迷宮のなかで死に果てるのだ。人は一生このマトリックス(マスメディアの幻覚剤、イルミナティの価値体系)から逃れることはできないだろう。ここでは人間の知性が、ギリシャから遠く離れて、イルミナティ化されている。ギリシャとは、なんと離れていることだろう。人間の知性は真理を観るのでなく、イルミナティの解釈した世界観から観るのだ。まるで、フィリップ・ディックPhilip
K. Dickの小説のパーマー・エルドリッチの幻覚世界のようだ。

こうして世界人間牧場は1世紀の間続いてきた。そしていま、人間家畜の管理法が教育・出版・マスメディアによる催眠方法から、さらにもっと精妙・絶対的なコントロール、われわれに大変苛酷な状況をもたらすにちがいないマイクロチップとスーパーコンピューターを使う電子一極支配(NWO)に変えようとしているのだ。さらに、優生学の名のもとでの人類の完全家畜化遺伝子改造と、それに合わせて大規模な人類癌化大作戦、生物兵器による人口大削減が行われるのだろう。核のホロコースト、小惑星のDeepImpact、生物兵器、食糧・水・大気汚染による環境兵器などを使って、あらゆる悪魔的所業が繰り広げられ、悪魔(ル死ファー)に捧げられるのだろう。おそろしいことに、地球規模の虐殺が行われていても、政府が完全に沈黙するので、この非人間性と無力感は地球全土を覆っている。イルミナティ・マスメディアの攻撃によって政府を骨抜きにすることに完全に成功しているのだ。ロックフェラーが国連への手紙で言ったように、政府への不信感を増すことによって、国家を自然消滅させていくのだ。あらわれるのはNWO「悪魔の世界」の実体化だ。
「イルミナティ帝国」という実在するものを、ないと言い張る邪悪なジャーナリスト(トンデモ学会、反陰謀論者たち)のハメルーンの笛吹きに踊り狂わされ、とうとう断崖・絶壁の上に来ている。われわれはたった今虐殺されつつあるのだ。
第1次ワールド・オーダーではBIS、FRBの成立で始まって、恐慌や戦争の世紀であった。911で始まった第2次ワールド・オーダー(NWO)では、電子マネーとマイクロ・チップと監視カメラの警察国家の実現だ。電子的一極悪魔(ル死ファー)支配の世界だ。
「トゥモロー・ワールド」ではパクス・イルミナティーナ(イルミナティ人のみの平和、イルミナティ人のみが子孫を残せる世界)が到来する。そこでは、生物兵器やケムトレイルによる長く続く、これまでに無い規模の恐るべき「静かなる戦争」なのだろうか。今日もアルツハイマー・ケムトレイルの日だ。不明航空機が有毒なアルミニュームを、もくもくと頭上に散布してゆく。イルミナティ帝国のわれわれに対する攻撃は果断なく、今日も続く。  

ギリシャ人ホメロスはスキタイ族に代表される北方の野蛮人を一つ目のキュクロープスとして戯作したが、これは現代のイルミナティ「見えない多国籍ユダヤ帝国」にぴったりだ。ベヒモス・レビヤタンの登場するヨハネ黙示録よりも、ホメロスのほうが未来を垣間見ていた。キュクロープスは現代世界に巨大な一つ目のピラミッドの怪しい獣としてよみがえり、荒れ狂い、地球を汚染し尽くし、人類を虐殺・絶滅しようとしている。ホラー映画そのものが現実なのだ。事実は映画よりも奇なり。


01. 2010年1月02日
00:14:31

 あのに様の書かれている ”NWO(新世界秩序)のグループ”の行っていること、その目的など、まさにその通りだと思います。

 それから、聞きかじりですが、サンヘドリンがバチカンへと融合したのは本当で、結局、裏の世界の一番上にいるのは、ジェズイット( Jesuit
イエズス会士)のGeneral=総統 だそうです。

 ”ユダヤ陰謀”は表層で、その一番の核は、バチカン
 そしてこれらの秘密結社の悪魔信仰は、古く、ドルイド教の思想が流れ込んで、ルシファー信仰と融合しているそうです。
 また、アメリカを牛耳っている”名門100家”も、やはり seance(交霊会)を開き、導きを受けているそうで、公式に議事録があるそうです。
  (Dr.Deagleのラジオ放送で、ときどき解説しています。)

 ....知ったようなことを書いてすみません。私自身は何も知りませんが、上記は、ラジオ放送 NutriMedical
Report↓で何度か、研究家が出演して解説していました。
  Dr.Deagleの見方も、上記の見解に一致しているということです


02. 2010年1月13日
22:01:43
あまりの内容に何回か思考停止になりながらも読み終わりました。
洗脳されているのはカルト信者だけだと思っていたら、自分も含め、大勢の普通の人が洗脳されていることに数ヶ月前に気づきました。重要なニュースがマスコミでとりあげられないことにおかしいと気づき、本やネットで調べていたら、黒幕にたどりつきました。学校の教科書も、新聞もテレビもあまり疑ったことがありませんでした。性善説で見ると世の中はさっぱりわけがわかりません。性悪説でもわからず・・・。極悪非道説で見ないといけないのですね。最近、自分の心の奥底にくいこんでいた洗脳情報の発見の連続です。ようやくねぼけまなこが開いてきたところで、崖っぷち状態を認識しました。
人をいじめたり、傷つけたりして得られる一時的な快感よりも、愛情や信頼で得られる喜びの方がずっと深いし、大きいのに・・・なぜそれがわからないのだろうか?素朴な疑問が残ります。




















03. あのに 2010年1月18日 09:27:25: xZaQXyDl16EGo
イルミナティとの相似が見られる文化を探索した結果がスキタイにあることを
述べたわけで、たとえばイルミナティがよく提示する「物やシンボルを使った伝達」が
古代のスキタイも他国との交渉に使って、相手国がなんだろうと不審がったことが
ヘロドトスにのっています。「
歴史 」 4-131

ノストラダムスの大予言にあるらしいモンゴルの大王がロスチャイルドとなんらかの関係が
ありそうかどうかですが、モンゴルがイルミナティとの文化的相似が見られるとの情報が
ありません。日本に攻めてきた元寇の記録でも、巧みな軍事戦略の存在は知りません。
不勉強なのですみません。

スキタイやハザールなど遊牧民の強国が、墓所もないのにアシュケナジーの地から興って
いるのも不思議ですね。彼ら遊牧民は定住をしないので、それ以前の逗留地は
ユーラシア全土にあるでしょう。

私は現代文明の様々な物は、ほとんどすべてがイルミナティ科学、軍事技術の
民生転用であると考えています。そして古代文明の軍事技術も多くは、
スキタイ起源でしょう。たとえば、車輪の応用もスキタイ起源ではないか、無理かな。
でも、移動の必要には最適であったでしょう。現代文明がギリシアに起源するという考えは、
勘違いで、根幹はスキタイ起源ともいってよいのではないかと私は考えています。
用語にギリシア語がいっぱいあるじゃないか、などいろいろありますが、似て非なるものかと。
われわれは騙されていたのです。それほど、イルミナティのアカデミズムへの影響は大なのです。
アイアンマウンテン報告などまたなくても、戦争は現代文明のシステムに不可欠なのです。
現代文明と戦争はワンセットであり、切り離すことは不可能でしょう。

なぜなら、われわれはイルミナティ文明を生きているからです。
  




04. あのに 2010年1月20日 10:03:27: xZaQXyDl16EGo
イルミナティの最上部権力者がイエズス会総長であるとの説は一番あり得る話でしょう。ただ、そうかなという疑念も少しあります。というのは、イルミナティの上部構造の最奥部は、完全に索敵の眼から逃れうるようにできあがっているように見えるからです。単純なピラミッド構造ではなく、きわめて複雑で動的な構造をしているのでしょうか。いかにもこれというディスインフォメーションの餌があちこちに撒かれ、誘い込む人が登場し、探索者が罠にはまり込むのを待ち構えています。あらゆる偽証言の眼くらましが、まるで脳関門のように探求の眼をさえぎっています。どこまで上部を追跡していっても、霧の山道をたどるようにかすみ、ぐるぐる中腹を回るだけに終わるのです。意図的に追跡をかわすような仕組みが何重にもなっているようにも思えます。真の権力構造には簡単には辿り着けないように画策・防御されています。私はCFRでさえ、この眼くらまし、追跡をストップするための単なる関門ではないかと疑っています。こんな事例は歴史のなかを探してもそうはありません。ものすごいステルス戦略です。私は、なんらかの証拠・証言が現れても、おそらく人々の追及を単にストップさせるためだけの偽情報の可能性が大きいのではないかと考えているのです。簡単に納得してはいけないでしょう。

イルミナティの上部構造「すべてを見通す目オールシーイング・アイ」のミステリーは、巷のミステリー小説のレベルを遥かに超え、史上最大のレベルだろうと考えています。このミステリーを解くためには、フェルマーの定理を証明するような推理力、論理的思考力を要求されるのかもしれません。
多分その前に絶滅させられているでしょう。




05. あのに 2010年1月21日 07:42:05: xZaQXyDl16EGo
イルミナティとスキタイとの相似について追加します。国民の盲人化についてです。
イルミナティがスキタイ文化と相似なものを持っているという根拠は、両者とも軍事技術、軍事戦略への圧倒的な文化的重視・傾斜があり、征服統治法も残虐で絶対秘匿性をもつものであったことがあります。
彼らスキタイ人は、征服した国の捕虜は眼をつぶして盲人にするのが慣わしであったそうです。ヘロドトスは搾乳のためと書いている。「歴史」4−2 これは、ヘロドトスが騙され、スキタイ人の嘘の説明で、その目的をミスリードされた例でしょう。本当の目的は反逆・逃走を阻止するためでしょう。ここでもスキタイ人が活動目的を絶えず絶対秘匿する伝統が垣間見えます。

イルミナティも征服した国のマスメディアやアカデミズムの最高教育機関を絶対支配して、国民を盲目にし、イルミナティの行動目的を絶対秘匿し、誤った方向にミスリードするのです。
これが、いまわれわれが置かれている現状でしょう。TV、新聞、アカデミズムが、どこか狂っていると感じるのは、ここに原因があるのでしょう。

われわれは盲人にされ、彼らイルミナティの役に立つように奴隷として飼い慣らされてきた過去百数十年間であったのです。TV、新聞、アカデミズムの絶対支配(国民の盲人化)に反逆するものを潰すため、CIA工作員が密かに国民をインターネットのgoogle検索など様々な方法で秘密に監視し、ブラックリストアップしてアメリカのデータべスの国民個人別ファイルに蓄積したり、政治家のPCへ不正侵入し、情報を得たりしてきて諜報工作してきたのが現状であることを認識すべきでしょう。




06. 2010年2月06日 10:14:33
人類は、まだ、気付いていないだろうが、
西洋物質(欲望)文明は、終焉の時を迎えている。
そして、愈々、日本民族が世界文明の担い手になる周期が巡ってきたようだ!
地球上の文明は、約1600年毎にその繁栄の中心が移動しているそうだ!
一つは西周り、一つは東周りに
1600年で文明の中心は、経度22.5度ずつ移動しているという。
これは、約2万6千年周期の地球の公転(スピン)による宇宙のバイオリズムと
もいうべき現象によるものだという。
事実として、如何なる文明もこの摂理から逃れることができなかったことは、
歴史が証明していることである。
ムー、アトランティスしかりである!
6400年前のシュメール文明を基点にすると、東回りの中心は、インダス文
明(モヘンジョダロ)、ガンジス文明、中国(長安)文明と移動しており、
愈々、1995年から日本(東経135度)に移ってきているそうだ!
その結果、1995年から72年間が最初の移行期ということになる。
しかも、この移行期は、地球公転周期の2万6千年の半期のスタートでもあり、
今後、日本を中心とした新しい文明は、劇的な変化を齎すことが考えられる。
マイナーチェンジではなく、フルチェンジとなる。
西回りに移動し1600年前(特に後半800年が興隆期)から中心になっていた英米
中心の西洋文明も終わりを告げつつあるということである。
現在は既に、今後1600年の日本中心の文明期に入っているということだ!
早晩、西洋物質文明は衰退する運命にある。
今、その最後の足掻きの時期であるが、人類は、この旧文明を捨てることになる。
今後、我々日本民族はこれに代る東洋文明を構築するであろう!
それは、宇宙は一体、万物は平等の東洋思想を基礎に置いた万類共存の文明になる
ことは確実である!
欲望支配の西洋物質文明から、愛が支配する東洋精神文明への移行が始っている。
永らく続いた男性支配から、女神を奉祭する母系制の女性中心祭政文明が興隆
するようになる。
これによって、人類は、滅亡を免れ、平和な愛に満ちた世界を構築するだろう!
この本は、すへての人類に送る新しいメッセージと言えるものだ!

参考図書:千賀一生著『ガイアの法則』 徳間書房発行




07. 2010年2月06日 10:27:11
ただ心配なのは、イルミナティとよばれる悪魔崇拝主義の連中の存在だ!
この邪悪な一族は、この地球文明の16分の1スピンという遷移法則をシュメ
ールから盗み取り、文明の興隆地へ移動しながら秘かに地球支配を企んで
きた。それが、ご存知、イルミナティこと世界金融マフィアとして世界を
支配してきた悪魔崇拝主義の一派であるらしい。
この連中が、傀儡中共とその走狗と化した日本人を利用して、今後、16
00年の文明興隆の地、日本に移住・支配しようとしているような気がする。
これは、絶対に許してはいけない!
今こそ、日本人は、歴史の真相を究明し、万類共存の東洋思想に根ざした
世界構築のための理念を再興しなければならない!
その一歩として、東洋の悟りの「道」が必要になる。
今までの哲学、思想は捨てる時がきたのである。
「無」・「空」からの出発である!
キーワードは、「古神道」「易」「老子」ということになろう。
1995年、世界文明の中心は、東経135度にスピンした!
これは、動かしがたい宇宙の摂理であるらしい。
人間の計らいで、どうすることもできない真実である。
であるならば、ムーの子孫である日本原住民よ!
この期を掴み人類再生への「道」を歩むべきであろう!



08. 2010年3月26日 01:25:46
君は精神分裂病かパラノイアだ.
早く病院に行った方がいいよ.
アホに真実を教えてやるよ:
「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する

ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した

後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブ
ライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語
をベースとしたイディッシュもその一つです。

 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的
理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりません
でした。変える理由も必要も無かったのです。

 たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。

 スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、
タガログ語は滅びなかったのですよ。

 ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。


ハザール人はあくまでハザール人であり、
東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。

 「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身
のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマ
ンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。

 まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケ
るのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。

 それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなん
ですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm


PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES
James Boster

Society for Psychological Anthropology Meetings
October 1997, San Diego,
CA

http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/
アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。
これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。


「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が
“現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では

「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。

実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しない
までもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では

たいへん評価が高い。

そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も
「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。
http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html


アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。

その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave
Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。

かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる
以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html


 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れ
られているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人が

ドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降の
カザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。

http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体
の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。

離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、
例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であれば

ブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の
集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることが

できる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、
ほとんど見ることができない。
http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html


 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。

「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在
しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体

に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人における
ユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。

東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人
と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。

したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書
のイスラエル人子孫であると言うことができる。

http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24



















03. あのに 2010年1月18日 09:27:25: xZaQXyDl16EGo
イルミナティとの相似が見られる文化を探索した結果がスキタイにあることを
述べたわけで、たとえばイルミナティがよく提示する「物やシンボルを使った伝達」が
古代のスキタイも他国との交渉に使って、相手国がなんだろうと不審がったことが
ヘロドトスにのっています。「
歴史 」 4-131

ノストラダムスの大予言にあるらしいモンゴルの大王がロスチャイルドとなんらかの関係が
ありそうかどうかですが、モンゴルがイルミナティとの文化的相似が見られるとの情報が
ありません。日本に攻めてきた元寇の記録でも、巧みな軍事戦略の存在は知りません。
不勉強なのですみません。

スキタイやハザールなど遊牧民の強国が、墓所もないのにアシュケナジーの地から興って
いるのも不思議ですね。彼ら遊牧民は定住をしないので、それ以前の逗留地は
ユーラシア全土にあるでしょう。

私は現代文明の様々な物は、ほとんどすべてがイルミナティ科学、軍事技術の
民生転用であると考えています。そして古代文明の軍事技術も多くは、
スキタイ起源でしょう。たとえば、車輪の応用もスキタイ起源ではないか、無理かな。
でも、移動の必要には最適であったでしょう。現代文明がギリシアに起源するという考えは、
勘違いで、根幹はスキタイ起源ともいってよいのではないかと私は考えています。
用語にギリシア語がいっぱいあるじゃないか、などいろいろありますが、似て非なるものかと。
われわれは騙されていたのです。それほど、イルミナティのアカデミズムへの影響は大なのです。
アイアンマウンテン報告などまたなくても、戦争は現代文明のシステムに不可欠なのです。
現代文明と戦争はワンセットであり、切り離すことは不可能でしょう。

なぜなら、われわれはイルミナティ文明を生きているからです。
  




04. あのに 2010年1月20日 10:03:27: xZaQXyDl16EGo
イルミナティの最上部権力者がイエズス会総長であるとの説は一番あり得る話でしょう。ただ、そうかなという疑念も少しあります。というのは、イルミナティの上部構造の最奥部は、完全に索敵の眼から逃れうるようにできあがっているように見えるからです。単純なピラミッド構造ではなく、きわめて複雑で動的な構造をしているのでしょうか。いかにもこれというディスインフォメーションの餌があちこちに撒かれ、誘い込む人が登場し、探索者が罠にはまり込むのを待ち構えています。あらゆる偽証言の眼くらましが、まるで脳関門のように探求の眼をさえぎっています。どこまで上部を追跡していっても、霧の山道をたどるようにかすみ、ぐるぐる中腹を回るだけに終わるのです。意図的に追跡をかわすような仕組みが何重にもなっているようにも思えます。真の権力構造には簡単には辿り着けないように画策・防御されています。私はCFRでさえ、この眼くらまし、追跡をストップするための単なる関門ではないかと疑っています。こんな事例は歴史のなかを探してもそうはありません。ものすごいステルス戦略です。私は、なんらかの証拠・証言が現れても、おそらく人々の追及を単にストップさせるためだけの偽情報の可能性が大きいのではないかと考えているのです。簡単に納得してはいけないでしょう。

イルミナティの上部構造「すべてを見通す目オールシーイング・アイ」のミステリーは、巷のミステリー小説のレベルを遥かに超え、史上最大のレベルだろうと考えています。このミステリーを解くためには、フェルマーの定理を証明するような推理力、論理的思考力を要求されるのかもしれません。
多分その前に絶滅させられているでしょう。




05. あのに 2010年1月21日 07:42:05: xZaQXyDl16EGo
イルミナティとスキタイとの相似について追加します。国民の盲人化についてです。
イルミナティがスキタイ文化と相似なものを持っているという根拠は、両者とも軍事技術、軍事戦略への圧倒的な文化的重視・傾斜があり、征服統治法も残虐で絶対秘匿性をもつものであったことがあります。
彼らスキタイ人は、征服した国の捕虜は眼をつぶして盲人にするのが慣わしであったそうです。ヘロドトスは搾乳のためと書いている。「歴史」4−2 これは、ヘロドトスが騙され、スキタイ人の嘘の説明で、その目的をミスリードされた例でしょう。本当の目的は反逆・逃走を阻止するためでしょう。ここでもスキタイ人が活動目的を絶えず絶対秘匿する伝統が垣間見えます。

イルミナティも征服した国のマスメディアやアカデミズムの最高教育機関を絶対支配して、国民を盲目にし、イルミナティの行動目的を絶対秘匿し、誤った方向にミスリードするのです。
これが、いまわれわれが置かれている現状でしょう。TV、新聞、アカデミズムが、どこか狂っていると感じるのは、ここに原因があるのでしょう。

われわれは盲人にされ、彼らイルミナティの役に立つように奴隷として飼い慣らされてきた過去百数十年間であったのです。TV、新聞、アカデミズムの絶対支配(国民の盲人化)に反逆するものを潰すため、CIA工作員が密かに国民をインターネットのgoogle検索など様々な方法で秘密に監視し、ブラックリストアップしてアメリカのデータべスの国民個人別ファイルに蓄積したり、政治家のPCへ不正侵入し、情報を得たりしてきて諜報工作してきたのが現状であることを認識すべきでしょう。




06. 2010年2月06日 10:14:33
人類は、まだ、気付いていないだろうが、
西洋物質(欲望)文明は、終焉の時を迎えている。
そして、愈々、日本民族が世界文明の担い手になる周期が巡ってきたようだ!
地球上の文明は、約1600年毎にその繁栄の中心が移動しているそうだ!
一つは西周り、一つは東周りに
1600年で文明の中心は、経度22.5度ずつ移動しているという。
これは、約2万6千年周期の地球の公転(スピン)による宇宙のバイオリズムと
もいうべき現象によるものだという。
事実として、如何なる文明もこの摂理から逃れることができなかったことは、
歴史が証明していることである。
ムー、アトランティスしかりである!
6400年前のシュメール文明を基点にすると、東回りの中心は、インダス文
明(モヘンジョダロ)、ガンジス文明、中国(長安)文明と移動しており、
愈々、1995年から日本(東経135度)に移ってきているそうだ!
その結果、1995年から72年間が最初の移行期ということになる。
しかも、この移行期は、地球公転周期の2万6千年の半期のスタートでもあり、
今後、日本を中心とした新しい文明は、劇的な変化を齎すことが考えられる。
マイナーチェンジではなく、フルチェンジとなる。
西回りに移動し1600年前(特に後半800年が興隆期)から中心になっていた英米
中心の西洋文明も終わりを告げつつあるということである。
現在は既に、今後1600年の日本中心の文明期に入っているということだ!
早晩、西洋物質文明は衰退する運命にある。
今、その最後の足掻きの時期であるが、人類は、この旧文明を捨てることになる。
今後、我々日本民族はこれに代る東洋文明を構築するであろう!
それは、宇宙は一体、万物は平等の東洋思想を基礎に置いた万類共存の文明になる
ことは確実である!
欲望支配の西洋物質文明から、愛が支配する東洋精神文明への移行が始っている。
永らく続いた男性支配から、女神を奉祭する母系制の女性中心祭政文明が興隆
するようになる。
これによって、人類は、滅亡を免れ、平和な愛に満ちた世界を構築するだろう!
この本は、すへての人類に送る新しいメッセージと言えるものだ!

参考図書:千賀一生著『ガイアの法則』 徳間書房発行




07. 2010年2月06日 10:27:11
ただ心配なのは、イルミナティとよばれる悪魔崇拝主義の連中の存在だ!
この邪悪な一族は、この地球文明の16分の1スピンという遷移法則をシュメ
ールから盗み取り、文明の興隆地へ移動しながら秘かに地球支配を企んで
きた。それが、ご存知、イルミナティこと世界金融マフィアとして世界を
支配してきた悪魔崇拝主義の一派であるらしい。
この連中が、傀儡中共とその走狗と化した日本人を利用して、今後、16
00年の文明興隆の地、日本に移住・支配しようとしているような気がする。
これは、絶対に許してはいけない!
今こそ、日本人は、歴史の真相を究明し、万類共存の東洋思想に根ざした
世界構築のための理念を再興しなければならない!
その一歩として、東洋の悟りの「道」が必要になる。
今までの哲学、思想は捨てる時がきたのである。
「無」・「空」からの出発である!
キーワードは、「古神道」「易」「老子」ということになろう。
1995年、世界文明の中心は、東経135度にスピンした!
これは、動かしがたい宇宙の摂理であるらしい。
人間の計らいで、どうすることもできない真実である。
であるならば、ムーの子孫である日本原住民よ!
この期を掴み人類再生への「道」を歩むべきであろう!



08. 2010年3月26日 01:25:46
君は精神分裂病かパラノイアだ.
早く病院に行った方がいいよ.
アホに真実を教えてやるよ:
「ハザール=東欧ユダヤ人」説を否定する

ユダヤ人の本来の言語はヘブライ語です。彼らがディアスポラで諸国に離散した

後、それぞれの地元の言葉に聖書やタルムードの言葉を混用し、表記するのにヘブ
ライ文字を使いました。これが一般に「ユダヤ語」と言われる諸言語で、ドイツ語
をベースとしたイディッシュもその一つです。

 一方、ハザール人の言葉はトルコ語系の言語でした。彼らの支配階級は、政治的
理由からユダヤ教を受け入れましたが、当然のことながら言語までは変わりません
でした。変える理由も必要も無かったのです。

 たとえば日本の戦国時代、いわゆるキリシタン大名はキリスト教を受容しました。でも、彼らがスペイン語を話すようになったワケじゃありませんし、まして領民に日本語を禁じスペイン語使用を強制するなど、やろうと思っても不可能だったでしょう。それと同じことです。

 スペイン人による征服の結果、キリスト教を押し付けられたフィリピンでさえ、
タガログ語は滅びなかったのですよ。

 ですから、もしも東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツがハザール人ならば、アシュケナージの言語に、彼らの本来の言葉であったトルコ語系言語が残っているはずなのです。しかし、痕跡さえも残っていない。ゆえに、アシュケナージはハザール人ではない。以上、証明終わり(笑) 簡単な話です。


ハザール人はあくまでハザール人であり、
東欧ユダヤ人(アシュケナージ)のルーツなどではありません。

 「ハザール=東欧ユダヤ人」という俗説を近年広めたのは、自身ハンガリー出身
のユダヤ人作家であるアーサー・ケストラーですが、彼自身のルーツに関わるロマ
ンチックなファンタジー程度に読んでおくのが適当なようです。

 まして、西岡さんや宇野正美のように、イスラエル国家の正統性批判にコジツケ
るのは、歴史学に似て非なる俗流「歴史談義」の政治的利用と言えるでしょう。

 それ以前に、ユダヤ人という存在を「血統」で説明しようとするのが間違いなん
ですがね。ナチスの疑似科学による人種論と同レベルです。
http://ime.nu/www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/reizoko/reizoko20010929.htm


PATERNITY AND DANGER: A CASE OF BEHAVIORS FOR GENES
James Boster

Society for Psychological Anthropology Meetings
October 1997, San Diego,
CA

http://ime.nu/www.anth.uconn.edu/faculty/boster/cohen/
アシュケナージとセファルディの司祭階級のDNAを比較検討したところ、両者のDNAの間には高い類似性が認められた。
これを見た限り、「アシュケナージユダヤ人のハザラ起源説が、学問的にも裏付けられた」とは言いがたい。


「アシケナジー=カザール説」は、60年代の学説であり、もしこの説が
“現在の学界で”メジャーになってないとすれば、通常の感覚では

「かなり古ぼけた説」といわざるをえませんね。

実際、アカデミシャン(プロの学者及びとの周辺)の人は、頭から否定しない
までもかなり冷淡な態度です。この事実と対極的に、トンデモ業界では

たいへん評価が高い。

そのへんから空気を察したまでのことです。ついでにいうと、岡田英弘氏も
「アシケナジー=カザール説」を一言で斬り捨てています。
http://ime.nu/snsi-j.jp/boards/sample2/1.html


アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。

その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave
Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。

かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる
以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
http://ime.nu/www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html


 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れ
られているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人が

ドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降の
カザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。

http://ime.nu/www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体
の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。

離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、
例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であれば

ブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の
集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることが

できる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、
ほとんど見ることができない。
http://ime.nu/www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html


 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。

「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在
しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体

に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人における
ユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。

東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人
と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。

したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書
のイスラエル人子孫であると言うことができる。

http://ime.nu/72.14.203.104/search?q=cache:QtTAgKUXDw8J:www.logos-ministries.org/kiyotae/kiyo2/02_0116.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%A2&hl=ja&ct=clnk&cd=24
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「カナンの呪い」

「カナンの呪い」

『聖書』(講談社 P18〜21「創世の書」 第8章、第9章)
第8章
神はノアと、またともに箱舟にいたすべての獣と家畜のことを思い出され、地上に風を吹かされたので、雨はひき始めた。深淵の水源と天の水門は閉じられ、大雨が天から降るがやみ、水はしだいに地の面(おもて)からひいていき、百五十日後に水かさは減った。第七の月の十七日に、箱舟はアララトの山々の上のとまった。
 水は第十の月までしだいに減っていき、第十の月の一日目に山々の峰が姿を現した。
 四〇日後に、ノアは箱舟の窓をあけて、からすを放った。からすは出ていって、地上の水が乾くまで、行ったり来たりしていた。
 ノアは、地の面の水が減ったかどうかみるために、そばにいた雌ばとを放った。
 雌ばとは、足の裏を休めるところがまだ見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。地上はまだ水におおわれていたからである。ノアは手を伸ばして雌ばとを受け止め、箱舟に入れた。さらに七日の間待ったノアは、再び雌ばとを箱舟から放った。雌ばとは日暮れ頃ノアのところに帰って来たが、そのときつみ取ったオリーブの葉を口にくわえていた。こうしてノアは、地上の水が乾いたことを知った。それでもなお七日待ち、また雌ばとを放った。すると雌ばとは、もう彼のところに帰って来なかった。
 地の面から水がひいたのは、ノアの一生の六百一年目の第一の月、月の第一の日のことであった。ノアは箱舟の屋根を外して見た。すると地の面は乾いていた。しかし、地がからからになったのは、第二の月、月のの第二十七日目であった。神はノアに仰せられた、「お前と妻と、お前の子らとその妻たちともども箱舟を出よ。お前と一緒にいる動物もみな−飛ぶもの、家畜、地をはうものみな−お前とともに外に出せ。地の面にうごめき、子を生み、地上で茂り増えるように」。かくて、ノアは外に出た、息子たちも彼の妻も、彼らの妻もともに出た。各種の野の獣も、家畜も、飛ぶものも、地をはうものもみな、箱舟を出た。
 ノアは主に祭壇をつくり、各種の清い動物と、また各種の清い飛ぶものを取り出して、幾度も燔祭(はんさい)を捧げた。主はそのかぐわしい香りをかぎ、心でこう仰せになった、「私はもう、人間のゆえに地を呪うことはすまい。人間の心の企ては、幼いときから悪に傾いているからだ。私はもう二度と、すべての生き物をうち滅ぼすことはすまい。
 地の続くかぎり、
 種まきも、刈り入れも、
 寒さも、暑さも、
 夏も冬も、昼も夜も、
 とだえることはない」。

※「主はそのかぐわしい香りをかぎ」とあるのは、生き残った人類と神との和睦を表現する擬人法である。パレスチナ隣国(=カナンの地)の、大洪水の生贄について、伝説によると「神々
は、蝿のように生贄にたかった」と書いてある。彼らにとって生贄は、神々に食事を上げることであった(=悪魔崇拝)。←講談社『聖書』P19注

第9章
そののち、神はノアとその子らを※祝福して仰せられた、
 ※世界の新しい秩序
太祖アダムとエヴァへの祝福である後継者ノアに祝福の確認があった。その祝福は二つで、一つは豊かに数多く子孫が増えること、もう一つは生き物全体に対して権利を持つことである。

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地の獣も、家畜も、空の飛ぶものも、お前たちをおそれはばかるだろう。地をはうすべてのものも、海の魚も、みなお前たちの手にゆだねられる。命あって動くものはみな、※お前たちの食べ物となる。
 ※動物も人間の食べ物となった。このとき人間はまったくの草食動物であったというのでない(4・4アベルの生贄を見よ)しかし作者は、人類の楽園時代において、動物を殺して食べる必要のないかのように記していた。だがここでは、肉食が神の計画であることを知らせている。

前に青草を与えたように、これらのものをみなお前らに与える。ただ、血のある肉は食べるな。お前たちの血すなわち命については、たしかに私はお前たちの使途を問うでだろう。あらゆる生き物にもそれを問う。人間の命については人間に、各人の命についてはその兄弟に問うであろう。
 人の血を流す者があれば、
 人の手でその血が流される。
 神は、自らのかたどりとして、
 人をおつくりになったからだ。
 お前たちは、生み、増えよ、
 地の面にひろがり、地を征服せよ」。
また神はノアとその子らに、こう語られた、「お前たちと、そのあとを継ぐ子孫と、ともにいるすべての生き物、飛ぶもの、地の家畜と野の獣、箱舟を出たすべてを出たすべての生き物をはじめ、地上の獣にいたるまですべてと、私は契約を結ぶ。私は契約を結ぶからには、もう洪水によってどんな生き物も滅びることなく、洪水が二度と地を荒らしに来ることもない」。
 神は仰せられた、
 「私と、お前たちの間に、
 お前たちとともにいる生き物すべてとの間に、
 未来の代まで
 立てる契約のしるしは               ※人類と神の新しい契約のしるしはケシュト(虹)である。未来の契約のしるし
 これである。                       (例えば「アブラハムの割礼」17・11、「安息日」脱出31・13−17
 私は雲の中に虹を描き、               エゼキエル20・12)は、人間に最も近づいているが、ここでは全く一方的に
 私と地との契約のしるしとする。           神のしるしである。他の契約のしるしと同時に、虹も、もちろん契約前にあった
 私が、地の上に雲を集め、               に違いないが、この時からシンボルとして新しい意味を持った。
 雲の中に虹が現れるとき、              虹の7色は嵐(=バアル)の後に現れ、大きな半円を描いて天地を抱き取る
 私と、お前たちとの、                  ようである。それは、弱い人類と全能の神の契約のしるしとして適当であった。
 肉体を持つあらゆる生き物との間の、
 私の契約を思い出す。
 こうして、水はもう、すべての生き物を
 滅ぼしつくす洪水とはなるまい。
 雲に虹が現れるとき、
 神と地上の生き物の魂のとの
 永遠の契約を思い出し、
 私はそれを見るであろう」。
 神はノアに向かって仰せられた、「この虹は私と地上に生きるすべてのいきものの間に交わした契約のしるしである」。
 箱舟から出たノアの子らは、セム、カム(ハム)、ヤフェトであった。カム(ハム)はカナンの父である。この三人はノアの子らで、この人たちから全地に人類が広がった。
 さて、地を耕す人だあったノアは、ぶどう畑をつくっていた。彼は※ぶどう酒を飲んでいたのでテントの下で服が乱れていた。
※ヘブライ人は元来ぶどう酒を敵視していない。しかし酔うことは不名誉で恥辱だと考えていた。酔うと神の計画を忘れ(イザヤ5.12)偶像を崇拝するようになる。そして酩酊状態のノアに堕天使ルシファーが近づく。

カナンの父カム(ハム)がその父の裸を見て、外に出て二人の兄弟にそのことを言った。すると、セムとヤファトは、マントを取ってそれを肩にかけ、後ずさりして父のところに行き、その裸をおおおった。彼らは顔を反対側に向けていたから、父の裸は見なかった。
 ノアは酔いから醒めて、下の息子が自分の息子が自分に何をしたかについて知って言った、
 「カナンに呪いあれ、兄弟たちの奴隷の奴隷となれ」。
 また言った、
 「セムの神、主は祝福されよ。
 カナンはその奴隷となれ。
 神よ、ヤフェトを広げ、
 セムの幕屋に住まわしたまえ、
 されど、カナンはその奴隷となれ」。
そしてノアは洪水の後も三五十年生きた。ノアの一生は九百五十年だった。こうして彼は死んだ。

※息子の代わりに孫のカナンが呪われるのは奇妙である。カナンの名は「イスラエル人がカナンの地を占領する前はそこをカム(ハム)と呼んでいたらしくて、そのカムをカナンに訂正したのだ」という説だある。(●そして、カナンの地とはパレスチナのことである。)
ここでわかることは聖書の記述と後述する記述は異なっていることである。聖書ではカム(ハム)がノアの裸体を見たことになっており、後述する記述はカナンが直接見たものになっている。ここでわかることは「聖書は明らかにユダヤ・フリーメーソンによって改竄されている」ということである。
そのことを踏まえるため敢えて主要箇所全文記載した。私が記載している間、フリーメーソンたちはテレビの中から常時嘲笑っていた。彼らがルシフェリアン所以である。嘘つき所以である。
結論を言うと、本当に呪われたのは酩酊状態のノアである。カナンは一切呪いなど受けていない。本来カナンの呪いなど存在しなかった。しかし、ルシファーは邪悪に囁く、「お前は呪われたのだ。神に反逆し、私を唯一神とする以外に道は残されていない」



人類を苦しめるすべての悪の要素は「カナン族」から出ている

 
ユータス・マリンズは本書(『衝撃のユダヤ5000年の秘密 太田龍・解説 日本文芸社 1995年刊』)で、ユダヤの根本的特徴を「寄生性」と定義している。
 
英語では、パラサイト(Parasite 生物学では寄生生物、寄生虫、宿り木の意。古代ギリシャでは太鼓持ち的食客と辞書にはある)。つまり、ユダヤは次の3つの傾向を持っているということになる。

 (1) 悪魔性
 (2) 寄生性
  (3)
欺瞞性

 
この3つをどんな具合に結びつけたらよいのであろう。この五千年来、人類は「カナンの呪い」にたたられてきたとマリンズはいう。
 
『旧約聖書』「創世記」の中に、かなりよく知られている次の場面がある。
 

 ノアが酒に酔いつぶれて裸で寝込んでしまった。ノアに3人の息子(セム、ハム、ヤペテ)があり、ハムの息子がカナンである。そのカナンが、ノアの裸を見た。目が覚めたあとノアは、カナンに激怒し、「カナンは呪われよ。汝は、奴隷として仕えよ」と叫んだとある。
 
マリンズは、現在ユダヤ(タルムード、カバラ)教徒として現れている人びとは、実はセム人の子孫ではなくて、カナン人の系統であることを突き止めた、という。(※これはすなわち、ユダヤ教は悪魔教に成り下がっていることを示している。その一つが『聖書』の教えよりもラビによる『タルムード優先主義』にある。言うまでも無く、タルムードの内容は極めて悪魔的である。)
 
カバラも、フリーメーソンも、共産主義も、そのほか人類を苦しめるもの、そして人類を神から引き離し、神に反逆させるすべての悪の要素は、このカナン族から出てくる。
 
カナン人の信条は「世俗的人間至上主義(secular humanism)」であり、そしてそのヒューマニズムへの原動力は「憎悪」である、とマリンズは見た。
 
カナンの呪いとは、ノアがカナンにかけた呪いなのか、それともノアに呪われたカナンのノアに対する呪いなのか、それとも別のことなのか。そもそもノアは、なぜあれほど激しくカナンを怒ったのであろう? 「創世記」の数行の記述からは、いろいろな解釈が可能である。
 
ここで言われていること、そしてわれわれが理解しなければならない要点は、神が選んだセム→アブラハムの系統ではない、つまり彼らはセム系を詐称しているにすぎない、という命題である。恐らく西洋でこれほど明確に、そして体系的にユダヤの素性について迫ったのは、マリンズが初めてであろう。



カナンの呪いとは、こういうことです。ノアの大洪水の話は誰でも知っているでしょう。
ノアは神から大洪水に備えて箱舟を作るように命じられます。その中には多くの種類の動植物を一番ずつ乗せるように言われます。しかし、箱舟の中では生殖行為は禁止されていたのですが、ノアの二番目の息子である、ハムが女性と交わり子供を孕ませてしまいます。そのことを知ったノアは悩んで、お酒(ぶどう酒)を飲んで酔っ払って裸で寝てしまいます。その姿をハムの息子のカナンが見てしまったのです。裸体を見られたぐらい、どうってことないと思うのですが、ノアはそのことで、カナンに対して「カナンは呪われよ、奴隷の奴隷となり兄たちに仕えよ」と呪いの言葉を発します。

以前もMIXIで回答したが、これはルシファーがやったことであり、本当に呪われたのは「酩酊状態で呪い安い」ノアの方である。が、呪いとは不思議なもので「馬鹿!」と相手に言ったらそれが呪いになってしまう。
「カナンの呪い」「カナンの呪い」と繰り返し言うこと、意識することで呪いは現実のものとなり、双頭の鷲を産む。

監訳者(大田 龍氏)解説より引用する
本書「カナンの呪い」は聖書とりわけその創世記、そしてユダヤ教のカバラ、タルムード、伝説、そして聖書に収録されなかったエノク書などの外伝についての綿密な検討を通じて、過去二千年のキリスト教世界、および、キリスト教出現以前の千年の、いわゆる旧約聖書の世界で、いまだかって提出されたことのない新しい説、新しい見方を展開している。

問題の焦点は、失われた「ノア書」の一部とされる「エノク書」である。そこには天使の一団がカルメル山に降りてきたこと、そして彼らは、人間の娘たちを娶って、その結果、ネフェリムの名で知られる巨人が生まれた、と記されている。現行の旧約聖書では「ノア書」「エノク書」は排除されている。これはローマ帝国がキリスト教を国教とした4,5世紀以降、意図的に、教会首脳部によって削除、隠蔽されたものと考えられる。「エノク書」については、17世紀以降、ある種のヨーロッパ人が執念深く探索して、今では三種ほどの古写本が発見され、それにもとずく英訳が流布されている。

本書「カナンの呪い」は
1、天から地上に降りてきた天使たちが、地球の人間たちに生ませた、異種交配の結果としてのネフィリム、または巨人たちの長が悪魔(サタン)である。
2、以降の人類の歴史は、神の民と、前記のごときものとしての悪魔の血統、その礼賛者との戦いの歴史、と看做されなければならない。
3、アダムとイブの二人の息子のうちの一人とされるカインは、このサタンの血統であり、
4、ノアの三人の息子のうちの一人、ハム、そしてその息子カナンも、サタンの血統に属する
5、ここから、ノアの「カンアンは呪われよ」という言葉を解するべきである。
6、悪魔(サタン)の血統のカナン族は、神の民ノアの継承者セム族を憎み、セム人種を根絶やしにしようとしてきた。
7、カナン族は、西暦1200年頃、フェニキア人と名乗り、その後はフェニキア人に成りすまし、カナン人は歴史から消えた。しかし、にもかかわらず、ユダヤのタルムードに記録されている「カナンの五つの遺言」はフェニキア人にしっかりと伝えられた。
8、現在ユダヤ人と呼ばれる人々は、実は、この悪魔の子、カナン族の流れである。彼らユダヤ人は、自分たちをセム人、セム族と称しているが、これは大掛かりで意図的な欺瞞であり、歴史の捏造である。
9、かくしてここに初めて、カナン族とその系譜の集団「悪魔の歴史学」の全貌が、人類の前に明らかにされた。
10、著者は「新版刊行によせて」の中で、カナン族によるセム人種皆殺しのための「ナァマ計画」を改めて取り上げる。2001年9月11日の事件こそ、このナァマ計画の最終仕上げの号砲である、というふうに論旨を展開する。

カナン族の主な風習として、本書は次の五つを挙げる。
1、 悪魔(サタン)信仰
2、 オカルト的儀式(儀式殺人)
3、 幼児人身御供
4、 人間嗜食(食人)
5、 性的狂宴
こうした秘儀を、カナン人とその系譜を引く、バビロニアタルムードとカバラを信奉する現在のユダヤ人、フリーメーソン、イルミナティーなどの多種多様な秘密結社は、ひそかに実践し続けているという。本書によれば、悪名高き「ベネチアの黒い貴族」は、実はカナン人そのものに他ならない。ベネチアの黒い貴族は、十字軍戦争を契機として中世ヨーロッパの権力構造に深く食い込んでいく。(中略)

ヨーロッパ大陸極西の小さなブリテン島を足がかりにして、魔法のように、あれよあれよと見ているうちに、七つの海を制し、五つの大陸に領土を有する大英帝国が出現する。その力の源泉は、1694年に設立された、アムステルダムとロンドンを主たる基地とする国際ユダヤ金融資本に所有される民間私立営利会社としてのイングランド銀行である。しかし、世界征服の総仕上げのためには、大英帝国とイングランド銀行だけでは力不足である。かくして彼ら(カナン人)は、1913年12月、米連邦準備制度(FRB)法の成立に成功する。以下略
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2012年04月19日

【これが人肉食だ!!!】中国共産党の犯罪  大躍進運動

 
中国共産党の犯罪  大躍進運動


 1957年の反右派闘争をきっかけに毛沢東の権力は絶対的なものとなり、ほとんど異論を唱えられない雰囲気が醸成されていた。それ故、反右派闘争から1年を待つことなく、人類史上中国以外では例のない悲劇が幕を開けることとなった。


 1957年11月に毛沢東は訪ソし、フルシチョフと会談した。フルシチョフが掲げた目標は15年で米国を追い越すというものだった。前月に人類史上初の人工衛星打ち上げに成功して宇宙開発でアメリカをリードしたソ連は、国力においてアメリカに追い越すという自信が確かにあったのかもしれない。だが毛沢東は挑発に乗るかのように「中国は15年で鉄鋼などの主要工業生産高で英国を追い越す」という目標を掲げてしまった。何の実現性もない毛沢東の気まぐれが、全ての悲劇の始まりとなった。
中国の国旗.jpg


 翌年、中共政府は鉄鋼生産量年間2億7千万トンという前年比2600%(260%や26%の誤記ではない)増の生産目標を発表した。その前段階として、中共は農民を鉄鋼生産に専念させるため、とりあえず1958年は穀物生産高年間5億トンという目標を掲げて邁進することになった。前年比100%増、つまり2倍である。

 穀物生産高倍増のための効果策があるわけではなかった。効果策はなかったが具体策はあるにはあった。1958年2月に中共政府は蝿、蚊、鼠、雀を駆除することを目的とした四害駆除運動を開始した。特に農作物を食い荒らす雀に対する徹底的な捕獲作戦が実施された。だが雀は農作物を食うだけでなく、害虫も食べるのであり、生態系バランスを完全に無視した中共の政策により蝿、蚊、いなご、ウンカなどの害虫が大量発生し、農業生産に大打撃をもたらすこととなった。

 さらに、同じ種であれば互いの成長を阻害しないという誤解に基づく極度の密植、深く埋めるほど根が発達するという誤解に基づいて2メートル以上の深さに種を埋めるなど、農業理論を完全に無視した農業政策が実行に移された。

 目標が達成できないことは目に見えていた。だが中国共産党の地方幹部にとって、毛沢東が掲げたノルマの未達成は生命の危険に関わる大問題であった。1958年秋、地方幹部や人民公社の幹部は一斉に党中央に対してノルマ達成を報告した。そして党中央は全国の人民公社に穀物の公糧供出量の倍増を命じた。実際には生産倍増などできていないのだが、水増し報告をしている以上命令に従わざるを得ない。必然的に人民の食糧が欠乏することになる。

 そのような状況で1959年を迎えると、毛沢東はこの1年間は農業生産はほどほどにし、全農民を動員して鉄鋼大生産に全力を挙げるよう命じた。だがそもそもが農民を総動員して鉄鋼生産をさせるという手法に根本的な無理があった。金属工学の専門家もそれに適した設備もなく、原材料も満足に確保できない中で、素人に良質な鋼鉄が作れるはずもなく、生産された鉄の大半は全く使い物にならない粗悪品であり、膨大な資源を浪費する結果となった。また、この時の製鉄事業により大量の木材が伐採された為、特に中国の北部は禿山だらけとなってしまった(そのため今でも中国では毎年洪水が発生している)。

 そして1959年の夏にはついに大飢饉が全国を襲った。秋の収穫も全くの不作で飢饉をさらに深刻化させた。早くも1959年7月の中国共産党政治局拡大会議(いわゆる廬山会議)で彭徳懐国防部長が大躍進運動の失敗を取り上げ、他の出席者も支持を表明するものが少なくなかった。しかし毛沢東は7月23日の演説で、彭徳懐の主張を党に対する攻撃、右傾機会主義として激しく批判した。彭徳懐を支持していた出席者も一転して彭徳懐を批判するようになった。すでに毛沢東に逆らえるものは誰もいなかった。
毛沢東.jpg

 8月2日から始まった中国共産党八中全会で毛沢東は彭徳懐ら4人を「彭徳懐反党集団」として激しく非難し、彼らを失脚に追い込んだ。毛沢東は自信を持って大躍進に誤りなど全くないと主張し、彭徳懐反党集団との闘争を20年でも50年でも続けなければならないと発言した。そのため、1960年まで彭徳懐反党集団との闘争が続けられることとなった。毛沢東は自らの正当性を主張するため、さらなる鉄鋼大増産政策の貫徹を全国に命令した。
この廬山会議で毛沢東の間違った政策を修正することができれば、大躍進運動による悲劇は1年ほどで乗り越えることができたであろう。しかし誰もが間違いに気づいていながらもはや誰も毛沢東に逆らうことはできず、悲劇はますます深刻化、長期化することとなった。一層無理なノルマが課されるようになり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。そして、その報告を受け取った毛沢東は更なる増産を命令するという悪循環に陥っていった。


 こうして大飢饉は1960年も1961年も継続し、少なく見積もって3千万人という人類史上最大規模の餓死者を発生させた。(大躍進運動による餓死者の数は4000万、5000万、6000万という説もあるが、私は批判をするときはできるだけ控えめな数字を取り上げる方針であるので、3000万という数字を用いている。実際にはもっと多い可能性が十分にあることを留意していただきたい)。餓死者3千万ということは、当然ながら飢餓線上にいたものは数億人に及んだはずである。

 一般的に大躍進運動は、政策の失敗のほか、ちょうどこの時期に旱魃が発生したことが被害を拡大させたと言われている。だがその後の研究により、この時期に自然災害など発生していないことが現在では明らかになっている。数千万人規模の餓死は明らかに毛沢東ならびに中国共産党による人災なのである。

 驚くべきことに、数千万規模の餓死者が発生していたにも拘らず、中共政府は3年連続で穀物を大量に輸出していた。1958年に266万トン、1959年に419万トン、1960年は265万トンである。1960年といえばすでに中国共産党は国内における大飢饉の発生を把握していたにも関わらずである。ここまでくると大躍進運動は中国共産党による人民への大量虐殺といっても過言ではなかろう。

 飢餓に襲われた人民の境遇はこの世のものとは思えない、それどころか映画の世界でもあり得ないような悲劇的なものであった。食糧不足が深刻化した1959年夏ごろ、当初はご飯をお粥にすることで何とか凌いでいたが、お粥にするほどの米も底を尽きると、人々は籾殻も稲の藁もとうもろこしの茎さえも食べるようになった。それさえも尽きるようになると、樹や草の根を掘り出して食べるようになり、中毒死する人が続出した。ついにあちこちの家庭で餓死者が続出するようになり、埋葬しきれないほどであったので、遺体の多くは雑木林に捨てられた。遺体が捨てられるとすぐさま尻や太ももの部分が誰かによって切り取られていった。すでに事態は食人にまで及んでいたが、悲劇はまだ終わらない。
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 口にできそうなあらゆるものが底を尽いたときに人間がとる行動とは、平時の人間には想像をすることさえ困難である。人々は自分の子供を他の家庭の同じ年頃の子供と交換するようになった。自分の家庭で養育するためではない。いくらなんでも自分の子供を食すことはできないので、他人の家庭の子供と交換して食すのである。家に持ち帰った交換物は台所で調理される。脳みそと内臓を取り出し、あとは取れるだけの肉と脂肪を切り取るのである。そして脳みそでスープを作り、内臓や肉を炒め物や煮物にする。こうしてなんとか1週間ほど凌ぐことができるのである。
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 大躍進運動について書かれたこの文章はまだもう少し続くが、この時点ですでに気分を悪くされた方は、これ以上先を読むことは心身の健康のためにも控えたほうがいいであろう。

 家庭によっては自らの子供を食す親もいた。ある農家では家族はすでに父親と息子一人と娘一人しか残っていなかった。あるとき、父親は娘にしばらく外出するよう命じた。娘が戻ってくると、弟がおらず父親が台所で料理をしていた。鍋には油が浮いており、何やら白っぽいものが入っていた。鍋の横には骨が放り出されていた。それから1週間ほど後、父親は再び鍋で料理の準備を始めた。そして娘を呼び寄せた。娘は号泣しながら父親に、「お願いです、お父さん、私を食べないでください。私は芝刈りをし、火を炊いてあげます。私を食べたら、誰もお父様の面倒を見る人がいなくなります!」と叫んだという。
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 1962年に開かれた中国共産党拡大工作会議で、毛沢東は大躍進運動の失敗に対する自己批判を余儀なくされた。これ以降、劉少奇とケ小平が中国の経済再建へ向けて舵をとるようになる。中華人民共和国建国から13年、すでに中国人民は人類史上経験したことのない悲劇を味わってきた。過去に中国が経験した列強による侵略も、抗日戦争をもはるかに上回る悲惨さであった。にも関わらず、悲劇は終わらなかった。大躍進運動という人類史上他の国では例がないような悲劇を経験しておきながら、さらに悲惨でさらに長期間に及ぶ悲劇が待っていた。毛沢東は健在だった。低下した影響力を取り戻すための機会を虎視眈々と窺っていたのである。

 21世紀に、人肉料理文化のある残酷民族は中国だけ
飢饉や非常事態、異常者によるカニバリズム(食人)はどこの国でもある(日本で日本兵が仲間を生きるために食べる、もちろんあった)。
しかし、「人肉市場」「人肉宴会」「人肉料理法」「人肉レストラン」があるのは中国だけ。人肉を楽しんでいる思考の隣人。
  • 中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。
  • 1965年くらいの文化大革命では、人肉食が白昼堂々と行われていた。
  • 現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。
「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。
また、ネットで、韓国人らしき人物が、日本には食人があるという偽記事を流している噂があります。
どうみてもおかしい、日本? のカニバリズムレストラン(ややグロ注意)

人肉メニュー

  • 「臠」:生肉をスライスして食べる、刺し身。「凌遅刑」という刑で食べられた。
  • 「脯」:干物。刑罰として用いられることが多い。
  • 「羹」:肉鍋。
  • 「醢」:塩辛。干して麹を混ぜ上 等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり。孔子の高弟、子路が醢にされた。
  • 「炙」:人肉のバーベキュー(『韓非子』より)。
  • 「腊」:乾し人肉
  • 「血饅頭」:饅頭に罪人の血を浸し、市民に販売した。1860年頃。
    北京西郊で罪人を処刑した時、鄶刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売した。
    「千八百六十五年の頃、北京西郊で罪人を処刑した時、鄶刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売したという。」
    (Peking and the Pekingese. Vol. II, pp. 243-244)これもまさに魯迅が『薬』で描くところの伝統的風習です。
  • 「塩屍」:人間の塩漬(『唐書』秦宗権伝より)
  • 「嬰児の水餃子」:正式名称は不明。嬰児の肉をミンチにした水餃子。
  • 「嬰児のスープ」:正式名称は不明。嬰児湯とも呼ばれる。2004年、遼寧省でのニュースで確認されている。


「凌遅刑」:人を貼り付けにしてスライスしていく刑。つい最近の清の時代、中華民国時代、中華人民共和国時代でもやっていた。
凌遅刑の写真(グロ注意)
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人肉用語
  • 「喫人」:チーレン。人食いの事
  • 「両脚羊」:人間の肉という意味(二本足の羊)
  • 「不羨羊」:若い女の肉(羊より美味い)
  • 「和骨爛」:子供の肉(煮れば骨まで食べられる)
  • 「想肉」:男の両腿と女の乳房。(懐かしの肉)あまりの旨さにまた食べたくなるから。
  • 「易子而食」:(子を交換して食す)自分の子供を食ぺることだけは避けようと、近隣の子供と交換した。

人肉歴史の一例

  • 紀元前1100年ごろ、殷の紂王が、伯邑考をスープにして、それを父にたべさせた。
  • 618年、朱粲は「酒を飲んだ後の人間の味は、ちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)
  • 882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。
    一日ごとに数千人をも食べてしまった。(『唐書』黄巣伝)
  • 902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)
  • 1126年、人肉市場では、一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。
  • 1587年に書かれた「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。
    骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。
  • 1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。
    四川大虐殺では人口600万だったのが1万8000人に。「殺人競争」
  • 1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1〜3ドル。
    12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」
  • 1965年、文化大革命。白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。
    百余の死体が香港に漂流して有名になった。。

■参考書
  • 食人宴席
  • 支那人の食人肉風習 桑原隲藏
  • 『中国の崩壊が始まった!』
  • ブライアン・マリナー (平石律子訳)『カニバリズム 最後のタブー』(1993年、青弓社)
  • K. R. Chong, Cannibalism in China
  • 『呪われた中国人』(カッパ.ブックス)
  • 「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)
  • 魯迅『薬』
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2012年04月16日

エロース≠リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解している。

リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解している。
すなわち、エロは「悪」じゃない。種族保存本能である。(倫理に外れないようにね。)すなわち、以下のルシファー悪魔論理は全て虚偽である!


エロース=アフロディーデ(=ルシファー)の子。
古典ギリシア語Έρως,Eros)は、ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る(ルシファーから生まれた)神(を名乗る悪魔)である。日本語では長母音を省略してエロスとも呼ぶ。

ローマ神話との対応・姿の変化

ローマ神話では、エロースには、ラテン語でやはり受苦の愛に近い意味を持つアモール(Amor)またはクピードー(Cupido)を対応させる。クピードーは後に幼児化して、英語読みでキューピッドと呼ばれる小天使のようなものに変化したが、元は、髭の生えた男性の姿でイメージされていた。古代ギリシアのエロースも同様で、古代には力強い有翼の男性あるいは若々しい青年であり、やがて、少年の姿でイメージされるようになった。エロースの象徴は弓矢及び松明である。

ブーグロー「クピドから身を守る少女」。1880年.jpg
ブーグロー「クピドから身を守る少女」。1880年 ノースカロライナ美術館蔵


古代の記述

ヘーシオドスの『神統記』では、カオスガイアタルタロス(ウリエルが司る)と同じく、世界の始まりから存在した原初神である。崇高で偉大で、どの神よりも卓越した力を持つ神であった。またこの姿が、エロースの本来のありようである。
後に、軍神アレースと愛の女神アプロディーテーの子であるとされるようになった。
古代のおいては、若い男性の姿で描かれていたが、西欧文化では、近世以降、背中にのある愛らしい少年の姿で描かれることが多く、手には弓と矢を持つ(この姿の絵は、本来のエロースではなく、アモールあるいはクピードーと混同された絵である)。黄金で出来た矢に射られた者は激しい愛情にとりつかれ、で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するようになる。

エロースはこの矢で人や神々を撃って遊んでいた。ある時、アポローンにそれを嘲られ、復讐としてアポローンを金の矢で、たまたまアポローンの前に居たダプネーを鉛の矢で撃った。アポローンはダプネーへの恋慕のため、彼女を追い回すようになったが、ダプネーはこれを嫌って逃れた。しかし、いよいよアポローンに追いつめられて逃げ場がなくなったとき、彼女は父に頼んでその身を月桂樹に変えた(ダプネー daphne とはギリシア語で、月桂樹という意味の普通名詞である)。このエピソードが示す寓意は、強い理性に凝り固まった者は恋愛と言う物を蔑みがちだが、自らの激しい恋慕の前にはその理性も瓦解すると言う事である。

アモールとプシケー (愛と心)
アモールとプシケー (愛と心)

「愛と心の物語」

ヘレニズム時代になると、甘美な物語が語られるようになる。それが『愛と心の物語』である。地上の人間界で、王の末娘プシューケーが絶世の美女として噂になっていた。母アプロディーテーは美の女神としての誇りからこれを嫉妬し憎み、この娘が子孫を残さぬよう鉛の矢で撃つようにエロースに命じた。
だがエロースはプシューケーの寝顔の美しさに惑って撃ち損ない、ついには誤って金の矢で自身の足を傷つけてしまう。その時眼前に居たプシューケーに恋をしてしまうが、エロースは恥じて身を隠し、だが恋心は抑えられず、魔神に化けてプシューケーの両親の前に現れ、彼女を生贄として捧げるよう命じた。
晴れてプシューケーと同居したエロースだが、神であることを知られては禁忌に触れるため、暗闇でしかプシューケーに会おうとしなかった。姉たちに唆されたプシューケーが灯りをエロースに当てると、エロースは逃げ去ってしまった。
エロースの端正な顔と美しい姿を見てプシューケーも恋に陥り、人間でありながら姑アプロディーテーの出す難題を解くため冥界に行ったりなどして、ついにエロースと再会する。この話は、アプレイウスが『黄金の驢馬』のなかに記した挿入譚で、「愛と心」の関係を象徴的に神話にしたものである。プシューケーとはギリシア語で、「心・魂」の意味である。
プシューケーとの間にはウォルプタース(ラテン語で「喜び」、「悦楽」の意。古典ギリシア語ではヘドネー)と言う名の女神が生まれた。

参考書籍

  • ヘーシオドス 『神統記』 岩波書店
  • アプレイウス 『愛と心の物語』 岩波書店 (『黄金の驢馬』の作中話として挿入されている)。
  • 呉茂一 『ギリシア神話』 新潮書店


ウリエル
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ウリエル(Uriel, אוּרִיאֵל 「我が光は神(el)」, ティベリア式ヘブライ語 Ûrîʾēl;ウーリーエール)は、正典には含まれておらず、カトリック教会では認可されていないがユダヤの神秘主義的文学において重要な天使。旧約聖書外典『エチオピア語エノク書』『第四エズラ書』、新約聖書外典『ペトロの黙示録』で、その名が言及されている。ミカエルガブリエルラファエルと共に「神の御前に立つ四人の天使」の一人。ウリエルという名前は、「神の光」「神の炎」を意味する。大天使熾天使智天使とされることがある。
サリエルと同一の天使とする説もある。

芸術作品においてウリエルは、作家と教師にインスピレーションを与え、裁きと預言の解説者という役割を示す本と巻物を持つ姿、または開いた手の中に炎を灯した姿で描かれる。

ヘブライの伝承・ユダヤ神秘主義的文学におけるウリエル

旧約聖書外典『エチオピア語エノク書』で、ウリエルはエノク天国へ引き上げ、天国の案内役を勤めた。エノク書では、主の天使たちが地上に降り多くの邪悪を働いたため、神はミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルをそれぞれ役目を与え遣わした。そのときウリエルは、ノアに洪水が迫っていることを報せた。エノクはウリエルを七人の大天使の一人とし、タルタロスと世界を見守ると語っている。また、天におけるすべての発光体と地上の運行、気象、自然現象を司る天使としている。
旧約聖書外典『第四エズラ書』において、ウリエルはエズラが見た七つの幻視を説明する。エズラは、神に様々な質問をする。とくにユダヤ人の苦悩、神の正義、イスラエルの運命について尋ねる。その答えとしてエズラは七つの幻視を見る。その時にウリエルは現れ、神が人間に対して行う正義について、答えることの不可能な三つの質問をする。
ユダヤの伝承『ヨセフの祈り』の中で、ウリエルは『わたしは人間たちの中で暮らすために地上におり、ヤコブという名で呼ばれる』と述べる。この言葉の正確な意味は明らかにされていないが、そうなるとウリエルは天使から人間になった初めての者となる。
ヘブライの伝承『アダムとイヴの生涯』で、ウリエルは焔の剣を持ってエデンの園の門を守る智天使の一人と記されている。

アガペー
アガペー
(ギリシア語: αγάπη) は、キリスト教における神学概念で、人間に対する「」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」としてでてくる。新約聖書では、キリストの十字架での死において顕された愛として知られる。

またキリスト教においては、神が人間をアガペーの愛において愛するように、人間同士は、互いに愛し合うことが望ましいとされており、キリスト教徒のあいだでの相互の愛もまた、広い意味でアガペーの愛である(マタイ福音書22、37 - 40)。

ただし、この神の無限の愛としてのアガペーは神学概念に当てられる言葉であり、新約聖書の著者がアガペーを一様にこのような意味で用いていたかは本文解釈上の議論がある。

古典ギリシア語での愛

このような神の無限の愛、人間に対し普遍的に提供される「愛」を表現するため、『新約聖書』の福音書記者たちは、ギリシア語αγαπηという言葉を選んだ。選んだというのは、ギリシア語には「愛」を表現する言葉が基本的には四つあり、エロース (ερως、性愛) 、フィリア (φιλια、隣人愛) 、アガペー (αγαπη、真の愛) 、ストルゲー (στοργή、家族愛) である。
エロース古代ギリシアにおける神聖な神であり、また「性愛」や「肉体の愛」を典型的に意味した。エロースは文化人類学的にも良く知られるように、女性生殖神秘であり驚異であり、神聖なものであった為、と見做されたのであり、それ故、生殖の前提となる肉体の交渉での愛を必ず含意した。情欲的な愛、自己中心的な愛を意味し、聖書では用いられていない。
フィリアは、親子、兄弟、友人間の人間的ではあるが麗しい愛を表すのに用いられている。

神の愛としてのアガペー

ヘブライの伝統を引く原始キリスト教の信徒たちは、後の教父たちがギリシア哲学(特にプラトン哲学)を援用したとはいえ、初期には、ギリシア的伝統や、ローマの伝統とは別の形で彼らの信仰を表現したいと考えたと思える。また「神の愛」は、エロースの愛のような「肉体の愛」ではなく、「の愛」であると考えられたので、「フィリア」か「アガペー」がより適切であった。「フィリア」は、友情や友愛の意味を持ち、この言葉がキリスト教の「愛」を示す言葉として選択されても不自然ではなかった。
しかし「アガペー」は家族愛のような意味を持ち、それ以外に、特に限定された強い用例のある「愛」ではなかったので、原始キリスト教の福音書記者たちやパウロスは、この言葉を「神の愛」を意味する言葉に採択したと考えられる。

英語の古カトリック訳では、love と訳すと「エロース」によって表される情欲的な愛と誤解されることを避けて、チャリティー (: charity: caritas、カリタス) の訳語を当てている。その後、charity の意味に変化が起こって、現在では「慈善」の意味で用いられるようになったので、ティンダル訳では「アガペー」の訳語として love が用いられるようになった。

無限の愛の神学
 

神の愛、即ち「アガペー」は、無限にして無償であるというのは、この世の「」や「悲惨」の存在からして疑問とも考えられる。神が無限・無償に人間を愛してくださるのなら、何故、この世界には悪や悲惨や不幸や差別や貧困や、様々な矛盾が存在するのか。原始キリスト教の出現と並行して、擡頭した地中海世界でのグノーシス主義は、この世の悪の原因は、この世が「悪の神・偽の神」によって創造された為であるとした。
グノーシス主義の主張は、その基本的な「悪の実在」に関して明晰であり、非常に説得力がある。このため、敬虔なキリスト教徒の母の元に生まれながらも、思想的に、グノーシス主義の主張に共鳴したヒッポの聖アウグスティヌスは、東方グノーシス主義最大の教派であるマニ教の信徒となった。

善の欠如としての悪

しかし後にアウグスティヌスはキリスト教に回心(復帰)し、キリスト教の立場より、マニ教の主張を論駁する。この世に「悪の現象が実在」する根拠議論の前提として、アウグスティヌスは、神は世界をでもって創造したのであり、その世界はまた多様な世界であることを指摘した。
この故に、世界が具体的な実在として現象するにおいて、善の現れが見かけ上で濃淡のあるものとなり、ある善の現象が実現するためには、別の現象において、そのような善が実現していないという事態が生じ、世界全体として、相対的に、が混合して存在するように認識されるのであって、「悪そのもの」は実は実在していないとの説明を行った。
これを、キリスト教神学的に「善の欠如としての悪」という。

アウグスティヌスの説は詭弁論法のようにも見え、マニ教の代表的な思想家とのあいだの論争はきわめて激しいものであった。また、当時、西ローマ帝国がゲルマン族の侵略によって荒廃した理由を、異教キリスト教がローマに広がった為であるとして、キリスト教を非難する主張が存在したが、これに対しても、アウグスティヌスは反駁して『神の国』を著し、西ローマ帝国の荒廃はキリスト教の興隆が原因ではなく、地上の歴史は、神の無限の善と愛の実現へと向かう、神の国の歴史の一面であるとして、世界史的歴史観を築いた。

トマスの存在の恩寵
しかし、「善の欠如としての悪」とは常識的に不可解であり、合理的とは思えない。そもそも「神の無限の愛」すなわちアガペーとは何であるのか、哲学的・神学
的には、大きな問題を含んでいた。

バカどもめ、私が代わって答えよう。「神は私だけではなく、悪魔主義者以外のみんなを愛している」ということだよ。

イスキリ・キリスト

チョット横道に反れる。『イエスの謎 学研』P124〜「神の子ではなく神の言葉を仲介する者」(※改竄箇所を改正してます。)
 歴史上のイエスが、自分を「神の子」、あるいは「メシア」とみなしていたかどうかはわからない。とくに前者については、学者のあいだでは否定的な意見が主流だ。そもそもユダヤ教の伝統の中には、「神の子」という概念そのものが存在しないというのである。
 これはイスキリの言葉である。彼を拒否する故郷の人々に対し、イスキリはこう語っている。
 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、、親戚や家族だけである」(「マルコによる福音書」)
 ここで言う預言者とはエレミヤを指している。実際、彼(イスキリ)は弟子を前に予言を行っている(「マルコによる福音書」)。彼らが師に「終末のしるし」について尋ねたとき、イスキリはこう答えた。
 「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、ほうぼうに地震があり、飢饉が起こる。これは産みの苦しみの始まりである。・・・私の名のために、あなた方は全ての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」
 弟子の受難の予言に続いて、イスキリは「大きな苦難」を予言する。
 「憎むべき破壊者(イエス〔サタン〕偽証キリスト)が立ってはならないところに立つのを見たら・・・・・・・・イスラエルの人々は山に逃げなさい。それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである。
・・・・・・・そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』という者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業(わざ)を行い、出来れば、選ばれた人たち(使徒。フリーメーソンやまして、イルミナティなどの糞では無い。)を惑わそうとするからである。だから、あなた方はきをつけていなさい。(使徒として。)一切のことを前もって言って置く。

 多くの民衆もイエスを預言者と見た

 この「一切のことを前もって言って置く」というイスキリの言葉は、仮にイスキリが本当にこう語ったのだとすれば、彼自身が自分を預言者の一人として強く自覚していたことを物語る。予言はさらに続く。
 「それらの日には、このような受難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体はゆり動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る。そのとき、人の子は天使を遣わし、地の果てから天の果てまで、『彼によって選ばれた人たち』を四方から呼び集める」
 ここに出て来る「人の子」は「再臨のメシア」のことであり、イスキリはここで黙示録の予言を行っているのだが、この種の予言は旧約の時代から繰り返し行われたもので、イスキリが踏襲したとしても不思議はない。

 預言者であれば神の子でない(※私は一度も自分を「神の子」などと傲慢なことを言ったことは無いがな。)
 イエスを預言者とすると、彼は神の子ではなくなる。というのも、どれほど偉大な預言者であっても預言者は所詮死すべき人間であり、オリエントの神々のような「復活する神(悪魔)」ではなくなるからである。
 そこで、福音書には随所にイエスの預言者らしき言動が出てくるにもかかわらず、正等カトリック教会では、イエスを預言者とは見なさない。
 興味深いことに、カトリックが異端として排斥した宗教や他宗教のほとんどが、イエスを普通の人間と同じ妊娠・出産のプロセスを経て生まれた生身の預言者と見なしているのである。
 例えば214年にバクダッド近郊で生まれ、「新しいイエス」と呼ばれたマニを開祖とするマニ教では、イエスを偉大な預言者とし、ゾロアスターやブッダと並ぶマニの先駆者としたが、彼を神の子とは認めなかった。
 マニによれば、イエスは「寡婦の息子」であり、死すべき人間であって、十字架にかかったのは身代わりの人間であった。(そう。すなわち、私、佐藤高央ことイスキリである。)
 マニ教はグノーシス派に属しているが、同じグノーシス派による『ニコデモ福音書』では、ユダヤの長老がイエスに向かってこう言っている。「だいたいお前は不倫の関係から生まれたのではないか。それにまた、お前が生まれたおかげで、ベツレヘムでは大勢の赤子が殺された。さらにまた、お前の父親ヨセフと母親のマリアとは、エジプトに逃げていったではないか。民の中で彼らは日陰者だったからだ」
 ここでもイエスは人間である。

 イスラームでもイエスは預言者(「偽を無理矢理本物の救世主にしようとするから」こうなった)
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 ただし、彼には神(実際は悪魔)と交流し、その言葉を仲介する特別な力があった。すなわち預言者である。
 4世紀のアレクサンドリアの長老アリウスの異端説でも、イエスは(ルシファーの)啓示を受けた預言者ではあるが、神の子ではない。したがって、カトリックが主張するような三位一体の神性などあり得るべくもなく、十字架上で死んだ人物こそが人類の罪を全て背負った真のキリスト・救世主、イスキリである。
 7世紀にムハンマドが開いたイスラームでも、イエスの位置づけは預言者である。
 イスラームには、信者が厳守すべき6つの戒律がある。第1は神を信じること。第2は天使を信じること。第3は『コーラン』を信じること、第4は預言者を信じること、第5は復活と最後の審判を信じること、第6は天命を信じることだ。
 イエスはこのうち第4の戒律に登場する。すなわち、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、からイエスを経て、最終預言者であるムハンマドへとつながる系譜の中に、イエスも位置づけられるのである。
 福音書を読めば、イエスを預言者と見なすことにはさしたる無理の無いことが、ただちに見てとれる。にも関わらず彼が預言者の中に組み込まれないのは「神の子」とする教義ゆえなのである。(文=藤巻一保、改正=佐藤高央)
イスキリ・キリスト.jpg
十字架から降ろされる真のキリスト・イスキリ。彼が全人類の罪を背負って磔になった時、イエスは逃げ隠れ保身を図っていた。


リビドー
リビドー(: Libidoとは、日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられる。これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてたことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした。

対義語はデストルドーと誤認されることもあるが、これはフロイト晩年の『快楽原則の彼岸』における「タナトス(死の欲動)」(: Todestrieb)の言い換えであって、正確な対義語ではない。フロイト自身はしばしば性的欲動の対義語として、死の欲動または攻撃欲動という言葉を使っている。ただし、1920年以前においては、リビドーは対象に向けられる欲動を指しており、その正反対の力として自我欲動を想定していたようである。これは「愛と飢え」という、古来からいわれる詩人の言葉によってしばしば表される。
精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義している。リビドーはイド(簡単にいえば無意識または潜意識)を源泉とする。にまつわるものだけでなく、より正確には人間の性を非常にバラエティに富んだものへと向ける本質的な力と考えられている。リビドーが自我によって防衛・中和化されることで、例えば男根期の露出癖が名誉欲に変わるなど、社会適応性を獲得する。また支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得することもある。
リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解している。特に文化的活動や人間の道徳的防衛はリビドーの変形したもの、もしくはそのリビドーから身を守るために自我が無意識的に防衛したものとして理解されている。
芸術科学の活動も、リビドーが自我によって防衛され変形したものである。
世間一般的には、リビドーという言葉は押さえきれない性的欲求のようなものを指して使われる。特に男性の荒々しい露骨な性的欲求を表現する言葉としてしばしば使われ、また時には男性の性的欲望を軽蔑する意味合いの言葉としても使われる。

エス

ES,Es, es

Es -リヒテンベルクが、人間に考えを始めさせる主体を非人称にしてes denktのように表現するべきだとしたことに始まり、 フリードリヒ・ニーチェなど、多くの者がその後にその文を引用している。ゲオルグ・グロデックドイツ語版の『エスの本』(Das Buch vom Es)で、その主語が名詞化されて使われた。彼と交流があったジークムント・フロイトが採用したことで精神分析学用語ともなった。(なお、1953年にジェイムズ・ストレイチーによるフロイト翻訳全集の英訳の際、エスはイド(ラテン語)と訳されアメリカ系の精神分析学で流布された。)自我参照。


精神分析学における自我

ジークムント・フロイトにおける das Ich(以下自我とする)は精神分析学上の概念である。ここでは自我に加えて超自我(ちょうじが)とエスについても説明する。なおアメリカの精神分析学においては、1953年にジェイムズ・ストレイチーによるフロイト翻訳全集の英訳の際、: das Ich(自我)は: ego(エゴ)、: Über-Ich(超自我)はsuper-ego(: super: ego)(スーパー・エゴ)、: Es(エス)は: id(イド)と訳され用語として流布した。エスは快楽原則、自我は現実原則、超自我は道徳原則とされる。

リビドー.jpg
わかり易く図にするとこんな感じ。中心にリビドーがあって自我が囲んでいます。それに超自我があるってことです。 


自我
 
フロイトの定義では1923年以前までは意識を中心にした自己の意味で使われていた。つまりや意識に近いものとして語られていたのである。これはこの時期以前においては、彼が意識と無意識の区別によって精神を把握していたためである。1923年以後、心的構造論と呼ばれる新たな理論を語るようになってから自我(エゴ)という概念が「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」を指す言葉として明確化された。
自我(エゴ)はエス(イド/id)からの要求と超自我からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。無意識的防衛を行い、エス(イド)からの欲動を防衛・昇華したり、超自我の禁止や理想と葛藤する、調整的な存在である。全般的に言えば、自我(ego)はエス(id)・超自我(super-ego)・外界に悩まされる存在として描かれる事も多い。
自我(エゴ)は意識とは異なるもので、飽くまでも心の機能構造から定義された概念である。有名なフロイトの格言としては「自我はそれ自体、意識されない」という発言がある。自我の大部分は構造や機能によって把握されており、自我が最も頻繁に行う活動の一つとして防衛が挙げられるが、この防衛は人間にとってほとんどが無意識的である。よって自我=意識と考えるのには注意しなくてはならない。
ちなみに「意識する私」という概念は、精神分析学においては「自己もしくは自己イメージ」として明確に区別されている。日本語においての自我という言葉は、一般的には「私」と同意に受け取られやすいが、それは日常語の範囲で使用する場合にのみ当てはまる。

エス(es)

エス (Es) は簡単に言えば無意識に相当する。正確に言えば無意識的防衛を除いた感情欲求衝動、過去における経験が詰まっている部分である。
エスはとにかく本能エネルギーが詰まっていて、人間の動因となる性欲動(リビドー)と攻撃性(死の欲動)が発生していると考えられている部分である。これをフロイトは精神分析の臨床と生物学から導いた。性欲動はヒステリーなどで見られる根本的なエネルギーとして、攻撃性は陰性治療反応という現象を通じて想定されたものである。またエスは幼少期における抑圧された欲動が詰まっている部分と説明される事もある。このエスからは自我を貫いてあらゆる欲動が表現される。それを自我が防衛したり昇華したりして操るのである。
エスは視床下部のはたらきと関係があるとされた。なおこのEsという言葉は フリードリヒ・ニーチェが使用し、ゲオルグ・グロデックドイツ語版“Gesellschaft”(『エスとの対話』)などで使われた用語で、彼と交流があったフロイトが1923年に発表した『自我とエス』という論文から取り上げるようになった概念である。

超自我

超自我は、自我とエスをまたいだ構造で、ルール・道徳観倫理観良心・禁止・理想を自我に伝える機能を持つ。厳密には意識と無意識の両方に現れていて、意識される時も意識されない時もある。ただ基本的にはあまり意識されていないものなので、一般的には無意識的であるとよく説明される。理想的な親のイメージや倫理的な態度を内在化して形成されるので、それ故に「幼少期における親の置き土産」とよく表現される。精神分析学においてはエディプス・コンプレックスという心理状態を通過して形成されると考えられている。
超自我は自我の防衛を起こす原因とされている。自我が単独で防衛を行ったり抑圧をしたりするのは稀であるとフロイトにおいては考えられている。また超自我はエスの要求を伝える役目も持っており、例えばそれは無意識的な欲求を知らず知らずのうちに超自我の要求を通して発散しているような場合である。他にも超自我は自我理想なども含んでいると考えられ、自我の進むべき方向(理想)を持っていると考えられている。を加工し検閲する機能を持っているので、フロイトは時に超自我を、自我を統制する裁判官や検閲官と例えてもいる。
超自我は前頭葉のはたらきと関係があるとされ、現在でもそれは妥当と考えられる。
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2012年04月14日

北朝鮮 金王朝の真実

北朝鮮 金王朝の真実』(祥伝社新書 荻原遼著)

※これは金正恩氏を批判するために記載するのではなく、先人の轍を踏まないよう警鐘を鳴らす意味で記載するのである。
理解して頂きたい。

2012年4月14日 13:52 iグーグル芸能欄「未来への約束」 ←あぁ、約束だ。
北朝鮮 金王朝の真実.jpg


 ■北朝鮮に秘められた、金一族の血の相克!

 年若い三代目に継承された北朝鮮に未来はあるのか?「恐怖の独裁者・金正日(キムジョンイル)時代の総括抜きに、この問いに答えることはできない」とする著者は、次のように分析する。
 核開発の暴走、三百万人が死んだ餓死地獄−すべては国内の反乱を恐れる金正日の計画犯罪であった。そして、路線対立が明らかになった父・金日成(キムイルソン)は、正日に謀殺されたのではないか。
 膨大な資料を読み解き、貴重な証言の研究の中からそう確信するに至った事実は重い。平壌を深く知る数少ない日本人である著者が明らかにする、独裁国家の驚愕の真実!

  

   まえがき

 金正日(キムジョンイル)が死んだ。思わずプーキシンの詩が口を衝いて出た。

  専制の悪者よ、汝を 汝の帝位をわたしは憎む。
  たけくきびしい喜びを持ってわたしは汝の滅びる様を
  汝のやからの死を見守ろう。               (『自由』より。金子幸彦訳)

 心ではマンセー(万歳)と叫びたいのに泣かねばならぬ、泣く真似をせねばならぬ彼の地の人民を思って、私は心の底から万歳を叫んだ。
 これからの北朝鮮はどうなるのかと、友人知人は異口同音に聞く。
 「金正日時代は最低最悪の時期。これ以上悪くならない」と答えると、みな「そうかなぁ」という疑問や表情を投げかける。北のミサイルが飛んで来るとか、武装難民が押し寄せて来るとか、脱北者がどっと数十万人も日本めがけてやって来る、などということが頭にあるようだ。
 そういうことも否定はしない。
 同時に現実的な見通しを持つことが必要と、私は思う。現実的な見通しとは?金正日時代を知ること、金正日と父親金日成(キムイルソン)との間に生きるか死ぬかの路線闘争があったこと、その結果として金正日が金日成を殺したと私は結論づけた。
 金日成に代表される改革開放につながる流れと、金正日一派の核・ミサイルで内外を脅して生き残ろうとする流れ。何より重要なことは、この二つの流れが一九九〇年代の初めから激しくぶつかり合い、一九九四年七月に父親を殺した金正日が、彼の死ぬ二〇一一年十二月まで一時的に成功を収めたかに見えた金正日時代の一七年間を振り返ることである。それによってこれからの北朝鮮について現実的な見通しを得ることが出来る。
 金正日が金日成を殺したと主張すると、「あなたはその現場を見たのか」気色(けしき)ばんで質問する人もいる。私の主張にすべて同調を求めるつもりは無い。
 しかし、一九九四年七月二十五日から三日間予定されていた史上初の金日成と金泳三(キムヨンサム)韓国大統領による南北首脳会談が、金日成の直前の急死で中止になったことは、広く知られている。この会談が改革開放に向かう決定的な曲がり角となったであろうことを、改めて知ることが必要である。
 また、大量餓死の事実も広く知られている。その時期が各国から支援の食料が入り始めた一九九五年から始まっている。いったいこの奇妙な事実な何故か?さらに一九九四年七月六日の金日成主宰の「経済部門責任幹部協議会」で金日成は、肥料の増産による農業の立て直しを力説し、そのために重油による火力発電所の増設を指示した。軽水炉による原子力発電所の建設と核武装を狙って、アメリカから軽水炉の導入を図る金正日の路線の全面否定であった。
 アメリカから何を取るか、ジュネーブでの米朝高官会議は七月八日に開催が決まっていた。偉大な首領の指示は絶対である。それが届けば金正日は全面的に敗退する。金日成を亡きものにするのは七月七日の一日しかない。その日の夜、金日成は急死する。
 私の到達した結論は、ほとんどの北朝鮮問題専門家から無視された。だが反論にせよ賛成にせよ、この不気味な符合についてはどう考えるのか。
 金日成を亡きものにした後で始った金正日の時代を考えることに、これからの北朝鮮の動きを占う重要な視点があると私は信ずる。
 このささやかな本はそのために役立つであろうことを確信する。

  二〇一二年二月三日    萩原遼

  序

 北朝鮮の今後を知るには、金正日時代を知ることが必須であると考える。次の言葉をまずお読み頂きたい。
 「首領様が生きておられるときは苦しくても飢え死にする人はいませんでした。食糧難が厳しくなればなるほど、首領様が恋しい意です。首領様ならどんな手を使ってでも国民を飢え死にはさせなかったでしょう」
 韓国に脱北したある北朝鮮男性のことばである。首領様、すなわち金日成と、将軍様、金正日をはっきりと区別している。金日成も稀代の独裁者であった。強制収容所も作り、多数の政治囚を殺した。配給制度を自身の権力維持の道具とした。公開銃殺もした。しかし金正日の残忍な悪事の数々−父親殺し、何百万人の大量餓死殺人、テロと拉致、核による脅し、麻薬による製造販売とニセ札作りなどを見ると金日成がまるで神様のように見える。
 それほど金正日の残忍残虐さはケタはずれである。韓国に亡命した北の高官・黄長Y(ファンジャンヨブ)氏から直接聞いた話であるが、金日成は10人でも餓死者が出るとおろおろする。だが金正日は100万人の餓死者が出ても、眉一つ動かさない。
 両者の間には、天と地ほどの開きがあったと言える。
 金正日時代を、私は以下の四つに要約したい。

  @軍事独裁であった。
  A核開発をした。
  B父親・金日成を殺した。
  C三〇〇万人を餓死を装って殺した。いわゆる餓死殺人。

 @とAは誰でも知っている。しかしBとCはまさか、と首をひねる人が多いのではないかと思う。私の説である。これを知って頂かないと、これからの北朝鮮を見る上で十分な理解は得られないと考える。またAについても、単に核開発だけではなく、アメリカとの核戦争瀬戸際政策を挑発して金日成・金正日親子に向かう反政府暴動を反米にすり替えた、という説を主張して来た。
 @とAは親子父子共助で行った。社会主義諸国の総崩壊の中で生死を賭けて自身と家族と体制を守るためであった。
 BとCは、父子間で生き残りのための路線の違いが露わとなって、金正日は自身の路線の障害となった金日成を殺した。障害を除去した金正日は、配給停止という奇策によって敵対階層と言われる国民を三〇〇万人ないし三五〇万人も大量虐殺した。BとCは金正日が単独で行ったことなのだ。この事実を提起したジャーナリストは、私を含めほんの一握りである。
 私は二〇〇〇年五月からアメリカに行き、五年近く滞在してこの問題を調べ、補強の取材を韓国、ロシア、中国、日本などで行い、二〇〇四年十一月に『金正日隠された戦争』(文藝春秋)と題して出版した。その後もこの問題を考え続けて七年が経った。私の説を修正しなければならない点は今のところない。
 修正どころか、むしろ私の説を裏づけてくれる脱北者の証言などが次々出て来る状況である。金正日という重しから取れたこれからは、この傾向がいっそう強まるだろう。
 過去二〇年余の北朝鮮の異常な状況を振り返るキーワードは、金正日による父親金日成殺しである。私にはこうとしか考えられない。金正日の過去の異常な狂気こそが北朝鮮の今後を見る上で決定的であると主張したい。
 まず、先に述べた四つの段階をそれぞれ説明していこう。



第三章 父・金日成を謀殺する−一九九〇年秋から父子の路線対立が

餓死者の存在に驚いた金日成

 
父子共助でアメリカと擬似戦争を演じながら、軍内部で軽んじられていた息子に貫禄をつけさせようと懸命の父親。一見うるわしい父と子の関係ではあったが、両者のあいだに深刻な対立が進行していた。その対立はのちに北朝鮮を根底からゆさぶる大事件に発展する。
 一九八〇年十月の朝鮮労働党第六回大会で息子をはじめて後継者として披露して以来、金日成は息子に序々に仕事を移し、八〇年代の末には「外交分野の若干の仕事以外はみな金正日にまかせてある」という状況であった。内政は全て正日が取り仕切っていた。ところが、その内政が破綻していたことを金日成は全く知らされていなかった。金正日のもとには全ての情報は集中するが、正日は金日成には限られた情報しか送らない。その上、社会主義国の常として上部には粉飾された誇大な成果が報告される。金日成は主席宮と呼ばれる錦繡山議事堂(クムスサン)(金日成の公邸)にこもっている。スタッフはおよそ一〇〇人。一方朝鮮労働党中央委員会を取り仕切る金正日のスタッフは三六〇〇人。全ての情報が集中し、その量はケタ違いである。
 親子の対立は一九九〇年の秋に顕在化した。農業の惨憺たる状況が金正日のもとに報告されたのである。すでに相当数の餓死者も発生しているというのである。報告したのは外交部(現・外務省)と農業委員会(現・農業部)である。この事実を私に語ってくれたのは、元北朝鮮政府の幹部で、先に引用した脱北者の朴明哲(パクミョンチョル)氏である。以下は朴明哲氏の話である。
「一九九〇年の秋の獲り入れが終わったあとでした。関係部署の幹部たちが、金正日に穀物収穫が不振であり、このままでは餓死者がさらに増えそうです、と報告しました。その頃一〇万人ほどの餓死者が出ていました。国際機関のWFPの調査団を受け入れてもいいですか。こう進言しました。金正日はこの提議を許可し、西海(ソヘ)干拓地の開墾、開発を条件にして食糧五〇万トンをもらえと指示したのです」
西海干拓地とは、大同江(テドンガン)の河口である黄海に面した南浦(ナムポ)の一角を埋め立て五〇万町歩の干拓地を作り農地不足を解決するという大計画である。一九八一年から工事に着手して、一九九〇年にもまだ続いていた大掛かりな工事であった。この計画に食糧援助をもらうには、WFPの求める資料をそろえなければならない。
 朴氏は話を続けた。
「援助をもらうとなると資料を出さないといけないでしょう。いくつかの統計資料を。餓死者はどれだけ出ているか、餓死者が出た原因は何であり、どこに問題点があるのか、相手にわかるように資料をそろえて説明しなければいけない。統計資料は中央統計局が扱っています。当時食糧問題を担当する幹部は孔鎮泰(コンジンテ)副総理でした。彼は世界食糧計画のメンバーと面談しました。その結果を金日成に報告したのです。食糧をもらいたいので統計資料を出したいのですが、と報告した。金日成は激怒した。いったい餓死とはどういうことだ。食糧をもらい食いすると言うのか。しかも国家機密である統計資料を君たちは外国人に渡すと言うのか!と。孔鎮泰や外務省の幹部をはげしく叱りつけました。あとで処罰もしました。そしてWFPの調査団を追放してしまったのです。このとき金正日も金日成に強く批判されました」
 金日成にとっては、餓死者が出ているなどとおは晴天の霹靂であった。彼は「社会主義農村問題に関するテーゼ」という農業指導の指針を一九六四年に作って以来、チュチュ(主体)農業によって万年豊作であると信じて疑わなかった。とくに一九八〇年から金正日が後継者として表舞台に出てきてからは、内政は彼にほとんどまかせきりだった。社会主義国の官僚主義の常として、上には虚偽の報告ばかりが上げられる。


金日成は農業はうまくいっていると思っていた

 
金日成はその年、一九九〇年の新年の辞で、農業についてこんなふうに自慢していた。
「社会主義農村問題に関するテーゼの発表二五周年にあたる昨年には、わが農民たちは農業戦線を担った社会主義勤労者として高い責任感を持って、農村テーゼが示した課題を貫徹する闘争を力強く繰り広げ、わが国社会主義農村経理制度をいっそう固め、農業生活において新たな高揚を起こしました。
 我々は、社会主義建設上の難問である農民問題と農業問題を主体的立場で立派に解決することによって社会主義農村建設の模範を創造したことをはっきりと誇ることができます」
 こう述べて金日成は胸を張ったが、実際には農業はうまくいかず、収穫は年々減っており、餓死者まで出す酷い状況になっていたのである。こうした事実を一切知らされない金日成の裸の王様ぶりもおめでたい話であるが、白を黒と報告するだましの手口は金正日のお手のものだ。別の脱北者の話によると、金日成が農村に現地指導に行くときは、事前に手を打って、一番良い田畑を見て回らせ、金日成が農家に立ち寄る際には、米びつにコメをぎっしりつめ、冷蔵庫には肉や卵などであふれさせて、農民たちが偉大な金日成首領様のおかげでいかに豊かな生活を享受しているかを演出したという。金日成が立ち去った後、全てが回収されたのは言うまでも無い。
 餓死者が出ていて、外国に物乞いしなければさらに事態は悪化すると聞かされた金日成は、その話を信じるどころか、何をおバカなことを言うか、と怒りまくるばかりであった。
 しかし金日成もまもなくこれが事実と知るに至り、金正日は今まで何をやって来たのか、と強い失望と怒りを覚えるのである。そして、もう一度わしがやらねば、と第一線に出て七十九歳の高齢の身を猛然とふるい立たせ始めるのである。これらは先の朴明哲氏の話による。
 農業はうまくいっているものと思い込んでいた金日成が、実際はそうではないことを知ったのは一九九一年の末から九二年の初めにかけてである。息子金正日によって首相の座を追われ、咸鏡北道(ハムギョンプット)の責任秘書(道知事)に左遷されていた姜渭連(カンイリヨン)を父にもち、日本植民地からの解放後、エリート校の万景台(マンギョンデ)革命学院を卒業してチェコのプラハ工大に留学。労働党と政府のほとんどの要職を歴任しった経済通である。一九八四年に三八歳で首相に抜擢されてまもなく、当時としては画期的な合営法(外国との合資についての法律)を制定した。外国企業の投資を促す法律である。革新的な考えの持ち主で、はっきりとものを言う剛直な性質の人である。そのため金正日には嫌われて、彼の酒飲みチームにも呼ばれない。
 彼が咸鏡北道の行政経験に基づく実情を金日成に率直に報告し、ただちに手を打たなければ大変なことになると警告した。この直訴があってから金日成も目が覚めた。
 農業と人民の生活の惨憺たる実態を知った金日成は、一九九二年の新年の辞で「今年を大農の年とする」と定めた。
 そして「白い米の飯と肉のスープを食べ、絹の衣を身にまとい、瓦屋根の家に住むという人民の世紀的な願いを実現しなければならない」と訴えた。韓国ではすでに七〇年代にこれらはほぼ達成されていたというのに、未だこんな目標を掲げなければならないとは情けない話である。


ふたたび前面に出てきた金日成

 金日成は自分でも抜き打ち的に農村の実態把握につとめた。韓国軍の諜報機関の幹部だった李恒九(イハング)氏の書いた『小説金日成』(文藝春秋、一九九四年、萩原遼訳)は、小説となっているが、金日成に関する事は九五パーセント事実だと言う。それによると、金日成が九二年一月三日黄海南道信川郡(ファンヘナムドシンチョン)の共同農場を早朝お忍びの現地指導に入り、老女が草がゆを食べている姿を目撃する場面が出てくる。そして地方幹部たちを集めて言う。
「ある農場員は朝飯に草がゆを食べて腹を満たしてました。かゆなど食っていてどんな力が出るのか!この穀倉地帯で米を生産する農民たちが、いまだに草がゆを食っている状況を見て、私は大きな衝撃を受けた!この金日成が五〇年にもなる政治を行った結果、人民たちにかゆしか食わせられないようにしてしまったと言うのか!」
 一九九二年十二月十日に開かれた朝鮮労働党中央委員会第六期第二十回総会で延亨黙(ヨニョンムク)首相を解任し、姜成山を後任にあてることを決定した。翌日開かれた北の国会にあたる最高人民会議第九期第四回会議で姜成山を新首相に選出した。全て金日成の主導で行われた。延亨黙は経済政策、とりわけ農業の不振の責任をとらされて、政治局員から政治局員候補に降格させられ、慈江道(チャガンド)の党委員会責任書記兼人民委員会委員長(道知事)に左遷された。彼は金日正の側近である。間接的に金正日が問責された形になった。
 金日成は姜成山と組んで、一九九三年の一年間経済再建の方向をさぐるため、八十歳をこえた高齢の身に鞭打って猛然と仕事をはじめた。正日にまかせ切りだった経済現場の第一線に復帰して見ると、目にするのは想像を越えた荒廃ぶりと人民の疲れ果てた姿であった。
 一九九三年十二月八日、朝鮮労働党中央委員会第六期第二十一回総会を開いた。この年は一九八七年から始まった七ヵ年経済計画の最終年にあたっていた。中央委員会総会では姜成山が「第三次七ヵ年計画遂行の総括と当面の経済建設の方向について」と題する報告を行い、七ヵ年計画は未達成に終わったことを認めた。事実上失敗だったと総括したのである。金正日に対する厳しい評価となった。
 そして二、三年の「調整期間」を置くことを決めた。「調整期間」とは国民を休ませることである。馬車馬のようにノルマ、ノルマで尻たたきばかりして駆り立てることは最早無理という現実主義的な判断であった。姜成山新首相の進言が金日成に大きく作用したと言えよう。
 この会議で金日成は農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義の方針を打ち出した。これまで重工業一辺倒だったが、はじめて民生を重視する方向へと大きく転換したのである。金日成は次のような結語で話をしめくくった。

 農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義の戦略的方針を貫徹すれば人民の食・衣・住の問題をいっそう円満に解決できる。そうなればわが人民はさらに良い暮らしが出来るようになるし、帝国主義者たちがわが国の社会主義を圧殺しようと、いくら策動してもわが国の社会主義は崩れない。
            (中略)
 肥料を与えれば一町歩あたりの穀物生産をはるかに高めることが出来る。今年の黄海南道の協同農場の農業のやり方を見れば一町歩あたり窒素肥料を六〇〇キログラム与えれば六トンの穀物を生産し、八〇〇キロなら八トン肥料一トンなら一〇トンの穀物がとれた。窒素肥料の施肥量と穀物生産量は一対一〇だ。肥料をやればその分、穀物がとれることになっている。
         (『金日成著作集』四十四巻、朝鮮労働党出版社、二八一ページ、原文・朝鮮語)

 金日成は、問題の鍵は肥料の生産であると力説した。これを解決すれば、北朝鮮の穀物耕作面積は一三〇万町歩だから、一町歩あたり八トン生産すれば一〇〇〇万トン以上穀物がとれる、と結語の中で楽観的な見通しを述べた。農業の建て直しに全力をあげることを呼びかけたのである。


軍事か、民生か。決定的となった路線闘争

 明けて一九九四年一月一日、恒例の金日成の新年の辞で、国民を休ませる「調整期間」は三年とすることを発表した。そしてこの間に農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義の方針にそって国民の生活改善を優先させる方針が確認されたのである。
 ところが金正日はまったく別のことを考えていた。軍事力の強化、とりわけ核武装することである。一九九三年から九四年、父金日成の庇護のもとに金正日は核カードを振りかざしてアメリカを脅し、それを取り下げるから代償をよこせという交渉を、ニューヨークやジュネーブで繰り広げていた。
 一九九三年七月、ジュネーブでの米朝高官協議第2ラウンドで北朝鮮は「手持ちの黒鉛原子炉を廃棄するから軽水炉を二基よこせ」と要求していた。黒鉛原子炉はプルトニウムができやすいとされっているのに反し、軽水炉はプルトニウムができにくく安全と言われていた。しかしアメリカ原子力専門家ヘンリー・ソコロフスキー氏は、二〇〇二年八月四日付けのワシントン・ポストの一面全面を占める論文で、こう主張した。
「一般に無視されているが、軽水炉もまた兵器級<vルトニウムとみなされている物質を多量に生産するのである。・・・燃料棒投入後一年三ヶ月で通常の軽水炉は三〇〇キログラムのその種の物質を蓄積する。それは数十発分原爆をつくるに十分な量である」
 このように金正日は、軽水炉をアメリカからせしめることで軍事優先、核武装優先の路線をいっそう傾いていった。金日成亡きあとの金正日の路線となる「先軍政治」という軍事独裁政策を、この頃すでに構想していた。
 ところが父親は、国民の飢えて疲れ果てた実態を知り、これまでの重工業最優先の政策を農業と軽工業を優先する民生重視の路線に大転換した。軍事優先なら民生は圧迫される。金正日の方針は父親の路線と衝突する。九〇年代の終わりに金正日はこう語ったと、平壌・外国出版社から出された金正日お墨付きの小冊子『金正日先軍政治』(二〇〇二年、日本語)に記されている。
「ケーキやドロップを作れなくとも生きていけるが、兵器と弾薬を作れないと生きていけない」(六〇ページ)
 父親の路線を嘲笑っているとも受け取れる。金日成存命中なら言えることではない。九三年頃の金日成は人民にひもじい思いをさせないために頭がいっぱいだった。
 軍事優先か、民生優先か。両者の考えは次第にへだたってゆく。
 黄長Y(ファンジャンヨブ)氏から直接聞いた話であるが、金日成は餓死者が一〇人でも出ていることを知ったなら、うろたえておろおろする。ところが金正日は何十万人餓死しようと眉ひとつ動かさない。
 金日成は人民が飢えに苦しむことを喜ばない。国全体を一つの家庭とみなし、その家庭を慈愛深いオボイ(親)として振舞うことに喜びを感じて来た。金日成は飢えに苦しむ人民の実態を知り、何とかしたいという思いで老いの身をふるい立たせたのである。
 そんな中で予想もしない事態が持ち上がった。


南北首脳会談をめぐる、父子のせめぎあい
金日成.jpg
人民の父として振舞うことに喜びを感じ、人民の苦しみ、嘆きを自分の苦しみ、嘆きと捕らえた金日成。


 金正日にとって晴天の霹靂だったのは、金日成が金泳三(キムヨンサム)韓国大統領との史上初の首脳会談を受け入れたことである。一九九四年六月十七日、核戦争一歩手前の瀬戸際外交策のさなかに平壌に乗り込んだカーター元米大統領の調停に応じて、金日成はアメリカと平和的な話し合いに移ることを約束した。
 このときカーターは金日成に金泳三大統領との首脳会談を提起した。韓国を経て北朝鮮に入ったカーターは金泳三から提起するよう頼まれていたのである。金日成は相当頑固に受け入れを渋るだろうと思いきや、いとも簡単に受諾した。金日成は、カーター元大統領に答えた。韓国大統領といつでもどこでも会う、前提条件や予備協議は必要無い、ただちに行いたい、このことを金泳三大統領にお伝え願いたい。
 金泳三からただちに次の日、首脳会談を歓迎するとの回答が来た。あとは日程と議題を決めるだけである。
 驚愕したのは金正日である。首脳会談となると、当然ながら南の大統領はそれ相応の手土産を持って来るだろう。金回りの良い韓国のことだからドルや大量の食料支援を申し出るのは間違いない。そうなれば金日成の農業第一主義の方針や経済改革の取り組みに、南の財政的裏づけがつくことになる。そうでなくても金日成の農業と経済の建て直しへの頑張りは、金正日の軍事優先構想を雲散霧消させかねない。何もかもぶち壊しになる。どんなことがあってもこの首脳会談は阻止しなければならない。
 金正日は金日成に首脳会談をやめて欲しいと懇願した。しかし金日成は頑として聞かない。何度も電話でやめてくれ、やめぬ、やめてくれ、やめぬの押し問答が繰り返された。そしてついに金日成は朝鮮労働党総書記の権限を行使してでも会議を行うしかない」と金正日に最後のゆさぶりをかける。これは『永世』という北朝鮮の長編小説に記されている。金日成が党の総書記の権限を振りかざせば、金正日の地位は労働党の組織書記でしかない。下級は上級に無条件で従うのが共産党組織の鉄則である。
 首脳会談に向けてとんとん拍子に話は進み、六月二十八日には合意に達し、七月二十五日から二十七日までの三日間平壌で開くことになった。南北の話し合いとなると双方些細な問題まで言いつのり、まとまるまで何ヶ月もかかるのが常であったが、このときはわずか一〇日という異例の早さでまとまった。
 首脳会談の開催まで一カ月を切った。金正日の苦悩は深まるばかりだった。美食、飽食で腹の突き出た彼の体は目に見えて痩せていった。
 一方、金日成は五〇年待ちに待った統一の大門をいよいよ開くのだと、首脳会談に向けてはしゃいでいた。そして統一と関連した経済協議会を七月五日、六日の二日間開くのだと側近の経済幹部を動かし、こちらの準備にも余念がなかった。これに対して金正日は「ご自身のお体のことも考えて下さい」と強く反対したが、金日成は聞く耳を持たなかったことが『永世』に記されている。


金正日を驚愕させた、金日成演説

 この経済協議会で金日成が行った演説は、「社会主義経済建設において新たな革命的転換を起こすことについて」を題され、「経済部門責任幹部協議会で行った結論」と説明されている。このこともやはり金日成の死後一九九六年六月六日に平壌の朝鮮労働党出版社から出された『金日成著作集』の第四十四巻(四七四〜四八一ページ、原文・朝鮮語)に収められている。
 これを読むと、金日成が一九九二年から経済の建て直しに取り組んで以来二年余りの実態調査に基づいて、その打開の道筋をきわめて具体的に、意欲的に述べており、力のこもった内容である。
 金日成はこの演説を、社会主義経済建設で解決しなければならない問題は多いが、本日(一九九四年七月六日)は、差し迫って解決っが求められているいくつかに絞って話したい、と前置きしてあらましを次のように述べた。

 何よりも電力問題を早く解決しなければならない。電気が十分生産出来ていないから工場や企も動かない。肥料も生産出来ず農業にも多大な損失を与えている。電力問題の解決のためには原子力発電所の建設は時間がかかり過ぎる。水力発電所を造ろうにも資材がなく、行き詰まっている。しかも水力発電は雨が降らないと回らない弱点がある。と言って、石炭生産が十分でないから火力発電もままならない。重油発電が最適だ。原油はたいして金はかからないから、外国から買ってなんとしても解決せよ。咸興(ハムン)と海州(ヘジュ)、沙里院(サリウオン)にそれぞれ二〇万キロワットの能力を持つ重油発電所を造れ。外貨を節約しながら咸鏡北道には今後三〇〜五〇万キロワットの能力を持つ重油発電所を造れ。
 電力問題を解決することで化学肥料の生産を正常化し、来年からは毎年八五万トンの肥料を生産して農村に送ってやらねばならない。
 ビナロン(北朝鮮の開発した化学繊維)生産も止まっているが、これも早く正常化しなければならない。ビナロンの生産がされていないために服が無く、今年は昨年入学した児童たちにしか新しい服を着せてやれなかった。来年六月までに全国の幼稚園児や生徒たちに、みな新しい服を着せてやればどれだけ良いか。
 セメント生産を正常化すれば、国内用に使った残りでも一年に六〇〇万トンなら三億ドルだ。六〇〇万トンが無理なら五〇〇万トンでも良い。二億五〇〇〇万ドルになる。

 金日成はこのように述べながら、セメントを運ぶトラックの生産、鋼材生産の必要性などを細かく説明した。社会主義圏の崩壊で貿易の販路を失った代替として、東南アジア貿易に目を向けよ。数年前に大型貨物船を一〇〇隻作れと提示したが、未だにやられていない−。こうした具体的な指摘と対策を述べた後で金日成は、次のような注目すべき発言を行った。
「私は今後どの国であれ、わが国との経済合作のようなものをしようと言うならば行いたい。もちろん我々は、ほかの国々と経済合作をしなくても生きていけるが経済合作をしても損をすることはない」
「ほかの国々」の中に韓国も含まれていることは確実。北朝鮮は従来、韓国はもとより他の外国とも経済合作は帝国主義者の経済侵略につながるとして、これまで拒んで来た。その態度を一変させている。とくに韓国に対し、やわらかい態度が目につく。経済再建の計画を打ち上げた金日成の腹には韓国大統領が手土産として持って来るはずの一〇億ドルとも言われる巨額の資金が念頭にあったからであろう。金日成はこうも言った。
「金泳三があ平壌に来るときは随行員を一八〇人連れて来るというが、そのうち記者は八〇人になると言う。(中略)私は関係の幹部に連絡をかけ、記者が八〇人では無く八〇〇人連れて来ても結構だ。彼らが平壌に来たら好きなように歩き回らせ何でも見せてやれと言った。
 南朝鮮の記者たちが大勢来るというのは平壌に来て見ようということだ。いくらたくさん来て歩き回ってもケチをつけるものはない。彼らに見せてやるならば結構なことばかりで悪いことなど一つもない。平壌に来た外国人は、誰もみな平壌がソウルよりはるかに良いと言っている。カーターもそう言って平壌ほど清潔で美しい都市はない、と言った」(『金日成著作集』第四十四巻、四八六〜四八八ページ)
 金日成は上機嫌であった。議題と日程の素早い受け入れといい、この開けっぴろげな態度といい、これまでにない対応である。経済建て直しのために韓国の力を借りて打開をはかろうとする意欲が見てとれる。


金日成急死!

 この協議会に一切出席出来なかった金正日は、会議の終わった七月六日の夜、会議の録音テープを取り寄せて会議の一部始終を聞いたことが、先に紹介した北の準公式文献の『永世』に描かれている。もはや事態は猶予ならないところまで来ていた。
 南北分断後五〇年にして初めて開かれる首脳会議は、一九日後に迫っていた。飢餓カードを切って外国から支援物資を取り込み、軍事力を強化するという起死回生の奇策を推進しようとしていた金正日にとって、金日成の動きは妥協の余地の無い路線対立となった。
 一方の金日成もまた、未曾有の危機を切り抜け民心を安定させる道は、農業の根本的建て直しをはじめ、破綻した経済の復旧によって人民の衣食住を解決するしかないと確信し、敵である南朝鮮の大統領から援助を取り付けるという意表を衝く手を打った。
 両者の考えの違いは、生き残りを賭けた路線闘争、権力闘争の様相に発展していった。
 協議会の終わった次の日、一九九四年七月七日の夜、金日成は急死した。
 金正日は七月六日の夜、取り寄せた録音テープを聞いて、金日成が南北首脳会談で韓国大統領の援助を得て大胆な経済改革を進めようとしていることに驚愕した。金正日がこの夜もう一つ驚愕したのは、発電所の問題だった。金日成は七月六日の経済協議会において、原子力発電所よりも火力発電所の建設が急務だと主張した。電気が十分でないから肥料も生産出来ず、農業に多大な損失を与えていると、並み居る経済幹部をお前に力説した。何が何でも電気を生産せよ。原子力発電所の建設は時間がかかり過ぎる。石炭による火力発電所は電気が無いから石炭も掘れない。重油を燃料とする発電所が一番手っ取り早い。重油発電を起こして電気を生産し、来年から八五万トンの肥料を生産し農業を建て直せ−というのが、金日成の考えであった。具体的な設置場所まで四ヵ所指定した。
 だが、金正日は軽水炉に固執する。あくまで軍事優先である。核開発に役立つ軽水炉を手に入れて核武装する。建設まで一〇年かかるのはもっけの幸いだ。その間に今所有する黒鉛炉を凍結するとだましてこっそり稼動させ、プルトニウムを取り出して核爆弾を造るのだ。農村に肥料を送るなどどうでも良い。死ぬ者は死ねばよい。金正日はこういう考えだったと見ても、あながち外れてはいないであろう。その後の動きは、全てこのように展開した。
 火力発電所か原子力発電所かをめぐる父子の対立は、この時が初めてではない。それより一年前の九三年に、金日成と金正日の考えは、すでに食い違っていたのである。金日成は原発の建設は時間がかかり過ぎ、経済建設には向かないと、はっきりと述べていた。それは九三年十二月八日の朝鮮労働党中央委員会第六期第二十一回総会での金日成の中でである。
「国の不足する電力問題を解決しようとすれば、火力発電所に力を入れられなければならない。今年は雨が降らなかったため、来年水力発電所で電力を能力通り生産するのは困難だ。したがって火力発電所にきちんと石炭を供給し、火力発電所をフル稼働しなければならない。石炭工業部門に力を集中し火力発電所をフル稼働させるに必要な石炭の円滑な生産を保障しなければならない。
       (中略)
 電力問題を決定的に解決するには発電能力を新たにいっそう高めなければならない。原子力発電所を建設すれば不足する電力問題をたやすく解決出来るが、それには少なくとも六年ないし一〇年かけなければならない。それまで電力問題を解決せずに待つわけにはいかない。我々は金剛山発電所をはじめ、今進めている発電所建設の完工を早めて国の不足する電力問題を解決しなければならない」(『金日成著作集』四十四巻、二八三ページ)

 この年、一九九三年七月十五日、ジュネーブでの米朝高官協議会第二ラウンドの席で金正日は腹心の姜錫柱(カンソクチュ)第一外務次官に指示して、米朝交渉で軽水炉を二基よこせと要求させた。九三年三月NPT(核不拡散条約)脱退宣言を取りやめてアメリカに恩を売った直後である。戦争の瀬戸際まで緊張を高め、それを引っ込めて見返りをねだるという金正日の戦法である。
 この方針に対し金日成は同年末から中央委員会総会で、原子力発電はだめだと真っ向から反対したのである。このときから原子力発電所か火力発電所かの金父子の対立はすでに露わになっていたのである。だがこの時はまだアメリカが軽水炉を軽水炉を提供するかどうか五里霧中であったこと、金正日も金日成の権威を借りてアメリカとの対決に挑んでいた時であり、父子の決定的な対決には至らなかった。
 だが九四年六月のカーター元大統領の斡旋で米朝手打ちとなった後からは、状況は根本的に変わった。金正日の望む軽水炉は目の前にぶら下がっていた。しかし金日成は火力発電所の重要性を改めて強調した。金正日の考えの全面否定である。金正日はこのことを七月六日夜、録音テープを聞いて知った。
 米朝高官協議第二ラウンドは九三年七月十九日に終わった。その後はニューヨークで米朝実務陣の頻繁な「接触」が行われて、高官協議の第三ラウンドを九四年の七月八日にジュネーブで開くことで合意していた。北側代表団長姜錫柱第一外務次官は七日までに現地入りしている。金日成の新しい訓令が届けば、軽水炉を撤回して火力発電所に大きく変更することになる。偉大な首領の指示は絶対である。これまで密かに進めて来た金正日の計画は頓挫する。自身が生き残るには金日成を亡きものにするしかない。しかもそれは一日の猶予しかない。それは七月七日でなければなかった。その日、金日成は死んだ。


謀略説を裏づける二つの文書

 
 以上のような私の考えを述べた本『金正日 隠された戦争』を二〇〇四年十一月に文藝春秋から出版し、金正日が金日成をころした、という仮説を打ち出した。
 一国の最高指導者を父親殺しの疑いをかけて断罪することに、ためらいもあった。人を切れば自分も切られる。その覚悟なしに軽々しい問題提起は出来ない。しかし考えれば考えるほど、これ以外の結論は下せない。煩悶(はんもん)の末にこの仮説を公表した。大手出版社の文藝春秋がよく出してくれたと思う。担当編集者の山下進氏には感謝の言葉もない。
 
 本が出た後、二〇〇五年から私の仮説を裏づけてくれる証言が韓国で次々に出て来た。文書による二つの証言と二人の元北朝鮮の高い立場にあった人物の証言である。
 ひとつはそのものズバリの「金正日、金日成を殺す!」(以下、「金日成文書」と略す)の表題のついた文書である。「二〇〇四年七月 平壌で」と記されている。ソウルの脱北者団体が入手し公表したものである。これを読んだ時は、すでに私の本は書きあがった後だった。
 もうひとつは、第六章で紹介した韓国の著名月刊誌『新東亜』二〇〇五年八月号の文章である。「独占掲載・前北朝鮮核心官僚が見た金日成死亡直前の父子暗闘一二〇時間」(以下、「新東亜文書」と略す)と題されている(第六章に抄訳を転載した)。
 二つの文書に共通するのは、金日成の死亡場所をかれの別荘である妙香山特閣(ミョンヒャンサン)(平壌の北一六〇キロの風光明媚な山の中の別荘)とし、金正日はその場にはおらず平壌にいたとしていることだ。これは私の本も同じである。そして金日成の死亡現場に医師がいなかったというのも共通している。私の本『金正日 隠された戦争』では、在日朝鮮人総連合会議長韓徳銖(ハンドクス)が平壌で北朝鮮当局から聞かされたという説を紹介している。金日成の危急を聞いた金正日がただちに医師と医療設備を乗せたヘリを飛ばしたが、折からの豪雨で墜落。代わりに車を走らせたが雨でスリップして崖から転落、全員死亡した−。
 医師がいなかったことについて「金日成文書」は大要こう記している。
「金日成急死の際、そばにいたのは新米の耳鼻科医一人。かれは動転して治療どころか口から泡を吹いて気絶してしまった。それほど金正日の叱責を恐れたのだ。平壌から金正日の緊急命令で医療チームと医薬品を積んだヘリが出動したが、一寸先も見えない気象条件でやむなく引き返した。そこで金正日は陸路で行けと再度送ったが山崩れで引き返した、と説明している」
「日頃から心臓の悪い金日成に対し、心臓医師をつけなかったことが最大の問題だ。こんなことが出来るのは金正日だけだ。金日成は妙香山特閣に六月末から行っているにもかかわらず。最高の設備で固められている金日成の健康を担う烽火診療所(ボンファ)の李楽彬(イナクビン)所長に対し、人民の怒りははなはだしく、金日成死亡直後診療所はめちゃくちゃに投石され、窓ガラスはみな割れてしまった。所長は殴り殺されることを恐れて出勤も出来なかった」
 金日成の死に方について「金日成文書」はこう述べている。
「金正日は真夜中に陰謀的な方法で金日成の怒りを高めて心臓発作を引き起こさせ、人為的に救急治療を遅らせることによって彼を死に至らしめた」
北朝鮮メーソン ノースロゴの騎士団.gif
北朝鮮フリーメーソン ノース・・・

「陰謀的な方法」と述べるだけでそれ以上のことは書いていないが、金正日は深夜に金日成に電話をし、耐え難いほどの暴言を浴びせ、強いショックを与えて心臓発作を起こさせたというのである。
 しかし、これだけで人は死ぬだろうかという疑問は残る。


金日成の死の現場に金正日の手下

 もうひとつの「新東亜文書」をみよう。興味深いのは、金日成の死亡時に金正日の腹心の幹部数人がそばにいたこと、彼らが金日成の死に何らかのかかわりがあることを臭わせていることである。
「午前の会議を終えて金正日はここで休憩とし、午後に続けようと言っていつもの習慣通り午睡に入った。その間に会議参加者は金正日の厳命により、全員がバスで平壌に呼び戻された。それとは知らず午後の会議を始めようとした金日成は、幹部たちをみな持ってかれたと聞いて怒りの目でしばしば宙をにらんでいた」
「協議会参加者全員は平壌に運ばれたが、どういう訳か金正日派の人間数人はそこに居残っていた。彼らがいることを知った金日成は、自分の考えを彼らを通じて金正日に伝えるため書斎に呼び入れてひとしきりに声を荒げた。主席に激しくののしられて応接室に戻ってきた彼らを、金日成の副官は気を使いながらもてなし、ともに時間を過ごした。
 金日成が倒れているのを発見したのは未明の一時過ぎだった。零時を過ぎても金日成の書斎に灯がともっているので、副官はちょっとだけ見て来ますと言って入り、真っ青な顔で戻って来た。副官がその事実を彼らに告げた。そこには心臓専門医もおらず、どうしようもなかった」
「新東亜文書」は以上のように書きながら、金正日派の人間が金日成の書斎で何らかの手をくだしたことを臭わす記述をしている。
「現場にいた人たちは言う。『金日成の最期の時間に一緒にいた人たちが金正日に忠誠派であったということから疑いを払拭することは到底出来ない』
「彼ら忠誠派は金日成の遺体が平壌に移送されたあと金日成の部屋を掌握し、文書類を整理して押収して行った」


金正日の妹の愛人の口から漏れた一言

 二つの文書には、金日成がどんな死に方をしたのかについては書かれていない。それを言えるのは金正日か手を下した下手人か、現場を見た者だけ。その種の人間も口封じのために消されていると見るのが常識ではないだろうか。
「新東亜文書」は金正日の妹金敬姫(キムギョンヒ)についても書いている。金日成の死のあと、金正日はただ一人の兄弟である妹にも会いたがらない。ところが金敬姫は何故かしきりに金正日に面会を求める。やっとのことで会えた。ところが・・・・・・・・。こう書いている。
「二人が声高にやりあい、何分も経たずに対話はたびたび中断した。金正日の部屋から飛び出してくるときの敬姫の顔は真っ赤だった」
 金敬姫の夫は張成沢(チャンソンテク)。朝鮮労働党の中でも権力中の権力と言われる組織指導部の第一副部長。金正日に次ぐ実質的ナンバー2で、金敬姫とは大学の同級生。
 金敬姫には娘の家庭教師だった美男子のバイオニリストの愛人がいた。彼の語ったというこんな話が書かれている。
「敬姫は飲めばいつも張成沢も兄もみんなワルだ。この世で一番のワルどもだ≠ニ言っては憤激していた。もしかしたら金正日が金日成をどうかしたのではないだろうか」
 金敬姫を身近で知る愛人の話だけに、見過ごせない。彼はその後、消される。
 この「新東亜文書」の筆者も「この種の話は色々あるが、はっきりしたことはわからない」と正直に書いている。「とは言え、山が高いかどうかは聞いてみなければわからないと言うものでもなかろう」とも書いている。
 真実はあの国が崩壊するまでわからないとよく言われるが、そう言って何もしないのではジャーナリストの名折れである。闇に閉ざされた真実を白日の下に引き出すことこそ、ジャーナリストの任務であると私はかねてから主張して来た。確たるものが無いとなれば、状況証拠を積み重ねていくことでしか密室の犯行を暴く手立ては無いと思う。


ヘリで飛来した暗殺者

 
その後二〇〇六年五月に「金日成は金正日に暗殺された」という内容の内容のビラを気球に入れて北朝鮮に飛ばしている李民馥(イミンボク)(四十九歳)という人とソウルで会った。李民馥氏は、一九九五年に韓国に亡命。それまでは北朝鮮の農業アカデミー(科学院)土壌学研研究所で学び、農作物の品種改良に取り組んできたエリート農学者だった。北朝鮮での農業不振の原因を全国を回って探る中で集団農場制に原因があるとの結論に達し、個人農場制に戻すことを金正日に提起した。
 これが金正日の嫌うところとなり、韓国の回し者とされて迫害を受け、妻までが離婚を要求。一九九一年に北朝鮮を脱出、ロシア、中国を転々とする中で韓国のキリスト者と出会い、韓国に亡命した。その後キリスト者になり勉強を続けて、当時牧師の資格を持ちながら大学院でさらに神学を専攻していた。
 李民馥氏が北朝鮮に飛ばしているビラ「金日成は金正日に暗殺された」の全文は、次の通り。
「金正日国防委員長が金日成主席を暗殺しました。一九九四年七月八日、健康だった金主席が何故突然死亡したのでしょうか。
 当時は核問題で核戦争の一歩手前、カーター米国元大統領の仲裁で、金永三南朝鮮大統領との首脳会談をなん日かあとにい控えた時期でした。
 あらゆる戦いをみな乗り切って来た金主席は、勝てない戦争は一端避け、『白米に肉のスープ』(萩原注・金日成の人民への公約)はさておいてもまず飢え死にする人民のことを考えたのです。
 そうして首脳会談を通じまず食料援助を受け、ある程度、中国式改革開放を試みようとしたのです。
 しかし、五十四歳の金正日には、生きるか死ぬかの決断の時。改革開放すれば権力を維持出来ないからです。彼はすでに国防委員長という刃(やいば)を握っているから恐いものなしでした。
 金主席暗殺後、暗殺チームはヘリコプターで飛んで来て、そのあとヘリコプターを爆破し、証拠隠滅を図ったのです。またこの内幕を知っている金容淳(キムヨンスン)秘書(萩原注・朝鮮労働党中央委員会の大幹部の一人)をはじめ主要幹部たちが相次いで死亡するとは、異常ではありませんか?
 金主席の死亡後、予想通り食料配給は完全に中断され『苦難の行軍』なる最悪の事態を迎え、脱北越南した黄長Y党中央秘書が証言したように、三〇〇万人以上が飢え死にする大惨事になったではないですか」
 私が書いた金日成謀殺説とほとんど同じだ。少し違うのは、暗殺チームがヘリコプターでやって来たということ、そしてそれが空中爆破を起こし全員死亡することで証拠が湮滅された、という部分である。私は李民馥氏に質問した。
−−−ヘリを爆破させたのは誰ですか?
「金正日です」
−−−証拠は?
「金日成死亡時のことを知る側近二人が脱北しました。私は二人から別々に詳しく聞きました。証言は二人とも合致してました」
 
 私はしばらく茫然とした。金正日は金日成を謀殺したという私の仮説は当たっているではないか。沈黙する私に李氏は言った。
「七月七日の夜、在韓米軍のレーダーが追っていたヘリコプターの機影が突然消えるのを確認したことは、世界がみな知っています。北朝鮮当局は、医者や看護師を乗せたヘリコプターが悪天候で墜落したと説明していますが真っ赤なウソです。金正日のウソにみな騙されたのです。そうではなく暗殺チームを乗せたヘリだったのです。軍のベテランが操縦するヘリが豪雨を伴った悪天候ぐらいで何故墜落するんですか」
 李民馥氏は、金日成が殺されたという話について、それまで五分五分の認識だったが、二人の脱北者の話を聞いてからは一〇〇%真実だとの確信に達したという。二人の身元を明らかにしなかったが、一人は医師、もう一人は北朝鮮の高い地位にいた人物とのことである。


北朝鮮の元高級幹部が語る、金日成の死の謎

二〇〇六年八月、再び李民馥氏に会った。彼の作ったビラの根拠となった北からの亡命者に会わせてくれるよう頼んだところ、色々尽力してくれて、北の重要な地位にいた人に引き合わせてくれた。
 ソウル市郊外のとあるレストラン。人目につかないよう閉め切った部屋で、その重要人物と李民馥氏と私の三人で会った。身辺の安全のために重要人物の身元が特定されることは全て省略する。彼は自分が現場を見た訳でもないので、こうだと言い切ることは出来ない、と正直に述べた。しかし「流れを見るとそうとしか考えられない」と言って四つの疑問点を挙げた。

 @心臓の悪い金日成が平壌を離れるときには必ず随行させている心臓医が、その時はいなかった。金正日の差し金だ。
 A金日成が死亡した時、金正日は金日成の責任副官(日本で言う第一秘書)を三八度線の板門店に出張させていた。
 B金日成が死亡した一九九四年七月七日、三人の金正日忠誠派が妙香山特閣にいた。そして彼らが現場を封鎖し、全てを取り仕切った。
 C金日成を護衛する一号護衛部に対し、金正日を護衛する二号護衛部が数的にも圧倒的に多いが、妙香山特閣周辺にひそかに配置されていて、もし一号部隊が何らかの動きに出れば銃撃戦で制圧する体勢を取っていた。
 以上が北の元高級幹部の話である。
 同氏の言う妙香山特閣に金正日忠誠派がいたと言う証言は「新東亜文書」と同じである。人数は三人だったと断定的に述べた。また金日成護衛グループと金正日護衛グループとの間に銃撃戦が一回だけあったことは、韓国の著名なジャーナリストの禹鐘昌(ウジョンチャン)氏が、金日成死亡直後に中朝国境地帯で取材し「週刊朝鮮」に記事を書いていた。その時は私もまさかと思って聞き流したが、やはり真実かも知れない。
 元高級幹部の話が正しいとするならば、金日成は特閣周辺にえり抜きの金正日の護衛グループ(軍人グループ)が配置されていたことから、やはり暗殺は軍部の特殊訓練を受けた者の仕業であると考えられる。偉大な首領金日成を殺せという、想像を絶する命令であっても、軍の特殊部隊であれば機械のように遂行する。それが北朝鮮軍の恐ろしいところである。


真実は、いずれ明らかにされる

 以上の金日成謀殺説は、北朝鮮からの脱北者や亡命者の口から次第に明らかにされつつある。そして、いずれは決定的な証言が出る日も来るだろう。北朝鮮からだけではなく韓国政府の中からも出る可能性がある。それを確信させてくれる事例に出くわした。
 
 二〇〇六年六月、スウェーデンのストックフォルム大学にあるアジア太平洋研究所の所長であり、同大学教授の池上雅子さんの勧めで、同研究所で一ヵ月、招聘教授として講義した時のことである。私を招いた理由は『金正日 隠された戦争』、とりわけ金日成の死因についての記述を高く評価してくれたことである。池上先生は私宛の手紙でこう書いておられた。
「昨年(二〇〇五年)、ある国際研究機関で、韓国政府元高官(原文実名)に萩原先生の『金正日 隠された戦争』を紹介したところ、顔色を変えて、数ヶ所の詳しい翻訳を頼まれました。金日成の『不自然死』にいたる経過詳細部分を英訳したところ、顔が凍ったようでした。元高官はかつて全斗煥(チョンドファン)、盧泰愚(ノテウ)金泳三の三人の大統領のアドヴァイザーとして青瓦台に勤めただけに、当時青瓦台で把握していた情報とも合致するのだなと直感した次第です」
 いずれ韓国政府の中からも真実を公表することもあろう。
 北朝鮮で金日成殺しを噂として聞いたという人は少なくない。今韓国にいるある脱北者は私にこう言った。
「金日成が死んだ頃、軍幹部の叔父がわが家に来て父とひそひそ話をしているのを耳にしました。金正日が金日成を殺したというのです。平壌でそんな噂が出回っていると言うのです。私はその頃は党と首領の忠誠分子でしたから、まともに受け止めませんでしたが、国を脱出して中国に隠れていた時、中国の雑誌で金日成は金正日に殺されたという記事を読んで、やはり父と叔父の話は事実だったと今では理解しています。つまりこんなことが北の人民の中にささやかれている以上、金正日は決していつまでも続きません。叔父は今は退官していますが部下は大勢います。心ある人もいます。時期が来れば必ず動きます。何よりも三〇〇万人もの人民を餓死させたこと。人民はまだ真実を知りませんが、いつか必ず知るでしょう。その時の怒りと怨みは、金正日を決して許さないでしょう」
 金正日の死後の二〇一一年十二月末、大阪在住の脱北者一〇人ほどがNHKの取材のために集まったとき、父親殺しの話題になった。半数以上が「そういう噂を北にいた時耳にした」と言った。
 金正日が死んで重しが取れたので、これからは北朝鮮の内部からも色々と情報が出て来るのは確実だ。


第四章 餓死に見せかけた大量殺人−三〇〇万人余を殺した、配給中断という奇策

金正日が待ち望んだ自然災害

「もらい食いとはなにごとだ!」
「乞食外交は絶対まかりまなん!」
 金日成は、外国からの食糧援助を受け入れようとする金正日の方針に一歩もゆずらなかった。その金日成の突然の死亡によって金正日は重しが取れたかのように自分の思い通りの施策を進めていく。外国からの援助の導入にいそいそと動き出した。援助の導入などといっても外国からの投資の導入などは考えられない。いわゆるインフラ、つまり外国資本を呼び入れるだけの社会的基盤が何も備わっていない。電気はない、水道も不十分。平壌以外は道路も狭く、舗装もされていない、鉄道は停電でしばしば停まる上に、線路も車輛も老朽化している。
 そんな中で手っ取り早く外国からの援助を取り込む手立てとしては、自然災害を口実とした飢餓カード≠オかない。やれ洪水だ、やれ干ばつだ、雹が降った、あられが降った、と天災が次から次に北朝鮮を見舞うのは、金日成の死の後からである。金日成存命中にも天災はあったが、それを理由に食料導入などは一度たりともなかった。天災に苦しむ庶民には気の毒だが、金正日には神風≠セったのだ。
飢餓.jpg
飢餓があれば最初の犠牲となるのは貧しい農民です(北朝鮮農村部現在)

 金正日の望んだ神風=Aつまり自然災害がやって来た。最初は一九九四年九月の雹害だった。北朝鮮外務省の発表によると、この時は「はなはだしい雹により、主要穀倉地帯の黄海南道(フォンヘナムド)と黄海北道(ファンへプット)で一七ヘクタールの農地が被害を受け、一二〇万トンの穀物が損失をこうむった」という。
 次いで一九九五年八月には大洪水が起きた。北の発表によると、「この洪水は一〇〇年に一回のもので、全国で二〇〇万トン余りの水稲とトウモロコシの生産が減り、一〇〇万トン余りの穀物在庫が流出。損害は一五〇億ドルに達した」という。しかしのWFP(国連世界食料計画)は、実際の被害は北朝鮮の発表の一五%に過ぎないという。
 対外援助を担当する北朝鮮の関係当局は、がぜん忙しくなった。先の朴明哲氏は言う。
「イタリアにある北朝鮮公館が頻繁に会ったのは、WFPアジア局とFAO(国連食糧農業機関)の早期警報課の職員たちでした。また食糧分配の際、輸送に立ち会う公務員や立会人たちともよく会いました。彼らに平壌を訪問してもらって、洪水被害対策委員会や該当機関の活動家たちと話すとき、意見が食い違ってぎくしゃくしないようにするためです。また可能なかぎり北朝鮮のスケジュール通りに彼らを動かし、北朝鮮側の提供する統計資料を、そのまま利用させるようにするためです」
「加工」とは数字の改竄である。
「また特殊な軍事施設が集中している北部地帯への立ち入りは認めない。アメリカ、韓国、日本の国籍を持つ立会人や顧問たちは入国させないという北の立場を強く認識させることにも力を入れた」という。
 こうした工作の結果、各国から続々と支援の食糧が届いた。金日成が「乞食外交」と呼んでもっとも嫌ったものであった。彼のプライドが許さなかった。ところが息子金正日は、そんな意識はまるで持ち合わせない。一九九五年には七三万トンの無償の食糧を手に入れた。
 この戦果≠金正日はいたく喜び、食糧導入の中心となった外務省の姜錫柱(カンソクチュ)第一外務次官の努力を高く評価した。姜錫柱と言えば、一九九三年〜九四年の米朝核協議の際アメリカとわたり合って軽水炉二基をせしめた人物である。また二〇〇二年九月十七日の小泉首相と金正日の会談の際も、金正日の隣でただ一人同席した男である。
 金正日が食糧導入に関わった姜錫柱ら外務省の関係者に北の最高の栄誉である労働英雄称号(二〜三人)、金日成勲章(五人)の授与をはじめ、金正日の名前入りの時計(五人)、労働勲章(一〇人)、国旗勲章一級など、合計三〇〇人ほどに勲章や贈り物の大盤ぶるまいをした。
 こうした大量の支援食糧が入り始めてから、大量餓死が発生する。一体何故か。それが私の疑問であり、この本はその謎に迫るものである。一体餓死者はどれほどなのか。まずそこから見ていきたい。


常識では信じがたい餓死者の数

 餓死者の数字を一番早く世間に伝えたのは、元朝鮮労働党最高幹部の一人で韓国に亡命した黄長Y(ファンジャンヨブ)氏であった。一九九七年四月二〇日にソウルに入った彼は、こうう語った。
「一九九五年に五〇万人が餓死した。その中には労働党員五万人も含まれている。一九九六年十一月までに一〇〇万人が餓死した。この状況でいくとおそらく九七年にも二〇〇万人の餓死者が出るだろう」
 すでに一五〇万人の餓死者の発生に加えて、さらに二〇〇万人、合計三五〇万人の餓死者が予想されるというのである。信じ難い数字に私はしばしば茫然とした。
 その頃から私は、黄長Y氏と親しく付き合うことになった。一九九八年九月には、黄長Y氏の回顧録を私が翻訳した。当時黄長Y氏の回顧録は世界の出版社の争奪戦となったが、日本では文藝春秋が手に入れた。すべての翻訳を終えて同年十二月にソウルのKCIA本部ではじめて黄長Y氏と会った。日本で悪名高いKCIA本部に日本人が入るのは珍しかった。日本語に堪能な黄長Y氏のチェックを受けたことで信任されたのか、以来二〇一一年に死去されるまで破格の知遇を得た。謹んでご冥福をお祈りしたい。
 その過程で私は黄氏に北の餓死者の数字についてあらためて質問した。世間では、黄氏の主張は荒唐無稽だ、亡命者だから韓国政府に迎合して大げさに言っているのだ、とかく亡命者の証言は信用出来ない、といった声や論議が日本や韓国でも出回っていた。そのことを率直にぶつけた。黄氏はそうした疑問が出るのは当然だと述べた。それほど大量の餓死者が発生している。それについて今準備している次の著作の中で、よりくわしく説明したいと約束した。次の年に原稿が完成し、再び私の訳で『続・金正日への宣戦布告 狂犬におびえるな』と題して二〇〇〇年一月に文藝春秋から刊行された。約束通り北の餓死状況とそれにどう対処すべきか詳しく書かれている。

 「私たちは北朝鮮でぼんやり暮らしていたのではない。最高参謀部で長年働き、もっとも正確な餓死者の統計を持って来た。私たちが持って来た統計は根も葉もない噂ではなく、金正日に直接報告している労働党中央委員会組織指導部の責任幹部からもらった資料である。
 党中央委員会軍需工業担当秘書(萩原注・秘書は北の幹部のこと)の話によると、一九九五年に軍需工業労働者たちに九ヵ月以上食料配給がなくなり、半分以上が職場に行けず家で寝込んでいたという。そして軍需工場で技術水準が高く、「宝物」と呼ばれていた高級技術工だけでも2千名が餓死したという。彼の話によると、最初は飢えて体がむくんだ者に非常対策を立てて治したのだが、再び飢えて体がむくむと、もうどんな方法でも生かすことが出来ないと言う。
 一九九六年十一月に党中央秘書たちが全国の穀物生産量を調べてみると、二百十万トンにしかならなかった。食糧事情が心配のあまり、餓死者関係や食料関係を掌握している組織指導部の責任幹部に餓死状態を聞いて見たのである。これが十一月中旬であった。
 組織指導部の責任幹部の話によると、一九九五年に党員五万名を含む五十万名以上が餓死し、一九九六年の十一月現在で餓死者の数がすでに百万名になったと言った。彼は一九九六年の穀物生産は二百十万トンででしかなく、このままいくと一九九七年には二百万名が餓死するであろうと言った。組織指導部の責任者が党中央秘書(萩原注・黄長Y氏のこと)に無責任な話も出来ないし、またするはずもないのである。
 ここから一九九五年から九六年末までに百五十万名以上が餓死したというのは、間違いない事実である。一九九七年と九八年の事情ははっきりとは知りえないが、食糧事情が大きく改善された様子が無いから、少なくとも毎年百万名ほど餓死しているものと推測出来る」
(『続・金正日への宣戦布告 狂犬におびえるな』八三〜八四ページ)
 黄長Y氏の主張とほぼ同じ三五〇万人以上という餓死者の数字を綿密な調査のすえに導き出したのが、韓国の民間団体である同胞助け合い仏教運動本部(執行委員長法輪師)である。
 詳しい調査結果が韓国の出版社の浄土出版から『民族の希望を求めて』と題して、一九九九年五月に刊行された。以下のデータはその本及び、これ以前にも同本部から発表された資料に基づくものである。
 調査は、一九九七年九月三〇日から九八年九月十五日まで六回にわたって行われた。調査対象者は食料を求めて北朝鮮から中国に渡って来た食料難民一六九四人。その家族総数は九二四九人。この一万近い人たちに、北朝鮮が洪水に見舞われた後の九五年八月末から九八年七月末までの餓死者数、栄養不足による病死者の状況など細かに質問している。それだけでなく、配給が中断された時期や、中断後の家計を維持して切り抜ける策、何故大量餓死者が発生したかと考えるかなど、多岐にわたっている。極めて貴重な資料である。ここでは死亡者数にのみしぼって引用する。
北朝鮮餓死者数.jpg

 この調査が導き出した死亡率は二八・七%である。北朝鮮の人口は二二〇〇万人のうち労働党幹部、安全部員(警察)、国家保衛部(秘密警察)、軍人などを合わせると三〇〇万人。これに六〇〇万人の農民を加えて合計九〇〇万人は餓死を免れる安全な人たち。残る一三〇〇万人が飢えにさらされている人たちと見る。これに死亡率二八・七%をかけると約三七〇万人となるというのである。この大量餓死が九五年から三年間に生じているという。
 一九九五年八月末から九八年までの間に調査対象者の家族の数は合計二六五三人であり、各年度の百分率は上の〔表2〕のようになる。


なぜ、これほどの大量餓死者が・・・・・・・

 この表からも、一九九六年から餓死者が急増し、九七年に爆発的に増大していることがわかる。
 餓死者総数三七〇万人を上記の表の百分率で掛けてみると、各年度の死亡者数は、一九九五年六万七〇〇〇人、一九九六年八五万人、一九九七年二一六万人、一九九八年七月末までに五六万人となる。一九九五年が六万七〇〇〇人で少ないのは八月末から年末までの四ヵ月であること。
 一九九六年の八五万人は黄氏の伝えた北の労働党組織指導部の幹部のあげた数字一〇〇万人の餓死者とほぼ一致する。さらに一九九七年の二一六万人は、「このままでいくと一九九七年には二〇〇万人が餓死するであろう」といった北幹部の言葉と、不気味なほど符合する。
 もうひとつ、中朝国境脱北者四四〇人を面接調査したアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の統計がある。同大学の公共衛生部の研究者四人が一九九八年七月から九月にかけて行った「北朝鮮難民家族の死亡者数−ひとつの回顧的研究」と題されたA4判五ページの報告書である。無差別に選んだ中国の一五の都市に住む四四〇人の大人の北朝鮮難民の調査結果である。それによると餓死者の数は三一七万四六〇〇人となる。この統計も三〇〇万以上の餓死者の存在を割り出している。
 戦時でもない平時において、何故これほどの大量餓死者が出たのか。しかも後に触れるように各国からの支援の食料が入り始めた一九九五年から餓死者が急増し、一九九七年には二〇〇万人という爆発的に餓死者が出るのである。
 結論的に言って、私はこれらの餓死者は自然に起きたのでは無く、意図的人為的に引き起こされたのではないかと疑った。その疑いを抱いたのは、アメリカの研究者や国連の職員で北朝鮮に出入りして北朝鮮への食料支援を行っている実務家などの見聞や考察に接したからである。
 私は一九九〇年代の北朝鮮の奇怪な動き、金日成の急死や三〇〇万人を越える餓死者の発生などにずっと疑問を感じていた。その疑問を解くために二〇〇〇年五月からアメリカにわたり、首都ワシントンに隣接したメリーランド州の黒人のアパートに一間の部屋を借りて一人でこの問題に立ち向かったことは、すでに述べた。知人も支援者もいない孤独な中で四年半の間もがき、悩み、迷いながら手探りの勉強を続けた。
 最初に私に目を見開かせてくれたのが、アンドリュー・ナチオス氏の著書『北朝鮮の大飢饉』だった。


ある米政府高官の洞察

 北朝鮮で多数の人民が餓死したことは、様々の証言によって明らかにされていた。しかしその原因について、自然災害だとかチュチュ(主体)農業の失敗によるものだ、などといった理由があげられるだけで、私を納得させるものには出会わなかった。自然災害というなら地続きの韓国も中国も飢饉になっているはずだし、チュチュ農業の失敗というなら、過去何十年もこれでやって来ているのも関わらず、何故一九九〇年代後半になって突如失敗したのかの説明がつかない。
 しかも信じ難い何百人もの大量餓死が、短期間に発生していること、地域的にも北東部の咸鏡北道(ハムギョンプット)、咸鏡南道(ハムギョンナムド)に集中していることである。狭い北朝鮮で何故これほどの地域の格差があるのか?こうした私の疑問にこたえてくれる分析には、これまでお目にかからなかった。
 『北朝鮮の大飢饉』を読んで、はじめて私の疑問が解けた。北朝鮮政府は、咸鏡北道と咸鏡南道を切り捨て対象として一九九四年から食糧配給を停止したのだと言うのである。
 二〇〇二年の夏、出版されて間もないこの本を手にした。およそ三〇〇ページで、ページの活字の量は日本の普通の四六判の単行本より一・五倍くらい多い。詳しい注釈や索引もついた堂々たる研究所であり、永年食料援助ボランティア活動にたずさわった人の実践記録である。
  『北朝鮮の大飢饉』の著者アンドリュー・ナチオス氏は二〇〇二年当時、米政府機関の国際開発局の長官(閣僚)を務めていた。国際開発局の海外災害援助室や食料人道援助室などで仕事にたずさわり、短期間だが北朝鮮に滞在したこともある。
 この人の著書を読み進める中で私は、次第に鳥肌が立つような恐怖に捕らわれた。私が漠然と感じていたことがやはり真実であったという確認。それは恐ろしい確認であった。金正日は、餓死者をわざと作り出したのではないのか。餓死という形を取りながら、実は殺人を仕組んだのではないのか。それも一万人や一〇万人といった数ではない。数百万人の大量殺人を計画し、実行したのではないだろうか。ナチオス氏の著書は、私の漠然とした疑問に答えを与えてくれている。
 ナチオス氏は書いている。
 

 「一九九四年と一九九五年に東部沿岸の平野に対する食料補助を停止することによって北朝鮮の北東部地域を切り捨てるという中央政府の決定の結果一〇〇万人以上が殺された」(一六八ページ)
 「中央政府は一九九〇年代の初期に北東部に対する穀物補助を減らすことを決定し、一九九四年には完全停止した。そのため、北東部切捨て政策は、西部の諸道(萩原注・道は行政単位)に飢饉が広がる以前に始まった。他の道に加えて北東部の死亡率ははるかに高く、はるかに早い時期に始まっているのはその為である」(一九三ページ)

 北朝鮮の北東部とは、咸鏡北道と咸鏡南道である。この二つの道にはおよそ五〇〇万人が住む。全北朝鮮人口のおよそ四分の一。咸鏡北道は中国、ロシアと国境を接する最北端部で、冬は零下四〇度以下にもなる極寒の地である。山岳地帯で農業には適さない。李朝封建時代から貧しく差別された地で、政治囚の流刑地にも利用されて来た。一九四五年に日本の植民地から解放されてからも金日成・金正日の身分差別制度によって人口の二〇%を占める敵対階層は主としてこの北東部に住むよう強制されている。北朝鮮の住民には居住地を選んだり移動する自由は全く無い。
 この地域が切り捨て対象に選ばれたのは、次のような理由があるとナチオス氏は言う。

 「北東部の政府に対する忠誠度は常に最低であった。金正日がこの地域は犠牲にしても良いと決断した理由がここにあることは間違い無い」(三五六ページ)
 「東部の沿岸諸地域は中央政府の生き残りにとって最大の脅威になっていると言っても過言では無い。(中略)北東部の諸道は、本書執筆中の現時点では暴動と反乱の温床とはなっていないが、機会が与えられれば、いつの日かそうなるかも知れない」(三五七ページ)

 日本帝国主義の植民地下にあっても、この地域の人々は不屈であった。朝鮮独立闘争の闘士たちが故国をあとにした時にも、多くの人々はこの地に踏みとどまって闘った。その闘いの伝統と実績ゆえに解放後の朝鮮労働党内部でも甲山派(カプサン)と呼ばれる人脈が重きを成し、その中心的指導者の朴金(パクキムチョル)副委員長は民衆の厚い尊敬を集めていた。それをねたんだ金日成と金正日は一九六七年五月の朝鮮労働党中央委員会第四期第十五回総会で朴金浮始め、李孝淳(イヒヨスン)、朴容国(パクヨングク)ら甲山派を根こそぎ粛清した。
 一九九五年の夏に朝鮮人民軍第六師団による大規模なクーデター未遂事件が摘発されたのも、咸鏡北道清津市(チョンジン)の羅南(ラナム)が舞台であった。彼らは咸鏡北道から平壌に攻めのぼって金正日政権を倒す計画であった。
 金正日にとって咸鏡南道と北道は自己の体制を脅かす最大の脅威であり、不安要因であった。民衆蜂起によるチャウチェスクの処刑を目の当たりにした金正日は、恐怖におびえた。殺される前に殺す。五〇〇万人の咸鏡道民、その多くが敵対階層の烙印を押され徹底的な差別を受けている。この人たちに対し先生攻撃に撃って出たのである。食糧配給の全面中断という兵糧攻めである。
 夜更けワシントン郊外のアパートの一室でナチオス氏の本を読みながら、夏っだったが、何かぞくりと寒気を覚え、本を伏せた。


WFP幹部の北東部強行視察

 WFP(国連食糧計画)のスタッフの間でも、北朝鮮の北東部に何か重大な秘密が隠されていることが次第にわかって来た。ここにメスを入れねばならないという考えは皆共通に持っていたが、北朝鮮の厚い壁に阻まれてことごとく失敗した。その状況を破った契機は、WFPの女性事務局長キャサリーン・バティーニさんが一九九七年三月に北朝鮮に乗り込んだことからであった。ナチオス氏の本『北朝鮮の大飢饉』にはこう書いてある。

 「何人かの救援活動家や分析官たちは、北東部について北朝鮮政権が何かを隠しているのではないかという疑念を強め始めた。その隠し事は、この国の他の地域で行われているような簡単に見破れるような偽装ではない。何か大きな隠し事をこの国の政府は持っていると疑ったのだ。キャサリーン・バティーニ自身も、北朝鮮政府が北東部への立ち入り拒否を何故それほどまでに固執するのか、いっぶかった。彼女は、その地域には何か極めてよからぬことがあるのではないかと疑った」(その後、扶桑社から『北朝鮮 飢餓の真実』と題して邦訳された。同書の二七七ページ。ただし原書のこの部分を含めて約一ページ分が何故か邦訳されていない−萩原)

 バティーニWFP事務局長は北朝鮮訪問後に三つの重要な決定を下した。
 @より多くの食糧支援を各国政府に求める
 A平壌政権は、WFPが雇ったジャーナリストを入国させ飢えた人々の写真を撮らせることを許可せよ
 BWFPのタン・ミャット支援物資輸送部長に立ち入り禁止地域の北東部で調査を行わせること
 以上、三点。北はしぶしぶ同意した。要求を拒否すれば支援を打ち切るという強い態度で迫ったからであった。
 こうしてタン・ミャット輸送部長が初めて北東部に乗り込んだのが、一九九七年五月であった。北東部の中心地の一つ咸鏡北道の清津。平壌から直線距離なら五〇〇キロのところだが、汽車で二九時間もかかった。汽車に乗り込むまでも北政府当局者は約束を反故にしようとして、、天候が悪いの、北東部には見るべきものが無いの、現地への接近が困難だのしぶり続ける。
 ミャット氏は、北東部に行かせないのなら今後一切の支援はしないと毅然として要求した。それにおされて北当局は党幹部用の特別車輛に彼を乗せた。一般乗客から隔離されていたが、列車が急カーブを曲がった時、ミャット氏の乗った先頭車輛から後ろの一般乗客の車輛が見えた。ボロをまとった難民のような人々で車輛はすし詰めで、屋根にも人々はへばりついている。食糧があると信じて命がけで移動する人々の姿を目撃したのだ。
 咸鏡北道の清津市でも彼は、当局指定の家庭ではなく、自分で選んだ家庭で聞き取り調査をする。市の職員たちは他の地域に比べてはるかに親しみやすく、協力的でイデオロギーにこり固まっていないというのがキャット氏の印象である。ここでの視察を通じて、ミャット氏は北東部には食糧が送られていない証拠を入手する。ナチオス氏がミャット氏にローマのWFP本部で直接会い、確認している。
 こうした取材を通じてナチオス氏は、北東部切り捨てという北の政策の存在をつかむのである。次のように書いてある。

 「WFP(国連世界食糧計画)が地域に食糧を割り当てる際に(北朝鮮)政府の役人と交渉する時彼らの態度は、切り捨て戦略を遂行していることを示していた。彼らは、WFPが北東部に食糧を割り当てようとする計画を持ち出すたびに頑として反対した」(一九〇ページ)
 「(食糧支援のため)船が、北東部の港に向かわなかったのは、単に北東部が食糧援助を要求しなかったからに過ぎないという見え透いた理由を平壌政権はあげるのであった。北東部の洪水被害は他の地域同様にはなはだしかったにも関わらず、こんな見え透いた理由をあげる。その上、中央政府は北東部の調査を妨害した。それに反して他の地域の被害調査は積極的に助けるのであった」(一九二ページ)

 タン・ミャット氏の北東部への強行訪問が契機となって、この地域もようやく食糧援助の対象となった。支援物資が北東部の清津港に荷下ろしされ、それを監視するためのWFPの輸送スタッフがミャット氏の指示で現地に乗り込んだ。一九九七年七月一日付のWFP声明は、こう述べている。
 「WFPのチャーター船は、飢餓が広がっている北東部に対する緊急援助食糧を積んで北朝鮮に到着したとWFPが本日発表した。この船積みは、大きな被害を受けているのも関わらず、これまで援助機関が全く活動出来なかった北東部に対し、直接配分される最初の食料援助となるだろう」(一九一ページ)

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国連世界食糧計画(WFP)から北朝鮮に派遣されたスー・ローツェさん(左)と著者。アメリカ・ボストン市のタフツ大学にて。

 北朝鮮が一九九五年八月の大洪水を口実に食糧支援を求めて以来、この一九九七年七月の船積みまで二年もの間、北東部に対する食糧の搬入を頑として拒否して来たその壁に、初めて大きな穴が開けられたのである。WFPが無理矢理北東部に対し食糧支援を強行した後でも、北朝鮮当局は西部の諸道を優遇し、東部の諸道(咸鏡南北道と江原道〔カンウォンド〕)を差別し続けたとナチオス氏は言う。
一九九七〜九八年の二年間に一二五万トン強のWFP及び他の国々からの食糧支援は行われたのに、東側の港に配送された食糧は全体のわずか一八%であった。人口ではこの地域が三三%を占めているにも関わらず。
 北朝鮮政府がありとあらゆる奸計で救いの手を払いのけ、妨害し、立ち入りを拒み、北東部の人たちを切り離し、孤立させ、食糧を与えず、死に追いやったという事実をナチオス氏は抑制した表現ながらはっきりと書いている。意図的な殺人行為でなくて何であろうか。


国連女性専門家スー・ロツェさんが目撃したもの

 ナチオス氏の著書に導かれて模索を続ける中で女性研究者で元国連職員として北朝鮮に入り、飢餓の調査にあたったスー・ローツェさんを知った。北東部に対し北朝鮮政府が配給の中断による切り捨て政策を取っていることを、ナチオス氏よりも早く論文で指摘しており、その誤った政策の是正を強くうながした。
 スー・ロツェさんは米政府機関の一つである国際開発庁に属する外国災害救助事務所に雇われて、国連世界食糧計画(WFP)から北朝鮮に提供された食糧配給状況をチェックしていた人。WFPの今後の活動の方向をさぐるという仕事のため、北朝鮮に派遣されたのである。彼女は一九八〇年代末に中国に住み、のちWFP北京事務所に勤務し、中国語が堪能なアジア通。一九九〇年代にはアフリカのスーダンで旱魃救援の活動にも携わった人で、農業と飢餓についての経験豊富な専門家である。
 北朝鮮に入ったのは一九九六年四月二〇日から五月四日まで。平壌南道(ピョンヤンナムド)と平安北道(ピョンアンプクト)など西海岸の四つの道をまわった。彼女は北朝鮮の家庭をまわるとき独特のやり方をとる。配給される支援食糧を、その家族と一緒に家の中に運び込むのである。そうすると現地の人に自然にとけ込める。そしてここと目をつけた家を無差別で自分で選ぶ。北政府の役人がぞろぞろとついて来て監視したり、示し合わせたやらせの回答などをあらかじめ封じるのである。
 そして調査対象の家を自分で選んだら、おつきの北政府の役人に「あなたがたは席を外してくれ」と要求する。彼らは不承不承応じる。と彼女の報告書には書かれていた。北朝鮮の今の体制では、案内人と称する監視人がどこまでもつきまとい、やらせと騙しの手口にまみれているから、ローツェさんのような対策と強引さ無しには対処出来ない。日本人や他の外国人は見習う点である。ただし彼女は朝鮮語が離せないため、通訳は北朝鮮の差し向けた人間に頼らざる得なかった。彼らもやはりやらせの役を演じる。


選別的食糧配給の実態を知る

 ローツェさんは、北朝鮮政府が国連の救援物資の配分に当たって異様な政策を取っていることに気がついた。
「ある種の地域に近づくことが極めて制限されている。その地域は、政治的にも経済的にも見捨てられ、かつ脆い人々が住んでいると思われる地域である」
 ある種の脆い地域。そこには脆い人々が住んでいるという。そこには絶対近づいてはならない。情報も入らない。何か重大な秘密が隠されているようだ。国連女性職員スー・ローツェさんはうすうす気がついた。
 彼女が、北朝鮮の各地をモニターして回った一九九六年四月から五月の一年後、一九九七年六月に発表したもう一本の論文「北朝鮮の飢餓――共産主義諸国家における人道的配慮」の中で書かれている。金正日の騙しの手口を具体的に指摘し、それにどう対処するか、という真摯な問い掛けが全体を貫いている。
 ローツェさんや食糧援助に関わって北朝鮮で活動している国連やNGO(非政府組織)のスタッフは、常時四〇人から一〇〇人くらいいた。その人たちもローツェさんも皆はじめは天真爛漫だった。自分たちの仕事のやり方と北朝鮮当局nやり方は一致すると、皆が信じていた。北朝鮮に援助した食糧は、一番助けを必要とする人々や地域に真っ先に配られるものと信じて疑わなかった。
「朝鮮民主主義人民共和国政府がとっている優先順位とその政策は、人道援助側のそれと一致するという信頼があった。つまり最も脆い人々に的を絞るということ、食糧が配らていれる地域に効果的な接近が出来ること、洪水に直接あっていないが食糧不足に陥っていると疑われる地域に自由に近づけること」(前掲論文)
 ところが、こうした信頼を打ち砕く「疑問だらけの推測」が、次々に持ち上がって来たと言う。
 見捨てられた地域の「脆い人たち」をみすみす餓死させる政策を、そのままにしておいていいのか。天災カードを切り、水害援助だと騙して食糧を取り込み、軍と特権層に配るという北朝鮮のトリック。そして「脆い人々」の住むある特定地域の住民には一切救援物資はやらない。その事実をローツェさんは、北に足を踏み入れて察知するのである。この巨大な虚偽と騙しの手口を知ったローツェさんは、一年かけて熟考した結果、上記の一九九七年の論文では次のように言い切っている。
「脆い地域に論理的にも政治的にも届けることの出来ない制度に対して、いっそうの食糧援助をすることは、せいぜい言って無効化であり、悪く言えば有害である」
「朝鮮民主主義人民共和国は、選ばれた特権地域に救援諸団体を割り振り、そこに力を集中するように仕向けるだろう。もしそうなれば、見捨てられた地域≠ノ救援諸団体が近づくことはいっそう難しくなるだろう」
「可能な限り、救援諸団体は、限られた救援物資が最も脆い人々に向けられるよう協力し合うべきである。救援諸団体が奉仕し、接触している北朝鮮の人々に関する情報を、分かち合うべきである」
「これらの諸問題が、今機敏に語られれば語られるほど、北朝鮮に住む脆い人々が今年生き残れるチャンスがそれだけ多くなるのである」
 この報告書には、北朝鮮北東部に住む「脆い人たち」への差別政策に対する怒りがこもっている。このままでは大変なことになるという。肌で感じた危機感を込めて、風前の灯火にある数百万の「「脆い人々」を救わねばならないという切実な救助のアピールであった。迫り来る嵐を鋭い洞察力で見抜いたアメリカ人女性専門家の眼力は称賛に値する。
 ローツェさんのもとにある貴重な資料の掲載許可を頂くためにボストン市のタフツ大学を訪れた時、翌日は一年間の予定でロンドンんに経つという超多忙の中で会ってくれて親切に教えて頂いた。ナチオス氏を始めアメリカの研究者に随分お世話になったが、ローツェさんも忘れられない一人である。
 一九九七年の彼女の論文で、今救いの手を差し伸べる時だと必死の救援の論陣を張ったにも関わらず、この年不幸にして二〇〇万人の餓死者が出たことはすでに述べた。


死ぬはずのなかった餓死者

 「首領様が生きておられたら、我々がこれほど苦しむことはなかっただろう」
 脱北者のほとんどが口にする言葉である。ある脱北者はこうも言っている。
 「首領様が生きておられた時には苦しくても飢え死にする人はいませんでした。食糧難が厳しくなればなるほど首領様が恋しいです。首領様ならどんな手を使ってでも国民を飢え死にさせなかったでしょう」(『民族の希望を求めて』韓国・浄土出版 一九九九年 一二四ページ 韓国語)

 北の民衆は、本能的に金日成と金正日を区別していると言える。すべての苦しみの原因は金日成がつくったのだ。金正日を後継者に引き立てたのも金日成である。にもかかわらず金日成が恋しいのは、息子・金正日の仕打ちは悪魔の生まれ変わりかと思わせるほど残酷だからである。
 金日成は何十万人もの敵対階層を強制収容所に送り、死に至らしめた。だが人目につかないように行なった。おびただしい政敵を殺した。公開銃殺もした。しかし金正日の公開銃殺のやり方の残虐さは桁外れだと、多くの脱北者は言う。わざわざ脳みそが飛び散るように撃つ。金日成が生きていれば餓死殺人という手口で三〇〇万人もの人民を殺すことはしなかっただろう。餓死を一番嫌ったのは金日成であった。
 息子・金正日は、洪水と旱魃など、あいつぐ自然災害のために収穫が減ったことを飢餓の理由にしているが、現実はそれらがすべて虚偽であることを示している。
 まずナチオス氏の見解を紹介する。
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表3 国内穀物生産量 支援食糧と商業輸入の合計

 〔表3〕を見て頂きたい。家畜の餌となる穀物を除外すれば、北朝鮮の全人口に必要な最低限の食糧は一年間で三八〇万トンである。それに照らせば、不足の食糧は一九九五年から九六年は三万トン弱、九六年から九七年は四七万トン、一九九七年から九八年は二八万トン。つまり支援食糧が全人口に等しく配分されていれば、人々の対応策によって飢餓を回避出来る可能性があったとして、ナチオス氏は無念の思いで次のように記している。
 

 「政府の配給停止措置によって、もっとも厳しい飢えに苦しんでいる人々に対し、注意深く食糧支援が集中していれば、たとえ数百万人の命は救えなくとも、数十万人は救えたであろう。これこそが巧みに仕組まれた救援計画というものだ。ところが、誰が脆い人々なのか、誰が取り残されているのか、誰が餓死寸前であるのかを見極めることが、北朝鮮においては救援活動の当初からの大きな困難であった。こうしたデータは、永年培って来た飢餓救援方法の処方箋を持つ我々は、たちどころに取り出すことが出来たであろう。しかし北政権はそのいずれをも使うことを許そうとしなかった。救援食糧計画は、飢餓が頂点にある時効果を発揮しなかった。大量の食糧輸送船が着いたのは、餓死がおさまり始めてからであった。人道救援機関は、もっとも苦しんでいる人たちに食糧援助の的を絞ることが出来なかった。何故なら、一体誰がその人たちであるかの確信が持てなかったからである」(『北朝鮮 飢餓の真実』二九一〜二九二ページ)
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表4 ぎりぎり380万トンあれば餓死はない。穀物の年間生産量はいくら?
表5 支援食糧は相当入っている。餓死者は出なくてすんだ。
表6 北朝鮮は食糧を相当輸入している。その程度の余力はある。

 韓国統一部(省)の資料〔表4〕(一三七ページ)を見よう。
 北朝鮮国民が一年間最低ぎりぎり必要とする食糧は、前述したように、三八〇万トンだとナチオス氏は言う。この韓国統一部の資料によると、三八〇万トンを下回る年は九六年、九七年、九八年、〇一年である。不足量は一一万トンから三五万トンである。この程度の不足なら、国際援助の食糧で十分まかなえるのだ。
 国際支援が本格化した九五年からは、少ない年で五〇万トン、多い年は一五四万トンの国際支援が入っている。
 それを示したのが〔表5〕である。
 これを住民に配っていれば餓死者は出なかった。にもかかわらず、数百万の餓死者が出たことは意図的に餓死させたという私の仮説を証明してくれている。
 次のような反論が出される可能性がある。ナチオス氏や韓国の統一部が依拠している数字が現実を反映していないのではないか。北朝鮮の毎年の穀物生産量は二〇〇万トンくらいではないのか。百歩ゆずってこの意見を肯定したとしよう。では次の数字をどう考えるのか。〔表6〕を見て頂こう。
 これはFAO(国連食糧農業機関)の数字である。北朝鮮が各国から輸入している食糧の量と金額である。少ない年で一二〇万トン、多い年で五〇〇万トン余り、金額にして七億ドルも輸入している。北朝鮮が隠すことも捏造することもできない国連の資料である。食糧輸入に必要なこの程度の金は持っているということだ。
 一九九七年の輸入量は約三〇〇万トンであるのに金額が七億ドルと跳ね上がるのは、この年には値段の高いコメおよび精米を六四万トンも買っているからである。これだけで二億一〇〇〇万ドルもかけている。特権階層に配るためだろう。九七年は餓死者が二〇〇万人も出た年である。党幹部などは餓死者の惨状を尻目に贅沢をしていたと見える。
 この贅沢の傾向は、国際援助は入り始めた一九九五年から始まっている。コメと精米の輸入が目立って増え始めるのである。九三年は四〇万トン、九四年は一二万トンと控えめだったのが、九五年には一一七万トンに跳ね上がる。九六年には六八万トン、九七年六四万トン九八年一二〇万トン、二〇〇〇年には一六〇万トンに急増している。援助太りで特権階層は白米を食っていることを示している。
 労働新聞の言う、帝国主義諸国の封鎖政策によって食糧が買えないという宣伝が真っ赤なウソであったことをこれらの数字は示している。余った食糧は海に投げ捨て、北朝鮮には一粒のコメもやるなと言われたと人民を騙している。一年に五〇〇万トン以上も外国から売ってもらっているではないか。
 値段についても、FAOの数字を見る限り妥当な国際相場である。外国が北に食糧を売る時は値段を吊り上げ買えないようにするとの虚偽宣伝も行われたが、これもウソだった。
 一〇〇万トンの穀物があれば赤ん坊からお年寄りまで一人一日四〇〇グラム配給すれば一年で一四六キログラム、六八〇万人が一年間食べられる。九七年には三〇〇万トン余り輸入しているから国内生産がゼロだとしても二〇四〇万人、つまり北朝鮮のほぼ全人口を一年間養えるのである。餓死など起きるわけ無いのだ。
 一体その食糧はどこに消えたのか。特権階層の蓄財とチャンマダン(闇市)への横流しである。現代世界でもっとも腐敗し、もっとも悪質な反人民的存在が、金正日と朝鮮労働党幹部たちである。
 このほか、表に出ない中国からの援助がある。FAOの統計に現れた数字だけでも、中国は九六年から〇二年まで合計一七七万トンを支援している。中国の穀物生産量は年間ざっと五億トン。いざとなれば北朝鮮に五〇万トンや一〇〇万トンが出せないわけがない。
 以上どの数字を見ても、大量の餓死者の出る必然性も理由も無い。


なぜ咸鏡道(ハムギョンド)を切り捨てたか

 だが、問題はその動機である。ナチオス氏は金正日による北東部切り捨て政策の存在を明らかにした。このことの意義もすでに述べたが、計り知れないほど大きい。だがその理由の考察が十分でない。口減らしで浮かした食糧を、自分の支持基盤に配るためだったと言うに留まっている。
 それ以上に恐ろしい意図があったというのが、私の見解である。金正日は金日成が生きている限り絶対に着手出来ない恐るべき計画を考えていたのである。敵対階層がいる限り自分は生き残れないという恐怖心から、これを抹殺するという凶悪な計画の実行に踏み切るのである。
 その手口は、食糧配給を断ち、大飢饉を人為的に作り出す。餓死という自然死を偽装して大量殺戮を行う。だが金日成は、九〇年代の危機突破策として農業を立て直し、人民にまず食わせることを優先しようとした。ここから父子間の激烈な路線対立となり、その結果金日成は死に至ったという仮説にたどり着いた。敵対階層の抹殺という金正日の戦争$牛sの障害として、金日成は除去されねばならなかったのである。この仮説を導入することによって、はじめて金日成急死の意味を正確に認識出来るのである。
 そして、大飢饉を演出して敵対階層を抹殺するという仮説によって、そのほかの疑問、すなわち食糧援助を受けながら援助の関係者を北東部に一歩も寄せ付けない、この地域への一切の支援を断固として拒否するという異様な事態の謎も解ける。さらに国際的な援助の食糧が九五年、九六年から大量に入り始めてから餓死者が急増するという不可解な現象が、何故起きたかの理由もはっきりする。
 北東部は金正日にとって階級闘争の現場であり、戦場であったのだ。そこの住民は敵として殺戮の対象であったのだ。敵は滅びてこそ自分が生きられるのである。戦場の論理であり、階級闘争の鉄則である。
 「革命とは、お前が生きれば俺は死ぬ、お前が勝てば俺は負けるという無慈悲な・・・・・・物理的対決戦を要求する」と、「労働新聞」(二〇〇〇年十二月二十二日付「政論・白頭の銃の血統」)は書いた。殺すか殺されるか、どちらかしかない。敵を殺さなければ、自分が殺されるという強迫観念に取り憑かれた契機が、チャウチェスクの処刑であった。そしてルーマニアをはじめ東欧諸国やソ連の崩壊による激変が、それに拍車をかけた。
 この体制を守らなければ自分の命は無いという臆病な恐怖心から、自分を守ってくれる軍隊と秘密警察の強化に金正日は賭けた。彼は朝鮮労働党すら不信の目で見ていたことが、一九九六年十二月の彼の秘密演説(『週刊文春』九七年四月三日号 萩原遼訳)からもうかがえる。食糧不足で人民が苦しんでいるのに、党組織は何の手も打たない。「老人党」で「しかばね党」だと、自分の責任は棚に上げて口を極めて罵倒した。
金正日には信じられるものは軍しかなかった。
 
一九八九年の中国の天安門事件のように、反体制派を戦車で轢き殺すようなことをすれば当然強い反発を引き起こす。またカンボジアのポル・ポトがやったように、何百万の人民を鍬や鉄パイプで撲殺する残虐なやり方では、たちまち明るみに出て強い非難を受ける。銃弾を一発も使うことなく、音も無く何百万人もの人民を殺す方法として、食糧配給停止という極めて巧妙狡猾な手段を金正日は考えついた。
 金正日は飢饉を奇貨として、餓死を装って自分の体制を脅かす階層の殺人を敢行したのである。餓死であれば殺人者の行為は隠蔽される。自らの殺意と殺人の手段は巧妙に隠される。意図的な餓死殺人の事実を前にしても、多くの人が食糧不足による自然死であると誤解をしたのはそのためである。金正日にとって食糧不足は願ってもない好機であったのだ。食糧不足を利用して、金正日は自身の生き残りのための必死の戦争を展開したのである。


敵対階層の住む地域

 金正日にとって北朝鮮の北東部は、まつろまぬ地であり、まつろわぬ人民たちであった。
 敵対階層が多く住み、彼らは一朝有事の際には韓国軍に協力して、平壌政権に公然と反旗を翻すと見て戦々恐々とし、常日頃から監視し続けているのである。元北朝鮮の国家安全保衛部の幹部だった脱北者の尹大日(ユンデイル)氏はその著書『北朝鮮・国家安全保衛部』(文藝春秋 二〇〇三年 萩原遼訳)の中で、十号対象と呼ばれる人たちがいて、戦争勃発時には家族もろとも即処刑すると決められており、その処刑場所もあらかじめ決めて置くように指導していたと書いている。
 そもそも咸鏡北道は、都から遠く離れた酷薄の地。一七世紀の李朝封建制の時代から都ソウルの政治家、役人の配流の地であった。その子孫なのか、優秀な人材を排出する地でもあった。
 この地域は旧ソ連と中国に接しているため、日本の植民地時代にはソ連の社会主義思想がいち早く入って来た。そうした環境から、人々の気質も他の地域と違って自由闊達である。
 豆満江(トウマンガン)を挟んで国境を自由に行き来し中国の間島(カンド)地方(今の延辺朝鮮族自治州)には多数の咸鏡道民が移住した。今延辺朝鮮族自治州を中心に中国北東部に住む二〇〇万人の朝鮮人のルーツが咸鏡道であり、話されている朝鮮語は咸鏡道の方言である。日本帝国主義時代、金日成のパルチザン部隊の多くは咸鏡道出身者であった。金日成の前妻金正淑(キムジョンスク)(金正日の母)も咸鏡北道会寧(ヘリョン)の人で、パルチザン部隊の裁縫隊員だった。
 解放後、金日成が数十人のパルチザン仲間とソ連から平壌に帰国し、政権首班になると仲間もみな要職についた。またソ連軍が北朝鮮進駐の際、通訳や補佐官としてソ連のカザフスタンやウズベキスタンなど中央アジアに住む朝鮮人を連れて来た。その多くも咸鏡道の出身者である。
 咸鏡道人脈が党と政府を支配し、解放直後は「平壌は咸鏡道の植民地」と言われたほどである。それだけに金日成と金正日にとって咸鏡道の住民は恐い存在だったと言えよう。敵対階層の住民も、多くはこの地域に強制的に住まわされている。
北朝鮮地図.jpg
「東海(日本海)」と書いてある。ちなみに中国では「東海」とは「東支那海」を指すので、世界中のどこに行っても通用しない名称である。

 一九六〇年代に大挙移住した在日朝鮮人の多くも、咸鏡北道に移住させられた。この地域には炭鉱や鉱山が多い。強制労働の代名詞のように言われる阿吾地(アオジ)炭鉱も咸鏡北道にある。北朝鮮には現在強制収容所が一〇ヵ所ある(前掲の尹大日『北朝鮮・国家安全保衛部』七八〜八一ページ)が、そのうち耀得(ヨドク)収容所など六ヵ所が咸鏡北道と咸鏡南道に集中している。
 一九九〇年一月二十五日付の朝鮮労働党紙「労働新聞」に、金日成の大演説が再録されていた。金日成が一九五九年三月二十三日に行なった演説で、題して「咸鏡北道党組織の課題」。
 咸鏡北道の党組織は地方主義(党中央を軽んじ、我が地方を第一とする反抗的な態度)が根強く、党中央の方針に従わず勝手に活動する、などと厳しく批判した演説である。金日成にとっても咸鏡北道は扱いにくい土地柄であり、相当頭を悩ましたようである。咸鏡北道の中心都市清津市を一九六〇年に直轄市にしたが、七年後に取り消し、格下げしたのはその好例である。
 金日成はこの演説でこう述べている。
 「地方主義、家族主義は宗派(チョンパ)の温床である。これが宗派の始まりであり、発展すれば宗派となる。咸鏡北道の党組織の活動において第一の重要課題は地方主義、家族主義の余毒を取り除くことである。うわべは従う振りをし、裏に回って反逆する分子たちとは妥協のない闘争を行わなければならない」
 チョンパとは北においては反党反革命分子のことで、殺しても飽き足りない階級の敵≠ニされている。咸鏡北道の人間はいつ反抗するかわからないと、金日成も戦々恐々としていたことを示している。
 金正日が一九九〇年一月にこの演説を再録した意図はわからないが、咸鏡北道切り捨ての宣戦布告であったともとれる。
 金正日の敵はアメリカでも韓国でも日本でもない。最も恐ろしいのが国内の人民、中でも主として咸鏡南北道に住む数百万人余の敵対階層である。彼らに対する先制攻撃を加えたのが餓死を偽装した殺人であった。金正日の階級闘争であり、金正日の戦争であった。

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2012年04月13日

韓国密輸の覚醒剤





日立就職差別事件、人権運動が左翼の介入で反日運動へ







「朝鮮人がなぜ『日本名』を名のるのか」 金一勉 1978年 三一書房
日立就職差別と糾弾闘争

愛知県の一隅で生まれて、小・中・高校を一貫して日本名の新井鐘司を用いた朴鐘碩は、日立のソフトウェア戸塚工場の入社試験に応募した。そのときも新井鐘司の名を用い、本籍地に自己の出生地(愛知県)を書き"日本人を装って"受験し、7倍の競争率を突破して合格し、入社通知を受け取った。

ところが、入社の直前に国籍が韓国(人)であることを会社側が知るや、本人に対して"あきらめろ"と連発し、採用を拒否した。この時朴青年には"あきらめろ"の意味と、採用拒否の措置には疑問を抱き、青年らしい率直な気持ちから『これは労働法違反ではないか』と裁判所に訴えることを考えた。動機はきわめて単純である。朴鐘碩は、横浜駅前で入管法反対の街頭署名をしていた4人の日本人学生に、自己の事情を訴えて助けを求めた。これら4人の学生は、朴少年に同情して支援することを約束した。これら学生が<朴君を囲む会>をつくり、裁判手続きを進ませた。

在日朝鮮人二世が、日立会社を相手に"国籍が韓国との理由で入社拒否は不当"と訴訟を起こしたことが報道されるや、広く話題を呼び注目を浴びた。

(中略)
ところで朴君の日立裁判が知れ渡ると、在日朝鮮人の組織である総連も民団も、そっぽを向き、非難を浴びせた。いうなれば、一片の民族精神も主体性も持たず、日本名を常用して日本人に化けて、日本企業に就職を試み、はねられると裁判に訴えるなんて、けしからん、それは結局『同化につながる』、というわけである。

これに反して支援に駆けつけたのは日本青年学生達である。日本各地の部落問題研究会員、日本人の教師、公共団体の新左翼、朝鮮問題学習者、一般市民達である。一方、朝鮮人の支援者は、同化されかかった在日2世や3世の若者達であった。かくて<朴君を囲む会>事務局では、毎月一回の集会を催して日立糾弾の学習を繰り返し、闘争の連帯と差別社会の実情を訴えた。そして参加者達の間に部落差別・在日朝鮮人・天皇制・アジア経済侵略などの学習熱が高揚し、日立闘争への意識も高まっていく。こういう闘争過程で<囲む会>は7〜800名の動員体制をもち、独自で『関東大震災朝鮮人虐殺50周年集会』を共立講堂で催した(73年9月2日)。日本全国の日立の工場と出張所の所在地ごとに<朴君を囲む会>が作られ、多くの日本人の市民と、在日朝鮮人が集結し、地域ごとに日立を糾弾し、団体交渉が行われた。

(中略)
日立への不買運動の火の手がヨーロッパに波及すると、ヨーロッパの新聞が風刺調に日立糾弾の記事を書きたてた。いわく、在日朝鮮人の一青年が、日立のような大企業を相手に喧嘩している、これは実に歴史的な正義の戦いであると、書き、マンガをつけた。

このように日立闘争は国際社会の支援連帯にまで拡大し、ついに日立は、原告朴鐘碩の要求(入社および給与等)を全部認めるに至った。これと同時に、横浜地裁での判決も、朴君の勝利に帰した(1974年7月3日)。







これが今日につづく在日と左翼による対決的な反日権利獲得運動のはじまりなのです.。

 





就職差別は在日コリアンと左翼マスコミにより全て日本社会のせいにされてきましたが・・・・・







「在日韓国・朝鮮人に問う」 佐藤勝己 1991年 亜紀書房
日立闘争の中で、なにが困難であったかと問われれば、民族団体、なかんずく総聯が、我々の運動を、同胞を日本社会に同化させる『ネオ同化主義』の運動だとして『非難』したことであった。

あらゆる運動がそうなのだが、運動にとって最も怖いことは、戦う相手からの攻撃よりも、本来味方であるべきはずの勢力からの攻撃である。

『日立に勤めてどうする気か。裁判をやって同化するなど正気の沙汰ではない』。この意見は総聯をはじめとする、ほとんどの一世の人達の声であった。

「朴君を囲む会」の韓国人部会の責任者であり、在日大韓キリスト教青年会全国協議会の会長でもあった崔勝久氏は、二世である同協議会のメンバーから、日立にかかわることは同化に手を貸すものだという理由で、会長を解任されるという事件まで起きた。

日本の地方公共団体から生活保護を受けるのも、公営住宅に入居するのも全て同化につながるといって総聯は反対した。

筆者に言わせるなら、日本企業への就職の門戸開放に、さらに社会保障の適用に、最も強く反対したのが、1970年代前半における民族団体内部の一世達だったのである。当事者が同化だといって反対しているのに、日本政府が進んで制度的差別を撤廃するはずはない。

(中略)
日本企業への就職は同化であるとして、就職を拒む多数の同胞がおり、他方に、それをよいことにして、彼らを雇用しない日本企業が存在したというのが、日立判決が出た1974年頃までの就職問題の実態だった。






在日コリアン自身が日本企業への就職に反対していたことを初めて知った方も多いでしょう。マスコミがいかに偏った報道をしてきたか分かる話だ。


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なぜマスコミは「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という表現をするのか







朝鮮病と韓国病」 重村智計 1997年 光文社
なぜ日本の新聞は韓国のことは「大韓民国」と書かないのに、北朝鮮については、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と言う表現を使うのか、という質問をよくうける。

これに対して次のように答えるようにしている「韓国では、新聞をテレビも韓国という表現を使っている。しかし、北朝鮮では北朝鮮という表現を使っていない。しかし朝鮮総連はこうした表現で定着させるために、「権利のための闘争」を行った」

じつは、日本のマスコミには1972年の札幌オリンピックまでは「北朝鮮」とか「北鮮」という表現がよく見られた。これに対し北朝鮮を支持する在日朝鮮人の団体として1955年に発足した朝鮮総連(在日朝鮮人総連合会)は、「北朝鮮というのは一地方の名称であって、国家を意味しない」と、マスコミ各社に抗議した。朝鮮総連は、北朝鮮が使っているように「共和国」という表現にするように求めた。しかしこれではどこの「共和国」か分からない。
そこで、新聞各社の幹部と朝鮮総連が交渉した結果、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と一回表記すれば、あとは「北朝鮮」と使ってもいいということになった。北朝鮮側としては、それだけのために「権利のための闘争」をしたのである。ところが、これが日本の読者にはいたって評判が悪い。欧米の新聞は、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」とは表現せず、単に「North
Korea」と書くだけである。






世界のマスコミの中で日本だけが圧力に屈した。 (恥)


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マスコミが恐れる朝鮮総連の抗議活動の実態







「朝鮮総連と収容所共和国」 李英和 1999年 小学館文庫
◇暴力装置と化した朝鮮総連

『李英和を出せ』 『李英和を殺せ』――こう叫びながら、私をめがけて数十名の屈強な若者が次々に突進してくる。百人近い集団が、「救え!北朝鮮の民衆緊急行動ネットワーク」(RENK)の大阪集会を襲った。襲撃の主は、金日成父子を支持する一団だった。近畿一円を中心に、東京からも動員された朝鮮総連のメンバーたちである。この日は、彼らが敬愛してやまない故金日成主席の82回目の誕生日だった。

1994年4月15日(金) この日、北朝鮮では風変わりな"プレゼント"が金日成のもとに届けられた。中国からの「誕生祝い」である。いつもは象牙細工など装飾品なのに、この年に限ってちがった。米1万トン、肉10トン、食用油5トンが届けられた。深刻な食料危機に直面する金日成の北朝鮮。それにふさわしい"友邦"の心遣いだった。日本では朝鮮総連が大々的な祝賀行事を催し、社会党を中心に国会議員が朝鮮総連本部をお祝いに訪れる。
「北朝鮮民主化支援・全国集会
― 特派員と留学生が語る"素顔の北朝鮮"」 ―
わたしたちRENKも、こんな素敵な誕生プレゼントを用意した。のちに「RENK事件」と称されるこの日の出来事。これが金日成主席を激怒させ、北朝鮮の労働党中枢を震撼させる大事件になろうとは… 。
(中略)
集会予定時刻の一時間以上前から、会場周辺は異様な雰囲気に包まれていた。朝鮮総連のメンバーが、隊伍を組んで続々と集まってくる。会場設営のためにRENKのメンバーが到着するや、朝鮮総連の一団が主催者の制止を振り切って会場に乱入する。主催者を小突き回し、備品をひっくり返すなど、乱暴狼籍の限りをはたらいた。その模様を取材していた報道陣も異常な取材妨害を受けた。小突かれたり、胸ぐらを掴まれて会場外に放り出される。あるいは撮影済みのフィルムを奪われ、テレビカメラを壊される。あまりの熾烈さに、10社以上の新聞社・テレビ局の取材陣も茫然自失、顔面蒼白だった。

結局、会場を暴力的に不法占拠され、予定していた屋内集会はできなかった。仕方なく会場前の公園に場所を移し、緊急の抗議集会をもった。日が陰り薄暗くなる7時頃、朝鮮総連の波状攻撃は激しさを増した。朝鮮総連の蛮行に抗議する2台のハンドマイクは、即座に引きちぎられ、無残に壊された。北朝鮮民主化を訴えるRENKの横断幕は破られ、奪い去られた。それどころか、ドサクサまぎれにRENKメンパーのリュックサックを開けて金品を強奪するという、前代未聞の暴挙を働いた。悲鳴と怒号が渦巻き、大阪城近くの会場周辺は修羅場と化した。(中略)

ただならぬ事態に驚いた大阪府警は、200名ほどの機動隊員を緊急動員した。だが、「時すでに遅し」。到着した頃には、現場の混乱状態は、すでに手がつけられなくなっていた。"体育連盟"を中心にした朝鮮総連の突撃隊は、警察官を押し倒し、警備の壁を突き破って襲いかかる。私は服を破かれ、髪の毛を引っ張られて、1時間ばかりモミクチャにされた。仕方なく予定のデモ行進に出発しようとしたが、デモの隊列に朝鮮総連の一団が突撃を繰り返す。

主要な攻撃目標になっている私は結局、機動隊の装甲車に乗せられ、大混乱の現場を「脱出」した。事態収拾のためと、身辺保護のためだった。 …『頭を下げろ!』 装甲車に乗った指揮官は私にこう命令する。朝鮮総連が配置している乗用者の追跡を避けるためだった。床に伏せながら、言い知れぬ怒りと同時に、1ヵ月ほど前のある出来事が私の脳裏をよぎった。『東京の集会は大変だったろう。名古屋の集会はツブす。大阪の集会は絶対に開かせない。事前にツブしてしまう。』3月3日、場所は、在日韓国・朝鮮人が密集して住む大阪・生野区近くの焼肉レストランだった。薄笑いを浮かべながら、朝鮮総連の幹部(大阪府本部監査委員長)は、私にそう言い放った。4月15日の集会を中止するよう、私に強要する席上での暴言である。
(中略)
「脅迫しない」との約束だったが、私のグラスにビールを注ぎながら出てくる言葉は、まぎれもなく脅迫だった。
『4月15日には150人は動員して集会をツブす。なかには気の荒い者もいるから、どんな事態が起きるか分からないぞ。5年や6年のムショ暮らしなど平気な若者がゴロゴロいるからな』
こんな脅迫を自慢気に語る朝鮮総連幹部を目の前にして、「憤り」よりも「哀れ」を感した。この一言が、金父子政権‐朝鮮総連の本質を端的に言いあらわしている。

いまどき、民主主義と人権に"一文の値打ち"も見いださない。むしろ、それを暴力で破壊することに喜びを感ずる。それで給料を貫っているのだから、「この世に羨むものはない」と言うべきなのだろうか。こんな「地上の楽園」の住人による「自慢話」はさらに続く。
『そんなことをすれば、警察の介入を招くし、朝鮮総連の評判も地に落ちることになる。暴力で歴史の流れは正められませんよ』
こう忠告する私に監察委員長は平然と答えて言う。
『少々のことがあっても、日本の新聞は取り上げないし、警察も動かない。そういうことになってるんだ』
国会議員とのコネや、定期的なマスコミ人への酒食の提供、さらにはマスコミへの圧力……。日頃のこんな「努力」を指しての発言、自信なのだろう。


いつしか朝鮮総連は、自らを外交待権のある「大使館」「領事館」と考えるようになった。一連の蛮行を陰で支えたのは、この「錯覚」であり、「思いあがり」だった。実際、93年6月3日のRENK(救え!北朝鮮の民衆緊急行動ネットワーク)結成集会の翌日、朝鮮総連大阪府本部は、「組織部」の名称でこんな「指令書」を出した。「昨日、<李英和>は、我が首領と共和国をけなすために何やら集会なるものを開き、反共和国宣伝を騒がしく繰り広げた。これと時を届じくして、毎日新聞は、李英和をそそのかして反共謀略記事を再ぴ掲載した。<中略>強力な抗議闘争を展開しなければならない」私への抗議電話の集中と、毎日新聞の不買運動が指令の具体的内容である。ちなみに「毎日新聞社に対する抗議活動内容要旨」と題する公式文書が、大阪府警の強制捜査でも押収されている。ここまでされても、北朝鮮の人権間題になると、日本の大新聞は完全に腰が引けるようだ。そんな卑屈な態度が朝鮮総連を勇気づけてきた。実際、北朝鮮帰国者の問題を訴える集会は、これまで妨害続きだった。
(中略)
4月25日、大阪府警が朝鮮総連大阪府本部など、計8ヵ所を家宅捜索した。容疑は、RENK集会に対する「威力業務妨害」だった。1955年に朝鮮総連が結成されて以来の出来事である。朝鮮総連は、証拠隠滅など、事前に何らの「対策」も講じていなかった。あれだけ大暴れしておきながら、不思議な話である。完全に「治外法権」を決め込んでいたのだろう。おかげで、百枚近くのフロッピーディスクをはじめ、大量の「証拠品」を押取されてしまったようだ。そこには指令書や計画書など、襲撃事件の組織性・計画性を示す証拠が山と含まれていた。

この点についてはのちに触れることになる。ともかく、真相を一番よく知るのは、朝鮮総連自身のはずだ。ところが、朝鮮総連は、同事件について、「無関係」との立場を取り続けている。実際、大阪府警と東警察署に対し、1ヵ月近くの間、連日数千人規模の抗議デモをかけた。北朝鮮外務省(外交部)も、すぐさま非難声明を出し、日本政府に謝罪を求めている。北朝鮮政府−朝鮮総連のキャンぺーンはすさまじかった。朝鮮労働党と「友党関孫」にある社会党(当時)の国会議員、親北系の日本の知識人・文化人を根こそぎ動員している。(中略)

◇日本ジャーナリズムの罪と罰

北朝鮮関連書籍はどれも売れている。日本の庶民にとって、隣人の生活ぶりが大きな関心事となっている証拠である。しかし、そんな庶民の関心事については、論戦どころか、事実も大新聞で報道されることがめったにない。いまや最大の謎は、"地上の楽園"の実態から、北朝鮮の民主化・人権問題に対する大マスコミの"奇妙な沈黙"に移りつつある。報道としての"死を招く沈黙"の埋由は、二つに大別できる。

ひとつは、差別問題と同様、北朝鮮の民主化・人権問題を、大マスコミが基本的に"タブー視"している点にある。「何か書くとゴチャゴチャと朝鮮総連がうるさいから……どこの新聞社にも、こういう"リアリスト"の記者がいる。とくに、取材の第一線から外れたデスクに「触らぬ神にたたりなし」の傾向が強い。実際、朝鮮総連による組織的な抗議活動はすさまじい。北朝鮮や朝鮮総連に不都合な報道をしたメディアは集中攻撃を浴ぴてきた。それでも第一線の記者は、勇気をだして記事を上げる。だが、デスクが「塩漬け」にしてしまう。前述の「RENK襲撃事件」では、その傾向が如実に現れた。同事件に関する新聞各紙の扱いは小さかった。大阪府警による朝鮮総連大阪府本部への家宅捜素、およぴ同事件への朝鮮総連の組織的で計画的な関与の証拠押収という「史上初、空前絶後」の出来事。これについても同様だった。もちろん、第一線記者は熱心に取材する。私への取材も「夜討ち朝駆け」状態だった。ところが、問題の核心に触れる記事はついに出なかった

このあたりの事情を某新聞社の記者はこう語る。
日本の警察が朝鮮総連の事務所を家宅捜索したのは、戦後初めてのことだ。それだけの大事件だった。しかし、こんな点がある。朝鮮総連は日本のマスコミの圧力団体だ。彼らに不利な記事が出れぱ、巧妙に圧力を掛けてくる。だから慎重になるほかない。マスコミが朝鮮総連関連の記事を載せる原則は、必ず朝鮮総連のコメントを受けてから書くということだ。したがって、朝鮮総連がコメントを拒否すれぱ、記事を書かない場合が多い

同記者は結局、デスクから「この事件はソフトに扱え」と注文を付けられた。十分な証拠を確保して記事化しても、デスクから「保留」の指示が下りる。抗議する同記者に、デスクはこう答えたという。
『この記事を載せて、数百人の朝鮮総連が会社を取り囲んでデモでもすれば、どうするんだ』
同記者によれば、当時、どの新聞社も似たようなものだったという。
『困難は避けて通るのが日本人の特性だ』と同記者は付け加える。私は朝鮮人だから、よくわからないし、わかりたくもない。

他方で、かつての冷戦構造、あるいは55年体制の"左側"にいて、いまだに社全主義幻想にすがりつく時代錯誤な編集委員がいる新聞社もある。VIP待遇で北朝鮮に招待され、行く先々は事前に準備万端のヤラセ視察。『北朝鮮は素晴らしい。街にゴミひとつない。完成された社会主義だ』……帰ってきて、こんな"ヨタ話"を平気でしては、若い記者をあきれさせる。いくら抗議が嫌で怖くても、重要な問題だと考えれば記事化する。それが大新聞だと私は信じたい







総連に屈する国税・マスコミ・官庁・政治家


















「朝鮮総連工作員」 張龍雲 1999年 小学館文庫
国税対策で暴れる

1967年、大阪国税局資料調査課は商工会会員の経営する遊技施設全店に対して一斉に税務調査を強行してきた。この調査は明らかに朝鮮総連つぶしの政治目的を持っていた。対応をひとつ間違えると、ただちに査察へと移行する、商工会始まって以来の一大事であった。この事件には朝鮮総連本部が大衆動員をかけ、連日大阪国税局に押し寄せた。国税局は機動隊に要請を出し、私たちとにらみ合うこととなり、単なる税金問題が在日朝鮮人弾圧という高度な政治問題に発展していったのである。国税局員たちは、私たちの政治攻勢に色を失った。彼らはこんな一大事に発展するとは予想していなかったようだった。そのうえ彼らが朝銀の調査に入ろうとすると、朝銀は調査、その他帳簿類の提出を全部拒否したため、彼らの資料捕捉率は50パーセントにも及ばなかった。さらに国税調査の対象者たちに緘口令(かんこうれい)を敷き、国税局員が彼らと接触を図ることも私たちが拒否し、あくまで商工会が代理交渉を行うことを譲らなかった。国税局も、商工会の抵抗がこれほど激しいものとは予測していなかったであろう。

しかし、私たちはこの調査を、生活権を根底から奪い取るもの、と解釈したのである。金銭問題をはるかに超え、まさに「生存権確保」の闘いとなっていた。闘いは納税を終えるまで約2年間続き、その間私は国税局に合計48回も足を運んだ。国税局との闘いは徹頭徹尾政治交渉に明け暮れ、在日朝鮮人の歴史的発生原因と差別の現状を強く主張することに終始した。ここで妥協してしまえば、その後の税務交渉へ重大な影響を残し、ひいては商工会の存亡にかかわる問題だったので、商工会の同胞たちもよく働いた。その結果、商工会、朝鮮総連の組織の団結力は強化され、私たち活動家たちは強い使命感を会員たちに与えていった。商工会は以前にましてより強力で、同胞たちに信頼される組織に変貌していったのである。

「日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか」 佐藤勝巳 2002年 草思社





日本が暴力に屈した日(灰色文字は管理人注)
(上記「朝鮮総連工作員」の記述と同時期の話)
朝銀をめぐって最初のトラブルが起きたのは1967(昭和42)年のことである。東京在住の総聯商工人で、のちに暴力団員に殺された具次龍氏の脱税容疑で、国税当局は氏の取引先である朝銀の前身、同和信用組合(台東区上野)に資料の提出をもとめた。同和信組はこれを拒否した。国税局は強制捜査をおこなうことにした。ところが同和信組はシャッターをおろし捜査を実力で阻止した。国税局は機動隊をともなって、バーナーでシャッターを焼き切り、強制捜査を実施した。これを契機に総聯は、全国の総聯系在日朝鮮人多住地域の税務署に「抗議行動」をかけた。各地の税務署で業務妨害が発生した。このとき日本政府は、国家公務員たる税務署員にたいする公務執行妨害でこれを取り締まろうとしなかった。国税局と具次龍氏との脱税に関する和解は1976(昭和51)年に成立した。

その後、先に紹介した国税庁と朝鮮商工会との税金に関する「合意」なるものが交わされた。すなわち社会党の故高沢寅男衆議院議員の部屋で、氏を仲介者として国税庁と朝鮮商工会幹部の話し合いがおこなわれたのである。「現代コリア研究所」はそのときの出席者の名簿をもっている。この具次龍氏の事件以来、総聯は気に入らないことが起きると行政官庁やマスメディアなどに「抗議」という名の「暴力」を公然とふるうようになった。私は1967年の「抗議行動」を、第二次世界大戦後、日本が総聯の暴力に届した恥ずべき日と記録している。ここに紹介したような事例は、いまにいたるまで、あちこちでみられる。1985(昭和60)年12月、関東国税局は東京都北区在住の総聯商工人を脱税容疑で強制捜査した。すると、関東国税局にはもっとも多い日で1日600名の「抗議」が来た。少ないときで100名である。国税局の業務は麻痺状態に陥った。局内では「上はなにをしているのか。仕事にならない」という声がでた。警視庁からは「年末の忙しいときに国税はなにをやっているのか」という不満の声が聞かれたという。

国税局ぱかりではない。大韓航空機を爆破した金賢姫が、ソウルで初めて記者会見したとき、私はテレビ朝日の夕方の番組に解説者として出演した。キャスターから「金賢姫は北の人間ですか」と問われたので「間違いないものと思う」と私は答えた。その直後からフロアがざわつきはじめた。放送が終わってフロアにおりると責任者が飛んできて「先生、大丈夫ですか」という。
「なにがですか」
「先生の発言にたいして抗議の電話が殺到して、局の電話線がパンクしそうです」
まもなく私はフジテレビに出演して同様のことを話した。そのときは総聯の抗議団がテレビ局に来たという。まだある。当時私は、日本テレビにもよく出演していた。あるとき日本テレビの記者が総聯へ取材をしにいくと「あんな男(つまり私のこと)を使っていると総聯に出入り禁止にする」といわれたという。私はそのことを記者から直接聞いた。あのころは私が出演する番組には抗議の電話を集中してかけていたようだ。テレビ局は解説者のいっていることの可否ではなく、抗議に対応する煩わしさから、私のようなコメンテーターを敬遠することになる。かくして総聯は気に入らない人間の発言をテレビ界から追放することができる。私は公安当局者をはじめいろいろな人から「身辺に気をつけてください」といわれた。これは日本人が総聯の直接間接の「暴力」をいかに怖がっているかの証拠である。だが、総聯を支持する在日朝鮮人はいまや赤ん坊も含めて十万人いない。日本人の人口は一億二千万だ。いつまでも総聯を怖がっていれば、「暴力」をちらつかせることによって、十万人が一億二千万人の言論を支配できるということになる。これは日本にとってきわめて深刻な問題ではないか。

卑屈な態度はどこからくるのか

日本のマスメディアの韓国・北朝鮮、あるいは在日韓国人・朝鮮人に関する報道をみていると、じつに奇異な印象を受ける。とくにテレビのキャスターなど、北朝鮮の報道になると腫れものにでも触るように、おそるおそる緊張して話しているのがよくわかる。北朝鮮のあとにつづけて「朝鮮民主主義人民共和国」と必ずいうし、書く。公共の電波を使って北朝鮮のみをフルネームで呼んでいる。それならどうして韓国を「大韓民国」、中国を「中華人民共和国」、米国を「アメリカ合衆国」といわないのか。書かないのか。おそらく放送原稿を書いている人たちも変だと思っているにちがいない。あるいはまた、自国民を拉致した金正日政権にコメを118万トンも無償援助し、四半世紀たつというのに拉致された人たちの生死さえも掴めないでいる。こんな国など、地球上にひとつもないのではなかろうか。韓国にたいする過去の植民地支配の後始末は、1965(昭和40)年、日韓基本条約および諸協定で解決している。そのときから30年以上もたっているのに、なおも謝罪だ、補償だ、はたまた教科書の中身がけしからんといい、日本の首相が靖国神社に参拝するのは軍国主義の復活だとクレームをつける。それにたいしてわが国政府は毅然たる態度でのぞむのではなく、首相がソウルや北京に釈明に赴く。このあまりにも卑屈な態度はいったいなにに由来するのか。心ある国民の不満はいまや極限状況に達している。この章ではその原因について考えてみる。

総聯の抗議が怖い

卑屈にならざるをえないひとつの理由は、総聯からの「抗議」という暴力が怖いから、または鬱陶しいから、ということがある。それはまた、日本がいかに暴力に弱いかということの証明でもある。1980年代末ごろのことである。外務省アジア局は北朝鮮に抑留されている「第18富士山丸」釈放のために頭を悩ませていた。当時、審議官だった元駐中国大使の谷野作太郎氏から「なにかよい解決策はないだろうか」と問われた私は、こう答えた。「簡単です。『第18富士山丸』を返さないなら、北朝鮮を訪問する在日朝鮮人に再入国許可をださないといえば、すぐに解決すると思います」在日外国人が日本国外に出国するのは自由であるが、ふたたび日本に戻る場合は、事前に法務大臣の入国許可を必要とするのである。谷野審議官はこれを聞いて「朝鮮総聯が抗議に来ませんか」といった。「来ると思います。しかし向こうが『人権侵害だ』といったら、『第18富士山丸の日本人にも人権がある。みなさんが北朝鮮を訪問したいなら、北朝鮮政府に第18富士山丸を釈放するよう要請してください』といったらいいでしょう」
「デモが来るでしょうね。外務大臣や首相がデモに耐えられるかどうか……」審議官は語尾を濁した。このやりとりをわかりやすくいえば、デモが怖いから人質をとり返すための制裁措置がとれないということである

第2章で、関東国税局が総聯商工人を脱税容疑で強制捜査したとき、総聯の抗議団が関東国税局に押しよせたことを書いた。その直後、私は所用があって法務省入国管理局の幹部と会った。用件がすんだあと私は、この一件にたいする国税当局と警察の弱腰ぷりを批判した。「行政官庁はみな総聯を怖がっている。強い姿勢でのぞめといっても無埋ですよ」幹部はそういって、私の意見に賛同しなかった。前にも述べたが、総聯が自分たちの気に人らないことを書く報道機関に抗議に行くことは広く知られた事実である。朝銀幹部の逮捕報道にたいして、いまだに『朝日新聞』に抗議に行っていると聞く。こうして、1社でも抗議を受けると、他の報道機関まで自己規制をはじめる。たとえば北朝鮮に批判的な人間に原稿を依頼するさい、「刺激的な表現は避けてください」とつけ加えるといったことになる。

私自身の体験を書く。大韓航空機爆破事件についての私のコメントにたいしてテレビ局に抗議が殺到したことはすでに述べた。総聯は私を過大評価しているとしか思えないのだが、端的にいって民放テレビ局は視聴率を稼ぐのが第一で、ことの是非は二の次だ。スポンサーの意向も大きいだろう。ましてや電話がパンク寸前ともなれば、本来の仕事ができない。社員の身の安全だって心配だ。となるとテレビ局は、私のように物議をかもす人間は敬遠し、「毒にも薬にもならない」大学教授を使うことになる。かくして自分の気に入らない者を、多大な影響力をもつテレビで発言させない、という総聯の目的は達成されるわけである。

「わが朝鮮総連の罪と罰」 韓光煕著 野村旗守取材構成 2002年 文藝春秋
(著者の韓光煕氏は元朝鮮総連中央本部財政局副局長)

少年が高校3年の秋、事件が起きた。宇都宮のデパートでたしか「アメリカインディアン民芸品展」というような催しがあった。銀製の装飾品や刺繍などを中心にした展覧会だったが、そのなかでもひときわ豪奢な銀の首飾りが、展覧会の途中で忽然とどこかへ消えたのだ。疑われたのが、展覧会にやってきてその首飾りにしきりに興味を示した金少年だったというわけだ。少年の母親から県本部に電話があったのは、午前中だった。前日の夕方、警察が家に来て、金を引っぱっていったまま帰してくれないという。すわ一大事と、私と梁俊沢は警察に顔の利く鄭という商工人に電話して応援を頼み、市内の警察署に駆けつけた。午前10時か11時くらいであったと思う。受付の女性警官が「別室へどうぞ」と言うのを振り切り、
「いますぐここへ署長を呼べ!」と、まず梁が一喝した。
あいにく、署長は留守とかで、課長だか誰だかが出てきたが、私たちは衆人環視のなか、相手に口を挟む余地を与えないほどの勢いで矢継ぎ早にまくし立てた。
「少年がやったという証拠でもあるのか!」
「目撃者はいるのか!」
「朝鮮人だというだけで犯人扱いか!」
「民族差別だ!」
私たちは全員で激しく机を叩いて喚き散らした。そこにいた全員が呆気にとられてこちらを見ている。これは我々朝鮮総連の悪い癖である。日本の当局と交渉するにあたっては、何かにつけて「民族差別」だの「過去の歴史」だのを持ち出してことさら猛々しく振る舞い、理不尽な要求でものませようとする。そうすると、敗戦によって贖罪意識を植えつけられている日本人は決まっておとなしくなってしまうのだ。この方法はたいていうまくいった。しかしこのときに関して言えば、事実、金少年は冤罪であった。その日の午後、宇都宮駅のトイレから紛失したはずの銀の首飾りが出てきた。

Link 怪文書保存館 / チマチョゴリ事件は我々の自作自演だ
朝鮮総連と報道マスコミが密接な関係であることを窺わせる記事。NHK・民放キー局の報道局長が揃って金正日を祝福。
Link 朝鮮新報社 / 東京で金正日総書記推戴の祝賀宴






朝鮮総連の顔色をうかがう大マスコミ。朝銀破綻問題・不正送金・政治献金疑惑すべて闇の中

 







韓国の日本マスコミ工作も巧妙だった。現在のマスコミの親韓報道はその成果か?
Link 朝鮮新報社 / KCIAの対日マスコミ工作
外国の手先となったマスコミ・政治家の実例
Link 国際派日本人養成講座 / 中国の友人


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在日朝鮮人と税金問題





左翼と在日韓国人は地方参政権獲得の根拠に日本人と同じ納税義務を果たしていると言っているのだが・・・・・


















「別冊宝島 朝鮮総聯の研究」 1995年 日名子暁他 宝島社
私が「商工連合会」と付き合うこれだけの理由
谷川宏夫さん(仮名、31歳)は、祖父が始めたパチンコ店グループを引き継ぐ在日3世である。その谷川さんにパチンコ業と朝鮮総聯ならびに北朝鮮との係わりを語ってもらった。

いま日本全国に約1万8000軒のパチンコ店があります。推定ですが、いわゆる"北"のパチンコ店は5000軒程度あるとみていいと思います。これだけのパチンコ店が、総聯と親しいわけです。正確に言いますと、各地方にある商工会(在日本朝鮮人商工連合会(朝鮮総聯の傘下団体))に加入していて、定期刊行物代を含めて月々2万円の会費を払っています。私のところも祖父の代からそうですが、だからといって、私自身には商工会に加入することで北朝鮮を支持するというような政治的意図はまったくありませんね。むしろ、いまでは政治的意図を持つ人は少ないんじゃないでしょうか。ではなぜ総聯系の朝鮮商工会に加入するのかといえぱ、理由はいたって簡単です。私どものビジネスにとって、商工会が税務処理上できわめて強力な味方になってくれるからです。
(中略)
現状は、個々のパチンコ店が、それぞれに税務対策をしているわけです。そのなかで、私なんかは実績からみて商工会がいちばん頼りになると判断しているわけですよ。日本の税埋士さんではこんなことはできない。仮にですよ、私がざっと計算してこの年は3億円の税金を持っていかれると思い、商工会に相談しますね。商工会の税務担当は、長年、税金を扱っているプロ中のプロですので、表も裏も知りつくしている。帳簿を見ると、これはどのくらいの税金を払えばいいかという「落としどころ」が分かるわけですよ。私が3億円と計算したところを、彼らは8000万円で済むと読む。そうであれぱ、私は2億2000万円の節税になるわけですよね。この3億円と8000万円は、机上の数字ではありませんよ。商工会に依頼すれば、事実、このぐらいの比率で節税ができます。

商工会への謝礼ですか? 決算月に月々の会費の1年分の24万円を別に払います。ですから、毎年、商工会へは48万円を払っている計算になります。それに加えて、さっき言った「落としどころ」の3%、これがいわば暗黙の交渉手数料です。まあ最低でもこれだけはお願いしますという額ですね。つまり、「落としどころ」が8000万円だったら240万円ですね。"3億円"の例で言いますと、年会費の48万円に、この240万円で、合計288万円でしょう。それを払ったとしても、2億2000万円の節税ができるなら誰でも商工会に加入しますよね。あなたが商売人だったら、やはりそうするでしょう。その上、ここに支払った金は裏金でもなんでもない。商工会がちゃんと領収証を発行してくれる、何の問題もないお金ですからね。その見返りがきついだろうって? そんなもん、何もありませんよ。会費を払えば、新聞と雑誌を送ってきます。もっとも私はほとんど読みませんがね。あとは年に2回くらい、ハチミツとか金剛山の石とかの特産品を購入してくれませんかといった依頼があります。現地価格に比べれば高いかもしれませんが、日本国内の価格だと割安です。つきあいで買うこともありますよ。

商工会とのつきあいは、そんなものですよ。あくまでも税務対策上のもの。なぜ、商工会にそんなカがあるのかって? これは朝鮮商工会の歴史と実績としかいいようがないでしょうね。だって、国税庁との覚え書きがあるという噂があるのば朝鮮商工会ぐらいのものでしょう。そうなったのは、76年頃からだったとも聞いていますよ。ですから、私のところの税金申告書の担当税理士欄には、朝鮮商工会の印が捺してあります。で、窓口での交渉は、税務署と商工会ということになりますね。私は、いっさい関係なしでね。その結果が、さっき話したとおりですよ。商工会も、いろいろ裏技を使っているようですね。たとえば、退官した税務署員は、ほとんどが税埋士になるわけですよね。彼らに仕事をまわすとか…。パチンコ店というのは、彼らにとっても将来的にありがたいクライアントでしょう。実際に税務署との交渉に当たるのは、ベテランの商工会の理事長とか副理事長といった幹部クラスです。
(中略)
私たちは、再三言いますように、商工会に力があるのでつきあっているわけです。政治信条でつきあっているわけじやないんです。これは商工会だけでなく、朝信協(在日本朝鮮信用組合協会(朝鮮総聯の傘下団体))でも同じことですね。たとえば商売をしていると、なんらかの理由でウチに査察が入ったとする。そうすればメインバンク、銀行にも査察が入るでしょう。そういう場合、日本の銀行だと国のいうがままに協力し、私たちの取引内容を教えてしまう。担当者だって、守ったところでメリットはない。何かあれば彼の首が飛ぶわけです。彼だって、つまらないところで失点を増やしたくないでしょうからね。ところが、朝信協は違います。頑として抵抗する。身体を張ってでも、私たちの取引内容を公開しない。これば、身内意識というか、情というんでしょうね。商工会も朝信協も、いったん懐に飛び込むと徹底して守ってくれますね。それを政治的にどうこう、と考える人もいるのでしょうが、昔はともかく今は政治とは関係ないと考える人間が多いんじやないですか。

「北朝鮮「恨」の核戦略」 佐藤克巳 1993年 光文社
『総聯と信用組合は治外法権なのだ』

著者の知人の商工人が、東京朝鮮信用組合のある支店と、融資問題をめぐってトラブルを起こし、口論になったことがある。知人が「こんなデタラメなことをやっているのなら、訴えてやる」と言ったら、対応に出ていた部長が「訴えられても痛くも痒くもない。総聯と信用組合は治外法権なのだ」と叫んだという。口論であるから額面どおりには受け取れないにしても、「なるほど」と思わせる事象はたしかにある。1990年12月1日、朝鮮総聯は『総聯』という本を発行した。そのなかに、こういう一節がある。

「総聯は日本当局の不当な税務攻勢を是正させ、税金間題を公正に解決するため辛抱強く闘争した。その粘り強い努力の結果として、1976年に在日朝鮮人商工連合会と日本国税当局との間で税金問題解決に関する5項目の合意が成立した」として、次の5項目を挙げている。
(1)朝鮮商工人たちのすべての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する。
(2)定期定額の商工団体の会費は損金として認める。
(3)学校運営の負担金に対しては建設的に解決する。
(4)経済活動のための第三国旅行の費用は損金として認める
(5)裁判中の諸事件は協議して解決する。

もしここに書かれていることが事実だとすれば、国税庁は、朝鮮商工会に対し、「治外法権」ではないにしても「特権」を認めていることになる。これは、万人は法の前には平等という原則を国税庁自らが崩しているという、きわめて深刻な問題が発生しているのである

なぜこんなことが起きるのか。
彼らは「不当な税務攻撃を是正させ」るため「辛抱強く闘争した」と言っているが、実態は日本の税務当局の税務調査に「実力」で対抗してぎたというのが正しい。代表的な例を挙げよう。1967年12月、国税当局は、東京在住の金融業をやっている某総聯系「商工人」を脱税容疑で調査した。その過程で東京朝鮮信用組合の前身である「同和信用組合」に容疑者の取引資料の提出を求めた。同信用組合はそれを拒否、多くの総聯系同胞を動員し、実力で調査官の立ち入りを拒んだ。最後には機動隊が出動せざるをえなかったという事件が起きている。

これだけではない。国税局が強制的な税務調査を行なうと、総聯系在日朝鮮人を大量動員し、税務暑に抗議行動という名の「実力行使」を行なってきた例は多い。その「成果」が、右に記された「合意書」なるものである。国税局は、「合意書」(1)のようなことは総聯以外のいかなる団体にも認めていないはずだ。こんなことを認めたら日本の税務行政は、崩壊してしまう。総聯は、それを認めさせたのであるから、「治外法権」ということになるのかもしれない。

国税局にかぎったことではないが、日本の行政・マスコミは総聯の「抗議」という名の「暴力」に屈し、政治家はカネに屈する。その結果、信じ難い額のカネが金日成父子政権に流れ、それが核開発などに使われてきたのだ

「在日朝鮮人企業活動形成史」 呉圭祥 1992年 雄山閣出版
1976年11月に商工連合会の代表者が田辺国税庁長官と会談し、在日朝鮮商工人の税金問題に関する合意を得た。ここでは国税庁の国税課長も同席し、日本社会党の衆議院議員が立会人となっている

その内容は次のとおりである。
1、在日朝鮮人の税金問題は朝鮮人商工会との協議によって解決する
2、定期定額の商工団体の会費は損金と認める。
3、朝鮮人学校運営の負担金については前向きに検討する。
4、経済活動のための第三国への旅行の費用は損金と認める。
5、法廷での係争中の諸案件は話し合いで解決する

この「合意事項」が成立したのは商工団体が税金問題解決のために実質的な団体交渉権を行使するようになったという点で貴重な成果といえる。

(中略)
商工団体と商工人たちは、1976年の5項目の合意を形骸化しようとする日本当局の策動に反対し、不当な税金攻勢に反対する運動を引き続き展開した。
そのいくつかをみると、1985年12月11日に行われた東京商工人に対する日本税務当局の強制査察に反対する運動がある。

(中略)
総連と商工会の役員同胞たちは、日本当局の税金弾圧に憤激を押さえきれず、抗議要請行動を連日のように行った。

(中略)
1982年の秋から7年の間に滋賀、東京、兵庫、愛知、岩手、大阪など16ヵ所で商工会会員に対する「強制調査」が行われている(商工連調べ)、各地の商工団体はその都度、大衆的な弾圧反対運動をくり広げた

Link 國民新聞 / 国税庁・朝鮮総聨の密約文書発見
Link 平沢勝栄代議士のHP / 税を誤魔化し、北送するシステム
Link 産經新聞Web / 「民主無窮花」金正日・代表幹事に聞く




社会党の衆議院議員が立会人となっている、というのが朝鮮総連との密接な関係をうかがわせる。選挙での見返り(票)を期待できない団体に、ここまで肩入れするのは何を期待しているのか? アレか…



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朝銀問題の暗部




Link 朝銀って何?公的資金投入って何?
Link 小池百合子代議士のHP / 朝銀問題特集 / 理由なき「朝銀救済」を糾す!





総連の地上げビジネスと朝銀






「わが朝鮮総連の罪と罰」 韓光煕著 野村旗守取材構成 2002年 文藝春秋
(著者の韓光煕氏は元朝鮮総連中央本部財政局副局長)

パチンコとおなじくらい総連が力を注いだのが、地上げビジネスである。
(中略)
周知の通り、地上げというのは、土地を買い上げそれを転売する仕事である。80年代も後半に入ると、日本の都市部の土地は凄まじい勢いで値をつり上げていった。不動産業者は都会の一等地を目指して巨額の投資をつぎ込みはじめた。土地を買いたい人と売りたい人がいて、値段が析り合えばこれを買うというなら何も問題はない。しかし、その土地がどうしても欲しいが、地主が絶対に売りたくないという場合もある。どうしても売りたくはないというなら諦めるしかないが、やっかいなのは、売りたい地主と売りたくない地主が混在している場合である。そして、駅前などの一等地というのは、大抵がこのケースなのだ。ここにやくざやブローカーが介在する余地が生まれる。彼らは地上げ屋と呼ばれた。地上げ屋は「売りたくない」と頑固に拒み続ける地主を説得し、ときには暴力的に脅しつけて売買契約書に捺印させる。他人様から恨まれる商売だから、やはり堅気の人間はやりたがらない。そして、他人がやりたがらない商売というのは、おうおうにして利益が大きいのである。総連がここに眼をつけたのは、自然の理だった。

さらに、地上げというビジネスは巨額の裏金を必要とする。地権者に対して領取書のいらない現金を渡せる者だけが、土地を取得できる仕組みになっている。土地をいくらで売ったかということがわかれば、地権者は応分の税金を払わなければならないからだ。これは大企業には絶対に真似のできない芸当である。大企業がそんな出所不明のカネをひそかに動かそうとすれば、かならず税務署に眼をつけられる。それに、彼らの取引先である大手銀行の出納にも常に国税の眼が光っている。朝銀という小規模な信用組合のなかに大量の裏金を貯えていた朝鮮総連にとってはまさにうってつけのビジネスであった

総連の手がけた地上げには、私が知っている範囲だけでも、大きなものが3件あった。名古屋の新幹線駅周辺、大阪・吹田市の江坂駅近くの高層ビルの建て直し、それから北九州市小倉区のある旧市街を街ごとすべて買い上げる計画である。いずれも80年代の後半にはじまった。名古屋に関しては200億円くらいの投資をつぎ込んで駅周辺一体のごちやごちゃした土地を買い上げ、それを大手建設会社数社を含む業者に転売した。これの利益がおよそ20億円あったのだが、この転売で当然生ずるはずの譲渡税を朝鮮総連はほとんど払っていない。この当時、土地を転がせば簡単に億単位の利益が転がり込んできたが、それがそのまま取入になるわけではない。5年以内の短期で転売しようとすれば、最大約9割ものべらばうな税金をとられる。しかし税務対策は総連にとってお手の物だから、なんとか誤魔化せるだろうと高をくくっていたようだしかし、このときはさすがに額が大きかったから、税務署の眼も厳しかった。名古屋の国税が中央本部に乗り込む直前までいき、総連は大騒ぎになったのである。我々は慌てふためいて身構えていたのだが、結局、査察が入ることはなかった。陰で強力な政治の力が働いたのであろうことは想像に難くない。

次に手をつけたのが、大阪だった… おそらくこれがいちばん儲かったケースではないか。このときには、約60億の投資で利益が40億もあった。(中略)さらに、広島や浦和でも大規模な地上げがおこなわれていたというし、他にも全国各地で総連の名を隠して強引な土地買取が進められていたはずである。山梨や滋賀では大規模なゴルフ場開発もはじまっていた。これらの投資につぎ込まれた資金がどこから出ていたかといえば、そのほとんどは朝鮮総連が全国に保有していた民族学校などの民族共有資産を担保に入れて融資を引き出したものであった。後に、財政局長の康永官が作成した資料によると、総連関係資産で担保に入っているものは、2000億円から3000億円という。私はおそらくその倍以上が担保に入っていると思う。そして、そのうち、かなりの部分がこれらの地上げの資金につぎ込まれたはずだ。つまり、表舞台にこそ顔を出さなかったものの、その当時の朝鮮総連とは日本有数の地上げ屋集団であったということなのだ






総連の買収攻勢と政治家そして朝銀救済










「朝鮮総連工作員」 張龍雲 1999年 小学館文庫
(著者の張龍雲氏は在日朝鮮人で北朝鮮の秘密工作機関『洛東江』の在日工作員だった。)
多くの日本人政治家は朝鮮総連によって手なずけられている。旧社会党の幹部や書記長クラスは当然のこととして、朝鮮総連はかなりの国会議員に賄賂を贈るように指示している。そして実際贈ったすべての国会議員が受け取ったといわれている。清廉潔白でかつて総埋大臣候補にも名前の挙がった、会津武士の風貌をした国会議員も、最後には落ちたと聞いている。日本政府は、私たち工作員から見れば、朝鮮総連と一蓮托生になっている。国民が不可解に思う対北朝鮮外交は、そうした日本政府の姿勢の表れなのだ。朝銀が不良債権のために仮に整理銀行となっても、その内情は国民に十分知らされることはないだろう。国民に知らせてはならない内情があるからだ。実際、日本の大手都市銀行も北朝鮮への送金にはかなりの部分関与しており、これを大蔵官僚も了解している。このようなことが白日の下にさらされることは決してない。

「日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか」 佐藤勝巳 2002年 草思社
北朝鮮からみた対日政策でもっとも重要なことは、日本の政治をいかにして韓国から引き離し、北朝鮮寄りにもっていくかにある。私は帰国運動の第一線にいたとき、信じがたいことを目撃した。1963(昭和38)年5月1日、総聯は「祖国自由往来」なる運動を提起した。在日朝鮮人が北朝鮮に自由に往来できるようにするという運動だが、そのためにとった戦術は、まずは地方議会にこれを決議させ、日本政府に圧力をかけるというものである。地方議員は圧倒的に保守系であったが、この人たちの賛成がなければ決議は実現できない。そこで総聯は、「飲ませる、食わせる」はもちろんのこと買収あるいは女性を与えるという、「目的のためには手段を選ばぬ」方法をとった。みるにみかねた私は、公式の会議の場で総聯の責任者に向かって「間違った運動である」と批判した。彼は「われわれの苦痛がわからないから、そんなことをいうのだ」と答えた。振りかえってみると当時は、「日韓会談反対」などといっても耳を貸す人がいないとなると、役員が「佐藤君、労働組合の幹部を集めて総聯にご馳走してもらって、運動をもりあげよう」といっているような時代だった。そのころの私は朝鮮問題にかかわって数年、右も左もわからない若僧だった。だから、県の総聯の責任者や日本人役員は特別なのだろうぐらいにしか思わなかった。

しかし、その後、東京にでてきた私の視野はいっきょにひろがった。私は現代コリア研究所の前身である「日本朝鮮研究所」に所属した。以後、総聯幹部から入ってくるのは「社会党の議員にカネをいくらやった」とか「学者にこれだけやった」といった薄汚い話ばかりで、田舎からやって来た私はわが耳を疑った。新潟では想像もできないほど不気味な世界が東京にはあった。なにをして食べているのかわからない人たちがゴロゴロしている。総聯活動家のいっていることも、はたしてどこまで信じていいのか、私にはわからなくなった。1968(昭和43)年、日本朝鮮研究所は北朝鮮の評価をめぐって揺れていた。その年の暮れも押しつまったころ、総聯国際部の幹部が私に会いたいといい、彼はこう申しでた。「おたくは、組織は大きくないが雑誌をもっているので無視できない存在です。年を越すのに必要なカネをいってください。援助します」私はこれを丁重に断った。もうそのころには、総聯幹部の申し出がなにを意味するのかわからないほど私も幼くはなかった。

同じころ、こんな経験もした。ある在日朝鮮人の知人に頼まれて出版社を紹介し、その人の本がそこから出版されることが決まった。食事を一緒にして別れぎわに彼は私のポケットにおカネをねじこんできた。そのとき私は、朝鮮人はわれわれとカネにたいする感覚がちがうのではないかと気がついた。さらにそれから十年近くたってからのことである。見知らぬ朝鮮人から会いたいという電話があり、私たちは新橋のホテルで食事をした。その人物はいった。
「私は北朝鮮の対外調査部と関係がある人間です。こんご、つき合ってもらえませんか」
「最初からそうやって身分を明らかにしていただくと助かります。おつき合いするのはかまいませんよ」
私がそういった瞬間、彼は衆人環視のなか右手に握っていた札束をいきなり私のポケットに入れようとした。私は慌てて断ったのだが、一瞬、この場面が写真に撮られているのではないかと思って周囲をみまわした。
日本の社会では近づきのしるしにカネを渡すということはない。私はこの一件があって以来、朝鮮半島の南北の政治の世界でのカネのありように注目するようになった。

政治制度にちがいはあるが、北も南もトップがカネを集め、それを使って自分の考えどおりに政治をもっていくのは同じだ。カネは権力者が集めて配るものだ。政治はたえずカネを媒介にして動いている。北朝鮮ではいたるところに、これは「金日成さまがくださった○○」と書いてある。また、属する階層によって異なるが、金日成主席、金正日国防委員長の誕生日には全国民に食べものなどが配られる。ここでは、政治とは王さまが下々の者にカネやモノを恵んでやることであり、政治理念はそのつぎだ。韓国ではこれほど露骨ではないにしても、日本とは比較にならないほど大統領と財閥の癒着は根深く、この関係は延々とつづいている。金泳三前大統領の息子は韓宝不正事件で逮捕され、金大中大統領の子どもは癒着の批判を受けて米国へ出国した。伝統思想を克服するのは容易ではないということだろうが、北朝鮮はこうした彼ら流の考え方をもってわが国政治家に接近し、かれらの政治目的を果たしてきたのである。

金丸氏の金の延べ棒はどこから来たのか

以下は日本社会党本部に勤務していた人から直接聞いた話である。(旧)社会党のなかにはかつて「朝鮮問題特別委員会」という組織があった。安宅常雄、米田東吾両氏が委員長をしていた時代、委員会が開かれるときはつねに総聯国際局の幹部が出席していたという。
「どうして、そんなことをしていたのですか」私はその人に尋ねた。
「総聯が『朝鮮問題待別委員会』に資金をだしていたからですよ。それだけじゃありません。なにかの声明をだすときは総聯国際局の幹部が書いてきた声明文を下敷きにして議論をしていたのです。これでオーケーということになると、総聯幹部がこれをもち帰って総聯の印刷所で印刷し、それが『社会党朝鮮問題特別委員会声明』として配布されていたんです」
「だれも変だと思わなかったのですか」
「北朝鮮や総聯は絶対に正しいと考えているから、だれも問題だとは考えませんでした。むしろこれが連帯だと思っていたのでしょう」
北朝鮮はこのようにして(旧)社会党にカネを使ってきたが、期待したような成果をあげることができなかった。そこで、こんどは狙いを自民党にしぼった。このとき北朝鮮は中曾根康弘、竹下登、宮沢喜一、海部俊樹、金丸信の5氏の名前をあげて、だれがいちばん利用価値があるかを検討し、その結果、金丸氏に決まったと北朝鮮の政治上層部に詳しい在日朝鮮人が教えてくれた。

金丸氏が脱税容疑で家宅捜索を受けたとき、氏の金庫から無刻印〔品質保証がないもの〕の金の延べ棒がたくさんでてきた。国際市場において無刻印の延べ棒は北朝鮮のものだけだ。金丸氏が所有していた金の延べ棒は金日成主席から贈られたものであることは間達いない。事実、金丸氏は当時、「金日成さんからもらった」と側近に語っている。北朝鮮の政治文化からいって、金の延べ棒を金丸氏に贈ることなどしごく当たり前のことだ。第6章で詳しく述べるが、金丸氏が1990年に訪朝したときにだした「3党共同宣言」では「戦後の謝罪と償い」が論しられているが、それが金の延べ棒の代償だとすると、とんでもないことになる。この「三党共同宣言」が発表されてから一年後、総聯から金丸氏に30億円、金丸氏とともに訪朝した(旧)社会党の田辺誠氏に20億円、合計50億円のカネが動いたという話が関係筋で流れた。この情報を追っていたジャーナリストは、ある程度の裏はとれたようだが、カネを運んだ人物に直接取材ができず、結局、活字にはできなかったという。

北朝鮮や韓国にまつわる話はつねに話が大きいのが特徴で、とくに数字に関してはあまり信用でさない。そこで私は総聯の老幹部に尋ねた。
「50億ではなく5億円ではないのですか」
「北朝鮮と国交が樹立して円借款がなされるとき、ゼロをひとつ多くつけてもらえば十分元がとれる。それを考えれば50億円は安い先行投資ですよ」
老幹部の答えを聞いて、私は自分の認識の甘さを恥じた。

元北朝鮮工作員の張龍雲氏の書いた『朝鮮総連工作員』〔小学館〕には「朝鮮総聯はかなりの国会議員に賄賂を贈るよう指示されている。そして実際に贈った全ての国会議員が受け取ったと言われている」とある。私は総聯の元大幹部に該当筒所を示して「総聯のだれが、買収対象議員と買収金額を決めているのか」と聞いたことがある。「総聯に決定権はないですよ。買収対象議員と金額は、平壌(の金容淳書記)から総聯に指示されてきます。買収費の3分の1は平壌が負担し、残りの3分の2は各地の朝銀が負担するのです」この大幹部と先の老幹部の発言を裏づけるのがつぎの事実である。

1997(平成9)年5月、朝銀大阪が破綻した直後、自民党内にある「アジア太平洋小委員会」が破綻の原因を究明しようとしたところ、党執行部から圧力がかかり、会合は1回で終わった。1999(平成11年5月、東京朝銀などが破綻した。このときは自民党内の「朝鮮問題小委員会」が破綻原因を追及しようとして会合を開いた。関係者の発言でわかったことだが、これもまた執行部の圧力により、つぎの会合を開くことができずに終わっている。控えめにいって自民党執行部の態度は不可解だ。だれが考えても、朝銀と自民党のあいだにはなにか関係があると思うだろう。この期におよんで朝銀にどうして公的資金の贈与ということになるのか。この暗部を切開しないかぎり、小泉内閣に政治改革をしたなどとはいわせない。

朝鮮半島問題で、金丸氏のつぎに登場してきたのが渡辺美智雄、加藤紘一、野中広務、中出正暉の各氏だ。中山氏を除いて、かれらが日朝交渉再開に動いたときはいずれも自民党の実力者であり、いい合わせたように北朝鮮にコメ支援をしている。前述のように北朝鮮の政治文化からいって、日本の政治の実力者には必ずカネをもっていっていると思う。なぜなら、吹けば飛ぷような民間研究所すら買収しようと働きかけてくる人たちだ。飛ぶ鳥を落とす勢いの政治家にカネをもっていかないはずがなかろう。問題は、これらの政治家がそのカネを受けとったかどうかである。逮捕された東京朝銀の幹部三人については、総聯とは無関係に分離裁判がおこなわれることが伝わってきている。三人のなかには、日本の政治家にカネをもっていったと自供している人が含まれているのだ。私はかれらの裁判に大いに注目している。






上記引用文で登場した米田東吾議員(故人)の呆れた「主従関係」パフォーマンス






「戦後史のなかの日本社会党」 原彬久 2000年 中公新書
社会党第五次訪朝団が派遣された78年といえば、金日成から金正日へと独裁権の「世襲」が固まっていく時期にあたる。社会主義とはおよそ異質の体制が着々と構築されていくのである。社会党はマルクス・レーニン主義ならぬ金日成の「封建的独裁体制」に終始称揚を惜しまなかったという事実は重い。
一つのエピソードがある。朝鮮労働党との共同声明で金日成を「偉大な指導者」と褒め称えた第五次訪朝団(1978年5月。団長・飛鳥田委員長)が金日成その人との昼食会に臨んだ時である。随行員の河上民雄(国際局長)はこう回想する。飛鳥田委員長の質問を受けて金日成が細かい数字などを陪席の部下に尋ねると、「問われた人は食事中の箸を箸置きの上に置いてさっと立ち上がり答える」。やがて金日成から社会党団員に質問が飛ぶ。「あなたは何回朝鮮に来られたか」という「首領」の「ご下問」に団員の一人である「親朝派」米田東吾(衆議院議員)は金日成の部下と同じく、「すっと立ち上がって」すぐさま、「9回です」と答えたという。(河上民雄「社会党の外交」)。他国の「偉大な指導者」に畏服する公党代表の恭順な姿ではある。






警察の行った「朝銀の資金不正流用問題」捜査で、社会民主党(旧社会党の本流)副党首が朝鮮総聯に同調して、日本警察に対し「捜査の名を借りた人権侵害、民族差別である」と厳重抗議。
Link 朝鮮新報 / 総聯への強制捜索 過ち認め公式謝罪を / 総聯に対する政治弾圧を糾弾





平沢勝栄代議士の名言  『社民党は北朝鮮の族議員だ』


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戦後在日朝鮮人の日本国籍離脱問題
終戦後、「もう我々は敗戦国の日本人ではない」と言って、闇市などで法律を無視して傍若無人の振る舞いをした在日コリアン達が、時代が変わると権利獲得運動のためか「ある日突然一言の挨拶もなく日本国籍を奪われた」と日本政府を非難しマスコミに訴えています。







週刊新潮2000年10月12日号 迷走日本の原点 櫻井良子
(西岡力氏の談として)
ある日突然、日本国籍がなくなったのは韓国政府の決定で、日本国が決めたのではないのです。非常に多くの人がこの点を誤解しています。

日本は敗戦し1952年までGHQの占領下で国家としての独立を失っていた。一方、朝鮮半島では1948年に相次いで大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が樹立、50年には朝鮮戦争が始まった。その前年の1949年10月7日、駐日大韓民国代表部はマッカーサー連合国司令官に「在日韓国人の法的地位に関する見解」を伝え、在日大韓民国国民の国籍は母国の韓国であり、日本国籍は完全に離脱したと宣言したのだ。日本国籍を離脱、つまり捨てさせたのは、日本側ではなく韓国政府であり、それに対抗する北朝鮮政府だったのだ。1952年に日本がサンフランシスコ講和条約を結んで独立を回復した時は、在日の朝鮮半島出身者は、すでに日本国籍を捨て韓国籍を選ぶのか、北朝鮮籍にするのかで激しく対立していた。日本国が彼らに日本国籍を選ぶか否かなどと言える状況ではなかった。










朝連機関紙「民衆新聞」9号(1946年1月15日)より 2ちゃんねる投稿から
「日本政府が本当の民主主義国家であるならば当然日本内に居住する人民に選挙権、被選挙権を付与しなければならない。百数十万の人口を持つわれわれに、当然に与えられなければならない。われわれは解放された自主独立の外国人の立場を堅持しながら、生活の根拠を日本に持つ外国市民の立場として自分自身の生活を守り、36年間受けてきた迫害と虐待に対する報復のために、また侵略的日本軍国主義天皇制を打倒するために総選挙に参加する。」









「体験で語る解放後の在日朝鮮人運動」 姜在彦 1989年 神戸学生青年センター出版部
1954年11月8日に、平壌放送で南日外相の放送があり、この放送の中ではっきりと、在日朝鮮人は朝鮮民主主義人民共和国の公民であると宣言されます。これがのちに、朝鮮総連の第一綱領になります。



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日本人がソウルを漢字で「京城
」と書くと差別者扱いされますが・・・・・






「韓国人の歴史観」 黒田勝弘 平成11年 文春新書
「ソウル」か「漢城」か

ところで余談だが、中国は今なお韓国の首都・ソウルを「漢城」と表記している。政府も民間もそうである。「漢城」とは朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代の首都名である。中国と服属関係にあって「朝鮮」という国号から年号制定など、あらゆる分野で中国に従っていた李氏朝鮮である。首都の「漢城」にもまた「漢(中国)の城(まち)という意味合いが込められ、そのように命名されたのだろう。あるいはそう見られても仕方ない。「漢城」は日本支配時代に「京城」に変えられた。「京」とは「みやこ」である。よって「京城」とは「みやこのまち」となるが、1945年に日本支配から解放された後、韓国は首都の名前を「漢城」でも「京城」でもない「ソウル」と命名した。漢字表記のない固有の名称として韓国人のナショナリズムが込められている。したがって愛着もひとしおである。

韓国政府は中国との国交正常化に際し、この首都名の表記を「漢城」ではなく「ソウル」にしてほしいと要望したのである。しかし「ソウル」には本来、漢字表記がない。そこで韓国政府は中国語の外来語表記として「ソウル」にあてはまる漢字の音をさがし、「首烏爾」なる表記を考え出した。「首烏爾」の漢字音が「ソウル」の音に最も近く、さらに「首」の字が入っているため首都にふさわしい表記だというのだ。
しかし中国側は韓国政府の「首烏爾」案に対しまったく関心を示さなかった。これでは韓国の首都をイメージできないというのである。韓国政府やマスコミ(世論)がその後、中国側に「首烏爾」を要求し続けているという話はない。

筆者は韓国の著名な歴史学者でナショナリストの大学教授から自分の住所を「漢城市…」と記した名刺をもらったことがある。聞くと、研究活動で中国や台湾を訪問する機会が多いためそう表記しているのだという。韓国人は中国に対しては限りなく寛容である。





日本人がソウルを「漢城」と書くとどうなるのか?


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北朝鮮の国家犯罪 日本人拉致と麻薬




Link 救う会全国協議会

 








 1/2
2002年10月15日北朝鮮に拉致されていた5人が20数年ぶりに帰国した。行方不明になった当時から警察などの捜査によって北朝鮮に拉致されていたのではないか、と言われていたが多くのマスコミからは無視され続けてきた。北朝鮮シンパの者たちが、北朝鮮がやったという明確な証拠がない、日本人を拉致する必然性がないのででっち上げである、と言いつづけそれに左翼マスコミが同調していたのだ。しかし歴史を見れば、拉致は北朝鮮の伝統なのである。北朝鮮建国以前つまり日本統治時代に、共産主義者ら(当時、共産匪と呼ばれていた)が間島地方を中心とする満州で、抗日ゲリラ闘争を展開していた時代から現地人を拉致していた前科があったのだ。これらの共産匪が北朝鮮建国にともない帰国して国家運営に参加したのであるが、ゲリラ時代の「人さらい」をやめることなく伝統として継承されてきたのである。







「若き将軍の朝鮮戦争」 白善○ 2000年 草思社 (○の漢字は[火+華])




(灰色文字は管理人注)
(著者の白善[火+華](はくぜんよう)氏は日本敗戦時に満州国陸軍中尉、戦後は韓国軍陸軍大将、参謀総長をつとめる)

ゲリラとの戦い
白頭山を中心とする鴨緑江と豆満江の上流一帯(朝鮮と満州の国境地帯)は、ことに治安が悪いところであった。大森林地帯であり、隠れ家には事欠かない。測量ができないので地図が白く、白色地帯とも言われていた。日露戦争前後から、反日という政治的な目的を持った武装団体がこの一帯に入ったが、1920(大正9)年の間島出兵は、それに対する日本の最初の反応であった。1931年の満州事変以降、抗日ゲリラはこの一帯で最も粘り強く戦った。その中核になったは、中国共産党が主導する抗日連軍第一路軍と言われるものであった。中国人、満州人、朝鮮人の連合部隊で、司令官は中国人の楊靖宇であった。彼は1940年2月に日本軍によって射殺された。金日成や崔庸健といった、のちに北で権勢をきわめる人々の多くは、この抗日連軍第一路軍にいたと言われてている。彼らは、日本軍や満州国軍の討伐が本格的となり、また中国本土との連絡が途絶したことからソ連領に逃げ延び、1945年8月のソ連軍侵攻とともに韓半島に帰還し、ソ連軍の武力を背景に独裁国家を建設したわけである。
(中略)
ゲリラ戦と言うと、何かロマンチックな反権力の響きがあるようで、とかくゲリラが善玉で、討伐側は悪玉というイメージがある。さらには空想が飛躍して、ゲリラ活動は清く正しいものとされがちであるが、とんでもない間違いである。ゲリラはどのように行動し、住民はどんな生活を強いられていたのか。ゲリラはほとんど生産的な活動はしておらず、密営地と称する山間部の根拠地では食糧の生産すらできない。どうやって生きていくのかと言うと、「補給闘争」と称する略奪によっている。子供や婦女子を拉致して洗脳し、戦力化する。これでは住民はたまったものではない。それでなくても貧しい生活なのに、正規の税金を取られ、ゲリラの補給闘争の目標になり、婦女子のみならず成人男子まで労働力、戦闘力として連れ去られる。






元北朝鮮工作員安明進氏らの証言等から推定すると最低でも80名、あるいはもっと多くの日本人が拉致されている可能性があるということである。また日本だけでなく、韓国では政府発表で、朝鮮戦争中に8万3000人、停戦後に486名、実際にはさらに多くの人が拉致されているということである。






LINK ウェブ報知 / 拉致ほう助「土台人」
(HPから)拉致には「土台人」と呼ばれる、在日コリアンや暴力団関係者による協力者ネットワークが関与しているケースが少なくないことも明らかにされた。「特定失踪(そう)者問題調査会」(荒木和博代表)では「全国で最大5000人の土台人が存在する」とみている。

 








 2/2
拉致と並んで日本人に害を与え続けている北朝鮮の国家犯罪麻薬の製造密売もまた抗日ゲリラ時代からの悪しき伝統なのである。









「朝鮮総督府回顧談」 渡辺豊日子 昭和59年 友邦協会




(灰色文字は管理人注)
火田民対策反対運動の実情
(総督府は、ハゲ山だらけの朝鮮半島の山林を再生するため荒廃の原因となっていた焼畑農耕の取締りを厳重にすることにした。しかしそのためには、貧しかった火田民(移動耕作の焼畑農民)の生活を援助し定住させることが必要であった。山林部長であった著者(男)は、国有地の譲与や衣食住の援助、植林事業での雇用などの施策を実行に移していた。)しかし、これらの施策は朝鮮人側には不人気で、「朝鮮日報」が極端に反対したほか、例の安在鴻(独立運動家で解放後朝鮮建国準備委員会副委員長、朝鮮戦争中北朝鮮に移る)らが先頭に立って、総督府の火田取締りは火田民をいじめるものだとの猛烈な反対がありました。
(中略)
火田民の取り締まりについては知識階級の人からの反対もあったが、最も極端な反対があったのは、地元の端川郡でした。配付したる桑苗を温突(オンドル)で焚いてしまう。山林の苗も焼く、農会の費用も納めないという状況で、何故そんなことが起こるのか警務局側でも認識不足で、山林部の取締りが余りにも厳重過ぎるからではないかとの見方もありました。

しかし時日が経つにつれ明らかになったのですが、この辺の者はほとんど共産化されており、警察の想像以上に共産主義が浸透し、警察などが部落に調査に行くと、山上に子供が立っていて信号するので、目ぼしい者は皆逃げてしまう程、女、子供に至るまで共産化されている状況であった。したがって山林行政が悪いというような問題ではないことが判ったのです。

咸南(朝鮮半島北部)の海岸の利原、端川、咸北の明川方面でも共産匪の活動が盛んで、警察が手を入れ、沢山の容疑者を収容したところが発疹チフスが発生し、却って警察官が大部分倒れてしまったという、有名な所謂「明川事件」というのも起こった程でした。咸鏡南北道の共産匪は以前から組織が出来ていて、それらと火田民とが密接な関係があった訳です。

火田民は山の中に入り火をつけて立派な山も焼き払ってしまい、そこで作るのが彼らの食物である馬鈴薯(じゃがいも)や燕麦(オート・ミールにする)であったほか、実は麻薬の原料となる罌粟(けし=阿片の原料)であった。その罌粟が高く売れるためそこに目を着けたのが彼らであって、火田民に麻薬を作らせてこれを買取り、満州方面に高く売って活動資金にしていたものでした。したがって冒頭に申し上げた色々の反対運動も実は共産匪の活動の結果によるものではなかったかと思われます。

朝鮮の知識階級の人や独立運動をやるような人にとっては、むしろ(ハゲ山だらけの)南鮮の実情を考えると火田取締りは誰よりも諸手を挙げて賛成すべき筋合いのものです。

Link zakzak / 北朝鮮、“シャブビジネス”のカラクリ




北朝鮮による国家ぐるみの日本人拉致や麻薬の製造密売だけにとどまらず、大韓航空機爆破・大統領夫人射殺などのテロ行為、ニセ札製造など北朝鮮の国家犯罪は枚挙に暇がない。こんな非道な国が自国民の大量餓死者を尻目に莫大な資金と人員を投入して核兵器開発を行っているのだ。ブッシュ米大統領は北朝鮮を「ならず者国家」と呼んだが歴史を見れば、ならず者供がつくりあげた国が"朝鮮民主主義人民共和国"なのである。

 






麻薬・覚せい剤を製造し日本人に売りつけている北朝鮮人は、良心にさいなまれながらも、食って行くためにやむを得ず悪に手を染めているのか? 答えはNOである。 同民族の韓国人の例が参考になる。







「シャブ! -知られざる犯罪地下帝国の生態-」 趙甲済著 黄民基訳 1991年 JICC出版局




(灰色文字は管理人注)
(著者の趙甲済氏は韓国の新聞記者であった)1970年代、釜山で警察詰めの記者生活を送りながら、私は、シャブ(覚せい剤)がもたらす途方もない利ザヤに目がくらみ、灯火に飛び込んでくる虫のように密造・密輸に群がる数多くの犯罪者たちと出会い、興味を抱くようになった。そして、日本の組織暴力団が背後勢力としてからみ、国際的な規模と機動性をもったシャブ犯罪の取材に興味をもちながら取り組んでみて、初めて問題の深刻さに気づかされた。

私は1984年1月、シャブ問題を取材するため日本へ出向いた。当時、日本で流れているシャブの大部分は韓国から密輸入されたものだった。日本の警察はシャブ犯罪を最大の社会問題として考え、その対策に総力を傾けていた。わずか数十名の専従員をもって、数千人のシャブ犯罪者たちを追いながら、泥沼にはまりこみ、犯罪者たちの誘惑に乗ってもがき苦しんだりしている韓国の捜査の実情はあまりにも安易だった。当時、韓国の政府やマスコミは、シャブ問題を「対岸の火事」を見物するように見ていた。数百万人にものぼる日本の常習者たちが常用しているのは、ほとんど韓国で作られたシャブだったが、韓国では、常用者が少なく、日本への密輸出で多額の外貨を稼いでいるのではないかという安堵感が広がっていた。当時の韓国のシャブ対策はあまりにも心もとなかったのである。シャブ事件の被告人の弁護を担当して「シャブ密造者は外貨を稼いでくる愛国者だ」と語る弁護士さえもいた時代である。
(中略)
70年代の韓国社会でシャブ密造・密売が巨大な"犯罪産業"に成長した背景は何だったのか?(中略)次にシャブ犯罪に対する「罪の意識の欠如」をあげざるを得ない。70年代、釜山で社会部記者としての生活を送った筆者は、こんな話を大真面目に語る警察官や公務員と多く出会った。
「率直に話そう。ヒロポンの密輸がなぜ悪いのか?日本の奴らに目いっぱいヒロポンを送りつけ、奴らみんなヒロポン漬けにすれば胸の内がスッキリするではないか」
「密輸といえば、密輸入を思い浮かべるのがわれわれの実情だ。だから、われわれも密輸出できるものをもっていれば自慢すべきことになるではないか。ハハハ。ヒロポンだって密輸出して貿易の不均衡を改めなければ」
「ヒロポン製造者愛国者論」を展開する弁護士の例をあげるまでもなく、こうした考えをもった人々が当時相当いたことは否めない事実である。日本人が50〜60年代、対馬を対韓密輸基地として幇助・育成したことを思い起こせば、また、その対韓密輸のもとで育まれた韓国の密輸組織が、今度は逆に日本に向かってシャブをまき散らすようになった「ブーメラン現象」を確認するなら、そのことを内心、小気味よく感じる人々が現れもしよう。シャブ犯罪に対するこうした「民族感情」が犯罪者と捜査官の行動に相当な影響を及ぼした可能性がある。この「民族感情」は、シャブ犯罪者を庇護する人々の罪悪感を薄れやすくし、取り締まり自体をを緩慢にさせる要因にもなっているからだ。
(中略)
コリアン・コネクションの根本を掘り起こすのも今回の取材の重要な目標だった。田村研究員の背景説明はかなり説得力があった。すなわち、第一次シャブ乱用時代に、在日韓国人が数多く関係したという事実である。1954年のケースをみれば、検挙されたシャブ事犯のうち、韓国人は14%(在日韓国人は日本の人口の0.5%)だった。密造犯のなかでは55%、密売犯のなかでは21%が韓国人だった。鄭銀宗ら多くの韓国人密造技術者たちが韓国に逃げ出し、密造技術を広めた史実は第一章で述べたとおりである。暴力団の世界にも韓国人は多い。民族差別の問題を刺激するおそれがあるため、詳しいことは書き控えるが(中略)彼らは親戚のある韓国によく行き来することができ、シャブの密輸ルートを構築するのに有利な立場にいたというのが田村研究員の説明だった。





北朝鮮の国家犯罪である日本人拉致や覚せい剤によって引き起こされ社会不安・人格破壊はテロ行為である。
posted by 真 救世主 at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犯罪者養成学校・朝鮮学校【韓国人が送って来た。】

犯罪者養成学校・朝鮮学校


私「ほんと、お前らええ加減にせぇよ!?」

金漢一という朝日新聞社員の著書より


文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます






平成19年3月8日木曜日晴れ ×
 朝日新聞に掲載されていた朝鮮学校についての記事です。
朝鮮学校の現実知って 立川でシンポジウム

 各種学校扱いで国庫補助を受けられない朝鮮学校は、家族ぐるみの支援でやっと運営されている。そんな現実を知ってもらおうと、東京都立川市の「西東京朝鮮第一初中級学校」が初の公開シンポジウムを開いた。北朝鮮による拉致や核実験などが報じられ、学校を取り巻く状況が一層厳しさを増していることから企画された。(須藤龍也)

略)
 朝鮮学校が国庫補助を受けられない理由として、独自の民族教育を採り入れたカリキュラムが日本の学校と認められず、「各種学校」扱いになっていることがある。

 文部科学省によると、公立小学校への公費負担は児童1人当たり約90万円(04年度)。そうした補助のない西東京朝鮮第一初中級学校は月謝と寄付金が頼り。運営費は1人当たり約35万円と、公費負担分の半額にも及ばない。

 同校では年間必要な経費を約2億5300万円と試算するが、今年度の予算は約7400万円しかない。都や市区町から独自に合わせて約510万円の助成を受けているが、資金不足の解消には遠い。

 10日のシンポジウムでは、02年9月の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めたのをきっかけに、助成金支出の方針が即座に撤回されたという自治体の例も報告された。

 同校の慎基成(シンキソン)校長は「日本で生まれ育ち、定住する在日の子どもたちが、初めて朝鮮の言葉や文化を学ぶ場所が朝鮮学校になっている。
日本の地域の学校として認めて欲しい」と国庫助成に理解を求めた。
引用終わり
朝日新聞 平成十九年二月二六日
http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000000702260003


 朝鮮人である人たちが日本という外国に生まれ育ちながら日本の文化を学ばないで、朝鮮の文化を学ぶ学校に対して「日本の地域の学校として認めて欲しい」と要求し日本政府に金を出せという事の異常さ。

 朝鮮学校は我が国のカリキュラムを無視し、教員資格もない人間が教師として教えています。


<選挙権付与の海外同胞、歓迎と憂慮が交錯
FEBRUARY 02, 2009 09:54

●「韓国政治が成熟する機会になる」

 米ジョージワシントン大学の朴ユンシク教授は、「移民に来た後も韓国国籍を放棄していない海外同胞1世たちは、祖国に対する愛着と関心が大きいため、概ね歓迎ムードだ。韓国の政治指導者たちも、海外同胞の政治性向に関心を持つようになるので、グローバル指導者が成長する契機になるだろう」と話した。

 シラキュース大学政治学科のハン・ジョンウ教授も、「85年に留学に来て以来、一度も投票できなかったが、国民としての基本権利を取り戻した感じだ」と語った。

 韓国国籍の在日韓国人で朝日新聞社記者の金ハンイル氏(45)は、「日本でも参政権がない私のような在日韓国人にとって、生まれて初めて選挙権を持つことになり、やっと成人になった気持ちだ。2世、3世の在日韓国人が、韓国に対する帰属感を抱く契機になるだろう」と話した。



今、手許に「朝鮮高校の青春」(金漢一 光文社)という本があります。一九六四年生まれの在日二世である著者の金漢一氏は小中高の一二年間を郡山市と仙台の朝鮮学校寮生として過ごしたのち一九八七年に英文朝日に入社し、現在はヘラルド朝日のスタッフライターだそうです。


つまり、著者はこの記事にて「日本でも参政権がない私のような在日韓国人にとって、生まれて初めて選挙権を持つことになり、やっと成人になった気持ちだ。2世、3世の在日韓国人が、韓国に対する帰属感を抱く契機になるだろう」と話している朝日新聞社記者の金ハンイル氏です。
 この本には
「ボクたちが暴力的だったわけ」という副題がついています。暴力的だったのを自慢し、そのいい訳を・・・・・腐れヤクザも真っ青です。まあ、ヤクザのエリートは多そうですけど。OBが・・・
 その内容は
日曜日には街に出てのケンカが義務づけられていたそうで
三年生は、いわば自由である。取り立てて街に出る必要もない。パチンコ好きな先輩はじつに気楽に「○○パチンコにいるから、カネを持ってこい」と声をかけて去っていく。こうなると持ち合わせがないかぎり、カツアゲしないといけなくなる。先輩命令なので朝高的には合法だ。>p二五

 <
先にも書いたように、カツアゲは一応禁止なのだが、先輩に頼まれることで大義名分が立つ。あとは先輩にいわれた以上に「稼げ」ば、おいしい物を食べて、七時の点呼に合わせてタクシーで戻ってくればいいのだ。あたりまえのように街中でノルマを課してくる先輩もいるし、表向きは一応禁止なので中のいい後輩に特別に頼む場合もあった。
 最初からケンカ・カツアゲモードのやつは「暴走族センサー」がついているのではと思うくらい目ざとく、ツッパリどもを見つける。バスから駆け降りて、街行くツッパリに蹴りを突っ込むという感じだ。
 略)
 カツアゲのとき、僕たちは「カネを貸せ」なんて遠回しな表現はあまり使わなかった。ズバリ「出せ」と脅していた。
 略)
 まるで説教強盗だ。自分達から突っかかっておいて、また殴ったりする。なかには、本当に給料をそのままいただいてくる奴がいた。
「おまえ、それひどすぎるんじゃあない?」
「チョッパリには何をしようが構わないよ」>p二八〜二九

 <
族が冷やかしに来た翌日曜日は、こちらもハイテンションだ。温和な僕でさえも、多少は好戦的な気持ちで街に出る事になる。もう完全に大義名分はこちらにあるという感じだ。
 どんな車が校門前でクラクションを鳴らしたかなんてわからない。とにかく手当りしだいに、信号待ちしている族の車をひっくり返したり、フロントガラスを割ったりする。改造車は軽い車が多いのだ。
 車から出てきた暴走族の連中は、どういうわけか、ひょろりとした線の細いヤツが多い。頭にポマードをべっとり塗っているヤツには、
その髪にライターで火をつける。青白い炎がフワッと現れたと思うと、いつの間にか勝手にもがいている。
 ちなみに、クスリと強姦は朝高生にとって御法度だということは付け加えておきたい。
>p三八〜三九

いずれも人間性をよく現しているお言葉ばかりですが、そんなリッパナな生徒を指導する尊敬できるリッパナセンセイとは
<寮生の場合、生徒が警察に捕まるたびに親が迎えに行くわけにもいかない。当然、先生が保護者として警察に引き取りに行く。ただ、先生が謝るということはまずない。
 それどころか、
植民地時代の話を持ち出し、強制連行等の理由で日本に渡ってきた境遇を説明して、日本での差別に苦しめられたからこのようなケンカになるのだと堂々と主張するのだ。
 略)
 捕まった朝高生も、日本人の徴発に乗ってケンカになったの一点張りだ。
先生も歴史的経緯説を譲らないで、結局は日本政府が悪いと主張し、どんどん話を大きくする。p三六


 大ウソをならべて、相手に謝らせるという、これまた朝鮮人の行動パターンがよ〜くわかるお話です。まだまだすばらしいセンセイの事が書かれています。

<先生もタバコくらいじゃ何も言わない。それどころか、タバコを吸う人間をしっかり把握して、自分が切らしたときはタバコをねだりに来るくらいである。
タバコくらいで生徒を停学にしていたら「学級閉鎖」になってしまう。それはケンカやカツアゲで捕まっても同じ事だ。>
p四一

 二年生が一年生をヤキをいれ過ぎて
殺した時の当時の金校長のありがたいお言葉
事件の背景には民族差別問題が深くからんでおり、単純な暴行事件ではない」『河北新報』一九八二年二月二日>p七〇

 そんな偉大な大センセイからどのような教育をうけているかというと、
<「首領の命令さえあれば、米帝をこの世から葬り去るぞ」
「この幸せを与えてくれた父なる首領・金日成元帥万歳、万々歳」
 このような曲が、朝からかかるのだ>
<そして、金日成主席(当時は首相)に関する教育も始まった。
 授業でも彼の「革命的家庭」について習いはじめるのだが、主役は副読本ともいえる絵本の『金日成元帥の幼少時代』だった>
p一三五


 朝高の一般教室はこうなっていると書かれた一三7ページの絵では、金日成、金正日の肖像が正面に飾られ、金日成の教示などが壁に貼られていることが示されている。
 また、教科書については反日教育はなかったと書きながら
(一九九三年までとして)<
教科書は「金日成元帥の革命運動」、そして四年生から「〜革命歴史」と名を変え、金日成主席の曾祖父と祖父母の部分を軽く流したあと、両親や弟、叔父など主な親類に触れ、少年金日成から青年金日成への生い立ち、抗日軍を組織して祖国を解放し、労働党創立、建国、朝鮮戦争、復旧建設、計画経済という流れで、近現代の出来事までカバーされていた。>p一三九


そんなウソが書かれた教科書を使って教える内容は
<「君たちは、線路にある枕木を知っていますか?あの枕木の数と日本人に殺された朝鮮人の数は一緒なのです」
「枕木っていくつあるのですか」
「それほど多くの人が殺されたってことです」>
p一五九


また、金日成については
金日成の肖像画のガラスを赤い布で磨くのは日直の重要な仕事だったし、火事の時に真っ先に肖像画を運び出した人の「英雄的行動」が紹介されたりもした。
略)

朝鮮学校には金日成の研究室と称した部屋があり、そこに赤じゅうたんが敷かれていて、石膏の胸像があり、「革命歴史」がパネルになって展示されていた。>p一四四



 ですから当然このような人間ができます。
<この「チョッパリ」「日本人みたい」という言葉は、思い起こせば、朝鮮学校に通っているときにもっとも言われたくない言葉だったといっていい。>p二九
<国旗も気になる。日韓の国旗に関してはあまりいい印象がなかった。国旗に対する冒涜だと非難する人もいるだろうが、日本の国旗は「梅干し弁当」、韓国の国旗は「ペプシコーラ」というイメージが強かった。>
p二五八




 こんな人間のクズを社員にして平気な朝日新聞



 こんな教育をしている学校が銭を寄越せと日本政府に言う事の理不尽さ。

 そんなリッパナな?朝鮮学校の校長からはこれまたりっぱな「犯罪者」が輩出いたしております。
日本人拉致の犯人として国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 金吉旭」
http://www.google.co.jp/search?num=50&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&c2coff=1&q=%8B%E0%8Bg%88%AE%81@%9Df%92v%81@%92%A9%91N%8Aw%8DZ&lr=lang_ja


北朝鮮と共謀した
覚醒剤の密輸で国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 曹奎聖」
http://www.google.co.jp/search?num=50&q=%91%82%9a%f5%90%b9%81@%8ao%90%c1%8d%dc%81@%92%a9%91N%8aw%8dZ&ie=SJIS&oe=SJIS&hl=ja&lr=lang_ja


 大したものです。流石です。そんな朝鮮学校に肩入れする朝日新聞もこれまた流石です。





朝鮮学校生徒の暴力報道

平成16年6月30日水曜日雨のち晴 ×

 昨日、北区の朝鮮学校の生徒に対しての嫌がらせ相次いでいると、記者会見を開いて再発防止を訴えたそうです。
 中級部3年の男子生徒が、右目を殴られ軽傷を負った他、民族衣装のチマチョゴリを着た女子生徒が駅の階段から突き落とされたり、チマチョゴリを切られたりするなど4件の事件などがあり、うち3件は警察に被害を届けているそうです。
今まで、朝鮮学校の生徒に対しての嫌がらせとして、よく報道されていますが、朝鮮学校生徒の行為などは不思議と報道されていません。
いわゆる、逆差別のひとつでしょうか?
 私の手許の切り抜き記事で、昨年、朝鮮学校として初めて花園に出場した「大阪朝鮮高級学校」のラグビー部の金信男監督みずから「ラグビーで目の前の敵を倒しても発散できず、街で大暴れしていた」OB会長の南秀明氏も「学校から一歩外に出ると、今と比べられないほど、当時の差別はひどかった。誇りを持つためには暴力的にならざるえを得なかった。怖いイメージを保つことで、他の生徒を守る意味もあった」
(2003年11月25日東京新聞より)
 この記事を読んで思うのは、相変わらず悪いのは日本であり、在日朝鮮人は差別されてきたという被害者意識だけだといいうことです。
この人たちは、世界各国における朝鮮系移民と日系移民との差がどこにあるのか考えられないようです。





朝鮮高校の矛盾


平成19年1月17日水曜日くもりのち雨 ×
 玉川大学が朝鮮学校生の受験を拒否したというニュースがあったが、どうしてこんな当たり前の事がニュースになるのでしょう。当たり前の事も仰々しく報道する共同通信・・・・
以下引用
朝鮮学校生の受験を拒否
玉川大、一般入試で
神奈川朝鮮中高級学校の高級(高校)3年の男子生徒(18)が今春の玉川大一般入試に出願しようとしたところ、大学側から「朝鮮学校の生徒には受験資格がない」と拒否されたことが16日、分かった。

在日本朝鮮人人権協会によると、現在、国立では朝鮮学校の生徒に門戸を閉ざしている大学はないといい、「私立でも4年制では玉川大ぐらいではないか」としている。

学校教育法では、朝鮮学校は「各種学校」扱いで、以前は大学入学資格検定(大検)に
合格しないと受験できなかったが、文部科学省が03年に施行規則を改正。各大学が 個別に入学資格を判断できるようになっている。

男子生徒は玉川大農学部の受験を希望。中高級学校側が今月10日、問い合わせたところ、大学側は「大学の規定上、朝鮮学校の生徒に資格はない」と回答した。

引用終わり
http://www.47news.jp/CN/200701/CN2007011601000356.html


 朝鮮高校は我が国の学校教育法ではあくまで「各種学校」であって高等学校には該当しません。だから、逆に文部科学省による学習指導要領など受け入れる必要がないのです。つまり、
朝鮮高校とは我が国にありながらどんな気狂いじみた偏った教育でも可能な学校なのです。昨今、我が国の高校で問題になった未履修などまったく関係ないのです。
 そんな偏った教育機関?が大学受験資格があるのがおかしいのです。これも逆差別です。
 ましてや、センター試験の外国語には難易度の低い韓国語(これも支那語とおなじく朝鮮語と表記すべきでしょう。まあNHKの「ハングル語講座」ほどではありませんが)で受験出来ます。
 早急に是正しなければいけない日本人がこうむっている醜い逆差別のひとつです。
 






朝鮮学校の校長は犯罪者


朝鮮学校の校長からはこれまたりっぱな「犯罪者」が輩出いたしております。
日本人拉致の犯人として国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 金吉旭」
http://www.google.co.jp/search?num=50&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&c2coff=1&q=%8B%E0%8Bg%88%AE%81@%9Df%92v%81@%92%A9%91N%8Aw%8DZ&lr=lang_ja


北朝鮮と共謀しコカインを密輸しした
覚醒剤の密輸で国際指名手配 「朝鮮学校の元校長 曹奎聖」
http://www.google.co.jp/search?num=50&q=%91%82%9a%f5%90%b9%81@%8ao%90%c1%8d%dc%81@%92%a9%91N%8aw%8dZ&ie=SJIS&oe=SJIS&hl=ja&lr=lang_ja


 


その他にも、


日本人女性を強姦した上現金を盗んだ朝鮮学校の教員 姜昌求




 大したものです。流石です。そんな朝鮮学校に肩入れする朝日新聞もこれまた流石です。

posted by 真 救世主 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【新紀元連載】重慶亡命騒ぎ 王・薄 争いで暴露された驚きの黒幕







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王立軍は江沢民の機嫌を取りたがる薄煕来に追従し、法輪功弾圧の手先となった。
それだけでなく、直接生きたまま人体から臓器を摘出するという許されざる罪を犯した。(大紀元)

【新紀元連載】重慶亡命騒ぎ 王・薄
争いで暴露された驚きの黒幕 2

文・文華







 【大紀元日本4月2日】王立軍と薄煕来は、法輪功を迫害した江沢民の腹心だった。彼らは目先の利益のために、「生きた人を殺し、臓器を摘出し、臓器移植で大金を儲けた」。このような行いは、まだ人間の行為と言えるのだろうか? この蛮行と向き合って沈黙を維持するならば、その人はどのような人なのだろうか?


* * *

 習近平中国国家副主席が米国を初めて訪問した2月14日から4日間、習氏が訪問する先々に、法輪功学習者らによる平和的な抗議風景が見られた。冷たい風の中、大型の垂れ幕を持って黙々と抗議活動を行う法輪功学習者らと、目線を下に落とした習氏は対照をなしていた。習氏はホワイトハウスの国賓待遇を受けたが、訪米期間中に発生した前重慶副市長・王立軍亡命未遂事件に対して、米国政府は特別な形で対応を見せた。重慶市の1匹の蝶の羽ばたきが、大西洋の向かい側に大きな波紋を投げかけた。

 ワシントンタイムズの報道によると、王立軍が成都駐中米国総領事館に渡した資料には、重慶市党書記・薄煕来と政治局常務委員・周永康の汚職行為をはじめ、薄と周が習氏を失脚させるために武装警察と公安警察を動員するという計画が含まれていた。これは、米国政府指導部がワシントンタイムズに漏らした事実である。

 中国政界は、米国が習氏に関連する秘密情報を漏洩したことに対して驚きを見せた。一部には、オバマ政権の計画的な行動により、米国が再び「国際警察」として中国の権力闘争に介入しようとする前触れではないかと見る者もいる。中国ネットユーザーらの中には、9人の中国共産党中央政治局常務委員にオバマ氏を加えて9+1にしなければならないと揶揄する声もあった。この10人の共通点は、薄とそれに関連する情報に対して最もよく認識しているという点だ。

 法輪大法学会米国中部地域の責任者・楊森氏は、習氏の訪米期間中に受けたインタビューで、習氏に1つの要求事項と2つの希望事項があると述べた。楊氏は、法輪功への迫害を中止して弾圧の元凶である江沢民を処罰することを要求し、江の道を踏襲せず、江の罪悪を肩代わりすることなく、中国に帰って法輪功の基本書籍である『転法輪』を読み、法輪功に対して理解して欲しいと希望した。

 薄煕来が副総理就任に失敗した理由

 ウィキリークスが公開した米国外交公文書によれば、中国共産党第17回全国代表大会(17大)を控えて、当時商務部長だった薄煕来は副総理の昇進名簿に名前が上がっていた。しかし、温家宝首相は薄が世界各国の法廷で法輪功への弾圧疑惑により告訴されたという理由から、薄の副総理任命に極力反対していた。また、前副首相の呉儀氏も、自らの退任を交換条件として、薄を後任に登用してはならないと断固として主張した。
結局、薄は重慶市党書記として左遷された。中国政界の間では、薄の政治人生が事実上ここで終わったものと見られていた。

 最近の数年間、江沢民、羅幹、周永康、薄煕来など30人余りの中共高官が、法輪功への弾圧を継続する中で、「拷問罪」、「人類に対する罪」あるいは「集団虐殺罪(ジェノサイド)」を犯したという理由で30余りの国の法廷に提訴された。
薄は米国、英国、韓国、スペイン、オランダ、ロシア、ルーマニア、ポーランドなど12カ国で刑事および民事告訴を受け、オーストラリア高等裁判所では、欠席裁判により薄に有罪が宣告された。

 国際法上、薄はすでに罪人の身分であり、これが温家宝が薄の副首相就任に強力に反対した要因だ。また、薄は2004年、カナダへの入国を拒否された。さらに2005年、胡錦濤が米国を訪問した時、薄は米国裁判所に人道に対する罪で告訴されていたため、やむを得ず随行員名簿から外された。

 錦州市公安局による、数千件の臓器摘出

 1999年7月20日、江沢民は当時の政治局常務委員全員の反対を押し切って、独断で法輪功弾圧を開始した。薄は江に従い、一貫して法輪功弾圧に加担してきた。王立軍は2008年に重慶市に着任するまでは遼寧省鉄法市、鉄嶺市、錦州市において公安局の幹部だった。遼寧省は中国でも法輪功に対する迫害が特に激しかった地域の1つであり、特に法輪功学習者に対する臓器狩りの事例の大部分は、二人(薄煕来と王立軍)の統治下で発生した。それだけでなく、王は生きた人間から臓器を直接摘出するという、許されざる罪を犯した可能性が高い。

 2012年2月16日、「法輪功迫害真相調査連盟(CIPFG)」は「錦州市公安局現場心理研究センターが法輪功学習者の生体臓器摘出に関与した疑惑」に関する最新報告書を発表した。同センターの主任は王立軍だった。2003年5月から2008年6月まで、王は遼寧省錦州市で公安局長、党書記、錦州市副市長を歴任した。同センターはまさに、錦州市公安局に設置された。同センターの所在地は遼寧省錦州市、古塔公園南門の向かい側に位置する。

 2004年10月21日、中国CCTVは「錦州市公安局現場心理研究センター」を中国の警察で唯一の現場心理課題研究センターと紹介した。薄が商務部長だった時、中国商務部の公式ウェブサイトでは「錦州市公安局現場心理研究センターは中国刑事警察大学、北京理工大学、東北財経大学、中国医科大学など10余りの大学の技術的支援のもと、現場心理研究と現場技術事業に注力している」と紹介されていた。しかし、ここで述べられた現場技術研究とは、いったい何を指しているのかについては、明確に言及されなかった。

 





錦州市公安局「現場心理研究センター」は、法輪功学習者から生体臓器摘出を行った疑惑を持たれている。
写真は同センター主任・王立軍(写真右側)が現場で傷のない解剖研究を説明する姿。(写真提供=CIPFG)

2006年9月17日、北京にある共産主義青年団中央直属の「中国光華科学技術基金会」は、王立軍の現場心理研究センターに「光華創新特別貢献賞」と賞金200万元を授与した。この賞を受けることになった成果の一つは、薬品注射後の臓器移植に関する研究であった。臓器移植は高度な外科手術であるが、王は医学や薬学を専攻したことがない。それでは、彼はどのような形で臓器移植研究に参加したのだろうか?


 王の授賞式での受賞所感からその全貌が伺える。「私に感動を与えたのは、晉陽秘書長をはじめとする中国光華科学技術基金会の職員が何度も遼寧省に来て、苦労を惜しまれなかったことです…。また、夜中に我々の研究現場に来られて『臓器移植』という公益事業を見学されたのです。ご存知の通り、我々の従事する現場、我々の科学技術の成果は、何千もの現場を集約した結晶であり、多くの人の努力の賜物です…。一人の人間が死刑場へ向かい、数分の間に、その生命が他の何人かの体で生命を繋げる時、全く感動を誘うことになります。これは偉大な事業です」

 ここで王が自ら明確に話したように、同センターは臓器の提供場所であるということだ。要するに、王の事業とは心臓、肝臓などの臓器を、人間の体から摘出することであり、これが彼の科学研究分野である。王が2003年に錦州市に着任してから、2006年の受賞までの期間はせいぜい2年余りだ。彼は無意識のうちに「私たちの科学技術の成果は、何千もの現場を集約した結晶」だと話した。換言すれば2年間で彼らは何千個もの臓器を摘出したということだ。彼はまた、彼が摘出した臓器は全て死刑場へ向かう人の臓器、すなわち死刑囚の臓器だと述べた。

 直接臓器を摘出した王立軍

 遼沈晩報は「現場目撃『人を食らう悪魔』が静かに死刑注射を受け入れる」と報道したが、図らずもその報道の中に、生体臓器摘出が行われた場所を露見した。以下はその報道の一部である。

 「2005年6月9日明け方5時、錦州市に特派された記者が『研究センター』を訪れた。今回の研究活動現場は、錦州市経済技術開発区崔家屯だ」

 また他の報道では、囚人が自発的に死体を寄付したことが明らかにされた。「彼(囚人)の息子が幼いため、研究センターで関連部署を通じて2万元の寄付金を得た。これは死体寄付補償基準の中で、最高金額に属する」

 しかし、アムネスティ・インターナショナルの記録によれば、2000年から2005年の間に中国で執行された死刑の件数は、年平均1616人。人体には免疫機能があるため、外部から臓器が人体に入った後、受け入れ側の型と適合していなければ拒絶反応が現れる。
また「プロトロンビン時間」が24時間を越えてはならないなど時間的制約もある。たとえ免疫抑制剤を使用して移植生着率を高めたとしても、実際に長期的に利用可能な臓器は30%にしかならない。

 一方、中国臓器移植サイトが提供した統計に従えば、2003年に中国で「死後に臓器が提供」された件数は0件で、長年の努力を経て2006年に、わずか22人が臓器を提供した。さらに、中国全体で死刑囚の数は年間千人余りであるのに対し、遼寧省の小さな都市、錦州市だけで数千個もの臓器を提供できる死刑囚がいたのだろうか?

 法輪功学習者による生体臓器摘出の目撃談

 2006年3月9日、本誌は「瀋陽強制収容所が死体焼却炉を設置、法輪功学習者の臓器を摘出して販売」という報道を掲載した。中国共産党は法輪功への弾圧停止を陳情した百万人以上の法輪功学習者を逮捕し、全国各地の36ヵ所の収容所と労働教養所に収監し、そこを生体臓器バンクとしている。法輪功学習者は他の収監者とは違い、血液検査など臓器摘出に備えた特別な身体検査を受けさせられている。中共は蓄積したデータを基に、臓器移植が必要な患者、特に高い治療費を出すことのできる外国人患者から依頼があった時、データに適合した法輪功学習者を捜し出して臓器を摘出する。

 臓器摘出に加担した医療スタッフと関係者たちの証言では、臓器移植の成功率を高めるため、臓器摘出の際に十分な麻酔剤などを使わず、生きた状態で開腹し臓器を摘出するのだという。

 2009年「法輪功迫害追跡調査国際組織」は、現場で法輪功学習者の生体臓器摘出を直接目撃した証人の証言を発表した。目撃者は王立軍配下の警官で、王は彼らに法輪功に対して「必ず全て抹殺しろ」との命令を下したという。

 この警官の証言では、2002年4月9日、瀋陽軍区統合病院15階のある手術室で、彼は2人の軍医官が30代の法輪功学習者(中学校の女性教師)に、麻酔薬も使用せず生きた状態で臓器を摘出して死なせたのを目撃した。

 その警官は以下のように記憶していた。
以下は警官の録音収録の抜粋。

 「メスを当てるやいなや、血が吹き出した…。その時、私たちは各自、拳銃を持ち歩哨として側に立っていた。その時すでに胸が開かれたが、その女性は大きく悲鳴をあげながら、『法輪大法好(法輪大法は素晴らしい)』と叫んだ。すると、医師は手術を中断して私を見つめた。また、私たちの上司を見つめた。上司が首を縦に振ると、彼は引き続き血管を切り出した。先に心臓を摘出し、次に腎臓を持ち出した。心臓の血管を切り出すと、彼女はしばらくけいれんを起こした。その時の声を聞かせようと思っても、真似することさえできない。引き裂かれるようだった。それから…ああ…。彼女はずっと両目を大きく見開いて口を大きく開けていた…。私はもう言いたくない!」

 2006年、カナダの人権弁護士デービッド・マタス氏と、カナダ外務省前アジア大洋州局長デービッド・キルガー氏は、調査団を立ち上げてこの件に関する調査を行なった。同調査団は3回にわたり調査報告書を発表し、全世界を驚かせた。『血まみれの臓器狩り』は報告書第3版に基づいて出版された中国語書籍だ。この本に収録された52種類の証拠は、中共が法輪功学習者から、不法に生体臓器摘出を行った状況を具体的な証拠とともに実証している。一例を挙げると、彼らが臓器移植を必要とする患者という身分で中国の病院に問い合わせを行なった結果、約15%の病院が「現地の医師は現在、あるいは過去に健康な法輪功学習者の臓器を使っている」と証言した。著者はこれに対して「地球上で類を見ない悪らつな事件」と指摘した。2010年、マタス氏はノーベル平和賞候補にノミネートされた。

 法輪功は仏法修煉

 法輪功は仏家の修煉功法で、1992年5月13日に李洪志氏が中国長春市で初めて世に伝えた。
法輪功は「真善忍」に基づき、良い人になるよう教えており、道徳と精神文明の昇華を強調している。当時、法輪功は卓越した健康増進効果で知られ、中国全域に急速に広がった。1998年末、中国公安局は中国だけで7千万人以上が法輪功を修煉していると集計した。

 しかし、根本的に無神論に拠って立つ中国共産党と公安局の内部では、法輪功が伝えられたその日から、羅幹のように法輪功弾圧を利用して自らの昇進を果たそうとする者がいた。彼らは口実をつけて法輪功を抑えようとし、天津市で法輪功学習者を無断に逮捕した。1999年4月25日、1万人あまりの法輪功学習者が中南海で平和的な請願を行った。当時、法輪功学習者らは政府に対して、憲法を尊重して法輪功学習者に合法的な修煉環境を保障し、心を磨いて良い人になれる権利を守るよう訴えた。当時、協議を行った朱鎔基元首相は、法輪功学習者らの要求を積極的に受け入れると約束した。

 しかし、当時総書記だった江沢民は、法輪功を修煉する人の数が中国共産党員数を超えたことを理由に「共産党から群衆を争奪した反党行為」と規定し、政府調査による、法輪功は国家利益に反せず安全だという報告を無視して弾圧を決定した。

 江沢民は文化大革命を模倣し、すべての国家機構と言論機関を動員して法輪功を強力に弾圧し、1999年6月10日には政法委員会直属の「610弁公室」を開設して法輪功弾圧を専門に担当させた。

 迫害の初期、公安局、検察、司法関係の公務員と警官は、弾圧に積極的ではなかった。しかし、江沢民は「法輪功学習者の名誉を失墜させ、経済を崩壊させ、肉体を消滅させる」という具体的な綱領を作成し、弾圧および拷問の過程で学習者を死亡させても自殺とみなすという「免罪符」を与えた。言論のねつ造と世論操作の中、国家権力を総動員した前代未聞の弾圧は、次第に残酷な様相を呈するようになっていった。

 死体工場を庇護した薄煕来

 1999年、薄煕来が大連市の市長と党書記を担当していた時、ある外資系企業の設立を許可した。それは「ハーゲンス生物プラスティネーション大連有限公司」であった。この会社の社長であるハーゲンス氏は法律の目をかいくぐって、世界各地でいわゆる「人体の不思議展」を開催した。展示された人体が全て中国人の死体だったため、多くの中国人が屈辱を感じ、各国から反発の声が上がった。

 死体の出処に関して、当社の説明には多くの矛盾が指摘されている。ある時は「中国の大連医科大学から提供された無縁故死体を収集した」と言い、ある時は「展示された死体は全て自発的な寄贈によるもの」と述べた。また、ある人は大連市でなく南京市から持ってきたと語った。中国の法律では、死体売買は厳格に禁止されているが、薄煕来の庇護により、このような「死体加工工場」事業は繁盛した。

 2003年11月、『瞭望東方周刊』が中国死体工場に関する詳細な報道を行い、「国務院指導者はこの問題を重視し、国家質検総局が大連に調査団を送り、資本の誘致、生産品の輸出入状況を調査し、全面的に遺体関連物資の輸出入を規制するようにした」と報道した。しかしその後、調査の進展はなかった。このことから、ハーゲンス氏の背後には、薄やその他の指導部による保護があったことを察することができる。

 今回、薄の失脚と共に、本誌読者から「米国政府と国際社会に、大連死体加工工場の出所を独立的に調査してほしい」という声が上がっている。

 ハーゲンス氏の有名な展示品の中には、若い中国人の母親と彼女の8カ月の胎児の死体がある。この標本を見れば誰もが驚くだろう。この世界のどの家族が、自らの意思で自分の妻とまだ生まれていない胎児の死体を自発的に提供するのだろうか? 彼女らは殺害されたのではないだろうか? 誰がこのような恐ろしい悪行を犯したのだろうか? 

 





若い母親と8カ月の胎児の死体で作られたハーゲンス氏の展示品. (Getty
Images)

生きた人間を強制的に火葬


 法輪功学習者からの生体臓器摘出の他にも、王立軍は数多くの法輪功学習者に対する弾圧に関わった。王は錦州市周辺だけでも、少なくとも500人の法輪功学習者を不法に逮捕し、監禁した。このうち、71人が弾圧により死亡し、30人余りが身体に障害を負った。2009年だけでも、王によって重慶市の6人の法輪功学習者が拷問により死亡した。

 鉄道建築のシニアエンジニアだった46才の湯毅さんや、峨眉鉄合金工場動力所の前所長で、楽山市政協委員でもある劉光弟さんは、法輪功を修煉しているという理由で不法に逮捕され、労働教養所で拷問の末、死亡した。

 江錫清さんは、重慶江津市地税局を引退した元公務員。2009年1月28日、江さんは重慶西山坪労働教養所で死亡した。労働教養所が江錫清さんの死亡を発表して6時間後、家族が江さんの遺体を確認すると、顔、胸、腹、足などがまだ温かかった。家族は「まだ死んでいません。生きています」と叫んだ。医師は心電図で確認した結果、生存の事実を認めた。家族が江錫清さんを蘇生させるために人工呼吸をしようとすると、すぐに現場にいた労働教養所の20人余りの警官が無理やり家族を連れ出し、応急措置を阻止した。さらに警官らは、生きていた江錫清さんを強制的に火葬した。後日、江さんの遺族が弁護士を立てて労働教養所を提訴しようとしたが、逆に弁護士は派出所に連行され、5時間以上も手錠をかけられたまま殴打された。

 





重慶市の法輪功学習者・江錫清さん(前列中央)と家族の写真(写真提供=明慧ネット)

憲法の上に君臨する政法委員会


 王立軍と薄煕来の罪状は続々と暴かれているが、依然として彼らが処罰を受けていない理由は、中国が共産党による独裁であるためだ。また、直接的な原因を挙げるとするなら、王立軍が政法委員会(以下政法委)所属であるためだ。王は重慶市に赴任して3カ月後、重慶市政法委員に抜擢された。彼は政法委書記ではなかったが、マフィア取り締まりの過程で専門担当チームを設ける特権を与えられた。彼は公安、検察、裁判所を全て支配することができた。これはすなわち、王をはじめとする政法委所属幹部が、司法体制と公権力の上に君臨していたということである。

 2009年中国のネットユーザーらは、中国国内で最も解散すべき政府機関として、第一に政法委を挙げた。法輪功弾圧を主導した江沢民は執権中、政法委の地位を強化した。政法委の浮上と共に、法輪功弾圧の規模も拡大していった。

 ある中国のネットユーザーは、「昔の盗賊は深い山中にいたが、今の盗賊は公安にいる」と風刺した。各地の公安による違法行為は、統制と統計が不可能な状況だ。最近、中国で頻発している大規模集団抗議事件の原因も、公安の不当な処理や対応と関連している。2004年の公安部統計では中国各地で7分に1回、大規模集団抗議事件が発生しているという。ほとんどの評論家が、現在のように中国民衆の不満が激しさを増している原因は、全て政法委の「功労」だと話すほどだ。

 各地の政法委は中国闇社会の黒幕としても挙げられる。王立軍が犯した罪は、その代表的な事例だ。2009年夏、ケ玉嬌事件(※1)を通して、中共幹部らの乱れた私生活が公になったが、事件が起きた湖北省巴東県の政法委書記・楊立勇は当時、事件を揉み消そうと動いていた。政法委は中国国内でも問題のある組織として指摘されている。

 専門家らは、胡錦濤と温家宝が政法委を掌握できず、江沢民の残存勢力が継続して腐敗と暴力を日夜行っていると指摘し、王立軍事件を通じて政法委の悪行が暴露されたため、習近平が執権後に政法委を廃止してこそ中国を変革することができると助言する者もいる。

注釈

※1 ケ玉嬌事件:2009年5月、湖北省巴東県のカラオケボックスで働く21歳のケ玉嬌さんが、性的暴行を加えようとした現地の官僚を殺害した事件。同事件をきっかけに、共産党幹部の腐敗が世にさらされた。日ごろ現地政府に不満を抱く市民の共感を呼び、全国から、ケ玉嬌さんの行為を正当防衛とする擁護の声が上がった。


(翻訳・王君宜)
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2012年04月12日

「張成沢・禹東則・朱相成の3氏で金正恩体制を守る『トロイカ』になるだろう」

分野別に見る「金正恩の男たち」

父の故郷遥か北の地 2010/10/04 14:36

添付画像


 北朝鮮が30年ぶりに一新した朝鮮労働党指導部の顔ぶれを見ると、分野ごとに北朝鮮を率いる「金正恩(キム・ジョンウン)の男たち」の姿が浮かび上がってくる。韓国統一部の関係者は1日、「金正日(キム・ジョンイル)時代を象徴する『元老』も多いが、新たに金正恩時代を代表する人物が随所に配置されている」と語った。


(1)経済:洪錫亨(ホン・ヒョンソク)党計画財政部長(74)=デノミネーションの失敗で銃殺された朴南基(パク・ナムギ)氏の後任=や、太鍾守(テ・ジョンス)党総務部長(74)らは経済通とされ、党書記にもそろって選出された。

 洪錫亨氏は義賊小説『林巨正(イム・コッチョン)』を書いた洪命憙(ホン・ミョンヒ)の孫で、金策製鉄所の責任書記や国家計画委員長などを務めた。また、太鍾守氏も経済担当副首相を務めた。

 だが、「二人は改革・開放とはかけ離れている」という見方がある。改革寄りの人物は中核的な党職である政治局員とその候補計32人はもちろん、党中央委員124人にも含まれていない。「開放派」で知られる朴奉珠(パク・ポンジュ)前内閣首相と、その側近の金英虎(キム・ヨンホ)前内閣事務局長が、党中央委員会候補委員105人にかろうじて名を連ねている程度だ。


(2)対外:対南(対韓国)は金養建(キム・ヤンゴン)氏(68)、対米は姜錫柱(カン・ソクチュ)氏(71)が担当する。党統一戦線部長だった金養建氏は今回、党対南書記を兼任することになり、このほど内閣副首相に昇進した姜錫柱氏は政治局員に任命された。

 対南軍事工作は、韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件の「主犯」とされる金英哲(キム・ヨンチョル)偵察総局長(上将)が引き続き担当するものと思われる。金英哲氏は党中央軍事委員会の委員(副委員長は金正恩氏)に任命された。


(3)公安:禹東則(ウ・ドンチュク)国家安全保衛部(スパイ監視・摘発担当機関)第1副部長(68)は中央軍事委員会委員と政治局員候補に、朱相成(チュ・サンソン)人民保安部長(警察長官に相当、77)は政治局員に昇進した。

 これらの統制・監督は、金正恩氏の叔父に当たる張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長(64)が担当する。「張成沢・禹東則・朱相成の3氏で金正恩体制を守る『トロイカ』になるだろう」(北朝鮮に詳しい消息筋)との見方がある。


(4)軍・党:軍は代表者会直後に行われた記念撮影の際、金正日総書記・金正恩氏親子の間に座っていた李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長兼政治局常務委員(次帥、68)が中心となる。李英鎬氏を筆頭に、崔富日(チェ・ブイル)副総参謀長ら実質的な武力勢力を指揮する総参謀部メンバーが多数昇進、あるいは中央軍事委員などの要職を占めている。

 党では、崔竜海(チェ・リョンヘ)氏(60)が急浮上した。今回の人事で党政治局員候補、党書記、党中央軍事委員という三つの役職を同時に与えられ、代表者会の集合写真でも、金正恩氏のすぐ後ろに立っている。なお、金正恩氏の叔母・金敬姫氏(64)も政治局員に任命された。

添付画像


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2012年04月08日

ルシファーの最後(2010年12月5日 夜3時 場所;高円寺北2−41−1−303)

2010年12月5日 夜3時 「ルシファー死亡!」


ルシファー滅ぶ.jpg

夢の中で私は何故かメジャーリーグの投手をしていた。成績は13勝9敗。
蛇.jpg
肌色の蛇ルシファー。実際はもっと肌色。目は真っ黒で丸い。

肌色の蛇が這い出てきて(ツチノコに似ていてツチノコより細い)少年の声(のび太の声に似ていた)で話しかけて来た。

「野茂もイチローも僕のおかげで日本人選手が他のメジャー選手たちの脅威たりえてるんだ。僕は凄い存在なんだ。」

シーズン最後の試合の投手に自分が選ばれた。蛇が「最後の1勝を私にくれる」と言う。14勝9敗という成績が見せられた。

私は「どうも、ありがとうございます・・・」と言うと、「だからこの葉書を書いて欲しいんだ」と蛇は言って来た。

辞書のような分厚い本を出され(白に近い灰色)、ページが勝手にめくられて白いカバーが外れて、中から濃いブルーの本が現れて、

最後のページがオレンジ色の切り取りハガキになっていた。それを書いて欲しいと言う。


「あなたは何者ですか?」と私は問うた。「神だよ」と蛇は言った。

私は平伏し、「申し訳ありませんでした。私は神様に逆らう気持ちなど一切ありません。自分調子乗ってました。

自分は救世主とは言っても本当、ただの普通の人間なんです。勘弁して下さい」と言い、蛇に最敬礼してお詫びした。

蛇は「じゃあ、切り取って書いてよ」と言ったので、切り取りを始めました。
ハガキの下から切り取って行ったが、一瞬本のタイトルが脳裏をよぎった。

タイトルは「666」
私は嫌な予感がして蛇に「・・・これは書かないと許されないんですか?」と尋ねた。
蛇は「許さない・・・けど許す」

私は再度「どっちなんですか?ハガキ切らなくても許して頂けるんですか?」
蛇は「許さない・・・けど許す」と同じ言葉を繰り返した。

私は「・・・じゃあ、書かないということで。よろしくお願いします。本当、申し訳ないですけどこちらは記載しないということで

ご勘弁下さい。」と言った。
蛇は「書いてよぉ!」と強めの調子で言って来たので私は「じゃあ、神様同士、ウリエルと話して下さい。」と言うと、

みすぼらしく哀れなほど小さな蛇に対峙して、巨大なウリエルが現れた。(背景には何故か稲妻)
ウリエルは開口一番「許さん!」と言った。
大天使ウリエル3.jpg
蛇は正体を現した。蛇の正体はルシファーであった。
蛇の姿をしたルシファーは佐藤(私)の分割統治を提案して来た。「佐藤を分割して統治したい。」

ウリエルは「絶対許さん!」と言いこの提案を即座に拒絶。

この件の決定は私の意思に委ねられた。

私は即座に「ルシファー去れ!」と言った。
私は蛇(ルシファー)を地獄に叩き落し、戦わずしてウリエルが勝利した。

12年前、私を裏切り生き地獄に落としたルシファーに私は復讐を成し遂げた。

地獄に堕ちたルシファーに私は一つだけ質問した。「楽園にいたイヴを誘惑したのはあなたですか?」

蛇(ルシファー)「そうだよ。だけどイヴは途中で気づいてたんだ。自分の欲望に勝てなかったんだ。(まるでイヴが悪いみたいな感じで)
アダムとイヴ2.jpg
佐藤は欲望が無いから謀りにくいよ。」
私は「何故?フリーメーソン等を使って残虐なことを行うんですか?」

蛇(ルシファー)「神になるためだよ。ヤハウェだってやったんだ。生贄を行うことで私(ルシファー)の神格があがるんだ。光の力が上がるんだ。」

私「そのため多くの人々に残虐な悪魔的行為をさせてるんですか?」

蛇(ルシファー)「仕方ないよ。自分のためだもの。自分が神になるためには多くの血が必要なんだ。佐藤が認めてくれたら僕はそれで神に

なれるんだ。佐藤、僕を神だと言ってよぉ・・・」

私「やはりあなたは神ではない。さっきから自分のことしか考えていない。人間を思いやる気持ち、不遇の者を思いやる気持ちは欠片も無く、

神の座にふさわしくない。」
蛇「お金で転ぶ方が悪いのさ。」
私「あなたは今、どこにいるのですか?」
蛇「地獄だよ。」

私「あなたとの話は終わった。あなたは決して神などではない。あなたが私に権限を得ることはないだろう。私があなたを神と認めることも無い

だろう。自分の相応しい場所(地獄)に帰りなさい。」
と言って、目が覚めたのは午前3時。丑三つ時だった。

自称「神」のルシファー。あなたはもはや堕天使ですら無い。何故なら、人間である私に地獄に叩き戻されたのだから。


再度眠りにつくと、ルシファーは今度は堕天使の姿(とは言っても、大きさは私〈173cm〉と同じくらい)で私が葛飾区青戸に住んでいた頃の貧しい

アパートの玄関前に現れた。
ルシファー(Lucifer).jpg
身体や首の回りに無数の白い蛇を巻きつけ、「これあげるよ。僕の友達なんだ。白蛇様っていうんだ。いるだけでお金の回りが良くなるよ。」と言って

頭部が菱形の目の青い、真っ白な蛇(50cmくらいの大きさ)を微笑みながら手渡して来た。

私の手に渡されようとすると突然、不動明王が私の背後から降魔の剣を白蛇の頭に突き刺した。
不動明王1.jpg
白蛇を滅多切りにし、降魔の炎で焼き尽くし、灰にしてしまった。
ルシファー「僕の友達がぁ・・・」

そう言うとルシファーは力無く消えてしまった。


あえて言おう。ルシファーよ、あなたに力が戻ることは永久に無いだろう。何故なら私は今後何年間、神の時代にするか決定する権限を委ねられている。

百年でも千年でも一万年でも、私が決定出来るのだ。
私の決定は「永久」である。すなわち、二度と悪魔の時代は来ることは無い。

したがってフリーメーソン等、悪魔崇拝者の時代は二度と来ることは無いのである。

霊的世界での決着は既に着いた。あとは現実世界の悪魔崇拝者残党を掃討するのみである。
拝金の神の名をカタル悪魔に、もはや力は残って無い。

大天使ウリエルの御名により、思いやりと心優しき者の時代となる。不遇に生まれた者たちが、報われる時代となってゆく。

二匹の獣が私の手によって無残に敗れるのは時間だけの問題だ。

特権を貪る者たちよ、悪魔に魂を売りし者たちよ。法を自己都合で操る者たちよ、あなたたちの時代は終わった。

もはやあなたたちが私の上に立つことは無い。神が定めし救世主は私である。

私の言葉を聞かぬ者たちは、大天使ウリエルの御名によって敗れ、消え行く運命にある。その時、救われることは二度と無い。


ついでにもう一つ告白しよう。
今、私は様々な世界の神々たちからスカウトを受けている。


皆、私への協力を申し出てくれている。

大天使ウリエル一人の前に敗北を重ねたあなたたちが、これらの神々から支援を受けている私に勝利する要因があるのか考えて頂きたい。

あなたたちの金と権力の源泉であるルシファーはすでに私とウリエルの手で倒された。

悪魔崇拝の儀式はすでに意味を成さない。あなたたちの邪悪な心をわずかに満たすのみである。

知って頂きたい。すでに世界はあなたたちの手で動いていないことを。
拝金の時代も、暴力の時代も、悪魔の跋扈する時代もすでに終わりを迎えている。

あなたたちの手で無残に殺されていった不遇の霊を私の味方とするだろう。
理不尽を極め、邪淫と快楽にふけっていたあなたたちに、私は理不尽を与えよう。

時は満ち、日は昇る。金星はもう輝くことは無い。あなたたちに光差すことは二度と無い。

わずかに守る権力も、私の手で犯される。金で人間の魂は買えたかい?
所詮、あなた方は権力に胡坐をかいて来た人間に過ぎない。

多くの苦難を乗り越え、金と権力に抵抗し、救世主の座を与えられた私に勝てるというのなら、その傲慢に満ちた挑戦を受けてあげましょう。「後悔」という言葉では済まない地獄とともに。

消え去るがいい。大天使ウリエルの御名のもとに!
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(デヴァ=ルシファー)五旬祭−人間の霊を解放するための祝祭

『神殿伝説と黄金伝説【シュタイナー秘教講義より】』ルドルフシュタイナー著 高橋巌○笠井久子・竹脇郁子・訳より

五旬祭−人間の霊を解放するための祝祭
                           一九〇四年五月二三日、聖霊降臨祭の月曜日



 今日の集まりが小人数になるだろうということは、あらかじめ予想できていましたが、それでも今晩いらした方々のために、五旬祭(その年の収穫とシナイ山で神から律法を授けられたことを記念する、ユダヤの昔からの祭り。キリスト教では、復活祭から五〇日目に当たるこの五旬祭の日に聖霊が降臨したことを祝う聖霊降臨祭が行われる。「使徒行伝」第二章参照。)にに関してお話することも致しました。本題に入る前に、先日のロンドン旅行のご報告を致しますと、秋にベザントさんがこちらにいらっしゃることがかなり確実になりました。現代の最も優れた人物の一人から話を聴く機会を持つことが出来るのです。 次の公開公演は、二回とも建築家会館で行われる予定です。来週は降霊術について、その次の週は夢遊病と催眠術についてです。その後、この月曜の例会がまたここで開かれます。次の週から毎週木曜日には、神智学的な宇宙論について、神智学を通して見た宇宙生成のイメージをお話するつもりです。この問題に興味をお持ちの方は、一般神智学関係の文献には多分まだ書かれていない、様々なことがお聞きになれるでしょう。神智学の諸要素についての講義は、もう少し後に行うつもりです。
 さて、私が今日お話することは、太古のある神秘的な伝統を基にしています。勿論、このようなてーまを今日だけで論じ切ることは不可能ですし、その上、皆さんは多くの点で信じられないような思いをなさるでしょう。ですからこれからお話することは、何ら証明されることのない、一つのエピソードとして受け取って頂きたいのです。
 今日の人々は、意味もわからずに、祭日を祝っています。新聞は、現代人の大多数にとって教養と啓蒙の泉そのものですが、そこには祭日が持つ意味について何の意識もなく書かれた記事ばかりが目につきます。しかし、神智学者としては、内なる意味に眼を向けねばなりません。そこで今日は、このような太古からの祝祭の一つである五旬祭の起源についてお話したいと思います。
 五旬祭は最も重要な、理解るのが最も困難な祝祭の一つです。キリスト教徒にとっては、この祝祭は聖霊の降臨と結びついており、その出来事は次のような奇蹟として記されています。「キリストの一二使徒の上に聖霊が降り注ぐと、彼らはありとあらゆる言語で語り始めた」。−これは、使徒たちがそれぞれ人の心を通じる通路を見出し、それぞれの人にわかりやすいような話し方で語ることが出来た、と言うことです。
 しかしこれは、五旬祭が持っているいくつかの意味の一つに過ぎません。より根源的に理解しようとするなら、もっと深く掘り下げなければなりません。五旬祭は象徴的な祝祭として、この上なく深い秘儀と、人類の最も聖なる霊的財宝とに結びついています。ですからそれについて述べるのは難しいのですが、少なくとも二、三の事柄について、今日は示唆してみたいと思います。
 五旬祭が一体何に対する象徴なのか、その根底に何があるのか、その深い意味は何か、このことについて書かれている文書は、唯一バチカン図書館にあって、厳重に保管されています。ただしそれには、五旬祭についてではなく、五旬祭が何の外的な象徴に過ぎないのかについて書かれているはずです。この文書は、カトリック教会の深い秘密に通じている人か、またはアストラル光の中で読むことの出来る人以外には、誰にも読まれなかったでしょう。ただ、その写しを持っている人物がいます。彼は世界からまったく誤解されていましたが、今日、歴史研究家が彼に興味を持ち始めています。私は彼がそれを「持っている」という代わりに、それを「持っていた」と言ってもいいのですが、それではこの人物の存在の意味がはっきりしなくなってしまうでしょう。ですから、それについて世界で唯一伝わっている写しを、サン・ジェルマン伯爵が今でも持っている、と申し上げておきます。
 ここでは神智学的な観点から若干のことを暗示するだけにしたいと思います。まず第五根幹人類期(後アトランティス期、すなわち新石器時代以降。アトランティス期は旧石器時代。)の進化、発展に関わる事柄を取り上げましょう。現在の人間が持っている身体の形態は、古レムリア時代である第三根幹人類期に獲得され、さらに古アトランティス時代である第四根幹人類期に形成され続け、今日の第五根幹人類期に至りました。私のアトランティスについての諸講義をお聞きになった方は、ギリシア人がまだこのアトランティス時代の生々しい記憶を有していた、ということを思い出して下さるでしょう。
 まず全体の関連をつかむために、第五根幹人類期の二つの流れである北方系と南方系の両世界観について知っておく必要があります。それらは人々の心の中に密かに生き続け、互いに様々な仕方で争い合って来ました。その一方の流れはエジプト的、インド的、南ヨーロッパ的世界観となって、明瞭な形で存在しています。後のユダヤ教とキリスト教の中にも、それが含まれています。他方、ヨーロッパでは、それにもう一つの流れが混ざり合いました。それは古ペルシアの世界観の中に生きてる流れです。私たちが人類学者や民俗学者の言うことに耳を貸さずに、事柄にもっと深く入り込むなら、ペルシアから西へ向い、ゲルマン人の諸領域まで延びているその流れを、再び見出すことが出来ます。私はこの二つの流れの根底に、大きな優れた精神的な直感が働いていた、と申し上げたいのです。その一つの直感は、太古インドの聖仙たちの下で最も純粋に芽生えました。彼らの高次の存在たち、いわゆるデヴァ神たちの直感が現れたのです。神秘修行を成し遂げた人、この領域を研究する能力を得た人は、デヴァ神がいかなる存在であるか知っています。この純粋に霊的な存在は、アストラル的、メンタル的空間にあって、人間が三重の本性を持つのに対して、二重の本性を持っています。というのは、人間は、体と魂と霊から成っていますが、デヴァ神の本性は私たちがそれを辿りうる限りでは、魂と霊だけから成っているからです。霊以上にもっとなにかがあるかも知れませんが、そこまでは私たちの神秘修行をもってしても辿り切れません。

デーヴァ=デヴァ神ルツィフィエル=ルシファー
デヴァ神.jpg
アンコールワットに彫られたヒンドゥーの神々(デヴァ神)=ルシファー

デーヴァ (サンスクリット देव, deva) は、サンスクリットを意味する語である。女性形デーヴィー (देवी, devī)。印欧祖語に由来する。
ヒンドゥー教仏教などインド系の諸宗教で現われる。
漢訳仏典では、天部天人天神、天部神などと訳される。
デーヴァが住む世界をデーヴァローカ (devaloka, deva loka) と呼び、天界天道天上界などと漢訳される。
【インドのデーヴァはイランダエーワと同一の語源】と言われるが、イランのゾロアスター教ではダエーワは悪神である。
ラテン語デウス (dēus)=ゼウスなどと同じ語源である。

 デヴァ神の内部は直接霊から成っています。魂を担った霊だからです。人間の中にあって眼で見ることが出来ないもの、つまり人間の内部に生きている欲望、衝動、苦悩、願望といったものは、霊的な感覚を開いた人にとっては、光の現れとして知覚出来る魂の力であり、私たちの魂体です。その人間にとって内界であり、、肉体によって担われている魂を、デヴァ神たちの最も低次の体、肉体と考えることが出来ます。インド的な直感は、主にこのデヴァ神たちの崇拝へ向けられました。インド人はデヴァ神たちをあらゆるところに見ているのです。インド人が世界現象の舞台裏に目を向けるとき、彼らはそこに創造の力としてデヴァ神たちを見ています。この直感は、南方系世界観の根底を成しており、とりわけエジプトの世界観の中に壮大な形で現れています。
 もう一方の直感には、古ペルシア神秘主義が根底にあり、これもまた二重の本性だけを有する存在たち、アシュラ(アフラ)を崇拝しました。(ペルシャにおける
アフラ・マズダー。)

アスラअसुर
アスラअसुर)とは、
インド神話バラモン教ヒンドゥー教における神族または魔族の総称。ペルシャにおけるアフラ・マズダー

本来、『リグ・ヴェーダ』に見られるように、古代インドにおいてアスラは悪役的な要素はなく、デーヴァ神族の王インドラに敵対することもある天空神・司法神ヴァルナ眷属を指していたが、その暗黒的・呪術的な側面が次第に強調されるようになり、時代が下った古代インドではアスラを悪として扱うようになる。「アスラはア(a=非)・スラ(sura=生)である」という俗語源説もこの転回を支持するものだった。
インド神話がバラモン教からヒンドゥー教へと発展し、シヴァヴィシュヌが新しく主神となると、アスラはヴァルナの眷属という設定が薄くなる。そのうち、デーヴァ族に敵対する種族であれば何でもアスラと呼ばれるようになった。

アスラが仏教に取り込まれそれが中国に伝わると、漢字を当てて「阿修羅」と表記されるようになった。また、中国において「阿」の文字が子供を呼ぶときの接頭辞(日本でいう「〜ちゃん」に該当する)と同じ表現であることからか、「修羅(人間以下という意味。)」とも呼ばれる。
 


アフラ・マズダー=アフラ=アスラ=アシュラ=阿修羅=スプンタ・マンユ
アフラマズダー神.jpg

アフラマズダー神(右)から王権の象徴を授与されるアルダシール1世(左)のレリーフ(ナグシェ・ロスタム

アフラ・マズダー (Ahura Mazdā)は、
ゾロアスター教の最高神である。

宗教画などでは、有翼光輪を背景にした王者の姿で表される。 その名は「智恵ある神」を意味し、善と悪とを峻別する正義と法の神であり、最高神とされる。
ゾロアスター教の神学では、この世界の歴史は、善神
スプンタ・マンユと悪神アンラ・マンユらとの戦いの歴史そのものであるとされる。 そして、世界の終末の日に最後の審判を下し、善なるものと悪しきものを再び分離するのが アフラ・マズダーの役目である。 その意味では、彼は善悪の対立を超越して両者を裁く絶対の存在とも言える。

中世以降の教義では、パフラヴィー語形のオフルマズド (Ohrmazd)と呼ばれ、 アムシャ・スプンタの筆頭 スプンタ・マンユと同一視される。 この場合、古典的な教義に於けるアフラ・マズダーの役割(善神と悪神の対立の上にある絶対者)は ズルワーンが担う。

実は、ルシフェルは、神の命令で地獄に派遣されたと考える人たちがいます。
また、神というものは、崇める者がいなくなれば、その地位から没落します。
五代インドのインドラ、ゾロアスター教のアフラマズダーなどがそうで、インドラはあまりに強力すぎて、敵がいなくなってしまい、人々から忘れられた存在になってしまいました。
アフラマズダーは、最高神の地位から滑り落ち、自らが作り出した悪神アンラマンユと同格になってしまいました。

神が光り輝くためには、闇がなければ光り輝くことができないのです。
闇を滅ぼしてしまうと、その瞬間から光りが必要なくなってしまうため、闇を滅ぼさないようにしているのです。
しかし、その時代ももう、終わり、悪魔は一匹足りとも必要なくなったので滅び去ることになったのです。

アシュラたちも霊と魂を持っていましたが、壮大なやり方で、その霊と魂の器官を包み込む肉体を育成しました。デヴァ神を信奉するインドの世界観は、このアシュラをいくらか下位のものと見做していましたが、それに対して北方系世界観を信奉する人々は、よりアシュラに、物質界に執着しました。そのために、感覚的な現象界を物質的な仕方で支配したり、究極の技術や技法などで、現実世界を支配したいという欲望が特に発達しました。今日では最早、アシュラを信奉している人はいませんが、しかし今なお私たちの多くが、いくらかこの本性を内に持ってます。ですから人生の物質面を追い求めたいという欲求にかられる傾向を持っているのが、北方系世界観の基本的な特質なのです。純粋に物質主義を信奉する人は、このアシュラに由来する何かを自分の中に有している、というのは確かかも知れません。
 そしてアシュラ信奉者の中に、独特な基本感情が生じました。それは始め、北方系ペルシアの精神生活の中で芽生えました。ペルシア人はデヴァ本性にある種の恐怖を抱きました。恐怖、畏れ、戦慄を、純粋に霊的、魂的なデヴァ神に対して持ちました。その結果、ペルシア的世界観とインド的世界観の間に大きな対立が生じました。南方系のインド的世界観では賛美され、逆にインド人が崇拝としているデヴァ神が遠ざけられました。ペルシア的な世界感情の中で、デヴァ本性を有する存在に対する否定的な基本感情が生じたのです。そこではデヴァ本性は避けられ、恐れられました。つまりこの世界観が崇拝しているのは、サタン=アーリマンであり、霊的存在であるルツィフィエル=デヴァ神は、嫌悪されたのです。私たちは悪魔信仰の根源をここに見出さねばなりません。この基本感情は現代の世界観の中にも入り込んでいます。中世では、このような悪魔=アーリマンがとりわけ恐れられ、憚られる存在でしたが、現代では逆にルツィフェルがハッキリと遠ざけられています。

アンラ・マンユ(アーリマン)
サタン

アンラ・マンユ (Angra Mainyu, Aŋra Mainiuu) またはアフリマン (Ahriman, 中世ペルシア語形、アーリマン) は、ゾロアスター教に登場する悪神。

善悪二元論のゾロアスター教において、最高善とする神アフラ・マズダーに対抗し、絶対悪として表される。創世神話によれば、世界の始まりの時、創造神スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユと出会ったという。そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユ(サタン)は「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造したという。ヴェンディダード (Vendidad) 第1章によると、アフラ・マズダーが光の世界を創造するとすかさずアンラ・マンユは対抗すべく冬、病気、悪などの16の災難を創造したという。アンラ・マンユはさらにアフラ・マズダが創造した世界を破壊し、被造物を殺戮すべくアジ・ダハーカを生み出したのである。

この世が始まる前の戦いでアフラ・マズダに敗れ、深闇に落とされるが、徐々に勢力を盛り返し、再びアフラ・マズダと戦うとされている。実体はないが、この世に現れるとき、ヘビやトカゲといった爬虫類の姿で出現するとされる。配下は大魔ダエーワや悪竜アジ・ダハーカなど。英雄スラエータオナがアジ・ダハーカを退治しようとするが、剣を刺してもそこから爬虫類などの邪悪な生き物が這い出すため、これを殺すことができなかった。そのため最終手段としてダマーヴァンド山の地下深くに幽閉したという説話もここから来ている。つまりアジ・ダハーカはアンラ・マンユの力の結晶として生み出されたということである。

キリスト教への影響

黙示録の赤い竜や善悪二元論、最後の審判といったキリスト教の要素にはゾロアスター教からの影響が見てとれる。キリスト教のサタンも旧約聖書のヨブ記を見る限りは神の僕であり、試練を与える天使という位置付けであったが、新約聖書のサタンは完全に敵対者である。

スプンタ・マンユ
スプンタ・マンユ (Spənta Mainyu) は、
ゾロアスター教に於いて崇拝される善神アムシャ・スプンタの筆頭で、「創造」を司るとされる。その名はアヴェスター語で「聖なる霊」を意味する。創世神話によれば、世界の始まりの時、スプンタ・マンユはもう一人の創造神アンラ・マンユと出会ったという。そして、スプンタ・マンユは世界の二大原理のうち「善」を、アンラ・マンユは「悪」を選択し、それぞれの原理に基づいて万物を創造した。
我々が存在しているこの現実世界は、スプンタ・マンユとアンラ・マンユの被造物が混じり合い、互いに戦い合う「善と悪との戦場」である。
中世以降は最高神
アフラ・マズダーと同一視される。


 前述した文書に、それに関する説明があります。私たちが、その文書の内容に即して世界進化の歩みを辿るなら、第三期、レムリア人類期の中葉に、人間が物質素材を身に纏ったことがわかります。輪廻転生には始めも無く、終わりも無いという神智学徒が考えるとしたら、それは間違いです。輪廻転生はレムリア期に始まり第六人類期の始めに終わりを迎えるでしょう。(※この時点で申し訳無いが、この方の言ってることは誤解である。)人間が生まれ変わるのは、地上の進化の特定の期間にすぎません。生まれ変わる必要の無い、極めて霊的な状態が先行してあり、そしてまたうまれ変わる必要の無い霊的な状態が来るのです。
最初の受肉は第三人類期のときに、いわば処女的な状態にある人間の霊であるアートマ・ブッディ・マナスが、はじめて肉体の中に宿ったことに始まります。当時、地球の物質的な進化は、動物的な存在たちと共にまだそれほど先へ進んでいませんでしたが、動物的な存在全体は、まだ、人間の霊を受け容れるほどには、進化していませんでした。しかしそのうちの特定の一群だけは、すでに人間の霊の種子を自らの動物的な身体の中に沈めることが出来るほどに発達していました。こうして人間の身体に形態が与えられたのです。
 そしてその頃に受肉して人間個性となった人たちの一部が、小さな種族を形成しました。彼らは、後にいわゆる「奥義に達した者」として、世界中に散らばった人たちです。それは私たちが今日、秘儀伝授者と呼んでいる人たちのことではなく、はじめて奥義に達した人たちのことです。私たちが秘儀伝授者と呼んでいる人たちは、その当時はまだ受肉していませんでした。当時は動物的な身体に受肉することのできたはずのすべての存在が受肉していたわけではなく、そのほんの一部がそうしたに過ぎませんでした。その他は、特別な理由から、受肉の歩みに逆らっていたのです。彼らはそうやって第四人類期になるまで待っていました。聖書はその時のことを、深い意味のこもったやり方でこう暗示しています。「神の子たちは、人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった」。
 それまで待っていた者たちの受肉は、このように遅れて始まりました。私たちはこの一群を「叡智の子ら」と呼んでいます。彼らには、ある種の思い上がりや誇りが感じられます。奥義に達した人たちのわずかな例外については、ここでは言及しないで置きます。「叡智の子ら」がすでに第三人類期に受肉していたら、人間は今のような明瞭な意識を持ってなかったでしょう。人間は暗いトランス意識のまま留まり、今日、催眠術をかけられた人や夢遊病患者などに見られるような意識を有したことでしょう。つまり、人間はある種の夢意識に留まってしまうところだったのです。そうなっていたら、非常に重要なものが、人間には欠けてしまったことでしょう。それは自由の感情でありい、自分自身の意識、自我に基づいて、善と悪を判断することです。
 創世記には、この遅れた受肉が人間の「堕罪」として記されています。その受肉した人間の姿は、先程お話したように、デヴァ神(ルシファー)に対するある種の畏れによって引き起こされた感情の影響下で形成されました。その時ルシファー(デヴァ)自身はまだ受肉していませんでした。ルシファーは待っていました。そして肉体を持った人類がもう一段進化したとき初めて、その肉体を手に入れるため下降しました。そうすることで、ルシファーがそれ以前の場合よりも、より成熟した意識を発達させるためにです。
 このように、人間は自分の身体を濃縮させることで自由を得ました。何故なら彼は、さらに濃縮した生体の中に本性が下降するようになるまで受肉を待ったのですから。−とギリシア神話は述べていますー、人間がまだ「楽園」にいたとき受肉していたら、ゼウス(=悪魔バアル=ベルゼバブ)が欲した通りになっていたでしょう。ゼウス(=悪魔バアル)は人間を自己意識を持たないまま幸せにしたかったのです。そうなれば、明瞭な意識はただ神々のみが有し、人間は自由への感情を持たずにいたでしょう。自由に自らを高みへと発展させるために、人類の中でルツィフィエルの霊、デヴァの霊は反抗し、下降することを望みました。このことが「プロメテウスの伝説」の中に象徴的に表現されています。しかしプロメテウスは、その企ての償いとして、欲望のシンボルである鷲に肝臓をかじられ、極度に恐ろしい痛みを味わい続けなければなりませんでした。
 人間はより深く下降したために、魔術的な技法や力によって持てたかもしれないものを、自分の明瞭な自由の意識から生じるものによって獲得し、さらに痛みと苦しみにも耐えなければなりません。このこともまた、聖書に次のような言葉で記されています。「あなたは苦しんで子を産み、顔に汗してパンを食べなければならない」等々です。それは、人間は文化の助けを借りて、再び自らを引き上げなければならない、ということに他なりません。
 (単なる子供の我が儘の意味での)自由の中で戦うこと(そのことによって犠牲になる人々のことなどおかまいなし)によって文化を獲得していく人類の代表者(勝手に自分で代表と思っているだけ。)をギリシア神話のプロメテウスとして象徴化しました。
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2012年04月04日

【必見!】 驚愕の怪文書 (コピペ)

2012/02/10


06:34:17

【必見!】 驚愕の怪文書



document0210.jpg

怪文書のコピー(と思われる)画像


(↓以下の「」内が怪文書の中身です)

「 野田総理訪中をめぐって起きた官邸内の内部紛争
 

 25日以降の総理訪中をめぐり、官邸内で内部紛争が起きている。それは、鹿野道彦農水大臣と筒井信隆農水副大臣が昨年末以来、中国農業発展集団と連絡して日本のコメ・農水産物・畜産品(牛乳・粉ミルク・牛肉)を対中輸出するための窓口づくりを画策してきたことに対し、農水省や経済産業省、外務省の官僚が反発して矛盾を暴露したためである。

 トラブルの原因は、2011年5月から日本側が借りた北京市朝陽区に所在する農業博覧会場をめぐる問題だ。筒井副大臣は昨年12月頃に訪中した際、自分の権限で農水省に諮らずに勝手に中国農業発展集団の子会社である中農発展食品有限公司と協定書を締結し、中国国務院農業部の管理下にある農業博覧会場のうちの9000u分を今後少なくとも5年間は賃貸すると約束した。賃貸料は年間2億円、日本食品の展示即売会場への内装変更工事費2億円で、2011年内に4億円を中国側(中農発展食品有限公司)に支払う内容で覚書を交わした(今年になってからも、7月20日に筒井副大臣名で新たに覚書に署名した。後述するように、3月の東日本大震災で日本側の計画が遅れ、「5月までに4億円を支払う」とした当初の約束が守られなかったため、中国側が確認を迫ったためである)。

 筒井副大臣は中国側と取引をする窓口として、農水省所管の下に一般社団法人・中国農水産物等輸出促進協議会を設置させ、自分の部下である田中公男(Tanaka
Kimio)を同会の代表社員に就任
させた。これに先立つ昨年12月、筒井副大臣は鹿野大臣に要求して中国との取引開始準備のため、当時、樋口俊一衆議院議員の公設第一秘書であった田中公男を農水相顧問に就任させた。田中は、農水相顧問の肩書を利用し、何度も中国へ渡航して「自分は日本政府農水大臣の代理である」と称して、中国農業発展集団側との交渉を実施してきた。

 筒井副大臣と田中は、中国農水産物など輸出促進協議会を中国農業発展集団ならびに中農発展食品有限公司への商品輸出独占窓口とし、輸出取引を希望する企業や団体は促進協議会に入会金と会費(会社ランクにより年間25万円〜150万円)を納入して会員となることでそれが可能になると宣伝した。また、取引成立後は売り上げの1%文を事務費として促進協議会へ納入するものとした。

 田中と筒井副大臣の当初の構想では当面20万トン分の日本産米を、中農発展食品有限公司を通じた対中輸出し、それだけで6億円の粗利を得るというものだった。また会員企業を3000社以上集めて、会員収入で初年度4億円、その後は年2億円の農業博覧会場賃貸料を賄うものとした。

 農業博覧会場では、常設の日本農水産品展示会を行い、会員企業から「展示品」 名目で食料品・農水加工品・栄養サプリメント等を持ちこませて中農発展食品有限公司に代理販売させる計画だった。その際のメリットとして田中が中国側と交渉したのは、「展示会の展示品は輸出商品ではないので、検疫手続きが免除される」ということだ。これを促進協議会参加のメリットとして宣伝し、会員集めをしようとした。

 しかし、こうした動きは当初から農水省内部の官僚たちから反発を受けた。まず、衆議院議員公設秘書である田中が本来なら事務次官OBを相談役としての位置づけで就任させるポストである農水相顧問をした異例ぶりである。農水大臣官房は、「必ず問題になる」と鹿野大臣を説得し、結果として5月下旬に田中は衆議院議員公設秘書を退任した。

 また、「展示品だから検疫手続き不要」というやり方も、官僚たちの反発を招いた。日本の官僚たちからすれば、仮に中国側が「ごくわずかな数量なら問題ない」という見解でも、逆に日本で同様の措置を中国側から求められるのは困るということであるし、「検疫を免除されるために商品を『展示品』として運び入れるために展示会場を常設するというのは、一種のイカサマ商法」であると考えられるので、筒井副大臣や田中の進める方向に賛同できるはずがなかった。

 こうした政府内の反発を受ける中で筒井副大臣と田中は鹿野大臣の支援の下、強引に事業を進めようとして、1月下旬に中農業発展集団総経理を日本に招待し、新潟県視察に案内した上にこれをNHKテレビその他のマスコミで報道させた。これと同時に促進協議会加入説明会を開催し、400社以上に農水省を通じて案内を行い、会員勧誘を展開した。

 しかし、こうした計画は3月11日に起きた東日本大震災・津波と引き続く福島第一原子力発電所破壊による災害で大きな影響を受けることになった。中国側は放射能物質汚染のおそれから日本産農水産物や食品の輸入を大幅に制限し、日本企業も当面、食料品などの対中輸出は絶望的とみなした。そのため、中国農水産物等輸出推進協議会には会員はほとんど集まらず(数社程度)、中国側に5月からの農業博覧会場賃貸料支払を行うことが不可能となった。

 通常なら、「激甚災害に伴う事態に対応するため、会場借上げを見直す」方針で行くべきであるのに、筒井副大臣と田中は賃貸の継続にこだわった。7月に入り中国側が契約履行を迫るため、代表を日本に派遣すると、田中は遅れていた一般社団・中国農水産物等輸出促進協議会の登記手続きを進め、その際に規約案見直しを行って「基金募集を行える」との規約を付け加えた。それに基づき、中国側には8月、9月、12月に4億円を分納する約束を7月20日付筒井副大臣署名の覚書を取り交わすことで約束する一方、「促進協議会の事業は国策事業で取引先も国営企業(実際は国有民間水産企業)」と宣伝して基金募集を開始。医療法人大坪会から1億5千万円の借入を行いながら、一般医薬品製造会社コーワから1億円、医薬品・食品卸業者である株式会社大木から3千万円、食肉業界から2千万円の基金投資を集めた。これらは、全て8月と9月、中国側に送金された。

 つまり、全く使っていない展示会場の賃貸料を業者をごまかして集めた巨額の資金で支払、結果として資金を全部費やしてしまったことになる。それでも、中国側に約束した「2011年内に4億円支払い」のうちの残額1億円を年内に支払う目途は立っていない。

 ちなみに、促進協議会が住所として登記している事務所は、医療法人大坪会の大坪修理事長が所有する新紀尾井町ビル7階に置かれているが、7月以来、一切家賃を払わず事務職員も置いていない。入会勧誘を受けた会社の一部は、事務所に連絡がとれないので「幽霊団体」とみなして入会を断ったほどである(鹿野農水大臣の地元である山形県の企業や農業団体)。

 この事態を知った農水省官僚は驚愕し、個別の業界に対して「促進協議会の事業に参加することには慎重になるべき」と口頭通達を行って異常な事態の拡大を抑制しようとしてきた。そして、12月8日には鹿野大臣、筒井副大臣、田中には知らせないで訪中し、中国の検疫当局と面談して『展示品であっても現地販売するものは中国の輸入品として、検疫を実施』との確認を行った。これを知った田中と筒井副大臣は、官邸内に相談を持ちかけ、斉藤官房副長官ルートから事態収拾を図ろうと画策中だ。

 あわせて、政治家の力を動員して農水省の妨害を押さえ込むため、民主党の農業関係議員に呼びかけて農水産物輸出促進議長連盟(会長=山田正彦前農水大臣、顧問=筒井副大臣等)を結成し、年末には議長連盟の訪中団を出すことまで画策した。この訪中団は12月13日に予定されていた野田総理訪中が延期されることで中国訪問を見合わせた。議員連盟の構成メンバーたちのほとんどは、促進協議会が直面しているトラブルに全く気づいていない。

 しかし、12月20日、農水省が同省出身の宮崎県選出衆議院議員・川村秀三郎氏(元林野庁長官)に「促進協議会は、不可能なこと(展示品を検疫なしで中国に持ち込み、販売すること)を可能と言い張って民間資金を集める事実上のサギまがい行為をした」と報告することで、紛争は深刻化している。川村議員も山田前大臣の勧誘で輸出促進議員連盟に加盟しているが、今後この連盟にもトラブルの内容が知られて事態が重大化する可能性が高い。

 田中は、21日夜、斉藤官房副長官秘書官の松本収(元仙谷由人官房長官の秘書)を接待し、「農水省はプランを全面否定したので、外務省の対外宣伝予算40億円から必要経費を支出してほしい。その上で、野田総理が訪中した際、少しの時間だけ北京市朝陽区の農業博覧会場に立ち寄って常設日本食品見本市会場の工場現場を視察し、日中国交回復40周年事業の一環として成功させたいとコメントしてほしい」と依頼を行っている。

 しかし、野田総理訪中は金正日国防委員長死去後の事態を受け、25〜26日の一泊予定だったものが日帰りとなる方向で調整中であり、田中の要請はほとんど実現不可能な状況である。

 中国側関係者の情報によると、田中は北京での常設日本食品見本市会場の内装工事発注の際、中国側の中農発展食品有限公司の責任者や日本駐在代表(関氏)と共に、工事業者から数百万の「見返り金」(マージン)を受け取ったという。

 また、この汚職構図には在東京中国大使館の関係者(公使クラス)も関与しているので、外交問題化が日本農水省や外務省で懸念されている。

                                              以上  」



上掲の告発文のような文書は昨日2月9日、稲田朋美衆議院議員の国会での質疑において触れられた”怪文書”の中身である。この”怪文書”は先月半ばに永田町に出回ったそうだが、この文書を読んでいただければお分かりかと思うが、怪文書自体が作られたのは昨年の末、野田の訪中の直前あたりではないかと察せられる。
この質疑の後すぐにTwitterにおいて、この質疑で問題となった怪文書のコピーの画像が拡散された。これほど重要な問題がであるにもかかわらずテレビのニュースで扱われなかったようであり、従って、当ブログで掲載させていただくこととした(コピー画像をそのまま掲載すると若干見づらいため、ワープロで打ち直しました。読み間違いなどがあるかもしれませんがご容赦いただけたら幸いです)。


答弁に立った鹿野農水大臣のこれまでにない狼狽ぶりを見ても、やはりただ事ではない問題なんだろうな、と思う。
問題なのは、「野田総理が訪中した際、少しの時間だけ北京市朝陽区の農業博覧会場に立ち寄って常設日本食品見本市会場の工場現場を視察し、日中国交回復40周年事業の一環として成功させたいとコメントしてほしい」といった田中の要請を実現させてしまったである。

もしこの怪文書で述べられている一連のプロセスについても、それが真実であったら、大変なことである(おそらく真実であろうと思われるので、大変深刻な事態が進行しているということである)。




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※ 田中公男の「農林水産省顧問」の肩書での名刺

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※稲田議員の質疑で用いられたパネル
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【THE売国】人権擁護法案の正体→思想警察!

人権侵害救済法案
2012年度閣議決定強行へ
小川法相 今通常国会上程を公式表明
古賀派、公明党(在日)、社民党(福島瑞穂趙 春花北朝鮮の金正日の姪だっけか?)は全員賛成

小川敏夫.jpg言論封鎖で明るい未来.jpg

サイバーテロより恐ろしい人権侵害救済法案
http://www.youtube.com/watch?v=bFanCoYAsJc&feature=player_embedded


池田大作4.jpg

貴方の宗教の教祖、池田大作の本名は、本来 ならば、成太作(ソン・テチャク)です。両親とも戦前から日本にいた朝鮮人です。 全羅南道人のようです。(一説には、池田大作本人も日本生まれではない、一世であるといわれています。)知っていましたか?

「池田大作 碑文 韓日新時代」.jpg
「池田大作 碑文 韓日新時代」

池田大作(ソンテチャク)先生に褒められて感動して涙を流したそうです
http://www.dailymotion.com/video/xkbmn3_yyyy-yyyyyy-yyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy_news


「こういうのを精神分析したら何と言うのでしょう?」←シャブのやり過ぎ。

2012年4月5日22:45頃 三浦靖子、日本テレビで曰く「これ勝つ可能性0%ですよぉ!!!」

23:37 私「あ、そうだ。成太作(ソン・テチャク)、お前、地獄行きな。売国罪だ。」

23:39
iグーグルスポーツ欄「よく頑張った」

池田大作ことモロク崇拝者「成太作(ソン・テチャク)」について

ls101tucさん

池田大作こと成太作(ソン・テチャク)について

池田大作こと成太作(ソン・テチャク)は世界中の大学から「名誉〜」などという称号を得ていますが
日本の大学から受けたものが一つも無いのはなぜでしょうか?
これはいわゆる「ディプロマミル」というものなのでしょうか?

熱心な会員の方、詳しく説明をお願い致します

補足
「日本の」とわざわざ書いてあるにも関わらず、外国の大学ばかりを列挙する学会員は本当の馬鹿なのでしょうか

ベストアンサーに選ばれた回答

acya_ma_boboさん

だから、秋田経法大学を乗っ取ったのでしょう。
ここからも池田センセーに何かしらの称号が間もなく発行されるハズ。
卒業生の方々は伝統ある母校が無くなり、ワケのわからない校名にされて嘆いているとのこと。
経営難の大学関係者の方は気をつけましょう!

創価大学でさえ名誉博士号はおろか名誉教授号を出していないのですから、推して知るべしですね。
東大の名誉教授号を手に入れるよう命ぜられた人が大変困ったという話が「池田大作の品格」という本に載っていましたね。

こういう恥ずかしい学会員の実情がみんなに理解できていいのではないでしょうか?日本のはなんでないの?聞いてるのにね。
ディプロマミル
ディプロマミルは、公式の認定団体から認定されていないところがほとんどであり、学歴詐称まがいの行為を誘発するものとしてアメリカでは大きな社会問題となっている。なお、現時点では日本国内ではこれらディプロマミルが授与した「学位」は正式なものとしては見なされない傾向にある。

ディプロマミルから「学位」を「授与」される人物は、肩書きに箔を付けようとする新興宗教の教祖や、「天才」を自称する発明家のような人物、あるいは商取引上権威があるように見られたいビジネス関係者などが多いとされる。

日本における法的問題
ディプロマミルの発行した学位を使用していた場合、軽犯罪法第1条15項(称号詐称の罪)で処罰される可能性が弁護士によって指摘されている
↑捕まっちゃうから 日本の大学から称号うけないのね。


日本と言ってるのに外国の大学の名前を次々と書く下の回答者qrbz学会員は 本当に真面目にオオバカですね。
日本じゃ通用しないから外国に逃げているもんね!


会員からの多額の寄付をまとめた多額の寄付に対して、感謝状か「名誉〜」の称号を贈呈するかの違いではないでしょうか
まじめに釣られてみました この勇気を認めてほしい




平岡法務大臣 2012年度通常国会の提出を公式表明

平岡秀夫法相ー人権救済機関の設置についてー 「国際的にも人権救済をしていくべきだという大きな流れがあり、その要請に応えていく必要がある。できるだけ早く、遅くとも来年の通常国会には法案を出せるようにと考えている

野田首相 平岡法相に人権侵害救済機関設置を指示

野田はやはり人権擁護法案推進派でした 平岡法相に人権侵害救済機関設置を指示 
平岡法相本人ブログより
特に、法務大臣就任に当たっては、野田総理から次の6つの重要政策課題についてご指示を戴きました。その第1は、国民にとって身近な司法を目指す司法制度改革の推進です。その第2は、検察改革、取り調べの可視化など新たな刑事司法制度の構築です。その第3は、新たな人権救済機関の設置です。その第4は、連れ去られた子供の返還に関する「ハーグ条約」加盟に向けた検討です。その第5は、平成16年に改正された行政事件訴訟法についての検討です。最後の6番目は、企業統治の在り方等を踏まえた会社法制の整備についての検討です。いずれも、国民の皆さんにとって重要な課題であり、関係大臣とも協力しながら、鋭意取り組んでいきたいと思います。 
http://ameblo.jp/hideoh29/theme-10007971877.html

民主PT、人権侵害救済機関設置法案を中間とりまとめ 自公に歩み寄り 秋の臨時国会に提出へ

 民主党の「人権侵害救済機関検討プロジェクトチーム(PT)」(座長・川端達夫衆院議院運営委員長)は8日、人権侵害救済機関設置法案に関する中間とりまとめ案を明らかにした。自公政権が提出を試みた人権擁護法案に歩み寄った内容となっており、秋の臨時国会への提出・成立を目指す。人権侵害の定義が曖昧で恣(し)意(い)的な運用が可能な上、表現の自由を侵害しかねないという本質的な危険性に変わりはない。

 民主党の一昨年の衆院選マニフェスト(政権公約)では人権侵害の有無を調査する「人権救済機関」を「内閣府の外局として創設する」としていたが、中間取りまとめ案では、自公両党の人権擁護法案と同様に法務省に設置することにした。公正取引委員会と同等に独立性が高く権限が強力な三条委員会とすることに変わりはない。

 人権委員は日本国籍を持つ人に限定したが、各都道府県に置かれる人権擁護委員の要件は引き続き「地方参政権を有する者」とした。将来、永住外国人に地方参政権が付与された場合、外国人が任命される可能性がある。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110608/plc11060821280013-n1.htm

民主党の新しい言論統制法「リーク防止法」人権侵害救済法案とセット提出を提言へ

「知る権利」大丈夫か 「リーク防止」法制提言 有識者会議 最高懲役10年も 
2011.8.8 22:40 (1/3ページ)
 沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の映像流出を受け、国の情報漏(ろう)洩(えい)防止策を検討してきた政府の「秘密保全法制の在り方に関する有識者会議」(座長・縣公一郎早稲田大教授)は8日、最高刑懲役10年の罰則を盛り込んだ秘密保全法制を早急に整備すべきだとする報告書をまとめた。有識者会議は取材活動などが制限される可能性を否定するが、強力な「リーク防止法」が制定され、恣(し)意(い)的に運用されれば、国民の知る権利が侵害される恐れもある。

 報告書は8日夕、首相官邸で開かれた「情報保全検討委員会」(委員長・枝野幸男官房長官)に提出された。枝野氏は、法制化について「国民の知る権利との関係や情報公開のバランスという課題もある。国民各層の意見も踏まえつつさらに検討を進めていく必要がある」と述べた。

※リーク防止法も国民新党・自民党本部・自選挙区へ反対FAXをお願いします
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110808/plc11080822400018-n1.htm


NHKニュース6月22日 16時43分
法相 人権委員会で中間報告
千葉法務大臣は閣議のあとの記者会見で、人権侵害の救済などに当たる「人権委員会」について、政務3役で協議した中間報告を発表し、委員会を内閣府に設置し、報道機関に対しては取材の制限などの特段の規定を設けない方向で関係の法案を取りまとめたいという考えを示しました。

子どもや高齢者への虐待や、インターネット上でのひぼう中傷などの人権侵害については、現在、全国の法務局が窓口となり、救済に当たっていますが、民主党は法務省からは独立した人権委員会の設置を求めています。これについて千葉法務大臣は閣議のあとの記者会見で、政務3役で協議した中間報告を発表しました。それによりますと、人権委員会を民主党の主張に沿って内閣府に設置する方向で、具体的な組織のあり方や救済措置の権限などについて、今後、関係省庁と検討する。また、人権侵害の申告に関連して、報道機関に対して取材の制限などの特段の規定は設けず、自主的な取り組み状況を踏まえながら今後の検討課題とする。さらに、委員会の調査を関係者が拒否した場合についても、制裁的な規定を置かない方向です。これについて千葉法務大臣は「内閣府に担当の部局を置いてもらえるように要請するなど、これから関係省庁との協議に入り、できるだけ早く法案の形にまとめていきたい」と述べました。

時事ドットコム(2010/06/22-11:35)
人権委員会、内閣府に設置=報道機関の取材規制せず−法相方針
 千葉景子法相は22日午前の閣議後の記者会見で、差別や人権侵害の調査・指導を行う人権救済機関の在り方に関し、「人権委員会」を内閣府に設置するとの方針を明らかにした。政務三役の協議を踏まえたもので、犯罪被害者らに対する報道機関の取材規制は行わないともしている。法務省は、同委員会を外局にするかどうかなどを内閣府と調整した上で、人権救済機関設置法案(仮称)の早期取りまとめを目指す。

人権擁護法案再び提出へ 2010年10月29日
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12589033

マンガで覚える人権擁護法案(人権侵害救済法案)業田良家編 
http://www.youtube.com/watch?v=Pv06EBy69fc&feature=player_embedded

【売国奴】人権侵害救済法案(人権擁護法案)推進政党と議員 
http://www.youtube.com/watch?v=W64qECFrnUM&feature=endscreen&NR=1


【売国奴】人権侵害救済法案(人権擁護法案)推進政党と議員 
http://www.youtube.com/watch?v=W64qECFrnUM&feature=endscreen&NR=1

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サルでも分かる?人権擁護法案(コピペ)


人権擁護法の危険性解説と反対運動支援

ここは人権擁護法案の危険性解説と反対運動支援するサイトです、何も知らずにここへ来てしまった人も少し読んでいってください。日本にいる全ての人に関係のある事です。今、世間に知られることなく危険な法案が作られようとしてます。

フリーメーソン 鍵(ソロモンの鍵?).jpg

人権擁護法案Q&A


人権擁護法案って、どんなものですか?


A.人権委員会が、「これは差別だ!」と認めたものに罰則を課すことが出来るようになる法律です。
人権委員会が5名、人権擁護委員2万人によって作られ、被差別者、障害者などが優先して選ばれることになっています。

現在閲覧可能な情報によると、この委員会は法務省の外局として扱われ、地方ごとに構成員が配置されることになっています。


Q.人権委員会が発足されるとどんな仕事をするんですか?


A.人権委員会は、人権侵害、そして「人権侵害を誘発・助長する恐れのある」発言や出版などに対し、調査を行う権限を持っています。もし人権侵害などが疑われた場合、委員会は関係者に出頭を求めたり、証拠品の提出、立ち入り検査を行うなどの措置を取ることができます。

また、委員会はこれらの措置に対し非協力的な者に対し、ある程度の罰則を課すことが出来る権限を持っています。

一番辛い罰則は「氏名等を含む個人名の公表」で、これが行われれば近所からの白眼視、職場や学校での寒い居心地などが待っているでしょう・・・。


差別と判断され冤罪(間違ってた)場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無いそうです

この委員会を抑止する為の機関・法律などが存在しないため、委員会による圧政が問題視されています。

Q.人権を守るのは良いことだよ、何で反対するの?


A.人権を守らなくて良いと言ってるのではありません。問題はそれを判断するために作られる「新しい機関」の権限の強さ、その人選の不透明・曖昧さ、人数です。
なぜ数年前に廃案になった法案を再び持ち出すのか
なぜおおやけに公表されることなく可決しようとしているのか

Q.何が問題なんですか?

A.問題の一つに、差別を判断するのが人権委員会だということ人権委員会が差別と判断したら止める者がいない事です、被差別者への批判言論、外交問題においての近隣諸国に対する、正当な批判さえもが差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあります。人権擁護法案よりも人権委員会の発足が危険視されています。

被差別者を解雇したら、「差別」であるとされる可能性がある。つまり、被差別者は解雇されないという特権が生じる危険性がある。

被差別者の過ちに対する正当な批判が、人権委員会が差別と判断したら差別になって、罰則が課せられる。そんなあいまいな基準で罰則が課せられ

たら、被差別の過ちに対する批判を、差別認定されることを恐れて何もいえなくなる。

差別と判断され冤罪(間違ってた)だった場合に、人権委員会がマスコミ等を通じて「間違ってました、ごめんなさい」という謝罪をする事は無い

実際権力持つのは人権委員だけれども、実務こなすのは人権擁護委員であって、わずか五人、【常任に至っては二人】しか居ない人権委員では許可発行にも
十分な審議ができるとは考えられない

北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記や韓国の左翼的政権の盧武鉉(ノムヒョン)
大統領を批判したとする。 そうした批判は在日の人びとの感情を傷つけ人権侵害に当たるとして、事情聴取や立ち入り検査をされ

かねない。これでは、言論および表現の 自由は深刻な危機に直面してしまうだろう。 。



Q.大体そんな変な法律だったら、可決されるわけないでしょ?


A.残念ながら、今現在はマスコミへの対応凍結で可決される可能性が高いです。また、可決されるかされないかは国民の意志ではなく、党員の意思によるもので、変な法律が可決されないというのは大きな誤りです。実際、盗聴法と悪名高い通信傍受法案は可決されてしまいました。


Q.最近初めて聞きました、本当に動いてるの?

A.問題の一つに、テレビや新聞などで全く取り上げられてないことです、マスコミが動かないゆえに世間一般では、全く広まっておらず、ほとんどの人に知られずに可決されようとしてるのです。
それが、フリーメーソンクオリティー!

Q.マスコミが騒がないのは何故?


A.実はこれと同じような法律が数年前騒がれました。
そのときはマスコミが大々的に報道し世論を動かしたからです。

しかし今回のほうは修正されており、マスコミの言論規制は今のところはありません。
また、TVの天敵であるネットがまず狙われる法律です。ネットの情報が規制されれば、情報源はTVのみになり視聴率が上がります。

だからマスコミはこの法律について放送しないと思われます。

何度か取り上げられましたが、マスコミ規制のみ取り上げて肝心の法案の根本的問題、危険性、セキュリティー・ホール、適正手続の保障がない、名誉回復手段がない、人権委員会の罷免手続がない、を全く取り上げていません。
マスコミは自分たちのことしか考えてないのか…

Q.漫画が消える、小説が消えるって本当?

A.漫画や小説が消えることはないと思われます、何が差別と取られるか分からないので、当たり障りのないものしか作れなくなる。
既に発売された物については作者や出版社が差別と取られる事を恐れて、販売を中止したりする事はありえます。

Q.問題が起きてからなんとかすればいいじゃん、自分には関係ないし

A.一度可決されてしまうと、問題が起きても相当な時間をかけないと廃案にはなりません。危険性が少しでもある限り(全然少しではないですが)可決されるべきではない。可決してからじゃ遅いんです。

この法案の活動記録は公表されないそうなので、この法案を故意に悪用した方法をとっても世間に公表されることなく、特に差別発現してない人達にも被害が及ぶ可能性は十分にあるわけです。


Q.私でも何かできる?


A.親族や友達にこの事を教えてください、それだけでも十分意味があります、賛成意見でも反対意見でもかまいません。一般世間に知られないまま正当な議論もされずに可決されるのだけはなんとしても避けたいです。
ブログインターネットサイトを持っている方は少しでも呼びかけていただければありがたいです、ここへリンクしていただいても構いません。

反対運動まとめの記事を作成しました。


この法案の問題点まとめ


●正当な批判さえ差別と取られる可能性がある
●テレビやマスコミ(=電通=CIA=フリーメーソン)でほとんど取り上げられてないため、国民のほとんどが知らない
●差別の基準があいまい、(人権委員会が好き勝手できてしまう)
新しい権力機関を作ること
人権委員会の行動を監視、抑制する機関が存在しない

インターネットを潰す事によるマスコミの情報操作能力の向上。よってマスコミの曲解報道に一切対抗できなくなる
(マスコミの情報規制ができるので議員の汚職及び犯罪隠蔽が容易になる
●何が差別と取られるかわからない、使える表現が減る事によるアニメ漫画ゲーム小説映画、テレビ、お笑い、音楽、ドラマの衰退(当たり障りのないものしか作れなくなる)
●特定の人権を過剰に守るという事はそれ以外の人権を踏み躙る事に繋がります。



「人権擁護法案」の危うさ

「人権擁護法案」は、これまでいわゆるメディア規制部分のみが争点として注目を集めていました。ところが法案提出直前の今になって、法案本体がはらむ重大な危険性に多くの議員やジャーナリストが気づきはじめ、驚愕し、相次いで危機感を表明しているのです。

人を出生や宗教などで差別すること言われなく虐待することは、断じて許されざることです。人権侵害はあってはならぬことであり、法案の理想そのものには誰一人として異を唱えるわけではありません。
 問題は、規制のあり方にあります。この法案は、新たに甚大なる「人権侵害」、取り返しの付かない「人権否定」を招くおそれが極めて大きいのです。

仮に、このまま法案が成立してしまったら、どんな社会になるでしょうか。たとえばある政治家が、北朝鮮への経済制裁を主張したとします。北朝鮮系の人たちが「これは将軍様に対する侮辱だ!朝鮮人民への差別だ!」と騒ぎたてると、この政治家は、令状なしに家宅捜索を受け、政治生命をも失ってしまうのです。他の政治家は口を閉ざして信念を発言しなくなり、政治・外交は機能不全となるでしょう。もちろん、ジャーナリストも同様です。まさか、おおげさな…と思われるかもしれませんが、現実にその可能性があります。

 何が差別にあたり人権侵害と認定されるのか。それは受け手の主観によって大いに左右されることです。何の気なしに描いた絵を、たまたま観た人が「これは侮辱であり、差別だ!」と感じるかもしれないし、あるいは意図的にそう言い立てるかもしれません。その結果、この画家はアトリエを立入り調査され、絵を押収されかねません。出頭要請を拒めば罰則も適用されてしまうのです。

政治家やジャーナリスト、芸術家に限りません。学校の先生であれ労働組合員であれ、何をもって咎められるかわからないとなれば、すべての国民が萎縮した毎日を送ることになります。政治も、哲学も、歴史も、芸術も、いっさい語れない暗黒の社会。「思想・良心・表現の自由」を定める憲法の精神が完全に踏みにじられた社会です。

 法案では「人権侵害」の定義があいまいで、いくらでも拡大解釈されるおそれがあります。恣意的な運用によって計り知れない、新たな人権侵害が起こりえます。恐るべきは、罰則を含む「措置」が裁判所の令状なく、「人権委員会」の判断のみで行われることです。警察ですら持たない強権なのです。それでは、この強権を行使するのはいったいどんな人々なのでしょう。

 奇怪なことに、全国にはりめぐらされる2万人規模の「人権擁護委員」の選定過程が不透明なのです。資格要件から、わざわざ国籍条項が除外されていること。また、特定の傾向をもつ団体構成員から選任することとされている点。明らかに法案が何かを想定し、何かの意図をもって作成されている感じなのです。

仮に法案が成立するようなことがあれば、断然「自由主義の終わり」「民主主義の自殺」ということになりましょう。法案の国会上程にブレーキをかけようと必死です。

  平成十七年三月十一日
                    衆議院議員 古川禎久

「人権擁護法案」の危うさ」
より転載させていただきました

許されざる人権擁護法案

この法律は、さらに<特別な人権侵害>を三つの類型に分け、1)差別、2)虐待に続いて、わざわざ、3)報道による人権侵害を救済対象として法律に明記している。そして、犯罪被害者、犯罪少年、犯罪者の家族等に対しての「過剰な取材」を、委員会の監視対象に置くと、はっきりと宣言しているのだ。
この法律が出来たら、政治家のスキャンダル取材で自宅に張り込みをしたり、少年による凶悪犯罪の背景の調査報道を行ったり、血液製剤を巡る疑惑で医師の自宅に電話を何度もかけたりといった行為すべてが、役人に人権侵害だと指摘される可能性が出てくる。

いいのか、それで!
もちろん、まともな民主主義国家で、メディアを対象にしたこのような法律を持つ国は一つもない。アメリカで、国会議員がもしこのような法律を提案したら、おそらくその議員は、その瞬間に政治生命を失うだろう。
日本はかつて、「経済一流、政治三流」と言われていた。現在はその経済にもかげりが出て、「経済三流、政治三流」という状況だ。もし、その上こんなむちゃくちゃな法律が成立したら、民主主義国としての国際的認知すら失う可能性がある。
七月二日、国連の人権高等弁務官が、日本の人権擁護法案に対する懸念を表明する書簡を、小泉総理に送っていたことも明らかになっている。
あえて言おう。人権擁護法案という名のこの法律は、民主主義の基本原則である、言論の自由という基本的人権を侵害する法律である。

集英社新書WEBコラムより転載
posted by 真 救世主 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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